自分さえ良ければの自己中心の個人意識を持っていることからして人間は元からして孤独なのが当たり前なのです。
ところが孤独だと寂しいだの虚しいだのと孤独感になりがちだから同じような仲間を欲しがるのです。
それが人間関係なのですが、それが異性であれば基本的にはセックス関係を望んでいるのです。
また生きて行く為には絶対的にお金が必要ですから、そのお金を受けたり出したりする金銭的な人間関係にもなっています。
しかも目立ちたがるところがありますから、自己主張・誇示したがるのが当たり前になっていますから、常に比較競争し合うのが人間関係であり、それがプライドにもなっています。
然るに人間はマネーとセックスとプライドからして生きているようなものです。
だから食って寝て糞をして生きているだけでは物足りないのです。
然るにそれが諸悪の根源である不平不満になるのです。
その不平不満をもって生きているのが人間だから、この世人間関係が自由平等調和の世界には絶対になりません。
そこで何とかなりそうなな感じで登場してきたのが主義主張の哲学思想や宗教真理などの精神世界です。
しかし不満を満足に変える形となっていますから、良いこともあれば悪いこともある、天国と地獄がある、飴とムチの使い分け、ご褒美と罰の矛盾があります。
だからどんな形で指導教育するも矛盾がある以上は絶対が無く、然るに良いも悪いもある(善悪優劣損得の矛盾がある)中途半端な結果で終わるのです。
しかも指導教育する形・組織団体の中にも比較競争し合う人間関係・上下関係・否定反発束縛制限し合う関係・不自由不平等の矛盾があって当然になっています。
だからこの世人間関係は「どうしようもない」と書いています。
となるとやはりお金とセックスとプライドで生きることを何とかしなければなりません。
ところが何とか出来るものなら既に何とかなっています。
然るにこのブログを読んで何とかなる人なら既に実践しているはずです。
しかし「どうしようもない」ままが延々と続いてい人が多いと思われます。
と言うことは(裏を返せば)お金とセックスとプライドにあまり縁が無くなったホームレスやニートやBライフ・サイレントテロなる形で生きているほうが個人の自由もあって人間らしい生き方にもなります。
然るに世間の勝ち組よりも負け組のほうがもっともらしい生き方にもなります。
だから守り闘わずにして自らが負ける、その「逃げるが勝ち」とも言えるのです。
然るに私はこの世の人間関係や自己拡大で勝ち続けることが違和感になって(宇宙・神・愛に仕組まれたとは言え)自らが負け組を選んだ一人になります。
と言うことはこのブログを書くために過疎地単身暮らし(お金とセックスとプライドに関係の無い生活)が仕組まれたとも言えます。
ところが孤独だと寂しいだの虚しいだのと孤独感になりがちだから同じような仲間を欲しがるのです。
それが人間関係なのですが、それが異性であれば基本的にはセックス関係を望んでいるのです。
また生きて行く為には絶対的にお金が必要ですから、そのお金を受けたり出したりする金銭的な人間関係にもなっています。
しかも目立ちたがるところがありますから、自己主張・誇示したがるのが当たり前になっていますから、常に比較競争し合うのが人間関係であり、それがプライドにもなっています。
然るに人間はマネーとセックスとプライドからして生きているようなものです。
だから食って寝て糞をして生きているだけでは物足りないのです。
然るにそれが諸悪の根源である不平不満になるのです。
その不平不満をもって生きているのが人間だから、この世人間関係が自由平等調和の世界には絶対になりません。
そこで何とかなりそうなな感じで登場してきたのが主義主張の哲学思想や宗教真理などの精神世界です。
しかし不満を満足に変える形となっていますから、良いこともあれば悪いこともある、天国と地獄がある、飴とムチの使い分け、ご褒美と罰の矛盾があります。
だからどんな形で指導教育するも矛盾がある以上は絶対が無く、然るに良いも悪いもある(善悪優劣損得の矛盾がある)中途半端な結果で終わるのです。
しかも指導教育する形・組織団体の中にも比較競争し合う人間関係・上下関係・否定反発束縛制限し合う関係・不自由不平等の矛盾があって当然になっています。
だからこの世人間関係は「どうしようもない」と書いています。
となるとやはりお金とセックスとプライドで生きることを何とかしなければなりません。
ところが何とか出来るものなら既に何とかなっています。
然るにこのブログを読んで何とかなる人なら既に実践しているはずです。
しかし「どうしようもない」ままが延々と続いてい人が多いと思われます。
と言うことは(裏を返せば)お金とセックスとプライドにあまり縁が無くなったホームレスやニートやBライフ・サイレントテロなる形で生きているほうが個人の自由もあって人間らしい生き方にもなります。
然るに世間の勝ち組よりも負け組のほうがもっともらしい生き方にもなります。
だから守り闘わずにして自らが負ける、その「逃げるが勝ち」とも言えるのです。
然るに私はこの世の人間関係や自己拡大で勝ち続けることが違和感になって(宇宙・神・愛に仕組まれたとは言え)自らが負け組を選んだ一人になります。
と言うことはこのブログを書くために過疎地単身暮らし(お金とセックスとプライドに関係の無い生活)が仕組まれたとも言えます。