孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

欲張らない者同士が集る星&地球になった時にはその人間関係で愛の至福が味わえると確信しています。

2014年02月05日 | Weblog
孤独と自由にして欲張らない生き様を書いている中で、不完全意識同士の人間関係では満ち足りた思いの至福を味わえないことからして片手落ちになると書いていますが、
それでもお互いが欲も見栄(己を守りたがる欲)もない、その自然体の時に交わす会話や物品の授受などで交わすその双方向の愛のキャッチボールがあった時の喜び楽しさ感謝の心を幾度か実感で味わっています。

然るに欲張らない者同士が集る星&地球になった時にはその人間関係で愛の至福が味わえると確信しています。

例えば私の個性に似合った役目として材木を切り出す木こりの仕事をしていたなら、その仕事を自力と創意工夫で楽しくやれるし、その材木を積み込んで運送する人ともお陰様とお互い様の喜び感謝を互いに交わすことが出来ます。
その運送するのが私だった場合は、その材木を製材所に運ぶ役目ができる事に喜び感謝があり、また届けた製材所も自分には出来ないことだけにその喜びと感謝を表す事になりますから、これまた双方向のお陰様お互い様を味わいます。
その製材所が私の場合でも同じことになり、そして大工さんも自分には出来ない仕事だけに製材所の私に喜び感謝を表しまたお陰様お互い様を味わいます。
その大工さんが私の場合だと、己の自力能力&創意工夫を活かせる喜び楽しさを味わえることになるし、また弟子にも技術を惜しみなく教えてその仕事の楽しさ喜びを十分に味わえるように気遣い優しく接し触れ合います。
何たってその方がお互いに楽しく喜び合いながら仕事が出来るからです。

となると仕事役目役割に上下の差も無く、然るに差が無ければ自由も味わえるし、その役割を果たすことや双方向の愛のキャッチボールを味わうことでその喜び楽しさからして生きていることを十分に味わえます。

また趣味嗜好娯楽を味わうも、その形&結果を味わうよりも、同じ趣の仲間同士&自然体同士の心打ち解けた者同士の楽しい触れ合い会話が主体になります。

だから欲張る意識を持っていれば上記とは無縁の世界で生き続けることになるのです。

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