孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自己縮小の欲張らない実践は皆に公平にして、地球に優しく人にも優しい宇宙&神&愛の実践真理です。

2015年02月19日 | Weblog
完全真理&自己縮小&欲張らない生き方を書いたブログですが、
それを理解する難易度も中学生程度ですから、然るに誰もが違和感無く納得確信できるはずですし、また自己拡大することが無理でも自己縮小なら誰でもが簡単・楽チンでもって実践できます。

然るに自己縮小&欲張らない実践は老若男女の誰でもが公平に実践できますから、宇宙&神の愛にあたります。
だから当然ながら地球に優しく人にも優しい真の実践真理になります。

ところが自己拡大に励む人はいても、自らが先んじて自己縮小する人はごく少数だと思います。
その中でも俗世間から離れた仏門に下るとか教会の中で仲間と信仰心を高めることになる人が殆どだと思います。

ちなみに季節労働者として半年働いて後の半年は呑気気ままに暮らしている人もいるようですし、また臨時職員として半日働き、その年収150万円で生活し時たま家族旅行にも行っている夫婦家族もいるようです。

また都会から離れて田舎暮らしをしている人もいるでしょう。

然るに私の場合は成り行きから仕組まれ続けて過疎地の廃屋を購入したことからして別荘感覚の遊び心から始まったことですが、
ところが仕事を廃業にしてまで本格的に暮らすようになってからは、世間では珍しいヤギ数頭を放し飼いにして人を呼び込み、また鶏を放し飼いにしてその産みたての卵を熱々のご飯にかけて食べるその美味しさを味わってもらったり、囲炉裏で暖を取ったり、薪を燃料にして風呂を焚いたり、草刈体験や野焼き体験、栗拾いや竹の子堀りや山菜取りや山野草探し、また犬と一緒に山道を散策したりする等の手はずを整えてお客さんに喜んでもらっていました。
またポニーやロバを飼育して来客をもてなすことも考えていました。

然るに皆さんが田舎暮らしを思い考え実行するのと同じ似たようなことをしていたのです。

ところがやり始めた頃は良かったが、放し飼いにして飼育管理することの難点が苛立ちストレスになっていましたし、しかも人が来て一時賑わうも内面的に気疲れしていることや、その人たちが去ったあとの静寂がわびしく感じるようになったことからして、自らが先んじて人を招き入れることをやめました。

そして数年のうちに鶏もヤギも死んだのでその面倒から開放され安堵しました。

然るにそれが自己満足のために余計なこと面倒なこと無駄なこと無理なことをしないままの静寂にして気疲れしない孤独の自由にして暮らせることのありがたさ、その価値を見出すことになったわけです。

だから変化刺激快感快楽からして気付けなかったのが(生まれて始めて)(実感でもって)自己満足の裏に苦ありと悟ったわけです。

そして食って寝て糞をしながらにして(欲張らずにして)平然と生きることになったわけです。

だから欲張らないで生きる、然るに自己満足を求めない生き方になったことからしてこの世の様々なものが色あせたのです。
となると、なお更に思い描き求め欲しがることが無くなり単調な生活が板に付いてきたのです。

然るに自己満足の裏に苦ありを実感納得確信すればこの世のことは(己のことさえも)どうでもいいことになり、然るに成り行き任せの(必然ご縁の仕組みのままに生きる)自然体で生きていけるようにもなるのです。

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