孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

田舎暮らし…価値の転換・意識改革

2008年05月03日 | Weblog
世間的なしがらみや趣味嗜好娯楽・刺激から離れて、ただ食って寝て糞をするだけのような田舎暮らし・スローライフ・エコ生活・年金暮らしとしてネットに紹介していますが、その一風変わった内容を素直には理解しがたいと思います。
幼い頃から馴れ親しんだ地元の老人達ならいざしらず、数年前まで町中で派手なカッコいい生活をしていたものが何ゆえに満足しているのか?・・・あれこれ読んだところで合点がいかないかもしれません。何故なら、実際に触れ合い味わっているのは私であって皆さんではないからです。

皆さんが理想に思っている田舎暮らしは、今までの快適便利な生活スタイルを田舎に持ち込んでおき、あとは目玉である自家菜園や散策や趣味を存分に楽しみたいのではないでしょうか? または田舎レストランや何かの工房を開いて世間に注目される存在になることを思い浮かべていたり、同じ仲間を集うグループ活動的な夢を持っていたりするかもしれません。 しかしそれで成功している人は極まれですし、それも単なる自己満足だったり、人と接する気疲れでストレスが潜在していたり、未経験の領域に踏み込んだものの多くが馴染めずに苦労していたり、実状は見た目ほど面白くないのにはた目では楽しんでいるように装って見せ掛けているのかもしれません。
自分さえ良かったらの自己中心・個人意識(自己主張・顕示、自己満足)や良い悪いの分離意識のままで田舎暮らしを続けても、以前と変わらずに不平不満の生活が継続延長されるだけにならまだしも、不便・不適・不衛生などから家族夫婦関係・人間関係の亀裂やすれ違いから、夢と現実が噛み合わないままに笑顔・感謝の乏しい生活になる可能性が十分あります。

戦後の高度成長以来お金第一主義が長く続いて、お金さあれば何でも出来る意識が高まり、お金さえあれば欲しいものが何でも買えるようになり、中にはお金で健康が買える意識の高まりや、輸血や人工移植によって命さえも買うことができる医療制度が当たり前になっております。 
そして、世界では貧困が原因で大勢の人が飢えや病気で死んでいるのを知っていながら、身近な一人の命を救うためにだけ募金活動して集めること(命に差をつけること)が美談にもなっています。

お金がお金を生む資本主義の経済発展が生活の安定になる経済主義が蔓延している中で、(心休まると思っている田舎暮らしに憧れて)単に暮らしを田舎に移しただけでは「心のやすらぎ」は得られません。 何故なら「生活の安定」が先にあり、「心の安定」が後になっているからです。 命は一つ、意識は一つです、二つ同時には働きません、だから先に意識した方向性に向いていくのです。 二つの事を交互に働かせると矛盾してくるから、どうしても中途半端な妥協になりますから、生活の安定と心の安定が得られているように思う自己満足や、見せ掛けの自己主張や自己顕示で終わります。

先に価値の転換・意識改革を学び知ることから「心の安心安定」を得る事が出来ると、後から自ずと(自然体で)「生活の安心安定」を得る事が出来るのです。
心の安定に必要なのが不平不満を持たないこと、すなわち「良い悪い」で分離判断評価差別しないこと、ゆえに人を責めたり自分を責めたりしなくなる、そして未練執着・こだわりがなくなる、ゆえに幸とか不幸とかに分離して思わなくなる、「そのまま、このまま、あるがまま」に事実を見て、今を生きるようになる。

望む事が多い生活の安定から望む事が少ない心の安定に価値・意識が移行すれば、少なくとも「お金に支配」されなくなり、それが人に支配・制限されなくなり、見栄や世間体や人間関係が気にならなくなり、気疲れしなくなり、心の健康と体の健康が得られ、心の安定が生活の安定になります。


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