孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

老若男女の誰でもが…心穏やかに日々を過ごしたければ…自己縮小するしか他に道はありません。

2017年01月30日 | Weblog
人それぞれの性格個性からして思い感情の質と量に多少の違いがあれども、持っているからには必ず出てきます。

然るにそれを消し去ることは絶対にできません。

ちなみに人は良い悪いで判断するところからして愚痴や小言の不平不満が出てきます。

だから…ちょこっと出ればちょこっとで済みますが、それが大きく出ればことが大きくなるのは当然です。

そして大きなことをしているほど大きな不平不満が出るのも当然です。

だから自己縮小の実践をしていれば…それだけことが大きくならないで・執着しないで終わります。

また自己満足も同様ですから、大きなことを成すほど大きな自己満足になり、それが記憶にも残ることになります。

ところが自己縮小の実践をしていると大きな自己満足もありませんから、時たまにちょこっと出る小さな満足の記憶はすぐに消えて空白となります。
となると当然ながら変化刺激のない…空白の時間…が多くなります。

然るにそれが心穏やかな時間となっているのです。

ちなみに私が精神世界を意識するようになって分かったことにあるのが自己満足は虚しさにつながっていることです。

然るに自己満足の裏にその虚しさが隠れているのです。
だから過去の喜怒哀楽の繰り返しが多いほど…先々で…その分だけ虚しさを多く感じるようにもなります。

だから過去の自己拡大が如何に愚かなことだったのか後悔反省になり、自己満足し自惚れ慢心していたことが、なんと馬鹿げたことを一生懸命にしていたのかというあほらしさ・虚しさに変わったのです。

然るに自己縮小の実践がなければ…そのことに全く気付かずに…その自己満足と不平不満の喜怒哀楽を繰り返し続ける人生になっていたのは確かです。

何はともあれ…その変化刺激を味わい続けることからしてそれが虚しさどころか生き甲斐のようにもなれば…
真の精神世界に目覚めずにして…死ぬまで繰り返し続くかもしれません。

また年老いた老後となり暇する時間が多くなったり、また皆から見放されたような状況になったり、また目の前に死が近づくほどに過去を省みる時間が多くなることでしょうが…
しかし、すでに時遅しの感があります…何たってお年寄りですからね。

然るに病院通いの待合室が社交の場となったり、またテレビが友達が如くの虚しが漂う老後になるのです。

そして思い考えることは孫や我が子の心配ごとですが…そんな親を大切に思いやる家族が一緒ではなくなり…
昔とは違って同じ屋根で暮らすことなく…別離別居となって思うようにはなりません。
またそれだけ虚しさも増します。

ところが同じ老後であっても…己の心意識次第でどうにでも変わる…その事実があります。

然るにそれが誰でもが公平にして実践できる…素朴謙虚にして生きる自己縮小の実践にして気付き悟り…その真の精神世界の中で(実践している己だけが)日々を穏やかにして生きていくことになるのです。

ところが大方の人はそれに気付かづにして世間一般的な老後を過ごすことになり、その哀れ虚しさの思いを持ったままにあの世へ旅立つことでしょう。

とにかく…老若男女の誰もが…心穏やかに日々を過ごしたければ…自己縮小するしか他に道はありません。

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