食って寝て糞をする以外にしていることは牛舎のパートが一日おきに1時間だけですから、あとは如何に時間つぶしをするか、しかありません。
ちなみに客人も来ませんから部屋は散らかり放題で隅にはクモの巣やホコリがたまっていますし、万年寝床にもなっています。
然るにひげを剃るのも一週間に一回くらいですし、顔を洗うことも手を洗うことも殆どありませんでそのままに食事をしていますし、排便はポリバケツに座って用を足していますし、囲炉裏端で焚き木をくべている時間が多いから顔と手と髪の毛や着衣からススの匂いがしますし、時たま顔や手をタオルで拭くとタオルがいっぺんに黒ずみますし、下着はよれよれでゴムひもが伸びきっていても工夫して使っているし、泥汚れた着衣やボタンが外れたり縫い目がほころんでいる野良着や履物・作業靴でも平気ですし、寒ければ重ね着するだけですし…
まだまだありますが、とにかくグータラで、だらしなくて、面倒くさがりやで、清潔感が無くて、オシャレに縁が無く、常識やルールも無く、盆も正月も無く、月日や曜日に関係なく日々同じで、まして冠婚葬祭や伝統風習に巻き込まれることもありません。
※何だか素晴らしいことに思えませんか…
だからグータラでだらしない生活が出来るのも天国に思っています。
しかし此れだけは実際にやってみなければ味わえないことです。
然るに潔癖や完璧で四角四面の人であっても、潜在意識・先入観・見栄・プライドが邪魔しているだけだから、実際にやれば(ルンペンが如くに)病み付きになるかもしれません。
しかも家族親戚のことも気になりませんし、その愚痴小言や無駄話を聞くことも無く、国際問題や政治経済や事件事故のニュースも聞かないから気にならないし、まして他国のことなら尚更です。
然るに基本的には=何も気にしないでほっとける=ことにあります。
だから私の事もほっといてもらう、その孤独の自由・独自独歩があります。
然るに自分さえ良ければの個人意識丸出しなのです。
それだから他人様の個人意識丸出しも気にしません、ほっときます。
然るにお互い様なのです。
だから自分の事も人様の事も不平不満にもなりません。
※何だか素晴らしいことに思えませんか…
然るに我が子が転んでも自力で立ち上がるまでほっとくのが親の愛のように、
ほっとくことは余計なこと無駄なことをしないのです。
だから尚更に気にしないようになるのです。
しかもこれらは人間の本性&潜在意識にあることなのです。
また貧しくても何とかして楽に暮らせるようにと(先人を含めて)(一昔前まで)頑張ってきたのです。
ところが楽になりだすと人と比較競争する意識からして(隠れていた)見栄も出てきたのです。
そして豊かになればなるほどにその格差のある国家社会・政治経済・教育制度・人間関係になっていったのです。
然るに皆が貧乏であれば、その貧乏が気にならないで(貧乏ではなくなり)アルプスの少女・ハイジが如くに明るく楽しく暮らしていけたのです。
然るに皆さんはアルプスの少女・ハイジが如くでは気に入りませんか、
※私はまさに地上の天国に思えますが…
それでもやはり特別な趣味嗜好娯楽・変化刺激・快感快楽の自己満足とその不平不満の喜怒哀楽で生きることを続けますか、
しかもこの先には超高齢者時代が待っているし、その孤独高齢者も絶対的に増える傾向にあることからして(今は若くても順繰りからして)いずれは誰もがほっとかれる身の上にもなります。
そして寂しいだの、わびしいだの、虚しいなどの孤独感を引きずって生きて行くことにもなります。
ところがそれとまったく形が同じであっても、己の心意識の有様次第で天国にも地獄にもなるのですから、
そこで見栄を張らないで、また物質銭金や人間関係に縛られることなく、また他力に頼らないだけの孤独の自由にして、心穏やかな精神の安定&心身の健全健康にして生きて行くことが出来れば、それが地上の天国にもなりますから、
そこで思い残すことのない(未練後悔・執着のない)納得人生になるのです。
ちなみに客人も来ませんから部屋は散らかり放題で隅にはクモの巣やホコリがたまっていますし、万年寝床にもなっています。
然るにひげを剃るのも一週間に一回くらいですし、顔を洗うことも手を洗うことも殆どありませんでそのままに食事をしていますし、排便はポリバケツに座って用を足していますし、囲炉裏端で焚き木をくべている時間が多いから顔と手と髪の毛や着衣からススの匂いがしますし、時たま顔や手をタオルで拭くとタオルがいっぺんに黒ずみますし、下着はよれよれでゴムひもが伸びきっていても工夫して使っているし、泥汚れた着衣やボタンが外れたり縫い目がほころんでいる野良着や履物・作業靴でも平気ですし、寒ければ重ね着するだけですし…
まだまだありますが、とにかくグータラで、だらしなくて、面倒くさがりやで、清潔感が無くて、オシャレに縁が無く、常識やルールも無く、盆も正月も無く、月日や曜日に関係なく日々同じで、まして冠婚葬祭や伝統風習に巻き込まれることもありません。
※何だか素晴らしいことに思えませんか…
だからグータラでだらしない生活が出来るのも天国に思っています。
しかし此れだけは実際にやってみなければ味わえないことです。
然るに潔癖や完璧で四角四面の人であっても、潜在意識・先入観・見栄・プライドが邪魔しているだけだから、実際にやれば(ルンペンが如くに)病み付きになるかもしれません。
しかも家族親戚のことも気になりませんし、その愚痴小言や無駄話を聞くことも無く、国際問題や政治経済や事件事故のニュースも聞かないから気にならないし、まして他国のことなら尚更です。
然るに基本的には=何も気にしないでほっとける=ことにあります。
だから私の事もほっといてもらう、その孤独の自由・独自独歩があります。
然るに自分さえ良ければの個人意識丸出しなのです。
それだから他人様の個人意識丸出しも気にしません、ほっときます。
然るにお互い様なのです。
だから自分の事も人様の事も不平不満にもなりません。
※何だか素晴らしいことに思えませんか…
然るに我が子が転んでも自力で立ち上がるまでほっとくのが親の愛のように、
ほっとくことは余計なこと無駄なことをしないのです。
だから尚更に気にしないようになるのです。
しかもこれらは人間の本性&潜在意識にあることなのです。
また貧しくても何とかして楽に暮らせるようにと(先人を含めて)(一昔前まで)頑張ってきたのです。
ところが楽になりだすと人と比較競争する意識からして(隠れていた)見栄も出てきたのです。
そして豊かになればなるほどにその格差のある国家社会・政治経済・教育制度・人間関係になっていったのです。
然るに皆が貧乏であれば、その貧乏が気にならないで(貧乏ではなくなり)アルプスの少女・ハイジが如くに明るく楽しく暮らしていけたのです。
然るに皆さんはアルプスの少女・ハイジが如くでは気に入りませんか、
※私はまさに地上の天国に思えますが…
それでもやはり特別な趣味嗜好娯楽・変化刺激・快感快楽の自己満足とその不平不満の喜怒哀楽で生きることを続けますか、
しかもこの先には超高齢者時代が待っているし、その孤独高齢者も絶対的に増える傾向にあることからして(今は若くても順繰りからして)いずれは誰もがほっとかれる身の上にもなります。
そして寂しいだの、わびしいだの、虚しいなどの孤独感を引きずって生きて行くことにもなります。
ところがそれとまったく形が同じであっても、己の心意識の有様次第で天国にも地獄にもなるのですから、
そこで見栄を張らないで、また物質銭金や人間関係に縛られることなく、また他力に頼らないだけの孤独の自由にして、心穏やかな精神の安定&心身の健全健康にして生きて行くことが出来れば、それが地上の天国にもなりますから、
そこで思い残すことのない(未練後悔・執着のない)納得人生になるのです。