孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

~たかが牛の出荷、されど牛の出荷からして~人間の死に方を見極め悟る事例

2021年10月30日 | Weblog
不満と欲と矛盾とその差別とその偽善でもって成り立っている一般世間や家族から離れた孤独の自由にして過疎地で暮らしている私の弱点は人様との会話が少ないことです~そして暇していますからブログを書くことで人様と接し会話できれば退屈しないですみます。
ところが異論反論や質問もなく何やら一人相撲をしている感じですが、そうかと言って世間一般的な会話を求めているわけではありません。
ちなみに異次元の世界の摩訶不思議の話やら精神的な会話にちょこっとだけ関心を持っているのが牛舎のオーナーです~だから10年以上続いているとも言えます。

そこで最近のことですが牛舎の隣の畑で知り合いが熱中症で死んでいるのが見つかった話や親身に付き合っている友人が家の中で意識不明になって倒れているところを仕事仲間が運よく見つけて救急車で運ばれ一命をとりとめ今は元気にしている話からして~私がオーナーに畑の中で熱中症で死ぬのと意識不明から運よく助かるのと何れを選びますかと問い掛ければ~当然ながら運よく助かるのを選びました。

ちなみに畑の中で死んでいた人と最後に接し挨拶をしたのも私であり、救急車で運ばれ助かった人も因縁めいたご縁が続いている人です。
また半年ほど前に動脈瘤の破裂で死んでいるところを発見された人とも2年くらいご縁があり竹藪などの伐採を無償でお手伝いしていました。
もっと古い過去のことですが~天候不順ながらも作業していて落雷で感電して意識不明になっていたのに一命をとりとめたご近所の人とも炭焼きや畑の草刈りなどを無償で手伝っていた人です。
また15年前にご縁があって鶏を絞めて捌く方法を伝授してくれた人は消防署勤務で自宅に帰った時の玄関先で倒れて死亡していました。

ちょっと横道にそれましたが~私は運よく助かるよりも死ぬ時が来たらあっさり死ぬことを望んでいることをオーナーに話して~私は無縁死・孤独死を望んでいることを話したら変人が如くにあしらわれましたから~そこで反論めいた感じで~死にかけたのに運よく助かり生き残ることは~修行が足りないからもっと人間の苦労を積み重ねて修行し直しなさい~となると言いましたが~
結果的には人それぞれでいいじゃないかと会話が終わりました。

そんな会話をした一週間後のことですが~飼育していた大きな親牛を出荷して解体し肉牛となるのですが、それを牛が感知したのか一歩も動かずオーナーが重機でもって牛の鼻輪が切れるほどに無理やり引っ張りましたがそれでもなかなか動かずにいました~
それを私なりに解釈したならば~鼻の中が切れて出血するほど痛い目に遭っているのにそれでも動かない&死にたくないと頑張り続けていることになります。
ところが一か月前に出荷した牛がトラックに乗るときは~まるでピクニックに行くが如くに簡単に乗りましたから出荷で痛い目に遭わずにすんだのです。

だからそれを人間に言い換えれば~人間は死ぬ時が来たら死ぬのが当たり前ですから、遅かれ早かれ死ぬのなら、その死ぬ前に痛い目や苦しい目に遭わずにしてあっさり死ねる方がいいのです。
~どうせ死ぬのに~それを頑張り見栄張り無理して生き残って死ぬ時に悲痛な思いをするよりも賢い選択になるのです。

ちなみに誰もが先行きは不確かですから明日にも死に至るかもしれません~だから生きているうちに死を迎える準備も必要なのです。
ちなみに私はブログでもって家族向けに公開遺言状を書いていますし(印刷して配っています)その続きもブログに書いていることになるのですが~しかし家族と言えども人それぞれにして私が思うようにはいきません~
ちなみに家族が20年間の内・物珍しいうちの二度三度来ただけですしブログを読んでいるようでもありません~ブログが理解できていないのです~だから自由にしてほっとくしかありません。

またそれだけに~先ほどの事例が理解納得できる意識精神の人との必然ご縁があることを望んでいるのです。
然るにこのブログが理解納得となる人が増えることを望んでいるのです。
だから先ずはブログを読み続ける人が増えることを望んで書き続けているのです。

だから私としては~たかが牛の出荷、されど牛の出荷となるのです~またそれが理解できる人がいるのが精神世界であり意識の世界なのです。