孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

私は釈迦やイエスらを超えた精神意識でもって今を生きています。

2021年10月18日 | Weblog
人間は生まれながらにして不満と欲を持っています。
また良いと悪いの善悪優劣損得の矛盾で判断し比較競争しそして差別し合っています。
然るに釈迦やイエスらも人間として生まれてたからにはその不満と欲と矛盾とその差別とその偽善でもって生きていました。
だから此れではダメだの不満と何とかしなければの欲や良い悪いや好き嫌いでもって選り好みし差別していましたし、己の特別な能力の神懸かり奇跡を成す超能力からして自惚れ慢心して私は神だ私は正しいとばかりに見栄張りながら、その世間体やのプライド絡みでもって事を成していましたから、当然ながら世間に目立つ存在となりました。

そして釈迦は悪をも許す慈悲を説きながら300人もの弟子を持ち、またイエスは悪のない善一元の世界を説きながら11人の弟子を持って威張っていましたが自らが選んで自滅しました。
何はともあれ~釈迦の慈悲もイエスの善一元も白昼夢が如くの理想目的を掲げているだけでして~先ほどに書いたように~人間の不完全な意識精神からして絶対に無理なのです。

ちなみに釈迦はミイラが如くになるまで精神修行しましたが~己の不満と欲を消すことが出来なかったことからして~修行を成しても無駄だと~弟子たちに説いた事実があります。
ちなみにイエス自身も善一元の世界は絶対に無理だと悟ったはずです。
何故なら良い悪いで判断しない完全真理を知ったばかりの精神世界の初心者であった当時の私でさえも~人間本能からして絶対的な無理があると気付いたくらいですから~精神世界の本家本元の釈迦やイエスも絶対に無理だと気付いたはずです。

ちなみに完全真理の実践には無理があると気付いた山田耕栄さんが代替えに素朴謙虚に生きていく自己縮小の実践を講演会で説くようになりましたが~
その時の私は既に一年前から過疎地でもって小さく生きる自己縮小の実践を先駆けていました。

何はともあれ~見栄や世間体のプライドからして世間に目立ちたがるのが人間ですから~自らの特別な技能能力を世間に見せたがります。
だから釈迦やイエスに限らず精神世界で目立ちたがる輩が古今東西で次から次と現れ出てその偽善を説いています。
しかも昔よりも悪辣になっているようでして巷で人集め金集めになり中には物売りに落ちているばかりか政治経済の権力さえも欲しがっているところがあります。

しかも精神世界に限ったことではありません。
不満と欲と私は正しいのプライドからして事を成し続けて世間に目立つことになったのが当たり前が如くに~私は正しいとばかりにリーダシップをまき散らしている輩が大勢います。
それを言い換えれば~特別な技能能力が無くて世間一般的な生活をしている人の方が釈迦やイエスらの古今東西の有名人よりも賢い生き方になるのです。

ちなみに私は自然界の恵みの衣食住でもって食って寝て糞をしながらの事実でもって今を生きているだけで満足していることは~過去の釈迦やイエスらを超えた精神意識でもって今を生きていることになります。
然るに己の中の不満と欲と矛盾と差別意識を無くすることが出来なくても~個人の自由・孤独の自由から自然界と仲良く素朴謙虚に生きていくことは可能なのです。
だから世間に目立つ生き方を求めるよりも逆に世間から離れた生き方のほうが賢い選択になるのです。
そして自然界の中で心静かに生きている価値を味わえば二度と過去のような喜怒哀楽のストレス生活には戻りません~戻りたくないのです~それだけの価値があるのです。
しかも絶対に来る老後や死に様や死後のことを深く考えれば尚更にその価値があるのです。

そして私も人間だから良い悪いで判断する不完全意識を持っていますから、その精神未熟にしてバカ者のままに人生を終えたくないから、食って寝て糞をしながらの事実でもって生きている様を精神修養が如くに自覚しながら・内なる精神に自問自答しながら今をしっかり生きているのです。