自己縮小だの欲張らないだのと言っても縄文時代や徳川時代に戻るわけではございません。
せめて70年前の私が10歳の頃…1950年代後半…白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が「三種の神器」と言われていた頃に戻れれば人類終末エネルギー・核融合原子力発電が無くても生活できます。
しかし今となっては無理がありますが…少なくともこれ以上核融合原子力発電を増やさないで満足できる意識・生活状態になれば…
然るに今以上に欲張らなくなり…それに慣れ親しむことで意識変わりとなり…
その欲張らないで生きることを味わうことでもって自己縮小が進んでいくのです。
然るに一旦とどまれば…過去の自己拡大から自己縮小に転換することになり…その自己拡大で生きることの諸々の過ちが自覚認識できるようになるのです。
ちなみに白黒テレビが見れるようになっただけで大喜びしていた時代があったのです。
また冷蔵庫や洗濯機が普及したことで日々の生活が一気に向上して喜んでいたのです。
また電気コタツで暖を取りながら家族そろって食事をしたり正月にテレビを見ながら餅やミカンを食べることが喜びだったのです。
また小川にはきれいな水が流れていて川で洗濯したり栗の実のように食べられるシイの実が浮かんでいたり様々な魚が群れをなして泳いでいたりザリガニやエビやトンボや蝶々やホタルが身近にいたのです。
…山や川や海辺で色んな収穫を得ながら遊んでいたのです…
ところが昭和の高度経済成長が始まり急速に進化発展して現在に至ったのです。
何はともあれ…一旦止まれば…欲張っていたことの愚かさに気付くことができるのが…人間が持つ潜在能力・意識体・精神体なのです。
だから肉体や感情体に拘り執着して生きることよりも精神体でもって自問自答しながら生きることが重要となるのです。
しかし残念なことに人それぞれの思いが異なっていますから皆と一緒になるには無理があるのです。
だから己から先んじて実践するしか他に道はないのです。
またその気構え意識からして(欲がらみの見栄・世間体・プライドを捨てることで)自分の心身が救われることにもなるのです。
そして独自独歩の孤独の自由を味わうことになれば…自力自信の精神意識からして人様を気にすることもなく・比較差別されることを気にしないで…己の性格個性や感性を十分に発揮できるのです。
然るに生きる喜び・生きている喜びが味わえるのです。
とにかく不満と欲が出てこなくなれば心穏やかな生活人生となって・思い残すことのない・拘り執着未練のない・穏やかな老後と死に様の<有終の美>となるのです。
修正再投稿(2018-10-11)
せめて70年前の私が10歳の頃…1950年代後半…白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目が「三種の神器」と言われていた頃に戻れれば人類終末エネルギー・核融合原子力発電が無くても生活できます。
しかし今となっては無理がありますが…少なくともこれ以上核融合原子力発電を増やさないで満足できる意識・生活状態になれば…
然るに今以上に欲張らなくなり…それに慣れ親しむことで意識変わりとなり…
その欲張らないで生きることを味わうことでもって自己縮小が進んでいくのです。
然るに一旦とどまれば…過去の自己拡大から自己縮小に転換することになり…その自己拡大で生きることの諸々の過ちが自覚認識できるようになるのです。
ちなみに白黒テレビが見れるようになっただけで大喜びしていた時代があったのです。
また冷蔵庫や洗濯機が普及したことで日々の生活が一気に向上して喜んでいたのです。
また電気コタツで暖を取りながら家族そろって食事をしたり正月にテレビを見ながら餅やミカンを食べることが喜びだったのです。
また小川にはきれいな水が流れていて川で洗濯したり栗の実のように食べられるシイの実が浮かんでいたり様々な魚が群れをなして泳いでいたりザリガニやエビやトンボや蝶々やホタルが身近にいたのです。
…山や川や海辺で色んな収穫を得ながら遊んでいたのです…
ところが昭和の高度経済成長が始まり急速に進化発展して現在に至ったのです。
何はともあれ…一旦止まれば…欲張っていたことの愚かさに気付くことができるのが…人間が持つ潜在能力・意識体・精神体なのです。
だから肉体や感情体に拘り執着して生きることよりも精神体でもって自問自答しながら生きることが重要となるのです。
しかし残念なことに人それぞれの思いが異なっていますから皆と一緒になるには無理があるのです。
だから己から先んじて実践するしか他に道はないのです。
またその気構え意識からして(欲がらみの見栄・世間体・プライドを捨てることで)自分の心身が救われることにもなるのです。
そして独自独歩の孤独の自由を味わうことになれば…自力自信の精神意識からして人様を気にすることもなく・比較差別されることを気にしないで…己の性格個性や感性を十分に発揮できるのです。
然るに生きる喜び・生きている喜びが味わえるのです。
とにかく不満と欲が出てこなくなれば心穏やかな生活人生となって・思い残すことのない・拘り執着未練のない・穏やかな老後と死に様の<有終の美>となるのです。
修正再投稿(2018-10-11)