孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自己拡大(価値観)で生きるのと自己縮小(価値)にして生きる、その裏表を味わうのが人間の役割です。

2014年05月04日 | Weblog
私達人間は自分さえ良ければの自己中心的な個人意識を持っています。

然るに良い悪い&善悪優劣損得で判断してその「良いとこ取り」をするが、反対の都合の悪いことは否定反発し排除したがります。

然るにその良いとこ取りが<欲>なのです。

だから「少しでも良くなりたい」その欲からして動いています。
然るに人が集る所には欲が渦巻いているわけです。

ちなみに欲が無ければ人は(無理に無駄に余計に)動きません。

然るに親が子のことを思えばそれが欲につながっているくらいに欲まみれの人間関係になっています。

然るにその少しでも良くなりたい思い(不平不満)からして動いてそれだけ苦労するが、その苦労が報われて満足することの、その不平不満と自己満足の苦と楽&喜怒哀楽からして人間生きているようなものです。

然るに世の為人の為に説く精神世界&神仏霊魂の世界も欲絡みで動いています。
だから良い事は取るが悪い事は排除したがります。

そんなことからして「百害有って一利無し」の結果が出続けているその事実史実を書いています。

然るに昔から言われていた「過ぎた欲は身を滅ぼす」ことが事実なのです。

然るに食って寝て糞をするだけで良しとすれば「足るを知る」ことになりそれ以上のことを望むことも無くなっていくのです。

然るに何事かに思い悩むのも困るのも過ぎた欲からしてです。

その思い悩まない生き方を事実にして味わえば人間「此れで良し」となりますが、それも過去に幾多の思い悩んできたその事実からして気付くことが出来たわけです。

然るに此れまで(欲張り)自己拡大してきたのならば(思い価値観で生きていたのなら)その反対の自己縮小を味わうことになれば、その人間人生の裏表の両面を味わう事になって、その欲張らない(足るを知る)ことからして今を生きているその「価値」を味わい知る事になり、それで人間人生を納得確信して終わることが出来るのです。

然るに此れまでの生き様人生がどうであれ、また如何なる精神世界に惑わされいたとしても、その自己縮小の欲張らない生き方を味わえるようになったことからして、然るに「終わり良ければ」からしてすべてが無駄では無くなるのです。

そして欲張ることからして人間関係がヘンテコになっている(百害有って一利無し)その事実を知ることからして意識が変革改革され、然るに皆して欲張らない生き方の中での自由平等調和の必要性を自覚認識納得できるわけです。

然るに私が成り行きながらも必然のご縁で自己縮小が仕組まれたことからしてそのヘンテコな人間関係から離れた孤独と自由にしてその欲張らない生き方の真価価値を味わえ納得しただけに、
然るに「良い悪い」で判断してその良いとこ取りをする欲張り意識と悪いことを排除したがるその意識が修正改革されただけに、
然るに今度は(宇宙の仕組みからして)(新たな次元意識の人間界で)欲張らない人間の集りの中で(孤独とは違う皆一緒にして)自由平等調和=至福&地上の天国の生き様が味わえるようになると、
その完全なる宇宙意識の仕組み&宇宙の進化拡大の仕組みからして私は確信しています。