孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「終わり良ければすべて良し」となれば、この世で人間として生きていたことが無駄では無くなるのです。

2014年05月13日 | Weblog
心から納得するには自らの自力でもって実際に味わい知るしかありません。
然るに知識で理解したことは本物の納得にはなりません。
例えば鳥が何故「空を飛べる」のかを理論知識で理解しているだけですから、然るに自らの体が鳥の如くに羽ばたいて空を飛ぶ事にならない限り本物の納得には至りません。

然るに自己縮小&欲張らない生き方を知識で理解しただけでは納得できるはずも有りません。

然るにそこで食って寝て糞をして生きているだけで十分に思い、それで納得することになればそれ以上&今以上の無理なことを望まなくなります。

ところで先日来私は消化不良の胸焼け症状に悩まされています。
然るに胸の辺りにゲップが詰まった感じで重苦しくなり、然るにいつもの元気さが失せています。
とは言っても死ぬほどに苦しいわけではありませんが、その症状が長く続くと(生きているがゆえの)辛さを味わうことになり、然るに日々健康体でいることのアリガタサを四十年ぶりに再認識&納得させられました。

そのことを大げさに言えば(生きていることが辛くてやけくそになり)「死にたく」なる人の気持ちが一応理解できた気もしますし、また安易に医者や薬剤に頼りたがる人やまた神懸り奇跡に頼りたがる人の他力的な心情も理解できました。

然るに己の身に起こることの何事も己の「精神の学び」になるのです。
然るにその精神を学ぶ為にこの世の形があるのです。

ちなみにあの世では怪我病気や衣食住や人間関係が無いだけに、それらをしかと味わい知ることの出来る学びがありません。

だから今の人間の時にしかと味わい知り学ぶことが絶対的に必要なのです。
しかもこの世の表裏&矛盾をしかと味わうことが重要なのです。

ちなみに前もって学識知識をしっかり溜め込むことではありません。
然るに記憶で覚えることよりも自力を使いながらにして馴染み慣れることにあります。

然るに何でも「知りたがる、やりたがる」その意欲や創意工夫することやまた自問自答&思考錯誤&葛藤することも必要になるのです。

そして良い悪いで判断してその良いとこ取りしたがる欲目や都合の悪いことを嫌がり排除したがるその矛盾意識を悔い改めることが出来れば、
然るにそれまでの途中結果がどうであれ「終わり良ければすべて良し」となって、この世で人間として生きていたことが無駄では無くなるのです。