孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「欲に目が眩む」から先が見えていないのです、然るに欲の先は闇で「一寸先は闇」になるのです。

2013年11月03日 | Weblog
この世に偶然は無く、然るに私は必然ご縁が仕組まれたとして受け止めていますし、来る者は拒まず去る者は負わずの自然体&成り行き任せにしているところがあります。

だから野良仕事中に危なっかしいことが何度か続いたり、また使用中の草刈機やチェンソーが調子悪くなったりすれば、然るにその先で事故が起こるその前触れとして受け止めますから、その作業を一旦中止して時間を空けたり後日新たに仕切り直します。

然るにその先で事故が起きたか否かを知る由もありませんが、そこで作業を中止して「安全に帰宅した」ことは事実になります。
ところがその結果じゃ無くして、その急ぎ慌てない無理しない欲張らない効率成果を気にしない、その心の余裕精神が必要なのです。

然るに自動車を運転中に信号機の手前でイエローに変わったときにブレーキを踏むのか、それとも加速して逃げ切るのか、それと同じようなことです。
そして運が悪ければ命取りの事故になったり、また違反キップの罰金を払うことになるのです。
然るに私は道中で事故しているのや違反に引っ掛かった車両を見ると、それが私だったかもしれないとして、然るにゆとりある運転に心掛けます。
とは言いながらもスーパーのレジ並びを譲っていたことがあるのに、パートに行くようになってからは人並びの少ない方へ我先に行っていますから、
然るに心のゆとりはまだ本物にはなっていないのです。

それが仕事でも人間関係でも同じですから、然るに欲張ればその分だけ危険が待ち構えているのです。
然るに欲張って上手い具合に行くこともあるが、しかし自分の首を絞める事になったり奈落の底に落ち込むこともあるのです。

そして自己満足よりも失敗のほうが影響&ダメージが大きいのは事実です。
だからどんなに自己満足を積み重ねて慢心有頂天になっていても、ほんのちょっとした失敗が命取りになったりまた世間の矢面に立たされた事実が巷に数多くあります。

然るに自己満足では屁のツッパリの価値さえ無いのです。
それなのに自己満足を欲しがって生きていることに(私は)気付いたのです。

しかしそれでも多くの人は「私は大丈夫」と思っているようですが、その大丈夫の思惑過信が真坂を呼び込んでいます。
然るに「赤信号を皆で渡る」羽目になっていることに気付かなかったり、また用心深く「石橋を叩いて渡る」も執着からして周りが見えなくて注意書きを見過ごしたりまた危険の前兆を予知できなかったりするから真坂を招くのです。

然るに何でそうなるの、
然るに「欲に目が眩むクラム」から先が見えていないのです。
然るに欲の先は闇で「一寸先は闇」になるのです。
然るに「欲は魔物」(欲には魔物が潜んでいる)ともなるのです。

それでも何でか欲張ることはやめられません。
然るに「私は大丈夫」であり、「私は正しい」であり、「見栄や世間体」であり、欲張らなければ損をすると思い違いしているからです。

それだから精神世界を知るだけ、然るに言うだけ聞くだけにして、然るにそれを主張したり見せびらかして世間や仲間内に目立ちたがることで自己満足しています。

またそれ以上に精神世界に長けた人は目立ちたがることでは満足できずにその精神世界を食いものにして更に欲張っています。

然るに巷の精神世界で目立つ者は人集め金集めの欲絡みです。
然るに其処へ集まる者も欲からしてその目が眩んでいるのです。
然るに同じ穴の狢や井の中の蛙と同然です。