孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

孤独が当たり前であり、それが不完全な人間の定めなのです。

2013年10月30日 | Weblog
私が過疎地で単身生活するようになったことは
然るに自分さえ良ければの結果になります。
然るに妻を失望させ、然るに裏切ったことにもなります。

ところが私と行動を共にしなかった妻も自分さえ良ければの形になります。
然るに私も妻も共に加害者でもあり被害者でもありお互い様の関係になります。

ゆえに何れが先であれ後であれ何かが起こる可能性がいつもあるのです。
だから精神世界に身を置いた生き方になったのが妻であって私が取り残される可能性もあったわけです。
然るに仏門に下ったり入信することになるのが妻であればそれを反対するのが私だったりするその可能性もあるのが夫婦&人間関係です。
然るに妻も私も浮気する可能性もあったしそれが原因で離婚にもなったかもしれません。

だから自分さえ良ければで自分の都合の良い方を優先するのです。
しかしそれが出来なければ不平不満を抱いたままに暮らすことになり然るに何かと愚痴小言を思いまた言い合う仲にもなるのです。
然るにその原因が誰が先で誰が後でもないのです、然るにお互いが持っていることが出るか出ないかだけのことです。

そんなヘンテコな人間関係&夫婦関係でありながらも共に暮らせるのもそれも自分のご都合が優先されるからです。
だからそのご都合が最悪になると別居離婚にもなるのです。

然るに生まれ出るときも生きているときも死ぬときも孤独なのです。
だから孤独が当たり前でありそれが不完全な人間の定めなのです。

然るに孤独が孤独感になれば寂しい辛いことにもなりますが、しかし孤独であれば誰に気兼ねすること無く自由勝手気ままに生きていくことが出来のです。

然るにその孤独を活かせないのは自力自信の無さです。
そしていつしか見向きもされずに置いてきぼりになるかも知れません。
だからその自力自信を付けなければ先行き孤独感を味わうことにもなります。

然るに皆の中でいながらにしてその孤独感を味わっている人も多いはずです。
だからその孤独感を自由のある孤独&独自独歩にするチャンスなのかもしれません。

そして見栄張らずに頑張らずに欲張らずに楽チンでもって自由に生きるその実践が味わえるかもしれません。