仕事場から小岩の自宅まで、寄り道しながらの5時間だった。天気が良くて助かった。
新大橋通りを北上する途中では、水天宮を通り過ぎる。
震災当夜には、交番(左下)が道を尋ねる「帰宅難民」でごった返していた。
災害に備えて、公共交通に頼らぬ徒歩経路の把握の大切さを痛感した思い出がある。
その震災当夜。ワタシは新大橋を渡って、森下→菊川と東に進み、住吉から北上して
錦糸町から蔵前橋通りに入り、さらに小岩に東上した記憶がある。
これはプリンスリーグ観戦を通して、東京ガス深川グラウンドがある
住吉界隈に多少の土地勘があったからだ。
しかし今回は、森下から二ツ目通りに入って北上し、両国に向かった。
それは、この横網(よこあみ)町公園の東京都慰霊堂に足を運び、
震災犠牲者に手を合わせるため。
ここは関東大震災&東京大空襲の犠牲者を供養する施設。
11日は東日本大震災の犠牲者の追悼法要が開かれ、多くの人々が線香を上げた。
これは園内にある、空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑。
また、震災・戦災の復興記念館もあり、多くの遺品・残骸を見ることができる。
(開館時間9時~16時半・入館無料・月曜休館)
関東大震災の地震計の記録は、その針の振れ幅に「ウソだろ・・・」と背筋が凍った。
残骸の一部は館外にも展示されている。左手前の工業用モーターをはじめ、
その無残な姿が震災直後の火炎と熱風の凄まじさを現在に伝えている。
・・・と、なかなか重い心持ちにさせられた今回のウオークだったが、
弥生の日曜日のひとり歩き、心浮き立つ風景もあった。
錦糸町の太平2丁目の某交差点から東京スカイツリーを望む。
スカイツリーはあまり近づくと、全体を写真に納めるのが大変。
通常のデジカメでは、この程度が適距離じゃないかと思う。電柱・電線が少し邪魔だが
スカイツリー再び。これは亀戸天神の境内から撮ったもの。
受験シーズンとあって、かなりの数の参拝客が見られた。
恒例の「梅まつり」は4日に終わったが、境内は紅梅・白梅がまだ見ごろ。
やがて桜や藤の季節もやってくる。ツリーと花々の取り合わせが今後も楽しみだ。
震災当夜も果敢に営業していた東新小岩の「成竜」。
カウンター7席のみの小さい店だが、美味しい九州ラーメンが評判である。
「九州ラーメン」をうたっている都内の店の多くは、
「一風堂」をマネしようとして、似て非なるモノに成り下がっている
・・・というのが我が家の持論だが、この店のラーメンには合格点を与える。
焦がしニンニクのチップ入りで、博多・久留米ではなく熊本に近い美味しさだった。