きのう8日はワタシと2号の結婚記念日。
15年前の97年のこの日、札幌で結婚式を挙げた(注1)。
一方で、ワタシと2号には「もうひとつの記念日」がある。
プロレス・格闘技にまつわる夫婦のエピソード第1話は、
この記念日を生んだ96年の出会いを語る。
出会いは1月9日の札幌。翌10日の中島大会を控えたみちのくプロレスの前夜祭。
ススキノのディノスで開かれたスペル・デルフィン&愚乱・浪花のイベントだった。
ワタシのみちのく初観戦は、その2年前の94年(注2)1月の月寒大会。
また、東京出張と偶然に重なった同年2月4日の後楽園大会も観戦した
<「主催者の売上金持ち逃げ事件」が起きた伝説の大会
両大会を通して、みちのくの「明るく楽しく激しい日本流ルチャ」に魅せられたワタシは、
この年から95年(注3)にかけて、独身貴族の身軽さと財力に任せて、
みちのくの東北シリーズにしばしば「密航」を重ねるようになった。
そして、会場でTシャツを買ったり、リングにおひねりを投げたりしているうちに、
デルフィンとは「また来たなあ」と声を交わす程度の顔見知りになっていた。
さて、話をイベントに戻すと、この会場に集まったのは大半が女性客。
当時のプロレス界で、女性に人気があったのは新日本の武藤、全日本の小橋、
パンクラスの船木やみのるだったが、「デル様」の人気も彼らに劣らぬものがあった。
「さすがはデルフィン。キレイなお姉ちゃんのファンが多いなあ」と感心しながら、
ワタシは当時持っていたゴツい一眼レフでデルフィンの写真を撮り続けていた。
ところが、やはりミーハーな客が多かったのか、クイズ大会では正解者が出ない。
例えば「デルフィンが95年のシングル戦でドスカラスに勝った時のフィニッシュは?」
この問題は、当時も現在も多用している「デルフィン・クラッチ」では不正解。
客が他の技を知らないのか、会場に気まずい沈黙が流れる。
仕方がないので、ワタシが「デルフィン・スペシャル1号」(注4)と答えてあげる始末に。
そんなこんなで、クイズ大会ではワタシがMVPを射止めて、
デルフィンから「いつも来てくれてありがとな」と賞品を贈られた
<賞品と言っても、イベント前にデルフィン&浪花が遊んだボーリングのスコア表だったが
ところが、その賞品に「何をもらったか見せて下さい」と声をかけてきた女性がいた。
それが2号だった この出来事を後に、2号は「勘違いだった」と振り返る。
「カメラがプロ仕様だったので、フリーのプロレス・ライターかと思った」
しかし、その心中はどうあれ、先に声をかけたのは2号。
ワタシは現在も、この出会いを「2号による逆ナンパ」と決め付けている。
ただ、この時に中島大会のチケットを2人で見せ合ったところ、
全く別のルートで購入したにもかかわらず、
1席を挟んでほぼ隣同士だったことには、今でも運命を感じる。
また、この日の道内は大雪で、同行する予定だった2号の女友達が
JRの運休で身動きが取れず、2号の単独行になったことも、ワタシには幸運だった
<「2人で来ていたら、たぶん声をかけなかった」らしい
ワタシと2号は、この96年の9月22日に籍を入れる。これが「もうひとつの記念日」だが、
これは出会いをもたらしたデルフィンの誕生日に合わせた入籍だった。
結婚式当日に、レタックスで直筆の祝電もくれた「デル様」には今も感謝している。
(第2話に続く)
注1:ただし、翌9日がワタシの誕生日なので、まとめて祝うケースが多い。
今年は10日の「札幌の開幕戦祝勝会」も兼ねるたくらみ。
注2:「スーパーJカップ」第1回大会でザ・グレート・サスケが準優勝、
新日本の「ベスト・オブ・スーパーJr」でデルフィンが準優勝と、みちのく飛躍の年だった。
注3:「ふく面ワールドリーグ戦」第1回大会で、サスケ対ドスカラスを観戦後、
青森のむつ駅で一夜を過ごす。「新日本対Uインター」の東京ドーム大会の翌日、
みちのく福島・双葉大会にハシゴして、TAKAみちのくにドーム大会のパンフをプレゼント。
みちのく勢を目当てに「スーパーJカップ」第2回大会を両国で生観戦・・・無茶したなあ。
注4:ジャーマンで投げた後に後転し、相手にレッグロール・クラッチ・ホールドを決めて
3カウントを奪うデルフィンの奥の手。ウルティモ・ドラゴンのマヤ式スープレックスと同型。