ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

笠間稲荷から笠間城址・工芸の丘散策

2014年05月30日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年5月30日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第8回(2014年第18回)、「笠間稲荷から笠間城址・工芸の丘散策」ウォーキングに参加した。


この日のコース地図
先ずは笠間駅をスタートして、笠間稲荷神社を目指す。
笠間稲荷にお参りした後は、途中の大石邸宅跡・日動美術館を経て、佐白山麓公園へ。
佐白山麓公園から笠間城址跡を目指し、佐志能神社へお参りして佐白山麓公園へ引き返す。
佐白山麓公園から笠間芸術の森へ向かい、そこで昼食を摂った後、春風萬里荘を経由して笠間駅へと向かう、
全長約9Kmのコースである。


荒川沖駅8時1分発の電車を待つ。


友部駅で9時ちょうど発の水戸線小山行きに乗り換える。


9時8分、笠間駅に到着。


この日の参加者は20名ちょうどで、まずまずの参加者である。
体調を整えた後、駅前で準備体操をして、


9時28分、Oさんを先頭に先ずは笠間稲荷神社目指して、出発!


駅前の住宅街を進む。


笠間市街地を進む。
笠間稲荷神社にはこれまで何度も訪れているが、大抵は車での訪問が多く、
笠間駅から歩くのは初めてである。


国道355号線稲荷町交差点を通過。


9時45分、笠間市役所合同庁舎前を通過。


笠間稲荷門前通りに到着。
大きな石灯籠が印象的である。


笠間稲荷門前通りの飲食店や土産物店前を進む。
今は佐白山の「ツツジまつり」も終わったばかりのためか、人通りは少ない。


9時49分、笠間駅から約20分で笠間稲荷神社に到着した。
2010年10月14日「関東ふれあいの道」で訪問した時に、前日一の鳥居の中貫部分が落下して、
撤去作業をしている現場に遭遇したことを想い出した。
鳥居が落下したのは地震などの影響は全くなく、突然だったそうで、あれから既に3年半が経っているが、
神社の看板とも言える鳥居はまだ復旧されていない。
やはり神社には鳥居が無いと何故か寂しい。


神社前の土産物店前を通過。
土産物屋は両側に並んでいるが、反対側の土産物屋は殆ど閉まったままの状態だった。
一日も早く鳥居を復旧させて街や土産物店に活気を取り戻して欲しいものである。


本堂へお参りする前には、先ず手を洗い清めよう。


『冷たくて気持ち良いわぁ』


楼門をくぐる。


楼門の表側には「櫛磐間戸神」「豊磐間戸神」が祀られている。
写真は左の櫛磐間戸神である。


内側には二体の「神馬」の像が奉安されている。
豊磐間戸神の裏側には黒い馬が、櫛磐間戸神の裏側には白馬が奉安されている。


楼門の先に笠間稲荷神社の拝殿がある。
この日の無事安全を祈願した。


笠間稲荷神社の創建は白雉二年(651)で、1350余年の歴史を誇る、日本三大稲荷のひとつとして知られる。


拝殿の裏へ回ると、御本殿がある。
御本殿は江戸時代末期の安政・万延年間(1854~1861)の建築で、国の重要文化財に指定されている。
屋根は入母屋造りの総檜の権現造りである。


御本殿の柱や周囲などのいたるところに飾り彫が施されている。
国の重要文化財に指定されている。
『いやぁ、数も凄いし素晴らしい彫刻だねぇ』


御本殿の裏に稲荷神社の守り神とされる狐の置物が多数置かれていた。
『可愛いらしいきつねもいるわねぇ』


神社の裏手を出て佐白山麓公園へ向かう。


小さな稲荷神社があった。
幟には山城出世稲荷大明神と書かれている。
『もっと若い時にお参りしてりゃぁもっと出世できたかもなぁ』
本殿は、市指定文化財となっている。


笠間市街地と分かれ、佐白山麓公園へ


佐白山方面
この通りは「笠間ツツジまつり」(4月19日~5月11日)の頃には大層混雑するが、
既に終わっているので車も殆ど走っていない。


大石邸跡
「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助の祖父、笠間藩家老だった大石良欽(よしたか)の邸宅跡。
笠間藩主であった浅野家の家老としてここに屋敷を構えていた。


笠間日動美術館(企画展示館)
敷地内にはフランス館、パレット館、企画展示館の3つの展示館がある。
企画展示館の3階にはオープンテラスのカフェも併設され、春の桜や秋の紅葉など四季折々の美しい風景が楽しめる。
この日は時間の都合上、佐白山麓公園を目指すことにした。
興味のある方は別の機会にでも訪れていただきたい。
入館料1,000円(65歳以上800円)


「関東ふれあいの道」を佐白山麓公園へ向かう。


緩やかな坂道を上ると・・・


10時13分、佐白山麓公園に到着。
かつての笠間城主下屋敷跡だったところである。


鎌倉時代に笠間時朝によって築城された笠間城の下屋敷を公園にしたもので、
時鐘楼、忠臣蔵の大石内蔵助の像があり、歴史を感じることができる。
笠間の桜の名所としても知られており、「茨城百景」にも指定されている。


時鐘楼


大石内蔵助良雄像


笠間城址登城を前に一息入れ、


笠間城址を目指す。
笠間城址への上り口。


笠間城址へ
最初は緩やかな階段(丸太の階段)が続くが、


次第に急な坂道になってきた。、


首筋に汗が滲みだし、息が上がる。


ひと際急な階段を上ると、


平らな三の曲輪付近に到着した。
『えっ これ頂上じゃないの? まだ先があるの?』
『もうちょっとですよっ』


二の曲輪付近の草っ原を通り抜ける。
この辺りには御殿があったと考えられているところである。


笠間城の縄張り図があるが、この図からは現在地がよく分からない。


笠間城跡の碑を通過すると、


天守跡(佐志能神社)への登り口に到着したが、ロープが張られていた。


ここから先立入禁止の札があった。
先の東日本大震災の影響で、天守曲輪周辺の石垣が崩れて危険な個所があるため、とのこと。


無理をすれば進めないことはないとは思うが、ここは安全を考え、引き返すことにした。
『あそこまで上れば天守跡に行ったも同じだよなっ』
まったく仰るとおり!


再び佐白山麓公園
時計は11時を少し回ったところである。


弁当には少し早いため、当初の予定どおり笠間芸術の森を目指し、佐白山麓公園を下る。


山麓に下ると視界が開けてきた。


芸術の森公園の道標に従って進む。


『暑いけど、日に焼けるのを気にしてたら外は歩けないわよねっ』
当会の皆さん、元気で頼もしい。
(予報ではこの日の最高気温は30度)


『あっ 漢字で「煙草」の看板って珍しい~っ』
看板そのものは新しい感じで、最近作られたもののようである。


田んぼの中を進むと・・・


目印となる豆腐屋「とうふ茶屋」があった。
『どんな味がするのか食べてみたいわねっ』


豆腐屋の先の角を曲り、芸術の森公園を目指す。


のどかな田園風景が美しい。
振り返ると、豆腐屋の後方に笠間城天守跡と思われる小高い山が見える。


暑い日差しが照りつける中、芸術の森公園を目指す。


『しかし、今日は暑いなぁ』
『水分を補給しないと持たないよっ』
頑張ろうっ 男性陣!


11時31分、芸術の森公園北ゲートに到着。
初めての人も多いので、少し公園内を歩いてみることにした。


別れの一本杉碑があると云うので緩やかな坂道を上って「炎の丘」へ。


別れの一本杉碑
作詞は笠間市出身の高野公男、作曲は船村徹である。


別れの一本杉碑の左側には詩を作った高野公男氏を偲び、彼の偉業と船村氏との「男の友情」に
敬意を表して建てられた顕彰碑がある。
碑には、高野公男は昭和5年に今の笠間市大郷戸に生まれ、24歳で上京し、船村徹氏との宿命的な出会いがあり、
そして「別れの一本杉」が誕生。
その翌年に26歳の若さで亡くなった、ということが刻まれている。


歌謡曲が流れてきた。
『懐かしいわねぇ』


笠間市工芸の丘の建物内を歩いてみよう。


体験工房「ふれあい工房」
“ろくろ“や手ひねりで作品を作る体験もできるようになっている。


センタ-プラザ2階には、笠間に在住した人間国宝”松井康成”氏の常設展示室があった。


センタ-プラザ1階は土産物店になっている。


茨城県陶芸美術館の先に小さな森があった。
芝生がきれいな陶の社である。


木陰があったので、ここで弁当に。


『外で食べる弁当って美味しいゎねっ』
天気の良い日は外で食べるに限る。


弁当の後は、自由時間を設け、各自自由に過ごすことにした。
せっかく来たことだし、茨城県陶芸美術館に立ち寄って行くことにした。
東日本で初めての陶芸専門の県立美術館で、「ときめく」「識る」「楽しむ」3つのキーワードをもとに、
陶芸のすばらしさに触れることができる、と云う。


現在「麗しのマイセン」(4月26日~7月13日)が開催されていた。
入館料570円(通常300円だが、企画展は別途となっている)を払って中へ。
内部は撮影禁止となっているので、写真はここまでである。
陶芸美術館では「麗しのマイセン」の他、第1展示室では「近現代日本陶芸の巨匠たち」、
第2展示室で「現代茨城の陶芸展」が開催されていた。


陶芸美術館で「麗しのマイセン」を味わい、「近現代日本陶芸の巨匠たち」に触れ、
「現代茨城の陶芸展」を満喫し、充実したひと時を過ごした。


13時10分、陶芸美術館を後にして、


次の目的地春風萬里荘(しゅんぷうばんりそう)を目指し南ゲートへ。


南ゲートを右折し、笠間工芸の丘西側の住宅街を進むと、


国道355号沿いの「笠間焼共販センター」前に出た。


登り窯なども見ることができる。


春風萬里荘の大きな看板が目に入った。


春風萬里荘の看板に従って進み、


水戸線の踏み切りを渡る。


春風萬里荘まで0.5Km地点を通過。


道標に従って進むと、


13時35分、春風萬里荘に到着した。
芸術の丘から25分の距離である。


春風萬里荘は、北大路魯山人の鎌倉の旧宅を昭和40年に移築したもので、
風情あふれる江戸時代中期の築300年の茅葺き屋根の古民家である。
陶芸家の北大路魯山人が30年間自邸として使用していた。
入館料は600円(65歳以上は500円)とのこともあり、この日は門から中をちらりと見るだけにした。
一度訪れたことのある人からは、それほどの感銘は受けなかった旨の感想があった。


北大路魯山人自らが設計した茶室「夢境庵」や京都・龍安寺を模して造られた枯山水による石庭、
睡蓮の池にかかる太鼓橋などが観賞できる、とのこと。
このような場所は時間を掛けてゆっくりと鑑賞するのが良いだろう。
『駆け足で観るには物足りない』ということで春風萬里荘を後にして、


笠間駅を目指した。


長い坂道の先に笠間の市街地が見えてきた。


笠間駅を目指す。


水戸線の踏み切りを渡って、左折すると・・・


笠間駅が見えてきた。


13時58分、笠間駅に到着。
時刻表を見ると、水戸行き上り電車は13時59分発とある。その次の電車は14時59分までない。
もう時間がないが、急げば何とか間に合いそうだ。
『皆さ~んっ 急いでっ』


ホームに駆け込むと同時に電車が入ってきた。
どうにか全員無事に乗り込んで間一髪セーフ、一安堵だ。


『良かったわね、何とか無事に間に合って』


『今日は大変お疲れ様でしたぁ』


笠間の歴史探訪ということで、笠間市内を歩いた一日だったが、笠間城天守跡に登れなかったのは、心残りだった。
駆け足だったが、「麗しのマイセン」や「近現代日本陶芸の巨匠たち」を観れたのは良かった。
時間の都合やウォーキンがメインと言った事情もあり、笠間日動美術館・春風萬里荘などの施設には入れなかったが、
笠間を訪れる機会もあるかと思うので、その折にゆっくりと訪れていただければと思っている。
個人的にも日動美術館には別の機会に訪れてみようと思っている。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧東海道を歩く 第Ⅰステージ第5回 戸塚宿から藤沢宿

2014年05月25日 | ウマさんの「旧東海道」を歩く
2014年5月25日(日)

この日は、第五回目、戸塚宿(JR戸塚駅)から藤沢宿(小田急藤沢本町駅)までの約9Kmを歩いた。

荒川沖駅6時54分発の常磐線で上野へ向かう。


上野駅から山手線で東京駅へ。
この日の参加者は11名だ。


東海道線でこの日のスタート地点である戸塚宿(JR戸塚駅)へ。
男性陣は朝早かったためかひと眠り。逆に女性陣はお話しに夢中である。


戸塚駅には定刻どおり、8時56分に到着。
駅前でこれから歩くコースを確認して、


9時2分、藤沢宿目指して出発!


東海道線の踏切りを横断するデッキ。
横断幕には開通したのは今年1月18日と書かれていた。
タイミングよく踏切が開いたので渡ろうとしたら、直ぐに閉まってしまった。
『これじゃぁ 歩いて渡るのは難しいよねっ』


結局、横断デッキを利用することに。
『開かずの踏切だねっ』


横断デッキで踏切を横断して・・・


この日の最初の訪問地清源院へ。


清源院は、浄土宗の寺で、徳川家康の側室お万の方ゆかりの寺である。
元和六年(1620)に、徳川家康の側室お万の方(清源院)が家康の供養のために創建した寺院だ。
本堂の扉には、徳川家の家紋が描かれている。


清源院本堂内部
御本尊は阿弥陀如来立像とのことだが、あいにく閉まっていて見えなかった。


芭蕉句碑
擦れて読み難いが、横の看板には碑文と俳句が書かれている。
「栗といふ文字はにしの木と書て 西方にたよりありと 行基菩薩は一生 杖にも柱にも此の木を用給ふとかや 
世の人の 見つけぬ花や 軒の久里 はせお(芭蕉)」」


芭蕉句碑の隣に「心中句碑」がある。
伊勢屋の飯盛遊女ヤマと薬屋大島屋の倅清三郎が、許されぬ恋に落ち、
天神塚の井戸にそろって身を投げたという悲しい恋物語を詠んでいる。
井にうかぶ 番ひの果てや 秋の蝶


清源院を後にして、国道1号(東海道)を進む。


東海道の表示を見ながら進むと・・・


内田本陣跡の碑があった。
この辺りに、戸塚宿に二つあった本陣のうちの一つ、内田本陣があった。
間口十八間(32.8m)、奥行十四間(25.5m)で、畳数は百五十二畳もあったと云われている、とのこと。


続いて脇本陣跡の碑
脇本陣は、本陣に差し支えが生じた時などに利用された。
本陣とは異なり、大名などの宿泊が無い時は一般旅客の宿泊に供することができた。
規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもある。
戸塚宿には三軒の脇本陣があった。


これも本陣だ。
”お・も・て・な・し”されてみたい。


澤邊本陣跡
戸塚宿開設に尽力した澤邊家が勤めた本陣跡。


澤邊本陣跡には明治天皇行在所の碑も建てられている。
明治天皇も宿泊に利用したということだ。
標柱には澤邊の表札がかかっており、裏手は今も澤邊家の住居となっている。
澤邊本陣の初祖、澤邊宗三は戸塚宿設置の功労者とのこと。


澤邊家の裏に神社があった。


神社は何故か羽黒神社である。


澤邊本陣跡の少し先に海蔵院がある。


門の前には七福神でよく見かける布袋尊像が置かれていた。


門をくぐると左手に六地蔵が迎えてくれる。


本堂
鎌倉円覚寺の末寺で、惠照山海藏院と云い、南北朝期の創建。
ご本尊は釈迦牟尼如来とのこと。


ロッカー形式の永代個別納骨塔は初めて見た。
『ここに納骨されるんだぁ』
『こんなお墓も悪くはないわねぇ 安上がりで良いかもしれないわよねっ』


八坂神社


通称「お天王さま」と呼び親しまれている戸塚宿の鎮守様だ。
元亀三年(1527)に、牛頭天王社を勧請したのが始まりと云われている。
毎年7月14日に無病息災を祈願して行われる「お札まき」は、横浜市指定無形文化財となっている。


八坂神社の少し先に冨塚八幡宮がある。


本殿への上り階段の横に芭蕉句碑が建てられている。
鎌倉を 生きて井でけむ 初松魚(はつがつお)


段数が多そうだが、石段を上ってみよう。


40数段の石段を上ると拝殿があった。
建久四年(1072)源頼義、義家が奥州平定の途中、この地で宿泊した時、応神天皇と富属彦命
の霊夢を受け、勝利したお礼に建立されたのが始まり、とされる。
山頂に古墳があり富属彦命の墓と伝わり、富塚と呼ばれる、とのこと。
これが「とつか:戸塚」の名の起こり、だそうである。


9時58分、戸塚宿上方見付跡前を通過。


上方見付跡を過ぎた辺りから大坂と呼ばれる長い坂道になる。
若者がロードサイクルで通り過ぎて行く。


坂の途中に名もない石仏群があった。


大坂台を通過
大坂の中間点辺りだろうか? 坂はまだ続く。


大坂を上りきると、新国道1号と合流する。


大坂松並木の説明板があった。
大坂では天気の良い日には松並木から素晴らしい富士山が眺められたことから、
多くの浮世絵の画題となった、とある。
この案内板に描かれているのもそのうちの1枚なのだろう。


国道1号の中央分離帯には当時の松並木の面影を残すためか、松が植えられていた。
他の樹木も一緒に植えられていた。


お軽勘平戸塚山中道行の場碑


歌舞伎「仮名手本忠臣蔵・三段目返し」戸塚山中の”場”だそうだ。


国道1号を下って行くと、原宿一里塚跡の碑があった。
江戸日本橋より11番目の一里塚で、吹上の一里塚とも呼ばれる。


当時は松の木が植えられていたそうで、明治九年(1876)に里程標の杭を立てるとき、一里塚は撤去された。
現在は、その名残として碑の傍の崖の上に松の木が植えられていた。


さらに国道1号を下ると、浅間神社入口の案内があった。


道路の反対側を見ると浅間神社の鳥居がある。


鳥居横には庚申塔などもある。


鳥居をくぐって参道を進む。


100mほどの参道の先に拝殿があった。
浅間神社は、室町時代の永禄年間(1558~1570)に、その頃盛んであった富士山信仰をもとに
村内安全を祈願するために勧請されたと云われている。


浅間神社へお参りを済ませ、軽く休憩していくことにした。
お腹も空いてきて仕方がなかったが、皆さんが持ち寄った茶菓子のおかげで、
藤沢宿まで持ち堪えられそうだ。


国道1号を進むと食べ物店がやけに目に付くようになってきた。
とんかつ屋


牛丼屋


焼き肉屋
ここは我慢のしどころである。
藤沢宿まで頑張ろう!


11時24分、諏訪神社前を通過。
遊行寺を創建した呑海上人が諸国遊行の際に信州諏訪から勧請した鎮守の社。
祭礼で演奏される「西富ばやし」は市指定無形民俗文化財、だそうである。
道路の反対側を歩いており、信号も見当たらないため、ここは写真だけにした。


日本橋から49Kmの地点を通過。


藤沢宿方面を目指すため、陸橋を渡って反対側へ。


陸橋から国道1号藤沢BPを望む。


陸橋から戸塚方面を望む。
写真右方向、車が手前に流れているのが藤沢方面になる。


陸橋を渡り、県道30号を藤沢宿を目指す。


鉄砲宿の案内板があった。それによると・・・
昔々、このあたりにいた長者が自分の蔵に棲みついた大蛇を水神様のお使いとして、
「おはん」と名付けて大層可愛がっていた。
どころが長者の家が没落し、大蛇への餌もままならなくなってきた。
それを見た大蛇は長者様には迷惑はかけられないと、近くの池に去っていったが、
そこには十分な餌が無く、元々大食だった大蛇は空腹に耐えかねると池のほとりを
歩く人の影を食べて飢えを凌いでいた。


ところが影を食べられた人はだんだん弱ってしまうので、村人はこの池を「影取池」と呼んで
恐れるようになった。
大蛇を退治しようとしたが、鉄砲を見ると大蛇は水底深く潜ってしまうので退治できない。
村人は一計を案じ、鉄砲の上手い猟師に頼み、昔の長者様のように「おはん」と名を呼んだ。
昔の飼い主が迎えにきたと思いこんだ大蛇は姿を現すと、ついに撃ち殺されてしまった。
いつしか「影取池」は埋められ影取の名と悲しい話だけが残された。
この大蛇を撃った猟師が住み着いたところを鉄砲宿と呼ぶ、とのこと。
『へぇ~っ 普通の宿場とは全く違うんだねっ』


緩やかな遊行寺坂(ゆぎょうじざか)を下る。


『下りは楽で良いわねっ』


一里塚跡
かつてここに一里塚があったようだが、今は何も残っていない。
原宿一里塚跡の次なので、日本橋から12番目の一里塚となる。


遊行寺(ゆぎょうじ
鎌倉時代後期、四代呑海上人(どんかいしょうにん)が開山、代々藤沢上人が住んでいた。
戦国期には焼失し、江戸時代になって時宗総本山となった。
道路の反対側で信号も見当たらないため、ここは写真に収めるだけにした。


境川に架かる藤沢橋を渡る。
実は藤沢橋の近くに、歌川広重の浮世絵で知られる藤沢宿の風景にある”遊行寺橋”が
あったのだが、うっかり見落としてしまった、というより、探し出すことが出来なかった。


写真正面(藤沢橋を渡って右手)が藤沢宿(藤沢本町)方面である。


藤沢宿に入ると、配電盤?のようなものに藤沢宿を描いた浮世絵が次々と現れ、
我々の目を楽しませてくれる。
キャッチフレーズは”歩いて見よう 藤沢宿”だ。


実際、藤沢宿の古い蔵などを見ることができる。


たまたま修行僧らしき人が通りかかった。
宿場町の景色に融け込んでいる?


こちらの家も古そうだ。


藤沢宿を進む。


問屋場跡の碑には次のように紹介されている。
問屋場では、公用書状の宿送り・人馬手配・助郷村への賃金支払いを行った。
問屋役は有力町民が担い、幕末、西隣の杉山弥兵衛が務めた。


常光寺
山門脇に藤沢警察署発祥の地碑、本堂左手に国際的詩人の野口米次郎の記念碑、
裏山には弁慶塚と庚申塔がある。


荘厳寺
創建は元歴元年(1184)と伝えられ、藤沢宿でも古い寺院のひとつとされる。
境内には相模国準四国八十八個所の四番と十番の弘法大師像が安置されている。


伝源義経首洗い井戸の案内標識に従って60mほど路地の奥へ進むと、


源義経首洗い井戸があった。
文治五年(1189)奥州平泉で自害した源義経の首は腰越の浜で首実検ののち、片瀬の浜に捨てられた。
それが潮に乗って境川をさかのぼりこの辺に漂着したのを里人がすくい上げ、この井戸で
洗い清めた、と伝えられている、そうだ。
『本当かなぁ』


石碑には源義経公之首塚とある。
源義経首洗い井戸をこの日の最後の訪問地として、食事処を探し求めて小田急線藤沢本町駅へ向かった。


藤沢本町駅近くにとんかつ屋「正力」を見つけた。


サービスランチを注文し、出来あがってくる前に生ビールで乾いた喉を潤す。
『かんぱ~いっ』『お疲れさ~ん』


『いやぁ、美味いねぇ』


サービスランチ(とんかつ)も美味しかった。


14時37分、小田急線藤沢本町駅に到着
戸塚駅を歩き始めた時には、『JR藤沢駅まで歩こうっ』と張り切っていたのだが、
生ビールなど入ってしまうと歩くのがおっくうになってしまったのが正直なところである。


この後、JR藤沢駅から東京駅で乗り換え、常磐線で帰宅の途についた。
『今日は大変お疲れ様でしたぁ』



「旧東海道を歩く」第五回目(戸塚宿~藤沢宿)を無事歩き終えた。
前日の予報では、この日の最高気温は28℃ということだったので、相当な暑さを覚悟していたが、
雲が多く直射日光に射されることも無かったせいか、意外に過ごし易かったのは何よりだった。

今年1月にスタートした東海道歩きも、ゴールの三島宿まで間もなく半分になろうとしている。
これからますます暑い時期を迎えることになるが、無事最後まで歩き通したいものである。


ウマさんの「旧東海道を歩く」目次に戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古墳巡りで癒される 八郷古代散策ロード

2014年05月23日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年5月23日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第7回(2014年第17回)、「八郷古代散策ロード」ウォーキングに参加した。


この日のウォーキングマップは、旧八郷町発行の観光マップ「古代散策ロード」である。
旧八郷町役場をスタートして、先ず佐志能神社へお参り。
佐志能神社右手100mにある二子塚古墳を見学し、引き返して丸山古墳へ。
丸山古墳見学の後は、田園風景の中を佐自塚古墳を目指す。
佐自塚古墳で軽い休憩の後、佐久の大杉がある鹿島神社へと進む。
恋瀬川を渡り、八重天満神社にお参りした後、長堀2号墳、長堀6号墳を訪ねる。
稲荷神社へ立寄った後、ゴールの旧八郷町役場を目指すという、全長約7Kmのコースである。
2011年6月3日に一度訪れているので、当会としては2度目となる。


この日、第一集合場所の土浦市市民会館に集まったのは19名。
車4台に分乗して、第二集合場所の旧八郷町役場(石岡市支所)へ。


旧八郷町役場(石岡市支所)に直行したのは2名で、併せて21名の参加者となった。


早速、会長の掛け声で準備体操
『身体を思いっきり倒して~っ』


9時55分、旧役場の北に位置する佐志能神社を目指して出発!


先頭を務めるのはOさん。
いつも元気で頼もしい。


旧役場前に大きな「古代散策ロード」の地図があった。
『あらぁ もらったマップとおんなじじゃないっ』


『あれは何て言う山なのかしら 筑波山?』


左から足尾山(628m)、加波山(709m)、燕山(701m)と並んでいる。


丸山荘病院前を通過すると、前方に恋瀬川が見えてきた。


恋瀬川を渡る。


丸山古墳へ350mと案内されている。


佐志能神社の鳥居で一呼吸して、


100段ほどの階段を一気に上る。
この日一番の上り坂である。


佐志能神社でこの日の無事を祈願して、


佐志能神社の右手約100mに位置する二子塚古墳へ向かう。


二子塚古墳(丸山4号墳)は丸山古墳(丸山1号墳)の東方30mに位置する。


古墳としては、横穴式石室を有する中規模の前方後円墳である。
墳丘からは、人形や馬などの形象埴輪が出土している、とのこと。
古墳の横穴石室の入口は石で塞がれていた。


いったん佐志能神社まで引き返して丸山古墳(丸山1号墳)へ向かう。


丸山古墳の墳頂
「古代散策ロード」の案内によると、丸山古墳(丸山1号墳)は、全長60m、高さ7mの前方後方墳で、


第十代崇神天皇の第一皇子、豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)の奥津城と伝承され、
聖地として崇敬されてきた、とのこと。
丸山古墳の墳頂には何時の頃に置かれたのか、ひっそりと五輪塔が佇んでいた。


前方後方という珍しい墳形に加え、副葬品の内容などから、4世紀後半の頃に築造された有力支配者の墳墓と
考えられるとともに、茨城県下における代表的な古式古墳であることが明らかになった、と案内されていた。


前方部から後方部を見たところ。


丸山古墳の前に句碑(万葉集 巻四521)が建てられている。
庭に立つ 麻手刈り干し布さらす 東女を忘れ給ふな
(庭に茂り立つ麻を刈り干したり 布を晒したりする この東女をお忘れくださいますな)


丸山古墳を後にして、次の佐自塚古墳へ向かう。


森を抜けると、田んぼの向こうにこんもりとした丘陵が見えてきた。
目指す佐自塚古墳である。


周りが田んぼに囲まれた道を佐自塚古墳へ。


民家の前を通って佐自塚古墳へ。


10時41分、佐自塚古墳に到着。
説明には、
主軸の長さ58m、後円部径35m、後円部高さ6m、前方部幅27m、前方部高さ4.3mを測る前方後円墳、とある。


墳頂に上ってみよう。


古墳の山頂
『随分可愛らしい祠だねっ』


3年前(2011年6月3日)に訪れた時には、東日本大震災で、倒れた状態になっていた。
『あの時、元の状態にしたのを想い出したよぉ』とOさん。


古墳の山頂で水分を補給し、


佐自塚古墳を後にした。


次の目的地、佐久の大杉を目指す。


「古代散策ロード」地図によると、この辺りは”山並みの景観が素晴らしい”とある。
なるほど、左から並ぶ足尾山・加波山・燕山の裏筑波連山が美しい姿を見せてくれる。


佐久の大杉がある、佐久の集落が見えてきた。
どことなく懐かしさを覚える田舎の風景である。
『癒される景色だねぇ』


10時57分、鹿島神社に到着。
笠木と貫が落下したままになっていた鳥居は、完全に修復されていた。


佐久の大杉は、鹿島神社のご神木であり、地域の人々からは「佐久の大杉様」と呼ばれ、
戦時中は出征兵士が社に武運長久を祈願し、この樹皮をお守りにして戦地に赴いたと云われている。
『凄~いっ 大きいゎねぇ』


伝承によると、大化改新(645)の頃に植えられ、鹿島神社が創建された室町時代の応永三十四年(1427)には
「すでに千年に近い杉」であったと語り継がれている、そうだ。


佐久の大杉の案内(昭和16年3月16日)には、
樹高28.6m、幹周8.9m、推定樹齢1,300年と紹介されている。
「佐久の大杉」として、県の天然記念物に指定されている。
『樹齢1,300年以上かぁ 凄いなぁ』


右手に裏筑波連山を眺めながら、次の目的地の八重天満神社を目指す。


恋瀬川に架かる八貝橋を渡る。
「古代散策ロード」地図には”矢貝橋”と表示されているが、実際の橋には”八貝橋”と書かれていた。


八貝橋から恋瀬川上流を望む。
田植えが終わって間もない時期のためか、水量はかなり多い。


柿岡集落辺りを八重天満神社を目指す。


四脚門を構えた豪華な農家である。
『いやっ 凄い家だなぁ』


萱葺きの古民家が真っ二つにされていた。
家の半分が切り取られている。処分されてしまったのだろうか。


11時17分、八重天満神社に到着。


お参りしていこう。


次の長堀2号墳への途中、真っ赤なバラを見掛けた。


左に分岐し、長堀2号古墳へ。


大仏霊園前を通過すると、


長堀2号古墳があった。
『今までで一番古墳らしい風景だねっ』


墳頂に上ってみよう。


古墳の規模は、全長46m、後方部端幅30m、高さ3.5m、前方部端幅16m、高さ2mと案内されている。
発掘調査はまだ行われていない、とのこと。
後方部から前方部を見たところ。


長堀2号古墳の次は、長堀6号古墳へ向かう。


のどかな田園風景の中、長堀6号古墳を目指す。


11時37分、長堀6号古墳に到着。


古墳に上ってみよう。


古墳の頂上には大きな杉の木が生えていて、その根元に小さな祠が祀られていた。


長堀6号古墳からの眺めはなかなか素晴らしい。
柿岡の市街地が見渡せる。


長堀6号古墳を後にして、次の目的地稲荷神社へ向かう。


「古代散策ロード」地図によると、この辺りは”景観が素晴らしい”とある。
左手に旧八郷町役場が見える。


11時45分、稲荷神社に到着。


稲荷神社にお参りして、


最後の休憩を摂る。


あとは、旧八郷町役場を目指すのみである。
皆さん、足取りはまだまだ軽い感じだ。


右手に筑波山が見える。
『いつも見慣れた筑波山と違うから気が付かなかったわっ』
『うちの方から見える筑波山が一番良いわよねっ』
いつも見ている景色が一番、なんでしょうね。


役場まで900m地点を通過。


役場を目指し、県道64号線を進む。


小川沿いの堤防を歩こうと思っていたが、あいにく工事中で通れないため、


県道64号線をそのまま進む。


県道64号線を左に折れ、スーパーカスミ方向へ進むと、ゴールの旧八郷町役場は目の前だ。


12時5分、旧八郷町役場にゴール!


整理体操をして、


『はいっ、今日も大変お疲れ様でしたぁ』


お腹も空いていたので、国道125号線沿いJA土浦新治直売所の「まほろ庵」で蕎麦を食べて行くことにした。


「まほろ庵」に到着したのは、12時50分、いつものように混雑していた。
注文して待っている人はかなり多い。


ここは、名前を記入して空くのを待つしかない。


隣の産直店で買い物などして、席待ちで25分、さらに注文後待つこと10分、ようやく蕎麦が運ばれてきた。
『いやぁ やっと蕎麦にありつけたよぉ』


「海老天蕎麦」(850円)
腰があってなかなか美味い。
この頃(13時30分頃)になると並んで待ってるはおらず、空席もちらほらである。
混雑のピークに店に入ってしまったようだ。


今回で2度目の「古代散策ロード」だったが、天気に恵まれ、田園風景の中、
古墳巡りで癒された一日だった。
それにしても樹齢1,300年を越える佐久の大杉に圧倒され、自然の偉大さには敬服するばかりである。

「まほろ庵」の蕎麦は美味しかったが、待ち時間が長過ぎるのが欠点である。
次に提案しても、皆さん敬遠するかもしれない。
次回機会があれば、もう少し早い時間か、あるいは少し遅めに来ることにしたい、と思う。
それとも弁当の方がまだましかな?


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関東ふれあいの道(神奈川)No.11 「順礼峠のみち」(再)

2014年05月18日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2014年5月18日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道」を歩く”では、2011年までは主に茨城県の
「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
茨城県の踏破認定証を受領した勢いで、『次は県外を』と言う声に押され、
一昨年(2012年)は東京都(全7コース)を踏破し、認定証を受領した。
そして、その次は神奈川県(全17コース)を歩こうということになり、企画・実施した。
その神奈川県の「関東ふれあいの道」も、2014年5月11日に全17コースを歩き終わった。
現在、踏破認定証を申請している最中である。

そんな中、第16回目となる今回は、コースNo.11(順礼峠のみち:約8.8Km)を再び歩くことになった。
コースNo.11は、既に今年2月23日に一度歩いているが、あいにく都合が悪くて参加できなかった仲間から、
神奈川県の踏破認定賞取得を目指すためにも、是非歩いておきたいとの要望があり、
道案内役と証明写真撮影役を買って出たという次第である。

小田急新宿駅、8時51分発小田原行き電車。


小田急線車内
手前から4名がこの日の参加者である。


9時53分、伊勢原駅に到着。


伊勢原駅前のバス停には長い行列が出来ていた。
大山ケーブル行きだそうだ。
大山阿夫利神社から大山を目指す人達だ。


我々が乗るバスは、日向薬師行きで、乗客は我々も含めて10人程度であった。


9時20分発の日向薬師行きバスがやって来た。


9時38分、終点の日向薬師に到着。


早速、「関東ふれあいの道」の案内板でこの日のコースを確かめる。


準備体操は各自で行って、9時42分、出発!


日向薬師の参道入口


直ぐに急な階段が始まる。


『最初からきつい階段だわねぇ』


階段を上って行くと仁王門が見えてきた。
先頭を歩くのは、毎朝5Km以上のウォーキングを欠かさないと言うA子さんである。
足にはかなり自信があるそうだ。


仁王門をくぐると杉の大木が立ち並ぶ参道が続く。


仁王門から8分ほど上ると前方の階段の先に日向薬師本堂が見えてきた。


本堂は現在修復工事中である。
弘法大師像はそのままになっているので、大師様を拝むことはできる。
工事は平成28年までかかるとのこと。


宝城坊の鐘堂
旧日向山霊山寺の鐘堂。
木造屋根茅葺きで、平安時代の天暦六年(952)に建造されたと考えられている、とのこと。
現在の鐘堂は江戸時代の宝暦十三年(1763)の建築とされる。
国の重要文化財である歴応三年(1340)の銘文を持つ銅鐘を吊るしている。


幡かけの杉
足利基氏が幡を掛け、平和と幸せ・五穀豊穣を祈った「幡かけの杉」
樹高は33m、胸高周囲6.3m、推定樹齢800年で、神奈川県の天然記念物に指定されている。
右側にもう1本同じような杉があるが、こちらは上手く写らなかったので省略している。


鐘堂の左手奥に虚空蔵菩薩が祀られていた。
案内板によると、ここに祀ってある虚空蔵菩薩は、日向山の奥の院に祀られていたが、
参詣し易いように、この霊樹の中に移した、とのこと。


虚空蔵菩薩の真言宗系の真言が書かれていた。
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんありきゃ まりぼり そわか
同じ虚空蔵菩薩でも天台宗系の真言は微妙に異なる。
なも あきゃしゃげるばや おんありきゃ まりぼり そわか


仮本堂へ


順礼峠へ向かう前にこの日の無事・安全を祈願しておこう。


仮本堂奥に土産物売りの露店がある。
『荷物になるから買わないでおくわっ』


順礼峠へのみちは、日向薬師から七沢温泉までは舗装された道が続く。


途中にこんな看板が
『一人で歩くと危険だよなぁ』


途中に視界が開けた場所があった。
『いやぁ 良い眺めだぁ』


遠くにぼんやりと見えるのは江ノ島と思われる。
『あそこを歩いて来たんだよねっ』 『よく歩いたもんだよねぇ』
しばし感慨に浸る。


展望台を目指していると・・・


突然、ポールの上から『監視をしています』の音声が流れてきてびっくり。
粗大ゴミなどを廃棄する輩を監視カメラで監視しているのだ。


杉林を抜けると・・・


展望台があった。


『いやぁ ここからの眺めはなかなか良いねぇ』


展望台で軽い休憩だ。


途中に”亀石”なる看板を見つけて、道を少し外れると丸い大きな石(岩)があった。
直径8m、高さ4m以上はありそうだ。
前回は、雪が積もっていたので、見ることはできなかったが、こんな石(岩)とは思わなかった。
『凄くでかい石だよなぁ』 『亀には見えないけどねぇ』


石の上に登ってみると、杉が生えていたりしているので、自分が石の上にいるとは思えない。


『いやぁ 亀石があんなにでかいとは思わなかったねぇ』
なんて話をしているかどうかは分からない。


七沢温泉への分岐点


道標に従って、右に折れて順礼峠方面を目指す。


石屋の前を通過
中から石を削る音がしていた。


七沢温泉地区
左手に立派な建物が見えてきた。


「厚木動物メモリアルパーク」とある。
愛犬や愛猫たちが安らかに眠るペットの霊園だ。


11時16分、七沢神社に到着。


七沢神社謡拝殿


七沢神社のケヤキの大木は推定樹齢600年とのこと。


前回、道標の向きが紛らわしく、ここで道を間違いそうになった。
この日はしっかりと案内役がいるので安心して欲しい。


前方左手に見えるのは「七沢リハビリテーション病院」で、
病院敷地内に七沢城址跡の石碑が設置されている、とのこと。


県道64号線に出た。
『この角を曲がるみたいだねっ』


七沢温泉・日向薬師と順礼峠を示す道標。
こちらは順礼峠となっているが、


向かい側の道標には巡礼峠と書かれている。
「関東ふれあいの道」の道標は、順礼峠で統一している。


間もなく順礼峠への上り坂が始まる。


ここからしばらくは上り坂が続く。


かなり急な上り坂である。


『きついわねっ』


『ゆっくり上れば良いからねっ』
K子さんにぴったりと二人が付き添って進む。
K子さんにとっては、心強いことであろう。


上り始めて15分、順礼峠のお地蔵様に到着した。


12時ぴったり、数分遅れてK子さんたちも到着した。
『あ~っきつかったぁ やっと着いたぁ』
『お疲れさま~っ』


お地蔵様をバックに全員の証明写真を撮影して、弁当だ。


『弁当を美味しくいただけるって幸せだねっ』


弁当の後は、物見峠・むじな坂峠・そしてゴールの御門橋バス停を目指す。


いきなり上りが始まる。
お腹がいっぱいになった直後のため、身体が重く感じる。


峠のお地蔵様から20mほど上ったところに三角点があった。
標高は190mと表示されていた。


三角点を過ぎるとやや平坦な道になる。
尾根を歩いている感じだ。


途中、木々の隙間から見えた景色。
木に囲まれてばかりでは面白くないが、時折、このような景色が見えると、気分転換になって良いものである。


里程標があった。
既に6Km歩いたことになる。残り2,8Kmと表示されている。
『大分歩いたわねっ』 『残り2.8Km、頑張ろうっ!』


この後、みちはアップダウンを繰り返す。
ダウンがあったり、


ダウンの後はアップと言った具合である。
先頭のA子さんは相変わらず快調なペースだ。


少し急な階段が現れた。


『頑張って! ゆっくりで良いからねっ』
K子さんにとっては少し厳しそうだが・・・


なんとか頑張って、物見峠まで0.8Kmの小さな峠に到着した。
地図には載っていないが、ここは井出山というらしい。


『ちょっときつかったわねっ』
『これで元気をつけようっ』


井出山からの眺め。


井出山を過ぎると、次は物見峠へのきつい上りが待ち構えていた。
階段は長く、両側には鎖が付いている。


この日一番の急な上りである。
さすがのA子さんもかなりきつそうだ。


K子さんも懸命に後に続く。


13時22分、物見峠に到着。
『苦しかったぁ』
『よく頑張ったねっ お疲れさんっ』


物見峠からの眺望


物見峠からの眺望(動画)


『だけど素晴らしい眺めだわねぇ』
『歩いた人だけにしか味わえないわよねっ この景色』


遠くに見えるのは、横浜ランドマークタワーである。


物見峠の次は、むじな坂峠を目指す。


小さなアップダウンの後、13時37分、むじな坂峠に到着。


里程標は、御門橋バス停まで残り1.1Kmと表示されている。
『あと少しだねっ』


最後の上りが現れた。


急な階段だが、先ほどの物見峠ほどではない。
御門橋バス停への分岐点はこの坂を上らなければならない。


『もう直ぐ分岐点だよっ』『頑張ろうっ!』
K子さんも懸命に上る。


13時49分、飯山観音と御門橋の分岐点に到着した。
御門橋まで0.8Kmとなっている。
御門橋14時10分発のバスに乗るには、あと20分ではちょっと厳しい。
ここから先は急坂のため、ここは無理はしない方が良いだろう。


その次のバスは1時間後の15時10分である。
少し足を伸ばして白山展望台へ行くことにした。
また少しばかり上りが続いた。


途中で、ついにK子さんが白山展望台への歩行を諦めると言い出した。
御門橋バス停への分岐点で待つと言うので、4人で白山展望台へ向かった。
分岐点から約10分、白山展望台に到着。


『ここからの眺望は本当に素晴らしいねぇ』
『K子さんも来れば良かったのにねっ』


こちらは大山


遠くに伊豆大島が霞んでいる。


白山山頂からの眺望(動画)


ぼんやりとだが、新宿の高層ビル群が見える。


御門橋バス停への分岐点で


下り開始


御門橋を目指して下る。
前回は大雪の後で道が分からなかったが、この日は何とか道は分かった。


しかし、あまり人の歩いた形跡がない。
しかも意外と急坂である。


鹿除けの柵を抜ける。


下り始めて約20分、次第に坂道が緩やかになってきた。


下り始めて20分、ようやく麓に出た。


稲荷神社があったので、お参り


稲荷神社から300mほど進むと、


前方に店の看板が見えてきた。
ゴールの御門橋バス停である。
前回は台湾料理店の看板だったが、その看板は完全に取り払われていた。


14時40分、この日のゴール御門橋バス停に到着した。
『いやぁ最後の坂道はきびしかったねぇ』
『バス1台待って正解だったよねっ』


しばしバスを待つ。


15時13分、本厚木駅行きバスが到着。


40分ちょっとで、バスは本厚木駅前に到着した。


本厚木駅


帰りの小田急線車内
『今日は大変お疲れさまでしたぁ』


この日も好天に恵まれ、コースNo.11「順礼峠のみち」を無事歩くことが出来た。
案内役と証明写真撮影役として同行したが、少しばかりは役に立てたかと思う。
神奈川県「関東ふれあいの道」は前回(2014年5月11日)で終わっているが、
まだ全コースを歩いていない人もいるので、これからもコース案内役・証明写真撮影役として、
皆さんとできるだけ共に歩き、踏破認定の一助となるよう頑張りたい。

ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」の目次”へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土浦元気アップロード 法泉寺~水郷公園コース

2014年05月16日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年5月16日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第6回(2014年第16回)、「法泉寺~水郷公園コース(土浦市)」を歩くウォーキングに参加した。

この日は、土浦市で指定した、健康づくりのための「土浦元気アップロード」の一つ、「法泉寺~水郷公園コース」を歩いた。
土浦六中地区公民館をスタート・ゴールとする、約7Kmの周回型コースである。

この日のコースマップは前述の「法泉寺~水郷公園コース」に若干手を加えたもので、距離は約8Kmとなっている。
土浦六中地区公民館をスタートして、土浦第六中学校手前を右折して花室川を渡る。
花室川を下流に向かい、大岩田小学校前を通って、先ず愛宕神社へ向かう。
愛宕神社の次は法泉寺へ立寄り、土浦三高裏を通って霞ヶ浦総合公園を目指す。
霞ヶ浦総合公園の風車前で一休みした後、霞ヶ浦湖畔に沿って「予科練の道」を進む。
自衛隊駐屯地手前で花室川に沿って進み、国道125号を横断してそのまま花室川に沿って直進し、
土浦六中地区公民館をゴールとする全長約8Kmのコースである。


第一集合場所の乙戸沼公園に集まったのは10名。
車3台に分乗し、第二集合場所の土浦六中地区公民館へ。


六中地区公民館の駐車場には既に大勢の会員が集まっていた。その数16名。
皆さん、家から遠くないので直行する人が多い。
天気も良く、地元のコースということで、参加者は合計26名となった。


早速、会長の掛け声で準備体操をして、


9時34分、出発!


六中地区公民館を後にして、土浦第六中学校方面へ向かう。
この日の天気は快晴。爽やかで実に気持ちが良い。


前方に土浦第六中学校が見える。


土浦第六中学校手前で花室川方面へ右折し、田植えが終わったばかりの田んぼの中を進む。


昨年傘寿を迎えた男性陣最高齢のTさん、今日も元気いっぱいである。
『いやぁ こうやって一緒に歩くのは楽しいねぇ』
どうやら元気な女性陣に囲まれて歩くのが、Tさんの若さを保つ秘訣らしい。


先頭を務めるのはいつものOさんだ。


花菖蒲?が美しい。


大岩田小学校の校庭では、運動会の予行演習が行われていた。
明日(17日)が土浦市小学校の運動会とのことだ。


大岩田地区辺り


こちらは何と言う花なのだろう?


前方にこんもりとした森が見えてきた。
愛宕神社へ寄って行くことにした。


薄暗い神社の階段を上る。
祠の前の鳥居は東日本大震災により折れたままの状態になっていた。


愛宕神社の祠にお参りしていこう。
『随分と可愛らしい神社だわねっ』


祠の裏には、平成二十一年(2009)に神社を建立した際に、寄付した氏子の名前と金額が記されていた。
殆どの人が青山姓と久保田姓である。
『この人知ってるよぉ』


愛宕神社で軽い休憩を摂り、


次の目的地、法泉寺へ向かう。


法泉寺の山門(仁王門)


仁王門の仁王様(阿像)
それほど大きくはないが、筋骨隆々でパワフルさを感じる。


仁王門をくぐって直ぐ左手に鐘楼がある。


本堂
法泉寺は、真言宗豊山派の寺院で山号は聖天山、院号は無量寿院。
開創は、正平年間(1346~1369年)の由緒ある寺である。
小田城を守護するために定められた小田領四ヶ寺の一つに数えられている。
寺仏の薬師如来坐像と日光・月光菩薩は南北朝時代の作と考えられ、県の指定文化財になっている。


弘法大師修行の像
『南無大師遍照金剛』


本堂の前に藤の古木がある。
まだ一度も花が咲いたところを見ていないので、次は花の咲く時期に訪れてみたい。


法泉寺の仁王門を出て、次へ進む。


法泉寺の仁王門の横にお地蔵様が祀られていた。
心の中で手を合せて、法泉寺を後にした。


法泉寺の駐車場前に土浦第三高等学校(土浦三高)があり、そのグラウンド横に「元土浦海軍航空隊戦没者」の
供養塔が建てられていた。


太平洋戦争も終末に近づいた、昭和20年6月10日、土浦海軍航空隊がB29爆撃機を含む艦載機群の攻撃を受け、
その爆撃で甲種飛行予科練習生や教員・教官ら281名が亡くなった、とのこと。


その碑の隣には爆撃で散華(さんげ)した281名の氏名と出身地が刻まれている。
地元茨城県を始め、北海道・東京都・長野県・静岡県・・・福岡県・鹿児島県など全国各地の名前が読み取れる。


土浦三高を過ぎると視界が開け、霞ヶ浦が見えてきた。
霞ヶ浦総合公園の体育館も見える。


池?には蓮(レンコン)が植えられていた。


住宅地を抜け、国道125号線を渡ると、目の前に霞ヶ浦総合公園が見えてきた。


10時37分、霞ヶ浦総合公園に到着
2019年茨城国体の相撲競技会場(予定地)と書かれた横断幕が下がっていた。
オリンピックの前年に茨城県で国体が行われるとは知らなかった。


隣は霞ヶ浦文化体育会館
中では卓球などが行われていた。


木陰を求めて多目的広場へ。


グラウンドゴルフに興じる人達


ここで、軽い休憩にしよう!
『どうぞっ』 『あらぁ ごちそうさまっ』


多目的広場の水郷乙女の像前を通過。


多目的広場では、大勢の幼稚園児たちが元気にはしゃぎ回っていた。
お母さんも一緒で楽しそうである。


10時49分、霞ヶ浦総合公園の風車に到着。


『なかなか良い眺めだねぇ』
ここから景色を見るのは初めて、と云う人は多かった。


風車の上から見た公園内の景色(1)


風車の上から見た公園内の景色(2)


風車の上から見た公園内の景色(3)


風車の上から見た公園内の景色(動画)


釣りキチ三平のモニュメント
『犬も一緒だったのねっ 可愛いわねっ』


水生植物園を通り、「予科練の道」へ向かう。
『いやぁ 気持ちの良い風が吹くねぇ』


振り返ると、先ほど多目的広場で遊んでいた子供達が続々と風車に上っていくのが見えた。


霞ヶ浦総合公園を後にして、「予科練の道」へ向かう。


霞ヶ浦湖畔の「予科練の道」は、「関東ふれあいの道」(茨城県No.16)にも指定されている。
2009年12月10日に歩いたのを想い出した。


右手に霞ヶ浦浄水場を見ながら進む。


小さな港があった。
港と言うより船溜りと言った方が適切かもしれない。


のんびりと釣りを楽しむ太公望の姿も見える。


霞ヶ浦に沿った「予科練の道」を進む。
後方に見えるのは、茨城県企業局県南水道事業部の建物


花室川が霞ヶ浦に流れ込むところで、道は右に直角に曲がる。
川の対岸は陸上自衛隊武器学校土浦駐屯地のため、ここで曲って約800m先の国道125号まで戻ることになる。


花室川に沿った場所は工業団地のようでもある。
あまり馴染はないが、いろんな会社が建ち並んでいる。


霞南至健中学校前を通過
隣接する霞ヶ浦高等学校(私立)との併設型中高一貫校だ。


霞ヶ浦高等学校横を通過


霞ヶ浦高等学校の総合体育館を右手に見ながら、国道125号を横断。
道が交差しているのに近くに横断歩道はない。ここは横断歩道が欲しい。
『みんなで渡れば怖くないわよねっ』


国道125号を渡り、花室川に沿って進む。


左の花室川に沿って、霞ヶ浦高校の野球部グラウンド前を通過。


さらに花室川に沿って直進すると、


前方にゴールの六中地区公民館が見えてきた。


『もう一息だよねっ』
皆さん、一段と足が速くなってきた。


六中地区公民館前の橋を渡り、


11時47分、ゴールの六中地区公民館に到着!
お昼前に到着は、ほぼ予定通りだ。


整理体操をして、


『はいっ 皆さん今日は大変お疲れさまでしたぁ』


当会でも「土浦元気アップロード」はいくつか歩いているが、今回の「法泉寺~水郷公園コース」は初めてである。
地元土浦市内ということでもあり、手軽に歩けることから参加者も多く見込める。
これからも機会があれば、まだ歩いていない他の「土浦元気アップロード」も歩いてみたい。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする