ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

歩き応えあり 音無親水公園と石神井川散策

2022年06月18日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2022年6月18日(金)

隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和4年度(2022年度)第6回、令和4年(2022年)第8回、「音無親水公園と石神井川散策
ウォーキングに参加した。
通常であれば前日の金曜日に実施するところである。
このところの新型コロナの感染者数は減少傾向ではあるが、通勤時間帯を避けるため、
土曜日に変更したという次第。
東京都へ電車で出かけるのは2020年2月8日の玉川上水緑道から小金井公園以来であり、
2年4か月振りとなる。

この日荒川沖駅8時25分発の電車に乗るために集まった皆さん。
荒川沖駅には16名が集まった。


電車は定時に到着した。
土浦駅から乗車の2名と合わせ、この日は18名の参加となった。


車内はまあまあ空いていた、予想通りである。


この日のコース地図や参考パンフレットなどを見入る皆さん。


日暮里駅で京浜東北線大宮行に乗り換え、9時42分、出発地の王子駅に到着した。


最初の目的地王子稲荷神社へは、明治通り(R122号)と都電荒川線を横断陸橋で跨ぐ必要がある。


明治通りと都電荒川線を跨いで王子駅北口へ。


東北・上越新幹線、東北線、京浜東北線下の王子カルチャーロードギャラリーを潜って反対側へ。


王子カルチャーロードギャラリーを潜って直ぐに右折して森下通り商店街方面へ。
『しかし、王子駅周辺は複雑だなぁ』


森下通り商店街を進むと・・・


見覚えのある久寿餅屋があった。


歩きだしたばかりであり、土産物として買うには早過ぎるため、結局は素通りすることに。
『帰りにはここは通らないんだよね~っ』 と残念そうな声が・・・


王子稲荷神社への参道は隣接するいなり幼稚園手前を左折して、”いなり坂”を上ることになる。


10時ちょうど、最初の目的地王子稲荷神社に到着した。


王子稲荷神社に参拝!!


『いやぁ 凄く立派な社殿だよね~っ』
王子稲荷神社は、1000年の歴史ある古社で関東稲荷総社の格式を持ち、徳川家も篤く信仰した、そうである


王子稲荷神社に隣接するいなり幼稚園前を通る際、王子稲荷神社への門は開いていた。
この日は土曜日で幼稚園が休みのため、この門から稲荷神社へ通り抜けられるのだろう。


10時9分、次の目的地名主の滝公園に到着。


ルートが良く理解していないまま庭園内を進む。


右手に池があったので、池の周りに沿って進んだ。


池の周りを進むと、入口の門の所に出てしまった。
何と、池を一周しただけのことだった。
引き返すのも面倒なので、いったん外へ出て少し進むと名主の滝正面への案内があった。
『最初からこっちに来てた方が良かったかもねっ』


案内に従って少し進むと、10時17分、名主の滝公園入口(正面)に到着した。
名主の滝公園は、江戸時代の名主・畑野家が屋敷内に滝を設け、庶民の避暑地に開放したのが
始まり、と云われている。


名主の滝(男滝)


『こんなところに滝があるんだぁ』
『ちょっとだけど癒されるよねっ』
しばらく名主の滝に見入る。


名主の滝(男滝)を後にして、三平坂へ。
坂名の由来は、江戸時代の絵図にある三平村の名からとも、室町時代の古文書にある
十条郷作人の名からとも云われている、そうだ


曲りくねった急勾配の三平坂を上る。
『意外ときついよねぇ』
三平坂この日一番の上り坂である。


最後尾Gも三平坂を上り切り、


左に折れて都道455号を進み、王子神社へ。


10時40分、王子神社に到着。
『正面が王子神社のようだねっ』


王子神社
王子神社の例大祭は「槍祭」とも呼ばれ、祭礼に際し「御槍」という古伝の御守護(おまもり)
が出るため、だそうだ。
例大祭は1年ごとに本祭と陰祭とがあり、8月上旬の3日間にわたって行われる、とのこと。


鳥居を潜ると直ぐ左側に豪華な神輿が奉納してあった。
Webには、本祭に神輿の大集合があり、多くの神輿が次々に鳥居を潜る様は圧巻です。
祭礼3日目の早朝に行われます、と紹介されている。


王子神社に参拝!
開運除災・萬願成就と云われており、江戸時代の『願懸重宝記』には「神前に小き槍を置て
祈念なすに悪事災難をまぬかるる」と出ている、そうだ。


王子神社を後にして都道455号を少し進むと、10時53分、音無橋に到着した。
音無橋の名の由来等が以下のように案内されていた。
音無橋の名の由来は、架橋されている石神井川に求められる。
石神井川は、多摩地方から東流し、北区において隅田川と合流するが、王子権現付近より
以東の路線はかつて瀧野川あるいは、音無川と呼ばれていた。
音無川の名は、紀州熊野権現本宮の近くにある音無川に因んだものである。
本橋は、昭和五年の架橋以来、周辺の交通の便を確保するとともに、地域の発展の要として、
機能している。


石神井川に下りると、そこが音無親水公園である。
暗渠となった石神井川の流れを復元し、水車小屋や木橋を設けた風情ある公園となっている。
子供連れの親子が水遊びを楽しんでいた。
『あらぁ 可愛い~っ』 『パパ 頑張って!!』


これから向かう上流部の音無橋を望んだところ。


音無橋上流部に続く音無親水公園(上流に向かって右側)を進む。


石神井川の両側が遊歩道になっている。
自転車も走れるようになっている。


遊歩道から石神井川を見たところ。
水量は少ないが、水はきれいに透き通って見える。


音無親水公園の遊歩道を歩き始めて最初の橋「松橋」を左手に見て、
(地図ではこの橋を渡って対岸の”音無さくら緑地”へ寄り道と案内されていたのだが・・・)


会長を先頭に元気に音無親水公園の遊歩道右岸を進む。


石神井川には多くの橋が架かっている。
紅葉橋を左手に見ながら進む。


紅葉橋の向かい側に建つのは金剛寺と思われる。
真言宗豊山派の寺院で、滝河山松橋院(りゅうがさんしょうきょういん)と号す。
通称「紅葉寺」、不動明王を本尊とし、弁天像を祀る弁天堂もある、とのこと。
寺伝によれば、弘法大師が松の木を倒して一本橋としたとき、不動明王像を彫って石の上に
置いたことに始まる、そうである。


「音無もみじ緑地」らしき場所が見えた。
釣りを楽しんでいる人もいたが、和竿のような竿で何を狙っているのだろうか?


音無親水公園を進む。


石神井川の様子
堰のように斜めになった箇所も見える。
『石神井川も何かの稚魚が遡上するのかねぇ』
『雨の時はもの凄い流れになるんだろうねっ』


音無親水公園を進む。


左手に瀧野川橋を見ながら進む。


『このままずっと右岸を行くのかねぇ』
どうやら左岸へ渡る橋(松橋?)見過ごしていた。
左岸へ渡る橋の名前はてっきり”桜橋”だと思い込んでいたのが間違いだったのだ。


そのまま右岸を進むと、11時21分、突然目の前に観音像が現れた。
谷津大観音像だった。
真言宗豊山派寿徳寺が2008年12月6日建立したもので、まだ新しい。
観音像が手にした蓮の花は、地域住民や檀信徒が願いを記した銅板を溶かして鋳造された、とのこと。


谷津大観音様に手を合わせ、観音橋を渡って左岸へ。


左岸から観た石神井川
住宅の直ぐ隣が川というのも珍しい景色ではないだろうか。
岸壁は高さ9mほどはあるだろうか。
『けっこう高い壁だけど洪水の心配はないんだろうかねぇ』
いらぬ心配ではあるかも・・・


音無くぬぎ緑地横を通り過ぎ、


11時29分、埼京線の鉄橋下を潜ると・・・


石神井川は大きく右へカーブしている。


一つの歌碑があった。
この土や さくら咲く国 我が住む國 芒角星 と刻まれている。


前方にこんもりとした小山が見えて来た。
加賀公園ではないかと思われる。


加賀公園
加賀藩前田家江戸下屋敷跡に残されており、こんもりとした小山は庭園の築山の名残り。
中山道板橋宿に近く、参勤交替の際、藩主はこの下屋敷で休息をとった、という。


加賀公園を左手に見ながら板橋を目指す。


金沢橋、続いて加賀橋を通り過ぎ、石神井川を右手に見ながら進む。


『歩き易くて良いコースだよねっ』
『東京の人が羨ましいわねっ』


兼六園を思い起こさせる灯篭が。


『紫陽花がちょど見頃だよねっ』


ガクアジサイも。


みどり橋を通過。


『石神井川に棲んでる魚なのかしらねっ?』


加賀保育園を通過すると・・・


帝京大学医学部の建物が見えて来た。


遊歩道を進むと・・・


先頭Gが加賀二の橋の袂で休憩していた。
『ここまで来ればあと一息だねっ』
現在時刻は11時53分、12時半までにはゴールの都営三田線板橋区役所前駅に到着したいものである。


加賀二の橋を渡って


直ぐに左折して石神井川に沿って進む。


御成橋を通過し、


次の目的地の板橋を目指す。


狭い遊歩道を進み、番場橋を過ぎてさらに進むと・・・


12時6分、板橋に到着した。


板橋の上から石神井川(下流)を望む。


板橋の由来や板橋宿などについての説明板に見入る。
板橋
この橋は板橋と称し、板橋という地名はこの板橋に由来すると云われています。
板橋の名称は既に鎌倉から室町時代にかけて書かれた古書の中に見えますが、江戸時代になると
宿場の名となり、明治22年に市制町村制が施行されると町名となりました。
そして昭和7年に東京市が拡大して板橋区が誕生した時も板橋の名称が採用されました。(以下略)
平成十二年三月 板橋区教育委員会


ちょっと一休み。
『けっこう疲れたねぇ』  『かなり歩いたんじゃないっ?』


12時15分、ゴールの都営三田線板橋区役所前駅を目指す。
板橋宿は南の滝野川村境から北の前野村境まで20町9間(約2.2Km)の長さがあり、この橋から
京寄りを上宿と称し、江戸寄りを仲宿、平尾宿と称し、三宿を総称して板橋宿と呼びました。
平成十二年三月 板橋区教育委員会


仲宿の通りを進む。
『けっこういろんな店があるし賑やかだねぇ』


仲宿の通りを進む。


「新月堂」
板橋を模した皮に、上品な甘さの粒あんと求肥を詰めた「いたばし最中」(130円)が看板商品、だそうだ。
予定よりかなり遅れているので先を急ぐことにした。


仲宿の通りを進む。


仲宿の通りを進む。


仲宿の終点?が見えて来た。
『この先は平尾宿ということになるんだろうねっ?』


板橋宿(平尾宿)へ。


板橋宿(平尾宿)を進む。
『仲宿に比べるとちょっと人通りが少ない感じだねっ』


12時28分、中山道板橋宿の休憩公園前を通過。
(本来はここがゴールとなる場所だったのだが・・・迂闊だった)


中山道板橋宿の休憩公園の向かい側、観明寺の参道入口に庚申塔が立てられていた。
庚申塔は、寛文元年(1661)八月に造立されたもので、青面金剛像が彫られたものとしては、
都内最古で、昭和58年度に板橋区の指定有形文化財になった、とのこと。
平成十二年三月 板橋区教育委員会


12時31分、板橋宿(平尾宿)の入口(出口)を通過。
前に見えるのは、首都高5号池袋線だ。


板橋宿(平尾宿)の入口(出口)を通過して、どうやら都営三田線の板橋区役所前駅を
通過してしまったことに気が付き、中山道を引き返す。


今度は中山道ではなく、首都高沿い(国道17号)に都営三田線の板橋区役所前駅へ。


12時48分、やっとのことで、都営三田線の板橋区役所前駅入口に到着した。
想定していた時刻よりもさらに20分近くも遅くなってしまった。


ゆっくりする間もなく都営三田線の地下鉄駅へ。


13時9分、都営三田線巣鴨駅でJR山手線に乗り換えて、上野駅へ向かった。


お腹も空いていたことから、上野駅では早々に解散として、めいめい好みの店へ散っていった。
我々5名は上野駅中央口前のアトレ上野2Fの”グリル1930”へ。
前日Webで調べたのだが、利用するのは全員この日が初めてであった。
店はかなり混んでいたが、並んで待つことにした。


席に案内され、先ずは全員生ビールを注文した。
『乾杯!!』
『この一杯が止められないんだよね~っ』


『ほんとに最高っすねっ』


『いつも以上に美味いっ!!』


『お疲れさまでしたっ』
良い笑顔ですねっ!!


”グリル1930”はハンバーグの専門店なので、和風ハンバーグを注文した。
お腹が空いていたので美味かった。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

2年4か月ぶりに電車を利用しての都内ウォーキングが無事終了した。
大人の遠足BOOKの”東京自然を楽しむウォーキング”を参考にしたこの日のコースだったが、
歩数約12,000歩、歩行距離約6Km、歩行時間約1時間30分と紹介されていた。
実際歩いてみると、歩数は15,000歩超、歩行時間約3時間(30分のロスタイム含む)かかった
ことから、歩行距離は約10Kmはあったのではと推定している。
兎に角歩き応えのあったこの日のウォーキングだったことは確かである。
まぁおかげで美味しいビールを飲めたのは嬉しいことではあるが・・・
電車利用のウォーキングは、ゴール後の一杯があるので、次が楽しみで仕方がない。

この日の万歩計は、15,500歩を計測していた。

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あらためて佐久の大杉に感動 八郷古代散策ロード

2022年06月10日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2022年6月10日(金)

隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和4年度(2022年度)第5回、令和4年(2022年)第7回、「八郷古代散策ロード(石岡市)
ウォーキングに参加した。

この日のコースは、2011年(平成23年)6月3日 と 2014年(平成26年)5月23日に歩いているので、
今回で3度目となる。

予定集合時刻より5分ほど遅れて、スタート地点となる石岡市八郷総合庁舎(旧八郷町役場)
に到着すると、既にかなりの人数の皆さんが集まっていた。


20名を少し超える人数を想定していたが、予想を大きく超える28名の参加者が集まった。


会からのお知らせや昼食場所(八郷の蕎麦店)の紹介等をし、出発の準備は整った。
Yahoo天気予報では、昼頃に一時的な小雨が予想されているので、出来ればその前に
戻って来たいところである。


10時16分、いつものように元気なTK会長(82)を先頭に出発!!


八郷総合庁舎前を通過。
『ほんと、立派な庁舎だよねぇ』


庁舎入口にはこの日のコース地図が立てられている。
(会員の皆さんには事前に配布済み)
『このコースは石岡市(八郷町)の観光の目玉でもあるんだろうねっ』


庁舎出口を右折して丸山古墳群方面へ。


左手に「丸山荘病院」を見ながら進むと、


恋瀬川に架かる高友橋を渡る。


高友橋から恋瀬川の下流方面を望む。


高友橋を渡り、”丸山古墳 350m” の案内に従って進む。
コースは随所に案内と距離が表示されているので、コースを迷うことなく歩ける。
また正確な距離が示されているので、これは助かる。
『心遣いが嬉しいよねっ』


案内に従って進むと、佐志能神社の鳥居が迎えてくれた。


佐志能神社への石段を上る。
『ずいぶん長い石段だねぇ』 運動不足の身体にいきなり100段は堪える。


約100段の石段を上り切ると・・・


10時33分、正面に佐志能神社の社殿があった。
『ようやく着いたって感じよねっ』


史蹟・丸山古墳と佐志能神社
高友の丸山丘陵の中央の丸山古墳と佐志能神社は、大和朝廷の東国討伐に大きな業績を残された
第十代崇神天皇第一皇子豊城入彦命の奥津城であり、命を奉斎した社として、古くから崇敬され
顕彰保存されてきた。
昭和五十五年 丸山古墳保存会 県文化財保護協会


佐志能神社の拝殿から内部を撮った写真
本殿入口には 平成二十五年 伊勢神宮式年遷宮 と書かれた垂れ幕が。
式年遷宮は20年に一度、東と西に並ぶ宮処を改めて、古例のままにご社殿や御装束神宝をはじめ
全てを新しくして、大御神にお遷りいただくお祭りのこと。
「皇家第一の重事、神宮無双の大営」とも称される日本で最大最高のお祭り、とされる。
この制度は約1300年前、天武天皇のご発意により始まり、持統天皇4年(690)に第1回が行われ、
平成25年(2013年)には62回目の遷宮が行われた。 


佐志能神社を後にして二子塚古墳(丸山4号墳)へ。
砂利道を進んで行くと・・・


10時39分、二子塚古墳(丸山4号墳)の案内表示があった。
『いやぁ 随分荒れてる感じだねぇ』


案内表示によると、二子塚古墳(丸山4号墳)は、
恋瀬川左岸の高友地区の背後に連なる50m~60mほどの丘陵部に所在し、丸山古墳(丸山1号墳)の
東方30mに位置する。
古墳としては、横穴式石室を有する中規模の前方後円墳である。
古墳の規模は、全長35m、後円部径20.5m・高さ3m、前方部端幅18m・高さ2.7m
と紹介されている。


横穴式石室は、草が生い茂っていて全く場所が分からない状態だった。
この写真は前回(2014年(平成26年)5月23日)訪れた時に撮ったもので、
石で塞がれた古墳の横穴石室の入口。


横穴式石室の入口の確認は諦めて、来た道を戻ることに。


佐志能神社前を通り過ぎて100mほど進むと・・・


丸山古墳、万葉歌碑の案内標識が。


緩やかな坂道を上って行くと・・・10時48分、丸山1号墳の入口に到着した。


説明板には、以下のように紹介されている。
丸山古墳は、八郷盆地の中央を流れる恋瀬川の流域に展開する広大な沖積地に南面して、
柿岡の高友丘陵の景勝の地に占める全長55m、高さ7mの前方後方墳で、古くから崇神天皇の
第一皇子豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)の奥津城として伝承され、古墳近くに鎮座する
佐志能神社とともに顕彰されてきた。(以下略)
石岡市教育委員会
前方後方墳ってあまり聞いたことがないねぇ 珍しいよねぇ』


後方部の墳頂へ登ってみると、


墳頂にはひっそり一つの五輪塔が佇んでいた。


墳頂に立つと、方形なのか円形なのかは分かりづらい。


後方部と思しき所から一段低い前方部方面を観たところ。
前方後方という珍しい墳形に加え、副葬品の内容などから、4世紀後半の頃に築造された、
有力支配者の墳墓と考えられるとともに、茨城県下における代表的な古式古墳であることが
明らかになった、と案内されていた。


丸山古墳1号墳の上り口に万葉和歌の句碑(万葉集 巻四521)が建てられている。
庭に立つ 麻手刈り干し布さらす 東女を忘れ給ふな
(庭に茂り立つ麻を刈り干したり 布を晒したりする この東女をお忘れくださいますな)


丸山古墳1号墳を後にして、佐自塚古墳へ。


佐自塚古墳600m、佐久の大杉1.2Kmの案内標識に従って進む。


『こんな感じの道ばっかりだったら、歩き易いし疲れないんだけどね~っ』 同感!


杉の林を進む。


杉の林の緩い坂道を抜けると・・・


視界が開けて一面の田んぼに出た。
田んぼの先にこんもりとした森が見える。
目指す佐自塚古墳だ。


少し後続Gとの間隔が開いて来た。


少し待つと後続Gの一団が佐自塚古墳にやって来た。


ここで小休止して一息入れることにしよう。


小休止タイムは楽しいひと時である。


『ごちそうさま~っ いつも嬉しいよねっ』


11時17分、休憩場所の少し先に佐自塚古墳の説明板があった。


佐自塚古墳は、全長58m、後円部径35m・高さ6m、前方部幅27m・高さ4.3mの前方後円墳。
昭和38(1963)年に調査され、後円部中央墳頂下約1.5mの地点から全長約6mの粘土槨が
発見された。中から勾玉・管玉・竹櫛・土師器の壺などが出土。
不規則な透かしをもつ円筒埴輪も確認されており、東日本の埴輪の出現期の古墳として
注目する見方もある。
五世紀中葉前後の築造と推定される、と紹介されている。


佐自塚古墳の前方部


佐自塚古墳の後円部


後円部の墳頂に立つ祠を見つめる皆さん。
2011年(平成23年)6月3日に訪れた際に、恐らく東日本大震災の影響で倒れたままの状態
だったのを見兼ねて、Oさん(当時73歳)達が元の状態に戻したことを想い出しているところ。
『いやぁ 懐かしいなぁ』


佐自塚古墳を下りると前方に青々とした田んぼと筑波連山が見えた。
『癒されるねぇ 美しい景色だよねぇ』


次の目的地である佐久の大杉を目指し、田んぼに沿って佐久集落へ向かう。


前方に佐久の集落が見えて来た。


『ここを左に曲がると鹿島神社だったよねっ』


11時34分、鹿島神社の鳥居の後方に大きな杉の木が見えた。
『あら~っ まだ立派に立ってるわねぇ』


鹿島神社の鳥居を潜ると、


目の前に杉の大木が聳える。
『いやぁ これは凄いなぁ』 『立派だよねぇ』の声とともに、
『頑張ってるんだねぇ』 『私達も頑張らなきゃねっ』の声が相次いだ。


大杉の周りを巡る木道から見上げる。
『いやぁ ほんとこれは凄いよねっ』と感動の声が一段と大きくなった。


木道から見上げた佐久の大杉


皆さん説明板に見入って感心している様子。


茨城県指定天然記念物 佐久の大杉 (昭和十六年三月三十一日指定)
樹高28.6m・幹周り8.9m・推定樹齢千三百年
この大杉は、鹿島神社の御神木として、長い歳月にわたり地域の人々に親しまれ崇拝されてきました。
伝承によれば、神社が創建されたといわれる応永期(1394~1428)には、すでに千年に近い杉」
として知られていたといわれています。(以下略)
佐久の大杉保存会  石岡市教育委員会


あらためて佐久の大杉の雄姿を仰ぎ見て・・・


11時42分、鹿島神社を後にした。
『大杉に感動させられちゃったわねっ』


次の目的地八重天満神社へ向かう。


矢貝橋から恋瀬川の上流を望む。


恋瀬川に架かる矢貝橋を渡ると、


八重の集落がある。


立派な門の家である。まるでお寺のような佇まいである。
『これって普通の民家なのかねぇ?』


立派な門の家の先を右に曲がって道なりに進むと、


八重天満神社入口に到着した。
時計を見ると11時57分を回っていた。
ウォーキング後に八郷の美味しい蕎麦を食そうと思っていたのだが、このペースでは蕎麦店に
間に合わないことが予想される。
せっかく八郷へ来たのに美味しい蕎麦を食べそびれるのは何としても避けたい。
ここは少しでも時間を有効に使うため、八重天満神社への立ち寄りはパスすることに。


参考までに2014年(平成26年)5月23日に訪れた際に撮った写真を紹介する。




次の目的地である長堀2号墳を目指す。


集落の墓地前を通り過ぎると・・・


12時5分、長堀2号墳に到着した。


昭和47年2月、早稲田大学考古学研究室の市毛勲氏の指導によって測量調査が行われ、
その結果、主軸をやや西に寄せた丸山古墳とほぼ同一規模の前方後方墳と判明した、とある。
古墳の規模は、全長46m、後方部端幅30m・高さ3.5m、前方部端幅16m・高さ2mと案内されている。
発掘調査はまだ行われていない、とのこと。


墳頂へ上ってみるが、皆さん続いて上って来ようとしない。
あまりにも草ボウボウのため、皆さん墳頂へ上ることをためらっているようだ。
数人が上って来るのが見えた。


後方部から前方部を見たところ。


次の目的地長堀6号墳を目指す。


のどかな道を長堀6号墳へ。


12時16分、長堀6号墳に到着した。
何だかさっぱりとした形になっている。
墳頂に生えていた大木が見えないが、伐採されてしまったのだろう。


数人が石段を上り、墳頂を目指した。


墳頂に生えていた大木は伐採されていたが、小さな祠のようなものは残されていた。


墳頂からの眺望
『少し眺めが良くなったんじゃないっ?』


長堀6号墳を後にして、


稲荷神社で最後の休憩を摂ろうと思っていたが、このまま通過してゴールを目指すことにした。


ゴールの八郷総合庁舎を目指す。
ゴールまでは残り900m余だ。


小川橋を渡り、恋瀬川に沿って八郷総合庁舎方面へ。


『もう直ぐゴールだよねっ』


恋瀬川に架かる高友橋を右に曲がると、前方に八郷総合庁舎の建物が見えて来た。


八郷総合庁舎の入口に到着。


12時40分、ゴールの八郷総合庁舎に到着した。


TK会長から労いの言葉と挨拶があった。


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
ここで解散とし、皆さんめいめいに好みの蕎麦店などへ向かった。


我々が向かったのは、八郷そば街道で紹介されている「中津川」だ。


自車の5名の他に3台(6名)の車が「中津川」へ。
計11名が集まったことになる。


霊山バスハイキングの際に運転を務めた城南交通の塚本さんから聞いていた、
”つけけんちんそば”(1,000円)を注文した。
美味しかったのは言うまでもない。


八郷古代散策ロードウォーキングが無事終了した。
今回が3回目となるが、前回(2014年5月23日)から8年という年月が経っていることからか、
コースの全てが新鮮に感じられた。
佐久の大杉の雄姿には感動を覚えるとともに、良くぞ無事に生育してくれていると感謝の念が
湧いて来た。
この先もまだまだ立派な姿を見せて欲しいと願わずにはいられない。

この日帰宅すると、別の嬉しいニュースが待っていた。
エンゼルスの大谷翔平選手が「2番・投手兼DH」でスタメン出場し、投げては7回4安打1失点、
打っては5回裏の12号逆転2ランを含む4打数2安打2打点と投打にわたる見事な活躍を披露。
7連勝中のレッドソックスを5対2で破り、球団史上ワーストの14連敗をストップさせた、
というものである。
この日のビールは殊の外美味かった。大谷翔平選手ありがとう! 乾杯!!

この日の万歩計は、11,500歩を計測していた。

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