ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

長豊橋は断念 利根川ウォーキング(河内町)

2016年09月30日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年9月30日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28度第19回(2016年第21回)、「利根川ウォーキング(河内町)」に参加した。

この日治一集合場所の乙戸沼公園に詰まったのは、18名。
車5台に分乗し、河内町の「つつみ会館」へ。


10時5分、河内町「つつみ会館」に到着。
「つつみ会館」には、予想を上回る7名が直行していた。
結局、この日の参加者は、25名となった。


体調を整えて、Oさんの掛け声で準備体操だ。


『膝を回しま~すっ』


10時20分、先ずは長豊橋を目指して出発!


最初の計画では、時計回りに歩く予定だったが、トイレが「つつみ会館」の向う岸辺りにあるため、
常総大橋経由では早すぎることから、距離的に反時計回りの方が良いと判断した次第。


金江津中学校を通過しようとしたところ・・・


教室から生徒たちが手を振ってエールを送ってくれた。


『行ってくるからね~っ』
『勉強しっかり頑張ってね~っ』


堤防上には0.5Km毎に海からの距離表示があり、歩く速度の目安になる。
10時27分、海から56.0Kmの地点を通過


『立派な体格をしてるねぇ』


放牧のようだが、よく見ると牛は繋がれていた。


河川敷のあちこちに牛が繋がれて寝そべっていた。
子牛もいる。


『さっきからひっきりなしに飛んでくるなぁ』


真上を飛行機が数分おきに成田空港に向けて飛んでいく。


『さっきのとはまた違った航空会社だねっ』
機体にScoot(スクート)の文字が。初めて見るLCC名である。
台北からの便と思われる。


この日先頭を務めるのは、Tさんだ。
『今日は暑くもないし、風があって、いやぁ本当に気持ちが良いよねっ』


海から57.0Km地点を過ぎた辺りの景色。
茨城県側の河川敷では、牛がのんびりと草を食んでいる。
利根川を挟んで、千葉県側に水門が見える。
根木名川の水門と思われる。


10時51分、海から58.0Km地点を通過。
56.0Km地点からの2Kmを24分で歩いたことになる。


10時53分、ここらで小休止して水分を補給しておこう。
利根川の堤防上にはどこにも日除けがない。


日除けがないのは、どこの堤防上でも同じようなものかもしれないが・・・
今日は真夏日でなくて良かった。


11時ちょうど、海から58.5Km地点を通過。


堤防上の道は、サイクリング用となっている。
時々自転車が走って来るので、道を開けなければならない。
前にも後ろにも注意を払っておく必要がある。


木々に囲まれて小さな鳥居が見える。
川の近くということからすると水神社ではないだろうか?。


長豊橋を目指す。


海から58.5Km地点を通過すると、前方に赤い橋が見えてきた。
長豊橋だ。


右手には、小さな工場がいくつか並んでいる。


11時10分、海から59.5Km地点を通過


続けて11時16分、海から60.0Km地点を通過


長豊橋が次第に大きくはっきりと見えるようになった。
長さは、400mほどあるだろうか?
(後で調べてみたら509.6mだった)


右手にまた別の神社が。
これは水神宮だった。


長豊橋が目の前である。
国道408号ということで、交通量は多い。
大型トラックが頻繁に走っている。


国道なので、ちゃんとした歩道があるだろうと思いきや、『歩道がないっ』
しかも道幅が狭く、大型トラックなどは、道幅ぎりぎりに走っている。
これでは、25名が一列縦隊で並んで向う岸まで歩くのは、危険この上ない。
ここは、無理をして渡らずに引き返した方が無難である。
もしものことがあってからでは遅過ぎる。


ということで、元来た道を引き返すことにした。
『まぁ 残念だけど仕方がないねっ』
『引き返すのが、正解だよぉ』
皆さんの納得の表情に一安心である。


帰りは土手の一段低い道を歩くことにしよう。
入口には車止めがあり、車は通れないようになっているから安心だ。


一段低い道へ。


『道幅が広くて歩き易いよねっ』
『ここは、自転車も走らないようだしっ』


土手の上を歩く人も。
『こっちは、風があって気持ちが良いよっ』


『そろそろお昼が近いのよねっ』
今一番気になるのは、弁当のことである。
時計は、11時45分を差していた。


この辺りの民家の中には、人が住んでいないと思われる家が見られる。
『随分大きな敷地の家だよねっ』


農家が途切れる辺りには、工場が並んでいる。
しんとね河内工場


共栄工業茨城工場


『そろそろお腹が空いて来たねぇ』
『どこか適当な場所はないかなぁ』


海から59.5Km地点近くに小さな取水口?があり、コンクリートの石畳があった。
『ここだったら、良いんじゃないっ?』


『他に適当な場所は見当たらないし、ここで弁当にしようっ』


『この橋の下なら、少しは日陰になりそうねっ』


『このきゅうりの漬物美味しいわよっ』


『この程度の日焼けは大したことじゃないよっ』と強がる男性陣。
きゅうりの漬物が回されて来た。、
『ご馳走さま~っ』 『いただきま~すっ』、


12時37分、弁当も終わり、ひとまず「つつみ会館」方面に向かって出発!


『後は「つつみ会館」に戻るだけだよねっ』 


しかし、先頭グループから、『せっかくだから常総大橋まで行ってみようっ』と言う声が聞こえてきた・・・
『ここまで来たら千葉県に足を踏み入れようじゃないのっ』ということらしい。


上空を飛行機が次々に飛んで行く。


成田空港を目指す午後着の便である。


お互いに『あれっ さっき見かけたような気がするけど?』
『お互いに頑張りましょうっ』


ここまで来て利根川の橋を渡らないのは心残り、ということで、
『千葉県に足を踏み入れようっ』ということになり、最後尾のグループに通知すると、
『え~っ 本当に行くのっ?』 と言う声も・・・


河川敷に牛の群れが見えてきた。


堤防の内側には、午前中には見なかったホルスタイン種の姿も見える。


金江津中学校が見えてきた。


授業中の生徒が懸命に手を振っている。
『帰ってきたわよ~っ』


13時23分、「つつみ会館」を通過


『ここで休むと後が続かなくなるから、そのまま行っちゃおう』
先頭グループは、意気軒高である。


海から55.0Kmの地点を通過。
常総大橋まで300mほどだ。


13時36分、常総大橋に到着。


常総大橋には立派な歩道があった。
しかも両側にである。


利根川


『もう直ぐ千葉県だよねっ』
皆さん、足取りは軽い。


13時43分、常総大橋を渡り、千葉県側(成田市)に到着した。


『ここまで来たらやっぱり橋を渡らなくっちゃねっ』
皆さん、目的を達成して満足の表情だ。


常総大橋を渡り切った所で折り返し、ゴールの「つつみ会館」へ向かう。


利根川を渡る。
『こうやって見るとやっぱり広い川だねっ』


13時56分、利根川を渡って河内町側に到着
ゴールの「つつみ会館」は近い。


14時9分、「つつみ会館」に到着した。


Oさんの掛け声で整理体操をして、


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


この日は、”利根川ウォーキング”と称して、茨城県河内町と千葉県成田市を歩くことにしていたが、
長豊橋には歩道がないことが分かり、長豊橋を渡るのを断念せざるを得なくなったのは、想定外だった。
ただ、最後にもう一つの常総大橋を渡って成田市まで足を運んだことは、当会の意地を見せたとでもいうべきか。

今回は、利根川の茨城県側を歩いたので、次は千葉県側を歩くことにしようかとも思ったりしているが・・・

この日の万歩計は、19,000歩を超えていた。

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旧甲州街道を歩く 第六回 駒木野宿から小原宿へ

2016年09月25日 | ウマさんの「旧甲州街道」を歩く
2016年8月28日(日)

今年(2016年)の4月で「特選街道を歩く」が終わったことを受けて、仲間の皆さんから
『今度はどこを歩くの?』という声が上がり、五街道のひとつ甲州街道を歩くことにした。
日本橋から内藤新宿までは、「特選街道を歩く」第二回目(2015年2月22日)で歩いているので、
内藤新宿から信州の下諏訪宿までを歩くことになる。

「甲州街道を歩く」第六回目は、駒木野宿(JR高尾駅)から小原宿(JR相模湖駅)までの約10Kmを歩いた。

東京駅8時39分発の高尾行中央特快に乗車。
前回と同じ電車である。
この日の参加者は8名、いつものメンバーだ。


『高尾駅まで確実に座って行けるのが良いよねっ』


9時26分、高尾駅に到着


前回歩いた甲州街道。
八王子の追分から続いていた銀杏並木が、ここで終わっている。


高尾駅入口交差点にコンビニがあったので、弁当(おにぎりやパン)を買うため立ち寄った。
この日は甲州街道の最難所の一つである小仏峠を越えるので、
途中食事をする処などはないと思われるためだ。


めいめい好みのおにぎり・パンなどを買い、9時52分、高尾駅前を出発!


高尾駅前のコンビニから10分ほど歩くと、中央本線のガードが見えてきた。


ガード下の浅川に架かる両界橋を渡る。


浅川
『水がきれいだねっ』


駒木野宿辺りの住宅街に「駒木野庭園」があった。
無料とあったので、ちょっと覗いて行くことにした。


古民家の裏は、庭園になっており、手入れされた立派な盆栽が並んでいた。


庭には池もあり、東屋ではスケッチなどを楽しむ人の姿も。


駒木野宿を進む。
道路は狭いが、この道を通る車は多い。


道路脇にガードレールがあった。
どうやら駒木野橋のようだ。


一見して橋のようには見えなかったが、道沿いの碑からその理由を知ることができる。
区画整理により、橋は撤去されたが、橋名保存のためこの碑が建てられた、とある。


現在、水は道路の下の暗渠を流れている。


駒木野橋碑の向い側に、小仏関跡の碑が建っていた。
小仏関所は、戦国時代には小仏峠に設けられ富士見関とも呼ばれた。
武田・今川・織田などの周辺の有力氏が滅ぶと、関所は麓に一度移され、
その後、北条氏の滅亡により、徳川幕府の甲州道中の重要な関所として
現在地に移されるとともに整備された。
この関所は、道中奉行の支配下におかれ、元和九年(1623)以降4人の関所番が配備された。


かつての小仏関跡の説明に見入る。


説明板には、
左には、小仏関絵図は、関所番だった4家のうち、川村家に伝わっていたもの。
小仏関は、四方を木柵などで囲われ、東西に門が置かれていた。
北に山、南に川という地にあり、当時ここを通行していた人を厳重にチェックしていた、とのこと。
右の絵図は、千人同心組頭塩野適斎らによって記された「桑都日記」のもの。
もともとあった小仏からここ駒木野に移され、関所の東が駒木野宿、西が小仏関と呼ばれるようになり、
関所も「小仏関」や「駒木野関」と呼ばれていた、そうだ。


小仏関跡横の公園には、甲州街道駒木野宿と刻まれた碑が建てられていた。


念珠坂
わずかながら緩やかな下り坂になっている。


道路脇には、念珠坂の碑の他に


青面金剛や南無阿弥陀仏などと刻まれた石碑群が並んでいた。


10時40分、蛇滝口バス停を通過すると、


道路左側に水汲み場があった。
水が入ったペットボトルが何本も並んでいた。
『美味しいっ 軟水だねっ』


旅籠屋「ふぢや新兵衛」
現在は無人で建物だけになっている。


軒下に蛇滝で水行を行う人が掛けたと思われる、講の名前を彫った札が並んでいる。
蛇滝で水行を行う人達が、講を組んでやってきた記念、ということで掛けていった、らしい。


旅籠屋の右手に「上行講」と彫った道標も残っている。
”是より蛇滝まで八丁”とある。
(参考:仮に一丁=一町(109.09m)とすると、八丁=827.72mになる)


10時48分、「上行講」の道標から約5分、蛇滝水行道場入口を通過。
蛇滝水行道場は、道路左をかなり入った所にあるようだ。


右手に中央高速道を見上げながら進むと、


”こだわりのとうふ” 「するさし」の看板が・・・
I子さんによると、この店の「こだわりとうふ」は、殊の外美味しいらしい。


かつての小仏宿は、旅籠11軒だけの小さな宿場だった。
甲州街道の最難所と言われた小仏峠の麓にあったというから、この辺りだったのだろうか?。
小仏の由来は伝説によると奈良時代の僧・行基が宝珠寺を造り、小さな仏を安置したことによる。


男性陣は、一足先にとうふ店の100mほど先の白雲山常林寺に到着した。


境内入口には六地蔵がある。


常林寺は、曹洞宗の寺院。開山は初沢町髙乘寺四世空山宗印大和尚で、現住職は二十四世。
大正六年の火災により全てを焼失したのでその他は不明となっている、とのこと。
本堂にお参りしていると、


女性陣が豆腐をぶら下げてやって来た。
”こだわりのとうふ”は、もめん豆腐だった。早速ご相伴にあずかった。
持参したというきゅうりの浅漬けも一緒に振る舞われた。
『ご馳走さまぁっ』 『甘味があってなかなか美味しいねっ』


常林寺で小休止して行こう。


常林寺を後にして、しばらく行くと、


左手に釣り堀が。
「浅川国際マス釣場」、フライフィッシング専用のようだ。


またしばらく行くと、木下沢橋(きこざわばし)という橋があった。


中央高速道と中央本線の下をトンネルで抜けた流れが、浅川に合流していた。


日影沢・高尾山の分岐点を通過すると、


赤煉瓦ガードが現れた。
中央線八王子~上野原間は明治四年(1901)8月1日、官設鉄道として開通した。
橋梁などに煉瓦が使われている。
『煉瓦造りは、丈夫で長持ちだねぇ』


赤煉瓦ガードを通過して、しばらく行くと、


JR東日本の高尾変電所があった。


11時44分、変電所に隣接する小仏峠バス停に到着
バスはここで折り返しすることになる。


小仏峠バス停で小休止の後、小仏峠を目指した。
『昼食は小仏峠に着いてからだねっ』


小仏峠バス停から5分ほどで小仏山宝珠寺に到着した。


宝珠寺には東京都の天然記念物カゴノキの大樹がある。
本堂左脇の崖上にあり、主幹は枯れてその周囲を枝幹が取り巻いて一株になっている。
幹周り4.3m、高さは13.0m、枝張りは、樹幹を中心に南北約22m、東西約17mで樹勢は盛ん。
根元から1.3mの辺りから多くの枝が分岐している。
カゴノキの名前は「鹿子の木」の意味で、樹皮が鹿のこどものまだら模様に似るところからついたもの。
クスノキ科に属し、暖地に自生する常緑高木である。
鼓の胴はこの木で作る、そうだ。


宝珠寺は、小仏峠の山裾にあり、15世紀の開基と伝わる臨済宗南禅寺派の寺で、
ご本尊は、恵心僧都源信の作と伝えられる木造釈迦如来像。
今日では「断食道場」として知られている、そうだ。


本堂右手奥には不動堂があり、”小佛大聖不動明王尊”と書かれた赤い幟が並んでいた。


宝珠寺を過ぎると、次第に坂道になり、カーブが多くなってきた。


景信山への登山道入口を通過
この登山口は、2012年4月8日(日)「関東ふれあいの道」」(鳥のみち)で利用したことがある。


道端にたくさんの車が停められていた。
景信山や高尾山へのハイカー達の車だろうか?


こちらは駐車場になっており、たくさんの車が駐車していた。
これまでの道路は、ここで行き止りになっていた。


駐車場の少し先右手に滝があり、白衣に着替えた人たちが一心不乱に滝に打たれていた。
『え~い えいっ』と大声で気合を入れ、豪快な滝に打たれる姿には圧倒される。


12時21分、滝を過ぎたところで、登山道が始まった。
『いよいよ小仏峠越えだねっ』


緩やかな瓦礫の道を進むと、


水飲み場があった。
『冷たくて美味しいわっ』


水飲み場を過ぎた辺りから、急坂の道になった。


息が上がり、汗が噴き出す。


間もなく小仏峠というところで、堪らず休憩。
『山上りは久しぶりだからきついねっ』


12時56分、滝から山道を上ることおよそ35分、小仏峠(548m)に到着した。
「小仏嶺」と呼ばれ、武蔵国と相模国の境にある。
峠の頂に小像の石地蔵のあるところから、小仏の地名になった。
富士の眺望が絶景で「富士の関」「富士の峠」とも言われた。


小仏峠のタヌキの像も見覚えがある。


峠の広場にベンチがあったので、ここで弁当に。
『やっぱり高尾駅前で弁当買っといて正解だったねっ』


弁当が終わると、下山開始だ。
峠の元茶屋前は、前日の雨でぐちゃぐちゃの泥んこになっていた。
『こんな所で泥だらけにはなりたくないよねっ』 慎重に泥を避けて下山口へ。


”明治天皇小仏峠御小休所址及御野立所”の碑
『明治天皇もここで休憩して野立をしたんだぁ』
『まだ中央線が開通してない頃なんだろうねっ』


左は高尾山方面で、正面は小仏城山方面である。


甲州街道小原宿は、右方向に案内されていた。


13時32分、麓の小原宿を目指して小仏峠を下山開始だ。


『街道だから、山道より道幅が広い感じだねっ』


緩やかな下りが続き、快調なペースで、小原宿を目指す。


『昔の殿様は、この道を江戸まで参勤交代させられたんだぁ』


杉並木の中を進むと、


舗装された道路に出た。
右手に舗装道路がある・・・


道標に相模湖駅の文字が見える。
『ここで折り返す感じだねっ』


別の案内板には、相模湖まで3.7Km、底沢バス停まで1.7Kmとあった。


今下ってきた道を折り返すようにして相模湖駅方面へ。


中央高速道を潜って、進むと、


”照手姫ものがたり”の説明板があった。
浄瑠璃や歌舞伎で知られている「小栗判官と照手姫」の物語
照手姫は、小仏峠の麓、美女谷の生まれと伝えられ、その美貌が地名の由来となったとも言われている。
北面の武士だったという父と優しい母から生まれた照手姫は、美しい娘に成長し、美女谷川上流の七つ淵で
豊かな黒髪を梳くその姿は、まばゆいばかりの美しさを放ち、里の若者を魅了したと言う。
しかし、不幸にも両親が相次いでこの世を去り、いつしか照手姫の姿は美女谷から消えてしまった。
その後、数奇な運命をたどった照手姫は、相州藤沢宿で小栗判官満重と劇的な出会いをするが、
満重は毒殺されてしまう。
姫の必死の思いが通じたのか、満重は遊行上人という名僧のお蔭で蘇生し、常陸の国の小栗城に還り、
照手姫を迎え、末永く幸せに暮らしたと言う。、


小原宿を目指す。


美女谷川に架かる美女谷橋を渡り、


中央高速道を潜って、少し行くと、


中央線のガードがあった。
ガードの手前に立札が・・・


小原一里塚址の立札だった。
日本橋から15番目の一里塚跡である。
今は、中央高速道の下で、跡はありません、とある。
立札だけの一里塚跡は、初めて見た。


14時37分、底沢バス停に到着した。
底沢バス停から相模湖駅まであと2Kmだ。


小原宿本陣までは、ここから5分と案内されている。


底沢の谷を見ながら進む。
『いやぁ 随分深い谷だねぇ』


歩道に「小原宿本陣祭」の幟がたなびく。


道路右手に「小原の郷」が。
近くに横断歩道が見当たらなかったため、止むを得ず車が途切れるのを待って道路を横断。


14時44分、「小原の郷」に到着
「小原の郷」は、相模湖地区の歴史文化に関する資料の展示を行い、市民の知識及び教養の向上を図るとともに
都市住民との交流に寄与する施設として設立された、とのこと。


11月3日(文化の日)には、江戸時代の大名行列を再現した祭が行われ、
本陣の庭での野立や沿道には、甲州街道の街並みが再現される、そうである。
小原宿本陣へ行ってみよう。


14時56分、「小原の郷」から数分のところに小原宿本陣があった。
小原宿本陣は、清水家の建物が使われた。


清水家は、古くから小原に住み、小原宿の名主・問屋を勤めるとともに、
本陣として大名の定宿となっていた。
四層の構え、かぶと造りの建物は築400年(現平井家)で、
信州高島藩・高遠藩・飯田藩の大名や甲府勤番の役人が宿泊した。
清水家は寛永二年(1625)より本陣兼名主を勤めた。


主要五街道の人馬の継立て一覧
『甲州街道は、3つの藩(高島藩・高遠藩・飯田藩)しか利用しなかったんだぁ』


土間に入ると正面に大きな階段があった。
2階は、かつては蚕を飼っていたらしい。


階段の後ろが勝手になっている。


広間から茶の間を見たところ。


玄関には、大名が乗った籠が展示してあった。
この籠は最近造られたもので、重さ100Kg以上あり、祭の時に4人で担ぐ、そうだ。


控えの間から中の間・上段の間を見たところ。


控えの間・中の間・上段の間は、庭に面している。


築山
上段の間からの眺めが良くなるように造られた庭園で、
徳川家から拝領のドウダンツツジや泰山木が植えられている。


小原宿本陣を後にして、小原宿の宿内を相模湖駅へ。
小原宿は明治28年(1895)8月に出火、本陣を含む東端4軒だけを残したが、
その後地域の方々の力により、現在の街並みが再建されている。


相模湖が見えてきた。
ゴールの相模湖駅まで残り1Km弱と思われる。


15時20分、相模原市立北相中学校前を通過。


与瀬の分岐を過ぎると、相模湖駅は間もなくだ。


相模湖駅入口交差点を右に折れると、相模湖駅前のネオン看板が現れた。
『夜はきれいなんだろうねっ』


15時28分、この日のゴール相模湖駅に到着した。
時刻表を見ると、次の上り電車まで30分以上ある。


駅前の酒屋で缶ビールを買い、タクシー乗場の椅子で、
『かんぱ~い』 『お疲れさま~っ』


相模湖駅発15時59分発の電車で東京駅に向かう。
『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』



「旧甲州街道を歩く」第六回目(駒木野宿~小原宿間約10Km)を歩き終わった。
実際に歩いてみて、距離はもっとあったような気がする。
JR中央線高尾駅から相模湖駅までの一駅間だったが、甲州街道最大の難所である小仏峠を越えたため、
少々疲れた。

次回(10月)は、小原宿(相模湖駅)から上野原宿(約10Km)を予定している。
甲州道中最大の難所と云われた小仏峠越えも終わったことだし、それほどきつくはないと考えているが・・・
どんなハプニングが待ち構えているのだろうか?
今から「旧甲州街道を歩く」が楽しみである。

この日の万歩計は、25,000歩を計測していた。
思った以上に計測していたのには。正直驚いている。

ウマさんの「甲州街道を歩く」の目次
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鮎の里黒羽 「奥の細道」散策

2016年09月16日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年9月16日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28度第18回(2016年第29回)、「奥の細道散策(黒羽)」ウォーキングに参加した。

黒羽は、元禄二年(1689)に江戸を発った俳聖松尾芭蕉は、弟子の曽良とともに
「奥の細道」行脚の途中黒羽の地を訪れ、旅程中最も長い14日間逗留し、知人や史跡を訪ね、
次に向かう「みちのく」の地への準備期間を過ごした、と云われる。

6時35分、三中公民館に常南交通の大型バスが到着
その後、三々五々参加者が集まり、6時50分には三中公民館から乗車する21名全員が揃った。
定刻まで10分あるため、発車までバス内で時間を潰すことに。
あまり早く出発しても、回った先で時間を潰すことになるからである。


天川団地入口⇒土浦市民会館と回り、この日の参加者30名が揃った。
定員44名の大型バスのため、車内は空席が多い。
当初は35名の申込があったが、都合が悪くなったりした人が出て結局30名に落ち着いた。


朝食弁当は、おにぎり2個と鳥唐・卵焼き・ソーセージと以前と変わらない。
常南交通社によれば実は提供元が変わった、そうである。
これからこはの弁当のお世話になるのだ。
(まだ温かくて以前の弁当より良いと好評だった。おにぎりはやや塩辛かったが・・・)


7時57分、常磐道友部SAで最初の休憩を摂り、


北関東道を走り、


東北道へ。


9時16分、上河内SAで2度目の休憩


9時36分、矢板ICで東北道を降りて、


大田原市の国道461号を黒羽へ向かう。


10時26分、スタート地点の大田原市黒羽支所に到着した。
土浦市民会館を出発して約3時間経過していた。
渋滞が全くなかった割には、けっこう時間がかかるものである。


昼食の弁当を配布し、黒羽支所で体調を整えて、


Oさんの号令で準備体操
バスに3時間以上揺られていたので入念に身体をほぐす。
『精一杯背伸びして~っ』


『最後に深呼吸~っ』


10時44分、Oさんを先頭に出発!


後に続く皆さん。


黒羽支所の裏の坂道を黒羽小学校方面へ。


黒羽支所駐車場のど真ん中に常南交通のバスが停まっているが、黒羽支所から指定された場所なのだ。


黒羽小学校の前を通り、


芭蕉の里大宿街道(だいじゅくかいどう)を進む。


大宿街道は、「とちぎの道百選」のひとつで、黒羽小学校から大雄寺(だいおうじ)に至る桜の並木道で、


一昔前の風情が漂う。


黒羽山大雄寺(だいおうじ)の入口
大雄寺は、600年以上の歴史を持つ曹洞宗の禅寺である。


大雄寺の石段を上り、


三門(山門)を潜る。


内側から見た山門、なかなか風情がある。


さらに石段を上り詰めると、


茅葺きの立派な門があった。
総門である。


総門は、本堂正面に建ち、左右に茅葺き屋根付きの廻廊が取り付けられており、
本堂、禅堂に繋がっている。


本堂の屋根も茅葺きで、その大きさに圧倒される。
大雄寺の茅葺き建築物(本堂・鐘楼堂・禅堂・総門・廻廊など7つ)は、
栃木県文化財の指定を受けている、そうだ。
『いやぁ 実に堂々とした造りだねぇ』
『しかし、これだけの萱を集めて葺くのは大変だろうなぁ』


本堂にお参りしていこう。
ご本尊、釈迦如来像を安置している、とのこと。


本堂の廊下には、禅寺の雰囲気が伝わってくる。


本堂に向かって左側には、「おびんずる様」が鎮座している。
「おびんずる様」は、十六羅漢の一人で、お釈迦様のお弟子さまで、神通力を得て多くの人々を救った。
「おびんずる様」を撫で、その手で自分の体を撫でると、病気や怪我が治るといわれている。


境内には、萱葺き屋根の鐘楼堂や、


一切経4,500巻を輪蔵内に納める土蔵造りの経蔵、


水琴窟、ハンカチの木もある。


大雄寺本堂を後にして石段を下る。


山門から大雄寺入口を臨む。


大雄寺から少し進むと蕎麦屋があり、


蕎麦屋の前の道路反対側に「芭蕉の道」があった。
「芭蕉の館」にも通じているそうなので、「芭蕉の道」を進むことにした。
行く春や鳥啼き魚の目は涙
元禄2年3月27日、千住で見送りの人々との別れを詠んだ一句。
「行く春」は流転の世界にあって永遠の別れを暗示する、そうである。


「芭蕉の道」を進む。
ちょっとしたハイキングコースになっている。


「芭蕉の道」は、「芭蕉公園」に通じていた。


「芭蕉の句碑」とあったので、上ってみた。


山も庭も動き入るるや夏座敷
「奥の細道」の旅の途中、黒羽の城代家老に歓待された折の句。
このすてきな夏座敷に惹かれて、山も動いて庭に入って来た感じ、という句。


休憩所を過ぎると、「芭蕉の館」入口があった。


11時53分、黒羽城址三の丸跡に建つ「芭蕉の館」に到着。
芭蕉に関わる資料と、黒羽藩主大関家の資料を常時展示している。
入館料は通常300円だが、20名以上団体割引で200円だ。
内部は撮影禁止となっている。


芭蕉が馬に跨り弟子の曽良を従えている像からは、当時の芭蕉の旅の姿が偲ばれる。


「芭蕉の館」見学後、芭蕉と曾良の像の前で記念撮影


「芭蕉の館」を後にして、黒羽城址へ。


黒羽城址入口


空濠に架かる橋を渡って林の中を進むと、


黒羽城址本丸跡に出た。
黒羽城は、天正四年(1576)に大関高増が築城した。
その規模は、東西約250m、南北約1、500m、面積約37.5haで、北那須最大の規模を持つ城郭である。


本丸跡には何故か能舞台があった。
夏には薪能が行われ、客席は芝生の上というのが、特徴だそうだ。


本丸跡の城址公園は、4月には桜まつり、6月下旬から7月上旬には
6,000株の紫陽花が咲き、紫陽花まつりが開催される、とのこと。


櫓のような建物があったので、行ってみると、見張台(展望台)だった。


櫓の中は狭く、一度に30名全員が上るのはちょっと無理だ。


先に上った人が下りて来るのを待って、順番に上ることになる。


最上階からの眺望
那珂川の河川敷が見える。
晴れていれば、那須・日光連山が一望できる、そうだ。


展望櫓を後にして、土塁の上を進む。


再び「芭蕉の館」方面へ戻り、


「芭蕉の館」の本丸跡口の手前を右に進むと、


林の中の急な階段が続いていた。


『下りで良かったわよね~っ』
『逆だったら大変だよね~っ』


100mほどの高低差を下ると、


那珂川沿いの舗装道路に出た。
目の前に「鮎の里公園」があった。
”芭蕉の里”黒羽は、”鮎の里”でもあるのだ。


「鮎の里公園」に建てられた鮎の碑


「鮎の里公園」を過ぎ、那珂川に架かる高岩大橋を渡る。


那珂川の清流が眼下に流れる。
水量が豊富だ。
『水がきれいだねぇ』


高岩大橋を渡り切り、河川敷へ。


左手丘の上に先ほど上った黒羽城址の櫓が見えた。


前方に那珂川に突き出た形で「高岩」があった。


高岩神社へ向かう。


12時43分、高岩神社に到着


高岩神社に参拝を済ませて、


昼食場所を求めて河原へ。


河原から見た高岩


お腹も空いたことだし、河原の石ころの上で弁当にしよう。


時計は12時50分を過ぎていた。


この日の弁当は何だろう?


いなり・太巻き・きゅうり巻きの寿司弁当だ。
しゃけ・チャーシュー・チーズなどの寿司もあり、ボリュームは満点である。


那珂川には、鮎釣りを楽しむ人の姿が見える。


この光景は、那珂川の風物詩と言えるのかもしれない。


昼食後、ゴールの大田原市黒羽支所を目指した。
明王寺裏の墓地脇を抜け、


黒羽市街地を目指した。


那珂川河川公園を通り、


歩行者専用の「那珂川歩道橋」を潜ったところを右折すると、


黒羽市街地に出た。
国道294号を進み、那珂橋方面へ。


黒羽市街地には店蔵や古い建物などが目に付く。
染物屋「紺屋」


大谷石造りの蔵


立派な塀と薬医門を構えた大きな家


現足利銀行黒羽支店は、黒羽銀行として明治末期に建てられたもので、
国登録有形文化財(建造物)に指定されている。


こちらの蔵造りもかなり古そう・・・


国道294号の那珂橋西交差点を左折し、那珂橋を渡る。
国道294号は、ここから国道461号になる。


河川敷に停まっている車は、大方鮎釣りに来ている人の車だと思われる。


”鮎の里”に相応しい光景である。


黒羽田町付近をスタート地点の大田原市黒羽支所へ向かう。


友釣りのおとり鮎が売られている。
4匹1,000円とあった。


国道461号の田町十字路を左折し、300mほど進み、


14時1分、ゴールの大田原市黒羽支所に到着した。


体調を整えた後、那珂川沿いの道を走り、「ゆりがねの湯」へ。


14時30分、黒羽支所から20分ほどで「ゆりがねの湯」に到着した。


入浴料金は、一般500円のところ、70歳以上は300円とある。
この日、男性参加者は12名だが、70歳以上(300円)は9名だった。
200円得した訳だが、それだけ歳をとったということであり、
素直に喜んで良いものなのか気分は複雑である。


「ゆりがねの湯」


男性用内湯
この時間帯は、地元の人の姿は見えず、客は我々一行だけだった。
お湯は無色透明で澄み切っており、非常に滑らかで皮膚に優しいことから、
「美人の湯」で知られている、とのこと。


男性用露天風呂
初秋の那珂川の流れを眺めながらの一風呂は格別である。
貸切状態で、ゆっくり源泉に浸かって、300円。
これ以上ない贅沢な時間を過ごせて満足のひとときだった。


『かんぱ~いっ』 『お疲れさまぁ』
湯上りの一杯(サービスの枝豆付きで500円)は最高だ!!


帰りのバス車内


真岡ICから北関東道に乗り、常磐道へ。
筑波山が見えて来た。


常磐道友部SAで最後の休憩を摂り、


土浦市内に着くころには外は暗くなっていた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


俳聖松尾芭蕉と曾良が、「奥の細道」の旅程中最も長い14日間逗留したと言われる、
黒羽を訪ねてのウォーキングだった。
黒羽山大雄寺の総門や茅葺き屋根付きの廻廊、茅葺の本堂には、圧倒された。

「芭蕉の館」では、「奥の細道」の道程や俳句、書籍などを見学し、あらためて芭蕉の偉大さを知った。
「ゆりがねの湯」では、那珂川の流れを眺めながら贅沢な時間を過ごせた。
黒羽が「鮎の里」とのことなので、次に訪れた時には、是非鮎料理を堪能してみたい。

この日の万歩計は、距離はさほどないと思っていたが、意外にも12,000歩を超えていた。

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真夏日の下 はなのき通り・ふれあい道路(取手市)を歩く

2016年09月09日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年9月9日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28度第17回(2016年第28回)、「はなの木通り・ふれあい道路を歩く」ウォーキングに参加した。
この日の例会は、当初車で利根川河川敷の駐車場へ向い、その駐車場をスタート&ゴールとしていたが、
前回(9月2日)の事前調査で、電車での希望者が圧倒的に多かったことから、急遽電車に変更した。
「はなのき通り・ふれあい道路」は、2012年3月9日(金)に歩いて以来2回目である。
最初の時は、雨のためコースを逆に歩き、しかも途中で引き返しているので、
取手駅から全コースを歩くのは初めてとなる。

土浦8時58分発、荒川沖9時4分発の電車に乗り、取手駅には定刻の9時25分に到着。
しかし、土浦駅から乗車するはずの人達の姿が見当たらない。
いつもは最低でも4-5名はいるのだが、この日は誰もいないのだ。
参加確実なTさんに携帯電話を掛けるが、応答がない。正直あせった。


不安な気持ちで取手駅改札口でたむろしていると、
土浦からの参加者が遅れて改札口に現れた。
『待たせたようだねっ ごめんごめん』
先頭車両に乗っていたために時間がかかった、とのことである。
胸を撫で下ろした。


取手駅改札口前に集まった参加者は、25名だ。
今日は約13Kmと距離があるのでこの人数なのだろう。
次週・次次週の地図などを配布し、この日のコースを説明。


準備体操は省略し、9時39分、取手駅を出発!


後に続く皆さん。
笑顔が溢れる、元気いっぱいだ。


駅前の階段を下り、


「はなのき通り」へ。


国道6号取手駅西口交差点を渡り、


市道を真っ直ぐ進む。
「はなのき通り・ふれあい道路」は、銀杏並木で始まった。


大きな椎の木があり、根元に顔の部分が剝れたお地蔵さんと「奉待庚申供養塔」の碑が建てられていた。


庚申塔は、庚申塚ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。
庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。
塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。


「はなのき通り」は、「常総ふれあい道路」とも言う。


市街地を過ぎて銀杏並木を進む。


この日の取手市の最高気温は32度の真夏日だ。
前日より湿度は30%ほど低いそうだが、身体中汗びっしょりになってきた。
『いやぁ けっこう蒸し暑いねぇ今日も』


”長い坂道の両側に続く銀杏並木が美しい”と紹介されている「銀杏坂」
緩やかな下りだが、ほとんど坂道とは感じない。


10時6分、団地の一角にあった小さな公園で一休み。
熱中症予防には水分補給が重要である。


『いやぁ 汗びっしょりだよっ』


銀杏並木が続く。


10時21分、左手に江戸川学園取手中・高等学校の校舎(えどとり)が見えてきた。


「えどとり」を通過した辺りから、「ふれあい道路」は銀杏並木から桜並木に変わった。


「稲汚水中継ポンプ場」を過ぎた辺りの歩道脇には、早くもススキのような穂をした草が。
暑い中にも秋が感じられる景色である。


10時33分、道路反対側にある「アジア取手カントリー倶楽部」前を通過。


『この辺は、タヌキが多いんだろうか?』
タヌキが棲み易い環境なのだろう。


さらに桜並木を進むと、


前方の小高い丘に茶色い建物が見えてきた。
地域医療支援病院の認定を受けた、「保健医療センター 医師会病院」である。
地域医療・救急医療体制が整った病院だ。


10時55分、医師会病院を見上げる桜の木陰で2度目の休憩


多少の疲れも話が弾めばどこかへ飛んでしまう。


一息入れた後、さらに桜並木を進む。


道端の小さな花壇の花が可愛らしい。


道路左手に「宮の前ふれあい公園」の標識が。
地図には載っていない公園である。
戸頭団地内の公園か?


ガソリンスタンドや


ファミリーレストランなどの店が多くなってきた。
左手は戸頭団地だ。


折り返し地点の戸頭公園を目指す。


横断陸橋の隣から軽快な音楽とともに歓声が聞こえる。
『おっ 運動会かな?』


戸頭中学校の運動会の予行演習?が行われていた。
グラウンドには生徒しか見えず、見物する家族などの姿はなかった。
予行演習に違いない。


折り返し点となる「とがしら公園」は間もなくだ。


11時21分、「とがしら公園」に到着
取手駅西口をスタートして、1時間42分が経過していた。


「とがしら公園」の広場に向かい、


広場でしばしの休憩を摂る。
『疲れちゃったぁ』


『疲れた時には甘いものが欲しくなるわねっ』


『ここは茶腹一時で我慢するしかないねっ』
昼食は、取手駅ビルまで辛抱である。


11時42分、ゴールの取手駅を目指して出発!
戻りは道路反対側をと思ったが、日差しが直接当たるため、同じ側を歩くことになった。


疲れた人にはバス利用もOKとしたが、2時間に1本と本数は少ない。
次のバスは、14時25分である。
『これじゃぁ 歩くしかないわねっ』


手作りの花壇前を通過。


右手に利根川方面の景色を眺めながら進む。
『利根川はここからはかなり離れてるのかな?』
(この辺りは利根川からは、800m~1,000mほど離れている)


取手駅西口を目指す。


12時13分、水分補給のため一休み。
30分歩いて5分休憩のペースだ。


取手駅西口を目指す。


女性の皆さん、少しでも直射日光を避けようと日傘を差して気を遣っているが、効果のほどは・・・


次第に隊列の間隔が開いてきた。
疲れてきた証拠である。


取手駅西口を目指す。


「えどとり」の建物が見えてきた。


「えどとり」の前から取手駅西口まで2Kmの表示。
「とがしら公園」から4Km歩いたことになる。


取手駅西口を目指す。
先頭グループは、見えない。
かなり離されてしまった。


取手中央タウンに入ると、飲食店が目に付くようになってきた。
ら~めん屋に


洋食レストラン「COCO'S」


焼肉「宝島」


『どこか適当な処で』と言う声も上がったが、ここは我慢をして取手駅を目指そう。


『暑いのは苦手だ』と言う会長は、次第に先頭との距離が開いてゆく。


取手中央タウンから取手駅西口行バスの本数は多い。
会長にバスを勧めたが、『最後まで自力で歩く』との強い意志に脱帽。


そのうち信号待ちなどもあり、前を行く何名かに追いついた。


取手市新町の交差点
これほどの交通量の交差点にも関わらず、交差点の名前がないというのは珍しい。


ピザ屋「Domino's」、


続けてコーヒー店前を通過すると、


先行するグループの数人が道端に腰を下していた。
『一緒にゴールしようと思って待ってあげてたのよっ』
会長もその優しい心遣いは嬉しいはすだ。
『それじゃぁ 一緒にゴールしようっ』


国道6号交差点に到着し、


陸橋を見上げながら交差点を横断
『陸橋を渡る元気はないわねっ』


取手駅ビルが見えてきた。


13時20分、取手駅西口駅前広場に到着。


間をおかずしんがりを務めた会長も無事ゴールした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


この日は駅改札口前で解散し、めいめい好みの飲食店を求めて散っていった。
我々いつものメンバーは、駅ビルのレストラン街へ。


5Fの居食酒房「鬼や」へ。


先ずは、中生ビール(540円)で『かんぱ~いっ』
『お疲れさまでした~っ』


『やっぱし 汗をかいた後の一杯は最高に美味しいよね~っ』


ビールの後は、めいめい好みの品を注文。


おろし蕎麦の大盛(670円)を注文した。


『暑い時には冷たい蕎麦に限るねっ』

生ビールとおろし蕎麦で締めて1,210円はリーズナブルだ。

1か月半に及ぶ長い夏休み明けの人には、いきなり13Kmというのはちょっと厳しかったようだ。
”夏休み明け”と言っても最高気温は32度もあり、厳しい暑さは真夏と変わらない。
自分も最後は脱水症状のような状態で、脚が痙攣を起し、速度が思ったように上がらなかった。
しかし、全員無事最後まで歩いたことには、当「ウォーキングの会」の意地を見たような気がする。
一人も救急車のお世話にならなかったのが、不思議なくらいである。

来年度は、”夏休み明け”は比較的短い距離から始め、徐々に距離を伸ばすような計画を立てたいと思う。

この日の万歩計は、19,000歩に達していた。

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霞ヶ浦環境科学センターから湖岸散策

2016年09月02日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年9月2日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28年度第16回(2016年第27回)、「霞ヶ浦環境科学センターと湖岸散策」に参加した。
この日のコースは、2012年2月24日(金)以来で、自身2回目となる。


この日の第一集合場所は、土浦市のピアタウンだ。
これまで土浦市民会館だったのを、今年度からここピアタウンに変更した。
市民会館では、時々イベントが行われるため、事前に駐車場利用許可を確認する必要が義務付けられた。
仮に駐車場利用が不可となった場合、前日までに集合場所の変更を全員に周知しなければならない。


ピアタウンには13名が集まり、9時10分、車4台に分乗してスタート地点の霞ヶ浦環境科学センターへ向かった。


9時42分、霞ヶ浦環境科学センターに到着してみると、既に大勢の参加者が待っていた。
結局、この日の参加者は27名、後半の初回としてはまずまずの人数である。


Kさんの掛け声により準備体操


久しぶりの準備体操に身体が堅く感じる。


9時51分、出発!
いつものように先導役はOさんである。


霞ヶ浦環境科学センターを後にして、


沖宿町の農道を進む。


お馴染の顔ぶれだ。


『久しぶりに歩くんだけど、ほんとに気持ち良いわね~っ』


この辺りは梨園が多いが、既に収穫は終わっていた。


右手前方に上大津東小学校が見えてきた。


上大津東小学校の校庭手前で左折し、


鹿島神社を目指す。


右手に谷津田のような景色が広がる。
かつては、田んぼだったのではと推測するが、今は草ぼうぼうの荒れた状態だ。
『この辺の人は蓮根を作るのに精一杯なんだろうねっ』


『もう直ぐ鹿島神社だなっ』


鬱蒼とした社叢の中に鹿島神社が見えてきた。


10時16分、鹿島神社に到着した。


この日の無事安全を祈願して、参拝!


一息入れる。


『まだまだ暑いわね~っ』


一休みした後、10時24分、鹿島神社を後にして、


次の目的地海蔵寺を目指す。
2週間後には83歳の誕生日を迎えるというS子さん、若々しくて今日も元気いっぱいだ。


霞ヶ浦が見えてきた。
『素晴らしい眺めだよねっ』
『霞ヶ浦を見下ろせるなんて、羨ましいわよね~っ』


坂道を下り、


県道118号を右折して少し進むと、


寶珠山海蔵寺の入口があった。


海蔵寺の新しい門を潜ると、


正面が海蔵寺の本堂だ。
案内板によると、
海蔵寺は応永年間(1394~1427)の創建で、開基は小田城九代目城主の小田治朝(はるとも)で、
初期の宗派は明らかではない。もとは背後の台地にあったが、文禄年間(1592~95)現在の地に移転した。
元和元年(1615)に神龍寺六代目の明堂慶聡(めいどうけいそう)が開山となり、
現在の宗派は曹洞宗、山号は宝珠山、と記されている。
土浦市指定の文化財である小田治朝の墓は、先ほど訪れた鹿島神社の近くにある、とのこと。


境内に荘厳な鐘の音が響いたので、振り返ると、Mさんが鐘楼から下りるところだった。
またしても、Mさんのその瞬間を撮ることがことが出来なかった。残念!


鐘楼は、まだ新しく出来たばかりのようだ。
鐘の真下は池になっており、鐘の振動で池の水も振動するようになっている、とのこと。


住職が試しに撞いてみせてくれたが、微かに池の水も震えているのが分かった。


鐘楼の横の仲睦まじい夫婦の像が目を引く。
住職によると、近くの実業家夫婦が自分たちをモデルにして造ったそうで、形見にこの像を寺に預けたものらしい。
自分たちもこの像のような円満な夫婦であり続けたいものだ。


10時43分、海蔵寺を後にして、


沖宿町の住宅地を霞ヶ浦畔に向かう。
立派な造りの家が多い。


『蓮御殿なんだろうかねっ』


住宅地を抜けると、蓮根畑が現れた。


『あら~ 可愛い~っ』


蓮根のタネである。


霞ヶ浦湖畔に突き当たった所でワカサギを干していた。


味見させてもらった。薄い塩味がした。
『これは美味しいっ』
『土産に買って帰りたいくらいだねっ』


霞ヶ浦湖畔を歩く。
『少し風があって気持ち良い~っ』


左手は、見渡す限り蓮根畑である。
土浦市は、蓮根の生産量が日本一の市だそうだ。


『蓮根畑の水が霞ヶ浦の浄化に影響を与えているらしいんだよねっ』
これ以上霞ヶ浦の汚染が進まないことを願うばかりである。


広大な蓮根畑の中に一輪だけ咲いていた花を見つけた。
今にも花びらが落ちてしまいそうな状態である。


もう少し早ければこのような状態の花をたくさん見ることができたかもしれない。
(2日後の9月4日に群馬県の道の駅「川場田園プラザ」で撮ったもの)


蓮根の収穫作業が行われていた。


霞ヶ浦


湖畔を吹き渡る風を受けながらが進む。


先行するグループが、霞ヶ浦環境科学センターを示す標識を曲がろうとしたが、
『曲がる所はもうちょっと先だよ~っ』
Oさんの声に先行するメンバーは渋々引き返し、


さらに湖岸を歩くこと約500m余り、


湖岸に生えている大きな木を通過。


釣りを楽しんでいる人を見ながら進み、


戸崎揚排水機場樋管の前を左に曲がり、


霞ヶ浦環境科学センターへ向かった。
ここには、霞ヶ浦環境科学センターを示す標識はない。


ところどころで蓮根の収穫作業をしていた。
『ご苦労さまですっ』


蓮根畑の中を進む。


見渡す限りの蓮根畑である。
『いやぁ とにかく広いなぁ』
この辺り(戸崎)は霞ヶ浦市である。
いつの間にか霞ヶ浦市に入っていたが、境界がどこかは分からなかった。


蓮根の茎に明太子のようなものが付着しているのが見受けられた。
何かの卵なのだろうか? それとも病気なのだろうか? 少し気になる。
『何か気持ちが悪いよねっ』


蓮根畑では、大きなタニシをたくさん見掛けた。
自分はまだ食べたことはないが、エスカルゴのように食べることは出来ないのだろうか?
美味しいと思われるのだが・・・
『泥臭いんじゃないのっ』 『なるほど』


環境科学センターを目指す。


県道118号に出ると少し戻る形になる。


”急傾斜地崩壊危険区域”の標識が立っている。
この場所では、水の放流・切土・盛土・伐採・工事等は知事の許可が必要になる、そうだ。


急傾斜地に沿った急な坂道を上る。
『ここは、大雨が降ったら崖崩れが起きる可能性がある所なんだぁ』


急坂の道を上ると・・・


『いやぁ 崖は怖いけどなかなか素晴らしい眺めだねぇ』


歩いてきた蓮根畑が目の前に広がる。
真ん中の道路は、最初に曲がろうとした道で、実際に歩いたコースは、かなり左の方になる。
(写真の範囲外で写っていない)


11時47分、急坂を上りきった所の八坂神社に到着した。


八坂神社で最後の休憩を摂り、


次週の集合場所の確認や、次週以降の地図などを配布し、


霞ヶ浦環境科学センターへ向かった。


霞ヶ浦環境科学センターが見えてきた。


12時5分、霞ヶ浦環境科学センターに到着


『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』



今回、霞ヶ浦環境科学センターを発着点として、周辺の農道を歩き、霞ヶ浦畔を歩いた。
気温は高かったが、霞ヶ浦畔を吹き抜ける風が心地良かった。
時間の都合で、霞ヶ浦環境科学センターの見学はパスした。
今回は、時期的に蓮の花を見ることは出来なかったので、次回は蓮の花が咲く時期に歩いてみたい。
また、時間が許せば霞ヶ浦環境科学センターも見学したい。

この日の万歩計は、10,000歩を少し超えていた。

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