ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

天気に恵まれて 筑波実験植物園周辺散策

2020年01月31日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年1月31日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第30回(2020年第4回)、「筑波実験植物園周辺散策」ウォーキングに参加した。
「筑波実験植物園」は、2017年7月14日(金)以来で、2年半ぶりとなる。

この日、第一集合場所の乙戸沼公園には13名が集まった。


車4台に分乗し、第二集合場所(出発地)の筑波大学南駐車場へ行ってみると、
既にたくさんの人が集まっていた。
この日の参加者は大方の予想を上回る28名となった。
『やっぱり地元ということもあって近いし、天気も良いからだろうねっ』


大半の人がマスクをしており、一見誰が誰だか分らない。
中国武漢で発症し、現在世界中で大変な騒ぎとなっている「新型コロナウィルス」が
影響しているものと思われる。


当会としては、そんな「新型コロナウイルス」なんかに負けている訳にはいかない。
会長のTKさんの『今日も元気に歩きましょうっ!』のかけ声とともに、
9時49分、いつものようにTKさんを先頭に先ずは松見公園に向けて出発!


筑波大学構内の”けやき通り”を進む。


右手に筑波大学総合研究棟が見える。


筑波大学総合研究棟の前を左に折れ、”つくば公園通り”を進む。


右手の建物は、平砂(ひらすな)学生宿舎である。


宿舎の入口前にはたくさんの自転車が並んでいた。
『ここじゃぁ 自転車が重要な移動手段なんだねっ』


『たくさんの宿舎が建ってるんだね~っ』
『家賃はいくらぐらいなのかしらね~っ?』
女性たちの素朴でちょっと現実的な疑問である。


続いて追越(おいこし)学生宿舎辺りを進む。


追越学生宿舎半円広場を通過し、


さらに”つくば公園通り”を進むと、


右手に大きな建物があった。
追越看護師宿舎である。


『看護師さんの宿舎は学生宿舎と違って随分と高層なのねっ』
『エレベータがなかったら大変だよね~っ』
(これだけ高層でエレベータがないということは考えられない)


駐車場には車がびっしりと並んでいた。
『これも学生さんたちの車なのかしらっ?』
『今じゃ学生さんが車を持つのは当たり前のことなんでしょうよっ?』


広い道路があり、”つくば公園通り”はその道路を横断して筑波センター方面へと続いている。


道路を渡って直ぐ左手が「筑波メディカルセンター病院」だ。


右手には「筑波メディカルセンター検診センター」の建物が。


”つくば公園通り”を進むと、松見公園の入口らしい門があったので、ここから公園内に入ることにした。


10時9分、松見公園に到着した。
公園のほぼ中央に松見公園のシンボルである展望タワーが建っている。


風が強くなってきたので展望タワー下のレストハウスへ。
ここでしばしの休憩だ。


レストハウスから見た松見公園


パノラマ写真


レストハウスを出て、公園内の芝生広場を進む。


親子たちの回りにはたくさんのハトが集まっていた。
お菓子か何かを与えているのだろう。


松見公園の林の散歩道へ。


池の反対側から青空に映える展望塔を望む。


さらに公園内を進み、


広い道路(松見通り)を横断し、


県道244号(北大通り)を県道55号(学園東大通り)方面へ。


『この辺の店はみんな閉まっちゃってるわねっ』
『一時はかなり賑やかだった感じがするけどねっ』


県道55号(学園東大通り)の妻木交差点を横断し、


左に折れて「筑波実験植物園」を目指す。


学園東大通りを進む。
天久保2丁目南交差点の「COCO'S」前を通過し、


さらに学園東大通りを進む。


妻木交差点から10分ほど進んだところに、「つくば植物園」の看板があった。


10時46分、「国立科学博物館 筑波実験植物園」に到着した。
「筑波実験植物園」の入園料は、通常は300円だが、65歳以上は無料である。
一見相応の年齢と分かりそうなものだが、一応形式的に身分証明書となる運転免許証
または健康保険証などを見せて、中に入る。


植物園内の見学は各自自由に回ってもらい、1時間後に再びこの場所(教育棟)に集まってもらうことにした。


園内マップで現在地と各自の目的地などを確認し、


先ずはプロムナードを進む。


プロムナード
両側には、世界一高い木として知られるアメリカのセコイア、生きた化石として知られる
中国のメタセコイアを交互に、中央にはアジアのトチノキ、ヨーロッパのマロニエ、
それとベニバナトチノキが見られる、と案内されている。


中央広場で、それぞれ好きな場所へと分かれることにした。


数人が”筑波山の植物”区画方面へ。
古来より愛されてきた筑波山に生育する植物が見られます、とある。


『男体山と女体山で筑波山を表しているんだねっ』
筑波山の区画は小さく、直ぐに通り過ぎてしまった。


その先に絶滅危惧植物温室があったので、入ってみることにした。


ワサビ
シカの食害による野生株の減少が著しい地域がある、とある。


フジノカンアオイ
絶滅危惧Ⅱ類(VU)
奄美大島のやや湿った林床に生育する固有種。
葉の表面には光沢があり、またふつう斑が入らない。
琉球列島で最も大型になるカンアオイ類で、大きいものでは直径が4Cm近くにもなる。
(説明板)
(絶滅危惧Ⅱ類(VU)は、絶滅の危険が増大している種を表す)


イワユキノシタ
『これも絶滅危惧種なんだぁ』


チャルメルソウが並んでいる。
手前からモミジチャルメルソウ、コシノチャルメルソウ、ツクシチャルメルソウと並んでいる。
モミジチャルメルソウは、絶滅危惧Ⅱ類(VU)に、
またツクシチャルメルソウは、準絶滅危惧(NT)に指定されている。
準絶滅危惧 (NT)は、 現時点での絶滅危険度は小さいが、生息条件の変化によっては
「絶滅危惧」に移行する可能性のある種を表す。
(説明板)


トサノチャルメルソウ
絶滅危惧Ⅱ類(徳島県)
四国・九州の山地渓流沿いにまれに生息する固有種。
最近の研究で四国と九州のものはそれぞれ姿のよく似た別種であることが明らかとなった。
春に開花し、キノコバエ類によって受粉される。
(説明板)
(チャルメルソウの名前は、果実が木管楽器のチャルメラによく似ているためなのだそうだ)


絶滅危惧植物温室を出て、林の中を進むと、


水生植物生態区の沼があった。


沼の方に向かう途中、クレマチス園があったが、入口は閉まっていた。
イベントカレンダーによると、4/27~6/2にコレクション特別公開が予定されている、とある。
時間があれば個人的に訪れてみようかと思う。


水生植物生態区の一番奥から沼を見たところ。


残り時間が少なくなってきたので、岩礫地植物(山地性)の生態区を通過し、


熱帯資源植物温室へ向かった。


水生植物の沼を横切る形で、熱帯資源植物温室へ。


11時9分、熱帯資源植物温室に到着した。


温室の中に入ると、一瞬で眼鏡が曇ってしまった。


熱帯資源植物温室で見た花(1)
カメラのレンズも直ぐに曇るので、シャッターを押す度にカメラのレンズを拭きながら撮影しなければならない。


熱帯資源植物温室で見た花(2)
シマサンゴアナナス


熱帯資源植物温室で見た花(3)
エクメア・ファスキアタ


これはレモンであるが、メチャクチャ大きい。
『いやぁ 熱帯だとこんなに大きくなるんだぁ』


熱帯資源植物温室内


熱帯資源植物温室から隣のサバンナ温室に入ると・・・


眼鏡の曇りがなくなって一安心。
空気を乾燥させているからなのだろう。
サバンナ温室内(1)


サバンナ温室内(2)


サバンナ温室内(3)


サバンナ温室内(4)


リュウゼツラン科のトックリラン(北アメリカ)


リュウゼツラン科のアガベ・アッテヌアタ(メキシコ東部)


サボテンの仲間(1)


サボテンの仲間(2)


サバンナ温室を後にして、熱帯雨林温室へ向かった。
温室の入口近くに熱帯雨林の高木に見られる板根が展示されていた。
高木は真っ直ぐで長い幹を持っており、幹の四方から平べったい板状の部分をしばしば伸ばす、とある。


熱帯雨林温室内にはインドネシア・スマトラ島の熱帯雨林に生えるショクダイオオコンニャクが
展示されていた。
花芽が伸びると高さ3m、直径1m以上にもなり、世界で最も大きい花(正確には花の集まり)
を付ける植物です。
死体のような強烈な臭いを放ち、世界で最もみにくい花とも呼ばれます。
開花は気まぐれで、数年にいちどしか開花しません。
自生地での開花は7年に1回程度です。(説明板)
既に枯れ始めていたが、茎?の部分に四角い窓のような穴が開けられており、
花の内部が見えるようになっていた。


ショクダイオオコンニャクの内部の様子


これは、2012年5月26日に撮ったショクダイオオコンニャクの花である。


上から見たところ。


熱帯雨林温室内の様子(1)


熱帯雨林温室内の様子(2)


そろそろ集合時間が近くなったので、熱帯雨林温室内を出て、エントランスエリアの教育棟に向かうことにした。
中央広場の一角にパンパスグラスが植えられていた。


また、パンパスグラスの反対側には薄桃色のような色合いの木が。
『今頃花が咲くってのは、梅なんじゃないのっ?』


”見ごろ2位”とある。


『やっぱり梅なんだっ』
『もう梅が咲く時期なんだね~っ』
『随分と早いんだね~っ』


来た時とは逆の方向にプロムナードを進み、


11時39分、教育棟に到着した。
教育棟では既に半数近くの人が腰を下ろして休憩していた。
『お待ちどおさまぁ』


11時49分、筑波実験植物園を後にして、筑波大学のレストラン(学食)へ向かった。


筑波大学グランド口前を通り、


”けやき通り”を進み、


左手に筑波大アスレチック場を見ながら筑波大の学食へ。


平塚通りの大学公園南交差点を横断し、


学食レストランへ。
『久し振りの学食が楽しみだよねぇ』


12時18分、筑波大学石の広場に到着した。


目指す筑波大学第2エリア大食堂は石の広場から見える赤い建物である。
1時間後に再度この石の広場に集まることにして、第2エリア大食堂に向かった。


第2エリア大食堂へ。
『そろそろ空いてくる時間帯だよねっ』


大食堂はまだ少し混んではいたが、奥の席を確保することが出来た。


食事風景(1)


食事風景(2)


食事風景(3)


自分が注文したのは、幕の内弁当と厚揚げ豆腐、それに味噌汁を付けて合計630円だった。
よくコンビニの幕の内弁当を食べるが、量はこちらの方が断然多く、満腹になった。
味はやや濃いめで、やはり若い学生さんたち向けなんだなと思った次第である。


最近食後にコーヒーを楽しむことにしている。
Lサイズを注文した。一杯150円だった。
(Mサイズは100円)


13時28分、石の広場に戻ってみると、皆さんは既に集まっていた。


皆さん、学食の食事には満足した様子であった。


13時32分、ゴールの駐車場に向けて、出発!


”つくば公園通り”を進む。


平塚通りを跨いで、


平塚通りを学園東大通り方面へ。


平塚通りの大学公園南交差点を右に曲がり、ゴールの南駐車場を目指す。


筑波大学アスレチック場を右手に見ながら進むと・・・


13時56分、ゴールの南駐車場に到着した。


次週は土曜日のため、集合時刻と切符(休日お出かけパス)の事前購入などを説明して、
ここで解散して、帰路に就いた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


前回の2017年7月14日(金)以来、2年半ぶりに「筑波実験植物園」周辺を歩いた。
天気にも恵まれて、久し振りに30名近くの参加者となった。
約1時間の時間を設けて「筑波実験植物園」内を自由散策としたが、回れたのはほんの一部であり、
前回同様その広さと植物の多さを実感させられた次第である。
ゆっくり回ろうとすれば、1日かけても回り切れるものではない、と思った。

これからは、かみさんでも連れて、時間が許す限りゆっくりと観て回りたいものである。
かみさんも65歳を越えているので、入園料が無料というのは魅力だと思う。
その時は、併せて学食へも誘って、奢ってあげようかと思う。

この日の万歩計は、13,000歩を越えていた。

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夏がベストか? 見沼代親水公園から舎人公園へ

2020年01月24日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年1月24日(金)

毎週金曜日、主として地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第29回(2020年第3回)、「見沼代親水公園から舎人公園」ウォーキングに参加した。

荒川沖駅7時59分発の電車を待っているところ。
この日の予想最高気温は14度ほど、あまり寒さは感じない。


9時7分、ほぼ定刻どおりJR日暮里駅に到着。


皆さんが体調を整えている間に改札口出口付近で待っているところ。


全員が揃い、JR日暮里駅を出て、日暮里・舎人ライナー駅へ向かう。


日暮里・舎人ライナーがちょうど到着したところで、大勢の人が降りて来た。
『いやぁ けっこう乗客が多いんだね~っ』
『ちょっとここで待ってようねっ』


『私、日暮里・舎人ライナーに乗るのって初めてなのよぉ』
皆さん、今日が初めてという人が多いようだ。
とは言うものの自身も2度目ではある。


全員先頭車両へ。席を数えたら、20席ちょうどだった。
『意外と車両は短いんだねっ』
この日の参加者は19名、先頭の車両を独占する形となった。


男性陣は先頭車両の一番前に陣取り、早速カメラを構える。


9時20分、見沼代親水公園駅行きが発車。
見沼代親水公園駅がこの日のスタート地点である。


日暮里駅を出ると左へほぼ直角に曲がり、西日暮里駅手前でやや右へ曲がると、後はそのまま真っ直ぐに走る。
『ビルの谷間を走るってのもなかなか良いもんだねぇ』


日暮里・舎人ライナーの駅間の距離は短い。
赤土小学校前駅を過ぎるとその距離は1,000mにも満たないような区間が多い。


荒川を渡る。


上りの電車とすれ違う。これで何度目だろう。
『日暮里・舎人ライナーって電車の間隔が短いんじゃないっ?』
『電車の本数が多いってことだよねっ』


終点の見沼代親水公園駅が見えて来た。


9時43分、見沼代親水公園駅に到着。
日暮里からおよそ20分余だった。
見沼代親水公園駅から先は電車止めがあり、行き止まりになっていた。


見沼代親水公園駅の改札口を出て西口へ。


見沼代親水公園駅西口


駅前にあった地図で現在地と最初に訪れる舎人氷川神社の位置を確認し、


9時53分、舎人氷川神社を目指して出発!
先頭はいつものようにTKさんである。


日暮里・舎人ライナーに沿って日暮里方面へ少し進むと・・・


右手に舎人氷川神社の鳥居があった。


参道を進んで拝殿へ。


舎人氷川神社の拝殿に参拝!
舎人氷川神社は、正治二年(1200)創建の古社、とのこと。


本殿には昇竜や唐獅子、八岐大蛇退治、天の岩戸開きなどの精巧な彫刻が施されている、
とのことだが・・・
本殿全体が金網に覆われていてほとんど見えないというのが実情であった。
『あれが昇竜なのかねぇ?』


舎人氷川神社を後にして、見沼代親水公園へ向かう。


数分で見沼代親水公園に到着した。


100mほど上流の舎人五丁目に建てられている東屋からスタートすることにした。
(見沼代親水公園の正式なスタート地点は舎人四丁目5番となっている)


見沼代親水公園の終点である古千谷本町四丁目を目指す。


水鳥がゆっくりとマイペースで泳いでいた。
『気持ち良さそうだねっ』


前方に日暮里・舎人ライナーの線路が見えた。
『線路が途切れてるねぇ』
『こういう風景も珍しいんじゃないっ?』


日暮里・舎人ライナーの線路下を潜り、横断歩道を渡る。


ちょうど真上が見沼代親水公園駅だ。


親水公園へは見沼代用水が供給されている。


見沼代親水公園
かつての江戸時代の見沼代用水東縁が区の農業を支えていたそうだが、
その役割を終えた用水は、昭和59年4月に憩いの場として親水公園が誕生した。
親水路の長さは、約1,700mとのこと。


親水路に沿って進む。
『春から夏は緑と水の風景がきっと気持ち良いんでしょうね~っ』


『地元(土浦市)にもこんな公園があると良いのにね~っ』
(多分、(勝手な推測だが)予算的には無理な相談だと思われる)


小さな社があった。


舎人諏訪神社だ。
『額には神社名が書かれてないねぇ』


さらに親水路を進む。


身体が温まってきた。
上着を脱いで腰に巻いて歩く人も。


10時31分、東屋があったので、ここで一休みしていこう。


KKさんはリュックを椅子代わりにしてご満悦の表情である。


親水路をさらに進む。


水路を掃除している人が。
『ご苦労さまですっ』
『時々掃除をしないと汚れちゃうんでしょうねっ?』
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飛び石状態に石が配置された水路を進む。
『いろいろと工夫されているので歩いていて退屈しないよねっ』


水鳥の様子(1)
気持ち良さそうに泳いでいる姿が可愛い。


水鳥の様子(2)
人を恐れることもなく実に堂々と眠っている。


『近づいても逃げようとしないんだよねっ』


10時44分、見沼代親水公園の終点に到着した。
約1.7Kmの親水路とあったが、最初の東屋から凡そ33分かかったことになる。


続いて真っ直ぐ”赤山街道”を進み、


東武バスの「はんの木橋」停留所を過ぎると、


道路が西保木間と竹の塚方面に分岐していた。


分岐点を西保木間方面へ。


淵の宮氷川神社を目指す。


10時57分、淵の宮氷川神社に到着した。


参道を進む。
神社境内のあちらこちらにいろんな神社が合祀されている。


この浅間神社もそのうちの一つだ。


淵の宮氷川神社の創建年代は不詳だが、淵江領では最古の氷川神社で、淵江領の総鎮守社であったといい、
その後伊興村・竹塚村・保木間村の鎮守社となったと云われる。
明治5年村社に列格した。


淵の宮氷川神社を後にして、伊興遺跡公園を目指す。


住宅街を進むが・・・路地を一つ間違えてしまい、伊興遺跡公園に辿り着くのに
かなり回り道をしてしまった。


道に迷うこと約10分の11時19分、ようやく伊興遺跡公園に到着した。
伊興遺跡公園は、古墳時代の祭祀遺跡で神事に使われた飾りや土器が発掘された。
伊興遺跡は、この公園と隣り合う氷川神社を北限とし、南へ660m・東西690mの広がりをもつ、
都内でも屈指の古墳時代遺跡である。
以前から多数の遺物が出土していることから、地元の人々や一部の考古学研究者の間では知られていたが、
昭和30年代に入り、國學院大學の故大場磐雄教授が学会へ紹介したことにより、世に知られることとなった。


方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)
古墳の前身をなす弥生時代に出現した墓である。
周囲を溝で区切りなだらかな墳墓もあったとされている。
稲作農耕の発展に伴い、ムラムラで力をつけた有力者の墓であり、数体の遺体を埋めた墓もあった。
やがてムラムラは統合されて国になり、強大な権力のもとに古墳が造られるようになった。
しかし、方形周溝墓そのものは古墳時代になっても造り続けられた。
有力者の間でも階級差が発生し、古墳を造り出すことの出来ない地位の低い有力者の墓と考えられている。
遺跡公園で見つかった方形周溝墓もこの頃に造られた。


伊興遺跡公園では竪穴式住居を復元・展示している。


中の様子が見られるようだ。


古墳時代(6世紀)の「竪穴式住居」内部の様子
土器や木製の容器を編んで作ったカゴには、お米をはじめ周辺で取れた食べ物が並んでいます。
川ではコイ・カラス貝など、海ではサバ・スズキなど、川と海の両方の魚や貝を捕ることができました。
川辺近くに広がる池や沼地では、蓮の実・レンコン・ヒシの実が、シカやイノシシがいる森からは、
クリ・キノコ・ヤマイモなどが採れました。
また、ヤマモモ・カキなどの果物の種も見つかっています。
(説明板より)


伊興遺跡展示館


公園内の展示館では、これまでの出土品のいくつかを集めて展示している。


展示品の一部


女性の皆さんはちょっと疲れた様子


伊興遺跡公園を後にして、舎人公園を目指す。


足立区立伊興東小学校の前を通り、


住宅街を通って、


舎人公園を目指す。


ライフの横を通り、


足立区立伊興中学校を左に見ながら、


なおも住宅地の中を進む。


そろそろお昼時、蕎麦屋の看板が気になりだす時間帯である。


11時50分、舎人公園の東端に到着した。


『ようやく舎人公園に着いたんだね~っ』


目の前の石段を上り、


さらに一段高いところの”あさひの広場”に出た。
『舎人公園って広いんだね~っ』
舎人公園駅を挟んで東西に広がるその面積は約69.5ha、東京ドーム15個分に相当する、そうだ。


『ここから見える景色なんだねっ』


『いやぁ なかなか素晴らしい眺めなんだけどねぇ 晴れてれば』
この日は東京スカイツリーも霞みがちであいにくの天気である。


多目的広場前を通り、大池方面へ。


前方に大池が見えてきた。


当初の計画では、大池を一周する予定だったが、時計は既に12時を回ってお腹も空いて来た。
広い舎人公園の冬景色を見て回るのにそれほど楽しみは感じられないといった様子なので・・・
ここは真っ直ぐ舎人公園駅を目指すことにしよう。


大池傍の噴水へ行って見ると・・・あららっ 噴水は止まった状態だった。


どうやら冬の期間は止めているようだ。
『せめて噴水だけでも見れたら良かったのにね~っ』
残念!


もう一つの噴水を経て舎人公園駅へ。


前方に舎人公園駅が見えて来た。


こちらの噴水も止まっていた。


ほぼ正面が舎人公園駅である。


12時17分、舎人公園駅に到着。


日暮里・舎人ライナーの線路(日暮里方面)


『あの辺を歩いて来たんだよねっ』
駅のホームから舎人公園を望む。


12時20分発の日暮里行きに乗り、


日暮里には20分足らずの12時38分に到着した。
『いやぁ 早いね~っ もう着いちゃったのっ?』


この日は日暮里駅でひとまず解散して、昼食場所を求めて日暮里駅前へ。


日暮里駅前にはいろんな店があるので、迷ってしまう。
途中で引き返し、結局最初に目に止まった「しゃぶしゃぶ ”団”」という店に入ることにした。
「しゃぶしゃぶ ”団”」はビルの8Fにあった。


先ずは生ビール(中ショッキ480円 税別)を注文


『かんぱ~いっ』  『お疲れさま~っ』


『いやぁ 最初の一杯はほんとに美味しいよな~っ』


この日は10人が同席することとなった。


皆さん、それぞれお好みのしゃぶしゃぶを注文。


自分はしゃぶしゃぶセット(牛・豚・鶏肉の3品と野菜、ご飯がッセットで1,000円 税別)を注文した。
意外と食べ応えがあった。


最後にソフトクリームも付いていたのにはビックリ。
『これで1,000円(税別)はちょっと得した気分だよねっ』


食後は、JR日暮里駅に向かい、


14時16分発の常磐線快速で家路に就いた。
時間が早かったので、日暮里駅からでも充分に座ることが出来た。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅から舎人公園駅までを歩いた。
日暮里・舎人ライナーに乗るのは2度目になる。
見沼代親水公園は、我々の年代にとってはちょうど良い散歩道であるが、
もう少しアップダウンがあればなお良いと思うが、いかがだろうか。

伊興遺跡公園への道を間違って、10分ほどロスしてしまったのは今回の反省点である。
方形周溝墓や竪穴式住居の復元などもあって、学ぶ所が多かった。

東京ドーム15個分という舎人公園の広大さには圧倒された。
ただ、冬の時期は期待していた噴水も止まっていたため、
緑の濃い春から夏あるいは秋に時期をずらすなどして
訪れるのが良いと思った。

この日の万歩計は、14,000歩を計測していた。

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飛来地を目前に大回り ヒシクイコース散策

2020年01月17日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年1月17日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第28回(2020年第2回)、「ヒシクイコース散策(江戸崎)」ウォーキングに参加した。

この日は例会終了後に臨時役員会を予定しているため、いつもは土浦ピアタウンに集合する
メンバーも乙戸沼公園に集まった。
何名かは第二集合場所の江戸崎のリバーサイドパークに直行すると思われるが、
乙戸沼公園に集まった参加者は合計9名とやや少ない。
『今日は寒いからね~っ』


車2台に分乗して江戸崎のリバーサイドパークへ車を走らせた。
リバーサイドパークには9時48分に到着した。


リバーサイドパーク(別名かぼちゃ公園)


『リバーサイドパークってけっこう広いんだねっ』


リバーサイドパークに集まったメンバーは、16名。
最小人数とはならなかったが、地元近郊にしてはちょっと寂しい人数である。
やはりこの寒さが影響しているのだろうか。


各自体調を整え、


10時ちょうど、いつものようにTKさんを先頭に出発!


リバーサイドパークの出口だと思って橋を渡り、


引き返す形で出口を探すが見つからない。
『出口がないみたいよっ』


『柵を越えないと外に出られないみたいなのよねっ』


『どっこらしょっと』  『気を付けてっ』


柵を越えてリバーサイドパークの外に出ると目の前は小野川である。
いくつかの小型ボートが係留されていた。


小野川に沿って時計回りで歩くことにした。
『小野川を歩くのって初めてだよねっ』


舗装された河畔の道路を進む。


小野川の水面には水鳥や


川鵜が羽を休めていた。
『ヒシクイが見れると良いわね~っ』
『つい最近、TVで紹介されてたよねっ』


小野川沿いの河畔を進む。


『あれはアオサギだよねっ』


舗装された道路は砂利道に変わり、枯草が生い茂っていた。
『いやぁ 歩き難いよねぇ』


『ずっとこんな道なのかしらっ?』


溜まらず土手を降りてみると・・・


舗装された道が続いていた。
『なんだぁ こんな良い道があったんだぁ』
『最初からこっちを歩けば良かったんだねっ』


河畔内側の道路を進む。


しばらく道なりに進んで行くと・・・前方から1台の車が。


この先の道路直ぐ近くにオオヒシクイが飛来しているので、ここから先は進まないで欲しい、とのこと。
数人ならまだしもこれだけの人数が通ると、オオヒシクイは驚いて飛去してしまう、のだそうだ。
鹿島方面に飛去するそうだが、飛去すると直ぐには戻って来ない、のだと言う。


デジカメの望遠を最大にして、何とかオオヒシクイの姿を捉えることが出来た。
その距離は凡そ150mほど。


オオヒシクイの群れ
飛来数は年々徐々に増え、今年は約190羽が飛来している、とのこと。
関東地方ではここ稲波干拓地区だけだそうで、2番穂を餌にしている、とのこと。


監視員の指示により、オオヒシクイの飛来地を避けて回り道をすることに。
来た道を小野川の土手とは反対側へ直角に折れてしばらく直進する。


『時間はかかるけど まあしょうがないねっ』


200mほど先の用水路で右に曲がり、


今度は用水路に沿ってしばらく直進。


300mほど進んだ所を右に曲がって最初の道に戻ろうとしたとき、遠くで監視員らしき人から
『もう少し先っ』と叫ぶような声が。
曲がる場所を間違えたらしい。


指示に従っていったん用水路沿いの径まで戻ってさらに直進。


自転車でやって来た監視員の人からもう少し先を曲がるように指示された。


指定された径を小野川の土手方向へ。


『ヒシクイからはかなり離れちゃった感じだよねっ』


小野川の土手に向かって径を進んで行くと、前方に楊排水機場らしき建物と、


ヒシクイ観察小屋があった。


ヒシクイ見物のお願い事項
ヒシクイ(天然記念物)
この鳥は、夏にシベリア等で繁殖し、冬にヨーロッパ南部~東アジアに飛来する”ガンの仲間”です。
日本への渡来は局地的で、ここ稲波干拓周辺は関東地方唯一の越冬地となっています。
鳥獣保護区内はもちろん、周辺部での発砲やヒシクイへのいたずらはしないようお願いします。


ヒシクイ観察小屋の中を覗いてみよう。


ヒシクイ観察小屋内部(1)
事務所のような感じだ。


ヒシクイ観察小屋内部(2)
オオヒシクイは羽を広げると180Cm”  ”オオヒシクイは天然記念物”などの文字が見える。
雁の仲間オオヒシクイは、国が指定する天然記念物「文化財保護法」に指定された貴重な鳥です。
オオヒシクイは、日本で最も大型の雁で、関東地方には昔沢山のオオヒシクイが来ましたが、
今では毎年飛来する場所は、関東地方で稲波干拓地区だけになってしまいました、などと書かれている。


ヒシクイ観察小屋内部(3)
オオヒシクイの写真


観察小屋の近くの土手の上にカメラが据えられていたので、オオヒシクイの姿を見せてもらうことに。
『これで見えると思うよっ』 ポイントが定まったようだ。


『あ~っ 見える 見える』


順番にカメラを覗いて見ることに。
『ほんとだっ よく見えるわねっ』
『首が長いよねっ』


観察小屋前の小野川にはたくさんの渡り鳥が群れていた。


この後、オオヒシクイに関する説明を聞き、


観察小屋を後にした。


『農道に入っちゃいけないのかねぇ』
『車が対象なんじゃないのっ?』


国道125号を目指す。


11時40分、国道125号沿いのうなぎ料理屋「喜久」に到着した。
これでこの日のコースのほぼ半分歩いたことになる。


うなぎ料理屋「喜久」
以前から一度寄ってみたいと思っていた店だが・・・未だに実現していない。


うなぎ料理屋「喜久」の道路向かい側にコンビニがあった。
ここで、体調を整えてもらうことにしよう。


外で待つ間に軽いお茶タイムだ。


残り半分、先を急ぐことにしよう。


小野川に架かる新古渡橋を渡る。


旧桜川村の古渡地区の集落を見ながら進む。


車が通らないのを見計らって新古渡橋を横断し、


今度は、小野川の対岸をこれまでとは逆方向に歩くことに。
『あと半分歩くんだねっ』 『まだ先は長いねっ』


小野川には淡水真珠の養殖棚が見えるが、今は使われていないようにも見える。


対岸の遥か彼方に筑波山が見えた。
『やっぱり筑波山は格好良いわよね~っ』


ゴールのリバーサイドパークを目指す。


淡水真珠の養殖棚が続く。


釣をやっている人が・・・
『何が釣れるのかしらっ?』


『この寒いのにじっと耐えるっていうのも大変でしょうねっ』


あちこちに水溜りがあって歩き難い。


一休みして、皆さんが見つめてるのは・・・?


小野川に浮かんでいる水鳥のようだ。


ゴールのリバーサイドパークを目指す。
『まだ距離はかなりありそうだねっ』


ゴールのリバーサイドパークを目指す。
『疲れちゃった』


ゴールのリバーサイドパークを目指す。
『今日は歩き応えがあるなぁ』


12時34分、高田第一楊排水機場前を通過。
湛水防除事業竣工記念碑には、「治水豊穣」の文字が刻まれている。


道は堤防下へと続いていた。


再び堤防上へと続き、堤防上を進むと・・・
前方に高田橋が見えて来た。


県道103号に出て高田橋を渡る。


高田橋の下を流れる小野川


当初は、高田橋を渡った後、左に折れて江戸崎総合運動公園内を歩く予定だったが、
時間的なこともあり、県道103号をそのまま進むことにした。
時計は既に12時45分を過ぎていた。


県道103号をリバーサイドパークを目指す。


コンビニ(セブンイレブン)を通過。


続いて稲敷警察署を通過。


江戸崎体育館入口を通過すると、


大正橋が見えて来た。
『なかなか格好良い橋だよねっ』


大正橋の下は小野川の一番奥まった所になる。


大正橋を渡って直ぐを右に曲がり、


小野川沿いに進む。
ゴールのリバーサイドパークは目の前だ。


12時58分、リバーサイドパークに到着した。


『あ~っ やっと着いた~っ』


『疲れちゃった~っ』


お互いに万歩計を見せ合う一コマ
『今日はかなり歩かされちゃったんだよね~っ』
『18,000歩を越えちゃってるわよっ』


『甘いお菓子でもどうぞっ』  『御馳走さまぁ』
この後、めいめい車で帰路に就くことになった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


稲敷市江戸崎のヒシクイコースを始めて歩いた。
オオヒシクイの飛来地を目の前にして大回りさせられるとは思ってもいなかった。
今までオオヒシクイについては全く知らなかったが、今回のウォーキングでそのほんの一部を
知ることが出来たのは大きな収穫だった。
今回は、飛来して採餌する姿を見ただけだったが、羽を広げると180Cmにもなるというオオヒシクイ、
機会があれば、次は群れで飛翔する姿を是非とも見てみたいものである。

この日の万歩計は、16,000歩を計測していた。

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うな重に舌鼓 「柴又七福神」巡り

2020年01月10日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年1月10日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和元年(2019年)度第27回(2020年第1回)、「柴又七福神巡り」ウォーキングに参加した。
令和初の「七福神巡り」ウォーキングである。
場所は葛飾区柴又の「柴又七福神巡り」、帝釈天参道でのうなぎ料理が楽しみの一つだ。

荒川沖駅7時59分発の電車を待っているところ。


松戸駅で各駅停車に乗り換え、次の金町駅で下車。
JR常磐線の地下道を通り、


京成金町駅へ。


京成金町駅に向かう。


京成金町駅で京成高砂行に乗車。


通勤時間帯が過ぎていたためか、車内は空いていた。
この日の参加者29名が一つの車両に乗り合わせても全員が楽に座れた。


9時14分、京成金町から2つ目、終点の京成高砂駅に到着。
『あらっ もう着いちゃったんだっ』


京成高砂駅前には「柴又七福神」(寿老人)が祀られている高砂観蔵寺の案内板が。


この日のルート説明や点呼を取り易くするために二組に分けるなどして、


9時23分、「柴又七福神」の最初の観蔵寺(寿老人)を目指して出発!


京成金町線に沿って住宅地を進む。


住宅地の中を案内板に従って進む。
『案内板があるから初めての人は助かるよねっ』


9時29分、「柴又七福神」の寿老人を祀っている観蔵寺に到着した。
京成高砂駅から6分ほどであった。
『意外と近かったわねっ』


「柴又七福神」 寿老人 金亀山神宮院観蔵寺
当山は、文明元年(1469)の開創であるが、永禄七年国府台合戦により焼失し、
承応二年(1654)、法印隆教が再興する。
寿老人は七福神の第一におかれる長命の神で、寿福を司どる神様である。
日本では室町時代より信仰が盛んである。
葛飾区 葛飾区観光協会


本堂の前に”寿老人”と刻まれた石碑が建てられていた。


金亀山神宮院観蔵寺本堂


『元気で長生き出来ますように』


観蔵寺の境内には真っ赤な幟に囲まれた水子地蔵が祀られていた。


観蔵寺を後にして、次の目的地である恵比寿天を祀る医王寺へ。


歩道のない住宅地の道路を進む。
『けっこう車が多いから気を付けないとねっ』


目の前に現れたのは”崇福寺”という寺である。
どうやら道を間違えたようだ。


近くの人に「柴又七福神」の医王寺を尋ねるが、あまりご存知ではないという方が多く、
場所も不確かな感じだった。
それではと、医王寺の最寄り駅の”新柴又駅”への道を教えてもらい、


住宅街を進むが・・・
道路がたくさんありすぎて、又も道が分からなくなってしまった。


近くに郵便局があったので、道順を訊ねることにした。
局員の方が親切丁寧に教えてくれた。


簡易な地図を片手に教えてもらった道を進む。


柴又駅を左手に見ながら京成金町線の踏切を渡り、


”柴又親商会”という名の商店街を進む。
それにしてもかなりの大回りになってしまったものである。


『あらぁ 美味しそうな果物だよねっ』
女性陣は、道に迷っていることなどまったく気にする様子ではない。
正直言って羨ましい。


10時15分、ようやく柴又街道(都道307)に出ることが出来た。
ここからは間違いなく医王寺に行けるだろう。


柴又街道を進んで行くと・・・


前方に北総鉄道北総線の高架が見えて来た。
『高架の隣が新柴又駅なんだねっ』


10時23分、新柴又駅に到着した。


北総線の高架を潜って直ぐに左折し、50mほど進んだところに、”福徳恵比寿天 医王寺”の立て札が。
『立て札があるってことは、あと少しってことだよねっ』


北総線の高架を右に曲がると・・・


10時29分、福徳恵比寿天 医王寺の山門に到着した。


仁王像(吽像)
『筋骨隆々でとても力強く感じるよねっ』


医王寺境内に並べられた石仏群


「柴又七福神」 恵比寿天 医王寺
中興祖源珍僧都という御方が宗祖弘法大師の足跡を巡行中、村人より一体の恵比寿天を戴かれ、
山中に安置し香華供物を供え二十一日間の御修行をすると、川底より砂金を掬い上げた。
後に恵比寿天を礼拝すれば商人は金銭意の如く集まると唱え、多くの世人に広めた。
当山代々住職は、その偉業を尊び伝承し今日に至らしめたものである。
葛飾区 葛飾区観光協会


弘法大師像


医王寺本堂にお参りし、


次の目的地、大黒天を祀る宝生院へ。


宝生院は、北総線の線路のちょうど反対側になる。
北総線の線路を潜って簡易地図を頼りに探すがなかなか見つけることが出来ない。
宝生院は、題教寺(柴又帝釈天)の墓地に隣接しているということが分かった。
題教寺(柴又帝釈天)の墓地の前を通り越すと・・・


10時48分、その隣に建つ宝生院に到着した。


宝生院の入口には大きな文字で
柴又七福神 大黒山 出世大黒天 宝生院
と書かれた看板が立てかけられていた。


「柴又七福神」大黒天 宝生院
米俵に乗っている大黒天は、インドの神様と大国主命の習合。
当寺に安置する大黒天は、将軍家にも信仰が深く、大きな袋と打ち出の小槌で、
多くの人々を救済する「出世財福」の御利益で有名である。
※頭光のある火焔、光背を負った不動明王像が透彫してある「寺宝金銅幡残欠」は、
葛飾区文化財に指定されている。
葛飾区 葛飾区観光協会


宝生院本堂にお参りし、


次の目的地、福禄寿を祀ってある万福寺へ。


万福寺を目指す。
『この道を行けばいいのよねっ』


途中、近道と思しき斜めに走る径があったので、進んでみる・・・


細い径を抜けると、柴又七福神 福禄寿 万福寺の案内板があった。
『良かったわぁ この径で良かったんだねっ』


近径を抜けた先の細い道路を進むと・・・


11時6分、万福寺に到着した。


「柴又七福神」 福禄寿 万福寺
短身長頭で白い髭の福禄寿は、中国の神様で南極老人星の化身。
福は幸福、禄は高禄、寿は長寿の三徳を兼ねた神様。
当山安置の福禄寿は、年代不明であるが、宍戸家に伝えられた家宝仏であったものを奉納され、
以来当山に祀られている。
葛飾区 葛飾区観光協会


万福寺本堂にお参りを済ませ、次の目的地題教寺(柴又帝釈天)へ向かうことにした。


題教寺の南大門があり、ここから入ることも出来たが、正門から入ることにして南大門は素通りだ。


11時17分、経栄山題経寺(柴又帝釈天)の正門前に到着した。
『堂々とした構えだよね~っ』
『やっぱり ここから入らなくちゃねっ』


正門を潜って境内に入ると、大勢の人が参詣に訪れており、かなり賑わっていた。


「柴又七福神」 毘沙門天 題経寺
甲冑を着けた毘沙門天は、インドの神様で右手に宝棒(鉾)を持ち、左手に宝塔を捧げ、
足下に悪業煩悩の天邪鬼をふみつけている。
仏教の教えを守るとともに、招福・財福を授けてくれる神様である。
また、別称多聞天といい、四天王のひとりとして、北方守護神として祀られている。
葛飾区 葛飾区観光協会
(うっかりして、写真を撮り忘れてしまった)

題経寺本堂にお参りを済ませ、


本堂をバックに記念撮影だ。


記念撮影の後、楼門を潜って外に出ると・・・


目の前に柴又帝釈天の参道が続いていた。
真直ぐに進みたかったが、七福神巡りを終ってまた戻って来ることにしよう。


題教寺の西門前を通り、


鐘撞堂を見上げながら次の目的地真勝院を目指す。


11時32分、弁財天を祀っている真勝院に到着した。


「柴又七福神」 弁財天 真勝院
当寺の弁財天は、金光明経に表されてる八臂像の仏像で七福神中唯一の女神です。
インドの経典に出てくる、河川を神格化された水の神様で、五穀豊穣の神様。
さらに、河の流れを言葉に置きかえると詩・学問・芸能の神様でもある。
当山の弁財天の由来・年代等は不明であるが、弁天供養に使われる六器(仏具)が保存されていることから、
古くから近郷在住の人々により信仰されていたものとおもわれる。
葛飾区 葛飾区観光協会


門を潜ると五智如来石像が迎えてくれた。


密教では大日如来の知恵を五つに分け、これに五仏をあて五智如来といいます。
真言の行者は発心修行の結果、この五智を得ることができると言われています。
この五智如来石像は、造立碑から万次三年(1660)柴又村の名主済藤次良衛門と、
相模伊勢原村の鳥居九良左右衛門等により、逆修供養(生前自分の死後の冥福を祈って
仏事を営むこと)のために建てられたものです。
向かって右から阿閦如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就如来の順に並び、
中央の宝冠を戴く大日如来を、真言宗では最高の仏として寺院の本尊としています。
葛飾区教育委員会


真勝院本堂にお参り


『残りはあと一か所だよねっ』


真勝院を後にして宝袋尊を祀る最後の良寛寺へ。


京成金町線の線路沿いに進んで行くと、前方左手に良寛寺が見えてきた。


京成金町線の線路を渡り、


11時49分、宝袋尊を祀る良寛寺に到着した。


良寛寺の境内には、たくさんの水子地蔵が並べられていた。
『可愛らしいお地蔵さんだねぇ』


境内には永代供養合葬墓 やすらぎの碑や


ペットやすらぎの碑などが建てられている。
『ペットやすらぎの碑なんて珍しいわよねぇ』


「柴又七福神」 宝袋尊 良寛寺
当山の宝袋尊は、江戸時代初期に商人が都からの帰りに、山中で日が暮れ、民家の宿を借り一夜を明かしたが、
民家と思ったのは大木のうろの中で、驚いてうろの中を見渡すと布袋尊がおられた。
尊像を店に持ち帰りお祀りしたところ、商いは大いに繁盛した。
この御利益を大勢の人々のお役に立てたいと発願し、宝袋尊と称して当良寛寺に奉納せられるに至った。
葛飾区 葛飾区観光協会


良寛寺本堂にお参り


良寛寺には、でっかい”願掛け寶袋尊”の石像が。
寶袋さんの大きなお腹に両手を当てて、自分の達成したい願いを一心に念じて下さい。
御尊徳をいただき願い事を叶える新たな力を授かろうとする願掛け寶袋尊です、とある。
(以下略)


良寛寺の宝袋尊で柴又七福神巡りを全て終わったので、ゴールの柴又駅へと向かった。


柴又八幡神社の前を通り、


京成金町線の踏切を渡り、


12時7分、ゴールとなる京成柴又駅に到着した。


駅前の寅さん像の前で”寅さん”が観光客と一緒にカメラに収まっていた。


会長(TKさん)の挨拶で一先ずここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでした。 今年も元気で楽しく歩きましょうっ!!』


いつものメンバー(7~8名?)は、帝釈天の参道にあるうなぎ屋を目指すことにした。
帝釈天の参道へと続く商店街を通り、


帝釈天参道へ。


帝釈天の参道風景(1)


帝釈天の参道風景(2)


帝釈天の参道風景(3)


帝釈天の参道風景(4)


帝釈天の参道風景(5)


帝釈天の参道風景(6)
川千屋に入ることにした。
いつの間にか人数が増えてその数は13名となった。


先ずはビールで乾杯だ。
『かんぱ~いっ』  『お疲れさまでした~っ』
『いやぁ 久しぶりにビールが美味いっ!』


食事風景(1)


食事風景(2)
その後4名が加わり、全部で17名となった。
これほどの人数が一箇所に食事で集まったのは記憶がない。


この日注文したのはうな重の”梅”、税込みで3,200円とまあまあ値段は手ごろである。
17名全員がこのうな重”梅”を注文した。


食事風景(3)
柴又帝釈天前の参道で”うな重を食べる”という目標を達成することが出来て一安心といったところだ。
『脂の乗りはもう一つだけど、味はまあまあ良いんじゃないっ』という声も。


川千屋での食事も終わったので、柴又帝釈天の山門をもう一度見ておこう。


その時、”寅さん”とすれ違った。
柴又駅方向へ向かうところだった。


「とらや」で土産のだんごを買って、柴又駅へ。


柴又駅に着くと、”寅さん”が寅さん像の横に立ってにっこりと笑顔を振りまいていた。


柴又駅から京成金町行の電車に乗り、


京成金町駅からJR金町駅に向かい、常磐線で帰路に就いた。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

令和初の「七福神巡り」となる「柴又七福神」巡りを無事終わることができた。
念願の”うな重”を食べることができて、一安心といった感じである。

この日からまた新しい年の例会が始まったことで、気を引き締めて臨みたいと思う。
昨年は”雨で中止”が6回もあり、いつになく雨が多い年だった。
今年も雨に降られないよう祈るばかりである。

この日の万歩計は、12,000歩を計測していた。

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