ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

りんりんロード(筑波~岩瀬20Km)を歩く

2020年04月06日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2020年4月6日(月)

「りんりんロード」(土浦~岩瀬)を歩くのは、今から10年半前の平成21年(2009)9月16日(水)
に歩いて以来となる。
前回(2020年3月25日)土浦~筑波までの20Kmを歩いたので、この日は筑波~岩瀬までの
20Kmを歩くことにした。
前回に続き、旧筑波駅まではかみさんに車で送ってもらった。

出発前、記念に撮ってもらったのがこの1枚である。


9時15分、かみさんと別れ、旧筑波駅跡を出発!
「りんりんロード」終点の旧岩瀬駅跡を目指す。


旧筑波駅からは4‐5分咲きの桜並木が続く。


右手には筑波山が『頑張れよっ!』と見送ってくれているようだ。
左が男体山(871m)で、右が女体山(877m)である。


歩き始めて直ぐに、土浦から20Kmの標識があった。
9時17分、この日のスタートとしよう。


9時19分、県道42号を潜ると・・・


「りんりんロード」の両側には、いろんな花が咲いていた。
花桃のような紅い花や、


真っ白い花もある。


これは八重桜のようだが、まだ開花直後と言った状態だ。
近いうちに見頃を迎えることだろう。


杏子のような花もある。


女体山はほぼ見えなくなり、男体山だけが聳える状態になった。
刻刻と筑波山の姿が変化するのを見るのは楽しい。


筑波山の中腹は、山桜が満開のようだ。
麓の新緑は萌えているようだ。


「りんりんロード」を進む。


これは八重桜だろうか?


牡丹桜(八重桜)?
間もなく満開を迎える感じである。


紅や、


白、


芽吹いたばかりの若葉だが、まるで秋の紅葉のようで美しい。
まさに花と葉の競演である。


9時32分、土浦から21Km地点を通過。


比較基線場の設備があった。
説明板によると、つくば市国松付近に設置されたものとある。
ということは、ここはつくば市国松なのだろう。


花(八重桜)いっぱいの「りんりんロード」を進む。


右手には姿が少しづつ変わる筑波山が見える。
ここからは単独峰に見える。


上大島付近のちょっとだけ広い道を横切り、


「りんりんロード」を進む。
両側には開花間近の並木が続く。
これからが楽しみな並木である。


満開を迎えた桜の木もあれば、


既に緑一色になった木も。
開花時期が異なるいろんな木が植えられているので、長い期間楽しめるということだ。


早くも青空に泳ぐ鯉のぼりの雄姿も。


9時46分、土浦から22Km地点を通過。


この先、「りんりんロード」は直角に曲がっている。


直角に曲がると県道41号に突き当り、直ぐに右へ折れている。
このあと、「りんりんロード」はしばらく県道41号を進むことになる。


コンビニの少し先の上大島バス停を通過すると、


9時53分、桜川市に入った。


右側の道路反対側に一見古そうで落ち着いた雰囲気の店があった。


㈱杜匠 キャビアの里の看板が。
国産キャビア販売中と書かれている。
つくば市にキャビアの販売店があるとは知らなかった。
HPで調べてみると、キャビアは茨城県内で養殖されたチョウザメから採れた純国産で、
下記の値段で売られている、そうだ。
けっこう良い値段ではある。
スタージョンキャビア¥6,480 / 20g  
スタージョンフィッシュミート¥1,080 / 180g


9時57分、土浦から23Km地点を通過。


土浦から23Km地点を過ぎると、「りんりんロード」は別の車線になった。
左からりんりんロード、歩道、車道の3つが並んでいる。それもけっこう広い。
なんとも贅沢な道ではある。


大小さまざまな形をした石灯籠が陳列されていた。
桜川市真壁町は石の町でもあるのだ。


右手には男体山(右)と坊主山(左)が聳える形になった。


10時6分、旧酒寄駅跡に差し掛かった。


旧駅跡のホームには、桜の木が1本植えられていた。
根元には、”さかより こども会と書かれた表札が立て掛けられていた。
酒寄の子供たちが植えた桜なのだろう。


10時12分、土浦から24Km地点を通過。


旧酒寄駅跡を過ぎて少し行くと、「りんりんロード」は県道41号と分岐している。


左の「りんりんロード」を進む。


しばらく進むと、「りんりんロード」は緩やかに右へカーブしていた。


緩やかな右カーブを曲がると、視界が開けた。
前方に筑波連山の加波山と燕山が見える。


筑波連山をパノラマで見るとこんな感じ。
遠くに燕山、加波山が。手前は筑波山である。


10時33分、土浦から25Km地点を通過。


「りんりんロード」が一部アップダウンの状態になっている。
スピードを抑制するためなのだろうか? それとも単なるアクセントなのか?
ここのアップダウンは、車線が異なっているのが特徴である。


時折、サイクリング車が軽快に追い抜いて行く。


「りんりんロード」の脇に小さな鳥居があった。
これは神社? それとも祠?
まあそんなことはどうでも良いことだ。


ちょっと参拝して行くことにした。
あいにく神社?の名前は分からない。


10時49分、土浦から26Km地点を通過。


「りんりんロード」がくねくねと曲がっている。
スピードのある自転車は走り難いのではなかろうか?
つい余計な心配をしてしまう。


10時59分、旧紫尾駅跡を通過
この辺りは真壁町椎尾という地名だが、駅名は紫尾と付けられていた、ということである。
どちらも発音が似ている。


ホームには満開の桜が。
筑波鉄道の旧各駅跡には必ずと言っていいほど、桜の木を見ることが出来る。


11時4分、土浦から27Km地点を通過。


石材を扱っている店(工房)を見かけるようになった。
石の町真壁町である。


真直ぐに伸びる「りんりんロード」
前方に見えるのは加波山・燕山の筑波連山である。
左端の方には、雨引山も見えるようになった。


また、「りんりんロード」が一部アップダウン状態になっている箇所があった。
ここは、車線は分かれていない。


右手には、筑波山が。
男体山(右)と女体山(左)がスタート時とは逆の状態になっている。


また、「りんりんロード」がくねくねと曲がっている箇所が。
旧筑波鉄道の線路がこのように曲がっていたとは思えないが???
アクセントを付けるためにこのように曲げて舗装したのだろうか?


11時18分、土浦から28Km地点を通過。


前方に見えるのは桃山学園義務教育學校だ。
ポプラと桜の木が校庭を囲むように植えられている。


小学生と思しきたくさんの子供たちが校庭に集まっているのが見える。
今日は4月6日(月)、始業式か何かが執り行われているのだろうか?
(4月6日(月)は新任式と始業式が、また4月7日(火)は入学式が行われた、とのこと)


中学生らしき生徒たちは自転車で学校を後にしている。


子供たちもこの「りんりんロード」を走って通学しているのだ。


真壁方面へ帰る子供たち。
追い越す際には必ず『こんにちは』と挨拶を欠かさないのが気持ちが良い。
こちらも『こんにちは』と言葉を返した。
明日(4/7)からは、通常の授業が始まるとのこと。


11時33分、土浦から29Km地点を通過。


ひなの里保育園手前の小さな公園に、”真壁町りんりんロード桜の会”の碑があった。
昭和62(1987)年、筑波鉄道の廃線により、茨城県が、サイクリングロードとして整備。
平成12(2000)年、桜の苗木オーナーを募集し、真壁町酒寄から小幡間(約10Km)に、
壱千本余の八重桜(紅華)を植樹する。
と記されていた。


県道7号を潜って進み、


11時43分、土浦から30Km地点を通過。


八重桜(紅華)と思われる並木を進む。


左手に大林院というお寺があった。
日蓮宗の寺院である。


お寺の手前の枝垂桜が満開状態だった。
見事な八重の枝垂桜に思わず見惚れてしまった。


11時49分、「りんりんロード」真壁休憩所に到着した。


筑波休憩所から9.9Km、雨引休憩所へ5.3Kmとある。
筑波~岩瀬間のほぼ真ん中まで来たことになる。


旧真壁駅跡
ホームの八重桜は満開に近い状態だ。


旧真壁駅跡のホーム
廃線になる前からホームには桜の木が植えられていたのだろうか?


茨城百景の石碑
傳正寺と真壁城址が指定されている。


小さな芝生の公園があったので、小休止して行くことに。


ゴールの岩瀬駅まであと約10Km、頑張って歩こう!
朝方、コンビニで昼食代わりに買ったおにぎり(赤飯)とパンを頬張りながら進む。


12時8分、土浦から31Km地点を通過。


直ぐ横を県道41号が走っている。


「りんりんロード」脇に咲いている芝桜が美しい。


こちらは紅白の芝桜だ。


県道41号沿いにコンビニがあったので、ちょっと立ち寄って、飲み物(コーヒー)を買った。


コーヒーをすすりながら、加波山・燕山の景色を楽しみながら歩くのも悪くない。


12時34分、土浦から32Km地点を通過。


12時39分、「りんりんロード」旧樺穂駅に到着した。


ホームに建てられた茨城百景の石碑には、加波山と足尾山が指定されている。


ホームの桜の木は、かばほさくら(樺穂桜)と命名されている。


ENKEIという工場のような建物が・・・
アルミ鋳造技術を継承し、エンジン部品の鋳造を行っている会社、とのこと。


「りんりんロード」の舗装の色が青色になった。
この日は朝からいろんな色を見てきたが、青色も涼し気でなかなか良い。


鉄柱の先端に突然見かけない鳥が止まった。
タカ(ハイタカ)のようだが、正確には分からない。
もう1枚と思ってカメラを構えたら、カラスに追われて直ぐに飛び立ってしまった。
残念! (カラスのバカタレ!!)


12時52分、土浦から33Km地点を通過。


県道41号沿いに観音様のような石像が並んでいる。


雨引休憩所を目指して「りんりんロード」を進む。
路面が赤っぽい色に変わった。


右手には、筑波連山が連なる。
雨引山がかなり近づいてきた。


「りんりんロード」を進む。


13時7分、土浦から34Km地点を通過。


振り返ると、筑波山が彼方に見えた。
この日筑波山を見るのはこれが最後となった。


12時39分、旧東館田駅跡を通過。


「りんりんロード」脇に無造作に置かれている大きな石灯籠が印象に残る。


13時23分、土浦から35Km地点を通過。


雨引山が次第に大きく見えるようになった。


雨引山楽法寺「雨引観音」の三重塔もよく見える。
坂東観音霊場第二十四番札所の名刹である。
今から10年以上前の2009年3月2日(月)に”坂東33観音霊場巡り”で訪れている。


薄いブルーの「りんりんロード」を進むと・・・


13時28分、旧雨引駅跡(雨引休憩所)に到着した。
ホームの桜が満開状態だ。


真壁休憩所から5.3Km、終点の岩瀬休憩所まで4.6Kmの案内表示が。
残り4.6Km、もうひと頑張りだ。


茨城百景の石碑には、雨引観音と刻まれている。


ホームの桜の木は、”あまびき桜”と命名されていた。


雨引休憩所全景
真壁方面を見たところ。
この頃から西からの強風が吹いてきた。


終点の岩瀬休憩所を目指す。


真直ぐな「りんりんロード」が続く。
この辺りは正面と左側からの強い風に悩まされるようになった。
強い時には風速10m以上はあったと思われる。


雨引観音への案内標識が。


右手を見ると、雨引山が見えた。


13時48分、土浦から36Km地点を通過。


終点の岩瀬休憩所を目指す。


14時1分、土浦から37Km地点を通過。


強風に耐えきれず、自転車を押して歩く若者も。


「りんりんロード」は続く。
風は幾分弱くなる瞬間があり、その隙を狙って若者は再び自転車に乗って行ってしまった。


桜川市境辺りまで来ると、前方に富谷山が見えてきた。



14時14分、土浦から38Km地点を通過。


県道41号を横断し、終点の岩瀬駅を目指す。


前方に北関東高速道が見える。


14時22分、北関東高速道下のトンネルを潜ると、


14時26分、土浦から39Km地点を通過。
残り1Km、あと一息だ。


富谷山が正面に見えてきた。


両側に生い茂る竹林を抜けると、ゴールの岩瀬駅は直ぐだ。


14時40分、ついに旧岩瀬駅跡に到着した。


岩瀬休憩所、ここが終点だ。
時計は、同じく14時40分を差している。
旧筑波駅跡を9時15分に出発しているので、5時間30分ほどかかったことになる。
『いやぁ 疲れた~っ』が正直な気持ちだ。


岩瀬休憩所の先に水戸線岩瀬駅が。
予定では、岩瀬駅から電車を乗り継いで帰ることにしていたのだが・・・
新型コロナウイルスの感染拡大のこともあり、電車に乗るのは止めておいた方が良い、
ということで、

迎えに来てくれたかみさんの車で帰路に就いた。

前回(3/25)に続いて筑波~岩瀬間の20Kmを歩き終わって、一安堵しているが・・・
帰る途中、左足がつってしまい、激しい痛みに襲われた。
持ち合わせていた漢方薬「芍薬甘草湯」(68)で何とか痛みは治まったものの、
足の状態は限界に達していたのかもしれない。
年齢や体力的なことを考えると、1日20Kmが精一杯と思われる。
この歳になって、1日に土浦~岩瀬間40Kmを歩くのは、とても無理だと思った次第である。

この日の万歩計は、31,500歩を計測していた。

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りんりんロード(土浦~筑波20Km)を歩く

2020年03月25日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2020年3月25日(水)

このところ、あまり長い距離は歩いていないので、久し振りに「りんりんロード」(土浦~岩瀬)を
歩いてみようと突然思いたった。
「りんりんロード」(土浦~岩瀬)を歩くのは、今から10年半前の平成21年(2009)9月16日(水)
以来となる。
ただ、いきなり土浦~岩瀬までの40Kmを歩くのは体力的にも自信がないので、この日は土浦~筑波
までの20Kmを歩くことにした。
この日早朝、荒川沖駅までかみさんに送ってもらい、駅前のコンビニで朝食のおにぎりと豚まんなどを買い、
6時53分発の下り電車で出発地の土浦駅へ向かった。

定刻の6時59分、土浦駅に到着し、「りんりんロード」スタート地点の西口へ。
駅前は通勤前のためか、閑散としていた。
中高生や学生が春休みということもあるのだろう。


土浦市立図書(アルカス土浦)前を通り、「りんりんロード」スタート地点へ向かう。


市立図書館前を真直ぐに進むと突当りは三叉路になっている。


7時9分、突当りの三叉路に到着した。
(この時刻が事実上のスタート時刻ともいえる)
「りんりんロード」は、この突当りを右に曲がれば良かったのだが、何も案内表示が
見当たらなかった(土浦~岩瀬までの「りんりんロード」を示す大まかな地図はあったが)ため、
常磐線とは離れる方向へ進んでしまった。
概略は分かるので、何とかなるだろう。後は、感を頼りに進むことになる。
この突当りには「りんりんロード」のスタート地点を示す詳細な道順を示す何らかの
案内標識が欲しいものである。


しばらく市街地を進むと、
7時14分、県道263号の交差点に出た。
ホテルマロウド、土浦郵便局などの建物が見える。
ここまで来れば、あとは国体道路を土浦郵便局方面へ進むだけだ。


交差点を渡ると、「りんりんロード」0.3Kmの案内標識があった。


国体道路を少し進んで、土浦市の桜の名所となっている新川を渡り、


直ぐに左に折れると、「りんりんロード」の案内標識があった。


本来の「りんりんロード」とは異なる道を来てしまったが、これで安心して「りんりんロード」を
歩くことが出来る。
時計は7時22分を差していた。


「りんりんロード」の両側には桜の並木が続いている。
間もなく満開を迎える状態だ。


コンビニで買った朝食代わりの豚まんを頬張りながら進む。


7時26分、土浦から1Kmの地点を通過。
本来のスタート地点は7時9分に出発しているので、ここまで信号待ちなどで17分ほど要したことになる。


むしかけ休憩所2.2Km、ふじさわ休憩所6.0Kmの標識を通過。


国道125号を横断し、


「りんりんロード」を進む。
「りんりんロード」は整備し直されたばかりの状態で以前より広くて歩き易い。


豚まんの次は、おにぎり(辛子明太子)だ。


7時39分、土浦から2Km地点を通過。
この1Kmは13分かかったことになる。まあ順調なペースだと思う。


前方に土浦BPが見えて来た。
後方に見える筑波山の姿が・・・見慣れた姿だがいつも美しいと感じる。


7時53分、土浦から3Km地点、続けて土浦BPを潜る。


8時ちょうど、旧虫掛駅跡(虫掛休憩所)に到着。


”つくばりんりんロード 旧虫掛駅跡地”の碑が建てられている。


藤沢休憩所まで3.7Km、土浦終点まで3.7Kmとある。
土浦と藤沢のちょうど真ん中にあたる地点だ。


8時6分、土浦から4Km地点を通過。
スタートしたのが7時9分なので、時速約4Kmということになる。
時速約5Kmくらいと予想していたので、かなり遅いペースである。
10年半前に歩いた時の速さには及ばない。
10年という時の流れを感じざるを得ない。


前方に見えるのは、常磐高速道だ。


常磐高速道を潜ると、桜並木が続いていた。
ここの桜はまだ一分~二分咲といった感じである。


8時19分、土浦から5Km地点を通過。


「りんりんロード」の脇に、「GREEN GATE」SAKATA ENGEI CYCLE-STATIONと書かれた建物が。
サイクリングを楽しむ人達のための”おもてなし場所”のようだ。


前方に小田山(宝篋山)が見えて来た。
山頂(461m)のパラボラ鉄塔が見える。


8時32分、土浦から6Km地点を通過。


小町の館方面への案内標識を通過。


8時45分、土浦から7Km地点を通過。
間もなく藤沢休憩所だ。


8時47分、旧藤沢駅跡に到着。


旧藤沢駅跡(藤沢休憩所)で、水分補給のため一休みし、


またしばらく進むと、


9時3分、土浦から8Km地点を通過。


土浦から8Kmを過ぎた辺り(高岡)に、写真のようなステンレス製の円柱が建てられていた。


1Kmほどの間に複数の円柱(比較基線場)が直線上に設置されている。


このステンレレス製ピラーは、測量機器の性能を点検するための比較基線場の施設です。
このような施設は、桜川土浦自転車道に沿って、土浦市高岡付近、つくば市国松付近、
そして国土地理院構内に設置されています。
各ピラーの間の距離は、高い精度で決められており、ピラー上部に測量機器を設置し、
測定した結果と決められた値を比較して、点検しています。
ここで点検できる測量機器は、距離を測る測距儀、GPS衛星等からの電波を利用する
GNSS測量機などです。
国土交通省 国土地理院


小田山(宝篋山)がはっきりと見えるようになった。


9時17分、土浦から9Km地点を通過。


9時24分、旧田土部(たどべ)駅跡を通過


田土部の堰2.0Kmの案内標識
田土部の堰は、桜川にある堰で、県道200号藤沢豊里線の桜橋の上流にある。
江戸時代、土俵を積み上げて取水したことに始まる。
現在の堰は、昭和34年(1959)に災害復旧事業で建設されたもの、とのこと。
今は土浦の釣りスポットとして人気があるそうだ。


県道200号を潜ると、右手に宝篋山が。
山頂の鉄塔がはっきりと見える。


9時31分、土浦から10Km地点を通過。


ほぼ同時刻、土浦市からつくば市に入った。


「りんりんロード」は通行止、立入禁止となっていた。
工事中のようだが人の姿はどこにも見当たらない。


そのまま「りんりんロード」を進もうかとも思ったが、直ぐ横に舗装された道路があったので、そこを進む。


右手を見ると、国道125号が直ぐ近くを走っている。


通行禁止区間が終わり、再び「りんりんロード」を進む。


9時44分、土浦から11Km地点を通過。


宝篋山と筑波山の両方を眺めながら進む。
心地よく吹く風が気持ち良い。


県道53号を潜る。


県道53号の先は再び通行止め区間になっていた。


「りんりんロード」横の迂回路を進む。


右手には宝篋山が迫ってきた。
山頂のパラボラ鉄塔がはっきりと見える。


10時ちょうど、土浦から12Km地点を通過。


迂回路から「りんりんロード」に戻って進む。
前方は小田城本丸跡に復元された土塁である。
小田城跡は、400年以上前の鎌倉から戦国時代にかけて、常陸国(現在の茨城県)南部に
勢力をもっていた小田氏の居城跡で、本丸跡を中心に復元された堀や土塁、虎口、曲輪
などを見ることができる。


かつての筑波鉄道は、小田城本丸跡のど真ん中を貫く形で走っていたのだが、
「りんりんロード」は、堀に囲まれた小田城跡を左に迂回するような形で進む。
旧曲輪跡へ渡る橋もある。


復元された小田城跡本丸跡の全景
復元された戦国時代の小田城の本丸跡は、上幅20m以上の堀跡に囲まれた、南北145m、東西130mの
方形をしていて、3か所の虎口(出入口)がある、とのこと。
後方正面に小田山(宝篋山)、左手には筑波山が望める。


小田城本丸跡を囲む土塁に沿って「りんりんロード」を進む。


右手の復元された堀跡と土塁を見ながら進むと、


五輪塔や石碑があった。
五輪塔
主に死者の供養のために建てられる石塔で、三村山極楽寺があった「尼寺入」付近から
工事に際して出土したもの。


相島虚吼句碑
「小田山の雪 小田村を明るうす」と刻まれている。


「神皇正統記起稿之地」
昭和八年(1933)に小田村青年団により建てられたもので、北畠親房が小田城で神皇正統記を
執筆したことを顕彰したもの。


10時15分、旧小田駅跡に到着


旧駅の横に建つ「小田城跡歴史ひろば」案内所では、小田氏や小田城に関する歴史の解説や
展示物を見ることができる。


小田城鐘撞堂から「小田城跡歴史ひろば」に移設された五輪塔
でかい!!


「小田城跡歴史ひろば」入口に建つ”右小田城址”と刻まれた碑


旧小田駅跡を過ぎ、両側が竹林に囲まれた「りんりんロード」を進む。


10時22分、土浦から13Km地点を通過すると、


筑波山がはっきりと見えて来た。


さらに「りんりんロード」を進む。


10時35分、土浦から14Km地点を通過。


桜並木の「りんりんロード」を進む。
この辺りの桜は、まだつぼみの状態である。


左手にJAつくばのカントリーエレベータが。
カントリーエレベータは、お米の乾燥機とサイロ(貯蔵タワー)とをエレベーターで繋いだ
新しいタイプの大型倉庫とのこと。


右手に筑波総合体育館が見える。
2020年3月20日(金)に歩いたばかりの”いにしえのつくば古道”のスタート&ゴール地点である。


10時49分、土浦から15Km地点を通過し、


国道125号を潜ると・・・


10時54分、旧北条駅跡に到着した。
ここで一息入れることにした。
プラットホームに腰を下して、水分補給だ。


ゴールの筑波駅を目指す。残りはあと5Kmほどである。
旧北条駅跡を過ぎると、桜が満開状態だった。


スーパーカスミ横を通過。


桜並木のトンネルが続く。


11時8分、土浦から16Km地点を通過


左の建物はつくば北警察署である。


国道125号と県道14号の分岐点、内町下交差点を左に見ながら進む。


桜並木が続く。


前方に筑波山がはっきりとくっきりと見えて来た。


さらに桜並木が続く。


筑波山以外の山は見えなくなり、筑波山だけになった。


11時24分、土浦から17Km地点を通過
この頃になって、足と膝が痛くなってきた。
あと残り3Km、頑張ろう!


「りんりんロード」と県道14号が最も接近する場所、


杉木バス停とある。


ゴールの旧筑波駅跡を目指す。


11時39分、土浦から18Km地点を通過
回りの景色をゆっくりと見る余裕はなくなってきた。


11時52分、土浦から19Km地点を通過
残り1Km、もう直ぐだ、頑張れっ!!


筑波山が目の前だ。


残り500m余りか?


旧筑波駅跡の石碑が迎えてくれた。
ほっとした瞬間でもある。


12時5分、旧筑波駅跡に到着した。
土浦から20Km地点を示す標識はもう少し先になるが、ここをこの日のゴールとしよう。
「りんりんロード」土浦を7時9分にスタートしたので、約5時間かかったことになる。
10年半前のときは、11時に到着したとあるので、そのときよりも1時間遅れの到着ということになる。

この後、迎えに来てくれたかみさんの運転する車でつくば市平塚の「百香亭」へ。
そこでゆっくりと昼食を摂り、帰路に就いた。

何とか土浦~筑波間の20Kmを最後まで歩き終えてホっとしている。
しかし、帰宅してから左足と右膝が痛くなり、階段の上り下りがやっとの状態になった。
痛み止めの薬を服用したが、痛みが引くまで2日ほどかかった。
足の状態は限界を向かえていたと思われる。

この日の万歩計は、32,000歩を計測していた。

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小町山 下見ハイキング

2018年07月27日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2018年7月27日(金)

今年の春頃、「まゆみの会」の方から小町山の登山コース地図を戴いた。
最近になって、小町山の登山コースが整備されたので、「まゆみの会」の仲間で
登ってみたところ、「健康ウォーキング同好会」に『適しているんじゃないか?』
と思った、とのことであった。
標高もそれほど高くなく、距離も短いところが、「健康ウォーキング同好会」には、
適したコースではないかと言うことである。

それ以来ずっと気にはなっていたが、今日に至るまで登る機会が無かった。
「健康ウォーキング同好会」の例会が夏休みを迎えて一段落したこの日、
試しに小町山に登ってみることにしたという次第。


8時45分、小町の館に到着し、


同51分、小町の館を出発!
小町山ハイキングコース入口400mとある。


朝日峠の方に向かって200mほど進む。


朝日峠ハイキングコース入口の所で左に曲り、


農道を進む。
小町の大きな農家が並んでいる。


さらに緩やかな坂道を進む。


左手田んぼの向うに小町の館の建物が見える。


小町山登山口があった。
天の川源流 巨石群入口の案内標識が見える。


坂道を上ると、小町山登山口の看板が。
小町山 遊々山歩(ゆうゆうさんぽ)コースの看板も。


タヌキの看板に迎えられて上って行くと、登山口の所に簡易な椅子とテーブルがあり、


その右側の木の根元に山ノ神が祀られていた。
山ノ神に参拝して、


9時ちょうど、小町山山頂を目指して登山開始!


たくさんの木製の杖が置かれていた。
自由に使っても良さそうだ。
この日はストックを持参したが、杖が常備されていることが分ったので
次回からストックの持参は見送ることにしよう。


数分ほど歩くと、分岐点があった。
右尾根コース(小町の舞台巨石群)、左天の川沢コース(東城寺・天の川源流)とある。
右側の尾根コースを上ることにした。


落ち葉が積もった尾根コースの上りは、それほど急な勾配ではない。


雑木林を過ぎると、桧の大木が現れたり、


また雑木林が現れたりする。


しばらく雑木林を進むと、


大きな桜の木があった。
三本桜と書かれた標識があった。


三本桜を過ぎて杉木立を進むと、


道は下りになり、沢を渡るための丸太の橋が架けられていた。
沢には全く水は流れていなかったが、雨が降れば橋が必要になるのだろう。


尾根コースの平坦な道を進む。


杉木立の尾根コースを進むと・・・


9時28分、天の川沢コースとの合流点に到着した。
中央にあるのは、平岩なのだろうか?


標識にはこの先、ものぐさ岩・三段岩・展望岩を経て山頂へと案内されている。


ものぐさ岩
名前の由来は何なのだろう?


合流点を過ぎると、小町山山頂への道は急勾配になった。
ロープが張られている。
足元が滑り易いので、ロープを掴みながら上る。


三段岩
この辺りでは一番大きな岩と思われる。


三段岩の巨岩の下にテーブルとベンチが置いてあった。
何事も起こらないとは思うが、この岩の下で休憩するのは、
あまり気持ちの良いものではない。


巨岩群を過ぎ、急こう配が続く中、小町山山頂を目指す。


9時38分、展望岩に到着


展望岩とあるだけあって、眺望は素晴らしい。


土浦市方面ではないかと思うが、霞んでいてよく見えなかった。


展望岩のほぼ真上に椅子とテーブルを備えた展望台があった。


弁当でも食べながら眺望を楽しむのも良いかも・・・・


小町山山頂を目指す。


男坂(山頂への直登道)を息を切らしながら上ること10分、


9時50分、小町山山頂に到着した。
小町の館を出発してちょうど1時間が経過していた。
山頂はほぼ平らで数ヶ所にベンチやテーブルなどが配置されていた。


山頂の一番大きな木に小町山頂上(361m)の標識が。


方角と距離が書かれた丸いテーブルがあった。
東・南の方角には、茨城空港23Km、犬吠埼灯台83Km、土浦市役所11km、牛久大仏22km、
乙戸沼公園14m、東京スカイツリー60Kmなどとある。


西・北の方角には、富士山157Km、宝筐山2.2Km、日光男体山89Km、筑波女体山7.2km、
加波山14Km、鶏足山32Kmなどとある。
しかし、周りは雑木林や竹の藪などに囲まれており、殆ど視界が利かない。


山頂で一息入れた後、10時3分、下山することにした。
上りは男坂だったので、女坂を下ることにする。


七曲りの女坂を下る。


女坂の途中にも、テーブルや椅子が置かれている。
まとまった人数で山頂一帯で弁当などを食べるのにはもってこいである。


10時8分、女坂の展望台に到着


女坂展望台からの眺望
ぼんやりとだが霞ヶ浦や土浦市街地が見えた。


男坂との合流点を左に下る。


息を切らして上って来た数人組の女性たちとすれ違う。
『こんちはっ』 『もう一息ですよっ』


展望岩からの眺望を堪能し、


小町の舞台岩を目指す。


右手に三段岩、


続いてものぐさ岩を見ながら通過。


ものぐさ岩から下に続く舞台岩方面を見たところ。
巨岩がいくつも折り重なるように並んでいる。


舞台岩
岩の上は平らになっている。
踊りでも舞えそうなところが岩名の由来か?


尾根コースを上って来たので、天の川沢コースを下ることにしよう。
坂道を下って行くと、


三角岩があった。
三角形のような形をしているように見える。


三角岩を過ぎて急坂を下ると、沢沿いの道になる。


沢には丸太の橋が架けられている。
沢には、少量の水が流れていた。
天の川の源流である。


沢沿いの杉木立の道を下る。


沢の流れ。
水量はそれほど多くはないが、水の音が心地よい。


さらに沢沿いの道を下る。


丸太の椅子と丸太のテーブルがあった。
上りの時は、ちょっと一休みするのに良さそうだ。


岩の隙間に埋め込まれた管から水が流れていた。
飲めるのだろうか?


沢沿いの廻り道分岐
いったん沢を渡って、再び沢を渡る道である。


沢には丸太の橋が架けられている。
丸太の橋を渡って沢沿いに進み、


再び沢を渡って沢を縫うように下る。
これだけの丸太の橋を造るのは大変だったことだろう。


左手に沢の流れを見ながら下る。


下るに従って、沢の水量が増えて来た感じだ。


姫の滝があった。


姫の滝
高さ2mほどの可愛らしい滝だ。


さらに沢沿いを下ると、


丸太の椅子とテーブルがあった。
この1mほど下にもう1セット椅子とテーブルがあった。
「みちくさ処」と書かれた看板が。
ここもちょっとした休憩に良さそうである。


楽譜
♩♫♩♫♩♩♩(こまちやまのタンタンは)
♩♫♫♫ ♫♫♩(いつもニコニコおでむかえ)
♩♫♫♫ ♫♫♩(いつもニコニコおみおくり)


こまちやまのタンタン
小町山登山口で見掛けたタヌキの人形は、タンタンだったのだ。


10時48分、東城寺・宝筐山方面への分岐点に到着


分岐点に”100m先奇石 熊の石”の標識があった。
せっかくの下見なので”熊の石”を見て行くことにした。


東城寺・宝筐山方面へ


100mちょっと進むと、


”熊の石”があった。
覆い被さってくるような形をした巨岩だった。
丸太の階段を上って岩の下に立ってみると、東日本大地震のような地震が起きれば、
崩れ落ちるのではないか、とさえ思った。


天の川沢コースに戻って少し下ると、”小町山の神 50m”の標識が。
石割桜の表示も


案内に従って進むと、大きな木があり、その少し先に


”小町山之神”の表札があった。
岩から生えたような石割桜の大木が”小町山之神”ということのようだ。


天の川沢コースに戻って登山道を下ると、


小町への案内標識が現れた。


沢を渡って杉並木を抜けると、


周りは竹林に変わった。


竹林を抜けると、


11時11分、尾根コースへの分岐点に到着した。
朝方上るときに通った場所だ。


杖を借りていた人はここで杖を返し、


登山口に向かうことになる。


登山口から小町の館を見たところ。


上りはこちらから来たので、


帰りは反対側から戻ることにしよう。


緩やかな坂道下って行くと、小町の館から日枝神社へ通じる農道に出た。


ちょうどパラグライダーが着地したところだった。


11時22分、小町の館に到着した。
下り始めて1時間20分ほど経過していた。


一息入れて「まほろ庵」へ。


11時40分に到着したが、いつものように店内は混んでいた。
順番待ちに名前を書いて待っていると、10番目だったが、10分ほどで名前を呼ばれた。
客の回転が早いので、意外に早く着席することが出来た。


天ざる蕎麦(900円)を注文。
混ぜご飯が付いていたので、これで十分である。


初めて小町山に登ってみた。
上りが約1時間、下りは途中で熊の石や小町山之神などに立ち寄ったこともあり、
1時間20分ほどかかった。
標高が361mということもあり、それほどきついコースではなかった。
宝筐山(461m)よりも楽だったのは確かである。

身近なハイキングコースを探していた「健康ウォーキング同好会」としては、
必要な条件を備えたコースと言えるだろう。
来年度は、このコースを是非とも提案してみようと思う。

この日の万歩計は、9,500歩を計測していた。

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富士山に挑む(2日目)

2017年08月24日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2017年8月24日(木)

皆さんが富士山頂を目指している頃、寝床で横になっていたが、
相変わらず眠ることは出来なかった。
3時過ぎに6回目のトイレに起きた。
この頃風は少し弱まっていた。

ご来光は5時頃と聞いていたので、目覚ましを4時半にセットしていたが、
結局眠れずに4時20分頃に起き出して、外に出た。
4時38分、東の空が少し明るくなって来た。


4時52分、先ほどより少し明るさが増している。
山中湖が明りに反射してはっきりとその形が観れるようになった。


4時52分、ご来光と思われる辺りのズームアップ。


いつの間にか「砂走館」の前は、宿泊の人とこれから登頂を目指す人たちで
いっぱいになった。その数ざっと20人。


5時2分、ご来光付近がかなり明るくなって来た。
寒いがもうちょっとだけ我慢しよう。


東の空が黄金色に輝いて来た。
ご来光は間もなくと思われる。


5時8分、太陽がポツリと頭を出した。
ご来光の瞬間、感動の瞬間である。


5時10分、刻一刻と太陽が大きく明るくなって来た。
Nさんたちもきっと山頂で拝んでいることだろう。


5時12分、ご来光はほぼ完了した。


「砂走館」前からご来光を見守る人達。


5時16分、光輝く太陽が美しい。


山頂まで晴れあがった富士山が赤く見える。
まさにこれを、”赤富士”と云うのであろう。


右下には、宝永山がくっきりと見える。


さほどお腹は空いてはいないが、皆さんが戻って来るまでに朝食を済ませておこう。


朝食は、ハムと目玉焼きにお新香、佃煮、梅干しといった簡単なものだった。
それに味噌汁が付いている。
昨夜の件に懲りて、食後のお茶には手を付けず水で我慢した。


6時を回った頃、再度外に出てみると、雲の間から日差しが降り注ぐといった
幻想的な光景が見られた。


下山は8時頃と聞いていたので、外に出てみるが、戻って来る様子はない。
ちょうどその頃、ブルドーザがゆっくりと上って行くのが見えた。
荷物を運んでいるのだろうか?
屋根に4人、中に数人の人の姿が見える。


山中湖方面の景色
七合四勺目の「わらじ館」の日の丸国旗が印象的である。


右手を見ると宝永山の稜線が一段とくっきりと見える。


パノラマ写真


9時40分、予定より1時間ほど遅れてNさんたちが下山して来た。
『いやぁ寒かった~っ』
厚手の手袋をしていたが、それでも冷たかったそうである。
山頂の剣ヶ峰(3,776m)登頂と、お鉢巡りを無事済ませて来たとのこと。
『おめでとうっ お疲れさんっ』


10時1分、全員朝食を済ませた後、下山の準備完了である。


10時4分、上鶴さんを先頭に下山開始だ。


七合四勺目「わらじ館」前を通過。


10時14分、”大砂走り”分岐点に到着。


いざ”大砂走り”へ


上鶴さんの”大砂走り”の歩き方レクチャーを受ける。
靴のかかとから足を出すと、自然に止まるので、それを繰り返すようにと。
また、石などは避け、深い砂の所を歩くと良いそうだ。


後ろの女性陣も熱心に耳を傾ける。


”大砂走り”を下る。
しばらくは、石ころが多いため、スピードはあまり出し難いが、
先頭はどんどん先に進んでしまう。


自分より若い人が次々と追越して行く。


女性陣も後に続く。


10時33分、下り六合目で一休み。
この後もしばらく下っては少し休憩、といったパターンを繰り返した。


左”大砂走り”と右宝永山方面への分岐点。
宝永山の稜線が美しい。
これからが、”大砂走り”の本番だそうだ。


10時50分、小休止の後、皆さん一斉に”大砂走り”を駆け出した。
右宝永山方面への分岐点を過ぎると、石ころがなくなり、
適度な傾斜のため、歩き(走り)易くなったのだ。


振り返って富士山山頂方面を望む。


砂塵を上げながら突っ走る先頭G。
急坂のため立ち止まるのが難しく、自然と走るように下るといった状態である。


小休止
ここはどの辺りで、あとどのくらいあるのだろうか?


麓が見えて来だしたが、まだまだ先は長い。


いくぶん傾斜が緩やかになって来た。
しかし、ゴールの御殿場口新五合目の駐車場は見えない。


11時17分、何回目かの小休止。
『けっこうきついけど楽しいよねぇ』
Nさん、”大砂走り”の醍醐味を満喫しているようだ。


Nさんに記念の1枚を撮ってもらった。


ゴールの御殿場口新五合目駐車場を目指す。


振り返って富士山頂方面を望む。


11時31分、”大砂走り”(左)と御殿場ルート(右)の分岐点(次郎坊?)を通過。
御殿場ルートを登る人は殆ど見掛けない。
このルートはあまり人気はないみたいだ。


11時45分、やや平に近い場所まで下りて来た。
ここで最後の休憩を摂り、


御殿場口新五合目駐車場へ。
駐車場まで30分ほどと思われる。


前方に御殿場口新五合目駐車場が見えて来た。


12時3分、駐車場から400m手前の「大石茶屋」に到着。


大石茶屋には、”大砂走り”の砂埃を払い落とすハタキが用意されていた。
ハタキで砂埃を落とし、


駐車場へ向かう。


『ありがとうございましたっ』
鳥居を潜り、深々と頭を下げるNさん。
自分も感謝を込めて頭を垂れたのは言うまでもない。


12時21分、御殿場口新五合目の碑に到着。


待っていたバスに乗り込み、
御殿場市内の「富士八景の湯」へ。


13時15分、御殿場口新五合目から50分ほどで
「富士八景の湯」に到着した。


湯上り後、昼食が用意されている2階の部屋へ。


昼食は、弁当だった。


先ずは、生ビール(550円)で『かんぱ~いっ』


お互いの健闘を称え合い、労った。
『お疲れさまでした~っ』


今回、自分のちょっとしたミスから残念ながら登頂を断念したが、
次は(来年はまた一つ歳をとるが)是非とも登頂したいものである。
登頂ならずも”大砂走り”の醍醐味を満喫した一日であった。

富士山に挑む(1日目)は、こちらへ。

この日の万歩計は、11,000歩を計測していた。


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富士山に挑む(1日目)

2017年08月23日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2017年8月23日(水)

「健康ウォーキング同好会」仲間のNさんと、トラベルギャラリーの富士登山
(サンシャインバスツアー)に申し込んだのは5月30日。
あれから凡そ3ケ月、いよいよその時がやって来た。
何度か筑波山でトレーニングを重ねたとは言え、期待と不安が入り混じる。

8時37分、東京駅前に到着。
集合時刻は8時50分、充分に余裕のある時間である。


集合場所は丸の内丸ビル前に指定されている。


富士登山に同行するNさん。


指定された場所には草津往きの大型バスが停車していたが、
全員揃ったのか、9時5分ほど前に出発していった。


9時ちょうど、この日のツアーバスが到着した。
スタッフ(登山ガイド)の女性が下りて来て、点呼を取り始めた。


点呼を終わった人からバスに乗り込む。
定員24名ほどの中型バスである。
コンビニで買ったこの日の昼食・飲物と入浴用具や着替えなど
バスの座席に残しておけるもの以外はリュックに詰めてトランクへ収めた。
参加者は、男性7名、女性12名の併せて19名だった。
女性陣の中には、これまで10回も富士山に登ったという人もいると聞いて、
びっくり。


登山ガイドの倉持さん。
自己紹介の後、富士登山の注意点や持物、リュックの詰め方などの説明を受ける。
彼女の今後のツアー予定表が配られたが、国内・海外のスケジュールが
びっしりと書かれていた。
ほっそりとした身体からは、とてもそのようなスケジュールを熟すような人
には見えない。


バスは渋滞の首都高速3号線を抜けて東名高速道を走る。


10時20分、海老名SAで休憩を取り、


再び東名高速道を走る。


11時5分、御殿場ICに到着
御殿場市内の「カメヤ」で男性の登山ガイド上鶴さんが同乗
富士宮登山口へ向かう間に昼食を摂った。


12時16分、富士宮登山口に到着
多くの人が準備を進めていた。
吉田口に比べればとても少ない、とのこと。
また、平日のためガラガラなのだそうだ。


富士宮登山口の石碑の前で記念の1枚


倉持さんの掛け声でストレッチ(1)


ストレッチ(2)


ストレッチ(3)


ストレッチ(4)


上鶴さんにリュックの状態をチェックしてもらうNさん。


準備万端のNさん。


自分も上鶴さんにリュックの状態をチェックしてもらった。


それまで曇がかかって何も見えなかった富士山の頂上が
ほんの一瞬だが見ることが出来た。


山頂の剣ヶ峰らしき場所も見える。


富士宮登山口に向う。


登山口の前にある地図で、登山ガイド上鶴さんによるルートの説明を受ける。


富士宮登山口を出発し、富士宮口六合目でプリンスルートへ分岐。
宝永火口を抜け、馬の背を通り、御殿場口の六合目へ向かう。
富士宮口六合目から御殿場口六合目間は、2008年に皇太子殿下が登頂
されたことから、”プリンスルート”と呼ばれる。
御殿場口六合目に合流した後は、御殿場ルートを登り、
七合五勺の「砂走館」を目指すことになる。


12時54分、登山開始である。
標高は、2,400mとある。


緩やかな坂道


先頭を上鶴さんが歩き、一列縦隊で後ろに続く。
最後尾は倉持さんが務める。
休憩する毎に最前列の3人が最後尾に回るという方法である。


登山道は、火山灰で出来ており、風が強いと砂埃になるような状態だ。


上鶴さんの登山道の登り方のレクチャーを受ける。
肩ほどの広さで逆ハの字で登ると疲れ難いとのこと。
また、歩幅は出来るだけ小さい方が良い、とのこと。


荷物などを運ぶためのブルドーザー道を横断。


前方に富士宮口六合目の山小屋が見えて来た。


13時20分、富士宮口六合目の山小屋「雲海荘」と「宝永山荘」前を通過。


「宝永山荘」の先が富士宮ルートとプリンスルートとの分岐点になっている。


宝永火口(プリンスルート)を目指し右側へ。


下山するグループとすれ違う。
『こんちわっ』
『どうぞっ』 『どうも~っ』


宝永第一火口を目指す。


途中低木の箇所があったが、ここを最後に木は全く生えていなかった。
標高は2,400m超、森林限界なのだ。


13時36分、宝永第一火口縁に到着
『前方の一段高い所が宝永山頂(2,693m)ですっ』


宝永第一火口の中にプリンスルートが続いている。
火口の先は急斜面の上りになっている。


宝永第一火口を目指して坂道を下る。


7-8分ほど坂道を下って行くと、


平らな場所があった。辺り一帯に大きな岩がゴロゴロと転がっている。
ここが宝永第一火口の底になる。
13時45分、ここで一休み。


簡単な腹ごしらえをするNさん。


突然雨らしきものがポツリ、ポツリ。
上鶴さんの指示で、ほぼ全員がリュックカバーを装着。
寒さは殆ど感じないが、天気の急変に備えてレインコートを着る人も。


宝永火口からプリンスルートを見たところ。
ここから見ると、それほど急な坂道のようには見えないが・・・


斜面の道は、登り始めは小石などで硬くて登り易かったが、
次第に火山灰が積もったような柔らかな砂の状態に変わって来た。
靴を踏ん張るとずるっと滑って歩き難いし、また疲れる。


途中振り返って宝永第一火口を望む。


下山グループとすれ違う。
下山するスピードは速いし、(自分より)若い女性たちなので元気が良い。


次第に急坂になり、砂が深くなった分、靴が砂で滑って
力が思うように入らない。歩き難いことこの上ない。
けっこう疲れる。


長崎から来たという別の下山グループとすれ違う。
すこぶる元気が良い。
『頑張って~っ』


14時26分、ほぼ直角に曲がるカーブの所で一休みだ。
雨の心配はなくなったということで、レインコートはリュックの中へ。


宝永第一火口で休憩した場所が小さく見える。


休憩の後、先頭グループ3人を入れ替えし、次の目標地馬の背を目指す。


馬の背を目指す。


次第にガスって来たが、雨が降る様子はない。


馬の背まであと一息のようだが、かなりしんどい。
既に標高は2,600mを越えていると思われる。
呼吸が荒くなってきたのが自分でも分かる。
息を吐いて・吐いて・大きく吸う、という呼吸を繰り返す。
酸素がたくさん取り込まれ、楽になるそうだ。


馬の背の少し手前で、後続との調整のため小休止。
この先風が強くなり、体温が下がることが予想されるということで、
厚手のジャケットなどを着る人も。


15時15分、宝永山(2,693m)まで5分という分岐点を通過。


雲の中、馬の背辺りを通過。
宝永山への分岐点を過ぎると、道は少し平らになり、歩き易くなった。
しかし、周りは雲で何も見えない。


雲が薄れて来たと同時に”大砂走り”への分岐点が見えて来た。


下りは”大砂走り”を下って、御殿場口新五合目を目指すことになる。


15時31分、”大砂走り”の分岐点(下り六合)に到着
ガイドの上鶴さんが拍手して迎えてくれた。
『よく頑張りましたねっ』


振り返って”大砂走り”と宝永山を望む。


下り六合から分かれてプリンスルートを進む。
プリンスルートはここからジグザグの道になる。


直ぐ左側は、”大砂走り”の下りになっている。


プリンスルートを進む。


岩場がところどころにあるので、注意しながら歩を進める。


一休み。
ガイドの上鶴さんによると、普通の登山はあまり休み過ぎると良くないが、
富士山の場合は、休めば休むほど良いのだそうだ。
古希を過ぎた自分たちにとっては、ありがたく、また嬉しい言葉である。


15時55分、御殿場口六合目に到着。


宝永山へ続く稜線が美しい。


薄く雲がかかっているが、富士山山頂らしきものが見える。


御殿場口六合目の標識をバックに記念の1枚


この後、七合五勺の「砂走館」へ向かうことになるが、
その前に御殿場口七合目を目指す。


ジグザグの登山道が続く。


16時36分、七合目付近のブルドーザー道に到着。


ブルドーザー道を挟んで一休みだ。
この辺りになると、少し登って少し休憩というパターンを繰り返す。
左上方に山小屋らしき建物が見える。


右手の山麓には、湖が見える。
山中湖だそうだ。


山小屋が次第に近く、大きく見えるようになった。
もう一息だ。


七合目を目指す。


七合目を目指す。


16時40分、標高3,000m地点を通過。
人生で初めて3,000m以上の場所に立ったことになる。
「砂走館」は標高3,090m、もう少しだ。


”大砂走り”分岐点を通過
下りはここを右に折れ、”大砂走り”へ向かうのだ。


山小屋までの距離を示す看板があった。
七合五勺「砂走館」まで400mとある。
息が上がる、かなり苦しいし、厳しい。
ここは頑張るしかない。


16時48分、最初の山小屋七合目の「日の出館」(3,030m)に到着。
3,000m地点から僅か30mなのだが、これがきつい。
これが富士山なのだろう。
一先ず「日の出館」前で休憩だ。


『いやぁ素晴らしい眺めだぁ』


「日の出館」からの見晴らし。
正面は雲がかかって見えないが、左側の山中湖が美しい姿を見せる。


右側には、”大砂走り”分岐点から伸びる”大砂走り”の道が続いている。


「日の出館」は、営業はしていなかった。
廃業してしまったのだろう、建物もかなり古くなっていた。


「日の出館」を後にして、250m先の山小屋「わらじ館」を目指す。


休憩直後は足もまあ軽いが、歩きだすと直ぐに息が上がり、足が重くなる。
これは高山のせいなのか? それとも歳のせいなのか?


七合四勺目の「わらじ館」(3,050m)を通過。


あと100m余で、七合五勺「砂走館」だ。
もう一息だ、頑張ろう!


七合五勺「砂走館」が目の前だ。
”富士国立公園パノラマ台” ”日の出拝観絶好の地”の柱が立てられている。


17時11分、この日の宿泊先「砂走館」に無事到着。
『ようこそっ』 『お疲れさまっ』
山小屋のかみさん達が笑顔で出迎えてくれた。


山小屋の前で上鶴さんの掛け声でストレッチ(1)


ストレッチ(2)


ストレッチ(3)


ストレッチ(4)


靴入れ用のビニール袋を受取り、山小屋の中へ。


中に入ると、正面に2段になった(実際には3段目もあった)寝床が並んでいた。
下には布団が敷かれ、その上に掛け布団が丸められていた。


男性陣は、正面2段目を指定された。
2段目の右端にNさんと並んで場所を確保。
一人の幅としては60Cmほどだろうか。


1段目の少し広い場所は、食事用のテーブルが置かれていた。


少し時間は早かったが、夕食を摂ることに。
夕食は、カレーである。
自分で食べれるだけのご飯とカレーをプラスチックのトレーによそおう。
お代りは自由だ。
お茶も自由に茶碗に注ぐ。これが、大きなミスだった。


夕食後、まだ明るいので、外に出て景色を楽しんだ。


振り返ると富士山の山頂らしき姿がよく見えた。
七合九勺目の山小屋「赤岩八合館」が見える。


トイレは、バイオ式システムになっていた。
使用料として、宿泊者は無料だが、それ以外は300円のチップが必要だ。


寝床から食事を摂った場所を見下ろしたところ。


寝床の様子。
まだ20時前だが、既に皆さん布団に入っている。
寝息が聞こえる。


寝床に入ってしばらくすると、尿意をもよおした。
時計は7時35分を差していた。
我慢出来ずトイレへ、これが第1回目である。
御殿場市付近の夜景が美しい(手振れでボケているがご勘弁を)


この後トイレは、20時40分(2回目)、21時50分(3回目)、23時(4回目)と
ほぼ1時間おきに続いた。この間、一睡も出来ない状態が続いた。
夕食の後に飲んだお茶が原因だと気づかされたが後の祭りである。
カフェインに弱いことから、ここ2週間以上カフェインレスコーヒーも
控えていたのだが、ついうっかりと日本茶を飲んでしまったのだ。

0時30分、5回目のトイレに起きた。
外は、21時頃から強く吹き始めた風が一段と強くなり、
風速10m以上はあったと思う。
登山に適しているかの指数(A,B,C)は、恐らくレベルCと思われた。
この時点で、より厳しいとされる富士山頂への登頂は無理だと判断し、
断念することに決めた。 残念無念!
Nさんにそのことを伝えた。Nさんは『大丈夫だよっ』と励ましてくれたが、
年寄に無理は禁物と諦め、淋しく見送ることにした。
その後、寝床に戻ったが、やはり眠れない状態は朝まで続いた。

この日の万歩計は、7,500歩を計測していた。
歩数が10,000歩に満たなかったのは、意外だった。

富士山に挑む(2日目)は、こちらへ

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