ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

好天に恵まれ 守谷城址公園と野鳥の森散策

2019年11月29日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年11月29日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第23回(2019年第35回)、「守谷城址公園と野鳥の森散策」ウォーキングに参加した。

荒川沖駅7時59分発の電車を待つ。
この日の天気は快晴だが気温が低い。
『う~ 寒っ!』


8時29分に取手駅に到着し、8時35分発の常総線水海道行きに乗り換える。


2両編成の常総線車内はほぼ満席状態だったが・・・


2つ3つの駅を過ぎると、


次第に空いてきて・・・


戸頭辺りではほぼ貸切り状態になった。


この日のスタート地点の守谷駅には8時55分に到着した。


この日の参加者は22名、想定以上の参加者だ。
最低気温は5度ほどと低かったが、これ以上ない好天に恵まれたのが大きな要因と思われる。


TX守谷駅の横断歩道橋から富士山が見えた。
『いやぁ 今日は富士山がきれいに見えるね~っ』
『何か良いことがあるかなっ』


9時11分、守谷駅を出発!


TX線に沿って横断歩道橋を進み、


国道294号を跨ぐ。


国道294号を渡り、


右に折れて、国道294号を水海道方面へ進むと、


9時17分、長龍寺東門入口に到着した。
当初は真言宗のお寺だったのが、後に曹洞宗に改宗している。


真っ赤な紅葉が美しい。
『青空に映えてほんとにきれいだよねっ』


長龍寺東門


長龍寺東門の金剛像(阿像)


長龍寺本堂
平安時代に弘法大師が結んだ草庵が始まりと云われ、その後、延長二年(924)に平将門が
桓武天皇の菩提を弔うために伽藍を整えて「徳怡山長龍寺」と命名した。
そのため、平将門の開基とされ、本堂には平将門の位牌も納められている、とのこと。


本堂前に立つ道元禅師像


徳川家康寄進状
徳川家康寄進状は、天正十九年(1591)十一月、徳川家康が長龍寺に高十石の土地を寄進することを
記したものです。
この前年に豊臣秀吉の命により関東に入国した家康は、このとき初めて領国内の有力な地方寺社に対し、
公権力として領知を寄進、安堵しました。
長龍寺への寄進状は、「福徳」の印文を有する朱印を捺した朱印状です。
漆塗の状箱に納められて、大切に保管されてきました。
市内に現存する文書のなかでも、もっとも古い年代の文書の一つです。
<書き下し>
寄進す 長龍寺
下総国相馬郡相馬の内 拾石の事、 右これを寄付せしめ訖(お)わんぬ、
殊に寺中不入たるべき者なり、 仍(よ)って件(くだん)のごとし、 天正十九年辛卯(かのとう)
十一月日<朱印>

守谷市教育委員会


長龍寺を後にして、再び国道294号を水海道方面へ。


北園交差点を渡り、さらに右折して次の目的地の永泉寺を目指す。


常総線の踏切を渡り、


永泉寺を目指す。


松並西交差点を横断すると・・・


浄土真宗大谷派 沼崎山永泉寺入口 と刻まれた道標が。
『永泉寺への近道みたいだねっ』


近道を進んで行くと・・・


前方に屋根が青いシートに覆われた建物が見えて来た。
沼崎山永泉寺と思われる。
『修理中みたいだねっ』


9時56分、沼崎山永泉寺に到着した。
120年の歴史を持つ本堂は修理中で中には入れなかった。
永泉寺は延暦年間(782~805)の創建で、桓武天皇の子孫である相馬式部太夫政安の建立したもので、
当時は天台宗であったと伝えられている。
承平年間(931~937)平将門が関東一円を配下に治めていたころ、将門は常に6個の土偶をつくり、
自分と同一の格好をさせ、馬に乗せ先頭にたたせて指揮させていた。
しかし、力尽きて戦いに負けた将門軍は、影武者であった6個の土偶をこの地に捨てて逃げてしまったと云う。
哀れに思った相馬政安は、この土偶を安置して堂宇を建立し「永泉寺」と名付けた。
その後、第二代目の相馬式部太夫政安が、法名を西賢と号し、寺院として開山したと伝えられている。
残念ながら、現在それらの土人形は残っていない、とのこと。


近隣では一番大きいと云われる鐘楼があった。
この日もMZさんは参加していないため、鐘を撞く人がいないのがちょっと寂しい。
この日一人で参加した奥様によると、MZさんは自転車で転んで鎖骨を骨折したそうで、
現在治療中とのこと。
一日も早く回復して復帰されることを祈るばかりである。


町指定文化財 沼崎山畧縁起なる古文書が永泉寺にあるそうだ。


本堂の近くに墓のような建造物が。
中を覗いてみると・・・


家紋(九曜)の下に相馬一族累代霊位と書かれていた。
永泉寺の歴代の住職のお墓ではないかと思われる。


永泉寺を後にして、来た道を引き返す。


松並西交差点を直進し、北園森林公園を目指す。


TX(つくばエキスプレス)の高架下を通り抜け、


左に曲がって、TX線に沿って進む。


TX近くの新町公園内を通り抜け、


住宅地を進む。


少し進んだ所を左折し、北園森林公園方面へ。


『この辺は新しい家が多いわね~っ』


住宅地を通り抜ける少し広い道路を横断し、


古城川を渡る。
流れの途中に流れを遮るダムのようなものが。
『流れを堰止めちゃうんじゃないっ?』
『この前の大雨の時は大丈夫だったのかしらねっ』


住宅地の中を迷いながらも10時34分、北園森林公園入口に到着した。


森林公園内を進むと、


日当たりの良い広場があったので、ここで一休みしていくことに。


森林公園内にはさまざまな遊具施設があり、子供と遊ぶのには適している。
『今度、孫を連れて来てみようかなぁ』


一休み(1)


一休み(2)


一休み(3)


『紅葉がちょうど見頃だねっ』


森林公園内を進み、次の目的地守谷城址を目指す。


10時53分、守谷城址公園北口に到着した。


多目的広場を通って守谷城址跡へ行ってみよう。


石段を下り・・・


木の橋を渡り、


守谷城址跡方面へ。
『この辺は一段低くなって湿地帯のようだねっ』


湿地帯を通り抜け、小高い丘へ。


11時9分、守谷城址二の曲輪(二の丸)跡に到着した。
守谷城は、鎌倉時代に築かれた相馬氏の居城だが、平将門が築城したという伝承もある、そうだ、
『二の丸跡は意外と広いんだねぇ』


守谷城想定図
『城の周りは内海だったんだっ』
『天然の堀に囲まれた城といった感じだったんだねっ』


『なかなか眺めは良いんじゃないっ?』


守谷城址からの眺望
『今見えてる所はず~っと内海だったんだぁ』


かつての虎口らしき場所を通り、二の丸跡を下る。


城門跡の空堀らしき前を右手に見ながら、


守谷小学校方面へ進むと、


守谷城址公園南口と思しき所に出た。


左方向へ進んで道路を横断し、


少し進むと、守谷小学校の正門前に出た。
『随分立派な建物だよねっ』


守谷小学校の校庭を左手に見ながら進むと、


守谷小学校校庭の先の巨木の脇に茨城百景守谷城址の碑が建てられていた。


守谷城址の碑
”守谷城の概観”には以下のように記されている。
守谷城は、平台山と称する島状の台地とを併せて呼ばれている。
鎌倉時代の初期に平台山に初めて城館が構築されたが、戦国時代になると戦闘様式等の進展に伴って、
城は現在の守谷小学校周辺に増築・移転した。
平台山に最初に築造された城のことを「守谷本城」とも呼ばれている。
この守谷本城は鎌倉時代になって、平将門の叔父にあたる平良文の子孫、相馬師常によって築城されたもので、
素朴な鎌倉様式を残した名城である。
師常は源頼朝の旗上げに最先かけて参陣し、頼朝の重臣として幕政に参画し、その功によって
相馬郡のほかに結城・猿島・豊田(の一部)の緒郡を拝領し、さらには奥州相馬の地をも賜わったのであるが、
守谷本城はそれら領地を統括する本城としての役割を演じたものである。(以下略)


守谷城址の碑前の道路を進んで、突き当たりを右へ折れると、


11時39分、八坂神社に到着した。


八坂神社の参道


拝殿手前に大きな欅の木が聳えている。


幸結びの御神木
八坂神社の御神木は樹齢400年を越える欅です。
この欅は不思議なことに一度分れた枝が結び合わさっています。
古くから日本には結び信仰があります。
ご縁を表す”結び”は古くは「産霊(むすび)」といって、天地・万物を生成、発展、完成させる
ご神威のことを表していました。
縁を結ぶ。実を結ぶ。心を結ぶ。
皆さんも様々な幸が結ばれるように、御神木に願いを込めて、絵馬を結んでみませんか?


八坂神社拝殿に、当会の会員に幸あれとの願いを込めて、参拝!


八坂神社から引き返す形で野鳥の森散策路方面へ。


守谷郵便局手前を左折して住宅地を進むが・・・


”野鳥の森散策路”入口に当る西林寺が見つからないため、車の手入れをしていた人に尋ねると・・・
西林寺は郵便局の少し先とのこと。
(参考本の地図の誤表記だったことが判明)


守谷郵便局前まで戻ってさらに道路を進むと、


西林寺入口を示す石の道標があった。
(よく読むと守谷山西林寺と刻まれている)


道標に従って細い路地を進むと・・・


12時7分、突き当たりが西林寺だった。
西林寺は天台宗のお寺で、延喜二年(902)比叡山の延昌慈念僧正によって現在の守谷市高野に創建され、
元禄四年(1691)に現在地に移されたと伝えられている、とのこと。
平将門の子孫と伝わる相馬氏の菩提寺でもあるらしい。


西林寺を過ぎて”野鳥の森散策路”の方向へ進むが、行き止まりのように見える。


引き返そうとしたちょうどその時、小型車が止まっていたので、”野鳥の森散策路”のことを訊ねると、
順路などを親切丁寧に教えてくれた。
たまたま持っていたという「守谷野鳥のみち」というパンフレットを十数部いただくことが出来た。
なお、”野鳥の森散策路”は先ほどの径を下って行けば問題なく行けるとのこと。
南守谷駅方面への径も丁寧に教えてくれた。
厚く礼を言って、”野鳥の森散策路”へ向かった。


もう一度先ほどの径を進み、


緩やかな坂を下って行くと、


”野鳥の森散策路”の歩道があり、そこを右に曲がって南守谷駅方面へ。


湿原の中の”守谷野鳥のみち”の水辺コースを進む。


『守谷にこんな所があるとは知らなかったわね~っ』
『なかなか良い所だよね~っ』


”守谷野鳥のみち”で確認された鳥のうち30種ほどが写真展示されていた。
オオタカや、サシバ、ノスリ、ハヤブサなどの猛禽類をはじめ、カシラダカやベニマシコなど
あまり馴染みのない名の鳥も。
『ここでこんなにたくさんの鳥を見ることが出来るんだぁ』


行き止まりか?
『さっきのおじさん、突き当たりを左に行けば良いって言ってたわよねっ?』


と言うわけで左の森の方へ。


アップダウンしながら森の中を進んで行くと、


視界が開けた湿原に出た。
左の方へ歩道が続いている。


愛宕南口580mと書かれた方へ。


湿地の歩道は民間ボランティアや地元中学生などが協力して設置したそうだ。


『よくこんな歩道を作ったわよね~っ』
『感心しちゃうよねっ』


愛宕南口180m 南守谷駅500mの標識が。


右手に建物が見えた。
愛宕中学校の校舎と思われる。


薄暗い森を抜けると・・・


12時32分、”守谷野鳥の森散策路”の愛宕南口に到着した。
関鉄南守谷駅350mとある。
『あと350mでゴールだねっ』


”守谷野鳥の森散策路”の愛宕南口を出て、


350m先の関鉄南守谷駅を目指す。


関鉄の線路下のトンネル。
南守谷駅はトンネルを潜った左と思われる。


線路下のトンネルを潜ると、


12時33分、南守谷駅に到着した。


ホームに出ると、


直ぐに12時36分発の取手行き列車(1両)が入って来た。
『計ったようにぴったしだったねっ』


12時51分、取手駅に到着し、改札口で解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
この後、皆さん好きな食べ物屋を求めて分れて行った。


我々いつものメンバーは、取手駅ボックスヒルのレストラン街へ。
そば・天ぷらの田中屋に入ることにした。


先ずは冷たい生ビール(¥550)で『かんぱ~いっ』
『お疲れさま~っ』


ランチメニューから各自好みのものを注文した。
『かつ丼にしようかなっ』  『天丼がいいねっ』
『まぐろ丼を頼むことにしよっと』
皆さん、それぞれお好みのランチを注文した。


『取手に来た時はなんだかいつもこの店だよねっ』
以前より店の数が少なくなったのに加え、蕎麦・丼が口に合う歳になったからではないかと思われる。


自分は天丼ランチ(¥930)を注文した。

昼食後、土浦行き電車で帰路に就いたが、取手駅で解散した女性陣の殆どが
同じ電車に乗り合わせていたことを報告しておこう。

久し振りの好天に恵まれ、”守谷城址公園と野鳥の森散策”ウォーキングを歩き終えた。
初めての”守谷城址公園と野鳥の森散策”だったが、古社寺あり、城址ありで楽しめた1日となった。

西林寺の近くで居合わせたおじさんにいただいた”守谷野鳥のみち”パンフレットによると、
今回歩いた”守谷野鳥のみち”(守谷野鳥の森散策路・鳥のみち)は、守谷野鳥の森散策路の
西林寺口から愛宕南口への”鳥のみち”(土の道)の水辺ルートだったことが分った。
これは野鳥の森散策路のほんの一部で、他にも南ルートや北ルート、さらに守谷城址跡へと通じる
”鳥のみち”(木の道)があることを知った。

次に機会があれば、今回歩いていない野鳥の森散策路の”鳥のみち”(土の道)の南ルート、北ルート
および守谷城址跡へと通じる”鳥のみち”(木の道)の上流域・下流域を是非とも歩いてみたいと思った。

この日の万歩計は、16,500歩を計測していた。

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雨が恨めしい 古社寺探訪と秋川渓谷

2019年11月22日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年11月22日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第22回(2019年第34回)、「古社寺探訪と秋川渓谷ハイキング」に参加した。

当会としては秋川渓谷を歩くのは初めてである。
この日は、武蔵五日市駅を出発して秋川渓谷に沿って古社寺を巡り、十里木バス停まで
歩くことにしているのだが・・・
前日の予報ではこの日は昼頃から雨になっているので、何とかそれまでは持って欲しいものだ。
雨の降るのが早まったり、強く降ったりすれば、途中で打ち切ることも考えなければならない。
ここのところ雨に悩まされることが多いのが気になっている。

三中公民館の玄関の庇下でバスを待つ。
この日は気温が低い。5-6℃くらいだろうか。


7時22分、ほぼ定刻通りに常南交通のバスがやって来た。
土浦市民会館、天川団地入口からの10名を乗せて。


この日の参加者は21名である。
前日の段階では22名だったが、参加を申し込んでいたことを忘れてしまった人が出て、
結果として21名となった。
皆さんの賛同を得て、弁当代だけ払って貰うことに。


朝食の弁当
前回のバスハイク(10月25日)の時と同じメニュー(太巻き)である。


7時46分、つくば牛久ICを通過し、


圏央道を西に向かって走る。


利根川を渡り、


8時39分、菖蒲PAに到着。


休憩を摂っている間に昼食の弁当が届けられた。
雨模様のため、弁当を食べるのはバスの中になることが考えられるので、配るのは後にしよう。


鶴ヶ島JCTを通過して、圏央道を走る。


9時32分、日の出ICを通過。


都道165号(永田橋通り)、都道33号(秋川街道)を走り、


9時51分、スタート地点の武蔵五日市駅に到着した。


常南交通のバスはこの後ゴールの十里木バス停へ向かうことになる。
その前に、この後雨が強くなった場合、途中まで迎えに来てもらうよう運転手さんに確認して、ここで別れた。


バス乗り場を雨除けに出発準備を終え、


駅前の交番裏のトイレで体調を整えて、


10時4分、出発!
この時点では雨はまだ小降りである。


武蔵五日市駅前を通り、


都道33号(秋川街道)を横断。


秋川街道を少し進んだところに、


”秋川渓谷”と書かれた大きな看板があった。


看板の傍の秋川橋河川公園0.3Kmの標識に従って、


石段を下ってゆくと、


右手に秋川の流れが現れた。


秋川橋を渡り、


秋川に沿って上流の方へ。


河原に近いところを歩いてみよう。
この辺りは「秋川橋河川公園BBQランド」で自然の中でバーベキューが楽しめる、とのこと。
先月中旬の台風19号による大雨の影響を受けた秋川の河原では、現在、整備工事が行われていた。


上流へ進み、


あゆみ橋を渡って対岸へ。


あゆみ橋の上から上流を望む。
『川の流れはきれいだねっ』


秋川の対岸の縁を上流へ進む。
遊歩道には大きな桜の木が立ち並ぶ。
桜の時期には大勢の鑑賞者が訪れるのだろう。


しばらく進むと堰があった。


堰を左に見ながら右折して、阿伎留(あきる)神社を目指す。


急坂の道を上り丘の上へ。


丘の上から秋川方面を望む。


坂道を上りきった所を左折すると、白い鳥居が見えた。
阿伎留神社のようだ。


10時37分、阿伎留神社に到着した。


阿伎留神社は、多摩八座(以下参照)の筆頭に挙げられる古社である。
・阿伎留神社(五日市町)・小野神社(多摩市、調布市の2ケ所)・阿豆佐味天神社(瑞穂町)
・布多天神社(調布市)・大麻止乃豆乃天神社(稲城市)・穴澤神社(稲城市)・虎柏神社(調布市)
・青渭神社(稲城市)


阿伎留神社に参拝


参拝後、阿伎留神社を後にして、拝殿正面の小径を進み、


突き当たりを右に折れて、細い坂径を下って行くと、


秋川に架かる小和田橋があった。


小和田橋を渡って対岸へ。
次の目的地は禅宗の古刹広徳寺である。


『川の流れは凄くきれいだよねっ』


小和田橋を渡り、広徳寺650mの標識に従って右折。


少し進んで左折して今度は坂道を上る。


広徳寺への上り口には庚申塔や石仏、念仏供養塔などの石仏群が並んでいる。


坂道を上る。


坂道の途中からの眺め。
雨に霞んで幻想的である。


『紅葉がきれいだねっ』
広徳寺への道端のところどころに赤く色づいた紅葉を見ることができる。


10時59分、坂道を上りきった正面に広徳寺の総門があった。
寺号標に臨済宗建長寺派 広徳寺とある。
応安六年(1373)に創建された禅宗の古刹である。


趣のある茅葺き屋根の総門


総門を潜って参道を進むと、


江戸時代中期の建造物と考えられている重厚な構えの茅葺の山門が。
楼上の横額には正眼閣(しょうげんかく)の額が掲げられている。
山門は、あきる野市指定文化財となっている。


山門を潜ると2本の巨大な銀杏の木が迎えてくれた。


本堂側から見た山門
雨脚が強くなってきたため、山門の軒下で雨宿りをする皆さん。


本堂側から見た銀杏の大木。
『ほんとに紅葉が素晴らしいわねっ』
『雨の中来た甲斐があったよねっ』


鐘楼の鐘
この日はMZさんは参加していなかったため、鐘を撞く人はいなかった。


堂々とした杉の皮葺きの広徳寺本堂
『いやぁ 立派だねぇ』


広徳寺の庫裏も立派な造りである。
玄関の造りは街道宿の本陣を思わせる。


本堂の裏手に回ると緑の水草に覆われた小さな池(貯水池)があった。
池端の紅葉とのコントラストが美しい。


貯水池から見た本堂


本堂裏に東京都の天然記念物に指定されたタラヨウの大木があった。
以下の説明が、
龍角山広徳寺は、五日市の古刹として著名な寺院であり、その本堂の裏手に都内最大のタラヨウが聳えています。
タラヨウはモチノキ科の樹木で、主に東海地方から近畿地方以西の日本と、中国大陸の暖帯に分布する高木の常緑樹です。
本樹はほぼ自然形を保っており、主幹は直立し、幹周り2.5m、樹高は19.1mに達します。
その枝張りは東西約14.2m、南北約15.5mの威容を保っています。
東京都教育委員会


タラヨウの大木のさらに奥には都内最大級と言われるカヤの巨木があったそうなのだが、
雨脚がさらに強くなり、奥へ行くのは諦めて引き返すことにした。
11時10分、雨が一向に止む気配がないため、ゴールの十里木バス停で待つバスの運転手に、
五日市警察署近くのコンビニまで迎えに来てもらうように電話で依頼した。
30分後を目安に落ち合うことにした。


11時21分、広徳寺を後にして、秋川渓谷を目指した。


坂道を下り、


小和田橋を渡り、


秋川渓谷の清流に沿って進む。


秋川渓谷の清流
前方に見えるのは佳月橋と思われる。


11時40分、佳月橋に到着。


佳月橋を背にバスとの待ち合わせ場所のコンビニを目指した。


坂道を上って、


いくつかの角を曲がり、指定したコンビニへ。
『コンビニの看板が見えるねっ』


11時49分、コンビニに到着。
コンビニの駐車場には先に到着したバスが待機していた。


コンビニでめいめい体調を整え終わった。
何も買わないでトイレだけ利用というのは『申し訳ないわよねっ』と皆さん。
『せめてお茶の一杯くらいはだよね~っ』
12時5分、全員が揃ったところで圏央道の菖蒲PAへ向けて出発!
バスの運転手さんによると菖蒲PAまでは約1時間とのこと。
『皆さん! 弁当まであと1時間我慢しましょうっ!』


五日市市内を圏央道へ。


12時23分、日の出ICを通過し、


圏央道を走る。
次第に雨が強くなり、視界が効かなくなった。
『広徳寺で止めて良かったってことだよねっ』


鶴ヶ島JCTを通過し、圏央道を一路菖蒲PAへ。


12時59分、圏央道菖蒲PAに到着した。
五日市のコンビニから1時間未満での到着である。


早速弁当を配る。


この日の昼食弁当
開けるのが楽しみだ。


外は雨のため、全員バスの中で弁当を食べることになった。
お腹も空いていたので、美味しかった。
持参したワインのつまみにぴったりだった。


弁当タイム(1)


弁当タイム(2)


弁当タイム(3)


弁当タイム(4)


菖蒲PAで土産物を探すために、いつもより少し長めの休憩タイムを設けることにした。


『何にしようかしらっ』
『いつも迷っちゃうのよね~っ』


土産物を物色する皆さん、


14時5分前、それぞれ土産物を買い求め終わったところで帰路に就いた。
ワインの酔いも手伝い一眠りしてしまった。
ハっと目を覚ますとつくば牛久ICを通過した直後だった。
左手につくばイオンが見えた。


三中公民館はもうすぐだ。


15時9分、三中公民館に到着した。
当初予定していた時刻より1時間半以上も早かった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『皆さん、これに懲りずにまた参加して下さいね~っ』


またしても雨に降られた「古社寺探訪と秋川渓谷」バスハイクとなった。
ゴールの十里木バス停まで歩けなかったのは残念としか言いようがない。
ほんとに雨が恨めしい。
10月に入って3週連続雨で中止となり、第4週は豪雨のなかバスハイクに出かけるという
前代未聞の例会となったのは記憶に新しい。
その記憶がまだ覚めやらぬなか今回の雨のバスハイクである。
まさに雨に祟られていると言っても過言ではない気がする。

これまで自分を”晴れ男”とばかり思っていたが、返上しなければならない。
今年のバスハイクはこの日が最後となったが、来年は雨に降られないことを祈るばかりである。

この日の万歩計は、8,500歩を計測していた。

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全コース登頂 宝篋山ハイキング(常願寺コース)

2019年11月15日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年11月15日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第21回(2019年第33回)、「宝篋山ハイキング(常願寺コース)」に参加した。

第一集合場所の乙戸沼公園の銀杏が黄金色に輝き、見頃を迎えている。
この日は快晴、素晴らしい天気だが、乙戸沼公園に集まったのはなんと自分も入れて2名。
乙戸沼公園でこんなに少ない人数は初めてである。


この日のスタート地点、筑波山麓小田駐車場へ行ってみると、10名ほどが集まっていた。


この時期、宝篋山登山口の小田休憩所駐車場は混むことが予想されたので、こちらの駐車場へ
変更したのだが・・・
その後1名がやって来て参加者は13名となったが、天気も良くて地元という条件にしては少ない。
『間違って小田休憩所へ行ちゃった人がいるのかしらっ?』


TKさんが、午後に予定があるとのことなので、10時5分前だったが出発することに。
少しでも時間を有効に使うため準備体操は省略である。
小田休憩所を経由して宝篋山を目指すことにした。


女性陣が後ろに続く。


国道125号小田十字路を横断し、


小田休憩所へ。


予想どおり小田休憩所の駐車場は満車状態だった。


満車のためか、引き返す車も。
『駐車場を変えて正解だったよねっ』


小田休憩所で体調を整え、


10時10分、あらためて宝篋山目指して出発だ!


田んぼの中の小径を進む。


この日の宝篋山登山は、常願寺コースである。
宝篋山の登山コースは小田城コースや極楽寺コースなど6つあるが、常願寺コースを登るのは初めてだ。
下りは、一度だけ2017年11月3日(金)に歩いている。
今回の常願寺コースで6つ全てのコースを登ることになる。


左手に宝篋山山頂の鉄塔が見える。
『あそこまで登るんだねっ』


常願寺コースを進む。
しばらくは平坦な径が続く。


コースの案内標識が諸処に整備されているのが心強い。


『ススキがきれいだね~っ』


小田休憩所1.3Km、宝篋山山頂まで2.6Kmの地点を通過。


10時27分、最初の休憩。
この日は気温が低いとの予想だったが、『意外に温ったかいねぇ 汗かいちゃったよっ』
皆さん、上着を脱いで調整である。


10時31分、宝篋山を目指す。


”沢の小道⇒” ”約500m先で合流します” とある。
『この先、沢があるんだっ』


しばらく進むと、杉林の道になった。


右手の方から、次第に沢の流れる音が聞こえてきた。
『沢が近そうだねっ』
沢の音を聞きながら緩やかなアップダウンの小径を進むと・・・


ようやく登山コースらしい山道になった。


なんと下山する人とすれ違った。
宝篋山からの下山と思われるが、随分早い。
『こんちわ~っ』


”宝筐山”の標識に従って山道を進む。


沢に沿った瓦礫の坂道を登る。


『瓦礫の径は歩き難いわねっ』


10時57分、純平歩道への分岐点を通過
極楽寺コース合流まで1.0Km、山頂(宝篋山)1.9Kmとある。


登山道が次第に急勾配になってきた。


つづら折りの山道が続く。


『いやぁ この上りはけっこう厳しいねぇ』


『ゆっくりで良いですよ~っ』
少しづつ遅れだした後続Gに声を掛ける。


坂道の途中で堪らず休憩する後続G。


少し上り、


また一休みの繰り返しである。


尖浅間(とがりせんげん)経由 山頂(宝篋山)1.4Kmの地点を通過。
『尖浅間まであと少しだねっ』


長長坂(ちょうちょうざか)の貼り紙が。
『長い坂道だもんね~っ』 『まだ続くのかしらっ?』
尖浅間山は間もなくと思われる。


『いやぁ ほんとに堪えるね~っ』


力を振り絞って登ること凡そ40分、


11時23分、ようやく尖浅間に到着した。


尖浅間 山頂(315m)
『この前の小町山(361m)より低いんだっ』
『だけど、尖浅間の厳しさは小町山以上だよねっ』


『いやぁ まいったよっ』 『体力の限界というか、歳だねっ』
一ヶ月後には大台の「傘寿」を迎えるというTKさん。
まだまだ頑張って欲しいものである。


皆さんも相当疲れた様子だ。


『甘いものどうぞっ』  『あらぁ ありがとうっ』


木々の隙間から宝筐山の鉄塔が見えた。
『宝筐山までもう一息頑張らないといけないんだねっ』


11時32分、宝筐山目指し、


尖浅間を下る。


尖浅間を下り、少し進むと、


”合体木”があった。
”こなら”と”さくら”の木がぴったりとくっついている。
”夫婦円満、縁結びのお願いをかなえるかも・・・” と書かれている。


”合体木”を過ぎると平坦で視界が開けた径になった。


緩やかな坂道を下り、


今度はやや急な坂道を宝篋山を目指す。


前方は尾根のようだが・・・


11時52分、見晴らしの効く尾根に出た。
極楽寺コースへの分岐点の100mほど手前である。


尖浅間からは幾分楽だった様子のTKさん。
午後に予定が入っているため、ここで引き返すことになっている。
『最後まで歩きたかったんだけど、残念だねっ』
言葉とは裏腹に満面の笑みが満足を物語っている。


後続組が到着し、揃って100mほど先の極楽寺コースへの分岐点へ。


12時3分、TKさんとはここで別れた。極楽寺コースを下ると言う。
『それじゃぁ、気をつけて下ってくださいねっ』
『大変お疲れさまでしたぁ』


宝篋山手前のバイオトイレが見えて来た。


12時11分、後続組もバイオトイレ前に到着。


全員揃って宝篋山山頂を目指す。


山頂の浅間神社の鳥居が目の前だ。


浅間神社の鳥居を潜り、


12時18分、宝篋山山頂(461m)に到着した。


山頂の石造宝篋院塔(県指定工芸品)
この宝篋院塔は標高461mの小田山頂にあり、南麓にあった僧忍性の在住した極楽寺と関係があると推定される。
山頂には土壇が築かれ、その中央に置かれた石造基壇上に本塔が建てられている。
(中略)
この塔の製作は鎌倉時代中期又は文永初期と推定される。
(つくば市教育委員会)


この日は筑波山がいつになくはっきりと見える。
素晴らしい眺めだ。


パノラマ写真


空いているベンチを見つけて、弁当タイム(1)
特等席が空いていた。


弁当タイム(2)
『ここからの眺めは最高だね~っ』


弁当タイム(3)
夫婦仲良く。


12時57分、下山開始!


バイオトイレで体調を整え、


13時7分、下山開始だ。
下りは小田城コースである。


ゴールの筑波山麓小田駐車場を目指す。


小田城コースのもう一つの山頂への分岐点を通過し、


快調なペースで宝篋山を下る。


13時15分、山口コース(2)の分岐点を通過
小田城コース入口まで2.6Kmの標識が。
ゴールの駐車場までは1時間ほどだろうか。


下浅間神社の展望所に立寄ってみよう。


『素晴らしい景色だよね~っ』


下浅間神社の展望所からの眺望


『麓がはっきり見えるねっ』


下浅間神社の展望所を後にして、


小田城コースを下る。


硯石


『こうやって石を摺るんだねっ』


七曲
この先七回ほど右へ左へと急坂のカーブが続く。


『岩と瓦礫だから歩き難いよねっ』


数分で、七曲を無事通過した。


七曲を通過し、小田城コース入口を目指す。


13時52分、純平歩道への分岐点を通過。


ずっと先頭を歩く当会最高齢のKK(85)さん。
いつも元気に歩き続ける姿は、当会男性陣の目標とするところである。


幾分平坦になった小田城コースを下る。


堂平と書かれた標識の前を通過し、


小田城コース(左)へ進むと、


14時11分、小田休憩所(左)への分岐点に到着した。


この分岐点で最後の休憩を摂り、


小田城コース入口(0.5Km)へ。


急坂の径を下る。
『滑るから気をつけてっ』


急坂の径を下ること数分、


愛宕神社の前を通過すると、


麓の家々が見えてきた。
間もなく国道125号だ。


麓の八幡宮の鳥居に到着。


八幡宮に向かって一礼し、ゴールの筑波山麓小田駐車場へ。


14時30分、国道125号に出た。


国道125号を横断し、


筑波山麓小田駐車場へ。


駐車場は目の前だ。


14時36分、ゴールの筑波山麓小田駐車場に到着した。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『帰りは気をつけてねっ』 『また来週お会いしましょうっ!』 


今回初めて宝篋山の常願寺コースを登った。
宝篋山には全部で6つのコースがあるが、これで全てのコースを登ったことになる。
常願寺コースの登山道は一番長く、尖浅間への”長長坂”は最もきつい登山道ではないかと感じた。
会としては、年に一度は宝篋山ハイキングを企画している。
そのうちまた常願寺コースに挑戦してみたい気はするが、その時は果たして何名が参加するのだろう。
また、最後まで無事に登れるだろうか。一抹の不安はある。

この日の万歩計は、14,000歩を計測していた。

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名物のうなぎに舌鼓 酒々井駅から成田山新勝寺へ

2019年11月08日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年11月8日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第20回(2019年第32回)、「酒々井駅から成田山新勝寺」ウォーキングに参加した。

この日のコースは、2012/05/24に「成田街道を歩く」の最終回で歩いたコースである。
このときは京成佐倉駅をスタートして成田山新勝寺がゴールだった。
あの時から既に7年半が経ったことになる。

荒川沖駅7時59分発の電車を待つ皆さん。


土浦駅から乗車した会員の皆さん。
この時点で合せて21名の参加者である。


我孫子駅で成田線に乗替える。


成田線車内
我孫子駅を出る時は満席状態だったが、我孫子駅から3つ目の新木駅を過ぎた頃から車内は空いてきた。


この日の参加者の皆さん。


『今日は天気が良いから楽しみだよねっ』


終点の成田駅で9時42分発の千葉行きに乗替えて、


9時49分、この日の出発地酒々井駅に到着した。
到着したホームでこの日の地図を配布し、コース概略を説明。


改札口を出たところで、FJさん夫妻が待っていた。車で来たと言う。
結局この日の参加者は23名となった。
久し振りの20名越えで賑やかだ。


酒々井駅西口を出て、


10時8分、酒々井駅を出発!
目指すは成田山新勝寺。
天気は快晴、予想最高気温は17度とまさにウォーキング日和だ。


酒々井駅西口を国道51号方面へ。


ほどなく国道51号に出た。


国道51号を右に曲がり、成田方面へ。


国道51号を進む。


この辺りは国道に沿って側道があるので、安全で歩き易い。


『安心して歩けるよねっ』


成田まで7Kmの標識


国道51号は交通量が多い。
大型トラックがひっきりなしに走る。


道路脇に”なごみの米屋”の看板が。
『成田山新勝寺の門前町を代表する店らしいよねっ』


10時34分、大崎成田山道標があった。
明治27年(1894)に成田山信集講の岩田長兵衛が建てた案内道標5基のうちの一つである。


成田山道標の後ろに宗吾道を指差す道標が。
国道51号線を横断して直進すると、宗吾霊堂へ通じる。


旧街道(旧成田街道)を進む。


国道51号と並行し、かつて松並木(伊篠松並木)があった旧街道を進む。
昭和末期までは旧街道沿い約800mに渡り松並木が続いていたが、すべて枯れてしまった、そうである。


伊篠の松並木跡辺りを進む。
今月入会したばかりで、この日が2回目のHZ子さん(左)と初参加のIC子さん(右)
『最後まで歩けるかしらっ』とやや不安げな様子。


成田山永代護摩木山供養碑
成田不動尊の護摩を焚くための材木を用立てるため、信者が寄附した土地を記念した石碑。
護摩木山は護摩木を切り出す山(土地)を指す。
成田街道沿いには護摩木山が十数ヶ所あったらしい。
この石碑は成田街道にあって最大級クラスの石碑とのこと。


伊篠の石塔群(両側)と道標(中央)
道標には、正面に「東成田山、宗吾社道」、右側面に「西酒々井、佐くら道」、
左側面に「左しすゐ、停車場道」と刻まれている。


伊篠の松並木跡を成田山方面へ。


伊篠の松並木跡を抜けて国道51号を横断し、旧街道(左)へ。


旧道の途中に残る成田山(左)、不動尊(右)と刻まれた石碑


緩い下りの坂道の旧街道を進む。


谷津の田園地帯を進む。


旧街道脇に濃いエンジの毛糸の帽子を被せられたお地蔵さんがポツンと佇んでいた。


10時58分、国道51号の合流地点手前で一休みしよう。


『もう半分くらいは来てるかしらっ?』
『だったら良いんだけどねっ』
まだ1/3ほどではないかと思われる。


11時3分、国道51号へ合流し、


成田山新勝寺方面へ。


『成田山はよく行くけど歩いて行くのは初めてだわっ』


国道51号を成田山方面へ。


11時12分、成田市に入った。


公設地方卸売市場の看板が見えて来た。


お昼が近くなってきた。
外食屋の看板が目に付くようになった。
”いきなりステーキ”


”はま寿司”


”ラーメン山岡屋”
『いやぁ どの店も入ってみたい気になっちゃうよねぇ』
同感だが、ここは我慢、我慢。


右手に協会らしき建物が見えた。
末日聖徒イエス・キリスト教会成田ワードとある。
キリスト教教会、修道院らしい。


『300m先を左に行けば成田駅って書いてるねっ』


『交差点を渡って左だねっ』


交差点を渡り、角のコンビニ(LAWSON)を右手に見ながら、旧街道を成田山方面へ。


和算家飯嶋武雄の墓と解説碑


飯島武雄は、下総国金江津村(茨城県稲敷郡河内村)の出身で、通称武左衛門。
雅号を桃廼家(もものや)といい、幼少のころから神童と呼ばれ、12歳の時に既に算方(和算)の奥義を
究めたと云われている。後に江戸で私塾を開設して算法を教授。
その名声は広まったが、不幸にして失明して帰国した。
盲目となった後も近郷を巡回し口授により和算を教え、門下生は千余名に達したと云われる。
(以下略)


道路左手になごみの米屋があった。
成田山新勝寺の表参道に総本店がある和菓子屋である。
日本初の栗羊羹を作った。羊羹とどら焼きが人気があるそうだ。


一本松跡碑
成田山参道入口のこの地に、一本の松の大木がそびえていたという。
この松を見た旅人は、成田に着いたことを安堵したという。
残念ながら一本松は、昭和51年(1976)に枯死し伐採された。


交差点を渡り、一本松通りを進む。


11時44分、JR成田線の踏切を渡り、


一本松通りを成田駅方面へ。


11時52分、続いて京成本線を跨いだ。


阿利耶側道橋(アリヤソクドウキョウ)で京成本線を跨ぐ。


成田市勤労会館(左)を通過し、


成田駅方面へ。


FJさん夫妻も元気に成田山新勝寺を目指す。


左手にJR成田駅が見えた。


JR成田駅と京成成田駅との間にある千葉交通バス乗り場で一息入れる。
『ゴールの成田山新勝寺まであと一息だねっ』
昼食は成田山新勝寺に参詣した後まで我慢しよう。


12時16分、一息入れた後、ゴールの成田山新勝寺を目指して出発!


成田駅前の新勝寺側の交差点を横断し、


表参道を進む。


表参道を新勝寺を目指す。
この日は平日のせいかそれほど観光客は多くはない感じだ。


表参道を進む。


なごみの米屋総本店前を通過。
『帰りにここでお土産を買うことにしようかしらっ』


成田山薬師堂
薬師如来を御本尊とする。
薬師堂は、明暦元年(1655)に成田山本堂として、現在の大本堂のある場所に建立された。
元禄十四年(1701)の本堂(光明堂)再建に伴う移築を経て、安政二年(1855)5月、
現在の地に移転改築された。
「水戸黄門」で知られる水戸光圀や、初代市川團十郎が参詣された由緒ある御堂、とのこと。


成田山薬師堂を右に曲がったところに・・・


三橋鷹女(みつはしたかじょ)像があった。
説明板によると、
女流俳人の三橋鷹女は、明治三十二年(1899)成田市田町に生まれた。
成田高等女学校を卒業し、大正五年(1916)に上京。
大正十一年(1922)に歯科医師の東謙三と婚姻し、夫と共に俳句にいそしんだ。
最初は「鹿火屋」、次に「鶏頭陣」に属したが、後には結社に拠らず独自の句境を築いた。
ブロンズ像は平成十年(1998)、鷹女の生誕100年を記念して建てられたもの、と記されている。


表参道を新勝寺へ。


表参道の下り坂道を進む。


表参道の両側には土産物店やうなぎ屋が立ち並んでいる。


うなぎの蒲焼き


職人が見事な手捌きでうなぎを捌いていた。
『凄いわね~っ』


うなぎ料理のメニュー
『けっこう良い値段だね~っ』


うなぎ料理専門の店や


うなぎ料理と蕎麦の店もある。


12時34分、成田山新勝寺の総門前に到着した。
『いやぁ でっかい総門だねぇ』


総門を潜った先で手を洗い清め、


仁王門へ。


仁王門を潜ると、


小さな池がある。
亀が甲羅干しをしていた。


急な石段を上ると、


目の前に大本堂が。
成田山新勝寺は真言宗のお寺である。
寛朝僧正(かんちょうそうじょう)によって開山・開基され、江戸時代、庶民の信仰の場として、
多くの参詣客で賑わった。
成田山新勝寺では毎年2月に節分会が開催され、特別追儺(ついな)豆まき式が行われる。
新勝寺の豆まき式には、大相撲力士や歌舞伎俳優、芸能人などの特別参加年男(女性含む)が加わって、
華やかに行われることで有名である。
『いやぁ 実に堂々とした構えだよねぇ』


右手には三重塔(重要文化財)が。
正徳二年(1712)に建立された。
総高は25mで、塔内には大日如来を中心に五智如来が奉安されている。


参詣後、大本堂前で記念撮影を行い、


12時52分、新勝寺を後にして、表参道のうなぎ屋へ。


いろんな店があって迷ったが、店頭のサンプルに誘われて「近江屋」といううなぎ料理屋へ。


先ずは冷えた生ビールで『かんぱ~いっ』


『いやぁ 冷たくて美味いっ!』


せっかく成田山に来たのでうな重をと思ったが、注文したのは、全員うな丼(1,800円税込)だった。


うなぎの量が重の半分しかないとのことだが、ご飯の量と味は変らない、というのが主な理由である。
『けっこうボリュームもあるし、良い味してるよねっ』
『来年の柴又七福神巡りの時はうな重だねっ』


うな丼に満足し、表参道を成田駅方面へ。


なごみの米屋総本店へ立寄った。


米屋総本店の店内
明治32年創業の老舗和菓子屋で、成田山新勝寺の参詣土産として有名である。


見覚えのある人が土産物を買っていた。


皆さん、土産物をぶら下げて成田駅へ。
自分は栗羊羹、なごみるく、ぴーなっつ最中を買った。


14時32分、成田駅に到着。


成田線改札口へ。
次の我孫子行きは14時45分だ。


電車内は平日のため空いていた。
昼食後と少し疲れたこともあって、我孫子駅まで一眠りしてしまった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


”酒々井駅から成田山新勝寺へ”ウォーキングが無事終わった。
前回(11月1日)の”小町山遊々ハイキング”に続く20名超の参加者となった。
絶好のウォーキング日和に恵まれたのが大きいし、新入会員の参加があったことも大きな要因と思う。

昼食に成田山名物の新勝寺表参道のうなぎを食べた。
うな重ではなくうな丼を注文した。
味に変りはないものの、せめてうな重にしておけばとの思いは残る。
来年年明けの七福神巡りはうなぎが名物の”柴又七福神巡り”を企画しているので、
そのときはうな重を注文することにしようと今から申し合わせている。

この日の万歩計は、15,000歩を計測していた。

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初企画は大盛況 小町山遊々ハイキング

2019年11月01日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年11月1日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第19回(2019年第31回)、「小町山遊々ハイキング」に参加した。
当会における小町山ハイキングは初めてである。
個人的には昨年から今年にかけて10回以上は上っている好きなコースだ。

ハイキングには絶好の天気に恵まれたこの日、乙戸沼公園に集まったのは7名。
車2台で第二集合場所の小町の館へ向かった。


小町の館には既に多くの参加者が集まっていた。
その後数名が到着し、結局この日の参加者は25名になった。
久し振りの参加者数である。
『やっぱり 近くて天気が良いからだねっ』


大勢集まったことだし、三脚は持ち合わせていないが、小町の館をバックに記念撮影をしておこう。


KKさんの号令で準備体操(1)


準備体操(2)


準備体操(3)


準備体操(4)


10時2分、いつものように元気なTKさんを先頭に出発!


小町の館のシンボル、水車小屋を後にして、


朝日峠ハイキングコースを進む。


目指すのは小町山登山口である。


朝日峠ハイキングコース入口手前を左へ曲がり、小町山登山口方面へ。


『いやぁ 今日は久し振りに良い天気に恵まれたよねぇ』
先月(10月)は雨で3回連続で中止となり、先週は大雨のなかバスハイクだったため
決行せざるを得なかったが、佐倉市の歴史民族博物館内を歩くだけに止まった。
従って1ヶ月以上はまともに歩いていない状態が続いたことになる。


急坂を右に曲がると小町山登山口だ。


入口に小町里山愛好会の手作り”天の川源流と巨石群入口”の看板が立っている。


坂道の先に①小町山登山口の看板が見える。
以下丸数字①~⑪は小町山ハイキングマップに印された番号で、一目で位置が分るようになっている。


間もなく小町山ハイキングの始まりだ。


登山口に手作りの杖が備えられていた。
『借りて行っちゃおっ!』


登山口に鎮座している山ノ神に手を合せ、


10時12分、小町山のハイキング開始である。


やや急な山道を上る。


先頭がいきなり停止した。
『ここで水分を補給しましょうっ!』
小町の館を出発して13分しか経っていない。


予報ではこの日は気温が上がり、夏日になるかもということなので、早めの給水ということだ。


②尾根・沢コース分岐点を左へ。
右は巨石群がある小町の舞台岩に通じる尾根道になっている。
次回はこちらへ行こうと思っている。


少し下りの竹林を進む。


水の流れる音が林に響く。沢が近い。


③天の川沢コース入口を流れる沢を渡る。


沢の水はいつもより水量が多い感じだ。
10月末に降った大雨の影響と思われる。


沢に沿って坂道を上る。


④氷池を通過
今は枯れて水はないが、冬には氷が張る池が出現するのだろう。


石割桜 小町山の神 50m地点を通過
小町山の神は別の機会に訪れることにしよう。


小町山之神の石割桜
(昨年7月27日に訪れた時に撮影したもの)


熊の石へ通じる⑤東城寺分岐を左に曲がる。
せっかくだから熊の石へ足を伸ばしてみよう。


山の斜面を150mほど進むと・・・


右手に熊の石らしき大きな岩が見えて来た。


10時34分、熊の石に到着
『うわぁ 凄いわね~っ』歓声が上がる。


熊が両手を広げて覆いかぶさるような形をしていることから名付けられた、そうである。  
『崩れ落ちないのかしらっ?』 『怖いよねっ』


『怖いから上まで行きたくないよねっ』
皆さん、下から見上げるばかり。


10時41分、熊の石への分岐⑤東城寺分岐まで戻り、沢を渡って小町山を目指す。
⑥願いの滝ではタヌキのマスコット”タンタン”が迎えてくれる。


♫こまちやまのタンタンは♫ ♫いつもニコニコおでむかえ♫


⑥願いの滝を右横に見ながら沢に沿って小町山を目指す。


『かなりきつくなって来たわねっ』


右手に姫の滝が見えて来た。


姫の滝
天の川沢コースでは最も大きく、滝らしい滝である。


小町山を目指す。


⑦沢沿い回り道分岐の先で沢を渡る。
小町里山愛好会のボランティアの皆さんにより沢を渡る毎に丸太の橋が架けられている。
『ホントにご苦労さま』と言いたい。


⑦沢沿い回り道分岐の先で沢を折り返し、つづら折れの山道を上る。


『小町山って随分きついんだねっ』
この辺りが天の川沢コースで一番きつい場所だ。
1ヶ月以上のブランクがあるのでなおさらである。


丸太の椅子が並べられた休憩ポイントを通過


雄の滝の看板が見えたが、滝は全く見えない。
急な斜面を沢へ下って行かないと見えないのである。


雄の滝
(写真は昨年7月27日に撮影したもの)


天の川沢コースの最後の沢渡りを終えると、間もなく巨石群だ。


巨石群が現れた。


三角岩を過ぎ、


11時8分、⑨小町の舞台岩に到着した。
(写真は昨年11月20日に撮影したもの)


『ちょっと疲れちゃったわねっ』


『いやぁ 思ったよりきつかったねぇ』


ここでしばらく休憩することに。


FJさん夫妻はここで引き返すとのことで、残念ながらここで別れることにした。
尾根コースを引き返すという。
『お疲れさまでしたっ』  『お気をつけてっ』


しばし休憩の後、小町山山頂を目指した。


目の前に巨大な三段岩が聳える。


小野小町の和歌
花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
桜の花はむなしく色あせてしまった。長雨が降っていた間に。
(私の容姿はむなしく衰えてしまった。日々の暮らしの中で、もの思いしていた間に。)
小野小町は、平安前期の歌人で六歌仙・三十六歌仙の一人。
絶世の美人とされ、数多くの伝説を残す。


三段岩の横を通過


後ろに続く皆さん。


しょうがっこう(笑楽交)うらぐちを通過。
てっぺんまで300mの標識が。
『あと300mなのねっ? 頑張ろうっ!!』
(しょうがっこう(笑楽交):休憩広場となっており、ベンチなどがある)


右手に⑩展望岩が聳える。


11時28分、⑩展望岩下に到着。
展望岩下からの眺望


11時30分、⑩展望岩上に到着
『こっちからの眺めの方がちょっと高い分良いわねっ』


⑩展望岩の上からの眺望


後続組が⑩展望岩に到着した。
一足先に小町山山頂を目指す。


急坂を上ってゆくと、女坂展望所への分岐点があり、右の女坂の方へ。


11時38分、女坂展望所に到着した。
ここまで来ればあとは山頂を目指すだけである。


女坂展望所で一休みしよう。


女坂展望所からの眺望
『いやぁ ここからの眺めは素晴らしいねぇ』


朝日トンネルへ通じる道路がよく見える。


一息入れた後、小町山山頂を目指す。


『あともう少しだねっ』


小町山山頂の広場


11時48分、⑪小町山頂(361m)に到着した。


ほどなく後続組が到着した。


山頂から筑波山男体山(左871m)と女体山(右877m)の2つの峰がはっきりと見える。


ベンチに腰を下ろして筑波山を愛でている女性陣に振り返ってもらった。
『はいっ チーズ』


11時54分、パラグライダー離陸場へ。
『素晴らしい眺めだわぁ』


朝日展望公園駐車場、朝日展望公園展望台を望む。
後方は剣が峰から浅間山方面と思われる。
『あっちからもこっちが見えるのかしらっ?』
(もちろんはっきりと見えます)


11時59分、小町山を後にして下山開始!


おかめ岩コースを経由して小町の館を目指す。


急坂の径を下る。


『ロープに掴まって下さいね~っ』


しっかりとロープに掴まって下る。


”よろこぶ”の木を右手に見ながら、


急坂を下り、


丸太橋を渡る。


おかめ岩へ。


ここにあるはずの水車が見えない。
先日の大雨で壊れて撤去したのだろうか?


アルミの板で作られた水車
(写真は昨年12月18日に撮ったもの)


12時21分、朝日峠展望コース分岐点に到着
左が朝日峠展望コースになっている。
ハートの形をした石が目印だ。
ここを右に折れて、おかめ岩・小町の館方面へ。


おかめ岩方面へ。


12時25分、おかめ岩に到着


『今日ははっきりとおかめって分るわねっ』


おかめ岩をしっかりと見届け、充分に納得して小町の館へ向かう。


小さな沢を渡ると・・・


12時31分、朝日峠方面への分岐点を通過
朝日峠展望公園へのハイキングの時に通るポイントである。


急坂の岩場を下る。
沢の水で濡れた岩の径が続いているので、滑り易い。
『気をつけて~っ』


岩場を無事通過すると、”水飲み沢”がある。
『”水飲み沢”って書いてあるのに”この水は飲めません”っておかしいわよねっ』


小町の館を目指す。


下りの山道を小町の館を目指す。


山道を下ること約10分、麓の登山口に到着した。


『この杖助かったわっ ありがとうっ』  『また誰かに使ってもらえると良いわねっ』


小町の館へ。


アスファルト舗装の朝日峠ハイキングコースを小町の館へ。


12時58分、朝日峠登山口入口を通過。
『ようやく麓に着いたわねっ』


小町の館へ。


13時5分、小町の館のシンボル、水車小屋に到着。
ここで一応解散することにし、めいめい車単位で好みの蕎麦屋へ向かうことにした。


「小町庵」は10名ほどが待っているとの情報が入った。
時計は既に13時を過ぎている。
JA土浦の「まほら庵」がそろそろ空く時間帯なので、10名ほどが「まほら庵」へ向かうことにした。
「まほら庵」の店内は相変わらず混んでいたが、今の時間それほど待たされることはないだろう。


並んで待つこと10分、順次席に案内された。


皆さん、「海老天蕎麦」を注文。


自分は天ざる蕎麦(950円)を注文した。
天ぷらはかき揚げのみだったが、お腹が空いていたこともあり美味しかった。
13時半を過ぎていたため、炊き込みご飯は品切れだった。

食後に産直売り場で大好物の柿を買って帰路に就いた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

初企画の小町山ハイキングだったが、天気も良く久し振りの参加人数で盛況だった。
今回は天の川沢コースを経由して小町山を目指し、帰りはおかめコースを歩いた。
小町里山愛好会の地図によると、小町山へは天の川沢コースの他、尾根コースやおかめコース、
近くには朝日峠展望コースなどもあり、それらを組み合わせることによっていろんな景色が
楽しめると思う。
これからも適宜小町山ハイキングを企画したい。
なお、下山後に近くの蕎麦店で蕎麦を食すのも悪くはないが、弁当持参も考えてみたい。

この日の万歩計は、8,300歩を計測していた。
もう少し歩数があると思ったが、意外と少なかったのでちょっとがっかりしている。

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