ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

京都嵐山から常寂光寺へ そしてトロッコ列車

2014年05月06日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2014年5月6日(火)


二条城への登城後、京都嵐山へ向かった。
かみさんが是非渡月橋を歩いてみたいと仰るのである。
JR二条駅から山陰本線で15分ほどのJR嵯峨嵐山駅で降りて、嵐山渡月橋を目指すことにした。

JR嵯峨嵐山駅には13時頃に到着した。


JR嵯峨嵐山駅に隣接してトロッコ嵯峨駅があった。
聞けば、渡月橋までであれば、次のトロッコ嵐山駅よりもトロッコ嵯峨駅からの方が距離が近く、
次のトロッコ嵐山駅までは住宅街を走るため景色もあまり良くないとのこと。
また、トロッコ列車は終点のトロッコ亀岡駅まで乗っても、次の駅までの1駅で降りても料金は
620円で、変わらないとのことである。
嵐山渡月橋まで歩いて15分ほどらしいので、歩くことにした。


JR嵯峨嵐山駅前で昼食を摂り、渡月橋へ向かった


街中ではあちこちで人力車を見掛ける。
今はちょっとした歴史を感じる街へ行けば人力車を見掛けることが多い。


渡月橋近くの通りに到着した。
先ほどの街中に比べると人通りが一段と多い。
道路は歩行者専用のように人が歩いているが、時々車が走るので危ない。


天龍寺の参道前を通過。


JR嵯峨嵐山駅から15分ほどで渡月橋に到着した。
TVなどで見慣れた景色であるが、自身の目で見るのは初めてだ。


渡月橋を渡ってみよう。
想像以上の人の列である。


渡月橋から見た桂川下流の景色


渡月橋を渡ったところで、記念写真を撮り、引き返すことにした。


渡月橋を引き返すにも人の列が続く。
GW最後の休みで天気も良いとなれば、これは当然のことなのだろう。


渡月橋から見た桂川上流(大堰川)の景色


渡月橋の橋の袂で客待ちをしている人力車夫。


天龍寺山門があったので、ここを通って行けばトロッコ嵐山駅へ行けるだろうと考え、山門をくぐって中へ。


山門に続く中門を通って天龍寺の奥へと進む。
午前中に二条城を歩き回ったので、天龍寺の建物はどうでもよく、
最短距離で竹林の道へ行ければ良いと思っていたのだが・・・


中門をくぐってしばらく進むと法堂(はっとう)があった。
予備知識なしだったので、天龍寺のことは全く何も知らず、どこに何があるのかさっぱり見当がつかない。
たまたま寺の人と思われる人がいたので、訪ねると、この先から竹林へは行けないとのこと。
ただし、庭園(有料)を見た後であれば、北門からは出られる、とのこと。


仕方なく引き返して竹林の道を目指すことにした。
天龍寺の山門から法堂までの往復は余分だったことになる。
次第に歩き過ぎた疲れが出てきたせいか、かみさんからも愚痴を言われるようになってきた。
『これはちょっとやばい』


細い径を進むと、両側に竹林が現れ始めた。


ここも人が多い。
立ち止まって写真を撮るにも一苦労である。


この辺りの竹林はやや細い竹である。


鬱蒼とした竹林の中に野宮神社(ののみやじんじゃ)があった。


野宮神社を過ぎて、両側が竹林の中を進むと、天龍寺北門があった。
庭園(有料)を見た後であれば、ここから出ることが出来るのだ。


天龍寺北門を過ぎた辺りから竹林の竹が太い孟宗竹に変わった。


竹林もきれいに手入れされている。


これだけの竹に囲まれるというのは初めてである。
あちこちでカメラを構える人で通路は大賑わいである。


大河内山荘庭園
時代劇「丹下左膳」などで知られる、俳優大河内傳次郎が別荘として造営した回遊式庭園である。
時間もあまりないので、次の機会(?)に訪れることにした。


14時53分、トロッコ嵐山駅に到着。
次の15時10分発のトロッコ亀岡行きに乗ろうと思ったが、既に満席とのこと。
仕方なく、その次の16時10分発の切符(指定席)を買い求めた。何とか買えて一安心。
しかし、まだ1時間以上もあるため、それほど遠くない常寂光寺へ行ってみようということに。


小倉池を左手に見ながら常寂光寺(じょうじゃっこうじ)へ向かう。


常寂光寺へ。


小倉池から5分ほどで常寂光寺に着いた。
山門をくぐって境内に入り、その奥で拝観料400円を払い、寺内へ。


常寂光寺仁王門
慶長元年(1596)、大本山本圀寺十六世究竟院日上人が、この地に隠棲して開創した。
寺域が幽雅閑寂で、天台四土にいう常寂光土の観があるところから寺号となった、とのこと。


常寂光寺は古来、紅葉の名所として知られる、小倉山の中腹に寺域を占める日蓮宗の寺院である。


常寂光寺のもみじの緑が素晴らしく美しい。
秋は全山紅葉に包まれるというから、見事な紅葉を見せてくれるのだろう。
かみさんならずとも、秋にもう一度訪れてみたいものである。


苔むした景色も何とも言えない静けさと美しさがある。


じっとしていると常寂光寺の緑に染まりそうである。


石段を上ると鐘楼があった。


百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあるため、境内から嵯峨野を一望できる。


常寂光寺にはもみじの緑だけではなく、竹林もある。


鐘楼の先に多宝塔が見えた。


多宝塔
元和六年(1620)の建立で、檜皮葺造り。高さは12mある。
国の重要文化財に指定されている。


もっとじっくりと常寂光寺の緑に浸っていたいが、トロッコ列車に乗らなければならないので、
常寂光寺を後にしてトロッコ嵐山駅へ向かった。
売物件の看板が。
常寂光寺の直ぐ傍ということもあるし、値段は見当もつかない。


小倉池の池畔に御髪神社(みかみじんじゃ)なるものがあった。
日本で唯一の頭と髪の神社だそうだ。
列車まで若干時間があったので、かみさんは先に駅へ行ってもらい、立寄ってみることにした。


人間の頭を守る髪は頭の神様でもあり、最近では合格祈願等の参拝に訪れる人も多いらしい。
そう言えば、若い参拝者がたくさん訪れていた。


御髪神社の御祭神は、藤原采女亮政之公(ふじわらうねめのすけまさゆき)とのこと。


15時10分発の列車の案内があり、トロッコ列車のホームへ。


トロッコ亀岡行きの列車が来た。


驚いたことに、先頭3両が停まっているのは、トンネルの中である。
トンネルの中にホームはなく、後ろ2両がトンネル手前で停止していることから、
前3両に乗る場合は、後ろ2両からの乗車となるのである。


トロッコ列車からの眺め。
指定席は進行方向左側だったので、しばらくは保津川の景色を楽しむことが出来た。


ゆっくりと走ってくれるのはありがたいが、デジカメの素人にとっては、ピントが上手く合わせられない。
比較的写りの良いのをと選んだのがこの写真である。


トロッコ列車からの眺め
このピンボケで、我慢していただくしかない。


トロッコ列車からの眺め


トロッコ保津峡駅を過ぎると、景色は進行方向右側になってしまった。
列車は立席もあるが、満員状態である。
この状態では右側を見ることは難しい。
最初に左側を見れたことだし、トロッコ亀岡までじっと座って我慢することにした。


16時38分、トロッコ列車は終点のトロッコ亀岡駅に到着した。
折り返してトロッコ嵯峨駅行きになるのだが、今度は先頭となる5号車「ザ・リッチ号」は直ぐに満席になった。
「ザ・リッチ号」は窓がないため、これからの時期は人気が高いのだと思う。


トロッコ列車の編成は写真のようになっている。
因みに我々夫婦が乗ったのは、2号車だった。


トロッコ列車亀岡駅からは、


徒歩で最寄りのJR馬堀駅へ向かうことになる。
回りは田んぼ(まだ耕してなくて水も張られていない状態)ばかりで他に何もない。


トロッコ亀岡駅から5分ほどでJR馬堀駅に到着した。


JR馬堀駅から亀岡までは山陰本線を利用する。
JR馬堀駅に下りの電車がやって来た。


17時3分、JR亀岡駅に到着。
ここから愛車を停めてある道の駅「ガレリア亀岡」まで約1.5Kmである。
疲れているが頑張って歩くしかない。


亀岡市役所が見えてきた。
残り500mほどだ。


17時30分、道の駅「ガレリア亀岡」に到着した。
『お疲れさ~ん』


この日は朝から道の駅「ガレリア亀岡」を出発してJR亀岡駅まで歩き、二条城の外堀までも一周するなど歩き回った。
それだけでもかなり疲れたが、その足で京都でも有数の観光地である嵐山渡月橋を歩き、天龍寺・竹林の道・
常寂光寺と回って疲れはピークに達したが、小倉山の緑で少し癒されたのは救いだった。
さらには、トロッコ亀岡駅からJR馬堀駅、最後はJR亀岡駅から道の駅「ガレリア亀岡」まで歩いて戻るという、
強行軍であった。日頃あまり歩かないかみさんからはブーイングが浴びせられてしまった。
因みにこの日の万歩計は、27,000歩を越えていた。

この後、亀岡ICから沓掛ICまで京都敦賀自動車道を走り、沓掛ICから京都市内を走り抜け、
京都東ICで名神高速道に乗り、自宅へと向かった。


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日本100名城巡り No.53 二条城

2014年05月06日 | ウマさんの「日本100名城巡り」
2014年5月6日(火)


この日は朝から、二条城へ登城(訪問)した。

二条城は、慶長八年(1603)徳川幕府初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営した。
この時の城は、現在の二の丸に相当する場所にあった。
その後、三代将軍家光が、後水尾天皇の行幸にあわせて、寛永三年(1626)に改修を行った。
その時に本丸御殿と総塗籠の白亜の五重天守が作られ、今日の規模となった。

慶応三年(1867)、十五代将軍慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、
明治十七年(1884)離宮となった。
その後、昭和十四年(1939)に京都市に下賜され、平成六年(1994)には、「古都京都の文化財」のひとつとして
ユネスコの世界文化遺産に登録された。

駐車場を探す手間もあるし、車で二条城へ行くのは避けたい。
二条城に近いJR二条駅までは、電車(山陰本線)を利用することにした。
そのため、前夜は京都二条城からもそう遠くない、亀岡市の道の駅「ガレリア亀岡」に車泊した。


道の駅「ガレリア亀岡」から亀岡駅までの約1.5Kmは歩くことになる。
国道9号線を京都方面に向かって500mほど進むと亀岡市役所があった。


亀岡市役所からさらに約1Km進むとJR亀岡駅があった。
ここから山陰本線で二条へ向かった。山陰本線に乗るのは初めてである。


亀岡駅から20分ほどで二条駅に着いた。
ここからいよいよ二条城へ向かう。


10分ほどで二条城東大手門に到着。
近世城郭の典型的な櫓門である。


東大手門から真っ白な北方多聞塀と東南隅櫓を見たところ。


東大手門から北方面を見たところ。
堀川通りに面している。


東大手門前のチケット売り場には次々に人が訪れ、チケットを買い求めていた。
一人600円である。


いよいよ東大手門を入る。


中から東大手門を見たところ。


東大手門を入ると、直ぐ右手に番所がある。
案内板によると、
徳川将軍不在時の二条城は、幕府から派遣された「二条在番」と呼ばれる武士たちが宿直・警備していた。
一つの組は50人で構成され、二条城には2組が常駐し、毎年四月に他の組と交代していた。


この番所はその在番の詰所の一つで、寛文三年(1663)に建てられたことがわかっており、
間口十間(19.6m)、奥行三間(6.1m)の切妻造りの建物となっている。
現存する城郭の番所は全国的にも少なく、貴重な建物である、とのこと。


東南隅櫓を城内から見たところ。


東大手門正面の築地塀に沿って左(南)へ進み、二の丸御殿の唐門へ向かう。


二の丸御殿の唐門
まことに絢爛豪華な門である。
屋根は檜皮葺となっている。


唐門をくぐると正面に二の丸御殿車寄(来殿者の受け付け)がある。
寛永三年(1626)、後水尾天皇行幸に合せて改修した姿で現存している。
車寄の後ろの大きな建物は、遠侍(昇殿した大名の控室)である。


二の丸車寄に二の丸御殿の略図(間取り図)があった。
車寄・遠侍・式台・大広間・黒書院{小広間}・白書院{御座の間}などが連なる。


車寄から先は撮影禁止となっている。
御殿内部の絢爛豪華な障壁画など、天守や石垣とはまた違った城の魅力を感じさせてくれる。
絵画・彫刻・建築に、桃山から江戸への時代の移り変わりを見ることが出来る。
二の丸御殿の床板を踏むと、キュッ・キュッと音がなることから、「うぐいす張りの廊下」と云われている。
”百聞は一見に如かず”、自身の目で確かめるのが一番であろう。
二の丸御殿内は30分ほどで一回りできる。

二の丸御殿の遠侍裏に御清所がある。
二条城の調理施設である。
二条城内の建物はその殆どが重要文化財であるが、この建物も重要文化財となっている。


二の丸御殿を出て、二の丸庭園へ向かう途中、庭園入口に釣鐘が置かれていた。
説明によると、
この鐘は、幕末の政変の時期、二条城と北側の所司代との連絡に使われたもの。
鐘は二条城と所司代に設置された。
二条城では東北隅の艮櫓(うしとらやぐら)跡に所司代の千本屋敷から火の見櫓を移築し、
鐘楼を建て、鐘が設置された。
幕府の政務の場であった二条城と所司代は幕末の混乱の中、薩摩・長州など朝廷側の動向に備え、
鳥羽・伏見の開戦など非常時の連絡を告げ、明治に入ってから二条城に京都府が置かれた時も
非常時に備え、使用されていた。そうである。


二の丸庭園へ。


二条城二の丸庭園
松の木が多い。全てがきれいに手入れされている。


二の丸御殿の建物(式台・大広間・黒書院)に沿って二の丸庭園を進む。
見えている建物は大広間(将軍が諸大名と対面した部屋)と思われる。


二条城二の丸庭園
池には自然な形で石が配置されている。
小堀遠州の作と伝えられている、とのこと。


大広間から黒書院への廊下に沿って進む。
前方に見える建物は黒書院(将軍と親藩及び譜代大名が内輪で対面した処)と思われる。


庭園に青サギがいた。


二の丸庭園
庭は、寛永三年(1626)、池の南側に後水尾天皇の行幸御殿が建てられた際に改造されたと云われており、
大広間、黒書院、行幸御殿の三方向から見られるように工夫されている、とのこと。


二の丸庭園から見た二の丸御殿大広間
本瓦葺の屋根の二の丸御殿と庭園との調和が美しい。
二の丸庭園にはたくさんの松が植えられているが、1本だけ蘇鉄があった。
大広間と黒書院の間に蘇鉄の間があるが、何か関係があるのだろうか?


二の丸庭園を出て、次は本丸へ進む。
本丸への正面入口に本丸櫓門(本丸正門)があり、東橋を渡って中へ。
本丸櫓門は窓など無く、あまり見慣れない形をしている。


東橋から南方面(左方向)の内堀を望む。、


東橋から北方面(右方向)の内堀を望む。


本丸櫓門の虎口を通り抜けると、


大きな建物が目に入った。本丸御殿御常御殿である。
本丸御殿は、玄関・御書院・御常御殿・台所及び雁之間の4棟からなるが、御常御殿だけが一部二階建になっており、
中二階があるため、三階建のように見える。


本丸庭園を進む。
庭園は明治時代に作庭されたもの、とのこと。
この時期はツツジなどの花がアクセントとなって美しい。


唐破風造りの本丸御殿玄関


天守閣跡へ行ってみよう。


天守閣跡は、本丸御殿の南西隅に位置する。
天守は寛延三年(1750)落雷で焼失し、現在は何も残っていない。


天守閣跡から本丸庭園、本丸御殿を望む。


天守閣跡から西南隅櫓方面を望む。
堀の脇に見えるのは土蔵(南)で、米蔵である。


本丸御殿の出口へ向かう。
現在、門などは残っていない。


西虎口を出ると西橋がある。


西橋から本丸天守閣跡を望む。


西橋を出たところに休憩所があった。
普通は、ここから右回りで清流園を通って東大手門へ向かうことになるが、
それでは本丸御殿の南側は見ることが出来ない。


かみさんを休憩所に残して、一人で本丸御殿を一周してみることにした。
時計回りで本丸御殿を一周する。


内堀に土蔵(北の米蔵)がある。
天守閣跡から見た土蔵(南の米蔵)とは別の蔵である。


左手に西門(埋門)が見えた。
埋門は、非常時には土砂などで埋めて塞ぐことを想定して構築された門のことを云う。


北方向から本丸御殿の西橋を見る。


北中仕切り門へ至る通路は青々とした木々に囲まれていた。
歩いていて清々しくなる。


北中仕切り門
北中仕切門は、二条城内の北部(本丸の北辺)を東西に分ける門である。


清流園側から見た北中仕切り門


北中仕切り門を通り抜けると、清流園になる。
「加茂七石」が並べられていた。
手前から畚下石ふぐろいし・紫貴船石・紅加茂石・糸掛石・畑石・鞍馬石・八瀬真黒石
の7つの石から構成されている。海に浮かぶ小島を連想させる。


清流園には茶室和楽庵や香雲亭と呼ばれる建物がある。
市民大茶会をはじめ、国賓公賓の接遇場所として利用される、とのこと。
この日は香雲亭で結婚式が行われていた。新郎新婦の姿が見える。


清流園から内堀を見る。
突き当りの白い建物は、先ほど見た土蔵(南米蔵)である。


鳴子門を通って東橋へ。


本丸櫓門と東橋
西橋の休憩所を出て、ここで本丸をちょうど半周したことになる。


東橋を通過し、桃山門方面へ。


桃山門
鳴子門よりも大きく、堂々たる門である。
長屋門の形をしている。


桃山門の先を右に曲って「桜の園」を進むと南中仕切り門がある。
南中仕切門は、二条城内の南部(本丸の南辺)を東西に分ける門で、
北中仕切り門と同じ形をしている。


南中仕切り門の先に梅林が広がっていた。
梅の木は綺麗に手入れされていて、それぞれの木にたくさんの実が生っていた。


梅林を過ぎて右に曲がると西橋前の休憩所は直ぐだ。
これで本丸を一周したことになる。


かみさんと一緒にもう一度本丸御殿の北側を通って、今度は東大手門へ向かう。
清流園では、先ほど香雲亭にいた新郎新婦が記念撮影を終わったところだった。


清流園は、江戸初期の豪商、角倉了以の屋敷から、建物の一部と庭石800個を譲り受け、これらをもとに
二条城にふさわしく、雄大・明朗・風雅をモチーフに全国から集めた銘石300個と新たに茶室を加え、
昭和四十年(1965)に歓声した。


清流園を過ぎ「緑の園」との間に北大手門があった。
先ほどの結婚式関係と思しき車が出て行くところだった。


北門の先を右に曲がると、東大手門へ行くことになる。
両側に土蔵が並んでいる。


塀を兼ねたような大きくて長い蔵である。


この大きな築地塀の裏が二の丸御殿である。


東大手門への途中に休憩所があった。
この休憩所では、自由に休憩したり、


土産物を買い求めたりできる。


東大手門を出た。
外堀の回りを歩いてみよう。
今度は、嫌がるかみさんを説得して一緒に歩いた。
東大手門から北へ進む。北の突き当りまで駐車場になっている。
この駐車場であれば、入口に2mほどのゲートはあったが、避けて通れそうだったので、
我キャンパーは入れたかもしれない。


突き当りで後ろを振り返って東大手門方面を見る。


北東の隅から西方面を望む。


北大手門
二条城の北側にある大手門で、東大手門より一回りほど小さいが構造がそっくりな櫓門である。
先ほどの結婚式関係と思われる車はここから出入りしたのだ。


北西の隅から南方面の外堀を望む。


西門(埋門)
西門は城の搦手となる門で、石垣と多聞塀の間に埋め込まれた密やかな構えとなっている。
埋門は、非常時には土砂などで埋めて塞ぐことを想定して構築された門のことを云う。
橋は取り外されていた。


西側の美福通り。
南西方面を望む。


二の丸西南隅櫓が見えてきた。


二の丸南西隅櫓
一重目に唐破風が使われ、均整のとれた美しい形をしている。


二の丸西南隅櫓と二の丸東南隅櫓の中間に位置する南門
大正天皇の御大典の際に造営された、とのこと。
かつてここに橋があったのだろう。


二の丸東南隅櫓
東大手門の南側に位置する5間x6間の二重櫓で、一重目に千鳥破風が使われている。


二の丸東南隅櫓を左に曲がり、堀川通を進むと東大手門である。
これで外堀を一周したことになる。

朝、道の駅「ガレリア亀岡」を出発し、予定外の二条城外堀を一周したりして大分疲れたが、
『せっかく京都まで来たことだし、嵐山の観光を楽しんで帰ることにしよう!』
ということで、JR二条駅へ向かった。

5月4日の篠山城に始まって、5日の姫路城・明石城、そしてこの日の二条城で今回の「日本100名城巡り」は終わった。
これで85の100名城を巡ったことになる。
関西・近畿地区で残る城は大坂城のみとなった。
残るのは、九州・沖縄地区だが、自宅から遠い所ばかりなので、これからの城巡りは簡単ではない。
しかし、ここまで来たら何とか頑張って100名城登城を目指したい、と思っている。


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