ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

感動は半分! 高柴山ハイキング

2024年05月18日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
令和6年(2024年)5月18日(土)

原則隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和6年度(2024年度)第4回、令和6年(2024年)第9回「ヤマツツジ群落の高柴山
ハイキングに参加した。

高柴山は、福島県小野町の北部に位置し、田村市船引町・大越町との町境にあり、
ヤマツツジの群落で知られる標高884mの山である。

常南交通社初企画”の文字に誘われて、2015年6月8日(月)に参加したのだが、
その時は花は完全に終わっていて、一輪のヤマツツジも見ることができず非常に残念な思いをした。

2回目は、前年のリベンジということで、ネットで紹介されていた満開のヤマツツジを期待して
翌年の2016年5月20日(金)に当会の例会で初めて訪れた。
この時は山頂一帯が満開のヤマツツジに覆われ、大いに感動したことを今でも鮮明に覚えている。

今回は、その時の感動をもう一度味わおうということで、8年振りに企画した次第。
ネットで確認すると、令和6年5月17日(金)現在、高柴山山頂は”満開~散り始め”の状態とあった。
令和6年度の高柴山の山開き(安全祈願祭)は令5月26日(日)に予定されているとのこと。
例会は山開きより約1週間早いが、もしかすると、満開状態に近いヤマツツジの大群落を
再び見ることができるかも知れない。
温暖化の影響だろうか、今年は色んな花の開花時期が通常よりかなり早くなっている。
期待と不安が入り混じる。


6時41分、三中公民館に常南交通社の中型バスがやって来た。


三々五々三中公民館に集まった参加者が乗り込む。
三中公民館からは13名がバスに乗り込んだ。


定刻の7時ちょうどに出発したバスは、途中天川交差点の常陽銀行前で1名、市民会館では8名
が乗り込み、この日の参加者は22名となった。


市民会館近くのコンビニで


常南交通社が予約していた朝食の弁当を受け取り、常磐道土浦北ICへ。


7時44分に土浦北ICを通過し、最初の休憩地友部SAへ向かう。


朝食の弁当
おにぎり2個とウィンナー、鳥唐揚、卵焼きが入った定番の弁当だったが、美味かった。


常磐道を走り、


8時6分、最初の休憩地友部SAに到着。
法令で定められた15分の休憩を採り、


バスは、再び常磐道を走った。


日立市山間部のいくつものトンネルを抜け、


9時21分、常磐道から分岐して磐越道へ。


しばらく磐越道を走ると、


9時34分、次の休憩所差塩(さいそ)PAに到着
トイレ以外は何もないPAだ。


9時57分に小野ICを降りて、


一般道を走ること約10分の10時11分、高柴山登山口への入口を通過。


10時19分、高柴山臨時駐車場に到着した。
臨時駐車場には弁当屋の車以外に、1台の車も停まっていなかった。
『今日の高柴山は我々だけの貸切状態なのかなぁ?』
『そんな筈はないでしょうよっ!』   『そうだよな~っ』


既に昼食の弁当が届けられていた。


各自へ昼食弁当を配り終え、


10時25分、高柴山目指して出発!


女性陣の一団が後ろに続く。


臨時駐車場を出た所を左折して、高柴山登山口方面へ。


緑溢れる木漏れ日のなか高柴山山頂を目指す。
『清々しくて気持ちが良いわね~っ』
この日12時頃の予想気温は25度だが、湿度は50%台とあった。
風もあるようなので、それほど暑くはならないだろう。


高柴山登山口入口分岐点に奥(いり)之観音像が建てられていた。
奥(いり)之観音 由来 によると、
ここは、奥(いり)之観音と呼ばれ、文化十四年(1817)頃に高柴山に放牧した農耕馬の
息災を祈念して建立されたが、観音像は紛失している。
この度このところに、東日本大震災・原発事故からの復興と当地域の繁栄を願い、
東京の篤志家が、聖観自在菩薩立像を奉納建立したものである。
(平成26年12月吉日)  施工 石元


10時33分、トタン屋根・木造の建屋前を通過。
前回2016年5月20日(金)来た時には、うどん・そばなどの店があった所だ。
今は全ての建物の扉は閉じられていた。


緩やかな坂道を進む。


緩やかな坂道をさらに進むと、


10時42分、東京スカイツリー(634m)と同じ高さの所を通過。


浮金登山口への分岐点を右へ進んで行くと、


臨時駐車場を出発して凡そ30分の10時54分、浮金登山口に到着
『な~んだ、皆さんここの駐車場を利用していたんだねっ』
臨時駐車場に我々以外に他の人の車を見かけなかった理由が分かった。


後続Gも次々に到着した。
『ほぼ予想通りの時間だねっ』


ここで軽い休憩を採り、


高柴山の案内図を確認し、


この日杖などを持って来なかった人用に備えられていた竹製の杖を借用して、


高柴山登山口から


11時3分、登山開始である。


浮金登山口までの緩やかな道とは異なり、少しばかり坂道の傾斜がきつくなってきた。


つづら折りの山道が続く。
『山道は久しぶりだから、けっこうきついわねっ』


緩やかな道との合流点には、”高柴山山頂まで 1Km”の案内表示が
『意外と距離はないのねっ』


この辺りから直線的なコースと緩やかなコースがあったが、もう8年前のような元気はない。
緩やかなコースを進むことにした。


登山開始から12分後の11時15分、太鼓石の案内石碑があった。
八幡太郎義家が奥州阿部貞任を攻めた際に、人馬とも疲れたので、この大石を打鳴らしたところ、
忽ち大きな太鼓の音とかわり、士気大いにあがり、敵を追い進軍したと云われる。
小野町観光協会


太鼓石まで150m、初めての人もいることから、太鼓石へ。
何名かは、太鼓石案内石碑で待つと言う。


3分ほどで太鼓石に到着した。


『この石を打ち鳴らしたら太鼓の音に変わったんだぁ』
『大きな太鼓くらいの石だねっ』


11時24分、太鼓石案内石碑へ戻ると、皆さん笑顔で迎えてくれた。
『お疲れさんっ』


再び高柴山山頂を目指す。
太鼓石案内石碑には高柴山山頂まで残り600mとあった。


11時31分、”山頂まで500m”の標識を通過。
左後方に”物見石”が見える。


高柴山山頂を目指す。


高柴山山頂を目指す。


周りの緑の中にヤマツツジが目に付くようになってきた。


11時39分、御神水分岐点に到着した。
あまり時間がないので、御神水へは寄らずに山頂を目指すことにした。
御神水分岐点から山頂までは260m、展望台までもう直ぐだ。


階段を上り、展望台を目指す。
周りのヤマツツジはそれほど咲いているような様子ではなかった。
『”満開から散り始め”ってあったけど、これが満開状態なのかねぇ』


展望台へ


『以前来た時とかなり状態が違う感じだよねぇ』
ヤマツツジがまずまず咲いている木と

前回(2016年5月20日)来た時に撮ったもの(同じ木かどうかは不明)


全くと言って良いほど咲いていない木が混在している状態である。


12時49分、展望台に到着した。
展望台の周りはヤマツツジは殆ど咲いている状態ではなかった。


早速展望台に上がってみた。
展望台からの眺め(1)

前回(2016年5月20日)来た時に撮ったもの


展望台からの眺め(2)

前回(2016年5月20日)来た時に撮ったもの


展望台からの眺め(3)

前回(2016年5月20日)来た時に撮ったもの。
その違いは一目瞭然である。


展望台からの眺め(4)


気温はそれほどでもないが、太陽が照り付けると暑いので、展望台の下で昼食を摂ることにした。
幸いなことに周りには誰もいなかった。
昼食タイム(1)


昼食タイム(2)


昼食タイム(3)


昼食タイム(4)


この日の弁当、とても美味しかった。
皆さん満足したようで、弁当の評判はすこぶる良かった。


昼食後、ヤマツツジをバックに記念撮影をしておこう。
『ここが良さそうだねっ』


全員揃っての記念撮影を済ませた。


高柴山神社にお参りして、


12時41分、下山開始!


下山途中で見かけたヤマツツジ(1)


下山途中で見かけたヤマツツジ(2)
ヤマツツジの花が日焼けしているような状態である。


先ずは浮金登山口を目指す。


日陰に咲いているヤマツツジは元気そうに見える。


『太陽に晒されると枯れるのが速くなるのかねっ』


ヤマツツジの群落を過ぎると、緑一色の景色に変わった。
『緑がとても綺麗だよねっ』


『下りは楽だから良いねぇ』


『そんなに暑くないからあまり汗かかないよねっ』


13時8分、浮金登山口に到着。


浮金登山口で後続を待っているところ。


全員が浮金登山口に到着したところで、13時13分、ゴールの臨時駐車場へ向けて出発!


『ここからは緩やかな坂道だから楽だよねっ』


登山口入口分岐点へ。


13時24分、東京スカイツリー(634m)と同じ高さの標識を通過し、ゴールを目指す。


ゴールの臨時駐車場を目指す。


13時31分、閉鎖されたログハウス前を通過


奥(いり)之観音像の傍にこちらを向いて微笑むお地蔵さんにお別れをして、


13時39分、バスが待つ臨時駐車場入口に到着した。


会計担当の女性がこの日の会費(一人10,300円)を徴収し終り、


13時52分、臨時駐車場を出発し、差塩PAへ向かった。


国道349号を走り、


14時5分、磐越道小野ICを通過


途中、差塩PAで10分の休憩を採り、


磐越道から常磐道を走る。
(常陸南太田IC付近)


15時35分、久慈川を通過すると、


間もなく友部SAだ。


15時47分、友部SAに到着。


皆さんは土産物買いに余念がなかったが、自分はいつものように、自販機のコーヒーを購入。


常磐道から筑波山が見えた。
『この形が好きなんだよね~っ』


16時20分、土浦北ICを通過。


土浦市民会館には16時31分に到着した。


『お疲れさまでしたぁ』


土浦市診療所前で1名が降り、最初の出発地三中公民館には16時57分に無事到着した。
『こんなに早く帰り着くとは思ってなかったよっ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

8年前に高柴山のヤマツツジの大群落を初めて見た時の感動をもう一度味わいたい、と企画したが、
前日5月17日現在の”満開~散り始め”というネット情報に、満開状態に近いヤマツツジの大群落を
再び見ることができるかも知れない、と大いに期待したのだが、実際には予想とはかなり異なる
状態であった。
まあ今回は、”感動半分”と言っておいた方が正直なところだろう。

この日の万歩計は、14,000歩を計測していた。

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弁当持参は正解 石神井公園から牧野記念庭園へ

2024年05月03日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
令和6年(2024年)5月3日(金)

原則隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和6年度(2024年度)第3回、令和6年(2024年)第8回「石神井公園から牧野記念庭園
(東京都練馬区)
」ウォーキングに参加した。

この日のコースは、まだ寒さの残る去る3月9日に下見を行っている。
コースを間違って皆さんに心配と迷惑を掛けたくないというのが、その理由である。
果たして今回は石神井公園駅を出発して、道を間違わずに大泉学園駅に辿り着けるだろうか。

荒川沖駅8時5分発の東京上野ライン品川行がホームに入って来た。


この日は祝日(憲法記念日)ということもあって、予想どおり車内は空いていた。


土浦駅からの人は勿論、


荒川沖駅からの人もゆったりと座ることが出来た。
『やっぱりゆっくりと座って行きたいよねっ』


9時6分、日暮里駅に到着。
この日の参加者は24名、予想を上回る参加者だ。


日暮里駅で山手線に乗り換えるため、山手線ホームへ。


山手線(池袋方面)ホームはかなり混雑していた。
『いつもこんな感じなのかねぇ』


9時33分、池袋駅に到着し、地下道を通って西武線方面へ。


9時40分発の急行飯能行き電車の入線を待っているところ。
急行飯能行きは、この日のスタート地石神井公園駅が最初の停車駅となる。
『一駅目が石神井公園駅とは幸先が良いんじゃないっ』


池袋から約10分後の9時50分、定刻通り石神井公園駅に到着した。
駅前で急遽弁当持参に変更した経緯などを説明し、先ずは石神井公園に向けて出発!!
石神井公園駅からいったんふじ大山道方面へ。


直ぐにふじ大山道を左に曲がり・・・


石神井駅前の商店街を石神井公園方面へ。


『いやぁ 今日の天気は素晴らしく良いねぇ』


”ようこそ石神井公園へ あと3分”の表示が。
『石神井公園って駅から近いんだねっ』


暫く進むと・・・


10時1分、石神井公園ボート乗り場に到着した。


石神井公園ボート乗り場の建物
売店もあり、軽食も可能なようだ。


石神井池にはたくさんのボートが繋がれていた。
既に石神井池に漕ぎ出しているボートも。


石神井公園案内図でコースを確認


”ワナを設置しています”の張り紙が
”特定外来生物のアメリカザリガニやブルーギル、オオクチバス、ミシシッピアカミミガメを
駆除しています”  石神井公園サービスセンター 認定NPO法人 生態工房
”週1回中身を確認しています!” などと書かれている。
『ほっとくと特定外来生物が増えすぎちゃうんだろうねっ』


右手に石神井池を眺めながら遊歩道を進む。


石神井池には気持ちよくボートを漕ぐ人たちが。


対岸の景色
『まるで緑に包まれてる感じだねっ』


洋風の邸宅なども見える。
『素敵な家だよねっ』   『あんな家に住んでみたいわねっ』


メタセコイアとラクウショウの大木が植えられている。
『どっちがメタセコイアなのかラクウショウなのか分からないねぇ』


石神井池の遊歩道を進む、当会最年長のKKさん。
この3月に90歳の卒寿を迎えたが、元気そのものである。


石神井池に建てられた「聖衣」
作者:三澤憲司 設置月日:1984年(昭和59年)3月31日 と紹介されている。
材質はイタリア産白大理石で高さ5.6m、重量は23t とのこと。


10時22分、けやき広場に到着。
この先弁当摂取地及び牧野記念庭園までトイレはないため、出来ればここ(けやき広場)で
済ませておきたいという考えで、休憩することにした次第。


しばしの休憩


10時28分、トイレを済ませ、井草通りを横断して


三宝寺池方面へ。


三宝寺池を反時計回りで進む。


 
『あらぁ もう花菖蒲が咲いてるよ~』


アサザ
池沼に生育する多年草です。アメリカザリガニなどの食害で消滅してしまいました。
しかし、その後水元公園から移植し、少しづつ増やしてきました、と表示されている。
『アサザって霞ヶ浦にも生えているわよねっ』


三宝寺池


メタセコイアも植えられている。


厳島神社と東屋が見える。


緑に覆われた遊歩道を進む。


三宝寺池
『青い空と三宝寺池が見事にマッチしてるね~っ』
『今日来て良かったぁ』


10時45分、厳島神社に到着


厳島神社に参拝した後は、東屋に行ってみることに。


いつの間にか鯉が寄って来た。
『いやぁ 随分でっかい鯉だなぁ』


遊歩道を進む。


水神社を視界を遮るように斜めに生えている大きな松の木が印象的である。


さらに遊歩道を進むと・・・


10時57分、石神井城址碑前に到着した。


石神井城は、中世武士の豊島氏の城です。
豊島氏は、葛西・江戸両氏とともに、秩父平氏で、南北朝時代には石神井郷を領有していました。
室町時代に城主の豊島勘解由吉座衛門尉(泰経)は、関東管領の上杉顕定に背いた長尾景春に
味方しましたが、そのために顕定を援助していた上杉定正の重臣である江戸城主の太田道灌に
より攻められ、文明九年(1477)四月、落城したと伝えられています。(以下略)
令和三年三月  練馬区教育委員会


坂道を上って行くと・・・


東京都指定史跡 石神井城跡の説明板があった。
(内容は石神井城址前の説明板とほぼ同様)


石神井城跡は木々が生い茂り森のような状態になっていた。
周囲は金網で囲まれており、中には入れないようになっている。


石神井城址を後にして、三宝寺へ。


石神井城跡(左側)と三宝寺(右側)の間にある小さな径を進むと、


大きくて立派な門構えの家があった。


その門前を右に曲がって、小さな径を進み、


さらに右に折れて細い径を進むと・・・


11時7分、三宝寺の境内に出た。


境内に小さなトイレがあったようで、何名かがここが最後だろうからと行ってしまった。
ここは待つしかない。


境内には満開状態のシャクナゲが・・・思わず見惚れてしまった。


『この石楠花はこれはほんとに綺麗よねっ』 


トイレに行った人が戻って来たので、先ほどの境内案内図に従って、境内を廻って観ることに。


三宝寺本堂
真言宗智山派の寺院
関東三十六不動尊の札所となっている。


根本大堂の手前に境内の四国八十八ヶ寺を巡る案内地図があった。
緑色で表示されているのは、徳島県(阿波の霊場、1番霊山寺から23番薬王寺)、
青色は高知県(土佐の霊場、24番最御崎寺から39番延光寺)、
茶色は愛媛県(伊予の霊場、40番観自在寺から65番三角寺)、
紫色は香川県(讃岐の霊場、66番雲辺寺から88番大窪寺)となっている。
最後の大窪寺の石碑は根本大堂の傍に戻るように設置されている。


根本大堂


根本大堂から太子堂(奥の院)へ向かう小さな通路があり、


通路の両側には各寺の名が刻まれた石碑が順に設置されていた。


太子堂(奥の院)
建物什宝調書控には「経堂」として載せられているもので、絵図面によれば、古来ほぼ現在地の
近くにあったと思われる。
昔は一切経等を納めた経蔵であったが、これに千体地蔵と弘法大師を安置したので、専ら太子堂
と呼ばれていた、と紹介されていた。


修行太子像
両脇に”南無大師遍照金剛”の幟が


三宝寺本堂と御成門の中間に大黒堂と地蔵堂があった。


お堂の中では大勢のお坊さんたちが揃って般若心経を唱えていた。
お経に合わせてリズムを取るような心地よい太鼓の音も聞こえた。
『まるでコーラスを聴いているようだねっ』


大黒堂と地蔵堂前に”ねりまの名木”として指定されているアカマツがあった。
樹高17m、幹の太さ2.5m


こちらはサルスベリで、樹高10m、幹の太さ1.5m


三宝寺の山門(御成門)
重厚な造りの四脚門で、主柱や控柱は上下を細め、肩を丸めた粽(ちまき)付円柱。
頭貫の獅子、像や獏の彫刻などに、江戸時代後期の特徴が示されている。
練馬区教育委員会
江戸時代は徳川3代将軍家光が狩猟でこの地を訪れた際に立ち寄っている。
以来山門は御成門と呼ばれている。


御成門を潜って三宝寺を出て右方向へ。
直ぐに右に曲がり、江戸時代以前から江戸と所沢を結ぶ古道だった旧早稲田通りへ。


旧早稲田通りを進むと・・・


11時31分、石神井氷川神社の参道前を通過


さらに旧早稲田通りを進む。
ここから先は車は一方通行となっている。


個人宅ではあるが、満開のバラが美しい。


さらに進むと、庚申塚という交差点があり、


道路を渡った所に庚申塚があった。


庚申塚


庚申塚の少し先の案内板によると、この道は「所沢道」と呼ばれていたとの説明があった。


所沢道は、八成橋で杉並区から練馬区へ入ります。
禅定院の門前で向きを西に変え、道場寺・三宝院を通って、富士街道を斜断した後、
南大泉を経て保谷市に入り、所沢へと通じています。
概ね今の「早稲田通り」です。(以下略) 
昭和59年3月 練馬区教育委員会


住宅地の中に大きな畑があり、キャベツが植えられていた。
『いやぁ凄いっ! ここは練馬区なんだねぇ』 


江戸時代は大山詣りの参詣道として活用されたふじ大山道(富士街道)を進み、


右側にRoyal Hostがある交差点を右へ。


そのまま進むと大泉学園駅に行けるが・・・


300mほど先の井頭の信号を左折して、


50mほど進むと・・・
12時4分、この日弁当を食べることにしている「井頭こぶし憩いの森公園」に到着した。


公園内を100mほど進んだ所に、


いくつかのベンチがあった。
子供連れの親子何組かの姿も見られたが、他には誰もいなかった。
『ここで弁当にしましょうっ!!』
弁当タイム(1)
『お腹空いちゃったなぁ』


弁当タイム(2)
何時も夫婦仲良く睦まじく。


弁当タイム(3)
『丁度上手い具合に人数分のベンチがあったんだよねっ』


弁当タイム(4)
リュックに腰掛けるKKさん。
お馴染みの光景だ。


弁当が終わり、12時45分、牧野記念庭園へ。


練馬区立南大泉小学校前を通過し、


住宅地内を幾つか曲がって進むと・・・
13時1分、目指していた牧野記念庭園の正門前に到着した。
庭園内の見学は自由行動として、13時30分に入口に集まってもらうことにした。
見学料金は嬉しいことに無料である。
『いやぁ 我々にとって無料は有難いよねっ』


何名かはVTRを視聴できる講習室へ。


ご案内
牧野記念庭園は世界的植物学者の牧野富太郎が大正15年(1926)から30年間暮らした
居宅の跡地を整備した。
昭和33年に開園し、平成22年8月にリニューアルした。
博士ゆかりの品を見学できる展示館もある。
園内には300種類以上の草木が植栽され、その中にはスエコザサ、仙台屋(センダイヤ:桜)、
ヘラノキなど珍しい植物も数多く含まれる。
最奥の建屋内には、牧野博士が生前、研究や執筆に没頭した書斎と書庫が当時のままに
保存されている。   昭和33年12月 練馬区



公園内には牧野富太郎博士の実物大の絵や、


直ぐ近くに牧野富太郎博士の胸像があった。
牧野記念庭園の牧野博士の胸像を囲むように植えられたスエコザサは、昭和2年(1927)に
博士が高知市の仙台屋の前で発見した笹の新種だそう。
当時、博士の妻・壽衛(すゑ)は病床にあり、翌年他界した。
博士は妻への感謝と愛情を込めてこの笹に「ササ・スエコアナ・マキノ」と命名した、そうだ。


ねりまの名木センダイヤ ザクラ
園内には牧野博士が高知市の仙台屋の前で発見して命名したもので、親木は枯死しており希少な
ことから指定されました、とのこと。
樹高:8m、幹の太さ:1.4m


メタセコイアの大木もあった。


園内の様子(1)


園内の様子(2)


園内の様子(3)


園内の様子(4)
熱心にスマホカメラで写真を撮っている人も。


ちょと疲れた様子


13時31分、牧野記念庭園を後にして、大泉学園駅へ。


ゴールの大泉学園駅を目指す。


間もなく大泉学園駅だ。


駅前の信号を横断すると・・・


13時39分、ゴールの大泉学園駅に到着した。
この日はここで解散というような形となり、自分たちは西部池袋線で池袋へ向かい、
山手線日暮里駅で常磐線に乗り換えて帰路に就いた。


15時38分、荒川沖駅に到着した。
疲れを癒そうということで、地元の数名が駅前の「や台ずし」に寄って行くことにした。
平日は16時開店だが、土日祝日は15時開店となっている。


『かんぱ~いっ』   
『やっぱ生ビールは美味いねっ』   『これがあるから楽しいんだよねっ』


『かんぱ~いっ』  
『これで少しは疲れが取れるようだねっ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

石神井公園から牧野記念庭園ウォーキングが無事終了した。
天気は快晴、これ以上は望めないウォーキング日和だったと言っても過言ではないと思う。

下見の時は弁当は大泉学園駅周辺または池袋の大手デパートででもと考えており、弁当持参
ではなかったのだが、その考えは甘かったというのが、見直すべき点として上げられる。
大泉学園駅周辺は食べ物店は殆どなく、池袋の大手デパートのレストラン街は、週末は特に
大混雑で、長時間待たされるという状態だったのだ。
そのため、例会1週間前に、弁当持参で参加するよう連絡網で周知を図ったのは正解だったと
思っている。
今後の都内各所のウォーキングは、都内各所での食事も悪くはないが、下見をしっかりと行い、
弁当持参も考慮に入れながら計画しなければと思っている。

この日の万歩計は、16,000歩を計測していた。

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