ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

久しぶりの釣行を楽しむ 外房

2015年11月29日 | ウマさんの釣り三昧
2015年11月30日(月)

ウォーキングやハイキングの合間を縫って釣行するのが、最近では少し億劫になって来た。
やはり歳のせいなのだろうか。
しかし、大好きな釣りを止める訳にはいかない。

ということで、この日久しぶりに外房に出かけた。
最初に訪れたのは本命のKT港だったが、月曜日にも関わらず、大勢の人が竿を出していた。
駐車スペースも見当たらないので、夜になれば人もいなくなるだろうと思い、KZ港へ。

ここは釣り場のポイントには既にかなりの人が入っており、満席状態。
KZ港は諦めて、次に訪れたのはOK東港。
ここも既に何人かが場所を確保済みで、入れる余地はなかった。

仕方なくOS港へ行ってみた。
かつてちょうどこの時期に大型のアジを数釣ったことがある、思い出のある港である。


強風で外海が荒れたときなどに逃げ込む場所として、この港は外せないところであるが、
この日は風も弱く、人の姿は見えない。


周りの写真を撮ったりして準備を進める。


準備が整い、港内に投入して当りを待つが、


何の当りもないまま時間が過ぎてゆく。
次第に日没が近づいてきた。夕日が輝いて美しい。
この後、当りはあったが、全てフグばかり。
結局、釣果なしで大沢港を引き上げることにした。
日はとっぷりと暮れていた。


次に向かったのはKT港である。
予想通り、竿を出していたのは、数人だけだった。
コンビニ弁当で腹ごしらえをして、仮眠を取りながら竿を投入。
(写真は夜が明けた時に撮影したもの)


港内の様子
(写真は夜が明けた時に撮影したもの)


当りは突然やって来て、40分位で突然なくなってしまう。
そんな状態が2度ほどあったが、ポイントが限られているため、
少しでもポイントを外して投げ損なうとウキはピクリともしない。
(写真は夜が明けた時に撮影したもの)


そんな状態の中、仮眠を取りながら竿を出した。
結局、釣果は20匹ほどであった。
大きいもので24Cm程度、小さいものは14-5Cmと型は不揃いである。


帰宅後3枚におろし、酢につけて一晩寝かせ、
我家流のアジ寿司で一杯。これが美味い! 最高である。


やはり、アジはアジ寿司に限る。


釣果は少なかったが、久しぶりの釣りを楽しめた。
友人に一応メールで報告したところ、直ぐに是非一緒に行きたいとの返信。
年末に一緒に出掛けることにした。


ウマさんの釣り三昧の目次”に戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城下町佐倉 侍のまちウォーキング

2015年11月27日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年11月27日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27年度第22回(2015年第33回)、「城下町佐倉 侍のまちウォーキング」に参加した。
この日のコースは、2011年10月~12月にJR佐倉駅が開催した”城下町佐倉 サムライのまちハイキング”の
1枚の地図が頼りである。

常磐線荒川沖駅7時50分発の電車に乗り、我孫子駅で8時24分発成田行に乗り換える。
成田線車内は我孫子発時点では、ほぼ満席に近かったが、成田に近づくにつれ空席が目立ってきた。


9時9分、成田駅に到着。


成田駅9時26分発(9分遅れ)の逗子行に乗り換え、9時40分、ようやく佐倉に到着。
この日は、天気が良いので弁当を食べるには佐倉城址公園にしようということで、
地図とは逆の反時計回りにウォーキングすることにした。


この日の参加者は、現地直行の2名と合わせ、32名。想定を超える人数となった。
点呼を取るのを容易にするため、3班に分けることにした。
体調を整えて、9時52分、第3班10名に続き、第2班12名が出発!
しんがりは第1班10名だ。


駅舎内から駅前の歓迎の塔が見える。
『佐倉11万石か けっこう大きな藩だったんだねっ』


駅前から真っ直ぐ、国道296号へ向かう。
様々な女性の銅像が設置され、目を引く。


高崎川に架かる常南橋を渡り、


国道296号を横断。


国道296号に沿って酒々井方面へ進む。


ほどなく左手に千葉県印旛合同庁舎が現れた。
『いやぁ 立派な建物だねぇ ヘリポートもあるみたいだねっ』


印旛合同庁舎の信号を左折。


印旛合同庁舎の少し先、住宅地のあまり広くない生活道路へ。
(50mほど行き過ぎて道を間違ったことに気が付き戻ってきたところ)


住宅地の裏手に小さなお地蔵様がポツンと佇んでいた。
(地図にも載っていたので目印になる)


ところどころに色づき始めた紅葉を見ることが出来る。
『この辺りはまだ少し早いのかしらねっ』


ゲートボール場? 手前を左に曲がると薄暗い坂道になった。


『この坂道ちょっときついけど良い運動になるよねっ』
女性陣は元気いっぱいだ。


坂道を登り切ったところに、有料老人ホーム「ゆうゆうの里」があった。


10時31分、「ゆうゆうの里」の200mほど先に法光山要行寺という小さなお寺があった。


水分補給のため要行寺で小休止だ。
いつの間にか佐倉の見所の一つ、”旧堀田邸とさくら庭園”を通り過ぎてしまったようだ。
しかし、それらしき建物や看板は見当たらなかったように思うが・・・
どうやらコースを間違ってしまったのかもしれない。


今更”旧堀田邸とさくら庭園”(500m)に引き返すのも時間がかかるし、
ここは次の目的地「佐倉順天堂記念館」(800m)を目指すことにした。


全農家畜衛生研究所の生垣に咲いている山茶花を鑑賞しながら進む。


全農関連のクリニックセンターや、テニスコート、駐車場などが続く。
『全農って凄いわねっ』


住宅地を抜けた先の広い道路を左折し、「佐倉順天堂記念館」へ。


「佐倉順天堂記念館」の少し手前に旧佐倉順天堂と佐藤泰然・舜海の碑があった。
順天堂創設者・佐藤泰然の顕彰碑(写真左)には、泰然の生い立ちや生涯の業績を讃えた碑文が刻まれている。
佐倉順天堂三代目・佐藤舜海の頌徳碑(写真右)は、明治35年(1902)に門人らが舜海の「耳順」(60歳)を
祝って建立した頌徳碑。
二基の碑は、都市計画道路建設に伴い、平成5年に南方60mの場所から現在地に移設された、とのこと。


10時52分、「佐倉順天堂記念館」に到着。
「佐倉順天堂記念館」は、二基の碑の直ぐ先の信号を左折したところにあった。
案内板によると、
「順天堂」は、長崎に遊学後江戸に蘭医学塾を開いていた蘭医佐藤泰然が佐倉に移り住み、
天保十四年(1842)に開いたオランダ医学の塾である。
(中略)
佐倉の順天堂は泰然の養子佐藤舜海(岡本道庵)が受け継ぎ、「佐倉順天堂」として医療活動を続けた。
現在残っている建物は、安政五年(1858)に建てられたもので、その後拡充された施設の一部である。


前庭には、順天堂創設者佐藤泰然の胸像が。


入館料通常100円のところを20名以上の団体割引を利用し70円を払って入館。
”成田街道を歩く”で2012年5月24日(木)に一度訪れてはいるが、この時は時間の都合上入館しなかった。
再びこの記念館を訪れることがあるとは思っていなかったので、感慨深いものがある。


見学風景(1)


蘭医学塾「順天堂」創設者佐藤泰然


見学風景(2)


手術道具
『当時はこんなのこぎりなんかも使ってたんだぁ』


療治定(手術料)
様々な外科手術の料金が定められている。
『帝王切開なんかも当時からあったんだねぇ』


創設当時の病院マークは、菊の紋章になっている。


見学風景(3)


当時の佐倉順天堂病院の復元模型
『けっこう広かったんだねっ』


西南役大阪臨時病院負傷兵施術光景
西南戦争での負傷者のために大阪に臨時病院が設けられ、佐藤進がその院長に任命された。
この絵はエーテル麻酔下での脚切断手術場面を描いたもので、中央には監督する佐藤進が見える。
(以下略)


「佐倉順天堂記念館」を後にして、蘭学通りを進む。


蘭学通り(成田街道)


11時14分、佐倉市登録有形文化財に指定されている三谷家住宅前を通過
座敷屋は昭和十年(1935)頃に建てられ、出桁造りの主屋と並んで袖蔵が建つ、
当時の佐倉の伝統的な商家の構えを残している。(佐倉市教育委員会)


肴町山車飾
江戸時代後期の山車飾りに使われる彫刻が陳列されている。


11時25分、「手作り工房さくら」前を通過。
「手作り工房さくら」は、旧商家を活用した地域情報の発信拠点。
機織り・陶芸・工芸の実演や展示、ここにしかない佐倉の産品販売もあるお休み処。


11時26分、「佐倉新町おはやし館」に到着。


おはやし館前の高札場を復元した掲示が目を引く。


「佐倉新町おはやし館」は、毎年10月に秋祭りで活躍する山車人形の展示などを通して、文化・伝統を紹介する施設である。
入口に各町内の所有する6体の山車人形のうち2体が展示されている。
これはその一つ、二番町所有の玉井(たまのい)龍神
二番町に伝わる祭礼用山車の上部に置く山車人形だ。


こちらは肴町所有の竹生島龍神


中に入ると、秋祭りに使われる小道具が展示してあった。
各町内で使われる山車提灯


だるま・きつね・ひょっとこの面
佐倉の秋祭りでは、山車だけではなく、御神酒所という引き回し用屋台を町内ごとに引く。
その屋台の中で仁羽という曲に合わせていろいろなお面で舞を踊る演目がある、とのこと。


小太鼓
小太鼓には、古くから伝わる締太鼓という綱を使った太鼓と、近年のボルト締めの太鼓がある。


新町通を進むと、明治の呉服商「駿河屋」(今井家住宅)があった。
現在の建物は、今井氏が「駿河屋」の屋号で呉服商を営んだ古民家である。
主屋は、明治二十二年(1889)~明治二十五年(1892)前後に建てられた。
またここは、江戸時代の郷宿(旅籠)「油屋」の跡地でもあった。
桂小五郎(長州藩士)や山本覚馬(会津藩士)、清河八郎(庄内藩士)などが、
宿泊したことが、宿帳より分かっている、とのこと。
現在は、まちづくり情報発信・交流センターとして利用し、歴史学習や休憩ができる、
とのことだったが・・・戸は閉められていた。


佐倉市立美術館
大正時代建築の旧川崎銀行佐倉支店(県指定有形文化財)を活用し、
佐倉・房総ゆかりの作家・作品を中心に収蔵・展示している。


11時43分、麻賀多(まかた)神社に到着。


麻賀多神社拝殿
古くから「まかたさま」と親しまれてきた佐倉藩の総鎮守である。


お腹も空いて来たことだし、先を急ぐことにした。
弁当を予定している佐倉城址には、あまり遅くならないうちに到着したい。
麻賀多神社を後にして、次の訪問地武家屋敷へ向かう。


住宅地を武家屋敷へ向かう。


住宅地の中の細い道を道標に従って何度か折れ曲がって進むと、緑に囲まれた静かな一角があった。


武家屋敷である。
武家屋敷は、旧河原家・旧但馬家・旧武居家の3軒があり、拝観料は210円である。
団体割引(20人以上)で、150円で入ることが出来た。


旧河原家(1)
武家屋敷の規模や様式は、藩士の身分の象徴で、大きさや門の形などが異なる。
旧河原家は大屋敷(300石以上)、旧但馬家は中屋敷(100石以上)、
旧武居家は小屋敷(100石未満)にあたると推定される、そうだ。


旧河原家(2)


旧河原家(3)
台所


旧河原家(4)
風呂
桶に沸かしたお湯を溜めて入ったものと思われる。


旧河原家(5)


旧河原家(6)
座敷はそれほど広くはない。


旧河原家(7)
屋根は藁葺きである。


旧但馬家の入口


旧但馬家(1)
但馬家の屋根も藁葺きだ。
曲り屋様式の造りとなっている。


旧但馬家(2)
旧河原家よりも位が高い武士の住宅だった、とのこと。
室内の調度品も立派である。


旧但馬家(3)
畳は最近張り替えたばかり、だそうである。
座敷・居間全て畳表がへり付となっているのは、大屋敷の制である。
今でも充分に住めそうな感じである。


旧武居家は、但馬家の裏から出入りするようになっている。
旧武居家(1)
旧河原家、旧但馬家は、藁葺屋根だったが、旧武居家の屋根は、現代風だ。


旧武居家(2)


旧武居家(3)
百石未満の藩士が住む小屋敷だった、とのこと。
旧河原家・旧但馬家に比べるとどことなく質素な感じがする。
畳表は、へり無である。


武家屋敷を後にして、佐倉城址方面へ向かって行くと、


突き当たったところに、侍の古径「ひよどり坂」の案内標識があった。


細い急な坂径の両側には太い孟宗竹がびっしりと生えていた。
江戸時代の書物「古今佐倉真佐子」に登場する古道、とのことである。


竹林に囲まれた坂道は、“侍のまち”らしい雰囲気が漂う。
『素敵なところだよねっ』


ゆっくり歩いて3分ほどで「ひよどり坂」の出口に出た。
『もうちょっと長ければ良いのにねっ』


「ひよどり坂」の後は、佐倉城址を目指すだけだ。


12時27分、佐倉市民体育館横を通過。


佐倉中学校前に大手門跡の碑が。
この門の西側には広小路、中下町、大下町といった武家屋敷地が整備され、
三の丸御殿、会所なども置かれていた、とある。
ここに惣曲輪の表門があり、武家屋敷が門を囲むように立ち並んでいたのだ。
写真からはかなり大きな門だったことが伺える。


佐倉東高校生の活躍を祝福する横断幕を見ながら進む。


12時33分、佐倉城址公園センター前を通過。
”日本百名城 佐倉城 スタンプ”の文字を見て、2010年8月19日(土)ここに来たことを思い出した。


12時34分、佐倉城址公園に到着。


空堀
城の防御のために掘られた溝で、土塁とともに城を外敵から守るために掘られたもので、
空堀を巧みに配置して城の守りとしている。
水があるものを水堀という。


弁当に適当な場所を求めて、歴史民俗博物館方面へ。
自分もだが、皆さんかなりお腹が空いているようだ。


馬出の近くの広場で弁当タイムだ。


めいめい広場周辺で弁当を広げる。


『天気が良いから外で食べるのは最高だねっ』


後で気が付いたが、弁当を広げたすぐ後ろが”馬出し空濠”だった。
城門前に築いて人馬の出入りを敵に知られないようにした土手が馬出しである。
この空濠は明治初期に連隊造営により埋め立てられていたものを復元したもので、
長辺121m、短辺40mのコの字形をしている。
深さは、当時5-6mあったのを現在は3mにしている。


弁当の後は、歴史民俗博物館前で記念撮影だ。
中を見学するのは、また別の機会にしよう・・・


13時37分、歴史民俗博物館を後にして、佐倉駅へ向かう。


佐倉城址の帯曲輪方面へ。
この辺りは散歩コースとなっている。


出丸跡の清水御門?を潜り、濠を渡ると城外へ通じる。


濠に沿ってゴールの佐倉駅を目指す。


佐倉八景園を右折し、


竜灯橋手前の信号を渡ると、高崎川の土手へ出た。


高崎川の土手を佐倉駅方面へ。
土手沿いに桜の並木が続く。
『花見の時期にはなかなか良さそうな所だねっ』


朝方通った常南橋を渡り、


女性の銅像を横に見ながら進むと、


正面に佐倉駅が現れた。


14時16分、ゴールの佐倉駅に到着した。


14時17分発の成田行電車が、ちょうど発車したところだった。
次の電車は、14時50分だ。
『もうちょっと早く着いていれば間に合ったかもねっ』
残念だが、ここは待つしかない。
待ち時間を利用して土産物や飲み物を買い求める人も。


14時50分発の成田方面行の電車に乗車。


『いやぁ 今日は天気に恵まれて良かったよなぁ』
Oさんの満足そうな笑顔が印象的である。


成田から我孫子までは成田線である。


『佐倉って、来た事なかったけどけっこう良い所だったわよねっ』
手に手に土産物を持つ皆さんの笑顔がこの日の例会を楽しめたことを物語っている。

『皆さん 今日は大変お疲れさまでしたぁ』

今回は、”侍のまち佐倉”を歩いたが、歴史を感じさせる建物も多く、一日楽しめた。
武家屋敷や「ひよどり坂」では、”侍のまち”に相応しい雰囲気を味わえた。

見所のひとつである旧堀田邸・さくら庭園を見落としたのは、少々残念だった。
下見をした訳でもなく、2011年10月~12月に催された”城下町佐倉 サムライのまちハイキング”の
1枚の地図だけを頼りに歩いた結果なので、これはご勘弁を願いたい。

この日の万歩計は、19,000歩に迫ろうとしていた。
意外にも歩いたな、というのが正直な感想である。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かみさんと歩いた 西沢渓谷

2015年11月22日 | ウマさんのキャンピングカードライブ
2015年11月22日(月)

滝沢ダムを観た後、向かったのは西沢渓谷。
かみさんは初めてである。
1年後に「健康ウォーキング同好会」で訪れることを計画しているので、
この日は下見を兼ねてのウォーキングでもある。

10時42分、西沢渓谷に到着するも、一番近い駐車場は既に満杯状態だった。


どこか空いているところはないか、とキョロキョロ探していると、
かみさんがたまたま1台だけ空いた場所を見つけ、何とか停めることが出来た。


10時44分、前日道の駅「ちちぶ」で買った”おやき”が余っていたので、
お昼代わりに、とリュックに押し込み、出発!
茶店の前を通り、西沢渓谷への道を進む。
奥に駐車スペースはあるようだが、停止板には”一般車両は進入禁止”と書かれていた。


少し先に西沢渓谷入口ゲートがあった。
一般車両は完全にシャットアウトだ。


さらに進むと、なれい沢橋があり、上流に「なれいの滝」が見えた。


駐車場から15分ほどで「ネトリ広場」に到着した。
「ネトリ広場」は、西沢渓谷を周回するハイキングコースの合流点になっている。
(ハイキングコースは、一周約8Km、約3.5時間のコースとなっている)


「ネトリ広場」には、安全登山を祈願する”山之神”が祀られていた。
軽く安全祈願をして、


西沢渓谷入口の標識に従って直進。
「七ツ釜五段ノ滝」まで3.9Km、1時間30分とある。


左手に笛吹川の源流が流れており、ところどころに堰が設けられている。
まるで滝のようだ。


11時7分、日本百名山甲武信ヶ岳への登山道入口を通過。


11時10分、ヌク沢を通過。
沢には橋脚のようなものが見えるが、これは、昭和28年頃から沢の上流で珪石を採掘して、
トロッコで塩山駅の集積場まで運搬していた森林軌道の橋脚跡である。
安い外国産の珪石が輸入されるようになり、森林軌道は、珪石の生産が中止される
昭和46年頃まで続けられた。


11時14分、ヌク沢の少し先の西沢山荘に到着。
山荘は現在は営業していない。


山荘の近くに田部重治(たなべじゅうじ)文学碑がある。
田部重治は英文学者で登山家。
大正四年(1915)5月、田部重治が笛吹川東沢を遡行した時の作品が刻まれている。
笛吹川を遡る
見よ 笛吹川の渓谷は
狭り合って上流の方へ 見上ぐるかぎり峭壁をなし
其間に湛へる永の紺碧の色は
汲めども盡きぬ深い色をもって
上へ上へと続いて居る
流れはいつまで斯の如き峭壁に
さしはさまれてゐるだろうか

なお、現在東沢には入ることはできない。


山荘から「七ツ釜五段ノ滝」まで80分とある。
『大したことないから』とかみさんを連れて来てはみたが・・・


お地蔵様がポツンと佇んでいた。
登山の安全を祈願するために安置されたものだろう。


沢の流れを聞きながら山道を進む。


11時21分、二股吊橋に到着。


吊り橋を渡る。


吊り橋から東沢上流からの豪快な流れにしばし見惚れる。


笛吹川下流
東沢は、ここで右からの西沢渓谷の流れと合流して笛吹川となる。
ここがちょうど合流点である。


吊り橋を渡ると鉄板のスロープがあった。
かなり斜めなので、濡れていると滑り易い。注意が必要だ。


11時23分、鶏冠山(とさかやま)登山口の分岐点に到着。
西沢渓谷入口から2.0Km、「七ツ釜五段ノ滝」まで2.0Km、ちょうど真ん中になる。
ここからが西沢渓谷である。


鶏冠山へ登山する人の姿も。


スティール製の階段が。
かなり急勾配だ。


階段を上り始めたところに「大久保の滝」を観る小さなスペースがあった。
「大久保の滝」は対岸にあるので、ちょうど良い観瀑台である。


急階段を上ると、


西沢渓谷の流れが見えて来た。


足元に見えるのは「三重の滝」だ。


少し下流に「三重の滝」の観瀑台が見える。
観瀑台へ行ってみよう。


観瀑台から観た「三重の滝」


「三重の滝」の景色を満喫してさらに上流を目指す。
上流から「三重の滝」と観瀑台を見たところ。


沢沿いに上流へ向かう。
この辺りはまだ遊歩道があるので歩き易い。


遊歩道に沿って上流へ。
石が敷き詰められた遊歩道は濡れた箇所も多いので滑り易い。
『卸したての靴が瓦礫で傷ついちゃった』とぼやくかみさん。
『最初から分かってれば他の靴にしたのに・・・』


渓谷には、いわゆる奇岩が多く見られる。
これはフグ岩
フグの形をしている。


うなぎの床
岩が緩やかな勾配になっていて、しかも長さがあるので、こう呼ばれるのだろう。


人面洞
人面に見立てるのは、ちょっと無理があるのではないだろうか?
しかし、いずれにしてもなかなかの洞である。


人面洞を過ぎると大きな岩が行く手を遮る。
鎖を掴みながら進む。


遊歩道が途切れて大きな岩の上を進む。
かみさんは『引き返そうよ』とかなり弱気になってきた。
「龍神の滝」当りで引き返すことにしよう。


『あと少しだから』とかみさんを励ましながらさらに上流へ。


急な岩場を上った先に・・・


「龍神の滝」が現れた。


12時3分、「龍神の滝」に到着。
「七ツ釜五段ノ滝」まで40分の標識。
この先「七ツ釜五段ノ滝」へはさらに急な勾配のところもあり、往復には1時間半近くかかるため、
ここで引き返すことにした。


引き返す途中の岩場で”おやき”を食べていると・・・
鷹(ノスリ?)を腕に掴まらせて上流へと上って行く人が見えた。


女性も一緒である。
”鷹匠”らしき人は、「関東ふれあいの道」(埼玉県)でも見掛けたが、
鷹(あるいはノスリ)を連れて歩くのは、ブームなのだろうか?


駐車場を目指す。
「三重の滝」付近。


最後に「三重の滝」を上流から1枚。


12時52分、二股吊橋を通過。


国道140号が見えて来た。
13時40分、駐車場に到着。


その後、道の駅「みとみ」へ立ち寄り、「ほったらかしの湯」へ向かった。
3連休の真ん中とあって、「ほったらかしの湯」は、かなり混んでいた。

「あっちの湯」で一風呂浴びた後、この日の宿泊場所道の駅「とよとみ」に向かった。

これまで西沢渓谷には2度ほど来ているが、かみさんは初めてである。
『大したことないよ』と言くるめて一緒に歩いたが、沢沿いの岩場を歩いたことで、
卸したての靴が傷ついたとぼやいていた。
新しい靴を買ってあげねばなるまい。

来年(2016年)「健康ウォーキング同好会」の例会として計画しており、今回はその下見も兼てのことだった。
しばらくぶりに訪れて、コースを再確認できたのは収穫だった。

ウマさんのキャンピングカードライブの目次”へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その巨大さに圧倒された 滝沢ダム

2015年11月22日 | ウマさんのキャンピングカードライブ
2015年11月22日(月)

久しぶりにかみさんとキャンピングカーで出かけた。
行先は、前日に突然決めた秩父である。
道の駅「ちちぶ」で一泊し、この日は西沢渓谷へ行くことにした。
国道140号を山梨県方面へ走ると、滝沢ダムがあったので、休憩がてら立ち寄って行くことにした。

滝沢ダムは、6年前の2009年11月16日、入社同期の友人らと一度来たことがある。
この時はダムの中央手前で引き返している。


滝沢ダム左岸天端広場の総合案内図によると、ダム中央付近にエレベータがある。
ということは、ダム下の下流広場に降りられるということなのか?


このような景色が見れるということなのだろうか?


とにかくダムへ行ってみよう。
ダム下流の眺め。先ほど走って来たループ橋だ。
紅葉は既に終わっていたが、周りの景色と調和していて美しい。


水を湛えたダム上流(奥秩父モミジ湖)の景色。
集水面積は108.6㎢、総貯水量は6,300万㎥とのこと。
ダムは、独立行政法人水資源機構により、平成20年の3月に竣工している。


ダム中央から放水口下流の中津川方面を観たところ。


中央付近に吊り橋が見える。
渡れるようだ。


さらに進むと、エレベータの建屋があった。


中に入るとエレベータが。
どうやらこのエレベータで下に降りられるようだ。


1F(121m)とB1(86m)とB2の3箇所に止まるようになっている。
高さ121mということは、渋谷区役所と渋谷公会堂の建て替えに合わせ、
隣接が予定される39階建てのマンションに相当する。


ものの1分ほどでB2(121m)に到着した。
地下トンネルを進む。


トンネル内には、ダム工事の進捗状況を示す定点写真が展示されていた。
工事着工前
(平成4年11月)


ループ橋が出来上がっている。
(平成14年10月)


完成間近
(平成17年9月)


扉を開けて下流広場に出ると、目の前に巨大なダムが聳えていた。
その大きさに圧倒された。


ダム右岸
階段は454段


ダム左岸
こちらの階段は435段だ。
階段があるということは、歩いて下りられるし、上れるということだ。
ダム左岸から下りて、吊り橋を渡り、ダム右岸を上ることも可能である。


放流場所
下流は中津川に続いている。


吊り橋


吊り橋の中央からダムを見上げる。
巨大な壁である。


吊り橋からループ橋を望む。


初めて滝沢ダムの下流広場へ下りてみたが、ダムの巨大さに圧倒された。
来年(2016年)の「健康ウォーキング同好会」のスケジュールでは、この後訪れる「西沢渓谷」を
候補として上げているが、この滝沢ダムも見逃せない場所だと思った。
必見の価値ありと思う。

この後、西沢渓谷へ向かった。

ウマさんのキャンピングカードライブの目次”へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝篋山ハイキング 極楽寺・小田城コース

2015年11月20日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年11月20日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27年度第21回(2015年第32回)、「宝篋山ハイキング」に参加した。
この日の宝篋山「極楽寺コース」は、2013年1月18日(金)以来である。

第一集合場所の乙戸沼公園
銀杏の落ち葉が美しい。黄色い絨毯だ。


第一集合場所の乙戸沼公園には、11名が集まった。
車4台に分乗し、出発地の小田休憩所へ。


9時34分、スタート地の小田休憩所に到着。
途中、雨がパラついていたが、今はほとんど降っていない。
予報は一日曇りとなっている。


既に10名が直接車で来ていた。
この日の参加者は、21名となった。
低山ながらやはり登山ということを考慮すれば、この参加者はまあ妥当な人数か。、


いつものように会長の号令で準備体操をして、


9時59分、Oさんを先頭に出発!
朝方やや気温が低かったのと、雨を気にして、雨具で備える人も。


「極楽寺コース」を進む。


正面に目指す山頂のアンテナ鉄塔が見える。


後に続く女性陣


極楽寺公園
この公園は、忍性記念として、公園所有者と宝篋山整備隊の労力・登山者の協力金等で整備された。
忍性:奈良西大寺の僧で、16歳で出家し87歳で亡くなるまでの70年間、社会福祉奉仕事業を続け、
後醍醐天皇より忍性菩薩号を賜った。
戒律復興と真言律宗の布教のため、大和国西大寺より、宝篋山の三村山静冷院極楽寺に来所し、
十年間止住して活動した)
なお、生誕800年を記念して、2年後の2017年7月16日にこの公園に忍性菩薩の銅像を建立する、
とのこと。(案内板より)


五輪塔へ向かう。


10時15分、石造五輪塔に到着。
この石造五輪塔は、全体として均整のとれた力強い作品であり、
鎌倉時代後期の全国的にも珍しい、本格的な五輪塔である。
鎌倉時代後期の完成された様式の五輪塔の中でも、一連の作風を示すものが西大寺系石工による作品である。
奈良西大寺の叡尊五輪塔、鎌倉極楽寺と大和郡山額安寺の忍性五輪塔がそれであり、
忍性ゆかりの三村山極楽寺の本塔もこの流れに属するものと考えられる。
高さは2.76m。つくば市文化財に指定されている。(説明板より)


身体が温まってきたので、一枚脱いで調節だ。


10時17分、宝篋山山頂を目指す。


沢に沿って上る。ところどころに小さな滝が見られる。
これは「五条の滝」だろうか?


登山道が以前来た時よりも全体的にすっきりしている。
以前は枯れ木や草に覆われて沢の流れは見えなかった。
宝篋山整備隊の方達のおかげである。感謝したい。


登山道は沢を右に左に縫うように続く。
かなり身体全体が温まって来た。


10時34分、水分補給のため、小休止。
『やっぱり水が一番美味いねっ』


「こころの滝」が見えて来た。


「こころの滝」


今度は沢の左へ。


10時42分、「白滝」を通過。
欲を言えば、もう少し水量が欲しいところだが、この時期水量は少ない。


「白滝」を過ぎたところで、下山途中の「まゆみの会」の横張さんとばったり。
もしかしたら、とは思っていたが、まさかここで遭うとは・・・
この日もまた宝篋山に来ていたのだ。
何と! いったん下山してもう一度登るのだと言う。
日に3度登ることもこともあるとは聞いていたが・・・


こちらはマイペースで宝篋山を目指す。


10時48分、「葵の滝」を通過。


「葵の滝」を過ぎると、道は少し緩やかになった。


「太郎こぶし」
胸回は2m70Cmとある。


登山道はまた急勾配になってきた。


10時53分、純平歩道分岐点を通過。
小田休憩所から1.7Km歩いたことになる。
山頂まで1.4Kmの表示に『まだ1.4Kmもあるんだぁ』の声が・・・


突然視界が開けた。
しかし、天気が悪く筑波平野の見晴らしはすっきりしない。


『もうちょっと天気が良ければねぇ』


宝篋山を目指す。


登山道は一段と急になってきた。


岩の間を縫うように上る。


少し平らな部分があった。、
最後尾との間隔が開いてきたので、ここで小休止。


11時25分、「こぶしの森展望所」に到着。
新しく出来た休憩処のようだ。


この時期最期の紅葉を楽しむ。


振り返ると、何と横張さんが上ってきた。
下山中の横張さんとすれ違ってからまだ45分ほどしか経っていない。
小田休憩処からまた引き返して来たそうだが、それにしても速過ぎる!


あっと言う間に我々を追い抜いていった。
確か昭和17年生まれで今年73歳の筈。まさに鉄人である。


11時34分、山頂まで100mの地点に到着。
バイオトイレが1つ増えている。


遅れていた仲間も次々と到着。


最後尾のメンバーも元気に到着。
『良かったわぁ ここまで登って来れて』


ここで呼吸を整えて、


最後の100mに挑む。


山頂の鳥居を潜り


11時48分、宝篋山山頂(461m)に到着した。


筑波山の山頂辺りは雲がかかっている。
筑波山をバックに記念撮影も考えたが、今にも雨が降りそうな雲行のため、弁当を先に済ませることにした。
雨に降られての弁当は最悪なので・・・


弁当タイム


『何とか雨は持ち堪えそうだねっ』


ところが・・・
弁弁も終わり、記念撮影しようとした時には、筑波山はすっかり雲に隠れてしまった。
『やっぱり先に撮っておけば良かった』と悔やんでも後の祭りだ。
『まあ、これも一つの記念になるかなっ』


12時23分、下山開始。


下りは、「小田城コース」である。


12時35分、「山口コース2」との分岐点を通過。


下りは快調なペースである。


12時38分、下浅間神社に到着。


下浅間は、”女人浅間”とも云われている。
昔、山頂は女人禁制のため、女性はここで祈願した、とのこと。


下浅間(女人浅間)神社からの視界は、効かなくなってしまった。
全く何も見えない。


雨の心配もあるので、ここは休まずに下ることにする。
見晴らしも望めないし、他に休めるような場所も見当たらない。


「小田城コース」は至る所が猪によって掘り返されているので、歩き難いことこの上ない。


『猪が多いのは困ったもんだよねっ』


12時47分、七曲に差し掛かった。


道は、右に左に、


まさに七曲りしている。


最後のカーブを曲がる。


13時12分、コース入口まで1.0Kmの地点を通過


「小田城コース」「中世・城の道」へ。


13時23分、「小田城コース」から「中世・城の道」への分岐点を「中世・城の道」へ。
前回と同じコースを進む。


分岐点からものの1分も歩かないところに「舟ガ城跡展望所」があった。


木々が視界を遮っているが、『直ぐ目の前に国道125号が走ってるよっ』


よく見ると、国道125号沿いのラーメン店が見える。


13時32分、「要害展望台」に到着。


『いやぁ ここからはなかなか素晴らしい眺めだねぇ』


少しばかり視界が良くなって来た。
写真中央の道路は、国道125号である。


「要害展望台」を少し下ると、小田城本丸跡が見えた。
近年堀や城塞などが復元され、城址公園として公開されている。


小田休憩処まで、残り800m付近。
ゴールは近い。


お地蔵さんがずらり。
お地蔵さんの前には、湯のみ茶碗が伏せて置かれている。
中には頭の部分が無くなっているお地蔵さんもいくつか見える。


『お茶碗が伏せて置いてあるのねっ』
伏せたお茶碗には、お賽銭も。


お地蔵さんの先には朽ちかけた薬師堂らしき建物が・・・


お堂の中の様子。
祭壇のようにも見えるが薬師如来などの仏像などは見えない。
床下からは竹が生えている。
扇風機と石油ストーブがおいてあった。


小田休憩所まで残り400m辺りまで下ると道は平坦になった。


13時54分、中世・城の道入口に出た。
”ここから左へは行かないように”との注意書きが・・・
この先は行き止りなのだろうか、それとも私有地なのだろうか?


13時56分、小田休憩所にゴール。
この日は整理体操は省略。
今後のスケジュールの説明の後、めいめい帰路に就いた。
『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』


久しぶりに宝篋山「極楽寺コース」でのハイキングだった。
山頂での雨が心配されたが、結局最後まで雨に降られずに済んだのはラッキーだった。

今回の宝篋山ハイキングではそれほどきついとは感じなかったのは、
先週(11月13日)、竜神峡で今日以上の急登を経験しておいたことが逆に良かったのかもしれない。

「まゆみの会」横張さんの超人的な健脚には遠く足元にも及ばないが、
これからもマイペースでウォーキング&ハイキングを続けていきたいと思う。

この日の万歩計は、15,000歩をカウントしていた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする