ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

日光街道を歩く 第7回 石橋宿~宇都宮宿

2013年05月22日 | ウマさんの「旧日光街道」を歩く
2013年5月22日(水)


2011年4月から12月にかけて旧水戸街道を、そして2012年2月から5月にかけて、成田街道を歩き終え、
仲間の方たちから次の”街道歩き”を望む声が次第に大きくなってきた。
Webなどを参考に検討を重ねた結果、大部分が日帰り可能な「日光街道」を歩くことにした。

第7回目となるこの日は、石橋宿(JR東北線石橋駅)から宇都宮宿(JR東北線宇都宮駅)までの約16.5Kmを歩いた。
5月15日(水)を予定していたが、足を痛めてしまい、めに大事をとって1週間延期してこの日となった。

水戸線友部駅で小山行き電車を待つ。


水戸線車内
この日の参加者は9名だ。
15日に実施した場合は、参加者は11-12名になったと思う。
延期したために逆に都合が悪くなって、参加できなくなった人もいるので、大変申し訳ないと思っている。


水戸線終点の小山駅で東北線に乗り換える。


東北線車内
通勤ラッシュも終わり、車内は空いていた。


9時25分、出発地の石橋駅に到着し、駅前広場へ。
先月、小山駅から石橋駅まで歩いたので、記憶に新しい。


石橋駅前でUさんの指導によるストレッチで準備運動。
2時間半も電車を乗り継いだので、十分に身体をほぐすことが重要だ。


9時45分、奥州街道との分岐点、宇都宮宿目指して、いざ出発!!


先ずは石橋山開雲寺で旅の安全を祈願していこう。
開雲寺は、真言宗智山派の寺院で、宝亀十二年(781)に恵雲律師により、開山されたと伝えられている。


金剛力士像2対を配した山門を入る。


本堂前に左右6体づつ並んだ羅漢像の表情が豊かで面白い。


江戸時代に入って、将軍家の日光参詣の休憩所となり、寺紋に葵を使用している。
葵紋入りの湯釜、家光直筆の書状などが残っている。
本尊阿弥陀如来座像(県指定有形文化財)や三体地蔵尊が安置されている、とのこと。


国道4号線を進む。


この日は、殆ど国道4号線を歩くことになり、街道歩きとしては、やや退屈な道である。
また、立寄り所が道の左右に点在しているので、車の交通量が多い道をいちいち横断するのは大変だ。
場合によっては、割愛することもあるだろう。


コンビニがあったので、お昼の弁当を買って行くことにした。
いつもはかみさんが弁当を作ってくれるのだが、この日は早朝から出掛けてしまって、
コンビニ弁当で我慢するしかない。


上三川町(かみのかわまち)の西の外れを通過。
直ぐにまた下野市に入ることになる。
この日は気温が29℃近くになるそうで、朝から暑い。
特に女性陣は直接太陽に当らないようにと暑さ対策には気を遣っている。


下野警察署の先に、「本陣」の兜武者が廃墟となって残っていた。
ラーメンやそばを商売していたらしいが、見るも無残な姿である。
何で出来ていたのか気になって触ってみたら、堅めの発砲スチロールだった。
処分に困ってそのままになっている、ようだ。


星宮神社に到着


星宮神社は、鞘堂新田村の鎮守とされている。
祭神は、磐裂神(いわさくのかみ)、根裂神(ねさくのかみ)、經津主命(ふつぬしのかみ)だそうである。
Webの情報によると、この神社近くに鞘堂地蔵尊があることになっているのだが、見落としてしまったようだ。


再び下野市に入った。
前方に見えるのは北関東自動車道である。


北関東自動車道を通過。


宇都宮まで11Kmの表示
まだ1/3ほどしか歩いていない。


宇都宮市に入った、と言っても宇都宮市は広い。
まだほんの南の端に辿り着いたばかりであり、先は長い。


陸上自衛隊宇都宮駐屯地
石橋駅を出発した時から上空を飛ぶヘリコプターが気になっていたが、自衛隊の訓練飛行だったようだ。


少し前から電柱にお菓子屋の看板が現れるようになった。
奥さんや娘さんに土産物は欠かしたことがないUさん。
「銘菓かち栗」が気になってしょうがない。


”この日の土産に”と、目の前に停まった車に店の場所を訊ねている。近くに店があるらしいのだが・・・
しかし、店までやや距離があるとのことで、仕方なく諦めた様子・・・
『宇都宮に行けば何かあるよねっ』


雀宮宿本陣小倉家跡。
現在は西松屋の敷地になっており、駐車場入口に「雀宮本陣跡」の石碑が立てられている。


雀宮本陣の国道4号を隔てた斜め向かいに、黒い屋敷門と立派な屋敷が脇本陣だった芦谷家がある。


門は堅く閉ざされていたので中には入れないのかと思ったが、黒い板塀の脇から中へ入れるようになっていた。


主屋の玄関は重厚な造りになっており、格式の高さが伺える。
主屋には玄関の式台、上段の間が残されているという。


11時43分、雀宮神社に到着。


社伝によると、長徳元年(995)藤原実方が陸奥守として赴任途中休憩したこの地で、
後を追ってきた妻の綾女が病死した。
遺言で持っていた宝珠を埋め、産土神として祀ったのが神社の始まり、とある。


その後、赴任地の陸奥で実方がなくなると、その霊魂が雀となってこの地に飛来したので
綾女と実方を合祀し雀宮と称した、そうである。


時計は11時45分を少し回っていた。
この先弁当を広げられる場所を思いつかないため、ここで弁当にしよう。


12時40分、自衛隊航空学校前バス停を通過
自衛隊航空学校は、航空科隊員に対する教育訓練を主要任務としている。ヘリコプターが多い訳だ。
本校は三重県伊勢市の明野駐屯地にあり、宇都宮校(北宇都宮駐屯地)は、分校になっている。
分校は他にも霞ヶ浦校(霞ヶ浦駐屯地)がある。


道路の反対側に寿鶴薬師堂(すずやくしどう)らしき建物が見えた。
横断歩道も見当たらないし、面倒なので、写真だけにしておいた。
ちょっと派手だが、薬師如来でも安置して祀っているのだろうか?


菅原神社
菅原道真翁を祀る神社。


”学問の神様””天神様”と呼び親しまれ、全国各地に「菅原神社」「天神様」と呼ばれる神社が建立されている。


一里交差点
「東京街道」は、宇都宮市の池上町交差点以南の国道119号および国道4号の通称らしい。
全員でキョロキョロしながら気を配って進んだのだが、江曽島一里塚跡を見落としてしまった。


これからはバラの季節である。
大輪のバラが美しく咲いていた。気持ちを和らげてくれる。


ここからは東京街道の標識から日光街道の標識に変わった。
日光まで31Kmの表示に『もうそんなに来たかっ』と喜んだのは束の間・・・


次の表示では、日光の社寺まで41Kmとなっていた。
『31Kmは少し近過ぎると思ったよ』


JR日光線の線路を跨ぐ。
この先が目的地の日光なのだと思うと、少しばかり元気が出てきた。


不動尊


旧奥州街道と奥州街道との分岐点にあり、宇都宮に入る目印となっていた。


不動明王(大聖不動)は高さ50cmの石像で宇都宮朝綱の建立といわれる。


東武日光線を通過


蒲生君平勅旌碑(がもうくんぺいちょくせいひ


蒲生君平は学者・尊王家として知られ、1808年に天皇陵について考証した山陵志を著わした。
明治天皇の命により宇都宮藩知事の戸田忠友奉行が1869年に蒲生君平の遺功を追賞したもの。


新町のケヤキ
樹齢は推定800年というから凄い。
江戸時代から宇都宮城下の入口に立っており、旅人の目印となっていた。


樹高は43mあるそうだ。
見上げるとその大きさ(高さ)が分かる。
栃木県指定天然記念物。


幹の太さは7.9mもある。
『でっかいわぁ』
これほどの大木はそうはお目にかかれるものではない。


戦前まではこのようなケヤキが3本あったが、一番大きなこの木を残して供木したため、
現在はこの木だけが残っている。
この後1,000年、1,500年と残って欲しいものである。


台陽寺(たいようじ)の子安地蔵尊


台陽寺の門を入ると・・・


右手に地蔵堂が建てられている。


六地蔵
六道輪廻とは、生命は六種の世界(地獄・餓鬼・修羅・畜生・人間・天上)に生まれ変わり、
それを繰り返す、という考え。
六体の地蔵菩薩が人を救い導くと考えられている。


慈母観音像
「ほほ笑みを 浮かべし慈母の御姿に 信徒の幸を祈りつつ はげみて止まん 禅の道」


本堂にお参りして、


戊辰戦争で戦死した宇都宮藩士の墓の前の休憩所で一休み。


熱木不動尊


康平二年(1059)宇都宮宗円が多気山頂上に陣を張ったとき、
戦勝を祈願して彫った三体の不動の一つだという。
中は公民館になっていた。不動尊と公民館が仲良く共用されているのは珍しい。


一向寺
宇都宮景綱を開基として、建治二年(1276)に創建された。
この寺の阿弥陀如来坐像は、汗かき阿弥陀といわれ、宇都宮家に凶変がある時は仏体に汗が流れるといわれた。
応永十二年(1405)に造られたとされ、国の重要文化財に指定されている。


材木町通り
前方に追分の裁判所前交差点が見えてきた。


14時53分、裁判所前交差点に到着。
この先右手の清住町通りが日光街道と奥州街道の分岐点に当る追分である。
日光街道歩きは、ここでいったんゴールであるが、宇都宮駅まで歩くことにする。


宇都宮駅までまだ約2Kmほどある。
先週痛めた足がまた痛くなってきたがここは自分の足で歩くしかない。


伝馬町本陣跡
江戸時代、この辺りに200坪ほどの大きな本陣があった。
東北地方の大名の参勤交代のときや、将軍の日光東照宮参詣の際の供者の宿舎として使われた、とある。


二荒山神社だ。
ここは寄らずに通り過ぎるわけにはいくまい。


宇都宮宿まで無事歩き終えた報告をしていこう。


田川を渡ると宇都宮駅はもう直ぐだ。


15時35分、宇都宮駅に到着した。


宇都宮まで来たからには名物の餃子を食べねばなるまい。
駅前には何軒かの餃子屋があったが、駅東口の餃子屋へ行ってみることに。


「宇都宮餃子館」へ、と言っても周りはみな同じ「宇都宮餃子館」となっている。


『今日は、大変お疲れ様でしたぁ』
『かんぱ~いっ』
歩き終えた後の一杯は格別だ。


餃子(12種食べ比べ)は、なかなか美味しかった。
まだいくらでも食べられるが、そうもいかない。
名残惜しかったが、宇都宮餃子館を後にして宇都宮駅に向かった。



この日の宇都宮宿で「日光街道」(千住宿から日光東照宮までの約140Km)の約75%(106Km)を歩いたことになる。
残りはあと約34Kmとなった。
次回からは国道4号線と別れ、本格的な「日光街道」になる筈だ。
最後まで皆さんと一緒に、楽しく元気に歩き、ゴールの日光東照宮を目指したい。


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ツツジには早すぎた 八方ヶ原ハイキング

2013年05月17日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2013年5月17日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第7回(2013年第19回)、「八方ヶ原ハイキング」に参加した。


この日のコースは、昨年常南交通のバスハイクで参加した際、それほどきつい道ではなく歩き易かったことと、
山ツツジがきれいに咲いているのを見て、是非当会の会員にも見て欲しいと思ったことから、企画した。
もう一つ、常南交通が用意した弁当(真岡駅弁)が殊の外美味しかったことも理由のひとつである。
昨年のバスハイクの後に、真岡へ行く機会があり、駅の売店で駅弁を買い求めようとしたが、
駅弁はSL車内でしか販売されていないとの返事。
SLはたった今しがた発車したばかりで、「真岡駅弁」は残念ながら買うことができなかった、
という悔しい思いをしたことが背景にある。


乗車場所の国道6号沿いの小林ふとん店前に常南交通の貸切バスがやってきた。
どうやら新型車両のようだ。
定刻の6時より15分も早い。


この後、バスは天川団地入口⇒土浦市民会館と回り、この日の参加者26名を乗せ、常磐道へ。
定刻6時30分の5分前の出発は、実にスムースである。
この年代になると、時刻はきっちりと守る習慣が身に付いているからだろう。


早速、朝食弁当が配られた。


最初の休憩は、常磐道友部SAだ。


昼食の弁当を受け取るため、北関東道壬生PAに立寄った。


バスの到着が早すぎて、弁当が到着するのを待っているところ。
実際、弁当は受け渡し予定時刻より10分も早く来たのだが、バスの方がそれ以上に早かったということだ。
弁当(真岡駅弁)を無事受け取って、八方ヶ原を目指した。


9時25分、ハイキングスタート地点の八方ヶ原大間々駐車場に到着。
予定より25分も早く到着したことになる。
弁当をリュックに詰め込むなど、いっせいに準備に取り掛かる。


大間々駐車場には、既にたくさんの車が停まっていた。
皆さん、ツツジが目当てなのだろうか。


ところがである。
駐車場周りのレンゲツツジは、咲いていないどころか、蕾もまだ、といった状態である。
完全に読みが外れ、期待が大きく外れてしまった。
無理もない、普通レンゲツツジは6月上旬から中旬にかけてのところなのに、
5月中旬に咲いていて欲しいと願う方が無茶なのだ。


ツツジはひとまず置いといて、気持ちを切り替えていつもの準備体操。
空は眩しいほどに明るい。絶好のハイキング日和である。


コースを確認して・・・


9時40分、「林間コース」から八海山神社を目指すことにした。


最初は緩やかな坂道から始まる。


この日の先頭は、これまで3度来たことがあると言う、会長が務める。
最近は体調が良いのだろう、元気いっぱいである。


一列縦隊で、会長の後に続く。
『会長、かなり早いペースよねっ』


コースには、適度な間隔で剣ヶ峰を示す案内板や、


八海山神社までの距離を示す道標が完備されている。
残り距離が示されているので、目安になり、助かる。


スタート地点では気温もまだ低く、やや風があったため、上着を着込んできたが、
林に囲まれて風の影響がなくなると、身体が温まってきた。


『暑くなってきたわね』


出発して20分、ここらで一息入れよう。
上着を脱いで体温調節だ。
『水分も補給しておかなくちゃ』


林間コースは、木の根っこが張り巡らされていて足元がしっかりしている。


大きな岩がごろごろしている水のない沢を渡る。


『気を付けてね~っ』・『気を付けて~っ』・『滑るから気を付けて~っ』
注意喚起の言葉リレーである。


沢を渡ると、急登の坂道が待ち構えていた。


階段の先は林間コース特有の木の根っ子が張っているので、歩き易い。
木の根っ子には申し訳ないが、根があることがありがたい。


八海山神社まで0.7Kmを過ぎた辺りから、それまでの背の低い雑木林から次第に背の高い木の林になってきた。
「林間コース」たる所以であろう。


樹高20m-30mのモミ(ウラジロモミ?)の林が続く。


細長いモミの実(松ポックリ)があちこちに落ちていた。


『八海山神社まであと400m、もう少しだねっ』


八海山神社まであと残り300m付近、最後の休憩を摂る。
十分に水分を補給しておこう。


『カタクリが咲いてる~っ』
今頃カタクリが咲いている、ということは、この辺りはまだ4月上旬の気温ということ?
標高1,500m以上であることを改めて認識した。


最後の急階段を上る。
中央部分は雨で流されて窪んでいるので歩き難い。階段の両側に分かれて進む。


『本当にもうすぐなの???』
『もう直ぐだよっ』


10時46分、八海山神社(1,539m)に到着した。
約1時間5分は、コース案内より5分早いことになる。


『いやぁ 素晴らしい眺めだねぇ』
『あれ、筑波山じゃないの?』


八海山神社からの眺望(その1)
宇都宮方面か?


八海山神社からの眺望(その2)
後方には、手前右から釈迦ヶ岳(1,795m)、中岳(1,728m)、西平岳(1,712m)が連なる。


動画で見たところ。
天気も良く、やや霞がかってはいるが、素晴らしい景色である。
ツツジが咲いていなかったことを差し引いても十分なおつりがくる。
『登ってきて良かったぁ』


しばらくの間、休憩も兼ねて八海山神社からの眺望を満喫。


希望者による剣ヶ峰(1.540m)への往復も考えていたが、たまたま剣ヶ峰から下りてきた人によると
木々に阻まれて見晴しは良くない、との情報であっさりと諦め、下山することに。
下りは「見晴しコース」を下ることにした。


「見晴しコース」は眺望を楽しみながらの下山可能だが、瓦礫を適当に敷き詰めたような道のため、
いささか足元がおぼつかない。
容易く転びそうで、十分に注意をしないと危ない。


八海山神社をバックに記念の撮影だ。


下山途中、眼下の眺望が楽しめる。
矢板CC(あるいはメイフラワーGC)が見える。


瓦礫の道に続き、大きな岩だらけの道がしばらく続く。


いったん呼吸を整えて・・・さらに下る。


ところどころで見掛けるあの白い花はもしかしてシロヤシオか?


そんな筈はない。
案の定、残念ながら、ムシカリ(大亀の木)と云う木であった。
意外にも、良く見ると花は可愛らしくて美しい。


「青空コース」の合流点となる鳥居が見えてきた。


下山開始から50分、「青空コース」の合流点に到着。
昨年は、左側の「青空コース」をミツモチ山へ歩いたので記憶に新しい。


合流点から大間々駐車場へは平坦な砂利道である。
昨年はこの辺りでシロヤシオをたくさん見掛けたものだが・・・


この辺りには木の肌が三色(グレー、薄茶、赤茶)の変わった木があるそうだ。
リョウブ(令法)かナツツバキと云う木とのこと。
木の肌が剥がれ易いところは百日紅(サルスベリ)に似ている。
実際、サルスベリと呼ぶ地方もあるそうだ。
若葉は山菜とされ、新芽はおひたしにしたり、ご飯に炊きこんでリョウブ飯として食べる、と書かれている。


「やしおコース」の合流点を過ぎると、大間々駐車場は近い。


12時7分、大間々駐車場に到着。


駐車場は満車状態になっていた。


お腹も空いてきたし、時間もちょうどいい。
大間々駐車場の周辺にはベンチとテーブルが多数あった。ここらで弁当にしよう。


1年振りの真岡駅弁「野立御膳」である。


『この弁当は美味いねぇ』
『また食べたくなるの分かるよ』
皆さんの評判は上々である。


12時50分、弁当も終わり、ゴールの山の駅「たかはら」を目指し、出発!
下りは「大間々自然歩道」を歩くことにした。


本当は、一面レンゲツツジの筈であったのだが・・・


蕾も膨らんでいない状態はまるで冬景色である。


『来年、何とかして見たいわねっ』
これは是非とも皆さんの期待に応えねばなるまい。


これはトウゴクミツバツツジだろうか?


開花まであと1週間ほどかかりそうである。


小間々駐車場までは自動車道路を歩くことにした。
周りの木々もようやく新芽の時期を迎えようとしている状態だ。
標高1,000m以上あるので、当然か。


自動車道路が大きく蛇行している個所があった。
時間はたっぷりあるし、近道する必要はないのだが、蛇行具合を見れば心理的に近道したくなるものである。


『やっぱし、近道は早いよねっ』


13時15分、小間々駐車場に到着。


『見てっツツジが咲いてるよっ』
たった1本だけだったが、今年はこれで我慢しておこう。


小間々駐車場で最後の一息を入れて・・・
再び、「大間々自然歩道」へ向かう。


ときたま、蕾が膨らみかけた山ツツジを見掛けた。
『ツツジのトンネルを歩いてみたいねぇ』
こうなったら、来年に期待するしかない。


「大間々自然歩道」は、途中から熊笹の道に変わる。


『うわぁ素敵~っ』
ひと際大きなダケカンバを見上げて感激の声を上げているところ。


道がやや急な下り坂になる。


ダケカンバや小ナラの林を縫うように下る。
山の駅「たかはら」はもう直ぐだ。


林の中にぽつんとトウゴクミツバツツジが咲いているのを見つけた。
この日全くツツジが見れなかったが、せめてもの慰めのように感じた。
『またおいで』と言っているようだ。


13時44分、山の駅「たかはら」が見えてきた。
既に常南交通のバスが待っている。


予定時刻より45分も早く着いたため、山の駅「たかはら」で土産ものでも見て行こう。


『ここのソフトクリームが食べたかったのよね~』


14時10分、予定より20分早く帰路についた。
ツツジは見ることが出来なかったが、皆さん八海山神社からの眺望には満足した様子。
『来年は満開のツツジみたいよねっ』『真岡駅弁も美味しかったぁ』
これで決まり、だ。
来年は皆さんの御期待にしっかりと応えようと思う。
(しかし、花の時期に合せるほど難しいものはない、とつくづく思う)


バスが出発するや否や、最後尾座席では、早速、宴会が始まった。
『お疲れ様ぁ』『かんぱ~いっ』


次々にお菓子やつまみが回ってきた。
飲み物は、缶ビール・酒・ワインなどなどよりどりである。


宴会は常磐道に入る頃まで続いた。
一人で缶ビールだけでも4本も。
自分も含め、この他に酒・ワインですっかり出来上がってしまった。
飲めない人には申し訳ないが、『これだから、バスハイキングは止められない』と言う人も多い。


こんなに明るいうちに友部SAに立ち寄るのは、初めてである。
早いことは良いことだ。


17時2分、土浦市民会館に到着。
『皆さん、大変お疲れ様でしたぁ』
(バスが発車したからであり、酔ったからブレたのではない)


”ツツジ鑑賞ハイキング”と称して快晴の八方ヶ原に出掛けたまでは良かったが、
時期が早すぎてツツジを全く見ることはできなかったのは、残念だった。
しかし、最高の天気に恵まれ、八海山神社から素晴らしい景色を目にすることができたのは、救いであった。
また、常南交通社の弁当の中でも最高の味と評判の高い真岡駅弁「野立御膳」を
食することが出来たのには、満足している。

『来年また来て、満開のツツジを見たいわっ』の声が寄せられたことから、
何とか花の時期に合せられるよう計画したいものである。
真岡駅弁「野立御膳」をもう一度味わうためにも・・・


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りんりんロードを歩く(藤沢~小田城跡)

2013年05月10日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2013年5月10日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第6回(2013年第18回)、「りんりんロード(藤沢⇔小田城跡)」に参加した。


この日は、つくばりんりんロードの藤沢休憩所から小田城跡までを往復するコースで、過去に何度か実施されている。
この区間は、約4年ほど前に土浦から岩瀬まで歩いて以来、2度目となる。
好天に恵まれたこの日、第一集合場所の土浦市民会館には、13名が集まった。

車3台に分乗し、藤沢休憩所へ向かった。
藤沢休憩所の駐車場は小さく、7-8台で満車になってしまう。
直行した車も含めて何とかぎりぎりに停めることが出来た。
収まりきれない場合は、小田城跡へ移動して逆コースを歩くことも考えていたが、何とか収まって一安心である。


この日集まった参加者は全部で20名。
まあまあの参加者だと思う。


早速、会長の掛け声で準備運動である。
『アキレス腱伸ばし~』


9時35分、小田城跡目指して出発!


先頭を務めるのは、Oさん。
この日は一本道を往復するだけなので道に迷うことはない。


後ろに続く男性陣
それぞれ好みのサングラスなどをかけて『決まってるぅ』


15分ほど歩くと右手に小田山(宝筺山)が見えてきた。
『あそこの麓まで歩くのよねっ』


県道201号線を横断。
小町の館まで4.8Kmと表示されていた。
車がたまに通る程度にしては立派な道路である。


ステンレス製の円柱は、"距離標準比較基準場"と呼ばれ、基本測量や公共測量に使用する、
EDMやGPS測量機器の性能・動作の確認を行なう施設とのこと。
1Kmほどの間に全部で10個、直線上に並んで建てられている。


藤沢休憩所を出発して約30分、田土部(たどべ)休憩所に到着。


太陽を遮るものはなにもないので、小さな木陰でもありがたい。
『今日は水分補給はたっぷりしとかなくちゃね』


土浦から10Kmの標識を通過
スタート地点が7Kmなので3Km歩いたことになる。
まだまだ折り返し点は先である。


つくば市に入った。


振り返ると、こちらは当然のことながら土浦市である。


つくばりんりんロードは、自転車道路ということで、自転車優先である。
自転車がかなり早いスピードで走り抜ける。
自転車の邪魔にならないように左側を空けて歩かないと思わぬ事故を招く。


県道53号線の下を通過。
壁に描かれた可愛らしい絵に心が和まされる。


土浦から12Kmの標識。
5Kmほど歩いたことになる。
小田城跡はそろそろかな?


小田山(宝筺山)がくっきりと見えてきた。


前方に小田城跡が見えてきた。
旧筑波鉄道の線路は真直ぐだが、小田城遺跡があるため、りんりんロードは左にぐるっと迂回している。


迂回しているりんりんロードを進み、


小田城本丸跡で一休み、と向かったのだが・・・


何か様子が違う。
いつの間にか城壁のような土塁が築かれている。


しかも本丸跡には行けないようにロープが張られていた。
工事中となっている。
本丸跡を公園にでもしようと言うのだろうか。


『去年は中に入れたのにねぇ』
これでは、車も止められない状態である。
藤沢休憩所に収まってくれて、移動しなくて良かった、というべきかもしれない。


休憩する場所が見つからず、小田城本丸跡をぐるりと1周して、畦道を通り、りんりんロードへ戻ることに。


りんりんロードの端っこで休憩を採り、気を取り直して、藤沢休憩所に折り返すことに。
帰りは向かい風で、帽子を飛ばされないようにしっかり押さえて進む。


小田山(宝筺山)


土浦まで12Km地点を通過。


前から集団の歩行者がやってきた。
相当な人数(約250人くらいか?)である。
『こんちわっ』の大合唱(輪唱)だ。


新人研修で日立方面からやってきたそうだ。
橋の下で休憩した後、宝筺山へ上るとのこと。
カメラを向けると『はいっポーズ』
『Have a nice day!』


土浦まで11Km地点を通過。
気温は相当に高いと思われるが、風があるので、それほどには感じない。


土浦市へ入った。
この辺りから会長がトップに躍り出て、ぐんぐん先を行く。
後を追うがなかなか追いつけない。
最近、非常に体調が良いらしい。


田土部休憩所に到着。


直ぐに腰を下ろすところを見ると、皆さんいささかお疲れの様子である。
そういう自分もかなり疲れていた。


田土部休憩所で一息入れた後は、ゴールの藤沢休憩所を目指すのみだ。


日差しを遮るものが何もないので、日焼けを気にしながらも歩くしかない。
『田植えが終わったばかりだから、見るものが何もないのよねぇ』
せめてもう少し稲が育った頃にすれば良かった?


道端に花菖蒲が咲いていた。
少しは目の足しになるかな?


間もなくゴールである。
最後の追い込みといった状態でゴールを目指す。


ゴールの藤沢休憩所の旧ホームが見えてきた。


12時15分、『やっと着いたぁ』
破顔一笑、最高の笑顔である。


皆さん、ベンチに座り込んで一息ついている。
この日は、数少ない弁当なしのため、お腹が空いてしまったのかも・・・


早速、整理体操をして・・・


『深呼吸をして~っ』
『はいっ今日は大変お疲れさまでした~っ』


久しぶりの「りんりんロード」だった。
田植えも終わった時期のためか、この日のコースはあまり見るべきものがなかった。
せめて青々とした田んぼでもあればまた違った雰囲気を味わえたのではないかと思う。
小田城跡も本丸跡の復元工事中(公園化?)だったため、単に歩いて往復しただけとやや物足りなさを感じた。
次は「りんりんロード」の別の区間を違った時期に歩いてみたい、と思った。


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記憶に残るバスハイク 荒船山艫岩

2013年05月09日 | ウマさんの気ままなバスハイキング
2013年5月9日(木)


常南トラベル(株)が主催する日帰りバスの旅「荒船山 新緑のブナ林と西下仁田温泉」に参加した。
所属する「健康ウォーキング同好会」からは、会長以下有志の5名が参加した。

今回の費用は6,980円であるが、常南交通のスタンプカードが前回で満杯(計15個)となっていたため、
5,000円割引きされ、差額の1,980円だけ払って参加出来たのが何とも嬉しい。

常南交通本社(谷田部)で石岡・土浦方面からのバスを待つ。
ここから乗り込む人は20名ほどになった。
「健康ウォーキング同好会」からは5名の参加である。


5時55分、定刻どおりバスがやってきた。
既に5名ほどが乗っていた。


バスに乗ると直ぐに朝食の弁当が配られた。
久しぶりの弁当だ。昨年12月の養老渓谷ハイキング以来である。
卵と瓜の粕漬けは、同行のMさんの奥さん手作りを頂いたものだ。
『御馳走さまで~す』


バスは常総線守谷駅で15名ほどが乗り合わせ、合計で40名とほぼ満席状態になった。
最初の休憩場所は常磐道守谷SA。
現在全面改修中だったが、仮設営業所ではしっかりと土産物などは売られていた。
改修後はどのような姿を見せてくれるのか、楽しみではある。


守谷SA内の公園にペチュニアの花が飾られていたのが、印象に残る。


バスは、常磐道・外環道・関越道と渋滞に巻き込まれることもなく順調に走り、2度めの休憩で上里SAへ。


添乗員からこの日のコース地図が配られ、コースの詳細説明が。
途中、4か所の崖地や鎖場があるため、注意するよう呼びかけがあった。


上信越道の下仁田ICから国道254号を走り、昼食の弁当を積み込むため、旅の駅「下仁田こんにゃく観光センター」へ立寄った。
ここで最後の休憩を採る。
帰りには立ち寄る予定はない、とのことで、土産品を買い求める人も。


走るバスの窓から聳え立った荒船山の崖が垣間見えた。


9時53分、荒船山登山口近くに到着。


ここで弁当を受け取り、数100m先の内山峠駐車場までは歩くことに。


前方にこれから登る荒船山艫岩の断崖が見えた。
『あそこまで登るんだぁ』
期待と不安が交錯する。


いつものことだが、女性の参加者の方が少し多い。
夫婦での参加も何組か見られる。


10分ほどで、スタート・ゴール地点となる内山峠駐車場に到着。
大型バス1台と乗用車10台ほどで満車状態だ。
常南交通のバスが途中までしか来なかった理由が分かった。


添乗員の号令による、準備運動で身体をほぐす。


10時12分、荒船山の艫岩(ともいわ)目指し、出発!
14時20分まで、時間は十分にある。


狭い一本道のため、一列縦隊で進む。
先ずは緩やかな下りで始まる。


熊が出没するようだ。
最近、こういった注意書きをあちこちで見かける。
熊の出没は全国的な傾向にあるのだ。


「健康ウォーキング同好会」の会員5名はスタート時点で2つに別れてしまった。
一列縦隊のため、追い越したり、追いつくまで待って一緒に歩く、ということは難しい状況である。
仕方なく、離れて歩くことに・・・
そのうちどこかで一緒になるだろう。


荒船山頂へ2.7Km地点の標識


斜面の道は小石が砂利の状態になっていて滑り易い。
尻もちをつく人が続出である。


まだ芽吹いたばかりの木々の間にツツジが彩りを添える。


鎖に捕まらないと簡単には登れない急な坂道が現れた。
添乗員から説明のあった最初の難所である。


『頑張って! しっかり掴まって!』


木々の間から艫岩の絶壁の一部が見えてきた。


荒船山(展望台)まで2.2Km地点を通過


急な坂道ばっかりかと思えば、緩やかで平坦に近い道もある。
何度かアップダウンが続く。


こちらは、荒船山の山頂、経塚山(1,422m)のようだ。
この日は経塚山はコースに含まれていない。


内山峠駐車場を出発して45分、一息入れている先頭集団に追いついた。


5分ほどして、再び荒船山展望台を目指す。
ここで先へ行く人とゆっくり進む人で少し順番が入れ替わった。


前面に大きな崖が現れた。


柱が立っていたような穴の開いた礎石が整然と並んでいた。
かつての鋏岩(はさみいわ)修験道場跡だったそうである。


木に穴が開いており、小さなミツバチらしきハチが出たり入ったりしている。
普通のハチよりも小さくて、しかも飛び回っているので、ハチを撮るのは難しい。


2番目の難所だ。
斜面が滑るので、登り難い。
ロープに掴まりながら一人づつ上る。


木の根っこがあったりすると登り易いのだが・・・


山の間を縫うように走っているのは国道254号線(富岡街道)だろうか?


艫岩が次第に近づいてきた。


一杯水
荒船山頂から流れる水で、登山者に昔から喜ばれ、親しまれ、ここで必ず一杯口にしたことから、
この地を”一杯水”と名付けた、と案内板に紹介されていた。
水はチョロチョロと流れていたので一杯口にしたかったが、簡単には行けそうになかったため、諦めて通過した。


一杯水を過ぎた辺りから岩場の道になり、次第に険しくなってきた。


梯子の個所もある。


急斜面の崖。
足場は岩でしっかりしているが、慎重に進む。


木の橋を渡り・・・


鎖が設けられた崖を進む。
ここから山頂までは、700万年から800万年前に流れた溶岩、なのだそうだ。
鎖に掴まって進まないと危険である。


急な崖だが、この場所に鎖はない。
岩や周りの木などに掴まって登るしかない。
最後の難所との説明があった場所と思われる。
『いやぁ実にスリルがあるけど、怖いねぇ』


岩場の道が少し緩やかになってきた。
どうやら最大の難所は通過したようだ。


なだらかな道になって一安心である。


荒船山艫岩西端への案内看板が初めて現れた。
ここから山頂一帯辺りがハイキングコースになっている。
と云うことは、今までは登山コースだった、ということ?


辺りはミズナラやブナの林だが、まだ芽吹いておらず、冬景色のままである。
新緑に覆われるのは、もう少し先になるだろう。
地面は背の低い熊笹に覆われている。


大勢の先客が弁当を広げていた。
我々常南交通の一行とは違うやや若い年代の団体である。


避難小屋があった。荒船山で唯一のW.Cがある所だそうだ。


11時50分、艫岩展望台に到着した。


正面に浅間山が見えているが、霞んでいて写真では分からない。


展望台には一切柵などが設置されていないため、これ以上前に出るのは危険である。
つい1週間ほど前に人が転落死した、ということを聴かされたばかりだ。


動画の様子


そろそろ我々も弁当にしよう。
笹の上で弁当を広げる。
下仁田の”こんにゃくコロッケ”が入った「上州下仁田弁当」
”こんにゃくコロッケ”は常南交通のリクエストだそうである。


『なかなか美味いっ!』
『おにぎり3個はちょうど良いねっ』
(帰りの車内アンケートでは女性陣には少し多かったとの声も)


少し時間があったので、経塚山の途中まで行ってみることにした。
『経塚山がどんな山か見えるんじゃないの?』


経塚山への道は平坦で、とても山頂にいるとは思えない。


樹皮が剥がれている木があちこちに見られた。
鹿に食べられたのだろう。


山頂に水が流れた跡のようなところがあった。
荒船山山頂にもこんなところがあるとは意外であった。


15分ほど歩いたが、林が邪魔をして、なかなか経塚山の姿を見ることが出来ない。
そろそろ引き返さなければならない時間である。


草原のようなところにポツンと「皇朝最古修武之地」と刻まれた石碑が建っていた。
昭和初期に地元の人達によって建てられたそうである。
近くにあった説明板によると、
文字の謂れは、信州にある建御名方神(信州諏訪神社)が、寒さが厳しく、海もない信州では、
天照大神の名による「野菜・魚以外は殺生して食してはならない」とのことでは生きてはいけない。
そこで、猿・鹿を食べても良いかと聞きに訊ねたところ、天照大神は「ならぬ」との返事であった。
そこで、温暖な平地で、海にも出られる関東の地へ領地を拡大するべく戦の準備を始めた。
この事を知った、経津主神(香取神宮)と建御雷之男神(鹿島神宮)は、建御名方神を迎え撃ちにするべく、
信州境にあるこの地へ赴き、陣を構えた。
名だたる軍神たちが戦いを起こせば国が荒れることを心配した天照大神は、孫であるニニギをこの地へ使わせ、
3神の和議を結ばせた。
この言伝えを記したものと言われている、とのこと。


14時20分まで内山峠駐車場へ戻らなければならないため、
経塚山を見るのは諦めて、ここで引き返すことにした。


来た道を先ず艫岩展望台まで引き返す。


既に全員下山してしまい、艫岩展望台には誰もいなかった。
下りる前にもう一度艫岩の景色を目に焼き付けておこう。


13時ちょうど、我々も下山開始だ。


下りの方が危険が伴う。
十分に注意して下山する。少し時間がかかっても仕方がない。


階段を降りるときには、上った時と同じ姿勢の方が危険は少ない。


『滑るのでゆっくりっ 気を付けてっ!』


ここは特に滑り易いため、慎重に下りよう。


上る時には気が付かなかったが、岩にしがみついたような木があった。
岩を抱きかかえるように根が張っている。


13時38分、修験道場跡の鋏岩を通過。


上りの際、最初に休憩した場所を通過。


13時48分、内山峠駐車場まで1.6Km地点を通過。
あと半分、残り約30分だ。


最初の難所の鎖場を慎重に下る。
時計は14時を少し過ぎ、バスの出発予定時間に間に合うかどうか微妙になってきた。
しかし、あわてて急ぐことはない。


14時13分、内山峠駐車場まで0.5Km地点を通過。
あと残り7分である。


14時20分ジャスト、内山峠駐車場に無事到着した。
バスには全員乗車していて、我々の到着を待っていたのだ。
『間に合ったぁ』


バスは一路麓の「荒船の湯」へ向かった。


荒船の湯でひと風呂浴びて、汗を流した。


ひと風呂浴び、爽快な気分になった後は、冷たいビールで乾杯だ!
『お疲れ様でしたぁ』『どうもどうも』


帰りのバスで添乗員から、今日の下仁田は最高29℃で関東地方で最も暑かった、との報告があり、
『記念になるねっ』『道理で暑かったわけだ』の声が上がった。
夜のNHKニュースでは、この日は長野で30℃に達し、全国最高を記録したそうである。

関越道三芳PA


常磐道守谷SA
常南交通本社にはほぼ予定通りに到着した。
『添乗員の笹沼さん、大変お疲れ様でしたっ。 また次の機会もよろしくっ!』


初めて荒船山に登ったが、一部滑り易い登山道では尻もちを着くなど少しばかりスリルを味わった。
新緑に覆われた山頂のブナ林は見ることが出来なかったが、艫岩の絶壁に登った達成感も味わうことができた。
この日の関東地方の最高気温の中を歩いたということでは、記憶に残るハイキングであった。


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鷲ヶ峰の眺望に満足 八島ヶ原湿原を歩く

2013年05月06日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2013年5月6日(月)


前夜(5月5日)駒ヶ根市名物の”ソースかつ丼”を食べ、近くの道の駅「花の里いいじま」に泊まった。
この日朝、道の駅から雪に覆われている中央アルプス駒ヶ岳方面を見て、ビックリ。
5月と言えども中央アルプスはまだ冬シーズンそのものなのだ。
千畳敷カールへ登るのはあっさりと断念することに。


『「るるぶ」を見て捜した』というかみさんの計画では、『千畳敷カールに行ってみたい』と考えていたようだが、
RWを利用するにしても、冬の装備なしでは3,000m近い千畳敷カールにはとても行けそうにない。
急遽予定を変更して、霧ヶ峰高原の八島ヶ原湿原へ向かうことにした。


9時45分、八島ヶ原湿原の駐車場に到着。
駐車場は思いの外空いていた。
この時は未だ、正面に見えるのが鷲が峰だとばかり思っていた。


「八島ビジターセンター」で情報(有料の地図など)を入手し、


県道194号線をくぐって湿原へ。


七島八島の看板には、霧ヶ峰湿原植物群落は天然記念物に指定されていることが明記されれいる。


看板辺りから八島ヶ原湿原の全体が見渡せる。
まだ冬の景色のまんまである。緑の景色は全く見当たらない。
湿原が青々とした緑に覆われるのは、6月に入ってからなのだ。


兎に角湿原を一周することにした。
木製の歩道で歩き易くなっている。


湿原の八島ヶ池
前方の小高い山は車山(1,925m)だ。


車山のところどころには、まだ雪が残っている。


途中の鬼ヶ泉水は八島ヶ原湿原の中では最も小さい池である。


木製の遊歩道が続く。


八島ヶ原湿原のなかで最も大きい鎌ヶ池
ビジターセンターで購入したガイドブックによると、約10,000年前は、湿原全体が池だったそうで、
次第に藻などが増殖して中央付近が草原のようになっていったとのこと。
1年に1mm退席する、とのこと。


八島ヶ原湿原全体が大きな浮島のような形になっているのである。
写真では分かり難いが、右の草地が少し盛り上がっている。
今後何百年後かには池はなくなり、湿原全体が草原のようになってしまうのかもしれない。


ビジターセンターの対岸に無人の小屋があった。
かつては、休憩所を兼ねた店が営業していたような感じであった。


ビジターセンターの対岸から見た鷲ヶ峰(1,798m)


対岸付近は砂利道になっている。


この柵は、貴重な天然記念物の湿原をニホンジカによる踏み荒らしと、
食圧から守るために設けられた防護柵である。
柵の外にあるカラマツの林には、鹿がかじったと見られる傷跡があちこちに見られた。


車山肩方面の分岐点
大きなリュックを背負って車山方面を目指す山ガールも多い。


水無の沢
大雨などで湿原の水が溢れるとこの沢も水が流れるのだろう。


休憩所が営業中だったが、オリジナル珈琲が500円は、ちょっと遠慮しておこう。


この辺りは遊歩道が少し上りになっている。


歩道の途中から振り返って見たところ。


湿原の風景
青々とした頃にもう一度来てみたい。


鷲ヶ峰方面を望む。
白樺の木がところどころにポツンと生えている。
今の時期回りは大した変化がないので、白樺1本でも嬉しいものだ。


半寄生植物とされるヤドリギ(宿木)だ。


ヤドリギ(宿木)だけが緑である。


ベンチがあったので、一休みしていくことに。
ほぼ1周し終わって、ゴール地点を目の前にしてようやく空いているベンチを見つけた、ということである。
もう少しベンチを配置しても良いのでは、と思う。


湿原を一周し終わった。
ゆっくりと歩いたので、1時間40分を要した。
ガイドブックにはゆっくりで90分とあるので、まあまあの測度か。


万歩計を見ると、まだ8,000歩ほどしか歩いていない。
少し物足りないので、鷲ヶ峰(1,798m)に登ってみることにした。
かみさんは、一足先に車に戻って待つという。


11時32分、鷲ヶ峰・和田峠方面への登山口を出発!


最初は緩やかな坂道が続く。


途中、山道になり、熊笹に覆われて道が分かり難い場所があった。
雪などで道が覆われると、道に迷うだろう。


200mほど進むと、瓦礫の坂道になる。
鷲ヶ峰まで1.8Kmの表示


目の前が鷲ヶ峰だと思っていたが、どうやらまだ先のようだ。


坂道の途中から見た八島ヶ原駐車場


愛車が見える。
多分、かみさんからもこちらが見えていることだろう。


山腹にケルンが積んであった。


八島ヶ原全体が見渡せる。絶景である。
ほぼ正面に車山(1,925m)、左の一段高い山は蓼科山(2,530m)だろうか?


鷲ヶ峰の頂上を目指すが、頂上に木が生えていない正面の方かな?


それとも、こっちだろうか?


最初に見えた頂上に辿り着いてみたが、山頂を示す標識は見当たらない。
御嶽神社と刻まれた石が置いてあるだけだ。
残念ながら、ここは鷲ヶ峰の山頂ではなかった。


鷲ヶ峰はやはりこの前方だった。
しかし、ここで引き返す訳にはいかない。
ここまで来たら鷲ヶ峰を目指そう。


次第に鷲ヶ峰が近付いてきた。
道は思ったよりきつくない。


鷲ヶ峰への途中、登って来た方向を振り返って見たところ。
なかなか素晴らしい眺めである。


12時14分、
登山口から歩くこと約40分、鷲ヶ峰の頂上(1,798m)に到着した。


山頂からの眺望は素晴らしいの一言。
中央に見えるのは、蓼科山(2,530m)と思われる。


ぼんやりと霞んで見えるのは諏訪湖か?
360度の眺望が望めるが、南アルプス方面はあいにく霞んでいた。


動画で見たところ


後は下山するだけである。
途中のケルンから見た八島ヶ原湿原


駐車場が見えてきた。


12時54分、八島ヶ原駐車場に到着。


八島ヶ原湿原のウォーキングでは少し物足りなかったが、鷲が峰ハイキングを追加して満足した。
ハイキングを終えた後の弁当は実に美味かったことは言うまでもない。

ビジターセンターの標高が既に約1,640mだから、鷲が峰(1,798m)は大した高さではない。
せっかくなのだから、鷲ヶ峰からの眺望を味わった方が良いに決まっているのだが・・・
かみさんと一緒に登りたかったが、山登りなど大の苦手とする彼女を説得??
・・・やはり止めておこう。


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