ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

景観が素晴らしい 宝筺山山口コース

2013年04月26日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2013年4月26日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第4回(2013年第16回)、「宝筺山ハイキング(山口コース)」に参加した。

この日のコースは、宝筺山ハイキングということで、第一集合場所は、乙戸沼公園。
15名が集まり、車4台に分乗し、第二集合場所の筑波総合体育館へ向かった。


筑波総合体育館へ直行した5名と併せ、この日の参加者は20名となった。
山登りはあまり好きではない、という会員もいる中では、まあまあの人数ではないだろうか。


早速、会長の掛け声で準備体操だ。
『うぅ~んと背伸びをして~っ』


今日も良い天気である。


9時51分、いざ出発!


先頭はOさんが務める。
『後期高齢者に仲間入りしちゃってよぉ』なんて言っているが、いつも元気が良い。


この日は午後には寒気が南下して気圧が不安定になり、突風や竜巻などが発生する、という予報である。
『この前発生した竜巻の通り道だし、心配だよね~っ』
『雨に降られなきゃいいけどなぁ』


前方に宝筺山(小田山)が見える。


この日は山口コース(2)を上り、山口コース(1)を下ることにしている。
山口集落付近。


山口コース(2)と山口コース(1)の分岐点付近。


分岐点を過ぎると、今までの平坦な道が一変、急な坂道が待ち構えていた。


『この坂、車で上るのも大変じゃない?』
このところの例会は、平坦な場所が多かったので、ちょっとした坂道でもけっこう堪えるようだ。
皆さん笑顔だが、かなりきついのは確かだと思う。


筑波総合体育館を出発して1.5Km付近。
道標がしっかりと整備されている。
山頂まで、2.5Kmとある。


急に視界が開けた。
『筑波山がきれいだねぇ』


急坂はしばらく続く。
回りは宅地開発された場所のようにも見えるが、家は一軒も建っていない。
『こんな急坂じゃ誰も買わないんじゃないのっ?』


『少し休憩したいわねっ』


要望に応えてOさん、『ここらで、一息いれよう!』
出発して30分が経過していた。


『お茶が美味しいねっ』


水分の補給も終わり、再び山頂目指して出発!
給水した辺りから、それまでのコンクリート舗装が山道に変わった。


写真では分かり難いが、道の両側をイノシシが掘り返しており、歩き難い。
(イノシシが掘り返したと見られる道は山頂近くまで続いていた)


『歩き難いわねぇ』


『これギンヤンマじゃないっ?』


よく見ると、まだ小さいがギンヤンマだ。
普通、夏に見かけるが、この時期にギンヤンマを見るのは初めてである。
ギンヤンマは前幼虫からの脱皮を含め13回の脱皮を行うそうだ。
これから脱皮を繰り返して大きくなるのだろう。


新寺コースとの合流地点を過ぎ、山頂まであと1.1Kmの表示。
『もう半分は過ぎたよねっ』


杉林が続く。
枝打ちや間伐などが行われた様子はなく、かなり荒れている。


『いやぁかなり上ってきたねぇ』


『なかなかの景色だけど、ちょっと木が邪魔してるなぁ』


『何のアンテナなのかしら?』
TVのアンテナを大きくしたようなアンテナである。
山頂まで0.7Km付近。


山頂へ0.3Km付近。


『最後の300mってきついのよねっ』


左へ進めば0.2Kmだが、多数決で正面の0・3Kmを進むことに。


『距離が長い分、こっちの方が楽なんじゃないのっ?』
そうあって欲しい。


11時31分、山頂まで残り100mの地点(バイオトイレのある広場)に到着。


一息ついて山頂を目指す。


最後の残り50mの急坂を上ると・・・


山頂の鳥居が迎えてくれた。


11時37分、宝筺山山頂(461m)に到着。


後ろから続いて到着だ。
『いやぁ、最後はけっこうきつかったねぇ』


この日は既に何名かの先客が見られた。


『私たちも弁当にしましょっ』


『お腹空いちゃったねぇ』
心地良い風を受けながら食べる弁当は最高だ!


弁当を食べ終わったら直ぐに下山開始である。


『突風が吹き出す前に下山したいよねっ』


下りは、山口コース(1)だ。
いきなり、急坂の下りが現れた。
雨が降ったりしたら、転倒者続出間違いないだろう。
『滑り易いから気を付けてっ』


コースは、途中で切り返しのような場所がある。


最初の急斜面を過ぎると道は殆どなだらかな坂になる。


突然山ツツジが群生していた。
誘われるように進んで行くと・・・


万博記念の森」の碑が建っていた。
27年前の「つくば化学万博」へ寄付した人達(関東地方)の名前が刻まれているのだそうだ。
傍に寄って目を近づけないと見えないくらい小さな文字である。


この日参加しているKさんの名前が刻まれているとのこと。


『どこにあるのかしら???』


『あったぁ 見つけたぁ』
なるほど、Kさんご夫妻の名前が刻まれていた。


山口コース(1)では、「万博記念の森」を過ぎた辺りから、景観良好なポイントが現れる。
左手につくば市方面が見えて来だした。


視界が開けるとなかなかの景色である。
『素晴らしい景色だよねっ』
空気が澄んだ日にはもっと遠くの景色が望めるだろう。
富士山も望めるのではないだろうか。


このコースは、遠くの景色を眺めながら進めるので、下りに適している、と思う。


田んぼに水が張られて、間もなく田植えの時期を迎えているのが分かる。


『北条大池が見えるねっ』


右手が北条大池、左手には筑波総合体育館が見える。
『あそこから上って来たんだぁ』


「宝筺名水」
『コップがあるってことは飲めるんだよねっ』


小さな沢を渡り、


杉林を通り抜けたところで、


最後の水分補給だ。


下りだけのせいか、足取りも軽い。
『道も広いし、楽でいいよね~っ』
イノシシの掘り返した跡がなかった分、歩き易かったことは確かだ。


麓に近い山の中に一軒だけポツンと家が建っていた。
庭先に咲いたオオデマリの白と赤い紅葉の新芽のコントラストが目を引いた。
紅葉が春に赤くなるのは秋に紅葉する元のアントシアニンという物質が原因である。
アントシアニンには紫外線から植物を守る性質もあり、芽吹いたばかりの新芽が
紫外線から自分を守るため、このアントシアニンを出して、その結果新芽が赤くなるのだ。


一軒家を過ぎ、しばらくするとのどかな田園風景の麓に出た。


右手には筑波山が見える。


後ろは4月上旬であれば山桜が美しい不動峠方面だ。


山口集落を抜け、左手に目をやると、


つい先ほど登った宝筺山が見える。
『あそこまで登ってきたんだぁ』


北条大池付近
皆さん、無事宝筺山を登り終えて満足な笑顔に溢れている。


13時47分、筑波総合体育館に到着。
『お茶が美味いっ!!』


普段はあまり腰を降ろしたりはしないのだが・・・
整理体操の前に揃って腰を降ろしているところを見ると、やはり少し疲れたようだ。


早速、整理体操をして、
『今日も大変お疲れさまでした~っ』


予報では午後には気圧の変化で竜巻や突風などが心配されたが、特にそのようなことがなかったことは、幸運だった。
この日は何年振りかで山口コース(2)を上り、山口コース(1)を下った。
上りの最初は急坂できつかったが、下りは展望の利く場所もあり、それなりに楽しめた。
今年始め(2013年1月18日)には極楽寺コースを上った宝筺山ではあるが、この他にもコースが整備されており、それぞれ変わった景色が楽しめるそうなので、
機会があれば、また別のコースを企画してみたいと思う。


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西根の里から水戸街道中村宿へ(下見)

2013年04月25日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2013年4月25日(木)


「健康ウォーキングの会」のある会員の方から、ウォーキング地図「フィールド博物館・土浦」をいただいた。
と云うより渡されたと言った方が正しいだろう。
『歩いてみたらどう?』と云われているようなものなのである。


”西根の里コース”と””水戸街道中村宿コース”は場所も自宅から近いことから、
早速下見を兼ねて歩いてみることにした。
”西根の里コース”は、土浦市西根ということで、乙戸沼公園に隣接している。


”水戸街道中村宿コース”は”西根の里コース”に繋がっていることから、2つのコースを一つにまとめて
歩くことにした。


スタート・ゴールは、「健康ウォーキングの会」の例会の第一集合場所でもよく利用している、乙戸沼公園にした。
乙戸沼公園を出発すると、学園東大通りの交差点に「西根の里コース」の案内があった。


交差点を渡ると、目の前にコンビニがある。


学園東大通りのシラカシの並木を荒川沖方面へ進む。


交差点から200mほど進んだところに「西根の里コース」の案内があった。
案内に従って左折し、300mほど進むと県道201号線に突き当る。


県道201号線左側にコンビニがある。
ここで県道201号線を横切るが、横断歩道がないので、車には注意したい。


コンビニの正面の道路を進む。


立派な塀に囲まれた大きな構えの家が数軒。


家の直ぐ先、左手には谷津田の景色が広がっている。
学園東大通りからさほど離れていないのだが、全く未開発の土地である。


少し進むと今度は突然モダンなテニスコートが現れた。
ナイター用の照明もある。お瀟洒な建物はクラブハウスであろうか。
平日のためか、誰もプレーしておらず、店は閉まっているようだ。


テニスコートの他に、フットサルコートが1面あった。


テニスコートの先には、「中村西根市民農園」が。


市民農園の傍に馬頭観世音の碑があった。
建てられた年代は不明である。


さらに進むと、道は下り坂になっており、左側に別のテニスコートが見えた。
常総学院高校のテニスコートだ。
昼前のためか、まだ部活は行われていない。


常総学院高校テニスコートの先の三差路を右折すると、道の両側には田んぼが広がる。


右側の国道6号方面を見たところ。


こちらは左側、学園方面になる。
回りに家などは全く見当らない。昔の故郷を思い起こさせる風景である。
土浦にもまだこのようなところが残っていたのか、と妙に感心したりする。


田んぼを過ぎると、西根町1区という住所表示が。
家がポツポツと見えて来た。


西根町1区表示の先を右折すると、西根一区公民館があった。
案内地図によると確かこの辺りに地蔵菩薩像がある筈なのだが・・・


公民館敷地内の火の見櫓の下に、地蔵菩薩像らしき石が。


地蔵菩薩像だ。
危うく見落とすところだった。


西根一区公民館の正面に小さな祠があった。


中を覗いてみると・・・
千手不動明王? 初めて見る像が祀られていた。
地図を見ても、この像のことは何も紹介されていない。
信心深い御仁が個人で祀っているのかもしれない。


西根一区公民館の先は大きな構えの農家が続く。


堂々たる構えの薬医門は、まるで武家屋敷か本陣のようである。


案内によると
この付近の農家は屋敷の回りに背の高い生垣を巡らしている。
その理由は火災時の類焼を防ぐために植えられたもので、シラカシが多い、とのこと。
しかし、シラカシの木の塀に囲まれた家はあまり見掛けなかった。


代りに、植木が素晴らしく立派に刈り込まれている農家が目立った。


西根二区公民館の先に、薬師堂がある。
生い茂った木々に隠れるように参道入口があった。


参道は杉の林になっており、昼間でも薄暗い。
あまり一人では行きたくない場所だ。


参道の突き当りに、正面に今にも朽ち果てそうな薬師堂があった。


中を覗いてみると・・・
両脇に白いタスキを袈裟がけにした複数の立像と、


真ん中に薬師如来と思しき座像が祀られていた。


薬師堂を後にして道路を進むと、道路脇に道祖神があった。
実は、ここで道を一筋間違えていたのだが、気付かなかった。


地図に「筑波山がよく見える」とあるが、この辺りだろうか。


カメラに納めた時には何の像か分からなかったが、どうも大日如来像のようだ。


しばらく道なりに進むが、西根鹿島神社のスギ・ヒノキの参道が一向に現れない。
突然、鹿島神社の参道を示す標識が現れた。『???』
たまたま、角の住宅に老婦人がいたので訊ねると、この直ぐ先に鹿島神社があると教えてくれた。
ここで、ようやく自分が道を間違っていることに気が付いた。


教えられたとおり、住宅前の道を数百m進んだところに「西根鹿島神社」があった。
鳥居の向かい側に探していたスギ・ヒノキの参道があった。
参道を歩くのは後回しにして、先に「鹿島神社」を見て回ることにした。


思っていたよりも立派な拝殿である。
江戸時代後期の建築と推定されている。
案内によると、創建は応永二年(1395)、阿見町竹来の阿見神社の祭神を勧請したと伝えられている、とのこと。


本殿形式は平入りの三間社流造りだそうだが、本殿保護の覆屋のため見えない。


鹿島神社はいくつかの神様が合祀されている。
拝殿の右側に鎮座しているのは雷神社。


拝殿の左側には愛宕神社が鎮座している。
神社の裏手に回ると、金刀比羅大権現神社も祀られていた。


鹿島神社の境内を一回りし、あらためて参道を歩いてみることにした。
神社から参道を進んで行くと、先ほどお参りした、薬師堂へ辿り着いた。
薬師堂から鹿島神社には細い道があり、道に鹿島神社と示されていたが、
これは初めての人はちょっと気が付かないのではないか。


最初は農道のように見え、鳥居もないので神社の参道とは分からない。


案内標識から150mほど進んだ頃から両側に杉林が現れ、何となく”参道”を思わせる雰囲気になる。


杉林になった辺りから参道は一直線になり、やがてヒノキも目に付くようになった。
スギ・ヒノキの樹齢はさほど古くはない、比較的若い木である。


参道を進んで行くと、正面につい先ほどお参りした鹿島神社の鳥居が見えて来た。


もう一度鹿島神社の境内を一回りしてみた。
神社裏手には大きな木が植えられていた。
これは、イヌザクラの木。樹高は、約23m


続いてエノキの木。樹高は、約22m


これはウラジロの木。樹高は、約23m


神社の表側には、ムクノキの木があった。樹高は、約20mだ。
紹介した木はいずれも土浦市指定の名木・古木となっている。
しかし、どの木も樹齢は書かれていなかったので、樹齢は不明である。


鹿島神社を後にして、地図に従って進むと、
自然石に「馬頭観世音」と刻まれた碑があった。
江戸時代末期の安政三年(1856)頃に作られたものとの案内があった。


旧水戸街道の中村宿水戸側の入口
東小学校が見える。
一昨年(2011年)の9月に「旧水戸街道を歩く」で歩いたことがあるため、ある意味では懐かしい。


東小学校の校門


地図には、東小学校の近くに本陣があったと紹介されているが、
標識などはどこにも見当たらない。


これが、本陣跡か?


それともこちらの家だろうか?


構えからすると、この家かもしれない。
旧水戸街道を何度か行ったり来たりして探すが、結局本陣跡は分からずじまいだった。


本陣跡を探すのは諦めて、先へ進もう。
国道6号との合流地点の原の前交差点近く。



たくさんのお地蔵様や石仏が並べられている。
案内地図には「観音堂の石仏群」と紹介されている。
六地蔵立像は宝暦七年(1757)に造られたものだそうだ。
その昔、中村宿の外れに観音堂があったと伝えられているが、今は何も残っていない。


馬頭観音、聖観音、子安観音、青面金剛などの石仏群。


道祖神像?


観音堂跡辺りからお墓越しに筑波山が見えた。


国道6号との合流地点の原の前交差点


県南病院の先を右折する。
焼き肉屋の看板が目印である。
(残念ながら店は閉店されていた)


住宅地の中を進む。
芝桜が美しい。


住宅地と言っても、宅地の前はご覧のような未開拓地である。


西根三区公民館前を通過。


見覚えのある風景が見えてきた。
一段高い建物は土浦公設市場前交差点の関鉄つくばビルだ。


正面は、県道201号線だ。


後はゴールの乙戸沼公園を目指すだけだ。
お腹も空いてきたので、ラーメンでも食べて行くことにしよう。


「健康ウォーキング同好会」例会の下見として「西根の里」から「水戸街道中村宿」を歩いたが、
一部を除いて車は少なく歩き易い道であった。
道端の馬頭観世音像や地蔵菩薩像、さらに薬師堂、鹿島神社、観音堂石仏群など見所も多い。
地元の歴史に触れる数少ない場所でもある、と思われる。
来年度のウォーキング候補地の一つとして入れておきたい場所であることを報告しておこう。

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冷たい雨の中 霞ヶ浦ウォーキング

2013年04月21日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2013年4月21日(日)


今年も「霞ヶ浦ウォーキング」の季節がやってきた。
「健康ウォーキング」同好会の会員仲間と参加することにした。
これまで、2度参加(2011年は東日本大地震のため中止)しているので、今年で3度目になる。


荒川沖7時54分発の電車で土浦駅へ。
土浦駅に到着し、大勢のランナーが一斉に降り、ホームは大混雑だ。


土浦駅東口で「霞ヶ浦ウォーキング」の受け付けを済ませ、貸切バスで、歩崎公園へ。
既に第1号車は到着しており、皆さん雨を避けて時間を潰していた。


売店も大変な混み具合である。
かなりの雨が降っているため、雨を避けるため、売店やトイレの軒先で雨宿りをするしかない。


その後、貸切バスが次々にウォーカーを運んで来た。
「茨城ウォーキング協会」の係の人によれば、予約されたバスは全部で9台だそうだ。
昨年はどのバスも満員だったが、今年は降りて来るウォーカーは心なしか少ない。


開会式を行うため、芝生公園へ移動。
駅での受け付け時に渡されたワッペンの色別に分けられて並んだ。
自分は紫色で、第2班であるが、会員仲間はこの時点でバラバラになってしまった。
司会者によると、今年の参加者は、申し込み410名のところ、306名に留まっているそうである。
100名以上が不参加であるが、この雨では仕方がない。


式は順調に進み、最後に準備運動をすることに。
この日は冷たい雨で、気温も低く寒い。
一時も早く歩きだした方が良いとの声が漏れ聞こえるが・・・
傘を指したまま準備運動をするのは、初めてである。


最後に、「よさこいソーラン踊り」の応援で元気を貰う。


降りしきる雨の中、霞ヶ浦の土手の上で、懸命に踊る姿には御苦労さまと言いたい。


開会式も無事に終わり、9時59分、いざ出発!
「茨城ウォーキング協会」によれば、普段は歩いている最中は傘は差さないことになっているそうだが、
今日は特別に傘OKということに。
今日はそんなことも言っていられない状態なのだ。


『行ってらっしゃ~い』
『頑張ってね~』
よさこいソーランの踊子がエールを送ってくれる。


地元小学生による「あゆみ太鼓」の力強い囃子の応援に送り出される。


スタートゲートをくぐって、


霞ヶ浦の土手へ。
昨年は東日本大地震の傷跡であちこち工事中だったが、今年はこの日のために工事を急いで完成させた、とのこと。


最初は、5Km先の「水資源機構」までは、団体歩行である。
5組が整然と並んで歩くのだ。
前に1組、後ろには3つの組の長い列が続く。


歩きながら回りの景色などを撮ろうと思っていたが、傘を指していては自由がきかない。
途中経過を示す、土浦からの距離標識を主に撮ることにした。
10時39分、(土浦から)17.5Kmを通過


10時56分、(土浦から)16.5Kmを通過
17分/Km 時速4Km未満というややスローペースである。


海岸でもよく見られるヘッドランドだ。
波の力で砂浜を作ろうという計画なのだろうか。


5Kmほど歩くと、「水資源機構」の建物が見えて来た。


おにぎり2個の弁当とスポーツドリンクを受け取って、「水資源機構」の中へ入る。


かなりの人が倉庫らしき建物の隅っこで弁当を食べていた。中には立ったままの人も。
職員の人に訊ねると、水資源機構の2階の会議室を解放するという。
雨を凌げて弁当を食べることができて、これはありがたい。


午後の出発である。
ここから約10Kmは、自由歩行になる。特に隊列は組まないで、自分のペースで歩く。
出発時に「健康ウォーキング同好会」のメンバーとようやく合流することができた。


自由歩行ということになると、皆さん、自然に急ぎ足になる。
まるで、先を争うように先へ先へと急ぐ。
自分も遅れてはならじと後を追いかける。


11時58分、(土浦から)13.5Km地点を通過。


12時9分、(土浦から)12.5Km地点を通過。
この1Kmは11分弱しかかかっていない。時速は5Km以上だ。
午前中に比べてかなり早い。


陸側を見ると、マラソンランナーが走っているのが見える。(八坂神社付近)
この辺りが霞ヶ浦湖畔ではウォーカーとランナーが一番近くなる場所である。


『頑張って~っ』
前を行くウォーカーから大声でエールを送る声が聞こえるが、向い風である。
果たしてランナーの人たちに、届いているのかな?


川尻川の河川管理境界の標識


12時38分、残り10Kmの標識だ。
雨はやや小ぶりにはなったが、止む気配はない。
まだ傘は手放せない。


12時59分、8Km地点を通過。
前を行くウォーカーがだんだん遠くなってゆく。
自分も何人かは追い抜いて来てはいるが・・・(時速は約5Km)
前の人のペースの方がそれよりも早いということだ。


8Km地点から後方を見たところ。
かなり距離が開き、人数がバラついている。
自由歩行は各自のペースが異なるため、かなりバラつき、列が長くなる。


13時25分、5.5Km地点を通過。
最終の休憩場所が見えて来た。


13時27分、最後の休憩場所へ到着した。
その後、次々とウォーカーが到着。


ここからまた、団体歩行区間になる。
最後のスタートに備えて列を作って待機。


遅れていた仲間も到着して列に加わる。
ここからは、ゆっくり話でもしながら歩くことにした。


13時50分、ゴールの川口運動公園を目指してあらためて出発である。


マラソンランナーとの合流地点。
この辺りになってようやく雨が上がった。


『頑張って!』
『ゴールは近いよっ!』
エールが飛び交う。


大勢のランナーが最後の力を振り絞ってゴールを目指している。
雨対策用のビニール合羽を着て走っている。
『頑張れ~っ』思わず声を掛けた。


ゴールまで残り1Km付近。
この辺りからカメラの具合が芳しくない。
雨の中で使い続けたせいで、手を添えないとファインダーが開かなくなった。
また、ピントを合せると勝手にズームしてしまい、思い通りに使えなくなってしまったのである。
これには参った。何とかだましだまし使うしかない。
ということで、この後の写真は殆ど撮れていないので、お許し願いたい。


ゴールまで残り0.5Km付近
マラソンランナーとの調整のため、しばし足止めされているところ。
あくまでもマラソンランナーが優先なのである。


ゴールのゲートが見えてきた。


14時32分、ゴールである。
(ファインダが開かないので手を添えて開いたため、レンズが曇って、ピンボケばかり)


完歩の証として、Tシャツが渡された。
色は毎年違うが、今年は紫でまあまあかな。
これを貰うために歩いているようなものかもしれない。
「健康ウォーキング同好会」の例会の時にでも着て行こう、と思う。
(翌日カメラが乾燥したら元の状態に戻っていたので、一安心)


完歩証
名前は後で自分で書き込むのだ。
昨年は自分の名前が印刷されたものだった。


無料配布品
バナナ、れんこん麺、栄養剤、マックのフライドポテト無料券などなど。
この他にもいろいろあったようだが、手にしたのはこれだけである。


「霞ヶ浦ウォーキング」は、今回で9回目になるが、これまで雨に降られたことはなかったそうだ。
しかし、この日は朝から一日中冷たい雨に降られっ放しだった。

ウォーキング部門は410名中306名、マラソンは27,000名中18,000名の参加に止まったとのことである。
1週間前のボストンマラソンでの事件の影響もあったかもしれないが、これはやむを得ないことだと思う。
まあ、今年も何とか無事最後まで歩き通せたことに、少しだけ自信を持ちたいと思う。

今から来年のことを言うのはちと早過ぎるが、少し検討することにしたい。
違った場所も歩いてみたいし、仲間といろいろ話をしながら歩く楽しみを味わいたい。
毎年同じような景色の中、途中もくもくと競歩のように歩くのにはやや退屈を覚える。


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来年こそは! 磯部桜川公園の山桜

2013年04月20日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2013年4月20日(土)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第3回(2013年第15回)、「磯部桜川公園」の山桜見物ウォーキングに参加した。

この日のコースは、山桜で有名な笠間市の磯部桜川公園である。
磯部桜川公園へは水戸線岩瀬駅を起点とし、羽黒駅を終点とするコースとしたことから、
「休日お出かけパス」が使える土曜日に実施となった。
前週の「こまちの里と東城寺の桜」は、足首を痛め、参加を見合わせたため、2週間ぶりの参加である。

磯部桜川公園で天然記念物の山桜を愛でようと企画したのは良いが、
今年は異常なほど全国的に桜開花が早まったことから、『山桜は多分見ることができないだろう』と、
半ば諦めの心境で出かけた。果たしてその結果は・・・

最寄りの荒川沖駅のホームで、常磐線下り電車を待つのは、13名。
この後、土浦駅から4名、神立駅から1名が合流した。


友部駅で水戸線小山行きに乗り換える。


水戸線は、友部の次の宍戸駅でかなりの乗客が降りたため、貸切に近い状態になった。


『電車で出かけるのは久しぶりだわねぇ』
実は3月30日の鎌倉以来で、3週間ぶりなのである。


『座って行けるというのは楽で良いねっ』


9時26分、岩瀬駅に到着。


水戸線岩瀬駅には、直行で1名が待っていた。
結局この日の参加者は19名となった。
まあまあの人数である。


いつものように会長の掛け声の下、準備体操だ。
『肩を回して~っ』


『今日はちょっと寒いねぇ』
予報によると、笠間市近辺の最高気温は9℃となっている。


9時38分、桜川公園目指して出発!!


この日の先頭は、元気のいいOさんが務める。


岩瀬市街地を羽黒方面へ。


国道50号とJR水戸線に沿って進む。


気温は予報どおり低いが、風は殆どない。
鯉のぼりもだらりと下がり、少々気の毒な状態だ。
風が強いと体感温度も下がるので、我々にとってはこれは助かる。


国道50号線を渡って真直ぐ進むと、


右手に桜川市総合運動公園があった。
元気のいい掛け声が聞こえてくる。
高校生らしき若者たちがテニスの練習をやっているところだった。


『立派な施設だなぁ』
『土浦市にこんな施設ないよねっ』
隣の芝生は青く見えるものである。
見えているのは総合体育館「愛称:ラスカ」だ。


桜川市合運動公園の先に駐車場を兼ねた小さな公園があったので、立寄っていくことにした。
ちょうど八重桜が満開を迎えていた。
『きれいだわねぇ』


ここで一息入れて行くことにした。
給水タイムである。


『ちょうど見頃で良かったよねっ』
『素敵ねぇ』
桜川公園の山桜への期待が外れそうな気配だが、その分八重桜が補ってくれてるようだ。


香取神社前を通過。
この辺りで右折する筈だが・・・


桜川公園への道を訊ねているところ。
『この道を真直ぐ行くと良いんだよぉ』
”よく訊ねてくれた”と言わんばかりに親切に教えてくれた。


『道を教えて貰ってお礼するのはこっちの方なのに、逆にチョコレートなんか貰っちゃったよ』
先ほどの御仁、いつも車にお菓子を積んでいるそうだ。


回りを田んぼに囲まれた道を進む。
前方に加波山が見える。その右に見えるのは雨引山だろうか?


田植えの準備が忙しそうだ。


加波山
この方角から見るのは初めてであるが、筑波山に劣らず美しい。


のどかな田園風景の中を進む。
時がゆっくりと流れているような錯覚さえ覚える。


谷中公民館を過ぎて、桜川を渡る。
この川の上流が「桜川公園」になる。


この辺りは、石材の加工会社が多い。
稲田などの石切り場も近いからなのだろう。


お釈迦様のようだ。


国道50号手前を左折すると・・・「桜まつり」の看板が。
『桜まつりやってるってことは、まだ桜咲いてるのかもねっ』
”もしかしたら” 微かな希望が湧いて来た。


『すごいっ、これで、石を切るんだぁ』


『桜川公園はこっちだねっ』
桜まつりの看板に誘われるように進む。


桜川公園に到着したようだが、正面の桜の木は青々とした葉桜だ。
どうやらこれは染井吉野のようだから葉桜は仕方がない。


桜川公園の中を進むが、桜は既に散ってしまっている。


しかし、公園内にはまだ幟が立てられているし、


「桜まつり」はまだ終わってはいない。
4月22日までとなっているところを見ると、山桜はまだ咲いているのか?
『山桜はどこ?』


残念ながら、公園内の山桜はとっくの昔に終わっており、見事に葉桜状態になってしまっていた。
『まぁ今年は、異常だからしょうがないかなっ』
ここは、諦めるしかない。


八重桜がところどころに植えられていた。
こちらはちょうど満開状態だ。
『ま、これで我慢するしかないねっ』


満開の八重桜をバックに記念撮影
『はいっチーズ』


まだ11時を5分ほど過ぎたところだが、ここで弁当にしよう。


『やっぱ、花より団子だねっ』


弁当タイムも終わり、しばし談笑


公園内を進む。


桜の花には期待はしないではいたが、こうはっきりと現実を目の当たりにすると、
『石碑の文字が何か空しいねぇ』
同感である。


せっかく来たからには稲村神社へ立寄って行こう。


この日の安全を祈願し、お参りを済ませる。


境内には、桜川の山桜の写真が並べられていた。


10日ほど前の写真に、皆さん、目が釘づけに・・・
『え~っ こんなに山桜がきれいなのっ?』
『これ、何としても見たかったわね~っ』
『来年、また計画して欲しいわねっ』
「来年も是非計画して欲しい」という強い声に応えるべく、鋭意検討することに。


遠くから来て、天然記念物の山桜を見ることが出来なかったのを気の毒に思ったのか、
宮司さんが神社の回りの珍しい木の案内を申し出てくれた。


先ずは、天然記念物の「桜川の桜」11種の紹介だ。


続いて拝殿の横にある、迷彩服模様の木。
木の名前は、「鹿子の木」(かごのき)というのだそうだ。
迷彩服模様とは珍しい。


鹿島神宮の「要石」が凹で、稲村神社の「要石」が凸と一対であり、
鹿島神宮が大鯰の頭を押さえ、稲村神社が大鯰の尾を押さえているのだそうだ。
昔、深さを調べようと三日三晩掘り下げたが底が出なかったという。


本殿の裏手に回り、上を見上げる。


すらりと伸びた「タブの木」がある。
幹の途中に蜂が棲んでいて、桜の受粉を助けているらしい。
桜川の桜にとってはとても重要な役割を担っている「タブの木」なんだとか。


うらしま草


「まむし草」によく似ているが、釣り糸のようなものが伸びているところが異なる。
花の姿が、釣り糸を垂れている浦島太郎に似ていることから、「うらしま草」と名付けられた、そうだ。
『へえ~っ そうなんだ』
『初めて見たわねっ』
なお、「うらしま草」は毒草で、球茎や新芽・実を食べると嘔吐や腹痛に襲われるので、絶対に食べないように!!


多羅葉たらよう)の木


葉の裏面を傷つけると字が書けることから、「郵便局の木」として定められている、とのこと。
文字を書いて、切手を貼れば郵便で出すことができるそうだ。
戦国時代にこの葉の裏に文字を書いて情報のやりとりをしたという話もあるそうで、
これがはがき(葉書)の語源になったといわれ、葉書の木郵便局の木と呼ばれることもある、そうだ。
試しにタラヨウと書いてみたら、このとおり。
納得!


和風タンポポ


こちらは西洋タンポポ
総苞片(そうほうへん)が反り返っているのが特徴で、
真ん中辺に緑のヒラヒラが付いているのが、西洋タンポポだ。
『ほ~っ なるほどぉ。ここで、見分けるのかぁ』


最後の締めは枝垂れ桜の「糸桜


枝垂れ桜の枝は年々数十Cmほど伸びるが、先端は決して地面には着かず、
地面すれすれに横に伸びようとするそうである。
先端に鋭いセンサーを持ち合わせており、傷つかないないように地面に付かないようにしている、とのこと。
『へぇ~っ、かしこいんだねぇ』


『今日は、山桜の花は見られなかったけど、いろいろ勉強になったねぇ』
『来て良かったぁ』


曜光山月山寺(ようこうざんがっさんじ


高麗門形式の山門を入ると、


正面に本堂がある。
庭は枯山水で、白い小石が敷かれている。


右手の一段高いところに建つ千手観音堂
枯山水の庭園など、ゆっくり観たいが、時間がないため、千手観音堂を見て直ぐに月山寺を後にした。


月山寺の表参道の先に、山菜などを売っている店があった。
皆さん、真剣に中を覗き込んでいる。


わらびや筍、タラの芽、ウドなどが売られていた。
『どれにすっかなぁ』


瞬く間にわらび、ウドなどが売れて無くなってしまった。
慌ててタラの芽(350円)を買ったが、最後の一つだった。


手に手に土産物をぶら下げて、満足・満足。
あとは羽黒駅へ向かうだけである。


『これ、酢味噌で食べると美味しいのよね~っ』
『私も買えば良かった~っ』


13時11分、ゴールの羽黒駅に到着。


この日、整理運動は省略し、土産を手にホームへ。


待つこと暫し、下り電車(水戸行き)が入ってきた。


友部からの常磐線もゆったりと座れて、
『皆さんっ、今日も大変お疲れ様でした~っ』


この時期は、花見シーズンということで、昨年の開花時期を参考に、年末に企画したものだが、
予想を大きく外れる季節外れの開花になってしまい、期待していた桜川公園の桜を愛でることは出来なかった。

しかし、稲村神社の宮司さんの心遣いで、いろいろな珍しい木や花を紹介して貰って、とても勉強になり、
充実した一日となった。
また、桜川公園の本物の山桜の写真を見せて貰ったお陰で、「来年もぜひ」ということになった。
来年は、桜の開花時期に合せるような柔軟な対応が採れるような企画にするべきだと、思った次第である。


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日光街道を歩く 第6回 小山宿から石橋宿へ

2013年04月17日 | ウマさんの「旧日光街道」を歩く

2013年4月17日(水)


2011年4月から12月にかけて旧水戸街道を、そして2012年2月から5月にかけて、成田街道を歩き終え、
仲間の方たちから次の”街道歩き”を望む声が次第に大きくなってきた。
Webなどを参考に検討を重ねた結果、大部分が日帰り可能な「日光街道」を歩くことにした。

第6回目となるこの日は、小山宿(JR東北線小山駅)から石橋宿(JR東北線石橋駅)までの約15.5Kmを歩いた。

常磐線・水戸線を乗り継いで出発地の小山へ。
この日の参加者は11名。(水戸線車内)
2名が体調不良のため急遽参加を取りやめることになったのはちょっと残念である。


9時15分、小山駅に到着。


小山駅前でUさんの指導によるストレッチ運動で身体をほぐす。


入念に身体をほぐして・・・
『いっちにっ さんっしっ』
このストレッチ運動をやれば、疲れがあまり出ないそうである。


9時25分、石橋宿目指して、いざ出発!!


小山駅前から国道4号線方向へ真直ぐに伸びる「祇園城通り」に。


祇園城通りを100mほどして右折すると旧日光街道(県道265号)になる。


最初の訪問地は元須賀神社
前回は、須賀神社には参拝を見送ったので、元須賀神社にはお参りして行こう。
鳥居をくぐると、参道?両側には一般の住宅が並んでいた。珍しい参道である。


参道の先に小さな神社が祀られていた。
前回パスした須賀神社は当初はここにあった、そうだ。
元須賀神社は、江戸時代には牛頭(ごず)天王社、元祇園社、本祗園社とも呼ばれていた。


これが正式?な神拝の作法ということだろうか?
・先ず軽く一礼
・次に深く二礼
・次に合掌し二拍手
・次に合掌し祈りを申す(祈りのことば)
・次に合掌し二拍手
・次に深く一礼
・次に軽く一礼
普通、神社で見かける参拝の作法(二拝・二拍手・一拝)は、簡略されたもののようだ。


旧日光街道を進んで行くと、左手に興法寺が。
天台宗の寺院で、山号を徳王山妙薬院と号する。
興法寺の参道を進む。


興法寺の山門(薬医門)をくぐって境内に入る。


興法寺の本堂
興法寺は、嘉祥二年(849)、慈恵大師が室(むろ)の八島への途中、
小山荘に一宇を建立し妙楽院と号したのが始まり。
徳川家光より九石の寺領を寄進されたと云われている。
本尊は阿弥陀如来。


山門を入ってすぐ左手に朱塗りの鐘楼がある。
鐘楼の足元に六地蔵(地獄・峨鬼・畜生・修羅・人・天)が祀られている。


興法寺妙薬院


興法寺本堂横に墓地があり、ちょうど八重桜が満開の状態になっていた。


興法寺の墓地入口には墓を見守るようにお地蔵様が。


興法寺前の道路の向かい側に愛宕神社が。
横断歩道がなく、渡るのは危険なため、写真だけに止めて先へ進む。


祇園山天翁院てんのういん)の入口道標
天翁院は、小山祗園城跡の一角にあり、小山氏の菩提寺としても有名な古刹だそうである。


境内の広さは1万5千坪に及ぶ、とのことで、どのようなものか見ておきたかったが・・・


県道からやや距離があったため、写真だけにした。
道標の先に鬱蒼とした叢林のような森が見えるが、あそこが天翁院だろうか?


県道265号線を北へ進む。


県道265号のほぼ直線の道が続く。


両毛線の線路を渡る。


両毛線は、小山市の小山駅から前橋市の新前橋駅までを結ぶ。
思川方面(新前橋方面)を見たところ。
両毛線にはまだ乗ったことはない。


村社日枝神社の鳥居


参道のでっかい欅の木は樹齢400年以上だとか。
『うわぁ これはでかいゎ』
思わず感嘆の声が上がる。


樹齢400年以上と云われる欅の大木3本が参道に並んでいる。
人と比べるとその大きさが分かろうというものだ。


日枝神社の本殿は、国道4号線を渡らなければ行けない。
本殿の隣は、祗園城の北の守りである木沢(喜沢)の砦があったそうで、
現在も土塁がその跡をとどめている、との情報に何とか一見したかったが、
参道の続きなのだが、何故か国道4号線が走り、交通量が多く横断歩道も見当たらないため、横切るのは諦めた。
道路の反対側から一礼二拍手するに止めた。


国道4号線との合流点近くに馬頭観音の碑があった。


日清、日露、日支戦争に駆り出された馬(出征)の碑(供養塔)も。
『この辺りは、昔は名馬の産地だったんだろうねぇ』


この近くにある筈の「喜沢一里塚碑」を訊ねるが、良く分からないとのこと。


国道4号線と合流し、きょろきょろしながら進むが、結局日本橋から21番目の「喜沢一里塚碑」は
見つけることが出来なかった。
『見落としちゃったのかしら』


国道4号線をさらに北上する。


道路右側に橿原神社があった。
ここは、横断歩道があるので、安心して渡れた。


参道の八重桜のトンネルがまさに満開状態なのが嬉しい。
参道両側のぼんぼりが、何となく関西方面の寺社を連想させる。


『きれいだし、風情があって良いわねぇ』


橿原神社の本殿
橿原と言えば奈良の樫原神宮を想いだすが、
説明板によると、往古、この地の氏神様は「星宮神社」であった。
明治五年、敬神の念篤き氏子等が集い、九州は宮崎神宮より御神霊を勧請し、
「橿原神社」と名を改め創建された、とあるので、奈良の橿原神宮は関係なさそう。


神社の境内でお年寄りがゲートボールを楽しんでいた。


国道4号線に戻って北へ進む。
道路の看板が賑やかになってきた。駅が近いのだろう。


11時55分、小金井駅を通過。
(小金井駅前交差点から小金井駅を望む)


小金井駅の少し先に日本橋から22番目の一里塚「小金井一里塚」があった。
『いやぁこれが小金井一里塚なんだぁ すばらしいねぇ』


小金井一里塚は、今でも二つの塚がほぼ完全な状態で残っている。
日光道中で唯一国指定の史跡に指定されている。


時計は11時59分を指していた。
お腹も空いたことだし、小金井一里塚で弁当にしよう!


慈眼寺の山門


山門をくぐと左手に弘法大師作と伝えられる千手観世音を奉安する観音堂があった。
御利益がありそうな観音堂である。
しっかりとお参りしていこう。お賽銭も弾んでおかなきゃ。


境内右手には鐘楼が。


慈眼寺本堂
建久七年(1196)新田義兼の開基で新田一族の祈願所として建立された。
ご本尊は十一面観世音。厄除の観世音で知られる。


慈眼寺境内で一休み。


慈眼寺の隣が、金井神社である。


金井神社の拝殿


本殿の建築様式は一間社三方入母屋造と云われている。
壁面には透彫りや丸彫りなどの彫刻が施されている、そうだがよく分からない。


国道4号線沿いで見かけた小金井宿の旧い蔵造りの家。
地震などの影響だろうか、かなり傾いているのが分かる。


国道4号線をさらに北上。


日光街道は、東北線・新幹線とも並行しているので、電車が通過する度に独特の音が聞こえてくる。
その音はトラックなどとは違うので、すぐに分かる。
昼でも聞えるということは、かなり大きな音なのだ。


道端のお地蔵さん。
どこか違うと思ったら、手にしているのは十字架だ。
十字架を手にしたお地蔵さんは初めて見た。


13時28分、自治医大駅を通過。
ゴールの石橋駅は、次の駅、1時間もあれば到着するだろう。


新幹線の向こうに自治医科大学が見える。


自治医大駅を過ぎると、松並木が現れた。


1Kmほど続く赤松の松並木は、下野市の名木30選に指定されている、とのこと。


道端の芝桜が鮮やか。
今の時期は、色んな花がいっせいに咲いて、目を楽しませてくれる。


慈母観音像は、丸大食品の敷地内に建てられていた。


門の前で、最後の休憩を摂る。
皆さん、大分疲れた様子だが、ゴールはあと少しだ、頑張ろう!!


お馴染みの丸大食品のマーク


国道に背を向けた石仏群
江戸期は、この石仏群の前が街道であったが、開発によって道すじが変わり、
現在は、国道に背を向ける形で建っている。


正面から観ると・・・


国道352号線下を通過


『大きくて見事などうだんつつじだねぇ』
『これだけ大きなどうだんつつじは見たことがないよ』


道路標識に「石橋駅」の表示が現れた。
あと少しで、ゴールだ。


その前に石橋愛宕神社に立寄っていこう。


石橋愛宕神社の境内はかつては古墳だった、そうだが、境内は平でその面影は全く感じられない。


石橋愛宕神社の神楽殿は、夏祭り(おみこし広場)の写真で覆われていた。
とても賑やかな祭の様子が伺える。
7月14日(土)は去年なので、今年は7月13日(土)かな?


石橋駅の標識(0.2Kn)が見えた。


国道4号線を右折し、石橋駅に向かう。


駅前に栃木名物の「かんぴょう」を売る店があった。


珍らしさも手伝ってか、一人が買うと他の人も買いたくなるものだ。
かなりの数の「かんぴょう」が売れたのでは・・・


石橋駅のシンボル、時計台が印象的だ。
人形が動くところを見てみたい。


時計台から駅前の道路を見たところ。
次回の宇都宮宿へはここから歩くことになる。


東北線で、小山駅へ。
少し疲れたが、この日のコースを歩き通した満足感に浸っている様子。


小山駅からは、水戸線に乗り換える。
小山駅構内のコンビニで買いこんだ冷たい飲み物で喉を潤し、満足・満足
『今日は大変お疲れさまでしたっ』



この日の石橋宿で「日光街道」(千住宿から日光東照宮までの約140Km)の約六割(92Km)を歩いたことになる。
「日光街道」歩きも次第に佳境を迎えることになる。
最後まで皆さんと一緒に、楽しく元気に歩き、ゴールの日光東照宮を目指したい。


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