ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

真っ赤な紅葉に満足 御岳渓谷一巡り

2012年11月27日 | ウマさんの「KDD遊歩会」
2012年11月27日(火)


KDD遊歩会」の第326回定例ウォーキングに参加した。
今回のウォーキングは、東京都青梅市「紅葉の御岳渓谷一巡り」である。

前回(8月)の”醤油の野田散策”以来3カ月ぶりの参加となる。

この日の集合場所は、青梅線御嶽駅に10時30分。
週末であれば「休日おでかけパス」(一日乗り降り自由2,600円)を利用するところだが、
平日のため、片道2,210円(往復4,420円)かかる。決して安くはない。

9時50分、青梅線御岳駅に降りたところ。
荒川沖駅6時31分発の電車だったので、3時間20分かかったことになる。
平日にも関わらず、大勢の人が降りた。
紅葉も見頃を迎え、天気も良いので人出も多いのだろう。


御嶽駅ホームから見える紅葉も真っ盛りだ。


御嶽駅には、同じ電車で同好会の何人かが降り立った。
挨拶を済ませ、集合時刻の10時30分には少し時間があったため、
駅の周りや近くのコンビニへ行ったりして時間を過ごした。


御嶽駅前のもみじはひと際赤い。


御嶽駅は、「関東ふれあいの道」(山草のみち)と(杉の木陰のみち)で今年2回訪れているので、記憶に新しい。


10時30分を回り、2名が遅れてくると言うので、先にこの日のコース説明を済ませているところ。
結局この日の参加者は15名ということになる。


説明をしているちょうどその時、強い風が吹き、黄色い銀杏の葉っぱが桜吹雪のように舞い落ちてきた。


落ち葉を表現するのは自分の技術では無理なため、動画で撮ってみた。


10時44分着の電車で遅れていた2名が到着し、全員揃ったところで、出発!
時計の針は10時53分を指していた。


多摩川に架かる御岳橋を渡る。


御岳橋の上から下流を望む。清流が美しい。
前夜雨が降ったが、水の濁りは見られない。
正面に見える小さな吊り橋は御岳小橋(みたけこはし)だ。


御岳橋を渡って先ずは「玉堂美術館」へ向かう。
階段状の道を降りて進むと・・・・


直ぐに「玉堂美術館」があった。
玉堂美術館は、日本画の巨匠河合玉堂が昭和19年から昭和32年84歳で亡くなるまでの10余年を、
青梅市御岳で過ごしたのを記念して建てられた。


玉堂美術館は、香淳皇后始め遺族・地元有志・玉堂ファンの寄付により、昭和36年4月に完成し、同5月に開館した。
昭和36年10月25日には昭和天皇と皇太子同妃殿下が訪問、それを記念して行幸啓碑が建てられている。


約30分間館内を自由に見学する時間が設けられ、玉堂の作品の数々を鑑賞した。
館内は撮影禁止になっているが、庭園は対象外である。


庭園(その2)


庭園(その3)


庭園から見た第二展示室
中には玉堂晩年の画室「随軒」が復原されている。


玉堂美術館を後にして、多摩川に沿って進む。
多摩川の流れが美しい。
来年東京で国体が開催される予定で、この御岳渓谷でカヌー競技が行われる、とのこと。


河原で写生している。
玉堂になった気分だろうか? 気持ち良さそうだ。


画廊レストラン「いもうとや
豆腐料理/喫茶店/日本料理が専門である。
実に静かな佇まいだ。
一度このような場所で食事をしてみたいものである。


「いもうとや」前の坂道を少し上ると東京都道45号線(吉野街道)に出た。


払沢(ほっさわ)トンネル(25m)と


御岳トンネル(89m)が続いている。
離れたところから見ると、殆ど繋がっているように見える。
こちらは照明付きで明るい。
Webで調べてみると、この2つのトンネルは、「女の中にいる他人」という映画のロケ地だったとのこと。


御岳トンネルを抜けると、直ぐ左側に川沿いの遊歩道へ降りる階段がある。


米寿を迎えられたKさん、少しペースは遅くなったが、相変わらず元気である。
『どっこいしょっと』


遊歩道は、回りの木が伐採されて日当りも良く、見通しも良い。
山に囲まれているためか、風も殆ど感じない、快適な散歩道だ。


遊歩道の右側の杉は全て伐採されているが、けやきが一本だけ残されていた。
何のために伐採したのかと思ったら、後で聞いた話だが、杉花粉対策のため、杉の木を伐採したとのこと。


鵜の瀬橋を通り過ぎる。


多摩川を挟んで対岸を望む。
多摩川の青い流れともみじの赤が対照的である。


対岸正面に昼食を予約しているという「つぃんくる」が見える。


大きな欅の木
『これはでかいっ、凄いなぁ』


大きなもみじの木が真っ赤である。
やはり紅葉の季節は赤いもみじが欠かせない。


大日本寒山寺に到着。
寒山寺の総本山は中国江蘇省蘇州市楓橋鎮に位置する臨済宗の仏教寺院とのこと。
小さいながらも趣のあるお堂が建てられている。
書家の田口米舫が中国の寒山寺の主僧より釈迦仏木1体を託され、帰国後、
昭和五年(1930)に小澤太平氏の協力によってここに寒山寺が建立された、とのこと。


お堂の内部


中国蘇州の寒山寺より寄贈されたという仏像が安置されている。


お堂の屋根の上に五重塔などに見られるような相輪があるのが特徴だろう。
日本の寺院ではあまり見たことはない。


鐘楼
撞くと澄んだ音が多摩川の両岸に響き渡る。


鐘楼と寒山寺お堂を一緒に見たところ。


楓橋がこの日の折り返し点である。


楓橋の先に真っ赤に色づいたもみじが迎えてくれた。
澤乃井園が見える。


澤乃井園内のテーブルは昼時のため、満席状態だ。


お酒で一杯というグループもあちこちに見られた。


園内にある土産物店は土産を求める人々で混雑していた。
澤乃井の酒、わさび漬け、酒まんじゅうなど、数々のお土産が売られている。
運悪く、酒まんじゅう(1個100円)は直前に売り切れてしまったとのこと。残念!!


12時半を過ぎ、お腹が空いてきた。
我々も予約をしてある「つぃんくる」へ向かった。
途中の遊歩道は紅葉の真っ盛りである。


”東洋のロダン”とも称された、明治から昭和の彫刻家(彫塑家)朝倉文夫の青年像が建てられている。


紅葉に彩られた多摩川沿いの細い遊歩道を進む。


遊歩道は一般住宅の裏庭を歩く感じである。
野菜なども植えられている。


ひと際赤いもみじ。
紅葉を満喫することが出来た。


13時4分、「つぃんくる」に到着。


店内は名前に似合わず純和風である。
蕎麦定食を註文済みだそうだ。


食事場所は、東屋風になっており、窓はない。
寒さ対策としてガスストーブが置かれていた。
東屋なので、雨の日は営業していないとのこと。


蕎麦は各人の好みで”冷たい蕎麦”、”温かい蕎麦”を注文。
風に吹かれ、多摩川の流れを観ながらの食事はなかなか乙なものである。


食事も済ませ、後はゴールの御嶽駅を目指すだけだ。
この辺りの御岳渓谷も素晴らしい景色である。


少しばかり西に傾きかけたお日様を反射した多摩川の流れが美しい。


こちらは下流を観たところ。


御嶽駅を目指して遊歩道を進む


13時55分、御岳小橋(みたけこはし)に到着。
御嶽駅まであと5分ほどだ。


御岳小橋に到着したところで、世話人から突然『この日は一応ここで解散にしますっ』が宣言された。
後は御嶽駅に向かうだけなので、何ら問題はない。
『今日は大変お疲れ様でしたっ』


世話人を残して、御嶽駅に向かった。
坂道の途中で振り返り、多摩川の色鮮やかな赤いもみじを後にした。


御嶽駅で電車を待つ。
朝同様、大勢の人が帰宅するところだった。
幸い電車は空いており、全員ゆったりと座ることができて、一安心。
青梅で東京行きに乗り換え、しばらくの間心地良い眠りに浸った。


朝は予定より20分ほど遅く出発することになったが、コース距離がさほど長くなかったため、
ゆっくりとしたペースで多摩川の清流や御岳渓谷の紅葉を楽しむことができた。
御岳渓谷を巡る遊歩道は組み合わせれば自由にコース・距離を変えることができる。
機会があれば、また違う時期にゆっくりと歩いてみたいものである。
その時は、是非澤乃井の酒を味わってみたい。

ウマさんの「KDD友歩会」の目次



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

醤油発祥の地 野田散策

2012年08月25日 | ウマさんの「KDD遊歩会」
2012年8月25日(土)


KDD遊歩会」の定例ウォーキングに参加した。
今回のウォーキングは、千葉県野田市の「 醤油発祥の地 野田 」散策である。

最近別のウォーキングが忙しく、KDD遊歩会の例会にはあまり参加していない。
年初めの”隅田川七福神巡り”以来なので半年ぶりとなる。

この日の集合場所は、東武野田線愛宕駅だ。


既に何人かが到着していて、ホームのベンチで腰を降ろしていた。
集合場所は駅前だが、日差しを避けるものがないため、ホームのべンチで時間を潰しているとのこと。


改札口を出て見ると、実際に日除けになるものは何も見当たらない。
強烈な日差しをまともに受ける。
ホーム内で時間調整するのは賢明な対処だったのだ。


集合時間少し前に皆さん、ようやくホームから出てきて全員が勢揃い。
この日の参加者は17名である。
歩道橋の影が日差しを遮ってくれるのがありがたい。


会長から挨拶に続いて『熱中症には十分に気を付けましょうっ!!』との注意喚起があり、


10時ちょうど、出発!


5分足らずで、愛宕山西光院を通過。
奥に見えるのは西光院本堂である。


西光院は新義真言宗豊山派の寺院である。
真言宗にもいろいろ宗派があるようだ。
西光院の本堂。 愛宕神社と同じ敷地内にあるように見える。


西光院のすぐ斜め前に愛宕神社があった。
愛宕神社では、古くから「野田のつく舞」が行われているそうである。
野田地方では、亨和二年(1802)の夏に大干魃があり、その際、当時の野田町や山崎村で行われた
雨乞いの行事が最初で、文政元年(1818)愛宕神社の祭礼において初めて「津久舞」として演じられたと云う。
現在では、14m~15mほどの柱の頂上に醤油樽が付けられ、雨蛙姿に扮装した「ジュウジロサン」と呼ばれる津久男が、
囃子につれて正体・横体・逆体と曲芸を演じながら登る。
頂上の樽の上に立って、破魔矢を四方に射つ神事を行い、その後綱渡りの放れ技で下降する。
千葉県の無形民俗文化財に指定されている。(案内板より)
茨城県龍ケ崎市に伝わる「撞舞」と実に良く似ている。


愛宕神社は、火伏の神・愛児の神である。
野田開墾の後、火の災難を防禦せんが為、延長元年(923)山城國愛宕郡愛宕(京都市右京区)の里から
この地に迦具土命(かぐつちのみこと)の御分霊を遷奉りて氏神とした。(案内板より抜粋)


愛宕神社
創建は、延長元年(923)で、祭神は、迦具土命(火伏の神)
社殿様式は権現造り、木造銅板葺。
社殿拝殿は、文政七年(1824)十月二十四日に再建したもの。


社殿拝殿には、沢山の見事な彫刻が施されている。
二代目石原常八の作とのこと。
県指定有形文化財となっている。


じっくり眺めている時間がないのが惜しい。


神社本殿の回りにはいろんな神様が合祀されている。


これは勝軍地蔵尊
本殿の裏にあり、西光院の隣に建てられていた。


雪見灯篭
文政十二年(1829)、江戸の商人衆43人の講中で寄進したもの。


石灯篭
享和二年(1802)「愛宕大権現氏子中」と刻まれており、かつて愛宕神社が愛宕大権現と
称されていたことが確認できるものとなっている。


野田に醤油が発祥した永禄時代から醤油圧搾に重石が使われていた。
宝暦六年(1756)、飯田氏奉納の石は千葉県で一番古いものだそうだ。
昔、力自慢の若衆が石を肩まで持ち上げて競い合い、誰が持ち上げたかを
石に名を刻んで奉納したものと云われている。


愛宕神社を後にして、次に「野田の醤油発祥地」碑に向かう。
焼けるような太陽が恨めしい。


愛宕神社から5分ほどで、「野田の醤油発祥地」碑に到着した。
碑の隣に小さな社が祀られていた。


野田の醤油発祥地」の碑には次のように刻まれている。
この地は室町時代永禄年間(1558-1570)に飯田市郎兵衛家が初めて野田で醤油を醸造した、
飯田家亀屋敷の遺跡である。
昭和四十六年一月二十七日、野田市文化財に指定されている。(碑説明文)
(因みに土浦の柴沼醤油(キッコーショウユ)の創業は元禄元年(1688)である)


近くに古そうな漬物屋があったので、寄ってみることにした。
漬物屋「坂倉」は享保二年(1717)の創業とあるから、300年にもなる老舗だ。


たちまち店の中は人でいっぱいになった。
『しょうがのおり漬け? 酒のつまみにぴったりみたいだなぁ』


『どれにしようか、迷っちゃうよねっ』


なす・大根・しょうが・きゅうりをそれぞれ1パック(各315円)を買うことにした。
漬物であれば、かみさんも喜ぶだろう。


土産を買ってしまったので、何となく気が楽になった。
漬物屋「坂倉」を後にして、野田市民会館を目指した。
普通、アーケードは雨の日は大助かりというものだが、この日ほど太陽が降り注ぐ日中に
アーケードが嬉しいと思ったことはない。


塀の向こうに古めかしい煙突のようなものが見える。
何かの醸造所であろうか?


古い薬医門には「市民会館」と書かれている。
『えっ、ここが市民会館っ?』
市民会館と聞けば、ホールなどを備えた洒落た鉄筋のビルを想いだすのが普通なのだが、
一瞬、目を疑うような建物である。


入口(正門)から入ることにしよう。
赤く塗られた塀が強く印象に残る。


「野田市民会館・野田市郷土博物館」の入口である。
大きく立派な四脚門だ。
醤油醸造家、茂木佐平次邸として大正末期に建てられたものが、
昭和三十一年(1956)に市に寄贈されたものとある。


「野田市郷土博物館」
昭和三十四年(1959)に造られた県内初の本格的な博物館とある。
主な展示は醤油関係資料、郷土に関する歴史民俗資料などである。


1階は、市民コレクション展などの企画展や特別展が行われる。
現在、陶芸の市民アート展が行われている。


郷土博物館の入口横に、蒸気式の空気圧縮機が展示してあった。
”もろみ”を搔き交ぜる時に動力となる圧縮空気を蒸気で作っていたものである。
今は、電気の力で圧縮した空気を使用している。


「市民会館」
醤油醸造家、茂木佐平治邸として大正末期に建てられたもので、
昭和三十一年(1956)に市に寄贈されたもの。
市民に部屋の貸出も行っている。市民ではない人への貸出も可能である。
この日は、昼食のために部屋を借りる(12:00~13:00)よう予約してあったそうだが、
早く着きすぎて時間を持て余していると・・・


幹事の方が再交渉して、11:00~12:00に変更可能となり、一同大いに喜んだ。
早速、奥の座敷に案内された。


何度か廊下を曲がって、部屋に辿り着いた。


時間はやや早かったが、ここで昼食タイムである。


冷房が効いているのが、何よりもありがたい。


昼食後に庭園を観て回った。


茂木佐平治邸の庭園(1)
大泉水には、残念ながら水は入れられていなかった。


茂木佐平治邸の庭園(2)
きれいに手入れされている。


茂木佐平治邸の庭園(3)


市民会館を後にする。
郷土博物館横辺りを通過して、


結城野田線を野田市駅方面へ進む。
昼食後は一段と暑さが増してきた感じである。


通りに面して、ところどころに古い建物が立っている。
旧野田商誘銀行」の名称は、創立委員の殆どが醤油醸造家であり、
醤油の語呂にちなんで「商誘」と名付けられたものである。
大正十五年(1926)に完成したもの。
経済産業省の「近代化産業遺産」に指定されている。


こちらは、「興風会館」
建築様式はロマネスクを加味した近世復興式で、昭和四年(1929)の竣工。
大・小講堂、地下ギャラリー、集会室などを備えている。
こちらも経済産業省の「近代化産業遺産」に指定されている。


適当なところにバス停があった。
少しばかりの日除けであるが、少し休んで行こう。


なんと、これから行こうとしている、キッコーマン㈱の真ん前だった。
しかし、我々が行こうとしているのは醤油工場であり、目の前の建物ではない。


さらに結城野田線を進む。
古着なのだろうか、少し古い型の作業着のようなものがびっしりと並べられていた。
値段が表示されていないのが、少し気になるところではある。


醤油工場へ行く前に近くのお寺に寄って行くことにしよう。
真宗大谷派の長命寺である。


手洗いの水を汲みあげているところ。
汲みあげているうちにだんだん冷たくなってきた。
『なかなか美味しい水だねぇ』


長命寺本堂にお参りして行こう。


境内には、大師堂もある。
愛宕神社の社殿でも見たような彫刻が彫られていた。
同じ頃の作りであろうか。詳細は分からない。


12時52分、キッコーマン醤油工場に到着した。
しかし、見学は14:00からのため、それまでは館内で時間を潰す必要がある。
冷房が効いた部屋がある、とのことなので、何とかなるだろう。


もろみ貯蔵タンクの亀甲マークが印象的である。


もの知りしょうゆ館」へ向かう。


もの知りしょうゆ館」の入口を入る。


中へ入って進むと土産物店のある場所に突き当る。
この辺りが見学のスタートとなるらしい。
さて、ここでどう時間を過ごそうか?


先ず、土産物店で土産物を買い、”まめカフェ”があったので、中を覗いてみた。


すっきりとした店内は我が会員が席を陣取り、休憩していた。
自分も”豆乳ソフトクリーム”を注文。
ゆっくりとソフトクリーム舐めながら一休みだ。


豆腐に3種類の醤油をかけて味比べができる。
生しょうゆをかけてみたが、なかなか美味しかった。


皆さん、それぞれお好みの醤油で豆腐を食べていた。
他にも煎餅に醤油をかけながら焼くことも体験できるようになっている。


館内にはいくつかの古い時代の醸造の道具などが展示されている。
これは、締木式圧搾装置(しめきしきあっさくそうち
仕込んだもろみを搾る装置である。もちろん人力で搾るのだ。


14時になり、工場見学が始まった。最初は映像鑑賞である。
ここからは、撮影禁止になっている。
約50分の見学が終わって、一段落しているところ。
皆さん、お土産はめいめい買ったようである。


帰りは、中庭を通り、工場を後にした。


宮内庁にお納めする醤油の貯蔵所である。
昭和十四年(1939)に江戸川沿いに建設されたが、老朽化のため移築され、
平成二十三年(2011)完成したもの。


まだまだ暑い日差しの中、工場の塀の横を野田市駅に向かう。


キッコーマンのマークが入ったもろみ貯蔵タンク
また来てください、と言っている? 
朝方電車から見えたのは、このタンクだったのだ。


数分で東武線野田市駅に到着。
会長挨拶後、解散となった。
『今日は、暑い中本当にお疲れ様でしたっ!』


工場見学の土産の醤油(150ml)である。
かみさんがカンパチの刺し身を買って来ていたので、この醤油で味わうことにしよう。


この日は東武野田線の愛宕駅から野田市駅までを歩いたが、
醤油醸造に関わるいくつかの建物などを見学できた。
実際に歩いてみて、野田市は、歴史のある町だと云う事を強く感じた。
また、別の視点から野田市の散策をしてみたいと思った次第ではある。
猛暑の中のウォーキングだったが、一人も熱中症などに見舞われなかったのは幸いだった。


ウマさんの「KDD友歩会」の目次
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする