ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

民話の郷 グリーンハーモニーと牛久運動公園

2019年02月22日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年2月22日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第35回(2019年第7回)、「グリーンハーモニーと牛久運動公園散策」ウォーキングに参加した。

この日のコースは、牛久市の運動公園をスタート・ゴールとする約6.1Kmのコースで、
いばらきヘルスロードに指定されている。

第一集合場所の乙戸沼公園
集まったのは、10名。
『近場の割にはかなり少ないな~っ』と思いながらスタート地の牛久運動公園へ向かった。


ところが・・・
牛久運動公園に着いてみると、第一集合場所の土浦ピアタウンからと、直行した人たちで
駐車場にはたくさんの人が。
乙戸沼公園からの我々と合わせると、その数28名は今年度最高を記録することとなった。
平成30年(2018年)3月2日の東京スカイツリー以来1年ぶりの参加人数である。


体調を整えて、9時58分、牛久運動公園を出発!


最初は牛久運動公園の林の中を進む。


林を抜けると、


目の前に広い草地が広がっていた。
『うわ~っ 広くて気持ちが良いわね~っ』
今は一面枯れ草になっているが、春から夏にかけてはグリーン一色になる所だ。


先ずは、この原っぱを一周することにしよう。


原っぱの外周に沿った小径を進む。


『草原みたいだねっ』
『緑がいっぱいの時だったらもっと良かったのにね~っ』
時期をずらすべきだった。(反省)


この日の先頭を務めるのはTKさんとKSさんだ。


『何となく見覚えがある景色よねっ』
『前に一度歩いたことあるような気がするわっ』
平成21年(2009)10月9日以来なので、もう10年も前のことである。


原っぱの外周に沿った小径を進む。


突き当たりを右に曲がると、


野球場のナイター照明が見えて来た。


左に折れて、野球場の塀に沿って進み、


バックスタンド付近でほぼ野球場を一周したことになる。


10時15分、牛久運動公園を後にして、


ひたち野牛久東の住宅街を進む。


ひたち野牛久駅を目指す。
『この辺は新しい家ばかりだねっ』


広い道路に出た。
道路の反対側にドラッグストアのカワチ薬品が見える。
この辺りでTZ子さんが合流するとの連絡があったそうだが・・・姿が見えない。


『これだけ大勢いれば見つけられるでしょっ』
市道を横断してカワチ薬品の横を進む。


左手には「びゅうパルクひたち野」の高層マンションが聳える。


マンション正面で右折し、ひたち野牛久駅方面へ向かう。


ここで、カワチ薬品付近で待っていたというTZ子さんが追いついて来て合流した。


これで、この日の参加者は29名となった。


ひたち野牛久駅方面へ。


正面に県道274号(学園西大通り)が見えた。
その先は、ひたち野牛久駅前のビル群だ。


学園西大通りの側道を左に折れ、常磐線方面へ。


10時40分、ひたち野牛久駅前に到着。


ひたち野牛久駅前で、ひとまず休憩しよう。


恒例のお茶タイムである。
持ち寄ったお菓子が次々に配られる。


お茶タイムの後、ひたち野牛久駅で折り返し、


中根地区・下根地区方面へ。


駅前の交番(KOBAN)前を通り、


線路に沿って進み、跨線橋を通過。


線路に沿って進む。


「びゅうパルクひたち野」手前にひたち野さくら公園がある。


ひたち野さくら公園で右折して、さくら公園内を下根地区方面へ。


『あと1ヶ月ちょっとで桜が咲くんだよねっ』
『待ち遠しいわよねっ』


『マンションの直ぐ横にこんな公園があるって羨ましいわね~っ』


ひたち野さくら公園内を進む。


ひたち野さくら公園を通り抜けると、


調整池があった。


調整池を右手に見ながら反対側へ。


調整池から今歩いて来たひたち野さくら公園を望む。


調整池を渡りきった所に「少女と小鳥」の像が。


調整池を渡り、竹藪に囲まれた小径へ入って行き、


民家の間を抜け、


道祖神らしき石像を見ながら進むと、


下根保育園前に出た。
園児たちはお昼ご飯の最中だった。


目印としていた八幡神社らしき神社が下根保育園の奥の方に見えた。
『八幡神社に間違いなさそうだねっ』


下根保育園前に聳える銀杏の大木
『こんな所に銀杏の木があるなんて知らなかったな~っ』
『けっこう大きな木だよねっ』


下根保育園前の坂道を下って行くと、


下根中学校入口交差点に出た。


交差点を横断し、真っ直ぐ進んで行くと、


前方に下根中学校が見えて来た。


下根中学校の手前を右折し、


田んぼの中の狭い農道を進むと、


田んぼの中に小さな神社が見えて来た。


五十瀬神社だ。


11時22分、五十瀬神社に到着した。


五十瀬神社に参拝!
何を祀っているのかはよく知らないが、一応参拝だけはしておこう。


社殿の脇に井戸らしきものがあったが、蓋がされていた。
男性最高齢のKKさん(85)が、『昔、この井戸から酒が湧いて出たそうだよ』と言う。
酒が湧き出たという昔話の像と説明が、ひたち野牛久駅にある、そうだ。


社殿の裏に石碑が建てられていた。
『酒島の霊泉って刻んでるみたいよっ』


KKさんの話しが気になったので、翌日(23日)ひたち野牛久駅に行ってみた。
八兵衛さんの広場  ~「酒島の霊泉」より第一場面~
「酒島の霊泉」はこの駅のある東大和田、中根、下根地区に古くから伝わる物語です。
駅前にある四つの広場はこの物語の各場面を表していて、すべての広場をまわれば
物語の全てを知ることができます。
この広場は物語のはじまりの場面です。


むかし、むかし、ここいらは近くに清らかな小野川の流れ、田んぼが広々と続く
とても美しいところだったそうな。
その田んぼのまんなかには小島のような小高い場所がひょっこりとあったんじゃ。
そこには緑の木々がニョキニョキと生い繁り、中ほどにある泉からは清水がこんこんと
いつ尽きることなく湧き出ていたそうな。
村人は仕事の合間にここに集まっては、のどをうるおし、一休みするのが慣わしだったんじゃ。
そんな下根の村に八兵衛さんという一人の若者がおったそうな。
その八兵衛さんは村でもそれはそれは評判の働き者だったんじゃ。


うねりの広場  ~「酒島の霊泉」より第二場面~
この広場は、川のうねりを表現しています。


ある日、村は嵐に襲われたんじゃ。
小野川は暴れ、村人の稲架けは倒れ、稲束は全て流されてしまったそうな。
よく朝、流された稲束を拾い集めていた八兵衛さんは腰が抜けるほどたまげたそうな。
小野川の上流からお祭りに使う大事なお神輿が「どんぶらこ、どんぶらこ」と流れてきたんじゃ。
「エエイッ」と八兵衛さんは、野良着のまま「ガボッガボッ」と恐ろしげな音をたてて、
渦を巻いている流れに飛び込むと、必死の思いでお神輿に取り付くと流されながらも、
やっとのことで田んぼのまんなかの島までお神輿を引き上げたんじゃ。


神輿の広場  ~「酒島の霊泉」より第三場面~
この広場は、おみこしを表現しています。


八兵衛さんとお神輿は村の評判になったんじゃ。
村では神様の贈り物ということで、島に祠を建てて奉ったそうな。
信心深い八兵衛さんは朝夕お参りし、泉の水を持ち帰っては病気がちなおじいさんに飲ませると、
おじいさんはみるみる元気になったそうな。
これで村中でも「泉の水は体に良い」と持ちきりになったんじゃ。


翌年、村人はこの祠に豊作の祈願に集まったんじゃ。
どころがびっくり、泉から酒が湧き出ていて、大変な騒ぎになったそうな。
うわさを聞きつけた大勢の人がやって来て村はますます賑やかになったんじゃ。


泉の広場  ~「酒島の霊泉」より第四場面~
この広場は霊泉を表現しています。


このうわさで、やがて泉に悪者が集まったんじゃ。
お参りする人も少なくなり、島に集まる楽しみを奪われた村人はがっかりしてしまい、
村の活気も衰えてしまったそうな。
悪者が去って村人が行ってみると、泉はただの水に変わっていたそうな。
悪者が飲んだので、神様が酒を止めてしまったわけじゃ。
困った八兵衛さんは村のお坊さんに話し「かわりに濁酒を造る」ことになったそうな。


すると止っていた酒がふたたび湧き出して、村人たちはたいそう喜んだそうな。
そうして下根の郷にも、もとの賑わいが戻ってきたとさ。
めでたし、めでたし。


五十瀬神社を後にして、田んぼの細いあぜ道へ。
『よいしょっと』


細いあぜ道を進む。


『田んぼのあぜ道を歩くって本当に久し振りねっ』


あぜ道を抜けると、小さな径に出た。


小径を進む。


先頭Gの足はけっこう速い。


後続Gが続くが、なかなか追いつけない。


右手には圏央道が走り、牛久阿見 龍ケ崎 出口1Kmの標識が見える。


『まあ マイペースで行きましょう!』


前方に牛久運動公園の野球場が見えて来た。
『ゴールは近いよねっ』


運動公園の外周に沿って進む。


『野球場は直ぐ近くなのになかなか辿り着かないわねっ』


運動公園の外周を過ぎると、住宅街に入った。
『かなり遠回りさせられてるって感じだねぇ』


ようやく牛久運動公園の入口が見えて来た。
『あそこが入口だねっ』


11時48分、牛久運動公園の正面駐車場に到着した。
皆さん、笑顔のゴールである。
こちらの駐車場に止めた人が10名ほどいるため、この日はここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『運転には気をつけてねっ』


牛久運動公園のもう一つの駐車場に向かう。


『牛久運動公園って思ったより広いんだね~っ』
陸上競技用トラックを右手に見ながら、駐車場へ。


『今日くらいのコースが良いのよねっ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

牛久運動公園は地元でもあり、この日のコースは距離は短くて天気が良く、しかも弁当なし
という好条件が揃ったためなのか、29名という今年度最高の参加人数を記録した。

ひたち野牛久駅西口の「酒島の霊泉」泉の広場第四場面の像は、これまで何度か見て知っていたが、
四つの広場が物語で繋がっているということは恥ずかしながら初めて知った。
下根地区の五十瀬神社に古くから伝わるという「酒島の霊泉」の民話とひたち野牛久駅前の像が
結びついたことは自分としては、すっきりした感じである。

この日の万歩計は、15,000歩を少し超えていた。

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好天に恵まれて 岩殿観音と展望の物見山

2019年02月16日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年2月16日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第34回(2019年第6回)、「岩殿観音と展望の物見山(東松山)」ウォーキングに参加した。

この日は、東武東上線の高坂駅まで電車を乗り継いで行くことになるので、
出来れば通勤時間帯の混雑は避けたい。
ということで、土曜日の実施となった次第。

荒川沖駅7時35分発の電車を待っているところ。


柏駅で常磐線各駅停車に乗り換え、


新松戸駅で武蔵野線に乗り換える。
実は、柏駅でうっかり乗り過ごした人がいて、松戸駅から新松戸駅に引き返して来るのを
待っているところなのである。


北朝霞駅で武蔵野線を降り、東上線の朝霞台駅へ。


10時2分、東上線高坂駅に到着。
FJさん夫妻が合流して、この日の参加者は17名となった。


10時15分、高坂駅を出発!
岩殿観音を目指す。


後に続く皆さん。
快晴のなか歩き出したのは良いのだが、高坂駅から数百m進んだ所で、突然後方から
『この方向は逆なんじゃないっ?』の声が。
地図を確認すると、西へ進むべきところを東へ進んでいることに気が付いた。


慌てて高坂駅まで戻り、今度はしっかりと西口へ。


『直ぐに気が付いて良かったわよね~っ』


高坂駅西口正面の道を進む。


歩道に像(パラスのトルソ)が・・・


彫刻家高田博厚の32作品が通り沿いに陳列されている、という。
別名”彫刻通り”と呼ばれている、そうだ。


マハトマ・ガンヂー


礼拝


”高田博厚彫刻群”とある。


10時36分、関越道を跨ぐ。


関越道を過ぎて少し進むと・・・


”足利基氏の館跡”の標識が。
鎌倉時代に足利尊氏の二男基氏によって築かれた館と云われる。
貞治二年(1363)、足利基氏は反乱を起こした下野の芳賀伊賀守高貞を岩殿山の合戦で撃ち敗ったが、
このとき布陣したのがこの地と推定されている。
標識を右に見ながら、さらに進む。


標識の少し先、物見山登山口バス停でまた道を間違えていることに気が付いた。
岩殿観音に行くには、足利基氏の館跡の標識を右に曲がらなければいけなかったのだ。


足利基氏の館跡の標識まで戻り、


大東文化大の運動部の旧い宿舎辺りを進む。
『バスケット部宿舎って書いてあるねっ』


『身体が熱くなって来たなぁ』
『ちょっと一休みするかっ』


旧い宿舎を過ぎた辺りに広場があったので、ここで一休みだ。
この日は昨日に比べてかなり気温が高くなり、汗ばむほどである。


上着を脱いで身軽な格好で再出発だ!


左手に物見山公園の歴史資料館展望塔らしき建物が見える。
手前の茶色い建物は大東文化大学のキャンパスと思われる。
『あそこの塔まで行くんだよねっ』


道の反対側には、高坂CCのネットが張られている。
『たまにネットをオーバーする人もいるんだよ』
KKさんは過去にゴルフボールの直撃を受けたことがあるそうだ。


弁天沼(鳴かずの池)があった。
昔、坂上田村麻呂が岩殿山に棲む悪竜を退治し、首を埋めたところにこの弁天沼が出来たと云われ、
蛙が棲みつかないところから「鳴かずの池」と呼ばれたと言い伝えられています。
(東松山市観光協会)


弁天様にお参りして行くことにした。
沼に架かる赤い橋(弁天橋?)を渡り、


弁天様にお参り。


お堂の中の弁天様
『ちょっとイメージと違ったわねっ』
『口に紅なんか付けて、美人な感じだよねっ?』


弁天堂前のベンチに腰を下ろす女性陣。


弁天沼を後にして、岩殿観音へ。
弁天沼の近くに榎の大木があった。
太さは3mほどあり、東松山市の名木の一本、とのこと。


市道を横断すると、


岩殿観音参道絵図があった。
絵図の文字は色あせて読みづらかったが、以下のように紹介されている。
この総門橋から始まる岩殿観音の参道は、約50戸が門前町を形成し、
家々には屋号が付けられておりました。
本図は江戸末期に使われ、現在に受け継がれたものを中心として記載しました。
なお、家の向き・並びは明治時代のものを分かる範囲で表現しております。
平成二十五年八月 高坂地区ハートピアまちづくり協議会


総門橋を渡ると、門前町が始まる。


左側に「棟梁」の屋号が。


右側には、「鍛冶屋」の屋号。


参道を進む。
『全部の家に屋号が付けられてるんだねぇ』


「畳屋」
”ご自由にお持ち下さい”とある。
『畳のへりじゃね~っ』


参道を進む。


「秩父屋」
『旅籠のような屋号だよねっ』


「目薬屋」
『目薬屋って珍しいんじゃないっ』


「正在院」
『岩殿観音以外にも寺があるんだねっ』


「熊野神社」
『寺も神社もあって昔は賑やかな参道だったんだろうね~っ』


「般若坊」
『宿坊だったのかなぁ』


目の前に岩殿観音の石段が見えて来た。


庭先の蝋梅が満開である。
『蝋梅はほんとに良い香りがするのよねっ』


「丁子屋」
『この建物はかなり古そうだけど現役なのかなっ』
『今でも使われてるみたいよっ』


岩殿観音の石段を上る。


11時39分、仁王門に到着


仁王尊金剛力士像「阿像」は運慶作と伝わる。
力強く迫力満点である。


仁王門を潜ると急な石段が続く。
『かなりの段数がありそうだねっ』


『いやぁ けっこうきついよねっ』


11時42分、岩殿観音に到着した。
板東十番霊場 岩殿山正法寺とある。
岩殿観音には、”坂東33観音霊場巡り”で2009年8月3日(月)にお参りしている。
10年ぶりということになる。


左側には、弘法大師像が。
「南無大師遍昭金剛」


観音堂は弘法大師像の向かい側だ。
岩殿観音は、真言宗智山派の寺院で、岩殿山修善院という。
源頼朝の命により、比企能員が復興した古刹であり、養老二年(718)開創、
天正二年(1574)僧栄俊が中興開山となっている。


観音堂にお参りを済ませた。


本尊は鎌倉初期の千手観音像である。


本堂横の大銀杏は、樹齢700年以上と云われる巨木だ。
天然記念物に指定されている。
『樹齢700年以上とは、凄いよね~っ』


物見山へ。


道路下のトンネルを抜けると・・・


県道212号に出た。
標識に従って物見山へ。


物見山への登り口に「日の出屋」というお食事処があった。
FJさん夫妻は弁当を持参していないと言うので、ここで食事をしてもらうことにした。
食事が済んだら物見山で合流することにして、


物見山へ。


さらに階段を上って行くと、


12時1分、物見山に到着した。


物見山全景
ツツジの名所として知られ、見晴らしが良いことからこの名前が付いたようだ。


物見山からの眺望
ここで弁当タイムにすることに。


食事風景(1)
『晴れて暖かくなってほんと良かったぁ』


食事風景(2)


食事風景(3)
『いやぁ 絶景を眺めながらの弁当は良いもんだねぇ』


12時35分、食事が終わって物見山を下り、埼玉県平和資料館へ向かう。


「日の出屋」で、FJさん夫妻と合流し、


平和資料館を目指した。


物見公園橋を渡ると、
前方に平和資料館の展望塔が見えた。


平和資料館へ。


12時47分、物見山公園入口に到着


駐車場を通り抜けて平和資料館へ。


12時51分、平和資料館(埼玉ピースミュージアム)に到着した。


平和資料館
戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えるため平成5年に開館した、そうだ。
入館料は無料である。


順路を進み、歩く歩道のタイムトンネルを抜けると・・・


正面に戦前当時の茶の間が。
平和な家庭の様子である。


展示室(1)


展示室(2)
戦争体験の風化を防ぐために、戦争に関する資料が展示されている。


展示室(3)
太平洋戦争当時の子供たちの様子。


原子爆弾投下


広島の被爆範囲地図


長崎の被爆範囲地図


地下防空壕の復元模型
『昔を想いだすよね~っ』
防空壕に避難すると、音と光と振動で空襲の疑似体験が出来る。


展示室を出て展望塔へ。


高さ40mの展望塔に到着
ガラス張りの展望室からは関東平野が一望できる。


展望塔からの眺望(1)


展望塔からの眺望(2)


展望塔からの眺望(3)


13時19分、平和資料館を後にする。
近道を通るため、林の中を進む。


『どっこいしょっと』
来るときに、KDさんがここから公園へ入って行ったが、かなり近道になったそうだ。
利用しない手はない。


物見公園橋を渡り、


大東文化大のある通り(県道212号)へ。


県道212号を進む。


県道212号を進む。


大東文化大の正門前を通過
『いやぁ 凄く立派な建物だね~っ』


『ずっと下りだから楽よねっ』


こども動物自然公園前を通過。


こども動物自然公園角の交差点を右折し、


直ぐに左折して、次の目的地松風公園を目指す。


住宅街を進む。


しばらく住宅街を進み、白山中学校西交差点を右折すると、


13時56分、松風公園に到着した。


松風公園の一番小高い場所に移動し、


一休み


松風公園内の遊歩道を進み、


遊歩道から林の中を下ると、


地獄坊池に出た。


池には水鳥がいた。


松風公園から市道に出て、


県道212号の西本宿交差点方面を目指して進む。


地蔵橋を渡り、


西本宿交差点の一つ手前の交差点を右折して、高坂駅方面へ。
戻りは別の道が良いだろう。


関越自動車道を跨ぎ、


高坂駅方面へ。


高坂駅を目指す。


途中で左折して彫刻通りへ出ると、


高田博厚の彫刻(海)が。


高坂駅へ。


高坂彫刻プロムナード
高田博厚の32作品の品名と展示場所が分かるようになっている。


最後に彫刻(水浴)を見て、


階段を上り、


14時43分、高坂駅に到着した。
物見山を出発して、約2時間余である。


タイミング良く、横浜元町・中華街行き急行電車があった。


朝霞台駅でJR武蔵野線に乗り換え、


北朝霞でJR武蔵野線、新松戸で常磐線各駅停車に乗り換え、無事帰着した。


荒川沖駅前の庄屋に立寄ることにした。
『電車内はずっと我慢してたからねぇ』
『喉が渇いちゃって仕方がないよっ』


いつものメンバーである。


酒の肴は、全員揃って「お疲れさまセット」(刺身・煮込み・揚げの3品で1,000円)を注文した。


『いやぁ 今日のいっぱいは美味いね~っ』


生ビールの後は、それぞれ好みの銘柄を注文した。
「土佐鶴」「立山」「澤乃井」「浦霞」
見事に好みの銘柄が分かれた形となった。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

今回は、”岩殿観音と展望の物見山”と称して、埼玉県東松山市の高坂駅から岩殿観音と
隣接する物見山を歩いた。
すこぶる好天に恵まれ、気持ちの良い汗をかいた、という感じである。
弁当持参だったので、天気の良いのが何よりだった。
この時期は外での弁当には場所も含めて気を遣うが、そんな心配は全く無用だった。

帰りにいつものメンバーと駅前で軽く一杯やったが、何時になく美味かった。
これからも時々は立寄ることにしたいものである。

この日の万歩計は、19,000歩を計測していた。

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翁桜コースに四苦八苦も 雪入ふれあいの里から圓明院

2019年02月08日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年2月8日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第33回(2019年第5回)、「雪入ふれあいの里から圓明院」ウォーキングに参加した。

この日のコースは、雪入ふれあいの里を出発し、園明院で折り返し、再び同じ道を
雪入ふれあいの里に戻る、というコースだったのだが・・・

この日、第一集合場所は土浦ピアタウンと周知していたが、念のため乙戸沼公園へ行ってみると、
定刻の9時までに4名がやって来た。
車1台に乗り合わせ、直接出発地の雪入ふれあいの里へ車を走らせた。
9時40分、雪入ふれあいの里に到着


既に、直行した人が3名、土浦ピアタウンからは7名が参加し、
合せて15名の参加者となった。


KKさん(85)の号令で久し振りの準備体操(1)


準備体操(2)


準備体操(3)を終了し、


10時1分、TKさんを先頭に園明院目指して出発!


皆さん、後に続く。


園明院を目指す。


『お日様が当ると温かく感じるよねっ』


『今日は、距離はそんなにないんだよねっ』
雪入ふれあいの里から園明院への往復は、約6Kmほどと予想しているが・・・


”ここは七曲”の標識がある三叉路を三石森林公園方面へと進む。
右手は雪入の集落へと続く道だ。


振り返ると後方に雪入ふれあいの里の建物が見えた。


最後尾を務めるのはFJさんとTSさんだ。


『いやぁ 相当茶色くなってるなぁ』
今年も杉花粉に悩まされそうだ。


10時31分、三石森林公園の入口(上り口)に到着した。


ここで軽い休憩を摂った後、


園明院を目指す。


園明院の墓地前を通過して緩やかな道を下って行くと、


視界が開け、麓の上佐谷集落に出た。
『広い場所は気持ちが良いわねっ』


のどかな田園風景の中を進み、


園明院を目指す。


標識に従って進むと、


正面に園明院が見えて来た。


園明院の庭に”亥 2019”の文字が。
庭園 五蘊(ごおん)とある。
(五蘊:奥深いの意)
人間を構成している五つの要素で、色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊を意味する、そうだ。


慈母観音、六地蔵の前を通り、


最後の石段を上ると、


11時1分、本堂に到着した。
この日の無事安全をお参りしておこう。


境内から参道を見下ろしたところ。
『いつもきれいに手入れされていて気持ちが良いわねぇ』


境内で一休み。


一息入れた後、


11時12分、三石森林公園へ向けて出発!


園明院の裏へ抜け、三石森林公園へ続く細い径へ。


薄暗い林のなか、坂道を上る。


『けっこう勾配のある坂道だねぇ』


林を抜けて緩い坂道を上って行くと、


道端にゴミが捨ててあった。
『なんでこんな所に捨てちゃうんだろうねっ』
誰も見ていないと平気でこういうことをする人がいるということなのだろう。
いったい誰が何時(いつ)後始末をするのだろうか。


園明院裏の坂道を上ること7分ほど、先ほど通り過ぎた道路に出た。


三石森林公園を目指す。


11時23分、三石森林公園の入口に到着した。
この先は先頭のTKさんの思う通りに進んでもらうことにした。


先頭を行くTKさん、三石森林公園への道路を上るのかなと思っていたら、


途中から丸太の階段を上り始めた。
当会の面目にかけてこのコースを選んだものと思われる。


丸太の急階段を上る。


さらに階段を上って行くと、三石森林公園の「もりの小屋」が見えた。


11時31分、三石森林公園「もりの小屋」に到着した。
『やっと着いた~っ』


三石森林公園駐車場から見た麓の景色
正面に千代田カントリークラブが見える。


パノラマ写真


この日はボランティアグループ「雪入探検隊」の隊員であるED子さんに、「もりの小屋」で
弁当を食べることの使用許可を得ている。
『ご自由にどうぞっ』とのことである。
当のED子さんは、膝の調子が今ひとつということで、参加を見合わせている状態だ。
4月頃には『参加出来そう』とのこと。
『しっかり治して一日も早く元気な姿を見せて欲しいわねっ』


『この時期に部屋の中で食べられるってのはありがたいことだよねっ』


KKさんは今日もカップラーメン持参である。
『これなかなか美味しいんだよっ』


弁当が終り、数名から『来た道を帰るのは物足りないねっ』という声が上がった。
『尾根へ出れば後は平坦で楽なコースみたいだよねっ』 ということだ。
検討の結果、急遽コースを変更し、浅間山~剣ヶ峰へ続く尾根を経由して戻ることにした。
12時17分、尾根の分岐点を目指して出発!


見晴らし広場へ続く急坂の階段を上る。


見晴らし広場からの眺め。
『この辺は紅葉がきれいなんだよねっ』


浅間山尾根への急坂道を上る。


先頭を歩くHA子さん(88)は、今日も元気だ。
この歳(失礼)でみんなと同じペースで歩くから凄い。
皆さん一様に『信じられないよねっ』 『尊敬しちゃうっ』


見晴らし広場から浅間山方面に通じる森林コースへ。


『高低差がある方が楽しいんだよねっ』
コース変更を提案した一人、まゆみの会所属のDD子さんは余裕の表情だ。


美肌桜を通過し、


尾根を目指す。


後に続く男性陣


急坂を登り切って進むと、


12時36分、尾根の分岐点に出た。


最後尾Gも到着し、全員が揃ったところで、


青木葉峠(あきばとうげ)へ。


途中マウンテンバイクの若者とすれ違った。
青木葉峠から上って来たそうだ。
『凄いタイヤだねっ』
『頑張ってねっ!』


青木葉峠を目指す。


”自然のいたずら ⇒”の標識の先を目をやると、
『いったん分かれてまたくっついちゃったのかしらっ』
『面白いというか不思議な形をしてるねぇ』


浅間山への登り口を通過し、


続いて石噛桜コース分岐点を通過。


道標
西弓弦月岡小幡葺穂真壁 東佐谷中貫土浦阿見と刻まれている。
『御成婚記念大正13年って書いてあるよっ』


青木葉峠へ。


12時53分、黒文字平に到着
『筑波山だぁ』


筑波山が正面にばっちりと見えた。
『ここから見る筑波山も良いもんだね~っ』


『以前は竹藪に遮られて何も見えなかったんだよねっ』


布袋桜の下を通り過ぎ、


続いて恵比寿桜横を通り過ぎて進むと、青木葉峠が見えて来た。


13時4分、青木葉峠に到着した。


続けて、道路反対側の剣ヶ峰・青年の家方面へ。


大黒桜を通過し、


坂道を上って進む。


アップダウンの道が続く。


左手の視界が開けた。
パラグライダー場跡である。


ベンチがあった。
『後ろの人が来るまで一休みだねっ』


こちらも一休み


『ここはなかなか見晴らしが良いねぇ』


後続が追いついたことを確認して、再び剣ヶ峰を目指す。


また上りが現れた。
『帰りのコースは思ったほど楽じゃないねっ』


『景色は良いんだけどなぁ』


剣ヶ峰へ。
『アップダウンが続くと、きついねっ』


13時29分、雪入山(345m)を通過
『ここが山頂なんだぁ』
『標識がないと分からないよねっ』


また次の上りが現れた。
『あの先が剣ヶ峰なのかなぁ』


上りの先が剣ヶ峰であることを期待して、力を振り絞って坂道を上る。


坂道を上ると、


また視界が開けた。


”山頂展望台からの眺め”とある。
どうやら剣ヶ峰に到着したみたいだ。


『いやぁ なかなか素晴らしい眺めだねぇ』


13時38分、剣ヶ峰広場に到着


剣ヶ峰広場で一息入れて、


13時43分、眺望コースの下り開始だ。


眺望コースを少し下り、


”雪入翁桜(急坂)コース入口”と書かれた標識を左に折れる。
「雪入ふれあいの里」への近道のようだ。
初めてのコースである。
期待と不安を抱きながら雪入翁桜の大木の前を進む。


下り始めると直ぐに急坂の径になった。
『うわぁ 怖~い』
と言いつつも、どこか嬉しそう。


ロープが張られた箇所もある。
しっかりとロープに掴まって下る。


『いやぁ これは厳しいね~っ』


『この急坂はいつまで続くのかねぇ』


『気をつけてくださ~いっ』


『こんな急坂は久し振りだね~っ』
元まゆみの会のKKさん(85)はマイペースで余裕の表情だ。


”池展望平”と書かれた標識があったので、20mほど行ってみると、


池が見えた。
『こんな山の上に池があるんだぁ』
(後で分かったが、鳥の池と思われる)


急坂を下ること約20分、ようやく平坦な場所に出た。


『あそこの斜面を下って来たんだねぇ』


『傾斜は40°近くはありそうだねっ』


麓で後続を待つ皆さん。


最後尾の3名が到着し、あらためて下山開始だ。


鳥の池の脇に


野鳥観察所があった。


覗いてみたが、残念ながら鳥の姿は見えなかった。
春から夏・秋にかけてはいろんな鳥を観ることが出来るのだろう。


鳥の池の近くに花の池が。


さらに風の池もあった。
池の水は緑色をしていた。


NHK大河ドラマ「花燃ゆ」のロケ場所を通過


NHK大河ドラマ「花燃ゆ」 「涙松」撮影地 とある。
幕府に捕らわれた吉田松陰(伊勢谷友介)が、唐丸駕籠で江戸へ送られる際、
故郷へ最後の別れを告げるシーンです。
当公園のボランティアグループ「雪入探検隊」のメンバー5名がエキストラ出演
しています、と紹介されている。
「花燃ゆ」は、平成27年(2015)のNHK大河ドラマである。
井上真央と大沢たかおが主演した、江戸時代末期から維新、明治初期にかけてのドラマだ。


雪入ふれあいの里を目指す。


白梅が咲いていた。
顔を近づけると仄かに梅の香りがした。


紅梅も咲いていた。
『ここは南向きだから温かいんだねっ』


雪入ふれあいの里が直ぐ下に見える。


最後のカーブ”い”を曲がると、目の前がゴールだ。


14時24分、雪入ふれあいの里に到着した。


ゴール地点からの眺望


駐車場へ。


駐車場へ向かう皆さんの表情はどことなく満足そうだった。
『最後はスリルがあったけど、楽しかったわねっ』
『久し振りに歩いたって気分よねっ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

この日のコースは当所、雪入ふれあいの里を出発して園明院で折り返し、再び同じ道を戻る、
と予定していたが、浅間山の尾根から剣ヶ峰を経由するというコースに急遽変更したことにより、
予想していた距離(約6Km)をかなり上回る距離を歩いたことになった。
剣ヶ峰から雪入翁桜を経て雪入ふれあいの里へのコースがあることを初めて知った。
急斜面の雪入翁桜コースに四苦八苦しながらも、全員無事に下山出来たことに一安堵している。
今回、皆さんの提案によりコースを変更したが、良かったと思っている。
雪入翁桜コースは、機会があればまた歩いてみたい、と思ったが、いかがでしょうか。

この日の万歩計は、16,000歩を少し超えていた。

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古墳に圧倒される 太古の歴史探訪・さきたま古墳

2019年02月01日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年2月1日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第32回(2019年第4回)、「太古の歴史探訪・さきたま古墳」ウォーキングに参加した。

三中公民館でバスを待っているところ。
『いやぁ 今日は風が冷たいね~っ』、
土浦市のこの日の最高気温は8℃、これから向かう行田市は7℃の予想である。


7時22分、ほぼ予定時刻にバスがやって来た。


この日の参加者は21名、皆さん、今日も元気いっぱいだ。


『随分積もってるわねぇ』 『真っ白じゃないっ』
昨夜降った雪がかなり残っている。
これから向かう行田市は大丈夫だろうか?


7時44分、つくば・牛久ICを通過し、


圏央道を久喜白岡方面へ。


筑波山が雪を被っている。
『あんなに雪を被った筑波山は初めて見るよっ』


朝食弁当
前々回(2018年10月26日 白糸ハイランドウェイを歩く)の時と同じ弁当だ。


バスは圏央道を順調に走る。


周りは真っ白な銀世界である。


8時15分、五霞IC付近を通過。
左手に富士山が見えて来た。


『雪を被った富士山ってやっぱりきれいね~っ』
『一晩で雪を被った富士山に戻って良かったよねっ』


8時16分、利根川を渡る。
『この辺は雪は降らなかったようだねぇ』


8時28分、久喜白岡JCTを通過し、鶴ヶ島JCT方面へ。


菖蒲PAまで2Km地点を通過し、


8時35分、菖蒲PAに到着。
ここで昼の弁当を受け取り、バスのトランクに積み込んだ。
15分の休憩を摂った後、


圏央道桶川加納ICへ。


8時53分、桶川加納ICを通過


バスは国道17号、


県道77号を行田市街へ。


桶川加納ICから35分ほどで、正面に秩父鉄道行田市駅が見えて来た。


9時30分、秩父鉄道行田市駅に到着
『もう着いちゃったのっ? やっぱり圏央道は早いねぇ』
『行田って意外と近いんだねっ』


秩父鉄道行田市駅


弁当はバスの中で食べることにしているので、バスに積んだままにしておく。
『弁当がない分身が軽いよねっ』
準備が整い、9時34分、いつものようにTKさんを先頭に忍城目指して出発だ!


さきたま古墳2.6Km、忍城址1.0Kmの標識に従って進む。


駅前通りの武蔵野銀行の角を右に曲がり、国道125号を忍城址へ。


行田市商工センター前を通過


行田市街の通りに並ぶ童の銅人形を眺めながら進む。


市役所入口交差点の横断跨線橋に”埼玉県名発祥の地 行田”の文字が。
『行田が埼玉県名の発祥の地なんだぁ』
『知らなかったなぁ』


行田市役所は道路反対側に建っている。


”行田ゼリーフライ本舗”の看板
ゼリーフライとは、衣のないコロッケのようなもので、日露戦争に従軍した飲食店の主人が、
帰国後に中国の野菜まんじゅうをアレンジしたのが始まりといわれる。
大量のおからを使うのが特徴で、店によって食感も味も違う、とのこと。
初めて聞く品名だし、まだ食べたことはないが、一度味わってみたいものである。


国道125号を横断すると、忍城址の堀と復元された御三階櫓が見えて来た。


御三階櫓
忍城は文明十年(1478)頃、成田顕泰(あきやす)により築城された「守り易く攻め難い」
難攻不落の名城であったと伝えられている。
天正十八年(1590)豊臣秀吉の関東平定の中で戦われた石田三成による忍城水攻めにも耐え、
この城は水に浮くのかと恐れられ「忍の浮城」とも称されたという。
”秀吉が唯一落とせなかった城”としてその名を知られた。
昭和63年(1988)に復元された。
続日本100名城に指定されている。


堀に架かるあずま橋を渡り、東門を潜って城内(行田市郷土博物館)へ。


東門を潜ると、右手に鐘楼が建っている。
吊り下がっているのは、江戸時代の忍城ゆかりの遺品の時鐘(じしょう)である。
文政六年(1823)に松平氏が桑名から忍へ移封されるのに伴って、忍城へ移された鐘、とのこと。
鐘楼は、城内二の丸の東隅にあったが、明治十年(1877)に取り崩され、
当時の進修館小学校校庭に再建され、時を報じていた。
昭和28年(1953)東照宮に移転の後に、平成4年(1992)4月、鐘楼から鐘を取り外され、
現在は行田市郷土博物館に展示されている。
総高151cm、口径79.5cm、重さ600kg、市指定有形文化財になっている。
大晦日には除夜の鐘となる、そうだ。


行田市郷土博物館は、忍城の本丸の跡地にあり、隣接する御三階櫓とともに、
行田の歴史と文化を紹介している。
通常の入館料は、1人200円だが、20名以上の団体は1人160円だ。
なお、館内は撮影禁止になっているため残念ながら写真はない。
(展示品などは殆どがレプリカと思われるので、撮影禁止の意図が理解出来ない。
せめて「さきたま史跡の博物館」並の”フラッシュ撮影禁止”に出来ないものなのだろうか)


博物館の見学を終え、渡櫓のような通路を御三階櫓へ向かう。


御三階櫓からの眺望(1)


御三階櫓からの眺望(2)


御三階櫓からの眺望(3)
これから向かう「さきたま古墳公園」方面と思われるが、古墳は確認できない。


御三階櫓からの眺望(4)
富士山が見えた。


続日本100名城のスタンプを押した後、東門を出てあずま橋を渡り、


10時35分、忍城に別れを告げた。


忍城向かい側の「浮き城の径」へ。


冠木門を潜って、


「浮き城の径」を進む。
『散歩にちょうど良い径だねっ』


「浮き城の径」を抜け、


行田市産業文化会館前から、2.4Km先のさきたま古墳へ。


『この道を真直ぐ行けば良いのかなっ』


本丸児童公園にC57型蒸気機関車が展示されていた。
C57は、「貴婦人」と呼ばれ親しまれた蒸気機関車で、速度が速く、主に旅客列車用として活躍した。


水城公園へ向かう。


ほどなく水城公園に到着した。


今も満々と水を湛えている「しのぶ池」は、かつて忍城の外堀だった、そうだ。


『広くてきれいな公園だよね~っ』


古代蓮の池があった。


水城公園を過ぎ、市道を進む。


”未来への螺旋”モニュメント
次のように記されている。
古代から受け継がれた文化は、近世の文化を生み、現在において必要とされる環境へと変貌し、
次世代が引き継ぐ未来へと進化します。
過去、現在に支えられながら希望に満ちた未来へと躍進する姿、そんな意思を込めたモニュメントです、
とある。


少し先に今度は”過去からの螺旋”モニュメントがあった。
古代から受け継がれた文化は、近世の文化を生み、現在において未来へと進化します、とある。


さきたま古墳公園へ向けて、


市道を進む。


さらに市道を進む。
『ようやく身体が温まって来たわっ』


「教育文化センターみらい」前を通過
『立派な建物だよね~っ』


さきたま古墳公園を目指す。


左に折れて武蔵水路に沿って進むと、県道77号の野合新橋交差点に出た。


県道77号野合新橋交差点を右に曲がって進むと、


さきたま古墳公園の駐車場があり、既に常南交通のバスが待機しているのが見えた。
この日は気温が低く風が強いので、外での弁当は酷であり出来れば避けたい。
ということで、この日はバス車内で食べることにしてもらっている。


弁当には少し早いので、先に博物館を見学することにする。
ひとまず駐車場は通り過ぎて、さきたま史跡の博物館へ。


11時25分、さきたま史跡の博物館に到着した。


約20分のVTRで予備知識を学び、


展示場を見学(1)


展示場を見学(2)


展示場を見学(3)


展示場から国宝展示室へ


国宝展示室の展示品(1)


国宝展示室の展示品(2)


国宝展示室の展示品(3)


国宝展示室の展示品(4)
国宝の金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)


見学の様子(1)


見学の様子(2)


見学の様子(3)


博物館で予備知識を学んだ後、バスへ。
『弁当が楽しみだねっ』


12時15分、バスに到着し、


弁当を受け取って車内へ。


この日の昼食弁当は朝食弁当に似ている感じだ。


食事の様子(1)


食事の様子(2)


弁当も食べ終わり、次は古墳公園内を歩くことにした。
敷地面積約320,000万㎢の中に、5世紀から7世紀にかけて造られた9基の大型古墳が集まっている。
公園内は広いので纏まって歩くのが賢明だろう。


再びさきたま史跡の博物館のある公園へ向かう。


埼玉県名発祥の地碑


碑の横に埼玉県名の由来の説明板があった。
明治四年十一月十四日、現在の県域に「埼玉県」と「入間県」を設置するとの太政官布告が出された。
それが、埼玉県の誕生である。
以後、幾度かの変遷を経て、明治九年八月に現在の埼玉県の区域が定まった。
「埼玉」が県の名称とされたのは、当初の県の管轄区域の中で、最も広いのが埼玉郡であったことによる。
(中略)
ここ行田市埼玉の地は、巨大古墳群の所在地であり、また「前玉神社」の鎮座する場所でもある。
おそらく埼玉郡の中心地であったと考えられるので、ここに碑を建て、県名発祥の記念とする。
昭和六十二年 四月  埼玉県


12時51分、古墳巡りスタート!
フルコース(歩行距離約3.5Km 所要時間目安1時間30分)を回ることにする。


最初に現れたのは奥の山古墳だ。
奥の山というのは、古墳群を東から見たとき、戸場口山古墳・中の山古墳・奥の山古墳と並び、
一番奥にあることから付けられた。
主軸長70mで前方部幅47m、高さ7.4m  後円部径43m、高さ6.8m
6世紀中頃の築造と推定されている。


続いて中の山古墳
渡柳地区にある三基の古墳の中央に位置するのでこの名がある。
かつて石棺の如きものが発見されたと伝えられることから、別名唐櫃山(かろうとやま)古墳
と呼ばれている。
主軸長79mで前方部幅44m、高さ5.4m  後円部径42m、高さ5.1m
6世紀末から7世紀初めの築造。
埼玉古墳群に所属する前方後円墳の中では、最後に築造されたと考えられている。


公園内を進む。
浅間塚古墳、前玉(さきたま)神社がこの辺りにあるはずなのだが、鬱蒼とした林に囲まれており、
見つけることは出来なかった。
フルコースの案内にも載っていなかったので、諦めることにした。


左手に鉄砲山古墳が見える。
「鉄砲山」という名前は江戸時代に忍藩の砲術演習所(角場)があったことに由来する。
古墳群中3番目の大きさの前方後円墳である。
主軸長109mで前方部幅69m、高さ10.1m  後円部径55m、高さ9.0m
周濠を含めた全長は163mと推定されている。
6世紀後半の築造と推定されている。


瓦塚古墳
古墳群中6番目の大きさの中型前方後円墳だ。
明治時代の初期、付近に瓦工が住んでいたことから、この名がある。
軸長73mで前方部幅47m、高さ4.9m  後円部径36.5m、高さ5.1m
6世紀前半の築造と推定されている。


古民家旧遠藤家
埼玉県幸手市大字千塚(ちづか)から移築された民家で、江戸時代末期に建てられたもの。
面積は222.453㎡(67.41坪)、稲作農家らしく土間が広く屋内での仕事がし易くなっている、そうだ。


古民家内(台所)


古民家の台所(土間)から茶の間の座敷を見たところ。


縁側で一休み。
『日向ぼっこしてると気持ちが良いねぇ』


古民家を後にして二子山古墳へ。


二子山古墳
埼玉県では最大規模の古墳で、二つの山があるように見えることからこの名がある。
軸長138mで前方部幅90m、高さ14.9m  後円部径70m、高さ13m
6世紀前半の築造と推定されている。


二子山古墳
『いやぁ さすがにでかいね~っ』


将軍山古墳へ


将軍山古墳
軸長90mで前方部幅68m、高さ9.4m  後円部径39m、高さ8.4m
埼玉県下で8番目の規模の前方後円墳である。
明治27年(1894)に横穴式石室が発見され、多数の副葬品が出土した。
この石室には、千葉県富津市付近で産出する”房州石”が用いられており、
古墳時代の関東地方における地域交流を考える上で重要な古墳、とのこと。
造営年代は、古墳時代後期の6世紀末と考えられている。


前方部・後円部・造出に副葬品の復元模型(円筒埴輪など)が置かれている。


古墳東麓にある将軍山古墳展示館


石室の内部を見ることができる。


実物の横穴式石室


武具を付けて馬に乗った騎馬武者の模型


古墳時代の馬の装い
わが国に騎馬の風習が始まるのは、4世紀末ころからで、朝鮮半島との交流のなかで、
はじめて騎馬術と馬具がもたらされました。
馬具は5~6世紀の古墳に、副葬品として納められていますが、金属部分をつないでいた
革や布・木質部分は、腐食してしまうため残りません。
馬への装着方法は、馬具の形状や馬型埴輪を参考に復原しました。
将軍山古墳のような、金色に輝くきらびやかな馬具や旗を付けて飾りたてる馬は、
儀式や祭典などの際に重要な役割を果たしました。
時には馬冑を付けて武装し、威信を高めることもあったと考えられます。


将軍山古墳展示館を後にして、稲荷山古墳へ。


左手に丸墓山古墳を見ながら稲荷山古墳へ。


稲荷山古墳
国の史跡に指定され、出土品は国宝に指定されている。
金錯銘(きんさくめい)を有する鉄剣が出土したことで知られる。
埼玉県第2位の規模の大型前方後円墳
軸長120mで前方部幅74m、高さ10.7m  後円部径62m、高さ11.7m
古墳時代後期の5世紀後半と考えられている。
埼玉古墳群中では最初に築造された。


埼玉古墳群内の大型古墳で登ることができるのは、丸墓山古墳とこの稲荷山古墳である。
稲荷山古墳の頂上へ。
もともと墳頂部に稲荷社が祀られていたのでこの名がある。


稲荷山古墳の頂上に到着
『いやぁ けっこうきついよねぇ』


稲荷山古墳から見た古墳公園、


将軍山古墳、


丸墓山古墳


稲荷山古墳の後円墳へ。
稲荷山古墳はかつて前方の円部分が干拓工事の埋め立て用の土として削り取られてしまった。
現在のものは2003年に復元されたもの、だそうだ。


後円部の円頂には埋葬施設の復元模型(礫槨れきかく)が展示されている。
1968年の発掘調査で後円部の頂上から発見された埋葬施設で、
金錯銘鉄剣という国宝に指定された剣が出土されている。
他にも甲冑や馬具なども出土している、とのこと。


石室の復元模型(粘土槨ねんどかく)
この埋葬施設は素掘りの竪穴に粘土を敷き、その上に棺を置いたと推定される。
盗掘の被害を受けたため、出土した副葬品は少量の武器や馬具などの破片だったが、
礫槨出土品とともに国宝に指定されている、そうである。


稲荷山古墳を下って丸墓山古墳へ。


林の先に丸墓山古墳が見える。


丸墓山古墳
日本最大規模の円墳である。
直径105m、高さ18.9m
築造年代は6世紀の前半と考えられている。


丸墓山古墳の頂上へ
高さは19mほどしかないが、段差が大きいのでこれがけっこう堪える。


13時54分、丸墓山古墳の頂上に到着


行田市の市街地が一望できる。


忍城
天正十八年(1590)、小田原征伐に際して、忍城攻略の命を受けた石田三成が
丸墓山古墳の頂上に陣を張った。
三成は忍城を水攻めにするため、丸墓山を含む半円形の石田堤を28kmほど築いた。


丸墓山古墳からの眺望


稲荷山古墳


丸墓山古墳を下り、


駐車場へ向かう。


石田堤
この一段高い桜並木は、天正十八年(1590)に豊臣秀吉の命を受けた石田三成が、
忍城を水攻めした際の堤の一部である。
長さ28Km(一説には14Km)に及ぶ堤をわずか5日間で築き、利根川と荒川の水を
流入させたと言われている。


駐車場へ


14時6分、バスに到着
1時間15分余りかかったことになる。


車内で会費徴収などを済ませ、バスは県道77号、国道17号を走り、圏央道へ。


15時5分、菖蒲PAに到着


土産物を見て回っていると、


常南交通の運転手さんに『だまされたと思って買ってみてっ』と奨められ、
”うまくて生姜ねぇ”(648円)を買った。
『熱いご飯と一緒に食べると美味しいよっ』
(食べてみて実際に美味かった。かみさんがすっかり気に入ったようだ)


帰りのバス車内


帰りのバス車内


筑波山
雪はすっかり消えて、いつもの筑波山に戻っていた。


つくば・牛久ICは間もなくだ。


16時11分、つくば・牛久ICを通過し、


16時19分、三中公民館に到着した。
『いやぁ こんなに明るいうちに帰れるとは思わなかったな~っ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

寒空と強風の下、太古の歴史探訪・さきたま古墳ウォーキングを無事終了した。
広大なさきたま古墳公園内を歩いてみて、古墳の多さに圧倒された。
これだけ多くの古墳を間近で見たのは初めてである。
現在、世界遺産への登録を推進している、とのことだが、応援したい。

「行田市郷土博物館」内の撮影禁止には正直がっかりした。
忍城の歴史と行田市の文化を広める良い機会だと思うのだが、
撮影禁止にする理由がよく分からない。
国宝を展示している「さきたま史跡の博物館」と同様に”フラッシュでの撮影禁止”
としても問題ないのでは、と思うのだが・・・

この日の万歩計は、16,000歩を計測していた。

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