ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

満開の蝋梅を堪能 長瀞岩畳から宝登山

2018年01月26日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2018年1月26日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29度第30回(2018年第3回)、「長瀞アルプスから宝登山」ハイキングに参加した。

この日三中公民館に集まったのは、15名
氷点下に近い気温の中、土浦市民会館・天川団地を経由してくるバスを待つ。
『いやぁ 今日は寒いね~っ』


7時22分、ほぼ定刻通り、中型バス(定員33名)がやって来た。


この日の参加者は23名だ。
当初の申込から4名ほど少なくなっているので席はかなり余裕がある。


いつもの"3種おむすびとおかずセット"で腹ごしらえをしながら・・・


圏央道を西へ。


車窓に筑波山がきれいに見える。
『行ってくるよ~っ』


4日前の22日(月)に降った雪がそのまま残っている。
『いやぁ 凄い雪だね~っ』
『長瀞アルプスは大丈夫かなぁ』頭の中を不安がよぎる。


前方に富士山が見えた。
『こういう方角に見えるんだぁ』


8時35分、最初の休憩場所圏央道菖蒲PAに到着
『かなりの雪が残ってるんだねぇ』
この時、当初長瀞アルプスのスタート地秩父鉄道野上駅へ向かうことにしていた案を、
長瀞アルプスの登山道の雪は融けていないのではないかとの判断から、長瀞駅をス
タート&ゴールとすることに変更し、長瀞駅へ向かうよう運転手へ依頼した。
運転手は快く引き受けてくれた。


菖蒲PAでの休憩の後、再び圏央道を走る。
富士山が次第に大きくはっきりと見えるようになった。
『こんなにはっきりと富士山が見えるんだ』


圏央道から関越道へ。


バスは関越道を走り、


はなぞのICで下りて国道140号へ。


9時27分、道の駅「はなぞの」に到着
ここで、2度目の休憩を摂った。
その間、昼食の弁当を受取り、


国道140号を秩父方面へ。


10時8分、長瀞駅近くのバス会社共同駐車場に到着
外は寒かった。
気温は、2-3℃くらいしかなさそうだ。
この分では、宝登山山頂で弁当を食べるのは、避けた方が無難である。
出来れば、戻って来てバスの中で食べることにしたい。
ということで、昼食弁当は、バスに置いて行くことにした。


NGさんの号令で準備体操(1)


準備体操(2)


準備体操(3)


10時15分、出発!


せっかくなので、先ずは長瀞岩畳へ向かった。
秩父鉄道長瀞駅を左に見て、


長瀞岩畳へ通じる土産物屋街を進む。
『まだ店が1軒も開いてないんだねぇ』


バスのTK運転手も一緒に岩畳へ。


岩畳でこの日1回目の記念撮影だ。
シャッターを押してくれたのはTK運転手である。


記念撮影を終え、直ぐに引き返して宝登山を目指す。
再び土産物屋街を通り、


秩父鉄道の線路を横断。


国道140号長瀞駅前交差点の鳥居を過ぎ、


宝登山神社へ通じる緩やかな参道を進む。


日差しを浴びながら緩やかな参道を進むにつれ、次第に身体が温まってきた。
日差しを浴びると全く寒さは感じない。


宝登山神社には帰りに寄ることにして、宝登山へ向かった。


ロープウェイ駅方面への道は日陰のため凍っていた。
『凍って滑るから危ないわねっ』
『注意しなきゃねっ』
などと言いながら、転倒する人も。


ロープウェイ駅方面への分岐路を宝登山方面へ。


しばらくすると、凍った道は砂利道の登山道になった。
道の両側に雪は残っていたが、中央部分は、砂利道なので歩き易い。


緩やかな坂道の登山道を進む。
日陰は寒いが、日差しを浴びながら歩くと、次第に身体が暑くなって来た。
『汗かいて来ちゃったねぇ』


11時3分、『ここらで一休みしよう』


見上げるとロープウェイのゴンドラが通り過ぎて行った。


宝登山奥宮を目指す。


11時16分、宝登山山頂まで50分の表示が現れた。
『この分じゃ昼頃に到着かなっ』


砂利道を過ぎると、


次第に雪が多くなってきた。
場所によっては凍っているので、滑らないように気を付けよう。


視界が開けて右手に秩父の山々が見えた。
『良い景色だねっ』


日当たりの良い砂利道を過ぎると・・・


多量の雪が残っている道になった。
中央部分は凍っている。
『気を付けてっ!』


太陽が当る場所は雪が少ないので、一安心だ。


11時31分、2度目の休憩


お茶菓子タイムで元気をつけて・・・


植林の場所を通過。


植林の場所を過ぎると、日陰になり急に雪が深くなった。
『いやぁ 凄い雪だねぇ』
『長瀞アルプスもこんな感じかなっ?』


凍った所は出来るだけ避けて、雪が積もった所を進むと歩き易い。


見晴らしの良い場所に出た。


『空気が澄んでるからくっきり見えるねっ』


『長瀞アルプスにしなくて正解だったかもね』


雪道を進む。


前方に赤い建物が見えて来た。
小動物公園のようだ。


小動物公園の手前から見た秩父の景色


小動物公園の手前を左に折れると、雪が融けた砂利道になった。


11時55分、奥宮への石段下に到着した。
『この石段の上が奥宮なのねっ』
『もう直ぐだねっ』


後続Gが追い着き全員が揃ったところで、奥宮への石段を上る。


石段を上ると、


正面に奥宮が鎮座していた。


奥宮へ参拝
今から1900年の昔、第十二代景行天皇の皇子日本武尊が、神霊を排した所と伝えられる。
日本武尊は東国平定の折、この山の神秘な雰囲気と美しい姿に心惹かれ、
身を清め山に分け入った。
しばらく進むと突然の炎に包まれ、危い事態に陥った。
その時何処からか大きな山犬たちが現れ、荒れ狂う火を消し止め、尊を山頂に案内すると
姿を消してしまった。
尊は山犬たちが山の神の「神使」と悟られ、山を「火止山」(ほどさん)と名付けた。
また、神を祀るに相応しい所とされ、神日本磐余彦命(かんやまといわれひこのみこと、神武天皇)、
大山祇神(おおやまつみのかみ)、火産霊神(ほむすびのかみ)の3柱をお祀りした。
(案内文より抜粋)


宝登山神社奥宮の狛犬は、山犬である。


奥宮前の茶店で甘酒を買ってご機嫌のお二人。
『温かくて美味しいよっ』


宝登山山頂へ。


宝登山山頂を目指す。


蝋梅を横目に見ながら宝登山山頂へ。


12時15分、宝登山山頂(497.1m)に到着した。
山頂で記念撮影をと思っていたが、西風が強くせっかく温まった身体が冷えるため中止。
蝋梅園で撮ることにした。


秩父盆地とそれを取り囲む山々の景色
『ここからの見晴らしは最高だねっ』


秩父盆地のシンボル武甲山(1,304m)だ。


蝋梅園
『ちょうど見頃なんじゃないっ?』


『香りが素敵だよねっ』


『ほんと今日は来て良かったわねっ』


蝋梅をバックに記念撮影を済ませ、


蝋梅の花と香りを堪能し、ロープウェイ駅へ。


たった1本だけだったが、紅梅が咲いていた。


周りの梅の木は、蕾も堅そうだ。
紅梅の見頃は未だかなり先のようだ。


12時35分、ロープウェイ駅に到着。
ロープウェイに乗って下る人が数名。
『凍った雪道の下りは怖いから』とのこと。


山麓の宝登山神社で落ち合うことにして、12時42分、下山開始!


「関東ふれあいの道」を下る。


急坂で雪が積もっているため、歩き難い。


5分ほどで、上る時に通った登山道に合流した。


麓の宝登山神社を目指して下山。


可愛い子供たちも宝登山を目指している。
『滑らないように気を付けてね~っ』


『下山する時の方が滑り易いから怖いねっ』


この後、数人が滑って転倒したそうだ。
幸いけがはなかった。


砂利道になって一安心
『こんな砂利道だけど、滑り難いから安心だよねっ』


所々に雪は残っているが、雪道に比べると、
変に力が入らないので各段に歩き易い。


ロープウェイゴンドラが通り過ぎて行く。
『あのゴンドラに乗っているかもねっ』


麓の宝登山神社を目指す。


ロープウェイ乗場への分岐点を通過


宝登山神社へ


13時26分、宝登山神社の鳥居に到着した。
ロープウェイで下りた3名と合流し、宝登山神社へ。


石段を上り・・・


13時30分、宝登山神社に到着
『凄く立派な建物だわね~っ』


この日3度目の記念撮影だ。


めいめい参拝を済ませ、バスの待つ長瀞方面へ。


長瀞方面への参道を進む。


長瀞方面へ
『さすがにお腹が空いちゃったねぇ』
時計は13時45分を過ぎていた。


国道140号の大鳥居を潜り、


13時53分、バスに到着


何はともあれ、昼食タイムだ。


昼食タイム


弁当は、おにぎり2個と


野菜たっぷりのおかずである。
お腹が空いていたのも手伝って、美味しかった。


帰りは、道の駅「はなぞの」で少し長めの休憩時間を取って、


土産物選びに余念がない。


『何にしようかしらっ 迷っちゃうわねっ』


15時44分、関越道に乗り、


鶴ヶ島JCTから圏央道へ。


16時19分、菖蒲PAで最後の休憩を摂り、圏央道つくば牛久ICへ。


この日の思い出を胸に帰路に就いた。


筑波山が見えて来た。
『ただいま~っ』


つくば牛久ICが近くなる頃には日も暮れなずんできたが・・・


後部座席はいつものように盛り上がっていた。


17時19分、牛久つくばICを通過し、
17時33分、最初の寄着地、三中公民館に到着した。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

4日前の大雪の影響で、当初の「長瀞アルプスから宝登山」のコースは断念したが、
長瀞岩畳からの宝登山登山は、多少の雪は残っていたものの、登山道は
比較的楽だった。
宝登山山頂の満開の蝋梅の花と香りを堪能し、楽しい一日を過ごせたと思う。
バスの中での昼食弁当もまた乙なものであった。

今回歩けなかった”長瀞アルプス”だったが、別の季節に企画してみようと思う。

この日の万歩計は、17,000歩を超えていた。

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特選街道を歩くⅡ 第一回 中山道(蕨宿~大宮宿)

2018年01月21日 | ウマさんの「旧街道(特選)」を歩く
2018年1月21日(日)

2015年(平成27年)1月から翌(2016年)4月にかけて、旧街道(特選12コース)を歩いたが、
仲間から『是非続けて欲しい』との声があり、今年(2018年)は「旧街道を歩くⅡ」
として、新たな”街道歩き”を始めることにした。

「旧街道を歩くⅡ」第一回目は、中山道の蕨宿~大宮宿間(約11Km)を歩いた。

荒川沖6時37分発の電車に乗車。


いつものメンバー、話も弾む。
この日の参加者は、自身も入れて7名である。


上野から京浜東北線に乗り換え、8時20分、蕨駅に到着


8時24分、蕨駅前を出発!


最初に立寄ったのは和楽備神社
この日の無事・安全を祈願して行くことにした。
和楽備神社は、社伝によると、室町時代に蕨を所領とした足利将軍家の一族、
渋川氏が蕨城築城の折、八幡神を祀ったのが最初とされる。


江戸時代には蕨八幡と呼ばれ、明治44年に町内18社を合祀して和楽備神社と改称した。
合祀後の神社名に、祭神名(八幡神)を取ることは、各集落とも承服しない状況であり、
蕨一字では尊厳味がないので、岡田健次郎元町長の知人本居豊穎に依頼し、
万葉仮名から取って、和樂備神社と命名した、とのこと。
和楽備神社拝殿に参拝!


和楽備神社を後にし、旧中山道へ。


8時48分、蕨市役所前を通過


旧中山道(中山道蕨宿本陣跡交差点)に到着。
前回(2016年2月28日(日))、ここまで歩いているので何となく見覚えがある。


中山道武州蕨宿 板橋宿二里十町と刻まれた道標が。


反対側には、浦和宿一里十四町とある。
浦和までおよそ5.5Kmほどだ。


中山道(国道17号)を浦和方面へ。


400mほど進むと、「中山道ふれあい広場」があった。


蕨宿の浦和宿側の出入口である蕨宿上方木戸跡があった場所である。
(写真は、旧中山道蕨宿方面)


旧中山道との合流点は蔵造りの交番になっており、
交番の裏に「中山道ふれあい広場」がある形になっている。


「中山道ふれあい広場」の壁には大名行列などが描かれている。


旧中山道は、交番前の錦町三交差点を横断し、真っ直ぐに進む。
右は中山道(国道17号)になる。


旧中山道沿いには古い建物を見ることが出来、昔を偲ぶことができる。


旧中山道を進む。


長久山宝蔵寺という寺があった。


日蓮宗の寺院である。


宝蔵寺の少し先に中山道蕨宿一六橋と書かれた木柱があった。
一六用水に架かる一六橋のいわれ(説明の立札)
この橋は、見沼用水の分流、通称一六用水に架かっており、一六橋と名付けられた。
「一六」という名称は、南北朝時代~戦国時代(十四世紀~十六世紀)に、
この辺りで一と六の付く日に、「市」が開かれたことによると伝えられている。
江戸時代にはすでに一六橋の名が見えており、明治初年に書き上げられた
「武蔵国 郡村誌」には、長さ五尺(約151.5cm)、巾五尺の石造りと記されている。
平成24年3月吉日 一六会


一六橋の直ぐ先に中山道蕨宿一番地と書かれた木柱が。
境橋のいわれ(説明の立札)
この橋は、蕨宿と辻村との境を流れる見沼用水分流の笹目用水に架かっており、
そこから境橋と名付けられた。
江戸時代の中ごろまでは木製であったが、寛政九年(1797)に
蕨宿の池上氏が中心となり石製の橋を完成させた。
明治初年に書き上げられた「武蔵国 郡村誌」には、
長さ一間半(約2.7m)、巾二間半(約4.5m)の石造りと記されている。
平成24年3月吉日 一六会


9時33分、外環道手前の辻の一里塚跡に到着
日本橋から数えて5番目の一里塚だが、現在は碑が残るのみ。


一里塚碑の隣に、弁財天が祀られている。


弁財天の説明には、次のように記されている。
昔、この辻地区は湿地が多く、村人達は大変難儀をした。
この水難を守る為、水の神弁財天を安置し、地区の守り神とすると共に、
中山道を旅する人々の安泰を願った。
由来伝記の為、有志相計り保存会を結成し、
祠を再建して、ふる里の道しるべとする。


外環道を潜り、少し進むと、


小さな神社があった。
熊野神社である。


”おくまんさま”といわれ、辻の鎮守として地域の人々から信仰を集めている。


旧中山道を進む。


焼米坂
本名は浦和坂だが、江戸時代、新名物焼き米の看板を掲げ、
中山道を通る旅人に炒った米を売る茶店が数件あり、
この焼米坂の名が定着した。


焼米坂
江戸時代には旅人にとっては難所であったというが、
実際にはそれほどの坂には感じられなかった。


焼米坂に隣接して南浦和小学校がある。
焼米坂と南浦和小学校の真下をJR武蔵野線が走っているのだ。


旧中山道を進む。


旧中山道を進む。


旧中山道を進む。


神社らしき木立が見えた。
10時21分、ここで少し休憩していこう。


立寄った所は調神社(つきじんじゃ)だった。
調神社は、およそ1800年前に創建されたとされる。
調とは、古代の税「租庸調」の調(貢ぎ物)で、武蔵国の調がここに集められた。
伊勢神宮へ納める貢物の初穂を納めた倉庫群の中に鎮座していたと伝わっている。


調神社は、鳥居の無い神社として有名。
調が音韻で「つき」となることから月待信仰と結びついたため、
神社の守護は狛犬ではなく兎になっている。


御手洗の水は、水の神様である龍神様から戴き、身を清めるといった意味があるが、
この調神社では、龍ではなく兎になっている。


調神社の境内で一休み。
各自が持参した茶菓子を配り合うのがこのグループの習わしになっているが、
一度では食べ切れない量である。
半分持ち帰ってかみさんに上げることにしよう。


調神社を過ぎると浦和宿だ。


両側をビルに挟まれた旧い家(文壽堂原田表具店)を見るとエールを送りたくなる。
『いつまでも頑張って!』


文壽堂の向い側の青山茶舗で浦和宿Map(100円)が売られていたので買った。
(この後、浦和宿Mapを手に歩いたが、かなり役に立った)


右手に浦和駅を見て、


県庁通りを横断する。


門前通り
細い通りの奥に真言宗豊山派の王蔵院が見える。


奈良漬の老舗酒井甚四郎商店前を通過


うらわ美術館とパインズホテル


石臼を椅子代わりに利用している。
ここで、KKさんが浦和宿Map上に本陣跡があるのを見つけた。
少し戻ることになるが、行ってみよう。


石臼のイスから、すぐの所に仲町公園という小さな公園があり、
その入口に浦和宿本陣跡の説明があった。
説明によると、浦和宿は、本陣一軒、脇本陣三軒、旅籠十五軒、商家二百軒余りがあり、
本陣は、代々星野権兵衛が勤めていた。
加賀前田家や皇女和宮が浦和宿で休憩したということが伝えられている。


仲町公園内の浦和宿本陣跡には、本陣跡説明板と明治天皇行在所跡碑が建てられている。


常盤公園への入口に野菜を売る農婦の像があった。


農婦の像の横に、二七の”市場通り”の説明が。
この通りの北側にある慈恵稲荷の社頭で、戦国時代以来、
昭和の初めまで毎月二・七の日に市が開かれた。
そこでは、農産物や各種生活必需品が取引された。
現在もその名残として市神様と市場定杭がある。


昭和55年、当時を偲んでこの通りに”市場通り”の愛称が付けられた。


慈恵稲荷神社
マンション群の間にひっそりと建っている。


参道に、二七の市場の跡碑が残されている。
江戸時代、十返舎一九は「代ものを 積重ねしは 商人の おもてうらわの 宿の賑い」
と詠み、浦和の市の賑いを表現している。
周辺では、蕨「一・六の市」、鳩ヶ谷「三・八の市」、与野「四・九の市」、
大宮「五・十の市」で市が設けられており、毎日どこかで市が開かれていたことになる。


慈恵稲荷神社
浦和宿上町の人々が祀った稲荷社で、二・七の日には鳥居を中心に
南北二町の範囲で市が立った。


国道463号を潜り、


JRの線路を跨ぐと、


右手の浦和橋の袂に笹岡稲荷神社の幟と赤い鳥居が見えた。
道路の反対側を歩いていたため、神社には立寄ることが出来なかった。
近くには、日本橋から6里目の一里塚があった、そうだ。


北浦和の市街地に入る。


浦和と言えばJ1浦和レッズの本拠地で有名である。


北浦和駅近くの通りに選手の手形や足型が並べられていた。


11時54分、北浦和駅前を通過


廓信寺(かくしんじ
サツマイモの女王といわれた紅赤発祥の地の碑がある。


参道を進むと六地蔵が迎えてくれる。


廓信寺の仁王門を潜る。
江戸後期の建立とのこと。


仁王門の金剛力士像(吽像)


山門を潜って境内へ。


境内には聖観世音菩薩像や法然上人像が建立されている。


廓信寺本堂
鎌倉期の木造阿弥陀如来坐像が安置されている。


秩父宮妃殿下御成お手植えの紅梅が咲いていた。


浦和市指定天然記念物のカヤの木
樹高16.5m、目通り幹周り2.46mの雄株で、枝下8mの直幹と
大きな樹冠から自然に垂れ下がる枝が、大樹の趣を見せている。
樹齢は、約300年と推定される。
平成8年11月(浦和市教育委員会、廓信寺)


12時16分、廓信寺を後にする


旧中山道を進んで行くと、


一本杉の仇討ち跡の説明板があった。
この地は、中山道界隈で「一本杉の仇討ち」として語り継がれた事件のあった場所。
この事件は万延元年(1860)常陸国鹿島津の官沖の船中で、水戸藩士宮本佐一郎と
讃岐丸亀藩の浪人である河西祐之助が口論のすえ、斬り合いとなり、
宮本佐一郎が命を落としたことに端を発する。


河西はこの斬り合いで負傷しているところを、同じ年に起こった
大老井伊直弼が桜田門外で襲撃された事件の逃亡者と疑われ、吟味を受けた。
そのため、居所が宮本佐一郎の息子である宮本鹿太郎の知るところとなった。
鹿太郎は4年後の文久四年1月23日(1864年3月1日)に、西野里之進、西野孝太郎、
武藤道之助の3人の後見人と共に、仏門に入ろうと不動岡総願時から江戸に向かう河西を、
針ヶ谷村の一本杉で待ち伏せ、みごとに父の仇を討って本懐を遂げたと伝えられている。


その後、一行は針ヶ谷村名主の弥市方へ引き取られ、1月27日に浦和宿にて
幕府の取り調べが行われた後、小石川の水戸藩邸へ引き渡された。
事件は幕府最後の仇討ちとして、刷り物・はやり歌などで中山道界隈に広まり
語り継がれていった。
かつて、一本杉は樹齢約18m、周囲約3mと云われ、松並木の中で一際秀でた大樹だった
また、河西祐之助は観音寺(廃寺)に葬られたが、現在は北浦和にある廓信寺で
供養されているという。


旧中山道与野駅辺り。
時計は12時40分を過ぎており、お腹も空いてきた。
ファストフード店でもと思ったが、それらしき店がなかなか見つからない。


県道159号の下を潜って100mほど進むと・・・


ファミレスRoyal Hostがあった。


近くに他に店が無さそうなので、Royal Hostで昼食を摂ることにした。


豚肉と野菜の甘酢あん(税込1,166円)を注文。
お腹が空いていたこともあり、美味しかった。


大宮の氷川神社を目指す。


さいたま新都心駅周辺の高層ビル群が見えて来た。


”お女郎地蔵と火の玉不動”は、さいたま新都心駅前の県道164号の反対側にあった。
もう少しで見落とすところだった。


お女郎地蔵(右)
大宮宿に柳屋という旅籠があり、千鳥と都鳥という街道筋でも評判の姉妹が
旅人の相手をしていた。
やがて、宿の材木屋の若旦那と千鳥が恋仲となり、末は夫婦にと堅い約束。
そこに割って入ったのが悪名高い神道徳次郎という大盗賊。
何が何でも千鳥を身請けするとせまり、ついに宿に火をつけると凄む始末。
これを知った千鳥は、思い余って高台橋から身を投げてしまった…。
哀れに思った町の者が、女郎地蔵を建立したという。


火の玉不動(左)
高台橋のあたりを毎夜火の玉が飛ぶので、ある男が火の玉に斬りつけてみると、
キャっと声がして火の玉が消え、暗がりにいた不動明王と名乗る男が、
「剣を斬り落とされた」と言い残して姿を消した。
高台橋に行き不動の姿を確かめると剣を持っていなかった・・・。
以来火の玉不動と呼ばれるようになった。


北袋町と吉敷町の境を流れる鴻沼(高沼)用水に架かる橋が高台橋で、
中山道の東側は暗渠になり、橋であることに気が付かない、とある。
この下を鴻沼(こうぬま)用水が流れていることになる。


13時54分、さいたま新都心駅を通過


コクーンシティの景観や


さいたま新都心駅周辺の高層ビル群などをキョロキョロ見回しながら進むと・・・


氷川神社一の鳥居が見えた。


武蔵国一之宮碑
氷川神社は武蔵国の一之宮であり、大宮の地名の由来大いなる宮居ともなっている神社。
2000年以上の歴史があるともいわれ、各地に点在する氷川神社の本拠を成す存在である。


氷川神社参道入口
古く中山道は、一部この参道を通っていたが、不敬であるということで、
江戸初期に新たな道が開削された。


是より宮まで十八丁(約2Km)とある。
長い参道には、ケヤキを始めとした高木が600本以上植えられている、とのこと。
ここから宮までどのくらい時間がかかるのか計ってみよう。
14時3分、スタート


宮を目指して歩き出して100mほどで、一丁の石柱が現れた。
この先、十八丁まで続くのだ。


氷川神社参道を進む。
車は一方通行となっている。


14時15分、八丁を通過


氷川神社参道を進む。


十三丁を通過


14時27分、二の鳥居を通過


二の鳥居から先は、参道は人だけになり、広いので歩き易い。


名代氷川だんご
人気のだんご(みたらし)は2本200円、甘酒250円。
酒まんじゅうをその場で揚げてもらう揚げまんじゅう(2個200円)がお薦め、とのこと。
店の前には行列が出来ていた。


十七丁を通過
残りはあと一丁だ。


14時32分、十八丁に到着
一の鳥居をスタートして2Kmをおよそ30分、時速4Kmということになる。
しかし、氷川神社の本殿はまだ先だった。


十八丁の先には、露店が続いていた。


露店に続いて、三の鳥居を潜ると、


右手に神楽殿


その左隣には額殿が建っている。


左手には戦艦武蔵の碑や


酒造、水の神様の松尾神社が見える。


神池に架かる赤い橋を渡ると、ようやく氷川神社の楼門が見えてきた。


氷川神社の楼門を潜り、神社内へ。


舞殿の先に拝殿がある。


14時38分、拝殿前に到着した。
日曜日とあってか大勢の人が参拝していた。


我々もこの日の旅の無事を感謝して参拝!


拝殿の中は、大勢の人がお祓いをしてもらうために整列していた。


氷川神社への参拝を終えたことから、大宮駅へ向かうことにした。
再び楼門を潜り、


参道へ。


神池の橋を渡り、三の鳥居を潜り、露店の間を抜け、


今度は、逆方向に参道を歩く。


大宮駅を目指す。


二の鳥居で氷川神社の参道を離れ、大宮駅方面へ。


駅近くの商店街を通り、


駅前の細い”焼肉街”を通り抜け、


15時18分、この日のゴール大宮駅に到着した。


「旧街道を歩くⅡ」第一回目 中山道(蕨宿~大宮宿)を歩き終えた。
距離はさほどないと思っていたが、中山道に因む名所旧跡に立ち寄ったため、
万歩計は27,000歩を越えていた。
氷川神社から大宮駅への帰りは、ふくらはぎがパンパンに張って正直疲れた。

次回(2018年2月)は、東海道(興津宿~由比宿~蒲原宿)を予定している。
颯田峠から富士山の絶景を観ることができれば最高なのだが・・・

ウマさんの「旧街道(特選)を歩く」目次に戻る。

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狐に抓まれた? 牛久自然観察の森から女化神社へ

2018年01月19日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2018年1月19日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29度第29回(2018年第2回)、「牛久自然観察の森から女化神社」ウォーキングに参加した。
2018年第一回目の「谷中七福神巡り」(1月12日実施)は、
都合により参加出来なかったため、自分にとっては今年初の例会参加である。
この日のコースは、平成22年(2010年)11月26日(金)に歩いているので、
実に7年ぶりだ。

第一集合場所の乙戸沼公園に集まったのは、10名。
『いやぁ 近場にしちゃぁ 少ないねぇ』
”出足が今一つ この状況だと現地(牛久自然観察の森)直行者は10名程だろうか”
とこの時そう思った。
9時ちょうど、車3台に分乗し、第二集合場所の「牛久自然観察の森」へ向かった。


定刻の9時45分、「牛久自然観察の森」へ到着すると、
既に多くの会員が直行していた。その数なんと19名。
乙戸沼公園のほぼ倍の人数である。
合計29名の参加者は当初の予想を大きく上回る結果となった。
周知事項の説明に続いて、NGさんの掛け声により、準備体操だ。


『足首を回して~っ』


『最後に深呼吸~っ』


この日は、”弁当なし”のため、12時半頃までには戻って来たい。
体制を整える間もなく、9時53分、出発だ!


とりあえず「牛久自然観察の森」の中を一回りしよう。


”みどりの保全区”に植栽されているまだ硬い蕾の梅林を進んで行くと、


1本だけ花が咲いた梅の木があった。
『あら~っ もう梅が咲いてるんだぁ』
顔を近づけると、ほんのりと梅の香りがした。
『良い香り~っ』


梅林を抜けて、森の中へ。


鬱蒼と杉の大木が立ち並ぶ森の中を進む。


『森の中はちょっと寒いわねっ』
(”ヒグラシの林”辺り)


”コムラサキの丘”に生き物の観察所があった。
トンボや蝶の仲間や小鳥を観察できるとあるが・・・
『何にも見えないねっ』
この時期、生き物の姿を観るのは難しい。


森の中を進むと、昔ながらの人里の風景が再現された”ノウサギの丘”に出た。


”ノウサギの丘”に建つ農家風の観察舎。
庭先には、実の生る木が植えられ、畑では季節の野菜も栽培されている。
ここでは、木の実や野菜を食べにやってくる様々な生き物たちを観察できる。


縁側でのんびり日向ぼっこ
『気持ちいいわね~っ』


観察舎を後にして、さらに森の奥へ。


小さな流れを跨ぐ丸太の橋を渡り、


雑木林を抜けると、林道に出た。


林道の突き当りにビートルズトレイルの案内看板があった。
ビートルズトレイルは、約3.3Kmの自然観察路で「自然観察の森」の近くを流れる
小野川の自然や、それに沿って広がる田や畑、人家を囲む屋敷林などの様子が
見られます。(以下略)


ビートルズトレイルを進む。


ここでようやく先頭を務めるNGさんに追い着いた。


ビートルズトレイルは、小野川へ向かい、


小野川に沿って進む。


この日の予想最高気温は11度。 風もなく陽を浴びると、暖かい。
小野川の流れも緩んでいるように見える。


先頭を行く3人の後を追っかけていると、身体が熱くなって来た。


10時27分、小野川の土手で一休みしよう。
『いやぁ 思った以上に温かいねぇ』
『汗かいちゃった』


一息入れて、再び小野川沿いにビートルズトレイルを進む。


小野川に架かる豊年橋の所で右折し、ビートルズトレイル分岐点を通過。
『ここ行くとビートルズトレイルの出発点に戻るみたいだねっ』


上太田の住宅地を進む。


上太田地区を走るコミュニティバス
『ほとんど客が乗ってないねぇ』


上太田地区の住宅地を抜けると、田園風景が広がっていた。


谷津田の森に沿った径へ。


左手に田んぼを見ながら進む。


男性陣最年長のTB(84)さん。
今年も元気で何よりだ。


道路下を潜り、


道路の反対側へ。
『この道路を進むのかしらっ?』


潜った道路を自然観察の森方面へ。


10時54分、牛久市総合福祉センター「ふくしの森」前を通過。
総合福祉センター敷地内には「ふくしの森」があり、自然林を生かしたなかに
散策路などのリハビリコースが整備されている、そうだ。
「ふくしの森」は、市外の人でも無料だが、「福祉センター」(入浴・休憩等)は、
市内在住で満60歳以上は無料、市外の人は、520円で利用できる、とのこと。


この道は特に名称のある道路ではないが、とにかく交通量が多い。
大型トラックなどが頻繁に走り抜ける。


歩道が整備されていないので、危険を感じる。


11時3分、農道へ退避して、一息入れているところ。
『ところで今どの辺を歩いているんだろうねっ?』
2010年11月26日(金)以来なので、その時歩いた道は
すっかり忘れてしまっている。
この近くを歩いた筈なのだが、想い出せない。


NTさんのスマホ地図を頼りに女化神社を目指すことにした。
『こっちの方角で間違いないですよっ』の一言が何とも心強い。


のどかな風景に囲まれた径を進むと・・・


墓地があった。
「女化久遠墓地」とある。
けっこう大きな墓地だが、初めての場所である。


「女化久遠墓地」を過ぎてさらに道なりに進むと・・・


紅白の鳥居が見えて来た。
何となく見覚えのある鳥居である。
『もしかして女化神社の奥の院っ?』


果して女化神社奥の院の鳥居だった。
女化神社の前に先に奥の院に着いてしまったのである。
どこでどう道を間違えてしまったのか、まるで狐につままれたような気分である。


奥の院には、女化神社の帰りに立ち寄ることにしていたので、
せっかくだから、参拝していくことにしよう。
紅白の鳥居を潜り、参道の先の薄暗い林の中に、小さな狐の像と祠が祀られていた。
女化神社奥の院に間違いない。
半ば半信半疑だったが、疑念は完全に払拭された。


石柱には、天照皇大神宮、大己貴尊と刻まれていた。
本尊は神社本殿にあるとのこと。


奥の院に参拝を済ませ、奥の院を後にする。


奥の院の鳥居を潜り、


女化神社へ。


指定介護老人福祉施設「博慈園」の前を通過すると、


女化神社の裏の道に突き当たった。


裏手の鳥居を潜ると、


11時29分、女化神社の社殿の前に出た。


女化神社
龍ケ崎市にある神社だが、社地は牛久市女化町内の飛地になっている。
創建は室町時代の永正六年(1509年)で、通称は女化稲荷神社。
古名は稲荷大明神、女化稲荷社、保食神社、一葉稲荷など。


女化神社に参拝を済ませ、後にしようとしていると、
女性陣が何かに見惚れているようだが・・・


お宮参りの赤ちゃんだ。
昨年12月16日に生まれたそうで、まだ生後1ヶ月足らずの赤ちゃんだった。
『可愛いわね~っ』
『お父さん似かしらっ』


『可愛いかったわね~っ』


11時44分、女化神社を後にして、県道48号を行く先行グループの後を追う。


前方に落花生の「いしじま」が見えて来た。


落花生「いしじま」の蕎麦茶房「楽花亭」前を通過。


巨大な落花生のモニュメントは、「いしじま」のシンボルだ。


11時59分、ラーメン店「大勝軒」前を通過


「大勝軒」を50mほど過ぎたところを斜め右の農道へ。


農道を進む。


農道脇の檜の並木が県道48号の喧騒を忘れさせてくれる。


交通量の多い道のため駆け足で横断
『気を付けてっ』


道路を横断する後続グループ
信号がないので、しっかりと両側を確認する必要がある。


12時7分、画廊(ギャラリー)「あぅん」前を通過


前方に「牛久自然観察の森」の森が見えて来た。


「牛久自然観察の森」内を進む。


ゴールの「牛久自然観察の森」駐車場は近い。
『もう直ぐだねっ』


後続のグループもあと一息でゴールだ。


12時23分、「牛久自然観察の森」駐車場に到着
目標としていた12時30分より前に到着したことになる。


『女化神社から40分で着いたことになるねっ』


整理体操(1)


整理体操(2)


自己紹介する今回2度目の参加になる今年新しく入会したSHさん。


『よろしくお願いしますっ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

自身今年初の例会「牛久自然観察の森から女化神社」ウォーキングが終わった。
7年ぶりのコースだったため、途中で道を間違えるというハプニング。
場所が場所だけに、女化神社のお稲荷さん(狐)に抓まれたのかも。
ただ、目的地にはしっかりと到着出来たので、ある意味ラッキーだった。
また、道を間違ったことにより、目標の時間内にゴール出来たのも、
ハプニングではあったが、これもラッキーだった、と思う。

今年も始まったばかりだが、これから先どんなハプニングが待っているのやら・・・

この日の万歩計は、14,000歩を少し超えていた。

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