ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

旧甲州街道を歩く 第三回 高井戸宿から府中宿へ

2016年06月26日 | ウマさんの「旧甲州街道」を歩く
2016年6月26日(日)

今年(2016年)の4月で「特選街道を歩く」が終わったことを受けて、仲間の皆さんから
『今度はどこを歩くの?』という声が上がり、甲州街道を歩くことにした。
日本橋から内藤新宿までは、「特選街道を歩く」第二回目(2015年2月22日)で歩いているので、
内藤新宿から信州の下諏訪宿までを予定している。

「甲州街道を歩く」第三回目は、高井戸宿(京王線仙川駅)から府中宿(京王線府中駅)
までの約10Kmを歩いた。
なお、甲州道中としては、『深大寺の蕎麦を食べることは外せないだろう』という声が
多数を占めたことから、途中約5Kmほど余分に歩くことになった。

京王線新宿駅
8時19分発の電車に乗り込む。


この日の参加者は、9名である。
Mさんは久しぶりの参加だ。


8時45分、この日の出発地仙川駅に到着


駅前の地図で甲州街道への道を確認し、


8時47分、仙川駅を出発!


甲州街道(国道20号)だ。
『今日も良い天気だねっ』


仙川一里塚
甲州街道5番目の一里塚だ。
仙川駅入口のコンビニの前に、小さな碑が建っているだけである。


仙川駅入口交差点から500mほど行くと甲州街道は2つに分かれている。
細い道なので見過ごし易い。


その分岐点に瀧坂旧道の道標があった。前回見落とした所だ。
(草に覆われて見え難かったので、手で草を除けてもらって撮影した)
前面に瀧坂旧道、側面に馬宿川口屋と刻まれている。


瀧坂旧道の道標から数十m先の道端に薬師如来像が鎮座していた。
『前回ここを通らなかったから、見つからなかったんだぁ』


瀧坂旧道をさらに200mほど進むと、


再び甲州街道(国道20号)と合流した。


甲州街道沿いの中仙川遊歩道を抜けると、


金子の大銀杏がある。
稲荷社前の一対の銀杏は、目通り幹囲4.09mと1.97mで太いほうが雄木、
細いほうの雌木が実をつける。
ここは、私有地なので、傍まで行って見れないのが残念。


前回参加出来なかった2名のため、あらためて金龍寺へ参拝することにした。


金龍寺山門
真っ赤な山門を潜ると、


境内には、ひときわ目を引く閻魔像が鎮座しているほか、


十八羅漢の像があちこちに置かれている。


金龍寺の創立は、建永元年(1206)の古刹である。


金龍寺へのお参りを早々に済ませ、再び甲州街道へ戻り、


次の目的地、常性寺を目指す。


9時35分、野川に架かる馬橋を渡る。
後ろに見えているのは調布警察署


野川は、東京都を流れる多摩川水系多摩川の支流である。


9時38分、野川を渡った道端の木陰で、一息入れる。


旧甲州街道は、調布警察署の先で国道20号と分岐している。


旧甲州街道に入った辺りは、両側に歩行者用グリ-ン帯があったが・・・


いつの間にか歩行者用グリ-ン帯はなくなり、代わりに歩道になった。


道端にお堂があり、中には石像らしきものが刻まれた碑が建っていた。
相当な年月が経っているためか、何が刻まれているのか判断できなかった。


古い形の家
これまでの旧甲州街道では珍しく古い家である。


”映画のまち調布”の幟が目立って増えてきた。
現在、調布市内には、日活調布撮影所・角川大映スタジオをはじめ、高津装飾美術㈱・東映ラボテック㈱・
東京現像所など数多くの映画映像関連企業が集まっている、とのこと。
昭和30年代の日本映画全盛期は、大映・日活に加え独立プロダクション系の調布映画撮影所の3か所で、
映画が制作されるという活況を呈し、調布は「東洋のハリウッド」に例えられた、そうだ。


10時1分、圓福寺に到着


圓福寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で、正式名称は本誓山無量寿院園福寺と称する。


境内には百年記念の碑や地蔵がある。


10時12分、常性寺に到着
常性寺は、正式には「医王山長楽院常性寺」と称し、鎌倉時代に創建された由緒ある寺院で、
不動堂には、成田山不動尊を勧請した不動明王が祀られている。


本堂には、薬師如来座像が安置されている。


「吾(われ)唯(ただ)足(た)るを知る」と読む。
自分の身分をわきまえて、むさぼりの心を起こさぬこと、という意味だ。


小橋馬頭観音塔
境内にある馬頭観音は近隣の馬主が協力して、文政七年(1824)馬の供養に建立したもの。


一願地蔵堂
お参りの際、一度に沢山のお願い事をするのではなく、願いは一つだけ。
そういうところから一願地蔵と呼ばれている。
堂内には、お地蔵さまがずらりと並んで安置されている。
壮観である。


10時19分、常性寺を後にして深大寺を目指す。
『美味い蕎麦を食べたいねっ』


国道20号(現甲州街道)を横断し、


10時33分、野川に架かる榎橋を渡る。


『この木は変わってるねぇ』
コンクリートの塀にぴったりと纏わりついているこの木はツツジだろうか?


中央高速道が見えてきた。


10時44分、中央高速道下を通過すると、


深大寺東参道があった。


深大寺東参道を進む。


深大寺界隈は週末ともなれば、寺をとりまく自然や、名物の深大寺蕎麦に惹かれ、
家族連れ、老若男女で大いに賑わいをみせる。
話し声から、中国語らしき声があちこちから聞こえてくる。
『へぇ~っ こんな所にも中国人が来るんだぁ』 と感心しきり。


深大寺界隈には、蕎麦屋が多い。
この日は日曜日のためか、11時前にも関わらずどの店もたくさんのお客が入っていた。
我々も早くお参りを済ませて蕎麦を食べに行こう。


元禄八年(1695)の普請で境内最古の建物と云われる深大寺山門を潜り、


深大寺本堂に参拝
ご本尊は、宝冠阿弥陀如来像である。


続いて、深大寺における厄除け信仰の中心と云われる、元三大師堂へお参り。
賓頭盧(びんずる)尊者像が祀られていた。
賓頭盧尊者は、お釈迦さまの弟子の十六羅漢の筆頭で、「おびんずるさん」と親しまれており、
病人が患部と同じところを撫でると病気が治る、と云われている。


深大寺釈迦堂に奉安の銅造釈迦如来倚像は、国の重要文化財に指定されている。
東日本一の白鳳仏であり、七世紀頃に奈良で造られたという。


お参りも済んだことだし、近くに蕎麦屋「一休庵」があったので、入ることにした。
店内はまだそれほど混んではいなかった。


MさんとOさんは『かんぱ~いっ』
まだ行程の半分以上も残っているので、歩き終わってからにしよう。
ここは、ぐっと我慢。


江戸時代、深大寺の北の台地は米の生産に向かないため、小作人はそばを作り、
米の代りにそば粉を寺に納め、寺ではそばを打って来客をもてなしたのが、
深大寺そばの始まりと伝えられている。


ざる蕎麦(800円)は細麺で美味しかった。


ざる蕎麦だけではちょっと物足りない感じだったので、そば饅頭(120円)を買った。
甘さ控えめの餡が美味しかった。


水車館(無料)があったので入ってみた。


水車小屋内部


水車館の中には石臼や昔の農機具などが陳列されていた。
『昔使ったことがあるよっ 懐かしいわね~っ』
我々の年代なら大方の人は見覚えのある農機具だ。


間もなく12時、行列が出来る蕎麦屋も・・・


武蔵境通りを旧甲州街道へ向かう。


御塔坂橋(おとさかばし)から野川を覗き込む。


『何かいるのっ?』
覗いて見たが、魚などは見えなかった。


12時5分、中央高速道下を通過


旧甲州街道を目指す。


12時20分、再び旧甲州街道に戻った。
常性寺から深大寺を目指してちょうど2時間が経過していた。


臨済宗建長寺派の寺院、金剛山源正禅寺を通過


12時35分、近藤勇と関わりが深いと云われる西光寺に到着。


山門の脇に新選組局長近藤勇の像が建立されていた。
調布市「近藤勇と新選組の会」は、近藤勇没後130年を記念し、近藤勇座像建立委員会を設け、
近藤勇に関わる史実と史跡を末永く伝えるとともに、調布市の観光事業の一助になることを願い
甲陽鎮撫隊所縁の地、西光寺に座像を建立することとした。(近藤勇座像建立委員会)


西光寺仁王門の仁王像(吽像)


本堂は修理中だった。


Oさんから『うちで採れたやつだけど』 とびわの差し入れが。


西光寺の境内で一休み。


仁王門に腰を下して食べたびわは格別だったようだ。
『このびわ甘くて美味しかったぁ』 『ごちそうさま~っ』


12時56分、西光寺を後にする。


中央高速道下を通過すると、


飛田給駅入口交差点を過ぎて直ぐのところに薬師堂があった。
堂内には、飛田給石造瑠璃光薬師如来像が安置されている。
この石仏は、「飛田の原の石薬師」と言われ、庶民信仰の対象となっている。
江戸時代初期、貞享年間(1684~87)に元仙台藩士の松前意仙により造立された。
像身は140Cmの立像で、市の有形民俗文化財に指定されている。
(調布市教育委員会)


境内の隅には石仏類が集められて置かれていた。


府中宿を目指す。


13時14分、府中市に入った。
大化の改新後の律令時代に武蔵国の国府が置かれ、この地方の中心地であるところから、
府中と名付けられた所である。


13時21分、観音院に到着


観音院の門の左横に馬頭観世音が建立されていた。


門の右横には石仏群が安置されていた。


天台宗寺院の観音院は、神明山金剛寺と号する。
本尊は、正観音で、多摩川三十三観音霊場の21番札所となっている。


観音院の門の脇に「下染屋」地名の由来碑があった。
それによると、「下染屋集落は、もともと多摩川のほとりにあったが、度重なる洪水を避けて、
現在の甲州街道沿いの白糸台三丁目辺りに移ってきたと云われている。
地名の起こりは、俗説として調布(てづくりぬの)を染めた所とか、
鎌倉時代に染殿のあった所とかいわれ、染屋の名は南北朝時代の資料にも見えている。
古くは染屋という一つの村落だったものが、その後、上染屋と下染屋の集落に分かれたもので、
寛永十二年(1635)の検地帳には下染屋の名が記録されている」とある。


西武多摩川線の線路を渡る。


13路40分、染屋不動尊に到着


本尊の「金銅阿弥陀如来像」は国指定重要文化財になっている。
新田義貞が鎌倉攻めの時に、陣中の守仏とした、とのこと。


「上染屋」地名の由来碑
古くは染屋という一つの村落だったものが、その後、上染屋と下染屋の集落に分かれたもの。


府中大國玉神社を目指す。


13時55分、常久の碑に到着
常久は、現在の若松町1丁目の一部(旧甲州街道沿い)に集落の中心があった村落。
地名の由来は、人名によるようで、古くは常久(恒久あるいは経久とも)
という人を名主とする名田であったようである。


常久公園で一休み。


間もなく京王線府中駅だ。


京王線上り列車の通過を待って踏切を渡ると、


左側にまた別の踏切があった。
京王競馬場線だ。


競馬場線列車が直ぐ横を通り過ぎていく。
かなりの人が乗っていた。


国府八幡宮への道を確認している間に、八幡宿碑前で一休み。


八幡宿は、現在の八幡町1・2丁目の一部(旧甲州街道沿い)に集落の中心があった村落。
もともと八幡宿は、国府八幡宮の周囲に発達した村落だが、
甲州街道が開設(慶安頃1648~52年)されたのに伴って街道筋に移動した。
宿場町のような村名だが、八幡宿は農業を中心とした村落である。


八幡宿碑の直ぐ先に国府八幡宮への参道があった。


長い参道を通り、競馬場線線路を渡ると、


国府八幡宮の正門だ。


国府八幡宮
聖武天皇(724~748)の頃、一国一社の八幡宮として創建された。


国府八幡宮は、大國魂神社の末社である。
境内には杉の老木が保存樹木として残っている。
訪れる人もあまりいないようで、境内はひっそりと静まり返っていた。


目指す大國玉神社は、府中競馬場駅の先である。
競馬場線線路に沿って行けば近道になるだろう。
府中競馬場駅は、見えている。


14時36分、府中競馬正門駅に到着
ぞろぞろと人が降りてくる。


駅改札の近くに、世界に3,500頭しかいないとされる黄金の馬(アハルテケ)の像があった。


駅改札の正面が競馬場への専用通路になっている。


東京競馬場が見える。
『せっかくだから、本物のレース見てみたいわねっ』 との声が女性陣から上がったが・・・
また別の機会にしてもらおう。


大國玉神社の少し手前に京所(きょうづ)の碑があった。
京所は、現在の宮町の一部、二丁目に集落の中心があった村落。
この村落は、六所宮(大国魂神社)の社領で、八幡宿に属している。
地名の起こりは、経所(きょうしょ)が転訛したものと云われており、
ここに国府の写経所のような施設があった名残だと伝えられている、とのこと。


大国魂神社の北の鳥居を通過すると、


14時45分、大國玉神社に到着した。
大國玉神社は、武蔵国の総社で六社を合祀しており、特に格式の高い「東京五社」の一つとなっている。
「大国魂神社」とも表記される。
源頼朝が妻の安産祈願をし、また源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝祈願をするなど、由緒ある神社。


左に1回、右に1回、そしてもう1回茅の輪を潜って、


無事到着を報告・感謝して参拝を済ませた。
本殿は寛文7年(1667)の建立と伝えられている。
例大祭は、関東三大奇祭の一つである”くらやみ祭り”として有名だそうだ。


宝物殿
日本一大きい太鼓を展示中という看板に誘われ覗いてみた。
太鼓の他に神輿も見える。
都指定文化財の木造狛犬一対は鎌倉期の運慶作、とのこと。


境内では「わんぱく相撲東京都大会府中場所」の真っ最中だった。
小学生のようだが、立派な体格をしている。


土俵では、女子の部の熱戦が繰り広げられていた。


参道には何本もの幟がはためく。


わんぱく相撲の幟の反対側にはずらりと提灯が並んでいた。


こちらは盆踊りで盛り上がっている。
『6月に盆踊りかぁ これも悪くないねぇ』


大鳥居を潜って府中駅へ向かう途中、


源義家の像があった。
「八幡太郎」の名で知られる源義家が、父頼義とともに奥州で起きた乱(前九年の役1051~1062)を鎮めた。
その帰途、康平五年(1062)戦勝祈願成就の報賽として、けやきの苗1000本を大國魂神社に奉納したことが、
けやき並木のはじまりと伝えられている、とのこと。


けやき並木


『いやぁ これはなかなか素晴らしい並木だねぇ』


15時14分、この日のゴール府中駅に到着


『ビールでも飲みましょうっ』 ということで、7Fレストラン街へ。


やきとり屋のつまみメニューは16時からのため、中華料理店「白玉蘭」へ。


『かんぱ~いっ』
『お疲れさまでしたぁ』


『今日はビールが美味しいわね~』


京王線・山の手線と乗り継ぎ、上野駅から常磐線で帰路についた。
皆さん、ちょっとお疲れの様子。


『また来月が楽しみだねっ』

『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』

「旧甲州街道を歩く」第三回目(高井戸宿~府中宿)を終わった。
京王線仙川駅から、途中深大寺へお参りし、再び旧甲州街道に戻り、
府中駅まで歩くというちょっと長い距離だったが、最後まで歩くことができた。
梅雨の晴れ間にも恵まれたのは、幸いだった。
次回(7月)は、府中宿から日野宿(約8.5Km)を予定している。
今から「旧甲州街道を歩く」が楽しみである。

この日の万歩計は、26,000歩を計測していた。

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一言主神社に救われる 自然と共感する散歩道

2016年06月24日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年6月24日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28度第12回(2016年第23回)、「自然と共感する散歩道(常総)」ウォーキングに参加した。

第一集合場所の乙戸沼公園に集まったのは、17名。
車4台に分乗して「きぬ総合公園」(常総市:旧水海道市)へ。


10時5分、「きぬ総合公園」に到着。
直行した7名と合わせ、この日の参加者は24名となった。


会長の音頭で準備体操をして、


10時14分、Oさんを先頭に出発!
先ずは、一言主神社を目指す。


県道58号を菅生方面へ。


10時20分、水海道ゴルフクラブ前を通過


右手に水海道ゴルフクラブの赤松の林を見ながら進む。


坂手工業団地入口交差点角のコンビニを過ぎると、「染色村」の看板が目立つようになった。
ここは、昭和36年に東京在住の染色家有志120名が水海道(現常総市)に3万坪の土地を購入し、
「染色村」を設立し移住した場所である。


染色家有志は、古代より受け継がれてきた伝統ある染色の維持発展に努めるとともに、
伝統技術に新しい技術を取り入れながら、それぞれの工房で個性ある
着物やインテリア・小物等を創作し、現代に生きる工芸を追求している。
今も優秀な染色家が活躍している、そうだ。


そして、ここ染色村で制作された染色品を「きぬの染」と名付け、
平成18年、茨城県郷土工芸品に認定されている。


「あや絵」美術館
「あや絵」とは、染色家の川崎是空氏が考案したもので、佐賀錦裂を貼り合わせて作るオリジナルの絵画。
佐賀錦の白生地を染色し、裁断して張り合わせたもので、独特の立体感があり、
照明や見る角度により異なる表情を見せてくれる、そうだ。
川崎是空氏がこれまで培ってきた技術を後進に伝えて行くとともに、新しい分野で生かそうと
「あや絵」を考案したそうだ。
土曜日・日曜日(10:00~16:00)のみ開館とのこと。
一度かみさんを誘って訪れてみたいものである。


「染色村」の少し先の中華料理店を過ぎ、


県道58号を横断し、


水海道ゴルフクラブに沿った細い道を進む。


この日の予想最高気温は26℃、日差しがないのでそれほど暑くはないが、風が全く吹かない。
湿度も高いので蒸し暑い。
『もうちょっと風があると良いんだけどなぁ』


水海道ゴルフクラブを過ぎ、田んぼに囲まれた道を進む。


菅生沼へ流れる東仁連川を渡る。


民家がポツンポツンと建っている。
隣りの家とはかなり離れている。
『夜は寂しいんじゃないかなぁ』


『お隣さんとあまり離れててもねぇ』
なんて話していたのかどうか・・・


県道252号を横断。
目指す一言主神社まであと700mほどだ。


寺かそれとも特別な家なのかと思ったが、普通の民家のようだ。
『凄い立派な門だよなぁ』


10時59分、一言主神社まであと少しだが、「きぬ総合公園」を出発して45分以上経過している。
ここらで水分を補給していこう。


ハーブハーモニーガーデン
ハーブ園を見るには夏場は300円、冬場は200円必要らしい。
広い駐車場は、ガラガラに空いていた。


11時6分、一言主神社へ。


一言主神社の白い石の鳥居が見えてきた。


11時11分、三竹山(ミタケサン)一言主神社に到着


御手洗所で手を洗い清めて、


茅の輪の潜り方
①左足から潜り左回り、②右足から潜り右回り、③左足から潜り左回り、
④左足から潜り 正面の拝殿へ参拝。


正面の拝殿へ参拝。


「一言願わば、良き事につけ、良からぬ事(心配事、病気、災難等)につけ、
良く聞き分けて御利益を授けてくれる神」と云われ、“万能神”としての信仰を
広く集めている、そうだ。


一言主神社
拝殿は一般の寄進により、慶応三年(1867年)に竣工された。
本殿は、昭和59年(1984年)市指定文化財に認定されている。
本殿の造りは一間社流造で、屋根は桧皮葺風の銅板葺。身舎外壁の左右に「鳳凰と牡丹」、
後側に「鶴と牡丹」の彫物、脇障子には「三岐の竹」(ミツマタのタケ)の彫物がはめられている、そうだ。


第51代平城天皇の時代、大同四年(809年)の陰暦11月13日、社殿のある辺りに怪しき光が現れ、
数夜の後に雪の中からタケノコが生じ、一本が三つに枝わかれした不思議な“三岐の竹”となった。
あまりに不思議なので村人達がお祓いをすると・・・
「われは大和国葛城山の東高宮の岡(タカミヤノオカ)にいる一言主大神なり、
今この国の人々を災いから救うためにここに来た。
すなわちこの“三岐の竹”を私と思って末永くおまつりしなさい」と仰せになられた。
村人達はこれに驚いて、この辺りの人の出入りを禁じ、お社を建てた。
それからこの所を『三竹山』と言うようになった、そうである。


境内では色とりどりのたくさんの花が売られていた。


『きれいだね~っ』
『ウォーキングじゃなかったら買っちゃうんだけどねっ』


珍しい品種のアマリリス(2,000円)や


お札が増える”お札の木”(1,000円)などもあって、
見ているだけで楽しい気分にさせてくれる。


この日は、弁当を食べる場所として、菅生沼対岸の茨城自然博物館内の公園を予定している。


まだ弁当には時間が早いので、その前に正専寺に立ち寄って行こう。
正専寺は、浄土宗の寺院で、ご本尊は阿弥陀如来である。


建替えられてまだ日が浅いためか、檜(or杉)の香りがした。


境内に鐘の音が響いたので鐘楼を見ると、鐘を撞いたのは案の定Mさんだった。


正専寺を後にして自然博物館へ向かう。


緑に囲まれた自然豊かな道を進む。
『気持ちが落ち着くよね~っ』


自然もさることながら、車が殆ど通らない道を歩くのは気分が良い。


11時46分、蕎麦店「やまぼうし」の前に出た。
右に曲がって進むと・・・


左手が「あすなろの里」正面入口の所に出た。
駐車場には、大型バスが停まっていた。
子供たちが遊びに来ているのだろう。


「あすなろの里」を左手に見ながら自然博物館菅生沼ゲートへ向かう。


菅生沼ゲートはもう直ぐだ。


11時53分、菅生沼ゲートに到着
『んっ???』
何と自然博物館菅生沼ゲートが閉まっていた。しかも頑丈な鍵がかかっている。
今日は定休日(月曜日)でもないし、開放時間(09:30~17:00)も問題ない。
よく読むと、館内整理日で休館とのこと。『まさかっ』
急いで自然博物館へ電話してみると、6月20日~25日は館内整理日で休館との自動音声が・・・
『え~っ そんなぁ』


自然博物館を目の前にして、ここは引き返すしかない。


自然博物館がNGとなるとどこで弁当にしよう。
「あすなろの里」は、弁当には良い場所かもしれないが、確か入場料が必要なはずだ。


「あすなろの里」入口で確認すると。やはり入園料は400円必要である。
1割引きの団体割引は30名以上からだ。
弁当を広げるだけで400円はちょっと・・・


12時16分、再び一言主神社へ向かうことにした。
一言主神社へ行けばなんとかなるだろう。
確信はない。そうあって欲しいと願うばかりである。


一言主神社へ。


再び一言主神社の大鳥居を通り、


一言主神社へ。
『弁当食べる場所があると良いんだけどねっ』
境内で弁当を食べるような場所があったかな? 不安が募る。


12時28分、一言主神社に到着


駐車場前を通り、右手奥へ回ってみると、そこには公園があった。
けっこう広いし、しかもベンチやテーブルもある。
この日の24名には、充分な数のベンチである。
『やったぁ ラッキー!!』


早速弁当タイムにしよう。


『いやぁ ここまで来た甲斐があったねぇ』
弁当を食べるには最高の場所である。
正直胸を撫で下ろした。


『お腹が空いたから美味しいっ』


昼食後、一言主神社入口の「おもち茶屋」へ行ってみた。


「おもち茶屋」のメニューは、おもちがメインである。
値段も手ごろで一休みするにはもってこいだ。
Yさん夫妻は、弁当の代りにおもちが入った”力蕎麦”を食べたとのこと。
『なかなか美味かったよっ』


皆さん、食後にコーヒー、ソフトクリームなどを注文していた。
かみさんへの土産にと、きなこもち(2ケ200円)を2つ買った。
注文してから焼くので熱々だった。
(帰宅後かみさんと食べたが、好評だった)


13時15分、一言主神社を後にして、


一言主神社の参道を県道252号へ。


”ごくろうさまでした”と書かれた一言主神社のゲートを潜ると、県道252号である。


一言主神社のゲートの向い側に常総市指定天然記念物の「大塚戸のムクノキ」があった。
説明板には、
坂東市-常総市-守谷市に通ずる県道は、将門街道または銚子街道と呼ばれていたことから、
この大木は、一里塚の名残の樹木と思われる。
一里塚は、岩井市幸田新田にある幸田橋(榎橋)と神田山の榎塚にあり、さらにムクノキのある所を
榎本と呼んでいたことから、一里塚であったと思われる、と紹介されていた。


県道252号を進み、


朝方通った、あすなろの里入口交差点を左折し、


「きぬ総合公園」を目指す。


東仁連川を渡ると、


周りが田んぼの一直線の道になる。
正面の森は水海道ゴルフクラブである。


周りが田んぼで細い道にもかかわらず、けっこう車が通る。
県道252号から県道58号へ抜ける(またはその逆)近道として利用されているのだろう。


水海道ゴルフクラブに沿って県道58号へ。


県道58号に出てゴールの「きぬ総合公園」へ。


「染色村」前を通り、


13時55分、コンビニ前を通過


続けて水海道ゴルフクラブ前を通過すると、


「きぬ総合公園」入口が見えてきた。


緑のトンネルを通り、


14時5分、「きぬ総合公園」体育館前に到着した。


締めは、Oさんの音頭で整理体操をして、


『はいっ 最後に深呼吸をして~っ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

今回は、茨城県のヘルスロードで紹介されていた、自然と共感する散歩道(常総)(片道5.6Km)を歩いた。
往復では約11Kmほどになる。
弁当を食べる場所を茨城自然博物館の公園に予定するなどアレンジしたが、館内整理日ということで、
自然博物館が休館日で、中へ入れなかったのは計算違いだった。
しかし、一言主神社へ引き返すという判断が功を奏し、弁当に格好の場所があったのは幸運だった。
一言主神社に救われたと言えるかも・・・

おもち茶屋で買ったきなこ餅はかみさんにも好評だった。
初詣などで一言主神社を訪れる機会があれば、また立寄ってみたい。

この日の万歩計は、17,000歩を計測していた。

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富士登山トレーニング 御幸ヶ原コース~白雲橋コース

2016年06月19日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2016年6月19日(日)

富士登山トレーニング第3回目(自身2回目)のこの日は、筑波山口から御幸ヶ原コースを上り、
女体山(877m)を経由して、白雲橋コースを下るというものである。

9時20分前、この日のスタート地点、旧筑波鉄道の筑波山口駅に到着。
この日は、”ツールドつくば2016”が開催されたためか、小さな駐車場は既に満杯状態だった。
駐車場端の空スペースに縦列駐車して待つことしばし・・・


8時50分、主宰するYさんが到着。
この日の参加者は、14名である。
「健康ウォーキング同好会」からは、Nさんが参加。
『一生に一度は富士山に登りたい』という気持ちは、みんな同じだ。


Yさんから富士登山の基礎知識のレクチャーや、持物などの説明があり、


9時9分、筑波山を目指して出発!


筑波山口駅の標高は、Yさんによると海抜20mほどとのこと。
ということは、筑波山女体山(877m)まの高低差は、850m以上だ。


登山口の筑波山神社付近までは、前回と同じルートである。


筑波山神社裏の登山口までは、筑波山口駅からおよそ2.1Kmほどある。
けっこうきつい坂道なので、登山口に着く前にかなり体力を消耗する。


途中木陰があったのであらためて各自ストレッチをして、


登山口を目指す。


急坂の道を進む。


前回”売り”の張り紙のあった古民家前を通過。
今回、”売り”の張り紙は、どこにも見当たらなかった。
売れてしまったのだろうか?


急坂の道を進むと、


県道42号に出た。
つくばグランドホテルの向うに筑波山神社入口の赤い鳥居が見える。


県道42号を横断して正面の急坂道を進むと、


県道139号があり、さらにその先の筑波山大御堂西参道を進む。


9時53分、筑波山大御堂に到着。
筑波山大御堂は、この右手にある。


椎の大木の下で一休み。


少し遅れてYさんグループが到着


一息入れて筑波山登山口を目指す。
写真左は、筑波山温泉の源泉。
地下1,300mから汲み上げているそうで、近くのホテルへ供給されている、とのこと。
泉質はアルカリ性単純泉で神経痛・筋肉痛・冷え症などに効能があるほか、
PH値は10.25と高く、美容にも効果がある、とのこと。泉温は27.2℃。


10時12分、登山口の筑波山ケーブルカー宮脇駅に到着。


体調を整え、水・お茶などを購入して、登山口へ。


10時22分、登山開始
御幸ヶ原まで90分と案内されている。


最初は緩やかな杉の樹林を進む。


しばらくは筑波石の坂道が続く。


途中から丸太の階段になった。


10時59分、平坦な場所に出て最初の休憩。
この時点でYさんたちの姿は確認できなくなっていた。


目の前をケーブルカーの線路が走っている。


小休止の後、山頂を目指す。
この辺りから険しい坂道が始まった。
前を行くNさんになかなか追いつくことができない。
次第に離され、そのうち姿が見えなくなってしまった。


既に山頂から下りてくる人もいる。


また別の平坦な場所があった。
数人の人がベンチに腰を下して休憩していた。
ここにもNさんの姿はない。先に行ってしまったようだ。
マイペースで上ることにしよう。


ケーブルカーの線路脇を抜け、山頂を目指す。


険しい階段状の山道が続く。
上る人も下る人もそれぞれマイペースである。
休憩しては上り、上ってはまた休憩を摂るの繰り返しだ。
以前何度か上ったことはあるのだが、御幸ヶ原コースがこれほどきついとは思わなかった。
やはり歳のせいである。


ようやく少しだけ平坦な道に出た。
一息つける。


巨大な杉の木が目立つようになってきた。


11時20分、山頂まで600mの男女川の水源地近くを通過
男女川は、男体山と女体山の間を南下して桜川へと注いでいる。
筑波嶺の 峰より落つる男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
と小倉百人一首にも歌われている、と案内板にあった。


11時37分、山頂まで300m地点を通過。
あともう少しだ。


坂道は続く。


丸太の階段になった。


子供は身軽で元気だ。後ろから次々と自分を追い抜いて行く。


山頂の建物が見えてきた。


11時52分、やっとのことで山頂の茶店に到着した。
Nさんは一足先に到着して、待っていた。
登山口から1時間30分が経過していた。
御幸ヶ原コースの登山時間は90分となっているので、ぴったしの時間ではあるが、
正直言って疲れた。


御幸ヶ原のコマ展望台


この後目指す女体山(877m)の神社が見える。


その後、数名が到着し、後続の人を待った。
せっかくだからと男体山(871m)へ向かった夫婦も。


子供を背負って上ってきた若いママさん。
『いやぁ 凄いねこのママさん』


12時24分、後続の人たちが到着。


数分遅れてYさんが到着して、全員無事登頂を果たした。


弁当を広げる場所を求めて女体山方面へ。
筑波山頂駅の茶屋のベンチは満席だ。


御幸ヶ原の広場は、日曜日のためか大勢の人で賑っていた。


女体山側の筑波山の看板の前が空いていた?


筑波山の看板の前で弁当を広げることにした。
1つだけベンチが空いていた。
ここは女性陣に使ってもらうのが紳士のマナーというものだ。


目の前に男体山を眺めながらの弁当は格別である。


弁当が終わり、Yさんから富士登山の日程やルートの説明が・・・
次第に期待と不安が高まる。


13時35分、女体山(877m)を目指して出発!


13時46分、せきれい茶屋を通過。


ガマ石
元来は「雄龍石」と言い、傍らには「雌龍石」もあるが、この場所で、永井兵助が、
「ガマの油売り口上」を考え出したことで、”ガマ石”と呼ばれるようになった、そうだ。


岩だらけの山道を上ると、


13時54分、女体山神社に到着した。


女体山神社に参拝すると、女体山山頂(877m)の岩場は目の前だ。


つつじヶ丘駅が見える。


男体山(871m)を望む。


13時59分、女体山の下山開始
「白雲橋コース」で筑波山神社を目指すことになる。
筑波山神社までは、2.7Kmの距離である。


「白雲橋コース」の女体山直下は急な岩場が続くので、注意が必要だ。
特に下りは慎重に下りることを心掛けたい。
登る人も大勢いるし、若い人の中には追越して先に下ろうとする傾向があるので、
急ぐと危険である。


急坂の岩場が続き、次々と奇岩・巨岩が現れる。


大仏岩
高さ15m以上もあり、下から見上げた形が、大仏様が座っているように見えることからこのように呼ばれている。


北斗岩を潜る。


北斗岩は、天にそびえたつ岩で、天空に輝く北斗星のように、決して動かないことを意味している。


岩だらけの急坂が続く。


裏面大黒
大きな袋を背負った大黒様の後ろ姿に似ていることから、このように呼ばれている。


出船入船
元来「熊野の鳥居石」といわれ船玉神を祀り、石の姿が出船と入船とが並んでいるように見えることから
このように名付けられた。


国割り石
往古諸神が集い、この石の上に線を引き、神々の行くべき地方を割りふったと言われている。


陰陽石を見上げる。
高さ10mを越える巨大な石が二つ聳え立ち、陰陽寄り添っているように見える。


母の胎内くぐり
筑波山禅定(修験の行)の行場の一つ。
狭い岩の間を抜けることで、生まれた姿に立ち返ることを意味している。


高天原という場所は、神様の世界を意味し、天照大神を祀る稲村神社が建立されている。


弁慶七戻り
猛者と恐れられた弁慶でさえ、頭上の岩が今にも落ちそうで七戻りしたといわれている奇岩。
今に至るまで落ちてこなかったのが不思議である。


弁慶の七戻りの先に大木の切株があった。
中央に「天明の飢餓」と書かれた札があったことから、樹齢は推定250年だ。
(天明の飢餓の天明二年は、1782年に当たる)


14時48分、弁慶茶屋跡に到着。


14時57分、弁慶茶屋跡でしばらく休憩を摂った後、筑波山神社を目指して「白雲橋コース」へ。
筑波山神社までは、1.9Kmの道のりである。


「白雲橋コース」も最初は岩場の急坂が続く。


「御幸ヶ原コース」にひけを取らないほどの岩だらけの道である。
この辺りから次第に後続との距離が開き、一人で下ることにした。


15時43分、白蛇弁天を通過
ここに白蛇が棲むと云われ、白蛇を見たものは財をなすと云われている、そうだ。
実際に白蛇を見た人はいるのだろうか?


15時51分、「白雲橋コース」(左)と筑波山神社とつつじヶ丘を結ぶ「迎場コース」(右)の合流点「酒迎場」を通過
「酒迎場」からつつじヶ丘までは、1.6Kmだ。


「酒迎場」を過ぎると緩やかな木の階段になった。
速度を上げることはできるのだが、疲れていてその元気はなかった。


16時ちょうど、「白雲橋コース」登山口の鳥居に到着した。


視界が開けて目の前に筑波山麓の景色が広がった。


鳥居から筑波山神社までは100mほどだ。


神社の境内に入った所に楠木正勝の墓があった。
案内板には以下のように紹介されていた。
楠木正勝は、正成の孫で、虚無僧の祖と云われる。
現在の白雲橋近くにあった古通寺(普化宗)に来たと云われている。
古通寺は、昭和十三年(1938)の山津波により流された。


16時5分、筑波山神社に到着
無事の下山を報告した。


筑波山神社の山門を潜り、


筑波山神社を後にした。
かなり疲れたが、まだ出発地の筑波駅まで、残り2.1Km余。
頑張ろう!


御神橋を通過し、


参道の土産物店街を抜け、


朝方上ってきた大御堂前の細い道を下る。


味わいのある道である。
上って来た時と少し景色が異なる。
曲がる路地を間違ったようだが・・・


ほどなく見覚えのある道に出た。


16時54分、麓のバス車庫を通過


富士山トレーニングは、7月・8月にも予定されている。
筑波山にはその時またお目にかかろう。


16時57分、筑波駅に到着
数分後にYさんグループも無事到着した。
『皆さん、今日は大変お疲れさめでしたぁ』


富士山トレーニング第3回目(自身2回目)が終わった。
筑波山口から御幸ヶ原コースを上り、女体山(877m)を経由して、白雲橋コースを下るという
距離の長いコースだったが、無事歩き終えてホっとしている。
「健康ウォーキング同好会」では、毎週のように歩いているが、平坦なコースが多いので、
この日は久しぶりの登山気分を味わった。
足の筋肉が痛くてしようがない。あと2-3日はこの状態が続くだろう。
念願の富士登山に向けて、可能な限りトレーニングに参加して、富士山登頂を果したい。

この日の万歩計は、23,000歩を計測していた。
疲れた割には意外と少ないカウント値には、ちょっとがっかり。
山道の歩数は、疲れには比例しないのだ。


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一番搾りに大満足 取手宿陣屋跡からビール工場見学

2016年06月17日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年6月17(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28度第11回(2016年第22回)、「取手宿陣屋跡からビール工場見学」ウォーキングに参加した。
取手のビール工場見学は、2013年9月20日以来となる。

荒川沖駅ホームで8時19分発の電車を待っているところ。
曇りの予報が晴れになって最高気温は28度を超えそうだ。


8時48分、出発地の取手駅に到着
この日の参加者は28名だ。
体調不良と都合により3名が参加を見送ったのは、ちょっと残念。


8時55分、Oさんを先頭に取手駅を出発!
先ずは長禅寺を目指す。


駅前通りを長禅寺へ。


取手の飲み屋街を進む。


長禅寺の急な石段を上る。


石段を上ると、目の前に長禅寺の山門が現われた。
門柱に「相馬霊場総本地」と書かれた看板が掛けられている。
”ず~っと昔、相馬郡と言われていた柏・取手・我孫子・守谷の一部に、弘法大師を祭る八十八ケ所の霊場があり、
新四国相馬霊場と言われている”とのこと。
あまり耳にしない霊場名である。(自分が知らないだけか・・・)


山門を潜ると正面に三世堂(過去・現在・未来)が建っている。
三世堂は、守り本尊の十一面観音像と百の観音様(西国33ケ所・坂東33ケ所・秩父34ケ所のご本尊様)
を祀っている建物である。


この建物は、外観は2層に見えるが、中は3層になっている。
お参りする人は手を合わせ、順路に従って進むと途中で交差することなく
一巡できるという、いわゆる「さざえ堂」形式になっている。
現存するものとしては、日本最古の「さざえ堂」形式だそうだ。


長禅寺本堂へお参り。


ここ長禅寺は、新四国相馬霊場の第一番札所(発心寺)で、なおかつ第八十八番札所(結願寺)でもある。
発心寺と結願寺が一緒のため、この2つを一度に廻れば、”八十八ケ箇所を廻った”ことになるらしい。
わざわざ四国まで出向くことはないので、実にありがたいお寺である。


また、長禅寺は利根川七福神巡りでも有名で人気がある。
和合と招福の神様である大黒天を祀っている。


ビール工場見学は、10時30分からのため、ここでゆっくりと時間を過ごす訳にはいかない。
長禅寺山門を潜り、次の目的地取手宿本陣へ向かう。


9時10分、奈良漬で有名な「新六本店」前を通過


右手に八坂神社を見ながら進むと、


9時14分、取手宿本陣跡に到着した。
あれれっ何と扉が閉まったままになっており、”本日の公開は終了しました”の立札が。
入口の案内を見ると、公開日は、毎週金曜・土曜・日曜とあるが、公開時間は、10時~16時となっている。
ちょっと早く着き過ぎてしまったのだ。


『10時からじゃビール工場に間に合わないなっ』
ここは、ビール工場見学を優先するしかない。


参考までに2010年10月8日(金)に訪れた時の写真を添付しておく。
重厚な茅葺屋根の取手宿本陣染野家住宅は、寛政七年(1795年)に建築された。

平成8年に解体修理工事が完了し、同時に県の有形指定文化財に指定されている。
翌平成9年から一般公開されている。


取手宿本陣跡の少し先を左折し、台宿坂を上る。
台宿坂は、明治時代の台宿村の主要道路であり、台宿大坂と呼ばれていたとも云われている。


台宿坂を上り、住宅街を進むと、


ちょっとした市街地に出た。


9時23分、さらに進むと、香取神社があった。
予定にはなかったが、休憩を兼て参拝していくことにした。


御手洗で手を洗い清めて、


香取神社社殿に参拝。


9時37分、ビール工場目指して住宅地を進む。


数分歩いた所で、取手駅からほど近い広い道に出た。


『取手駅は直ぐそこだよねっ』
取手駅東口の近くを一周したようなものである。


さらに少し進むと、関東鉄道常総線とJR常磐線を跨ぐよつや橋に出た。


よつや橋の手前を右に進む。
手前にJR常磐線、向う側には関東鉄道常総線の線路が見える。
『あれは何を描いているんだろうねっ』
『何だか解んないよねっ』


9時45分、取手一高体育館横を通過し、


緩やかな坂道を下る。


常磐線の線路に沿って進む。


『ここは車が通らないから安全で良いよねっ』


線路に沿って400mほど進んだところに踏切がある。
下り電車の通過を待って、


踏切を横断し、


ビール工場の塀に沿って進む。
(ビール工場の広さは約26万㎡で、東京ドーム5.5個分にあたるそうだ)


大量の袋詰めが並んでいた。
ビール工場のこの場所にあるということは、麦芽の絞り粕ではないかと思われる。


さらに工場に沿って進むと、KIRINの文字が見えてきた。


10時11分、国道6号に出た。


国道6号を右に曲がると直ぐにビール工場入口だ。


受付へ行くと見学者用通路を案内され、


工場内を進む。


見学者用通路を進む。


見学者用通路の左側が試飲会場・土産物店になっている。


10時15分、先ずは試飲会場に案内され、貴重品以外のリュックなどの荷物を試飲会場へ置き、


身軽な恰好で映像室へ向かう。
10時30分ちょうど、映像室で所長の挨拶(ビデオ)から始まり、
続いてV6による5分ほどのPRビデオを観て


歩いて工場へ向かった。


最初は醸造工場からの見学である。
撮影は移動中のバス内部からと動画以外は自由とのこと。


最初に、原料を煮込んでビールの素となる「麦汁」を造る、
銅製の糖化釜(右)と麦汁煮沸釜(左)がいきなり目に飛び込んできた。


糖化釜は、麦芽を砕いて、緩やかに温度を上げ、”もろみ”を造る。
もろみをろ過して、最初に流れ出たものが、”一番搾り麦汁”である。


麦汁煮沸釜
”一番搾り麦汁”にホップを加え、ビール独特の香りと苦味を生み出すのが、麦汁煮沸釜だ。
現在銅製の糖化釜・麦汁煮沸釜は、使われていないとのこと。


見学案内のお姉さんの説明に熱心に耳を傾ける。


ビールの原料となるのは、麦とホップである。


二条麦を試食しているところ。香ばしくて、甘味があった。
ホップは、苦味のある香りがした。
通常、ビールは、一番搾りと二番絞りを混ぜて作るが、キリンビールの「一番搾り」は、
二番絞りは一切使っていないとのこと。


3階から仕込み室を見学


現在使われている、アルミニウム製の麦汁煮沸釜


3階の仕込み室から2階の糖化釜を見学


一番搾りと二番搾りを飲み比べてみると、
この段階でアルコールは全くないが、一番搾りは、甘くてとても美味しかった。
『砂糖か何か混ぜてるようだねっ』
一方、二番搾りは、水っぽくて正直あまり美味しいとは言えなかった。


説明に耳を傾ける


続いて発酵・貯蔵タンク内へ。
タンクの直径は7.6m、高さは何と18mもある、そうだ。
タンクでは、充分に冷やした麦汁に酵母を加え、タンクで低温発酵させる。
その後、1~2ヶ月タンクで低温貯蔵し、熟成させると美味いビールの出来上がりである。


パッケージング工場へはバスで移動することになる。
玄関まで迎えに来てくれるのは嬉しい。


パッケージング工場の見学風景


見学マップによると、


ここでは、びんの洗浄・空びん検査・びん詰め・打栓・仕上げ検査・ラベル貼り・ケース詰め・出荷
という順序で大量のびんが流れているのを見ることができる。


最後にラベルが貼られ、ケースに詰められて出荷という運びになる。


トピックスコーナーには、昔のポスターが展示されていた。


『俺、昔どこかで見たような気がするなぁ』
これは昭和7年(1930年)頃のポスターなのだから、気のせいです。


見学の最後にこの日試飲できるビールの説明があった。


この日のお薦めは、「一番搾り」をはじめ、「取手づくり」と「千葉づくり」の3種。
一番搾りを基本に、大麦やホップの量を少しづつ変えて製造している、とのこと。
「取手づくり」は、5月から茨城県で、また「千葉づくり」は、1週間前の6月9日に
千葉県で発売開始されたばかり、だそうだ。
『早く飲んでみたいねっ』


11時25分、再びバスで試飲会場へ。


11時27分、試飲会場に到着


皆さん、好みのビールを注いでもらい、


『かんぱ~いっ』


『お疲れさまでした~っ』
溢れるばかりの笑顔が何とも言えない。


ノンアルコールの人も負けずに
『カンパ~イッ』 『いただきま~すっ』


試飲会場
一応20分間で飲み放題となっている。
可愛らしい柿ピーが、1人1袋つまみとして付いている。
つまみが足りない人は、隣りの売店で買って来ることになる。


『いやぁ 今日のビールは、最高に美味かったねぇ』
「千葉づくり」の缶を並べてご機嫌である。


試飲が終わった後は、皆さん買い物に余念がない。


『どれにしようかな~』


『これにすっかなぁ』


レジの前は行列だ。


記念撮影は、糖化釜の前が良いだろう。


糖化釜をバックに記念撮影
案内のお姉さんに、しっかりとキリン一番搾りの看板を持たされた。


記念撮影も終わり、再び見学者通路を通って、


12時8分、キリンビール工場を後にした。


ラーメン店があったが、ビールを飲んだ直後なので、ここはパスしておこう。
取手駅で昼食することに。


国道6号を進む。


12時21分、関東鉄道常総線を通過


国道6号を取手駅を目指す。


取手ウェルネスプラザ辺りを通過。


治助坂を取手駅へ。


12時32分、無事取手駅に到着


取手駅前で一応解散ということに。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


皆さん、それぞれ駅ビルレストラン街のお好みの店へ。


『蕎麦でも食べていきますかっ?』


ビールを飲んだ後なので、天ざるランチ(980円)を注文。


皆さんも、お好みの蕎麦メニューに舌鼓。
『喉越しが良くてなかなか美味いよっ』


電車が到着するまで取手駅構内の待合室で一休みだ。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


今回、約2年半ぶりに取手のビール工場を見学し、出来立ての生ビールを堪能した。
主力の「一番搾り」も美味しかったが、5月から販売されている「取手づくり」や1週間前の6月9日から販売開始したという
「千葉づくり」も味わうことが出来て、満足のいく一日だった。

今回の目玉の一つであった、取手宿本陣の公開時間が10時~16時となっていたのは、
事前調査不足で、反省点である。残念というより、いささか拍子抜けの感だった。
次回同様のコースを回る場合は、ビール工場見学時間を11時30分からとするのも一案かもしれない。

この日の万歩計は、ちょうど10,000歩を指していた。

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今年はちょっと早すぎた 常陸風土記の丘ゆりまつり

2016年06月10日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年6月10日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28度第10回(2016年第21回)、「常陸風土記の丘ゆりまつり(石岡)」ウォーキングに参加した。
「常陸風土記の丘ゆりまつり」は、5年前の2011年6月17日(金)に一度訪れているので2度目となる。

土浦市街地の第一集合場所は、これまで事前届が必要な土浦市民会館としていたが、
今年度からは特に事前届の必要がない土浦ピアタウンに変更した。
今回初めて利用することになったが、土浦市民会館へ向かった人も何組かいて
連絡に四苦八苦。


8時35分、土浦ピアタウンに集まった16名は、車5台に分乗し、常陸風土記の丘へ向かった。


9時20分、常陸風土記の丘駐車場に到着


この日の参加者は33名。
常陸風土記の丘に直行した人は、17名ということになる。


つものように3つにグループ分けをして、
9時27分、出発!
この日は、『コースは大したことはない』という会長の判断で準備体操はパスだ。


先ずは染谷佐志能神社へ向かう。


染谷佐志能神社への道は、木陰になっていて暑さが凌げる。


広域農道を横断し、染谷佐志能神社へ。


石岡観光植物園辺りを通過


右手に龍神山(196m)が見える。
龍神山は、私有地となっていて土砂採掘場となっているため、行くことが出来ない。


9時39分、染谷佐志能神社一の鳥居を潜り、


御手洗で手を洗い清めて、


染谷佐志能神社の参道を進む。


参道は、二の鳥居の手前から石段になった。


鳥居の先からは、石段は一段と急になっている。
左側にはやや緩い坂道があるが、ここは石段を上ることにしよう。


『こんな急な石段を上るなんて知らなかったわっ』
と言いつつも、どこか楽しそう。
(数えたら、173段あったそうだ)


9時46分、染谷佐志能神社に到着。
佐志能神社は、染谷佐志能神社と村上佐志能神社の2社があり、ともに龍神山の龍神(雨の神)を祀っている。
染谷が高龗神(たかおかみのかみ:雌龍)、村上が闇龗神(くらおかみのかみ:雄龍)である。
2社とも創建年代は明らかではないが、農耕に不可欠な「雨の神」を祀ることもあって、
古くから付近の村人たちの信仰を集めた。(石岡市教育委員会)


毎年4月19日には例祭があり、このとき奉納される「染谷十二座神楽」は、400年の歴史を持つと伝えられ、
現在まで残っている数少ない「里神楽」の一つとして市指定有形民族文化財となっている。
(石岡市教育委員会)


境内には、明治三十七年の日ロ戦争で奉納した兵器の碑があった。
目録には、歩兵連発銃・十五珊砲弾・七吋半砲弾といった文字が読みとれる。


この石像は観音様のようにも見えるが・・・


染谷佐志能神社裏の展望台へは、地図では直ぐ近くになっているが、
裏山へ通じる道を見つけられなかったため、いったん下山することに。


佐志能神社一の鳥居まで下りて、右手に進むと、


龍神山霊園に出た。


霊園の突き当たりの階段を上る。


振り返ると、常陸風土記の丘の獅子頭が見えた。


右手にお墓を見ながら急な階段を上る。
『こんな高い所にお墓を造った人は大変だねぇ』


もうちょっとで石段は終わりである。頑張ろう!


『こんなにきついとは思わなかったわっ』
最近は平坦なコースが多いので、ちょっとした階段でも足に堪える。


10時8分、霊園の石段を上り切ったところで一休みしよう。


楽しみのお茶タイムのひと時を過ごし、


10時16分、頂上の展望台を目指す。


緩やかな坂道が続く。


曲がりくねった山道を上ること十数分、


10時29分、展望四阿(163m)に到着した。


展望台からはご覧のような状態で、全く視界が効かない。
『これじゃぁ、展望台とは言えないよねっ』
四阿で作業していた人が、『近いうちに視界を遮る邪魔な木は伐採する』とのこと。
是非そうして欲しい。


展望四阿で一息入れて、


10時38分、下山開始!


つづら折れの山道を下る。


『下りは楽で良いよねっ』


森を抜けると太陽が眩しかった。


常陸風土記の丘を目指す。


前方に獅子頭が見えてきた。


獅子頭


時間があるので、常陸風土記の丘の裏にあるキャンプ場を回ることにした。


この日の予想最高気温は27℃だが、湿度が低いのでそれほど暑さは感じない。
時折吹く風が涼しさを感じさせてくれる。


キャンプ場の森の中を進む。


杉林の中の緑が光輝いて美しい。


杉林を抜けると、梨畑が広がる。


ピンポン玉ほどの実が生っていた。
あと2ヶ月ほどで収穫の時期を迎える。


梨の果樹園に沿って進むと、


波付岩があった。
案内標識も説明板もないので、見落とし勝ちだ。
以前から波付岩とはどんな岩なのだろう? と思っていたのだが・・・
一見した限りでは、何の変哲もないただの岩である。


岩の後ろに回ってみると、大きな岩が二つ並んでいた。
『波が打ち寄せているように見えるから「波付岩」っで言うんじゃないっ?』
まぁ、そういうことで納得するしかない。


波付岩を後にして、常陸風土記の丘へ。


ブルーベリーの畑があり、女性陣が熟れた実を試食させてもらっていた。
『甘くて美味しいわねっ』
収穫には若干早くて味の方は分からないが、ご主人は、女性には甘そうである。


常陸風土記の丘の金山池のほとりで休憩していると・・・


遅れて到着した女性陣からブルーベリーの差し入れが。
2粒貰って口にしたら、甘くて美味しかった。


右手に金山池を見ながら、枝垂桜の緑のトンネルを風土記の丘へ。


金山池の向うに金龍橋が見える。
手前の金山池は、古代ハスの池だが、葦に覆われた状態でハスは見えない。


ところどころに紫陽花が咲いていたが、花の数が少ない感じである。
何となく花に勢いが感じられない。


花菖蒲の畑は荒れた状態になっており、花菖蒲は見当たらなかった。
花菖蒲の世話まで手が回らないのだろうか?

これは、2011年6月17日(金)に訪れた時の様子。


11時39分、正午に駐車場へ集まることにして、風土記の丘の中央付近でいったん解散。
園内を自由散策してもらうことにした。


せっかくなので、石岡名物の獅子頭へ。


日本一の巨大獅子頭
江戸時代から石岡の民衆は、悪霊退散の守護神として、祭礼の中心に獅子頭を位置づけてきた、とのこと。
この獅子頭は、「石岡のおまつり」に巡行する獅子頭をスケールアップしたもので、
台座からの高さは14m、幅10m、奥行き10m、日本一の獅子頭である。


獅子頭の中は展望台になっている。


獅子頭からの眺望。
広い公園が一望できる。


石のモニュメント「時の門」
古代の門


中世の門


現代の門と続けて潜って、古代から現代へとタイムスリップして、


ユリの畑へ行ってみると、
まだ蕾の状態で、根元の方は枯れかかっている状態だった。
今年は、雨が少ないので水が足りないのだろうか?


一ヵ所だけもう直ぐ咲きそうな状態のユリがあったが、これも元気がない。


これは、2011年6月17日(金)に訪れた時のものである。
この時の見頃は6月20日過ぎということで若干早かったが、けっこう見応えはあった。


「ゆりまつり」は、毎年6月第1土曜~最終日曜日の間に開催される、そうだが・・・
今年は例年通り行われるのだろうか?

「ゆりまつり」が無事開催されることを祈りながら、金龍橋を潜り


金龍橋の上に出た。
中学生の団体が金龍橋を渡っていた。


蕎麦・うどんの食事処「曲屋」を横目に見ながら、


風土記の丘の長屋門を出て駐車場へ。


長屋門を出たところでトマトを売っていた。
当会の人たちが買い求めていた。


箱ごと買ってご満悦のK子さん。
『うちはトマトが好きなのよっ』
箱には「桃太郎とまと」の文字が。
「桃太郎とまと」は、平成22年(2010)時点で派生種を含めて22品種、国内シェア70%を占めている。
同年にJA全農おかやまが10月10日を「岡山県産桃太郎トマトの日」と申請して認定されている、そうだ。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

久しぶりの「常陸風土記の丘」であった。
昨年(2015年)は、6月12日に予定していたが、雨で中止となったため、
今年も企画したが、「ユリ」には、ちょっと早過ぎた。
今年は雨が少ないためなのか、花(紫陽花・ユリなど)は元気がないように感じた。

波付岩を今回初めて直ぐ傍で見ることができ、名前の由来に迫れたのは収穫?だった。

「常陸風土記の丘」は、枝垂桜でも有名なので、今後も訪れる機会は多いと思う。
次の機会には展望四阿からの素晴らしい眺めを期待したい。

この日の万歩計は、11,000歩に達していた。

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コメント
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