ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

帰りはバスが正解 紫陽花の名所水戸保和苑へ

2024年06月14日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
令和6年(2024年)6月14日(金)

原則隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和6年度(2024年度)第6回、令和6年(2024年)第11回「紫陽花の名所水戸保和苑へ
ウォーキングに参加した。

会員の中には既に何度か保和苑を訪れていると言う人もいたが、自分は九州大分の出身
ということもあり、この日が初めてである。
例会の数日前(11日)の新聞に、”保和苑のアジサイが見頃”という記事が紹介されていた。
この分であれば、当日は丁度良い時期ではないかと期待が膨らんだ。


荒川沖駅8時ちょうど発の常磐線下り水戸行の電車を待っているところ。


定刻通り下りの水戸行電車がやって来た。


9時1分、電車は定刻通り水戸駅に到着した。
日本の電車の発車・到着時刻はほんとに正確だとつくづく思った。


女性陣が体調を整えている間、改札口近くで待っているところ。
体調を整え終わった女性たちもいるが、まだしばらくは待たなければならなさそう。
『女性陣はいつも時間がかかって大変だねぇ』


改札口内で待つこと凡そ17分、ようやく改札口を出ることが出来た。


水戸駅北口でこの日のコースの概略説明を行い、TK会長からは充分に水分を補給して熱中症には
くれぐれも注意するようアドバイスがあった。
この日の参加者は23名だ。


9時24分、いつものように元気なTK会長を先頭に保和苑を目指して出発!


水戸駅北口の橋上歩道を進み、


国道50号方面へ。


水戸三の丸 駅前再開発地区の前を通り、


国道50号方面へ。


『昔と随分変わったわよねっ』


水戸中央郵便局の先を


右に曲がり、水戸三の丸方面へ。


水戸城跡(塁および濠)前を通過し、


水戸地方裁判所前を通過すると、


裁判所の向い側に茨城県庁の旧三の丸庁舎が見えた。


突き当りに建てられている”水戸東武館”を左に曲がり、


しばらく道なりに進む。


朝方はそれほどでもなかった気温が次第に上昇し始めた。
この日の水戸の最高気温は31℃と予報されていたが・・・
『風が弱いのでちょっと暑くなりそうだねっ』


道路の反対側に、亡国の明を再興するために日本を訪れ水戸に仕えた明の遺臣
朱舜水(しゅしゅんすい)の像が建てられていた。


前方左手に水戸芸術館のシンボルタワー(高さ100m)が見える。


9時48分、水戸地方気象台前交差点に到着した。
国道118号を真っ直ぐ進むと宇都宮・常陸大宮方面だ。


気象台前交差点を横断し、


道路反対側へ渡って、国道118号を進み、


水戸保和苑を目指す。


9時53分、コンビニ前を通過


『そろそろ水分補給した方が良い頃かなっ』の声が上がるも、日陰となる場所が見当たらない。


五軒小学校前という交差点があり、右手を見ると、桜の木らしき木陰が見えた。
行ってみると、五軒小学校の校庭があり、校庭の周りには桜の木が植えられていた。
ここなら充分に日陰がある。
『ここで小休止しましょうっ!!』
時計は10時を回ったばかり、グッドタイミングだ。


美味しそうにお茶を飲む皆さん。
『今日は最高に美味しいわよねっ』


木陰に腰を降ろして一時の休息だ。
『ちょうど休憩に良い処があって良かったねっ』


当会最高齢のKKさん(90)、誕生日プレゼントのキャップが気に入ってくれているようだ。


10時9分、五軒小学校を出発し、


国道118号に戻って保和苑を目指す。


国道118号と県道342号の合流点となる末広町1丁目を通過。


道路脇に”水戸の あじさいまつり”の看板が現れた。
保和苑は近そうだ。


街路樹の根本にはあじさいの花が植えられていた。


この辺りの国道118号は”あじさい通り”と呼ばれているようだ。


茨城交通のバス停(末広町二丁目)があった。
地図を確認すると保和苑は近い。


水戸駅北口方面へのバス時刻表を見ると、けっこう頻繁にバスが走っていることが分かった。
『帰りはバスを利用しなさいって言われてるようだねっ』


旧町名 馬口労町 関南沖書 と刻まれた石柱があった。
石柱の横には次のような説明があった。
藩政初期の政保年間(1644~1648)常葉村から町方に編入された。
城下への出入り口として問屋や運送業者、商店で賑わった町で、町名の由来には
諸説あって明らかでない。
『これ何て読むのかしらっ?』
後で調べたら、バクロウチョウと読むことが分かった。


10時32分、牛丼の”すき家”とラーメンの”幸楽苑”が並んであった。


両店を過ぎると・・・保和苑入口と書かれた看板があった。


看板の裏に小さな広場のような場所があり、付近一帯の地図があった。
地図によると保和苑は直ぐ近くだ。


保和苑入口の地図に従って道路に出て右を見ると、正面に桂岸寺の門が見えた。
仁王門だ。


『いやぁ なかなか立派な仁王門だよねぇ』


仁王門を潜って真っ直ぐ進むと、桂岸寺の本堂があった。
ネットには以下のように説明されている。
桂岸寺は正式には大悲山保和院桂岸寺と言いますが、地元の人間には「谷中の二十三夜尊」
という名前で知られています。
天和2年(1682年)檀海和尚が開山し、当初は香華院(こうげいん)と称しましたが、
元禄7年(1694年)、徳川光圀公の命令により保和院と改称しています。


御本尊は勢至菩薩で、行基の作と伝えられ、佐竹氏の第8代当主佐竹貞義の護持仏です。
二十三夜尊の由来は、江戸時代に流行した二十三夜に勢至菩薩を念ずれば万劫の罪が滅する
という民間信仰からきており、桂岸寺の御本尊が勢至菩薩であることから俗に”谷中の二十三夜尊”
と呼ばれるようになった模様です。
その名の通り毎月旧暦23日に縁日が行われ、縁結び・金運・合格に恵まれるとして遠く県外からも
参拝者が訪れます。


本堂の左奥へ進むと、”ぴんころ地蔵尊”が建立されていた。
穏やかな表情である。


延命地蔵尊縁起(ぴんころ地蔵尊)
保和院桂岸寺は、天和2年(1682年)に建立され、御本尊は強い力を持つ大勢至菩薩です。
本堂の左奥に、江戸時代中期に時の典医の提案で建立された”宝暦の延命地蔵尊”があります。
昔から天命を全うし、ころりと最後を迎える功徳があるといわれ、「ぴんころ地蔵さん」とも
呼ばれておりました。
近年、自分の体の病める所と延命地蔵さんの同じ所に直接ふれて願い事が出来る小さな
お地蔵さんを望む声を聞くようになりました。
この願いをかなえ、さらに広く社会の福祉と街の再生を期して、多くの方々の募金ご協力
によって、新しくこの延命地蔵さんが建立出来ました。
平成19年11月23日、桂岸寺住職大越恒範権大僧正を導師として、大勢至菩薩のお力により
盛大な開眼法要式が執り行われました。
新しい延命地蔵尊の愛称は「ぴんころ地蔵尊」です。
ぴんぴんと天寿を全うし、ころりと大往生をとげるご利益があると言われております。
製作は石の彫刻家 深谷直之 氏です。
平成19年11月 延命地蔵尊建立委員会


「ぴんころ地蔵尊」の少し先に宝暦の延命地蔵尊像があった。
左が宝暦の延命地蔵尊像、右はぼけ除けの延命地蔵尊像


10時45分、保和苑入口に到着した。
ここからは各自自由に保和苑の中を観て周ってもらうことにして、45分後の11時30分に再び
ここに集まってもらうことにした。


保和苑
保和苑は、もとを辿ると隣接する大悲山保和院桂岸寺に隣接する庭園に起源を求められる。
水戸藩第2代藩主徳川光圀が寺の庭に親しみ保和園と名付けたのが始まりとされ、昭和初期に池に築山を配した純日本庭園として整備し名前を保和苑と改めた。
初夏には1万5000㎡の苑内に約100種・6000株のアジサイが色とりどりに咲き誇り、アジサイの
名所として知られ、毎年6月中旬から7月上旬には水戸のあじさい祭が開催される


苑内へ。
店名の入ったボンボリが並ぶ。
夜は明かりが灯るのだろう。


苑内には色鮮やかなアジサイの花が咲いていた。


真っ白でふんわりとしたアジサイの花に見惚れながら展望台へ。


展望台から下を望む。
『意外とこの展望台高い所にあるんだねぇ』
なかなか良い景色である。


順路を逆方向に進んでみることに・・・
順路11の方へ。


白いアジサイの花が目立つ。


谷の方から展望台を望む。


アジサイは見頃を迎えていた。


順路に沿って回って来た会員とすれ違った。


名前は分からないが綺麗に咲いている。


順路7の地点を通過
(必ずしも逆の順路の通りではないかも)


これはガクアジサイだろうか?


階段を上って行くうちに仲間と逸れてしまった。


アイスコーヒーやコーヒーゼリーなどの売店があった。
喉が渇いていたのでコーヒーゼリー(150円)を注文。
美味しかった。


さらに上への階段があったので上ってみると見晴台になっていた。


見晴台から苑内を観下ろしたところ。


見晴台の先(外)は住宅地になっていた。


見晴台を下って苑内を進む。


明星の滝
人工の滝だが、かなりの水が流れ落ちていた。


さらに苑内を進む。


アジサイの花


アジサイの花


弁天池があった。


池には噴水があり、手作りのアジサイの花が乗せられた筏が浮かべられていた。


苑内のあちこちで最も多く咲いていたアジサイ


この種の花もたくさん見ることが出来た。


間もなく集合時刻の11時30分になるため、保和苑の入口へと向かった。


寺の墓地との境に時なしの鐘があった。
鐘楼ではなく四脚門の中央に梵鐘が吊り下げられているところが珍しい。


NKさん(85)に鐘を撞いてもらった。
鐘の音が腹の底に重く響いた。


11時28分、「宝暦の延命地蔵尊」前で待っていると皆さんが次々に集まって来た。


集合時刻には少し早いが、全員が揃ったので、保和苑(桂岸寺)を後にすることにした。
この日はここで解散ということに。
帰りはめいめい水戸駅まで歩くなり、バスで帰るなり自由とした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』   『帰りは気を付けてね~っ』


桂岸寺の本堂に最後のお参りをして、桂岸寺の仁王門へ。


バス停に到着し、水戸駅北口行きバスを待っているところ。
皆さん全員がバスで帰ることにしたようだ。
今日の気温ではバスが正解と思われる。


11時41分、水戸駅行きバスがやって来たが、何人かはまだ来ていない。


少し遅れていつものメンバーと女性陣がやって来た。
近くの”美味しい蕎麦店”へ行くと言う。
お腹も空いていたので、水戸駅に向かうバスを見送って、一緒に蕎麦店へ行くことに。


蕎麦店はバス停から数分の所にあると言う。


11時44分、蕎麦店「久月」に到着した。
バス停から100mほどの所だった。


女性陣は5名、


男性陣は4名だ。
先ずは冷たいビール(中瓶)を注文
(生はあいにく提供されていなかった)


『かんぱ~いっ』


イカ天せいろ蕎麦(1,400円)を注文した。
ボリュームがあってとても美味しかった。


12時30分、食事が終わり、


揃ってバス停へ。
『いやぁ ウオーキングが終わったらその地の食事が楽しみなんだよな~』
上機嫌のTK会長であった。


バスを待つこと1分、水戸駅北口行きバスは直ぐにやって来た。
『この路線は素晴らしいねぇ 待ち時間がほぼゼロなんだよなっ』


12時53分、バスは約15分(270円)で水戸駅北口に到着した。


女性陣の皆さんは満足そうな表情だった。


13時4分発の土浦行きに乗ることにしよう。


水戸から約1時間後の14時9分、土浦駅に到着した。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


炎天下のなか、紫陽花の名所水戸保和苑へのウォーキングが無事終わった。
片道4Kmと見ていたので、帰りも歩くことを想定していたが、気温は30℃を越えていたと
思われるなか、歩くのを断念しバスを利用することに変更した次第。
保和苑の苑内を回った段階で万歩計は既に9,500歩を超えていたことから、帰りも歩いた場合は
往復16,000~17,000歩になっていたと考えられることから、帰りのバス利用は正解だった
のではないかと思っている。
当会(38名)では、最高齢90歳を筆頭に80歳以上13名、平均年齢が77歳を過ぎている
という状況のなか、自信も含めて無理はしないことが重要だと考える今日この頃である。

この日の万歩計は、11,000歩超を計測していた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 全員が初めて 山と湖を望む... | トップ | 前日梅雨入り発表 国分寺お... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ウマさんの「健康ウォーキングの会」」カテゴリの最新記事