ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

堂々の随神門に感動 太平山ハイキング

2018年09月28日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2018年9月28日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第17回(2018年第27回)、「太平山ハイキング(栃木市)」に参加した。

この日は、太平山(栃木市)のハイキングと言うことで、電車での移動は乗り継ぎも多く、
時間もかかるので、貸し切りバスで出かけることにした。
前週、前々週は雨のため中止となったので、3週間ぶりの例会である。

5時45分、三中公民館に行くと、バスは既に到着していた。
三々五々参加者が集まり、定刻の6時ちょうどには三中公民館を出発した。


この日の参加者は、三中公民館11名、天川団地3名、土浦市民会館6名の計20名である。


土浦市民会館を出発し、常磐道に乗る頃には辺りは濃い霧に包まれた状態に。


6時35分、常磐道土浦北ICを通過


いつもの朝食おにぎりを食べながら常磐道を走ること約20分、


6時55分、最初の休憩所友部SAに到着。
この頃、濃い霧は嘘のように消えてしまっていた。
『今日は良い天気になりそうだねっ』


北関東道を走る。


北関東道笠間西IC辺りを走っていると、急に霧が現れた。
常磐道を走っていた時よりも濃い感じである。


そんな霧も次の休憩所壬生PAに着く頃には、きれいに晴れ上がっていた。
予報どおり、この日は天気が良さそうだ。
壬生PAで昼食の弁当が積み込まれた。


8時9分、東北道栃木ICで高速を降り、


一般道で太平山登山口へ。


8時33分、太平山登山口に到着。
弁当を受け取り、出発の準備である。


出発の準備も整い、KKさんの号令で準備体操(1)


準備体操(2)


準備体操(3)


準備体操(4)


8時46分、TKさんを先頭に出発!
客人神社の鳥居を潜って進む。


太平山ハイキングはいきなりの急階段から始まった。


『しばらく歩いてなかったから堪えるわねっ』


2分後、客人神社に到着。


この日の無事・安全を祈願して、


薄暗い林の中を太平山神社を目指す。


登山道に建つ鳥居を潜り、


坂道を上って行くと・・・


9時ちょうど、視界が開けた場所に出た。


『あら~っ 良い眺めだね~っ』


前方に見えるのは、晃石山(419.1m)だろうか?


太平山神社を目指して進むと、一般道路に出た。


道路を横断して反対側の道標に従って進む。


薄日の差す杉林を歩くのは気持ちが良い。


『そんなに急な坂道じゃないので歩き易いわねっ』


謙信平・太平山神社の看板


山道を進み、


石段を上ると、


1軒の店があった。
蕎麦処「もみじ庵」で、広場があった。
ここで小休止していこう。


「もみじ庵」横の広場からの眺望


皆さん数週間ぶりとは思えないほど余裕が感じられる。


一息入れた後、太平山神社を目指す。


9時32分、霞がかった謙信平に到着した。


謙信平
戦国時代の頃、関東平定を競い、対立した越後の謙信と小田原の北条氏康は、
当時の大中寺住職虎渓和尚の斡旋により、永禄十一年(1568)九月、大中寺において
和議を結んだ。
その後上杉謙信は太平山に登り、兵馬の訓練を行い、太平山の上から南の関東平野を見渡し、
あまりの広さに目を見張ったと言う故事から「謙信平」の地名が生まれたと云われる。
(栃木ライオンズクラブ・栃木市観光協会)


『富士山が見えれば最高なのにねっ』


謙信平の近くには茶店が立ち並んでいた。


「杵つきだんご」や


たまご焼き・ちたけそばなどの幟が並んでいる。
『太平山神社はたまご焼きが有名なんだよねっ』
たまご焼きが有名とは知らなかった。


「あづま屋」の横を通り抜け、


その先の鳥居を潜って進むと、


右下に大きな建物の屋根が見えた。
普通の家ではなさそうだ。
『あれって随神門じゃないのっ?』


鳥居の先を右方向へ行ってみると、石段があり、左上には三光神社と書かれた鳥居があった。
その先に見えるのは太平山神社の神門のようだ。


ということは、石段の下に見える建物は随神門に違いない。
いつの間にか随神門を通り過ぎてしまっていたのだ。


太平山神社のシンボルとも言える随神門を目の前にして行かない訳にはいかない。
『随神門まで行ってみましょうっ!』
ということで、長く急な石段を下ることに。


石段を下り、9時50分、太平山神社随神門に到着した。
神門は享保八年(1723)徳川八代将軍吉宗公によって建築された。
前に左右大臣、後ろに仁王の守護神を配したもので、
太平山が寺院の山として栄えていた頃の名残りである。
廃仏毀釈後仁王門が随神門となり仁王と神像の安置場所が変わった訳であるが、
それ自身神仏混淆時代の記念物である。
建て方は「入母屋造り扇垂木」で俗に傘(からかさ)天井という。
(栃木市教育委員会)


正面から見るとその立派さに感動すら覚える。
(少々大げさか)


随神門前で記念撮影を済ませて一安心。


随神門の前を向いた右大臣像、


後ろを向いた仁王像を撮り終え、


また石段を上る。
『いやぁ この石段を上るのは大変だね~っ』


10時3分、太平山神社に到着した。


拝殿前の御神石を撫でて、


太平山神社に参拝


太平山神社には、たくさんの神社が合祀されている。


本殿の右側に福神社


続いて星宮神社
天満宮・文章学社も一緒に祀られているようだ。


左から太平稲荷神社・三輪神社・足尾神社
大小様々である。


足尾神社
ご祭徳は足腰の健康とある。
『いつまでも元気で歩けますように』
賽銭も弾んでしっかりと参拝しておこう。
境内には他にも皇大神社・厳島神社・上宮神社・大杉神社・織姫神社・愛宕神社・八幡神社
などなどが合祀されている。


奥宮への入口があった。
太平山山頂へと通じているようだ。


坂道を上り、


奥宮方面の標識に従って進むと、


10時22分、太平山神社奥宮に到着した。


剱宮(つるぎのみや)・武治宮(ふじのみや)とある。
ご祭神は天目一大神(あめのまひとつのおおかみ)
ご神徳は、天下太平・製鉄関係の産業の発展・所願成就
天目一大神は、垂仁天皇の御世、東国を治めるために太平山に鎮座された。
武徳を以て国土を護治する天目一大神が坐す太平山神社の奥宮は「武治宮」と呼ばれた。
(以下略)


奥宮の先の富士浅間神社を目指すことにした。
その先はぐみの木峠を経由して大中寺へと通じている筈だ。


関東ふれあいの道の道標
富士浅間神社まで0.1Kmとある。


瓦礫の道を上り、その先の石段を上ると・・・


10時33分、富士浅間神社に到着した。


富士浅間神社の横を抜けて、神社の裏手へ進んだ所が、太平山の頂上(341m)だった。


『いやぁ 何とか到着したねぇ』
安堵の笑みを浮かべるTKさん。


まだお昼には早いので、ぐみの木峠まで行こうということになり、
富士浅間神社前の関東ふれあいの道の案内板で確認して、太平山を下山することにした。
手持ちの地図にはぐみの木峠が案内されていたが、関東ふれあいの道の案内板にはなかった。
『とりあえずぐみの木峠まで行ってみましょうっ』


太平山を下る。
かなり急勾配な道である。


急坂の杉林の中、道なき道を下る。


杉の木に捕まりながら下る。


10分ほどで平らな場所に出た。
『ここがぐみの木峠かしらっ?』
残念ながらぐみの木峠はもう少し先のようだ。


ぐみの木峠を目指す。


関東ふれあいの道の道標
晃石山1.3Kmとある。
『ぐみの木峠は晃石山との中間みたいだからもうちょっと先かもねっ』


気を取り直してぐみの木峠を目指す。


数分後の10時59分、ぐみの木峠に到着した。
太平山神社と晃石山のちょうど真ん中に当たる場所だ。


『ここはベンチも無いし、弁当に相応しいとは言えない場所だなぁ』


大中寺0.8Kmの標識に
『大中寺まで行ってみますか?』
手持ちの案内地図によると、大中寺近くには東屋が記載されている。


ということで、大中寺まで下ることにした。
案内地図にはこの先の下りは急坂とある。


案内地図のとおり、下り始めて直ぐに急な坂道になった。


『おっかないわね~っ』
『気をつけて~っ』


『雨が降った後なので滑り易いのよね~っ』


何とか滑り易い道は通り抜けたようだが、急坂は続く。
木の根っこを滑り止め代わりに山道を下る。


小さな沢を渡ると、


ようやく平らな道になった。


11時32分、林の中に小さな東屋があった。
地図に記載されていた東屋と思われる。
『中はちょっと暗過ぎるねぇ』


東屋に近くに陽の当たる場所を見つけて、早速弁当を広げる人も。


『ここは明るくて良いわよねっ』


『ここで弁当にしようっ』


何人かは大中寺へ向かった。
地蔵堂の周辺で弁当を広げている。


自分は大中寺本殿脇で弁当を広げることにした。


この日の弁当はおにぎり弁当だった。
お腹が空いていたので美味しかった。


弁当の後、地蔵堂へ。


お堂の中には木造地蔵菩薩半跏像が安置されていた。
本像は、西山田大中寺開創以前、当寺の西南にあった真言宗円福寺の附属堂行屋に
安置されていたが、建物倒壊の後、当寺で大切に保管されていたものである。
本像は、右足を組み、左足を踏み下げる半跏像で、右手に錫杖を、
左手に宝珠をいただく寄せ木造り。
玉眼は本来彫眼であったものが、江戸時代に玉眼に変えられたものと推定される。
(大平町教育委員会・大平町文化財保護審議会)


12時11分、大中寺の正門へ向かう。


大中寺の正門を潜って、


長い参道を下り、


12時22分、大中寺を後にした。


大中寺前の道を進み、両側に池がある突き当たりを左に曲がる。


大平町西山田地区を新大平下駅を目指す。
ぶどう園前を通過。
『ぶどう園が多いねぇ』
ぶどう団地といわれる所以であろう。


東武日光線新大平下駅を目指す。


新大平下駅を目指す。


JR両毛線周辺にもぶどう園が多い。


1房のぶどうが柵の外の蔓に垂れ下がっていた。
一粒摘まんで食べてみたが、ちょっと酸っぱかった。
『美味しいのは柵の外にははみ出たりしないんだよねっ』


JR両毛線の踏切を渡り、


県道11号(例幣使街道)を進む。


県道11号(例幣使街道)を進む。


JR大平下駅前を通過


東武日光線新大平下駅を目指す。


新大平下駅を目指す。


13時21分、新大平下駅西口に到着したが、バスが見えない。
電話すると、東口で待っているとのこと。


東武線の駅構内通過には、150円が必要とのこと。
これはもったいない。
理由を説明して、東口で待っていたバスに西口まで迎えに来てもらった。


バスは一路栃木市内の「湯楽の里」へ。


13時50分、「湯楽の里」に到着
一人720円だが、10枚綴りチケットが6,000円とのこと。
入浴希望者は14名なので、10枚綴りチケットと4名分で、一人640円で入れることに。
少し得した気分。


「湯楽の里」の湯殿


バス車内でこの日の集金を済ませ、15時ちょうどに帰路に就いた。


帰りは国道50号から国道294号を走った。
前方の車窓から筑波山が見えた。


16時31分、道の駅「しもつま」に到着


道の駅「しもつま」で土産物などを買い求める。


随分買ってますねぇ。


再び国道294号を走る。


バス車内には、笑顔があふれる。


『楽しかったわっ』


石下の豊田城を見ながら国道294号を進み、


常総ICから圏央道へ。


正面に見えていた筑波山が真左に見えるようになった。
先ほどとは随分と形が異なるが、いつ見ても美しいと感じる。


17時20分、つくば中央ICを通過


17時36分、三中公民館に到着


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


太平山ハイキング(栃木市)が無事終わった。
太平山は、思っていたほど楽なコースではなかったようにも思う。

上りはそれほど急な坂道ではなかったが、後半、特に太平山山頂からの下りは急坂で、
ストックを持参しなかったことを悔やんだ。

また、ぐみの木峠からの下りも急坂の連続で苦労した。
しかし、転倒者やけが人もなく全員無事に下山出来たことには、安堵している。

いつの間にか随神門を通り過ぎてしまっていたが、何とか説得して急な石段を下り、
記念撮影までもって行けたのは一安心。

次に来る機会があれば、太平山名物と云われる卵焼きやちたけそばを食べてみたい。

この日の万歩計は、17,000歩を計測していた。

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ランチは欠かせない 舘岸山周遊ハイキング

2018年09月07日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2018年9月7日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第16回(2018年第26回)、「岩間舘岸山周遊」ハイキングに参加した。

岩間舘岸山周遊ハイキングは、平成26年(2014年)6月27日以来で4年ぶりとなる。

第一集合場所の乙戸沼公園
集まったのは、9名。土浦ピアタウンから参加のTKさんに確認すると、7名とのこと。
計16名はちょっと少ない感じだ。
直行者が何名になるのか、気になるところではある。


車4台に分譲して第二集合場所のフラワーヒル花園へ。
10時40分、フラワーヒル花園に到着。


スタート・ゴール場所となるフラワーヒル花園には、土浦ピアタウンから来た組と、
直行した人たちが待っていた。


乙戸沼公園組・土浦ピアタウン組、それに直行組合せて20名集まればと思っていたら、
直行者は9名だった。
結局、この日の参加者は25名となった。


フラワーヒル花園にランチの最終人数を伝え、13時頃に食事の準備をお願いし、
10時57分、TKさんを先頭に出発!


後ろに続く皆さん。


この日は、反時計回りで館岸山を周遊するコースである。
前回(2014年6月27日)と同じコースだ。
館岸山ハイキングコースの標識に従って進む。


『このコースは久しぶりねっ』


泉蔵院方面へ。


泉蔵院へ600mの案内標識


岩間町保存樹として指定されたスダジイの古木
幹周4.6m、樹高11m、推定樹齢350年(平成11年4月)とあった。


泉蔵院へ200mの案内標識を通過


薄暗い参道を進むと、


真言宗豊山派 大日如来 泉蔵院と書かれた門柱があった。
『昔はここに立派な門があったんでしょうねぇ?』
『ご本尊は大日如来さんなんだっ』


11時8分、泉蔵院(東組公民館)に到着した。
一見普通の民家である。とてもお寺さんには見えない。


泉蔵院の裏手に指定保存樹の栢(カヤ)の大木がある。
推定樹齢は400年とある。
『いやぁ これは立派な栢だわ~』


泉蔵院の横を抜けると館岸山への登山道が始まった。


ハイキングルート図
尾根道を進み、北山(382m)との分岐点手前を左折すると館岸山(256m)に通じている案内図だ。


しばらく急な坂道を上ると、


11時14分、尾根道らしき所に出たところで、一休み。


一息入れた後、館岸山を目指して尾根道を進む。


館岸山を目指す。
尾根道はそれほど急な勾配ではない。


「くま笹の丘」と書かれた看板が。
『くま笹が見られるのかなっ?』ちょっぴり期待感が膨らむ。


少しだけくま笹を見ることができた。
『”くま笹の丘”はちょっとオーバーだよねっ』


館岸山を目指す。


大木が倒れたままの状態で道を塞いでいた。
『あまり人が通らないので、そのままになってるんだっ』
腰を曲げて通り抜けるのは大変である。


11時40分、再び一休み。
『お茶が美味しいわよねっ』


館岸山山頂登り口まで300mの地点を通過


また別の倒木があった。
這いつくばう格好で木を潜る。
『いやぁ この歳で倒木の下を潜るってのは骨が折れるもんだねぇ』


12時ちょうど、北山と館岸山との分岐点に到着した。
北山方面は、”この先危険”と書かれている。


茂みの中に館岸山への案内標識を見つけた。
左方向-希望の広場・城址まで600mとある。


案内標識に従って館岸山山頂(256m)へ。
少しばかり下って行くと、


その先には急勾配の山道が待っていた。
滑り易いので何かに掴まらないと登るのは厳しい。


やっとの思いで館岸山山頂(256m)に到着した。
山頂は狭く、全員がゆっくりと腰を下ろせるような場所はない。


後ろが閊えているので先頭Gは、館岸城址方面へ。


案内標識に従って館岸城址を目指す。


『下りは楽で良いわよねっ』


館岸城址・波石と思われる場所に到着した。
(波石には気が付かなかった)


「たてぎし亭」
かつて波石開発・城址開発・階段造り等の作業をする人たちが、
休憩や昼食をこの場所で摂っていたようだ。
そんな彼等にとって「たてぎし亭」は、”山城の自前のレストラン”だったのだろう。


堀障子(ほりしょうじ)
案内板には次のように紹介されている。
地面を掘って水を通したのを堀と言う。しかし、館岸城の場合、空掘(濠)である。
土塁と土塁の間に堀(濠)を造り、空掘の底は通路としている。
土塁は敵の侵入を防ぐ防禦施設としたものであるが、堀(濠)障子とは、土塁下の堀を敵が
侵入してきた時に、 堀障子の土塁に兵士が隠れて敵を迎え撃った。
(攻めて来る敵を待ち受けて攻撃した)
障子は和風建築の塀障具(へいしょうぐ)の総称だが、その防禦壁を障子にたとえ堀障子と称した。


これが堀障子の跡なのか?


急坂を館岸城址へ。


急坂の途中に”階段を上り、館岸城址内・きぼうの広場へ”の案内標識があった。
前回ここを歩いた記憶がある。


急坂を上った辺りに案内表示があったが、草や笹が生い茂っていて、道がはっきりしない。


笹を掻き分けて進むと・・・


館岸城跡の説明板があった。
説明によると、
この地域は、むかし「小鶴の荘」と云われ、鎌倉時代初期、八田知家の四男宍戸家政の
所領となって以来、宍戸氏一族の支配するところであった。
この城については、元中四年(北朝年号では嘉慶元年:1387年)難台山に立て籠った
南朝軍小田五郎・小山若犬丸らを攻めるための幕府軍に参加した、上州北白幡一揆(群馬県日高市)
の高麗義軍忠状に「朝日山御陣」と記されている城であったと考えられる。(以下略)


自由の広場と思われる所を進む。
笹が生い茂っているのは、あまり人が通っていないことの証でもある。


”下山道 西寺地区へ1Km”の案内標識が。


西寺地区を目指して、山道を下る。


粘土質で急坂の下り道は滑り易いので注意が必要だ。
『滑るわよ~っ 気を付けて~っ』


”下山道 大久保区へ”の案内標識


滑り易い急坂の山道を下る。


回りが杉林になってきた。
麓は近そうだ。


12時45分、山麓の西寺地区に到着した。


田んぼの向かい側に愛宕山(305m)が見える。


『ここまで来れば後は普通の道だよねっ』


西寺集落をフラワーヒル花園を目指す。


『道は楽で良いけど暑いわね~っ』


12時55分、安国寺の参道前を通過。
このペースで行けば、予定していた昼食の時間には間に合わないことが予想されるため、
この日は安国寺参詣はパスすることにした。


二十三夜塔などの石碑群前を通過。
フラワーヒル花園には予定時刻より少し遅れることを連絡。


フラワーヒル花園へ。
『お腹が空いてきちゃったわね~っ』


田んぼでは稲刈りの真っ最中だ。
今年の米は全国的に「やや良」との報道があったが、この地区はどうなのだろう。


フラワーヒル花園へ。


八石集落の小路を左に曲がる。
『もう少しでフラワーヒル花園だよねっ』


『今日はけっこう歩いた感じだよね~っ』


『ちょっと疲れた~ぁ』


13時19分、全員怪我なくフラワーヒル花園に到着したが、
予定より20分近く遅れてしまった。
かつてのように館岸山を2時間で周遊するのは、厳しいのかも。


めいめい好きなテーブルに座って待つこと10分余、次々に料理が運ばれてきた。
料理が運ばれてきた順に『いただきま~す』


この日のランチ
サンドイッチとおにぎり、野菜サラダとスープが付いている。
食事風景(1)


食事風景(2)


食事風景(3)


食事風景(4)
テラスでの食事もOKである。


各テーブルには、季節の花が飾られている。
こういったおもてなしが女性には好評なのだろう。


食後に飲み物(コーヒーまたはハーブティ)とケーキが付いている。
『最後にケーキが出ると嬉しいのよねっ』
ちなみに料金は¥1,100円だった。
4年前(2014年6月)は¥1,080円だったので、料金はほとんど変わっていないことになる。


男性陣も満足の様子だ。
『いやぁ けっこう美味しかったよっ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

4年ぶりに館岸山周遊ハイキングを実施した。
倒木が道を塞いでいたり、案内標識が読みづらいなどの点を除けば、
館岸山(標高256m)を約7Kmで周遊するこの日のコースは、当会にとっては、
手頃なコースと思う。
また、ゴール後にデザート・飲み物付きの手作りのランチを食べれるのは、
楽しみでもあり、このコースの醍醐味でもある。
館岸山周遊ハイキングには、ランチは欠かせない。

この日の万歩計は、12,000歩を計測していた。

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