ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

終り良ければ・・・ 月居山から袋田の滝

2022年11月05日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2022年11月5日(土)

隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和4年度(2022年度)第12回、令和4年(2022年)第14回、「月居山から袋田の滝
ハイキングに参加した。

この日のコースは、これまで 2010年10月16日(土)2011年11月5日(土)及び、
2012年11月3日(土) 歩いているので、今回でちょうど10年振り、4回目となる。

今回も、格安な”ときわ路パス”が利用できる土曜日とした。
荒川沖からだと通常は片道1,980円のところ、”ときわ路パス”は一日乗り放題で2,180円である。
”大人の休日俱楽部”会員はさらに500円の割引になる。

この日荒川沖駅改札口に集まったのは11名。


荒川沖8時ちょうど発の水戸行電車をまっているところ。
水戸駅で郡山行きに乗り換え、袋田駅には10時32分に到着する。
もう一本早く(8時49分)到着するには荒川沖6時8分発では早過ぎるため、この電車になった。


常磐線車内は土曜日のため、空いており楽に座れた。


『電車空いてて良かったわねっ』


土浦駅から5名、神立駅から2名が乗り込み、この時点で18名となった。
9時1分、水戸駅に到着。
水郡線郡山行きは9時23分発で少し時間があるので、駅構内で自由に過ごしてもらった。


郡山行き列車は、4両編成だ。
水戸駅で笠間から来た1名が乗車し、この日の参加者は合計19名となった。
2010年10月16日が 8名、2011年11月5日が10名、2012年11月3日が16名だったので、
過去最高の参加者となった。


この日は土曜日ということもあって、車内に空席はあまりなかったが、早めに乗車したおかげで
全員座ることが出来た。
常磐線の下りのL特急「ひたち」の到着が遅れたため、定刻より6分遅れて出発することに。


『袋田まで立ってたら大変だったよねっ』


10時38分、列車は定刻より7分ほど遅れて袋田駅に到着した。


袋田駅
『10年振りかぁ 何だかちょっと懐かしいって感じだねぇ』


この日のコースと帰りの列車の発車時刻(15:58)等を説明し、
10時53分、月居山目指して出発!!
『帰りの15時58分は余裕でしょっ』 なんて声も・・・
準備体操は省略だ。


この日も先頭はTK会長が務める。


おとりあゆや釣り具雑貨の菊池商店前を通過し、


10時57分、生瀬街道踏切を通過


踏切を渡って直ぐ、久慈川に架かる鉄橋が見えた。
『青い色の鉄橋って絵になるねぇ』

こちらは2012年11月の時の水郡線鉄橋。
橋脚等全てがすっかり変わっている。


「日本二十五勝」の碑前を通過。
日本二十五勝は、1927年(昭和2年)に、大阪毎日新聞社、東京日日新聞社主催、鉄道省後援で
日本新八景が選定された際に、併せて選ばれた日本を代表する25の景勝地のこと。
同時に日本百景も選定されている。
因みに日本二十五勝には、数ある瀑布の中から那智滝と養老滝、そしてこの袋田滝の3つしか
選定されていない。


国道118号を横断し、袋田の滝方面へ向かう。


前方にこれから上る双耳峰の月折山が見えて来た。
左が前山(423m)、右が後山(404m)である。
月居城跡がある後山が月居山と呼ばれている。


久慈川の支流滝川を渡る。


幕末の勤王志士 桜田門外ノ変実行部隊の指揮者関鉄之助の碑が建てられている。
万延元年(1860)3月3日、大老・井伊直弼を暗殺し、事件後西国から薩摩に入ろうとしたが拒絶され、
かつて親交のあった常陸国久慈郡袋田村の桜岡源次衛門を頼り、同年7月中旬桜岡邸屋敷に身を潜めた。
潜伏期間中の約1年間に、多くの漢詩や和歌を書き残した、とのこと。
その後捜査の手から逃れるため、会津から越後へ入ったが、文久元年(1861)湯沢温泉に
潜伏中に捕えられて水戸へ送られた。
翌文久二年(1862)江戸小伝馬町へ移されて処刑された。
享年39歳であった、と紹介されている。


「袋田の滝」への分岐点方面へ向かう。
前方左に袋田温泉旅館「思い出浪漫館」が見える。


「思い出浪漫館」の先の袋田の滝への分岐点を通り過ぎて少し進むと、
袋田の滝・旧月折峠方面への道路があるので左に折れて道なりに進む。


所々に赤や黄色に染まった木々を観ることが出来る。
『ドウダンツツジが真っ赤に染まってて綺麗だったぁ』
150mほど進むと、


旧月折峠・月折山 ⇒ の標識があった。


11時26分、月居山への入口に到着
袋田駅を出発して32分が経っていた。
”月居山登山道まで1.0Km、徒歩15分”の案内板が。
『月居山登山道まであと1Km・15分か、けっこうあるねぇ』


ここまで32分、身体が汗ばんで来たので”着替え”のための小休止だ。


朝はかなり冷え込むという予報だったので、厚着をして来た人が多かったようだ。
『着替えしといた方が良さそうだねっ』


入口は通行止めの看板が立てられ、閉ざされていたが・・・
車が対象だろうという勝手な解釈で、11時30分、そのまま進むことにした。


前方に月折山が見える。
紅葉の見ごろは1週間後くらいだろうか。


緩やかな上り坂が続く。


左手には生瀬富士(406m 奥の方)が見える。
手前は立神山(413.2m)だろうか?
麓の集落が一望できる。


坂道の後方に袋田温泉の家並みが見える。


道路の一部が崩落している箇所があった。
通行止めの原因箇所ではないかと思われる。


月居山登山道入口を目指す。


11時45分、月居山登山道入口に到着。
ここから月居城址・袋田の滝への登山道(月居古道)に分かれる。
通行禁止の登り口から15分、案内板どおりだ。


呼吸を整えて・・・


『観音堂までもうちょっとかなっ?』


NKさん(82)が先頭に立ったのでリードしてくれるかと思ったら・・・
どんどんと先へ行ってしまった。
『早過ぎるうっ 元気が良すぎるうっ』
NKさんは毎日欠かさずに12,000歩を目標に歩いているというから凄い!


後に続くTK会長
『マイペースで行くよっ』


登山道の真ん中に大きな岩が・・・


緩やかな坂の月居古道を進む。


月居古道を倒木が塞いでいるが、”なんのその”。


倒木に腰を下ろして後続を待つ余裕の表情の女性陣


『元気があるのね~っ』
『この程度の坂だったら余裕だよねっ』 女性陣は元気が良い。


12時18分、袋田温泉(旧県道)、袋田の滝(近道)、月折観音堂への分岐点に到着した。


月居観音堂方面を目指す。


急な坂道を上ると・・・


”月居峠のたたかい”の説明板があった。
月居峠は元治甲子の変(1864年)で(水戸藩同士の)天狗党と諸生党が戦ったところです。
天狗党側が破れ西上の途について、後に敦賀(福井県)にて処刑されました。
茨城県・大子町


月居峠(鞍部)へ進むと光明寺の門があった。
門の先に釣鐘堂があり、自由に撞くことができる。


代わる代わる鐘を撞く。
鐘の音が月居山後山に響き渡った。


釣鐘堂の傍(月居峠)に、苔むした石仏が並んでいた。
月居峠は元治甲子の変(1864年)で水戸藩天狗党(1千人)と水戸藩諸生党(2千人)が
戦った所であり、天狗党が敗れ、西上の途について、敦賀にて処刑された。
石仏はそのときの死者を弔うためのものなのだろう。


この先観音堂から袋田の滝まで弁当に適当な場所はなかったと認識している。
しかし、ここ光明寺は陽も差さずに薄暗く寒いことから、弁当はもう少し進んで、
袋田の滝見橋近辺まで我慢するか、或いは途中の山径の脇に適当な場所を見つけて
広げることにするしかないだろう。
とりあえず月折観音堂、袋田の滝、生瀬滝方面へ進んでみよう。


釣鐘堂の先の急坂を上ること約2分、


12時36分、月居観音堂に到着した。
月居観音堂は、正しくは月居山光明寺観音堂といい、天台宗の寺院で大同二年(807)に
建てられたと云われ、運慶の作と伝えられる高さ6尺(約1.8m)の聖観世音菩薩が
安置されているとのこと。
だが、到着してがっくり!!
何と! 月折観音堂は堂の周りにロープが張られ”立入禁止”となっていた。
『あらら~っ 月折観音堂からの眺望を期待していたのに、残念だね~っ』


仕方ないので、月居観音堂を通り過ぎて、月居山前山への急な石段を登る。
この石段には手摺はないので、気を付けたい。


『けっこうきついわねっ』


さらに手摺の付いた段差のある一段と急な石段を上ると・・・


少しだけ平らな場所があった。
『ここで一息つきたいわねっ』
既に12時を40分以上過ぎており、『お腹が空いて力が出ないわっ』の声も。


通りかかった逆方向のハイカーに問うと、『もう一段上にベンチがありますよっ』の声に・・・
後続の数人が弁当場所を求めてさらに石段を上って行った。
何ヶ所かに分散して弁当にするのがベターだと判断した。


TK会長と相談の上、最初に到着した数人はこの周辺で弁当にすることにした。
早速山径の脇に場所を見つけて弁当を広げる。


山径を少し逸れた場所では女性陣も弁当を広げていた。
『ここだったら、通行人の邪魔にならなくて良いんじゃないっ?』


『青空も見えて来たし、紅葉を観ながらの弁当は最高だねっ』
目の前の紅葉を観ながらの弁当は格別である。


急いで弁当を食べ、一段上に行ってみるとベンチが2つあり、既に弁当を食べ終わっていた。


『いやぁ ここからの紅葉はなかなかのものだったよっ』


一段下で弁当を食べ終わった皆さんが石段を上って来た。
『きついわねっ この石段』
『弁当食べ終わった後だったからきつく感じるのかもねっ』


月居山前山(404m)を過ぎると、今度は一転下りになった。
コンクリート製で急坂、しかも水平ではない箇所が多い。


『この石段怖いよねっ』
『転ばないように気を付けなくちゃねっ』


左には生瀬富士(402m)が紅葉し始めた姿を見せていた。


生瀬滝を目指して前山を下る。


この辺りは紅葉がかなり進んでいる。
『綺麗だけど、もう一息だよね~っ』


木々の隙間から袋田温泉辺りの家々が見える。


さらに急な石段が続く。
水平ではなく、幅が狭いので歩き難い。


左袋田の滝、右国道461号の案内表示があった。
国道461号の下に”生瀬滝上部”の文字が見える・・・
てっきり生瀬滝観瀑台への分岐点だと思って、右方向へ。


後には数人が続いたが・・・


7分ほど下ったところで登って来た人がいたので確認すると、この先は生瀬滝観瀑台には
通じていないとのこと。
『え~っ』
径を間違ってしまったことにようやく気が付き、引き返すことに。
そう云えばこんな案内板はなかったような気がする。
かなり下っていたので、引き返すのは正直言ってしんどかった。
20分近く時間をロスしてしまった。


急いで皆さんの後を追いかけ、袋田の滝方面へ向かった。


袋田の滝が近づくにつれ、一段と綺麗な紅葉が目に付くようになった。
紅葉を楽しんでいる余裕はないのだが・・・


真っ赤に色づいた”もみじ”が美しい。


袋田の滝の案内板から約5分後の13時58分、ようやく皆さんに追い着くことが出来た。
というより、先に下りた皆さんが途中で待っていてくれたのである。
『いやぁごめんごめん 待たせちゃって!』 『遅れて申し訳ありませんっ!』
『よく追い着いたよね~っ』


皆さんと揃って、あらためて生瀬滝を目指した。


この辺りも紅葉が素晴らしい。


14時5分、生瀬滝観瀑台への分岐点に到着した。
生瀬観瀑台はこの径を進んだ所である。10年前を思い出した。


分岐点から1分ほどで生瀬滝観瀑台に到着した。


生瀬滝
やや水量が少ないように感じる。


『いやぁ 生瀬滝って良いもんだねぇ』
『記念に写真撮っておかなくちゃねっ』とスマホを構える皆さん。


後続Gが気になったので、急いで先ほどの分岐点に戻ると、ちょうど下って来たところだった。


生瀬滝観瀑台へ案内した。


『なかなか良い滝だよなっ』


袋田の滝の上流部が木々の間から見え隠れする。
『やっぱりこっちの滝の方が見応えがあるよねっ』


袋田の滝の説明板
袋田の滝は幅73m、高さ120mあり日本三大瀑布の一つとなっています。
西行法師が秋の季節に訪れ『この滝は四季に一度づつ来て見なければ本当の良さは
味わえない』と言って春、夏、冬と三度の季節にも滝を見に来たので、
別名「四度の滝」とも呼ばれています。
また一説では、滝が四段になっているので、その呼び名が出たとも云われています。
花紅葉 よこたてにして 山姫の 錦織りなす 袋田の滝」 西行法師


石段の先に天狗岩が見えてきた。
”天狗岩の伝説”には以下のような説明がされていた。
天狗の鼻のような形をしていて天狗が滝見をしたところと云われています。
夜な夜な天狗の大きな羽ばたきがしました。
ところが、実はこの辺りにたくさん住んでいたムササビの羽ばたきだったといわれています。



天狗岩を過ぎると石段から鉄製の階段に変わった。
手摺が付いているので安心感がある。


生瀬滝から急な階段を下ること15分後の14時29分、ようやく滝見橋の袂に到着した。
『いやぁ 疲れちゃったよっ』


先に到着した皆さんも近くで腰を下ろして休んでいた。
かなり疲れた様子に見受けられた。


降りて来た急な階段を見上げるもまだ後続Gの姿は見えない。


袋田の滝観瀑台への吊り橋が見える。
最後尾Gが到着する前に、吊り橋から袋田の滝の様子を見て来ることにした。


吊り橋から観た袋田の滝(1)
この時既に時刻は14時33分を回っていた。
最後尾Gの到着を待って観瀑台へ上るとなると、袋田発15時58分の列車に間に合わなくなる
恐れがある。


つり橋から観た袋田の滝(2)
時間の都合上袋田の滝観瀑台へは行かない方が賢明なのではないだろうか。
水量が少ないのも気になるところだし・・・


袋田駅行きのバスの有無を確認するため、一足先に滝本へ急いだ。
休憩処を通り抜け、


土産物店が軒を連ねる滝本に到着し、案内の人に袋田駅行きのバスがあるかを尋ねた。
案内の人によると、袋田駅行きのバスが15時10分頃にあると教えてくれた。
バス乗り場はここから200mほど先のトイレがある所だと言う。


案内の人に礼を言い、15時9分、バス乗り場に行くとトイレ横にバス停の看板があった。
時刻表には、大子行き15時00分とある。既に15時9分を回っていた。
バスは既に発車した後なのか?


いやちょっと待てよ、乗るべきバスは大子行きではなく袋田行きの筈だ・・・
よく見ると袋田行きは15時30分発と書いてあるではないか!!
袋田行きバスはまだ発車していなかったのだ、あと20分後にやって来るのだ!!
これなら袋田駅発15時58分の列車に間に合いそうだ。


少し遅れて皆さんが次々とバス停にやって来た。


バスは15時30分発と知って、皆さん安心したように縁石に腰を下ろして一休みである。


『15時30分発だったら列車には充分間に合うわよねっ?』
『料金はいくらなのかしらっ?』 近くにいた人に尋ねると210円とのことだった。


15時27分、まもなくバスが来る筈である。
行儀よく並んで待っていると・・・


15時30分ちょうど、袋田行きのバスが到着した。
皆さん、次々とバスに乗り込んだ。


バスはここ滝本が始発なので、当会全員が座ることが出来た。
我々以外に10人ほどが乗り合わせ、数人が立った状態で発車した。


15時39分、終点の袋田駅に到着した。
料金は210円だった。


急いで駅前の酒屋さんへ直行し、缶ビールを買い求めた。


駅舎内の長椅子に腰を下ろして『乾杯っ!!』 『疲れさんっ!』
『いやぁ 今日は最後までヒヤヒヤだったよねっ』
『今日のビールは殊の外美味いねっ!!』
”終わり良ければ何とやら” である。


ホームで待つことしばし。


15時57分、水戸行き列車(4両編成)が到着した。


我々一行も含めて40名ばかりが乗り合わせることになったが、当会員全員(多分)が座れて一安心。


水戸駅には17時25分に到着した。
外は既に真っ暗になっていた。
水戸駅からは殆ど待つことなく、17時32分発の常磐線上野行きに乗り換えることが出来た。
土浦駅近くになると電車の窓からチラチラと「土浦の花火」が観えた。


荒川沖駅には18時37分頃に到着した。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


月居山から袋田の滝ハイキングが無事終了した。
全山紅葉に染まる直前の月折山、水量のやや少ない生瀬滝、木々の隙間からのみの袋田の滝を
観ることが出来、秋の奥久慈を楽しめた1日だった。

この日のコースは、これまで 2010年10月16日(土)2011年11月5日(土)及び、
2012年11月3日(土) 3回行っているので、今回が4回目となる。

10年前までは、体力的に特に問題なく月折城址(前山423m)に登って弁当を広げたが、
今回は月折城址への登頂は年齢的に危険が伴うと判断し、前山山頂の月折城址へは登らなかった。
参加者全員の無事安全を考えることが最も重要だと考えてのこととご理解頂ければと思う。

我々の年代にとって直近の10年というのは想像以上に体力がなくなっていくということに
初めて気付かされたと思った次第。
何とか山径の脇で弁当を広げられたのは、想い出に残るエピソードになるような気がする。

また、袋田駅発15時58分の列車は袋田の滝から歩いても充分余裕があり、駅に着いてから
どうやって時間を潰すかを真剣に考えていたのだが、結果的にはバスに乗ってギリギリ
間に合ったというのは、想定外だった。
駅に到着して何とかビールにありつけたのは、”終り良ければ何とやら”で、良かった、良かった。

この日の万歩計は、13,000歩余を計測していた。

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