ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

変わらぬ景色が嬉しい 宍塚大池から上高津貝塚

2023年01月20日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
令和5(2023)年1月20日(金)

隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和4年度(2022年度)第17回、令和5年(2023年)第2回、「宍塚大池から上高津貝塚
ウォーキングに参加した。

この日のコースは、これまでに2回実施している。
1回目は2013年3月1日、2回目は4年後の2017年4月21日だったので
今回は6年半振りということになる。

この日のスタート地土浦イオンの駐車場に集まったのは29名。予想を超える人数だ。
天気も良く地元でこれ以上ないという近さが参加を後押ししたのかも。
いつもなら一定数の人が、第一集合場所(乙戸沼公園)から相乗りを希望するところだが、
今回は乙戸沼公園に集まった7名全員が自車で土浦イオンへ直行するという形になった。
第一集合場所から相乗りせずに全員が自車で第二集合場所(出発地)へ直行するというのは
初めてのことである。
土浦イオンへ自車で行けるというのは慣れていて自信があるからに他ならない。


この日と次回(2月3日 石岡舟塚山古墳)、次々回(2月17日 神立鶴沼周辺)のコース地図を
配布し、この日のコース概略を説明。
また、ゴール後解散した後は、駐車代代わりとしてレストランでの食事や買い物を推奨し、
概ね賛同を得た。
皆さんかなりの頻度で土浦イオンを訪れて利用しているように見受けられた。


9時41分、TK会長を先頭に先ずは宍塚大池を目指して出発!


駐車場の隅っこにある小さな石段を上ると目の前が土浦PBの中高津高架橋である。


ちょっと長めの信号を2回待ちして土浦PB高架橋を潜り、宍塚大池方面へ。


土浦イオンから県道24号(土浦学園線)に伸びる直線道路を進む。


この辺りは倉庫業や輸送関係の会社の看板が目立つ。


右手に筑波山と宝篋山が見える。
あいにく筑波山には雲が懸かってやや見え難いものの、
『上手い具合に宝篋山と筑波山が重なって見えるよねっ』


前方右手に特別養護老人ホーム「滝の園」が見える。
『まだあそこに世話になるのは早いよなぁ』
皆さん、まだまだ元気いっぱいである。


左には「さくらガーデン」という店が。
牛たん定食 ”本日貸切” の看板が。
『牛たん専門の店なのかねぇ?』
ネットを見ると牛たん料理がメインのようだが、ジャンルは創作料理店となっている。


右手に見えるのは土浦労働総合庁舎だ。
建物には土浦労働基準監督署、ハローワーク土浦が入っている。


ステーキハウス COOK BARN
TK会長によると『ステーキは美味しい』とのこと。


店の前に”お肉の自動販売機”が設置されていた。
『24H肉が買えるんだっ』
  

『どんな肉が買えるんだろうねっ?』


和牛サ-ロイン1,000円、牛ホルモン串300円、豚生姜焼き500円、牛もつ煮込み400円、
手仕込みハンバーグ1,000円、豚ロース500円、フランクフルトソーセージ500円、
牛スジ煮込み400円、などの商品が見える。


ステーキハウス COOK BARNの先に怖そうな看板の店が。
VAPE JAPANとあり、ネットで調べると電子タバコ専門店とのこと。
屋根越しに牙を剥き出している怪獣のような看板は強烈で印象的だ。
『大形のジープ(HUNMAR)がかっこ良いよなぁ』


VAPE JAPANの横に目指す宍塚大池の案内板が建っていた。
”ようこそ 宍塚の里山へ”とある。


案内板に従って、土浦学園ゴルフセンターの横を通り、


宍塚大池を目指して・・・


道なりに進む。


静かに佇む阿弥陀様の前を通って進むと・・・


宍塚大池への分岐点があった。
⇒の案内表示に従って進むと・・・


10時9分、宍塚大池に到着した。
土浦イオンを出発してちょうど30分が経過していた。
『意外と近かったねぇ』


静かな湖面にはたくさんの渡り鳥が羽を休めていた。
『わ~っ こんなにたくさんの渡り鳥がいるんだぁ』
『ハクチョウはいないみたいだねっ』
鳥を観察をしていた人によると、ハクチョウは宍塚大池の周囲が林に囲まれていて、
飛び立つ時に狭過ぎるため、『ここには飛んで来ない』とのこと。
『そうなんだぁ』と一同納得。


ようこそ宍塚大池に” 
宍塚大池を中心に雑木林などが囲むように広がる100hは、豊かな自然を含む里山です。
周囲には宍塚古墳群や国指定の上高津貝塚に代表される古墳群も豊富に点在し、
歴史的にも大切なところです。
認定NPO宍塚の自然と歴史の会



宍塚大池から谷津田方面を観たところ。
過去2回はこの谷津田を通って来た。


ここで一休みして水分補給をしよう。


『前にも来たことあるけど、いつ来ても良い所だよねっ』


鳥を観察していた人に勧められて望遠鏡を覗いているYMさん。
『いやぁ 良く観えるなぁ』


こんな感じかな?


10分ほど休憩した後、大池の奥へ。
ここから奥は私有地になっており、散策路以外への立ち入りはNGなので注意が必要だ。


散策路を進む。
『落葉が気持ち良いわね~っ』


散策路から宍塚大池の最奥部の方を望む。


途中にある杉木立を抜けると・・・


イナリヤツ(稲荷谷津)湿地の案内板が表れた。
大池の奥部は湿地状態になっている。


道なりに進むと水捌けのために3つの平らな石が並んでいた。


石棺材を使った橋
イナリ谷津湿地への流れの上に設けられている橋は、古墳の石棺材を使ったものと推定されます。
筑波山麓産の片麻岩の板状の石で、ビタ石とよばれています。
ビタ石は集落の中の溝に架けられたり、井戸付近の踏み石になったりしています。
なお、宍塚の台地上には20基以上の古墳があり、宍塚古墳群といわれています。


イナリ谷津の最奥部を進む皆さん。


石棺材を使った橋を過ぎた辺りからイナリ谷津湿地を望む。
かつてこの辺りは田んぼだった、と言う話もあるそうだ



イナリ谷津湿地を過ぎて道なりに進むと、木立の間から陽の光が差し込む雑木林が広がっていた。
『歩き易くて気持ちが良いわね~っ』 『今日は参加して良かったぁ~』
『土浦市内にこんな素敵なコースがあるとは知らなかったぁ』という声も。


散策路の随所に番号が振られた案内板があるので道を間違えなくて済む。
(ここの番号は12となっている)


案内板番号13を過ぎてさらに散策路を進むと・・・


十字路があった。


案内板番号14
直進は常磐自動車道となっている。
ここを左折すると県道123号土浦坂東線方面とある。


左折して県道123号土浦坂東線方面へ。
朝方の雨でややぬかるんだ径を進む。


雑木林を右手に見ながら進むと・・・


案内板番号15があった。
左折して右手にソーラーパネルを見ながら進むと「会の森」へと続いている。


案内板15に従って左に折れて右手にソーラーパネルを見ながら進む。


径は森へと続いていた。


少し進むと、案内板番号16が。
「わくわくの森」(ゼフィルスの森)とある。
ゼフィルスとは、ミドリシジミ類の蝶の仲間のこと。


案内板から数十m進むと・・・


10時42分、手作りのベンチがおいてあり、お休み処の看板があった。
ベンチは2個所にあった。


空いていたベンチは瞬く間に満席状態となった。
皆さん、少し疲れが出て来た頃なのかな・・・


こちらのベンチも同様である。
なかには立っている人の姿も。


恒例のお茶タイム、楽しみなひと時である。


10分ほど休憩した後、案内板番号17を目指した。


坂径を下って行くと・・・葦が生い茂ったイナリ谷津のような湿地帯?が広がっていた。


案内番号17 栗崎遺跡と書かれた案内板があった。
台地上は旧石器時代ー縄文時代ー古墳時代に人々が暮らしていた広大な遺跡です。
見下ろす谷津は、五斗蒔谷津といい、かつては全体が水田として利用されていました。
大地の裾には今も、水が湧き出しており、大地へと流れています、と紹介されている。
『昔はここは田んぼだったのかぁ』


栗崎遺跡を過ぎ、坂道を道なりに進む。


一転今度は坂道を上って行くと・・・


11時2分、上高津貝塚ふるさと歴史の広場の裏手に出た。
車は通行止めとなっているが、人は通ることが出来るようだ。


真っ直ぐ進むと、


案内地図に見入る皆さん。


国指定史跡・上高津貝塚ふるさと歴史の広場の案内地図


広場は広いので、ここからは各自自由に散策してもらい、凡そ25分後に考古資料館前に
集まることにした。
自分は時計周りにC地点、B地点、A地点の順に回ることにして、先を行く人の後を追った。


一団となって広場を回る女性陣の皆さん。


裏手の入口から一番近い第2号竪穴式住居
一辺が4-5mの角のとれた四角い形の掘り込み(建物の中の一段低い部分)として
発見されたものをもとに建物を復元したもの。
住居の中央部には火を焚いた炉があり、家の中の生活の中心となっていた、の説明が。


(第2号竪穴式住居の裏側にある)第4号竪穴式住居
直径が3mの丸い掘り込み(建物の中の一段低い部分)が発見されたものをもとに
建物を復元したもの。
これらの家の屋根には茅が葺かれており、夏涼しく、冬暖かい作りになっている、
と紹介されている。


こちらは第1号竪穴式住居(復元された竪穴式住居では一番大きい)
この住居は、一辺が約4mの角のとれた四角い形の掘り込み(建物の中の一段低い部分)
として発見されたものです。
その発掘調査の資料をもとに復元したのが、この住居です。
これらの家の中には今日の一家族ぐらいの人が住んでいたと考えられます、と紹介されている。


実際に住居の中に入ってみた。
『いやぁ しっかりとした造りで、けっこう天井が高いよねぇ』


『意外と広いのねっ』


復元された竪穴式住居の周りには墓なども復元展示されている。
廃棄土坑(はいきどこう)
ここに住んでいた縄文時代の人たちが食べた残りかすなどを捨てた穴を復元したもの。
大規模な貝塚の他、このように家族単位で作られたとみられる小規模な貝塚もある、とのこと。


縄文時代のお墓


5号墓壙(ぼこう)
この浅い穴は墓穴で、発掘調査が行われて空になった状態を示している。
集落の作られた当時、この辺りは墓地として利用されていたと考えられる、と紹介されている。


1号墓壙(ぼこう)
発見されたとき、埋められていた人の頭のところには、写真のように土器が被せてありました。
穴の大きさなどから見て、この人は身体を折り曲げて葬られた(屈葬)と考えられます、
と紹介されている。


展望所


『当時はここからこんな風に霞ヶ浦が見えたんだろうねっ』


現在の様子
『今は全く何も見えないねっ』


展望所には、貝塚から出て来るもの(貝類)や


貝塚から出て来るもの(釣り具)などの写真が展示されていた。


貝塚断面展示施設の裏手辺りから上高津貝塚ふるさと歴史の広場を見たところ。


3つの竪穴式住居が見える。


最後に貝塚断面展示施設へ。


貝塚断面展示施設の内部
この貝層は、発掘調査時の断面に特殊な薬剤をつけて、貝層の土層を剥ぎ取ったものを、
立体的に再生展示している。
表面に見える貝や土器は縄文時代のもの、と案内されている。


11時23分、集合場所の考古資料館前へ行ってみると・・・
既にかなりの人が集まっていた。


全員が揃ったのを確認して、11時27分、上高津貝塚ふるさと歴史の広場を後にした。


考古資料館横を通り、


上高津の集落方面へ。


高台から土浦イオンの隣のニトリが見えた。
『ニトリのほんのちょっと右手が土浦イオンなんだけどね~っ』


皆さん、足取りはしっかりとしている。


上高津の集落へは急な下りの坂道が続いている。
『この辺はけっこうな高台なんだねぇ』
『縄文の人もこれだけ高い台地だったから安心して住んでられたんだねっ』


坂道を下り終え、上高津の集落を進む。


この辺りは県道123号線と並行した道になっているが、車は殆ど通らないので安心して歩ける。


小さな祠があった。
何を祀っているのかは分からない。


祠の前を通り過ぎ、県道123号と土浦BP交差点手前の八坂神社へ。
八坂神社への立ち寄りはこの日のスタート直後にNGさんが突然提案したものだが、
時間に若干の余裕があったので立ち寄ることにした次第。


ということでこの日最後の目的地八坂神社へ。
『いやぁ 最後にこの坂はきついよね~っ』


急坂の参道を上り切った所に八坂神社の社殿が鎮座していた。
神社に参拝し、土浦BP方面へ下った。


いったん県道123号へ戻って土浦BP下のトンネルへ。


土浦BP下のトンネルを抜けて反対側へ。


トンネルを潜って左に曲がって進むと・・・


目の前に土浦イオンが現れた。
『目の前じゃんっ』


土浦イオン前の信号を横断し、


道路沿いに左手方向へ進むと・・・
『お疲れさんっ』と土浦イオンが迎えてくれた(ような気がした)


11時59分、ゴールの土浦イオンに到着した。
次回(2月3日)の再会を約して、この日はここで解散することに。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


我々いつもの男性陣5名は、土浦イオンのレストラン街へ向かった。
向かった先は朝方決めていた「とんかつ”和幸”」である。


生で『乾杯っ!!』といきたいところだが、今日はそういう訳にはいかない。
めいめいお好みのランチメニューを注文。
TSさんとYMさん


TK会長


HRさん


自分は”ききょう”(税込1,180円)を注文した。
厚みのある肉だが、軟らかくて美味しかった。
全員がシジミの味噌汁をお代わり(無料)した。
キャベツとご飯もお代わり無料となっている。

食後は次回の再会を約して、各自自車で帰路に就いた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

6年半振りで3回目の宍塚大池から上高津貝塚ウォーキングが無事終了した。
宍塚大池の景色が最初に訪れた10年前と全く変わっていなかったのに感心した
のと同時に嬉しかった。
ボランティアの方々のおかげでコースが整備され、また、随所に案内板が設置されていて
道に迷わずに歩けたことも嬉しかったことの一つである。
『また歩いてみたいっ』の声も多く聞かれた。

今回は出発地の土浦イオンへ直行した人がいつもより大幅に増えた。
第一集合場所の乙戸沼公園あるいは土浦ピアタウンから相乗りでという人が
全くいなかったことは初めてのことである。
全員が個人であるいは友人同士の乗合いで自宅または第一集合場所から直行したことになる。
このことは、時期は未定だが、次回この日のコースの時は当会が目標としている
”現地集合・現地解散”となる初のケースになるかも知れない。

この日の万歩計は、11,000歩を計測していた。

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地元に変更は正解 八坂神社と常陸七福神巡り

2023年01月07日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2023年1月7日(土)

隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和4年度(2022年度)第16回、令和5年(2023年)第1回、「八坂神社と常陸七福神巡り
ウォーキングに参加した。

当初は東京の日本橋七福神巡りを計画していたが、コロナ感染者数の増加が続くなか、
電車を乗り継いで日本橋周辺まで出掛けるのはコロナの感染リスクが高過ぎるのでは?
という懸念の声が挙がり、検討した結果、土浦市内に常陸七福神の一つにご本尊が七福神
という眞延寺というお寺があることが分かり、急遽眞延寺と近くの矢坂神社を巡るコースに
変更した次第。
例年正月第1回目は各地の”七福神巡り”を実施してきたが、この数年は企画はしたものの、
コロナ禍で実施は控えて来たことから、今回の”七福神巡り”は3年振りのこととなる。

この日集合場所の土浦駅に集まったのは22名、ほぼ予想通りだ。
当初企画通りの日本橋七福神巡りとしていた場合は、もっと少なくなっていたかも知れない。


この日のコース地図などを配るとともに、コース変更に至った経緯を説明し納得してもらった。
その後のTK会長の新年の挨拶に聞き入る皆さん。


10時16分、いつものように元気なTK会長を先頭に土浦駅を出発!
この日のコースは、TK会長の自宅近くを歩くことから、これ以上適任の先導者はいない。


皆さん、TK会長の後を追って土浦駅の西口へ。


土浦駅西口のタクシー乗り場を北へ進む。
正面に土浦市立図書館アルカスが見える。


土浦市立図書館アルカスの前を通り、


つくばりんりんロードの発着点へ。


高層ビルが見える。
マンションなのだろうか?


高層ビル前を通って、信号を渡ると・・・


10時23分、つくばりんりんロード(桜川土浦自転車道)発着点に到着した。


ここからしばらくつくばりんりんロードを進む。


ちょうどJR常磐線の電車が右側を走って行くところだった。
『グッドタイミングだよねっ』


前方に土浦駅の東西を結ぶ県道263号が見える。


前方に見えるのはホーユウパレス​土浦​C​棟の建物だ。
14階建てのマンションで総戸数308戸、筑35年とのこと。
『駅から近いから便利だよねっ』


つくばりんりんロードを進む。


つくばりんりんロードは通称”国体道路”でいったん途切れるので、そこを右折して新川を渡る。
橋の上から新川下流(霞ヶ浦方面)を望んだところ。
釣り人がのんびりと竿を出していた。


新川を渡り、国体道路を横断すると、右側にK’sデンキの建物などが見えて来る。


新川に沿って30mほど進むと途切れていたつくばりんりんドードが右側に続いている。


きれいに整備されたつくばりんりんロードを進む。


国体道路を横断し300mほど進んだところで、つくばりんりんロードとは別れて右折。


右手にはサンキなどの建物が見える。


左手前方に見える高い建物は延増​興産​第3​ビルだ。


道なりに進むと、10時44分、正面に土浦市民会館(クラフトシビックホール土浦 )が見えた。
土浦駅を出発したのが10時16分なので、ここまで28分ということになる。


クラフトシビックホール土浦 前を左折すると、左手に夢庵右手にホームセンター山新が見える。


夢庵の先の信号を右折して進む。
右側はホームセンター山新の建物だ。


スーパー太陽を右手に見ながら進み、この後いったん左折するのだが、


最後尾の二人が気になるが、まあ道に迷うようなことはないだろう。


スーパー太陽前を右折して、また直ぐに右折して住宅街を進み、


真鍋東通りを横断する。
最後尾の二人は問題なく後に続いている。


真鍋3丁目辺りの住宅街を進む。
TK会長の家はここからそう遠くはない所だ。


右手の小高い丘に赤い鳥居と小さな社が見えた。
天神社というのだそうだが、詳しいことは分からない。


細い道を進んで行くと、急な石段があり、登り口の手摺に”旧鎌倉街道”の文字が。
『こんな所を鎌倉街道が通ってたんだぁ』


Gの最後尾の2名が旧鎌倉街道の石段を上って来た。
『お疲れさま~っ』


急な石段を上り切った所が”校庭の中央の桜”で有名な真鍋小学校だ。
校庭の中央に樹齢およそ100年の県指定天然記念物の桜の木が5本植えられている。
校庭中央の巨木の満開の桜は圧巻で一見の価値があると思う。


用事でスタートが少し遅れていた3名が旧鎌倉街道の石段を上って来た。
ここで今日の参加者22名全員が揃ったことになる。
『お疲れさま~っ』 
『よく追い着いたよねぇ』 
『さすがの健脚だね~っ』


真鍋小学校の校庭近くで小休止だ。


真鍋小学校の正門前を通り、


11時8分、鹿島神社に到着した。
この神社はTK会長の地区の氏神様だそうだ。
ここは参拝して行かなくちゃ。


TK会長としては、初詣を済ませることが出来て一安心といったところだろう。


真鍋小学校の裏門前を通過して道なりに進むと、


11時17分、国道125号の土浦一高前交差点に出た。


これは土浦第一高等学校の裏門になる。


国道125号を横断し、


300mほど進むと、11時21分、最初の目的地である土浦の郷の鎮守八坂神社に到着した。


八坂神社参道入口には土浦市指定名木・古木の”八坂神社のムクノキ”が迎えてくれる。
樹高19.0m、胸高周3.7m、葉張り東西13.7m、南北11.4mとあった。


八坂神社
祭神は建速素戔嗚尊(たけはやすさのをのみこと)
応永年間(1394~1428)に現在の真鍋の地に鎮座されたと伝えられ、江戸時代までは
牛頭天王社(俗に天王様)と呼ばれ、土浦城の鎮守として城主土屋家の崇敬を受け、
明治以降から八坂神社と改称し現在に至っている、とのこと。


矢坂神社拝殿
創祀以来、六百有余年の間、土浦の郷の鎮守として護り、祀られてきた。


矢坂神社拝殿
今日7日は松の内最後の日だが、参拝客はまずまずと思われる。


松の内とは、正月事始めから神様がお帰りになるまでの期間を指し、松の内の終わりの時期は
地域によって異なり、関東や東北・九州地方などは1月7日まで、関西地方は1月15日(小正月)
までとする場合が多い、とのこと。
拝殿内には祈願をしてもらう人の姿がたくさん見られた。


拝殿近くには招魂社が祀られている。


招魂社の向い側には御神輿舎があり、


御神輿舎の前にはお炊き上げする古い奉納物がうず高く積まれていた。
古い御札・お守り・破魔矢・熊手・しめ縄・しめ飾り・神棚・ダルマなどがお炊き上げの
対象とされている。
神社の正月の風物詩と言えるだろう。


境内にはたくさんのおみくじ札や


絵馬が見られた。


11時33分、ちょっぴりと正月気分を味わった八坂神社を後にして、この日の目的地である
常陸七福神の一つである眞延寺へ。


再び国道125号に出て、


土浦市方面へ300mほど進むと・・・


11時38分、目指す常陸七福神の一つである億萬山七福神眞延寺の山門に到着した。
『土浦に住んでるけど、こんな所に七福神があるなんて知らなかったなぁ』


山門から眞延寺を見たところ。
『いやぁ けっこう長い石段だよねぇ』


眞延寺の本堂は石段に隠れて見えないが、ここで記念撮影を済ませることにしよう。


石段を上る。
『途中で休まないと一気には上れないわよねっ』


石段を上り切った所から土浦市内が一望できる。


『いやぁ こうやって見るとなかなか良い眺めだね~っ』


本堂への参道には眞延寺の御本尊である七福神の石碑や


何故か正岡子規の句碑が建てられていた。


”子規の句碑について”として以下のように紹介されているのを見て納得。
1889年(明治22年)正岡子規は水戸街道を東京から水戸まで徒歩旅行をした。
水戸の親友・菊池謙二郎を訪ねるのが目的で、四泊五日旅行の様子は数十の初句とともに
「水戸紀行(子規著)」に記されている。
土浦を通過した折、真鍋の公園地と呼ばれていて茶屋が点在する高台に登って霞ヶ浦を眺め、
霞みながら 春雨ふるや 湖の上」 と詠んだ。  以下略
平成二十一年十一月二十三日   有志・子規句碑建立の会


茅の輪を潜って心身を清め、無病息災や厄除け、家内安全を願い、


眞延寺の本堂へ。


常陸七福神巡り
常陸七福神は茨城県の寺院を巡るコースである。
土浦市の中川延四郎氏が金無垢の七福神(後藤祐乗作)を所持しており、この七福神を祀る
眞延寺が昭和57年12月に開山されたのが常陸七福神開創のきっかけになったとのこと。
さらに、牛久市の一色邦彦氏により、この七福神像をモデルにしたブロンズ像が作られ、
各寺社に奉安され常陸七福神が誕生した、そうである。
眞延寺は御本尊が七福神ということで、本堂の奥に金無垢の七福神像が祀られている。
常陸七福神巡りの七福神が全て揃った寺院で、眞延寺にお参りすることで、全ての七福神に
お参りするのと同じ福徳が得られる、そうである。
常陸七福神巡りは”日本で一番長い順路を持つ七福神詣”として以下の社寺を巡ることになる。
・大黒天 笠間稲荷神社(笠間市)・恵比寿天 筑波山神社(つくば市)
・毘沙門天 西光院(石岡市)・弁財天 逢善寺(稲敷市)・福禄寿 長勝寺(潮来市)
・布袋尊 月山寺(桜川市)・寿老人 西蓮寺(行方市)・七福神 眞延寺(土浦市)



本堂の両脇に七福神の絵が飾られている。
本堂左側


本堂右側


眞延寺の御朱印は、”本堂内は無人のため、1枚につき500円を賽銭箱に入れて下さい”とある。
記念に1枚頂くことにして、五百円硬貨を賽銭箱に投入した。


11時56分、眞延寺を後にして、ゴールの土浦駅を目指すことにした。


眞延寺の裏手を出て、西真鍋町方面へ。


細くて急坂の径が始まった。
『いやぁ いきなり急な下り坂だなぁ』


注意を払いながら細い急坂を下って行く・・・
『気を付けて下さいね~っ』


12時ちょうど、急坂を下って行くと麓の西真鍋町の住宅街に出た。


西真鍋町の住宅街を通り抜け真っ直ぐ進む。


市民会館前道路を横断すると・・・


つくばりんりんロードに出た。(写真は桜川方面)


左折してつくばりんりんロードを進む。


国道125号との交差点で信号待ちをしているところ。


国道125号を横断する。


国道125号を横断した所はかつての筑波鉄道旧真鍋駅?のホーム跡ではないかと思われる。


旧真鍋駅のホーム跡を過ぎて旧水戸街道を右折して土浦城方面へ。


旧水戸街道を進み、


新川橋を渡り、


さらに旧水戸街道を進むと、


市指定史跡 土浦城北門跡の碑があった。
北門は土浦城の北端、水戸街道北側の出入り口である。
北門は松平信吉のとき設けられ、S字形の馬出とともに水戸街道北口を守る重要な門であった。
慶長八年(1603)、門の前に城の防御として馬出が築かれ、貞亮三年(1686)にも追加されて
全国に例を見ないS字形の馬出となった、と紹介されている。


間もなく土浦城だ。


12時28分、土浦城近くの筑波銀行土浦駅前支店前に到着した。


この日はここを仮のゴールとし、後は皆さんお好みの店へ足を運んでもらうことにした。
TK会長から労いの挨拶があり、次回(1月20日)の再会を約して解散することに。


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


我々5名は土浦城旧前川門前の「富久善」へ行ってみることにした。
水戸地方裁判所の前を通り、土浦城旧前川門方面へ進むと・・・


割烹「富久善」はあった。
創業は昭和9年(1934)と言うから老舗である。


土曜日で裁判所は休みだが、「富久善」は営業していた。
『いやぁ 良かった~っ!!』
「富久善」を推したTK会長は胸をなでおろしていた様子だった。


店内には先客が1人いただけで他に客の姿は見られない。


先ずはビールで『乾杯!!』
『いやぁ 美味いっ!!』


日本酒も軽く胃に流し込んだ後、めいめいお好みのメニューを注文した。
TK会長はカキフライ定食
『カキフライが好きなんだよ』


TSさんもカキフライ定食
『やっぱカキフライがあれば注文しちゃうんだよなっ』


YMさんはマグロ丼
『ビンチョウで我慢するしかないねっ』


HSさんもマグロ丼
『どっちかっていうと魚系の丼が好きだねっ』


自身もマグロ丼を注文した。
『油ものは控えなきゃいけないんでねっ』


食事の後は土浦城の東櫓を眺めながら・・・


国道125号を土浦駅へ向かった。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

3年振りとなる年初恒例の”七福神巡り”が無事終わった。
当初企画した”日本橋七福神巡り”ではなく、地元土浦市の”常陸七福神”の一つである眞延寺と
土浦の郷の鎮守である八坂神社を巡るコースとなったが、眞延寺の御本尊が七福神という
縁起の良い、また正月に相応しいお寺であることを初めて知ることとなった。

昨年末、当初企画した”日本橋七福神巡り”の下見直前になって、コロナ禍のために地元に変更
することを突然提案された時には一瞬頭が真っ白になったが、今ではコースを変更して本当に
良かったと思っている。
当初の計画通り”日本橋七福神巡り”にしていたら、コロナ感染者発生に見舞われた可能性も考えられ、
そういうことになれば、今後のんびりとウォーキングなど続けられなくなるだろうし、
そうでなくても、参加者が大幅に少なくなっていたことは間違いないだろう。

コロナ禍が一日も早く収束し、今年も安心してウォーキングが続けられることを、心から
願うばかりである。

この日のコースは、地元土浦市で距離約6Km、足腰の鍛錬にも良いとされる急坂の径や
つくばりんりんロードもあり、例会以外でも歩いてみたくなるコースではないかと思われる。
日頃の運動不足を解消するにはもって来いのコースではないだろうか?

この日の万歩計は、12,500歩を計測していた。

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