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ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

魚料理に大満足 五浦海岸散策忘年会

2012年12月21日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年12月21日(金)~22日(土)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」有志で、「忘年ウォーキング」と称して一泊旅行に出かけた。
これまで一泊忘年会は他県に出掛けていたが、たまには県内も、ということで行く先を北茨城市の五浦海岸にした。

参加者は会長をはじめ、合計6名であるが、1名は用事のため、車には間に合わず電車で追いかける形になり、
茨城県最北の駅、大津港駅で合流することにした。
9時45分に拙宅を出発し、土浦市内で乗り合わせた5名で常磐高速道を走った。
友部SAで最初の休憩。
友部SAは平日ということもあって空いていた。


時間があるため、時速90Kmそこそこのノロノロ運転で走る。
次の休憩地、中郷SAには11時55分に到着した。ここでもゆっくりと休憩を摂る。


12時ちょっと過ぎに北茨城ICで常磐高速を降り、国道6号を北上。
大津港駅で合流する予定のMさんから、『時刻表どおり水戸駅を出発した』との連絡メールが入った。
既に昼食は済ませたとのこと。
12時20分、我々もそろそろ昼にしよう。
うまい具合に大津漁港近くの国道6号沿いに魚料理屋「松野屋」を見つけた。


『何にしようかな?!』メニューを見ていると、
限定30食の”日替わり定食”(892円)が6個残っていると言う。迷わず”日替わり定食”を注文した。
10分ほどで出てきた”日替わり定食”は、
刺し身、ポテトサラダ付豚のしょうが焼き、しらすおろし、あさり味噌汁、お新香、オレンジ、
ご飯もボリュームたっぷりである。


『これはお得じゃねえのっ』
たまたま6個残っていたのは幸運だったと言うべきだろう。


食後にコーヒーも付いてこの値段(892円)は間違いなくお得だと思う。


「松野屋」の目の前に同名の海産物直売店があった。
ちょっと覗いていくことにした。


『いやぁ、いろんな魚があるねぇ』


『今は買うわけにいかないんで、帰りに寄ることにするかっ』


待ち合わせまでまだ少し時間があったので、茨城県天心記念五浦美術館へ向った。


「再興院展 時代を拓く作家たち」(12月1日~1月14日)が開催中だった。


入館料は500円だが、70歳以上は無料になっている。
結局、2名が500円を払って入館、足早に館内を見て回った。


14時10分、電車のMさんと無事大津港駅で合流。
早速、この日の宿泊先の旅館「長浜荘」へ。


旅館「長浜荘」は、先ほど見学した「茨城県天心記念五浦美術館」のすぐ隣にあった。
今は休館中?の日帰り入浴施設「天心の湯」の裏になる。
東日本大震災の影響で壊れた個所の修理がまだ終わっていないのか、鉄パイプの足組みが見える。


道路沿いには大きな看板があるので、見落とすことはない。
後で聞いた話だが、この看板の真ん中あたりまで津波が来たそうである。
すぐ隣の「天心の湯」も軒下まで浸かったそうだ。


「長浜荘」の駐車場に車を停めて、14時30分、元気に”忘年ウォーキング”のスタートだ。


五浦海岸沿いの道を進むと、五浦観光ホテルの別館「大観荘」を過ぎた辺りに「黄門の井戸」があった。
元禄年間、徳川光圀公が領内巡視のおりこの地を訪れた際、喉の渇きをおぼえ、
井戸はないかと供のものが捜し回り、畔の脇に古井戸を発見した。
しかし、井戸は底深く飲むことは出来ず、光圀公が井戸を覗き見たときに、杖が井戸の渕にあたり、
水がコンコンと湧き出でて、難なく飲むことができた。
その後この井戸は「黄門の井戸」と呼ばれ、涼味溢れる水を永く土地の民に与えたと云われている。
(説明板より)


「黄門の井戸」の隣に「岡倉天心の墓地」があった。
『へぇ~こんなところに岡倉天心の墓地があったんだぁ』
何度かこの地を訪れているが、「岡倉天心の墓地」があるとは知らなかった。
車だったので、見落としてしまっていたのだ。


岡倉天心の墓地
この墓は日本美術院の主宰者岡倉天心の遺骨が、天心の辞世とされている和文と英詩に盛り込まれた意志に沿い、
天心没年の大正二年(1913)、東京都染井霊園の墓から日本近代美術黎明の地五浦に分骨・埋葬されたものであり、
歴史的、文化的に価値の高い史跡である。(案内板抜粋)
染井墓地と同じ土饅頭型の簡素な丸い墓である。


五浦六角堂
入園料は300円だが、『ちょうど復興支援映画「天心」撮影中のため、六角堂を観れないので、無料です』とのこと。
『まぁ、六角堂は対岸の五浦岬公園から観れるそうだから只なら入ってみようっ』
ここでも得した気分だ。


天心記念館
入口を入ると岡倉天心の胸像が迎えてくれる。


五浦で釣りを楽しんだと云われる岡倉天心像


”ちらりと見えれば良い”と半ば諦めていたが、映画撮影は「天心邸」で行っている最中のため、
六角堂は観ることができるとのこと。『ラッキーっ! ついてるねぇ』
完全に復元された六角堂


この日の海は穏やかだった。
六角堂から観た景色(左側)
五浦観光ホテル「本館大観荘」


六角堂から観た景色(右側)
五浦岬公園辺り。


正面の岩の上には石灯篭も復元されていた。


映画の撮影は、ちょうど竹中直人主演の岡倉天心が天心邸から出て来るところが撮影されていた。
ちらりと見えた”竹中天心”は、竿を持ち、毛皮を羽織り、天心記念館で見た”天心”そっくりだった。
あいにく撮影はできなかったのが残念である。
映画「天心」は、天心生誕150年、没後100年に当る2013年に全国一般公開される。


対岸の五浦岬公園展望台から観た六角堂
ここから観る六角堂は、全体が眺められるので”一番良い”とのこと。


「天心」の撮影はまだ続いていた。


五浦岬公園方面へ進む。
少し上りの道だが、ちょうど良い腹ごなしになる。


五浦岬公園
六角堂の対岸にある小さな公園だ。
公園内からの展望は望めないそうだ。


五浦岬公園の前に灯台(大津岬灯台)が建っていた。


崖稲荷神社
小さなお稲荷さんである。


岬公園から15分ほど進むと、大津漁港が見えてきた。


大津漁港
写真中央の漁協付近に人影は見えない。
しかし、我々が訪れた時にはあちこちで復興に向けての整地の最中だった。
翌日、旅館「長浜荘」のご主人に震災直後の大津漁港の写真を見せて貰った。
漁港舟上げ付近の家や建物は殆ど流されてしまい、がれきに覆われた状態になっていた。
津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられた感じだ。


津之神社
海のすぐ傍に建っているが、どうやら津波の影響はなかったようである。
震災のお見舞いになるかどうか分からないが、お参りして行こう。


大津港を後に、旅館「長浜荘」に向かった。


この辺りは高台になるので、津波ではなく、地震の影響で倒壊した跡地を整地したものと思われる。


大津港の一番高い場所付近(天心小道)を進む。


16時ちょうど、旅館に到着し、ひと風呂浴びて部屋でくつろぐ。
夕食まで少し時間があったので、Tさん持参の鹿児島土産を肴に軽く一杯。
皆さん少し顔が赤らんでいる。


18時15分、夕食の準備ができ、忘年会開始である。
ずらりと並べられた魚料理に圧倒される。
『いやぁ、これ凄い料理だねぇ』


夕食メニューは、
あんこうの胆、生牡蠣、蛸ともずく酢、みる貝、あんこう酢味噌、ウニ・甘海老・つぶ貝などなど、
海の幸満載である。


さらに
40Cmを超える平目の刺し身


たらば蟹


あんこう鍋


ソイの煮物もある。


『一年間お疲れさんでしたぁ~』
『かんぱぁいっ』
この一年間実施した行事に始まり、社会の出来事などの話で大いに盛り上がった。


『そろそろあんこう鍋出来たようだねっ』
『いやぁ、もうお腹いっぱいで食べれねぇよぉ』
と言いつつも、何とか腹に納めた。


しかし、食べきれないほどの量に降参である。
旅館の主人・女将には申し訳ないことにかなり残してしまった。
会長は部屋に戻って胃薬を飲む始末だ。
それでも二次会は、持参の焼酎をちびちびやりながら、夜遅くまで話し込んだ。



2012年12月22日(土)
この日は予報どおり朝から雨である。
朝食は、8時の予定が少し早くなり、7時35分に女将から声が掛かった。


昨夜あれほどたくさん食べにも関わらず、皆さんご飯をお代りするから不思議である。
昨夜は量は多かったが、脂ものはなかったため消化が早いのだろう。


昨夜残したソイと蟹も出てきた。
さすがに蟹を残しては申し訳ないので、無理してでも食べてしまおう!
これで一泊二食10,000円(飲み物別・消費税別)だから、安い!!


雨のため、当初計画していた「平潟港往復ウォーキング」は車に変更である。
平潟漁港


9時を少し過ぎたところだったが、ちょうどタラが水揚げされていた。
船底の水槽から網ですくい上げ・・・


樽に入れて漁協に運んでいるところ。


水揚げされたばかりのまるまる太ったタラ。
これから、セリが行われるのだろうか?


まだ時間が早いので小名浜港へ向かうことにした。
9時50分、小名浜の「いわき・ら・ら・ミュウ」に到着。


大震災で大きな影響を受けたが、見事に復活、リニューアルしていた。


海産物売り場には威正の良い声が響く。


『ここで、お土産を買うことにしようっ!!』
『ありがとうございますっ』


皆さんそれぞれお好みの海産物を買った。
リニューアルされた「いわき・ら・ら・ミュウ」店内でコーヒーとカフェボールを味わった後、帰路についた。
安くて、美味しくて、さらに近い県内での一泊忘年会も捨てたものではない、と思った。
2012年最後の行事は、記憶に残る忘年会になった。


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日光街道を歩く 第4回 幸手宿から古河宿へ

2012年12月19日 | ウマさんの「旧日光街道」を歩く
2012年12月19日(水)


2011年4月から12月にかけて旧水戸街道を、そして2012年2月から5月にかけて、成田街道を歩き終え、
仲間の方たちから次の街道歩きを望む声が次第に大きくなってきた。
Webなどを参考に検討を重ねた結果、大部分が日帰り可能な「日光街道」を歩くことにした。

第4回目のこの日は、幸手宿(東武日光線幸手駅)から古河宿(JR東北線古河駅)までの約19.5Kmを歩いた。

この日は朝からハプニング続き。
先ずは常磐線、前を走る電車の車両事故で荒川沖駅の次のひたちの牛久駅で約25分待たされた。
ようやく走り出した、と思ったらまた藤代駅でさらに20分以上待たされる始末。
結局柏駅には約50分近く遅れて到着だ。

次は東武線での乗り間違えというハプニングだ。
東武野田線柏駅を7時51分に発車し、春日部駅で藤原行きに乗り換えたまでは良かったが、乗ったのは”快速”電車。
東武動物公園駅に到着したところで、車内放送で次の幸手には停車しないことに気が付き、慌てて降りたのだが・・・
一人だけ見当たらない。何と。降り損なってそのまま乗って行ってしまった。
”快速”が次に停車する駅は板倉東洋大駅、この日のゴール古河宿よりもはるか先である。
急いで携帯に連絡し、板倉東洋大に到着後、上り電車で南栗橋駅まで戻ってもらい、
国道4号線沿いの「小右衛門一里塚跡碑」で合流することにしたのである。

9時14分、約1時間ほど遅れて幸手駅に到着。


幸手駅にほど近いところにお姉さんが住んでいて、この日も愛車でお姉さん宅へ直行し、
幸手駅で待ち合わせすることにしていたT子さんには、1時間以上もまちぼうけさせてしまった。
『遅くなって申し訳ありませんっ!』


この日集まった参加者は、12名。
最初は13名参加するはずだったが、1名はJRの出発を30分繰り上げる旨の案内メールをよく読まずに自宅を出たため
柏駅に到着したのは、我々よりもさらに30分以上も遅れてのことだったそうである。
携帯に電話をしてみたが、全く応答がない。一応伝言を入れておいた。
後で聞いた話だが、結局柏まで来て連絡がとれないため引き返したそうだ。
携帯電話は家に忘れてしまっていたとのこと。

予定より1時間近く遅れているうえ、南栗橋近くの国道4号線で合流する必要があるため、
9時23分、準備体操は省略し、すぐに出発だ。


一色館跡と陣屋稲荷
案内によると、
幸手駅付近一帯に、城山または陣屋という地名が残っているが、
ここは古河公方足利氏の家臣一色氏が館を構えた跡といわれている。
(後略)


幸手宿に立つ「日光街道」の案内板


薬局の表は今風の造りだが、屋根などは蔵造りのままである。


幸手宿の通り
この日は気温も低くて風が強い。
フードで風を凌ぐ。


宿の突き当り少し手前に菩提山東皐院聖福寺ぼだいさんとうこういんしょうふくじ)がある。
浄土宗知恩院の末寺として応永年間(1394~1428年)に開山したと伝えられている。
三代将軍徳川家光をはじめとした歴代将軍や、例幣使が休憩所として利用した、由緒ある寺である。
この寺の観音像は、運慶の作だと云われており、また左甚五郎の作といわれる彫刻も残されている、とのことだが、
あいにく中には入れなかった。


中を覗くと本堂に向かって右に立派な造りの鐘楼があった。


続いて宿の突き当りに、正福寺しょうふくじ)があった。
天明三年(1783)の浅間山噴火による飢饉の際、付近の名主達が食料を提供して救済に当たったことを称える碑が建っている。


こちらの鐘楼もなかなかのものだ。


幸手の通り
やや速足のためか、暑くなってフードはいったん外す。
街中なので、風も防げる。


幸手駅を出発して30分、国道4号線に合流した。


菜の花畑と桜の堤防で有名な権現堂公園の表示が見えてきた。


右側に権現堂公園の桜並木が見える。
権現堂公園の桜は写真やTVでしか見たことがない。
一度桜並木を歩いてみたいものだ。


古河まで14Kmの表示
幸手駅を出発して40分経過しているので、約3Kmは歩いた計算になる。


中川に架かる橋を渡る。
橋の上は風が強い。


中川を渡り、4号線に並行する日光街道を進む。


外国府間(そとこうま)道標があった。
この道しるべは安永四年(1775)日光街道と筑波道の分かれるところに建てられたもの。


「右つくば道」「左日光道」「東かわつま前ばやし」と刻まれている。
かわつまは現在の茨城県五霞村字川妻、前ばやしは同総和町前林のことで、筑波へ行く道順である。


権現堂公園
幸手権現堂桜堤から約1.5Kmは歩いた筈だが、こちらは多目的運動公園(1号公園)である。
因みに幸手権現堂桜堤は4号公園、とてつもなく広い公園である。


小右衛門一里塚こうえもんいちりづか
日本橋から14番目の一里塚で、埼玉県の日光街道では蒲生一里塚と小右衛門一里塚がかつての形態を留めている。
ここでようやく、板倉東洋大駅から南栗橋駅まで引き返したKさんと合流することができた。
一応全員揃って一安心だ。


一里塚碑の隣に権現堂川から移築された弁財天堂が建てられている。


権現堂川を右手に観ながら進む。


権現堂川の対岸のキューピー五霞工場
「健康ウォーキングの会」での工場見学も検討してみたい。


風が強く、『寒いっ!』
フードを被って進む。


前方に見えるのはボウリング場ラウンドワンスタジアム。


東北新幹線


ボートピア栗橋
埼玉県都市競艇組合が久喜市に設置している競艇場外発売場だ。
2010年2月25日オープンというからまだ新しい。


突然、スーパーベイシアが4号線横に現れた。
この日は寒いので弁当持参は止めて、途中のファストフード店、あるいはファミレスでと考えていたが、
街道沿いにそれらしき店は全くなく、どこで昼食を摂ろうかと悩んでいたところに、突然目の前に現れたのが、
このスーパーベイシアという訳。
軽い食事ならできる筈と考え、寄っていくことにした。


思ったとおり、軽い食事ができるフードセンターがあった。
昼前だったため、あまり混んでなく、ゆったりとしていた。


温かいラーメンやセットなどを注文。
軽い腹ごしらえとしては、上々である。


お腹も満たし、スーパーベイシアを12時ちょうどに出発。
午後最初に立ち寄ったのは焙烙地蔵ほうろくじぞう


昔処刑場があった地で、関所破りで火焙りの刑に処された人を哀れんで作られたと伝えられ、
今でも焙烙が奉納されている。
線香の灰が「えぼ」に効くことから「えぼ地蔵」とも呼ばれる。


街道沿いの旧い家は畳店だ。


浄信寺じょうしんじ


永正二年(1505)以前に開山した寺で、その後永禄十二年(1569)日譽源貞上人が再興したと伝えられている。


栗橋八福神の一つで、福神は寿老人(長寿延命・除難)である。


八坂神社


神輿倉
7月15、16日の夏祭りの御輿は100人で担ぐという大きなもので、関東の三大御輿と云われており、
町の自慢の一つとなっている、そうだ。中はよく見えない。
昭和四十五年の解体修理の時に「天王宮御輿文久三亥年(1863)十月吉祥日」の棟札が発見された、とある。


境内には八幡神社(左)や皇太神宮(右)なども祀られている。


八坂神社にお参り
ご神体は素盞雄命(すさのおのみこと


狛犬ではないが、阿吽の鯉だ。


いよいよ利根川を渡る。


茨城県古河市に入った。


橋の上は風が強い。フードが剥ぎ取られないように手で押さえて進む。
それに冷たくて寒い。


日光連山の男体山が見える。


日光街道は、利根川を越えると4号線を少し逸れて進む。


中田宿の説明版に見入る。
この中田宿碑の少し手前に日光街道中唯一の中田関所跡があるとのことだったが、見落としてしまった。


旧中田宿の通りは、昔の面影を伺うことはできない。


鶴峯八幡神社
鎌倉時代に創建されたとされる古社。
同時代に書き写されたとする法華経は、市指定文化財


享保年間(1716~36)に奉納されたと伝えられている太々神楽は、
市の無形民俗文化財に指定されている。


光了寺こうりょうじ
県指定有形文化財の木造聖徳太子立像が安置されている。


静御前のゆかりの地でもある。
寿永二年(1183)大変な日照りに見舞われた際、後白河天皇は、高僧を招き雨乞いをしても雨が降らないので、
百人の舞姫を集め次々に雨乞いの舞を舞わせた。
百人目の静が踊ろうとした時、天皇が静に御衣を与え、その御衣で舞ったところ、たちまち大雨が降ったという。


この辺りは寺が多い。真宗大谷派の寺院が目立つ。
円光寺
真宗大谷派の寺院


本願寺
浄土門の寺院


顕正寺
真宗大谷派の寺院


踏み切りを超えると茶屋松原に入る。
歩行者は歩道橋を歩くことになっているようだが、歩道のない車道をそのまま進んでしまった。


茶屋松原の名残りは全く残っていない。
松原復元のため、松の木が植えられていた。
草加松原のような立派な松並木になるにはまだ大分先になるだろう。


茶屋松原の真ん中辺りの茶屋新田に木製の看板が立てられていた。
日光二十里、日本橋十七里と表示されている。


茶屋松原の看板の裏にこじんまりとした香取神社があった。


古河宿への道
自転車専用道が青く色づけられている。
歩道いっぱいに広がって歩いている。
『自転車が来るよ~っ』


間もなく国道354号線の交差点に差し掛かる。
道路を横断して右側を進むことにした。


交差点を渡って少し進むと、県立古河第二高校の校庭の一角に古河一里塚が現存していた。
日本橋から16里目の一里塚である。


古河第二高校の門は閉まっていたが、頼めば中に入れてくれる。
じっくりと一里塚を見たい気もしたが、先を急いだ。


いよいよここから古河宿だ。


電柱が取り除かれ、整備された旧い町並み。


古河城御茶屋口門跡
徳川将軍の日光社参に伴い、休憩所として設けられた茶屋があったとされる。


徳川将軍の日光社参は江戸時代に19回行われているが、古河城は道中における将軍の宿城となることが通例であった。
将軍の古河入城に利用された「御成」の入口が、このお茶屋口である。


街灯に飾り付けられた「古河宿」の旗がたなびいていた。


「古河八萬石最中」の看板を見つけ、早速店の中に消えていったUさん。
奥さんと娘さんへの土産に、と最中を買い求めていた。


古河城下本陣址碑
古河宿の本陣は、117.5坪(約400㎡)の敷地であった。
現在は、石碑を残すのみである。


高札場跡の碑
高札場は、親を大切にとか、商いは正直にとか、キリシタンは禁止だとか云った幕府の法令や、
犯人の罪状などを掲げたところである。
道路を挟んで古河城下本陣址碑の向かい側に建てられている。


高札場跡碑に置かれているスタンプに行列だ。
『せっかくだから、記念に押しておかなくっちゃねっ』


高札場跡碑で一応この日予定していた最寄り地は全て終了した。
後はこの日のゴール古河駅を目指すだけだ。
14時58分、古河駅に到着。


幸手駅を遅れて出発したにも関わらず、古河駅には思ったより早く到着した。
時刻表を見ると15時1分発の上り上野行きがある。これに乗らなきゃ、しかし時間がない。
『急ぎましょうっ!』
整理運動も省略して、一目さんにホームへ急いだ。
しかし、一人がSUICAを持ち合わせていなくて、慌てて切符を買いに走ったが、結局間に合わず、
一人だけホームに取り残されることに。
後から携帯で連絡があり、次の電車で久喜を経由して、東武線に乗り換えたことが分かって一安心。
『申し訳ありませんっ』平謝りである。
最後までハプニング続きの一日だった。


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地元で”日帰り”が一番 忘年ウォーキング(土浦~神立)

2012年12月14日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年12月14日(金)

毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成24年度第29回(2012年第40回)、本年最終回は「忘年ウォーキング」と称して地元土浦駅から神立駅までを歩き、神立駅前の料理屋でささやかながら忘年ランチでも食べようという企画である。
忘年会となれば当然アルコールも入ることから、この日は電車での参加ということに。

8時45分、定刻どおり土浦駅西口に集まったのは28名。
コース途中で1名が合流することになっているので、合計29名の参加となった。
例年忘年会は温泉宿での一泊旅行だったが、参加者が年々少なくなってきたことから、
女性陣が参加し易い、”日帰り忘年会”を企画。
会長も『29名か。やっぱり、日帰りが良いねっ』 ”してやったり”満足の笑みである。


何故かこの日は準備体操は省略。
大人数のためランチは既に予約済みで、到着予定時刻(11:30)も確約済み。
会員の皆さんには11:30までに到着厳守を納得してもらい、8時56分、早速出発だ!!


土浦駅前の商店街を進む。
早朝のためか(と云っても既に時計は9時は回っている)どの店もシャッターが降りている。
この商店街は、一日中シャッターが閉まったままの店も多いというから、寂しい限りだ。


ザ・モール505」付近


明治二年(1869)創業の保立食堂。
水戸街道と川口川(現 駅前通り)が交差する櫻橋西袂に位置し、その地の利から大いに繁盛したという。


この日は地元土浦市内を歩くということもあって、皆さん、道を知り尽くしている。
皆が先導役である。


まちかど蔵「大徳」
観光協会の事務所がおかれ、情報提供サービスのほか土産品の販売も。
東日本大地震で壊れていたが、今では修理も終わっている。


退筆塚不動院(たいひつづか)と琴平神社。
1本の参道に鳥居と寺の山門が並ぶのは珍しいそうだ。


水戸家庭裁判所・地方裁判所前
前方に土浦城(亀城)の旧前川口門が見えてきた。


二の丸入口の旧前川口門
搦手門東側付近にあった前川口門は、江戸時代末期の建築で、明治以降移転を繰り返し、
現在は二の丸入口にあたる「二之門」のあったこの位置に移築された。
高麗門形式の門は、土浦市文化財に指定されている。


太鼓櫓門(本丸表門)
東日本大震災の影響でかなりの部分が壊れ、しばらくの間通ることが出来なかったが、今は通れるようになった。


城内側から見た太鼓門
櫓門形式の造りとなっていることから太鼓櫓門と呼ばれている。


本丸跡をぐるりと見渡し、西隅櫓も修理が終わっていることに安堵感を覚えた。
詳細見学はまたの機会にして、土浦城を後にした。
次の訪問地、善応寺を目指すことにする。


土浦城から旧水戸街道を500mほど北に進むと、北門の跡碑がある。
かつてここに、水戸街道北側の出入り口の北門があった。土浦城の北端にあたる。
南門は土浦城の反対側にある。
北門の跡碑は土浦市史跡に指定されている。


土浦市内の桜の名所、新川橋を渡る。
今年の4月6日、本年度の第1回目に訪れた場所で、記憶に新しい。


つくばりんりんロード
かつて筑波鉄道が走っていた。
今は自転車・歩行者専用道路になっており、JR水戸線の岩瀬駅まで(40Km)続いている。


旧水戸街道沿いには、旧い造りの家があり、昔の名残を伝えてくれる。


善応寺は、真言宗豊山派の寺院で、本尊は大日如来。
創建は南北朝時代頃とされる。
土浦城から北東の方角に当たる為、鬼門鎮護の寺院として、寛文十年(1670)
土浦城主土屋数直が観音像を寄進するなど庇護された。
観音堂にこの日の無事安全をお祈りして行こう。


ここで給水のため軽い休憩を取る。


真鍋十字路を過ぎた辺り。
旧水戸街道沿いの旧い家並みが続く。


校庭のど真ん中にある桜で有名な、真鍋小学校側から見た旧水戸街道。


前方に国道354号バイパスが見えてきた。
国道354号BPは、土浦市街の渋滞緩和、土浦北ICのアクセス向上のために整備され、
平成22年に全線供用開始された。


国道354号BP下の若松町交差点を旧水戸街道「板谷の松並木」方面へ進む。


日立電線㈱辺りから「板谷の松並木」が続く。
水戸街道には通行人を暑さ寒さから守るために松が植えられたそうだ。
現在はわずかにここ東若松町から板谷にかけての1.2Kmに残るのみとなった、とのこと。


”水戸街道松並木”の碑が残されている。
碑は土浦史跡に指定されている。


松並木は板谷の一里塚辺りまで続く。


板谷の一里塚
日本橋から二十里(約80Km)の位置にある一里塚である。


道路反対側の一里塚
こちら側の塚の木は枯れてしまっていて、小高い塚と碑が残るだけだ。


板谷の一里塚を少し過ぎた辺り。


県道64号との合流地点にあったコンビニで体調を整える。


県道64号を中貫宿方面へ進む。


土浦バイパスを跨ぐ。
(前方が土浦市街地方面)


土浦バイパスを跨ぎ、中貫宿に入ると、立派な門の旧家が目立つようになってきた。
中貫宿は水戸街道千住宿から12番目の宿である。
下り水戸方面の稲吉宿への片継ぎだけを行う宿で、上りの稲吉宿からは中貫宿を通り過ぎて土浦宿へ継立ちしていた。


安穏寺あんとんじ
真言宗豊山派の寺院。中貫宿本陣の向かい側にある。


中貫宿本陣
水戸街道を通行する大名が休憩するための小休本陣(原則宿泊はしない)で、本橋家が務めた。


元治元年(1864)天狗党による焼き討ちに遭って焼失した。
直後に再建された建物が今も住居として使用されている。
唐破風造りの式台付玄関は本陣建築としての格式が感じられる。


中貫宿は、家も立派だが、庭園も広くて立派だ。


旧水戸街道は中貫宿本陣を少し過ぎ、ゴルフ練習場辺りで国道6号(現水戸街道)に合流する。
今までの古い家並みとは一変、今風の建物が立ち並ぶ。


国道6号を右折し、神立駅方面を目指す。


中貫公園
多目的運動広場になっている。


中貫公園を斜めに横切って行くのが近道だ。


中貫工業団地の工場一つの面積は、先ほどの中貫公園の何倍もの広さがある。
左側は東京精密土浦工場
コカコーラの工場はさらにその左手になる筈だが、全く見えない。


中貫工業団地を過ぎ、神立駅へ近付くと・・・


次第に住宅地になってきた。


工業団地を過ぎて20分ほど進むと道幅が狭くなってきた。
歩道もなくなったため、車には気を付けたい。


電柱に「喜作」の案内を見つけた。
『ここを右に曲れば良いんだっ』


さらにその先のパチンコ屋を左折すると・・・


11時30分、目指す「喜作」に到着、予約の時刻ぴったりだ。
『やっと着いたわねぇ』
なかなかモダンな構えである。


2階の部屋に案内され、めいめい好きな場所へ。
しかし、いつの間にか生ビール派の男性陣はひと固まりに。


生ビール派とウーロン茶派、声を合せて『かんぱ~いっ』
『いやぁ~歩いてひと汗かいた後のビールは美味いねぇ~』
『最高だねっ』


この日の料理”喜作御膳・花”が運ばれてきた。
二段重ねのお重になっている。
まぜご飯と小鉢が並んで見た目も可愛らしい。
女性に人気があると云うのも頷ける。


食事風景1
男性陣にとっては全員初めてだが、


食事風景2
女性陣の中には「喜作」には何度も足を運んだという常連さんも。
この店を推奨・要望したのは女性陣だったのだ。
『美味しいのよねぇ』


男性陣は生ビールのお代りで満足の表情
『料理も美味しかったし、なかなか良い店だねっ』
評価も上々である。


食事も済み、会長のあいさつに聞き入る皆さん。


すこぶるご機嫌の会長だ。
『今年も一年、大変お疲れ様でしたっ!』


会長音頭の「三本締め」でお開きに。


『いよ~っ シャシャシャン・しゃしゃしゃん・シャシャシャンシャンっ』
『また、来年も元気で歩きましょうっ!』


「喜作」を後にし、店から数分の神立駅へ向かう。


13時45分、神立駅に到着。
13時39分発の電車は既に出た後(実際にはホームに停車していた)で、次の電車は14時10分だ。
25分以上も待たなければならないし、しかも次の電車は土浦止りである。
荒川沖行きは、さらに土浦で20分以上も待たされる、とがっかりしていたら・・・


ところがである。
上りの電車(13時39分発)が駅のホームに半分入ったところで、”異常音”のため点検中というではないか。
13時39分発の電車はまだ発車していなかったのである。
10分ほどで点検は終わり、時刻表より18分ほど遅れてホームに入って来たのである。
このためほとんど待つことなくまことに都合良く前の電車に間に合った。
前の電車の”異常音”ハプニングが幸いし、何とも嬉しいハプニングで締めくくれたという次第である。
『遅れた電車に間に合って良かったわね~』


今年から恒例の一泊忘年会を”日帰り忘年会”に代えて最初の試みであったが、
予想外の人数の参加に驚かされた。どうやら”日帰り忘年会”は正解だったようだ。
特に女性陣の参加が多いと華やかで、男性陣も盛り上がるのは間違いない。
今から来年のことを言うのは早すぎるが、土浦市内で”日帰り”にしたいものである。
女性の皆さん、どこか良い店があったら是非紹介してくださいね!


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危うく迷子に? 養老渓谷ハイキング

2012年12月12日 | ウマさんの気ままなバスハイキング
2012年12月12日(水)


常南トラベル(株)が主催する日帰りバスの旅「養老渓谷ハイキング」に参加した。
所属する「健康ウォーキング同好会」からは、会長以下有志の9名が参加した。

常南交通本社(谷田部)で大型バスに乗り込むものと思っていたが、やって来たのは小型バスだった。
結城方面からの参加者約15名ほどが乗っていた。
常南交通本社から常磐道を走り、石岡・土浦・荒川沖方面からの参加者と合流するために守谷駅へ向かった。

6時56分、守谷駅に到着。


石岡・土浦・荒川沖方面の参加者を乗せた大型バスは既に到着していた。
早速大型バスに乗り換える。
左の小型バスが結城方面のお客を乗せてきたバスだ。
この日の参加者は40名ほど、ほぼ満席である。


6時58分、守屋駅を出発し、常磐道守谷SAで最初の休憩。


首都高に入るとお馴染みの渋滞に巻き込まれた。
この時間帯に常磐道から首都高へ向う流れは必ずと言って良いほど渋滞する。


天気は澄んだ青空が広がり、雲ひとつない。
ビルの向こうに真っ白な雪を被った富士山がはっきりと見える。


東京スカイツリーだ。


館山道の市原SAに着いたのは、9時24分、既に谷田部の常南交通本社を出て3時間が経過していた。
ここで最後の休憩を摂り、養老渓谷駅に向かう。


市原市観光協会のパンフレットと、添乗員手作りのハイキングマップが配られ、コースの説明が行われた。
小湊鉄道の養老渓谷駅をスタート・ゴールとする「バンガロー村・弘文洞跡」コース(約7.4Km)で、
行程は約3時間、あまり急な坂道はないそうである。


10時23分、養老渓谷駅に到着した。
家を出て4時間になろうとしていた。バスの長旅は少々疲れる。


昼食の弁当を受け取る。
中身が楽しみである。


小湊鉄道養老渓谷駅
この駅を見るのは「健康ウォーキングの会」の全員初めてである。


駅前で地元の野菜や果物、自然薯(じねんじょ)などが売られていた。


栗又の滝(通称養老の滝)行きのバスはこの駅から出発することになっている。
添乗員によると、滝巡りコースは行程約4Kmとハイキング向けとしては短いため、推奨はしていないとのこと。


体調を整えたりしているうちに大分時間が経ってしまった。
準備が済んだ他のグループの人達は次々と出発していった。
我々が最後になってしまったようだ。
しかし、しっかりと準備運動はして行こう。


他のグループから遅れること約10分。
10時38分、添乗員説明の記憶と地図を頼りに出発だ!


踏切を渡って地図に従って進む。
(実はここで、道を間違ってしまっていた)


踏切を過ぎて200mほど進んだところに朝生原(あそうばら)小学校跡があった。
校庭の片隅に二宮尊徳像が残されていた。
『今頃こんな像が残っているのは珍しいねぇ』などと呑気なことを言っているのもここまで。


小学校跡を少し過ぎたところで、後ろから通りかかった軽自動車の運転手さんに、
『道を間違ってるんじゃねぇかいっ』と声をかけられた。
養老渓谷駅の反対側の道で同じようなグループを見掛けた、と云うのである。

運転手さんに礼を言い、急いで踏切のところまで戻ると、観音橋2.0Kmと刻まれた道標があった。
地図ばかりを見ていて気が付かなかったのだ。
運転手さんから声を掛けられなかったら、どうなっていたことだろう。
冷や汗ものである。


踏切から線路に沿って100mほど行くとアートハウス「あそうばらの谷」を示す看板があった。
添乗員の説明で聞いていた道に間違いない。


『地図が分かり難かったのねっ』
『少し急がなくっちゃ!』


養老川に架かる宝衛橋を渡る。


宝衛橋の先で道は分岐している。
進路を左に採って進む。


分岐から500mほど進むと観音橋方面を示す道標があった。
(衆議院選挙の看板が目障り?)


ピッチを上げているので、次第に暑くなってきた。
しかし、前を行くグループに一向に追いつかないので、休んでいる余裕はない。


白鳥橋手前でようやく前のグループに追いついた。
実はこのグループも踏切のところで道を間違えたのだそうだ。


白鳥橋(吊り橋)を渡る。


白鳥橋を過ぎ、住宅地の中を進む。
立派な構えの家が多い。


住宅地を抜けると清澄養老ライン(県道81号)に出た。
この辺りから養老渓谷温泉の旅館が立ち並ぶ。


養老渓谷温泉は、養老渓谷沿いに、大正3年に井戸から鉱泉が湧き出したのが始まりと伝えられる。
四季折々の渓谷美が自慢の千葉県を代表する温泉とのこと。


養老川の先に「観音橋」が見えた。


添乗員が『是非、出世観音に行って欲しい』と言っていたのを想い出した。
『行ってみましょうっ!』


錦帯橋(岩国)を連想させる、2連の太鼓橋になっている。


観音橋を渡ったところに「一心不動」がある。
出世観音への参拝者の無事・安全を見守っているのだろうか?


一心不動からは少しばかり急な石の階段が続く。


参道には、格言のような札が立てられている。
自分の行いを改めて見直す機会になる。


今の時期でも少しは紅葉を観れると期待していたのだが・・・
参道の紅葉は既に終わっていた。
今年は12月になって冷え込みが厳しかったためだろうか。


小さなトンネルを抜けると・・・


目の前に出世観音の本堂が現れた。


本堂右手には黄金色に輝く観音様が迎えてくれる。


養老山立国寺が正式な名称となっている。


「開運招福」の観音様として、また「祈祷の名刹」と云われ多くの人達が参拝に訪れる、そうである。


出世観音で一息入れ、ハイキングコースに戻る。
この間ちょうど20分、コースマップ通りである。


観音橋を過ぎて「ホテル養老館」脇を右に曲がり、中瀬遊歩道方面へ。


コンクリートで造られた飛び石を歩き、対岸へ渡る。
雨が降って増水すると渡るのは困難とのこと。


養老川の水は澄んでいて思ったよりもきれいだ。
川は浅く、流れは緩やかだ。


お茶屋「葛藤亭」を通過。
奥にキャンプ場もあるようだが、既にシーズンは終わって店は閉まっていた。


左手に養老川の流れを眺めながら進む。


弁当を広げているグループも見られた。
11時40分、我々はもう少し先で弁当にしよう。


再び養老川を渡る。
ここもコンクリート造りの飛び石になっている。
歩き易く、足元を流れる水に直接触れることもできるのが特徴と言えるだろう。


日差しがあると温かいが、日陰にはつららが下がっている。
融ける様子もない。昼間でも相当な寒さなのだ。


さらに養老川に沿って進むと・・・


弘文洞跡が現れた。
説明によると、
約140年前、耕地開拓のため養老川支流の夕木川(別名・蕪来川)を
川廻(蛇行する川を人為的に耕地にする方法)して作られた隧道の跡。


以前は写真のように隧道の上部が繋がって道が通っていた。
景勝地や釣りの名所として紹介されていたが、昭和54年(1979)5月24日の未明に突如上部が崩落し、
現在の姿となった、とのこと。


養老川を渡るのはこれで5度目になる。


前方に共栄橋が見えてきた。
この橋は渡らず、そのまま道なりに筒森方面へ進む。


緩やかな坂道になった。


立派な農家だ。


塚越隧道
『ここは天井板がないから安心だねっ』


塚越隧道を過ぎて少し進むと、バンガロー村への入口がある。
『こっちに進めば良いんだねっ』


養老川の支流、夕木川(別名・蕪来川)を渡る。
今度は飛び石ではなくて普通の橋だ。


12時10分、バンガロー村に到着。


『お腹も空いたことだし、ここでお昼にしましょうっ!』
潮干狩り弁当
ハマグリと煮アサリが載る茶飯、副菜にイワシのつみれ、ヒジキ、イカの味噌焼、野菜の煮物などが添えられている。


『アサリとハマグリがたっぷりと入っててなかなか美味しいねぇ』
千葉駅の隠れた名駅弁(760円)とのことである。


最初は我々の他に1組だけだったが、いつの間にかいっぱいになっていた。
この辺りがお昼にちょうど良い場所なのだろう。


弁当を食べ終わったところで、バンガローをバックに記念撮影。
三脚持参が役に立った。


バンガロー村の坂道を上り・・・


案内地図に従って管理棟の奥を右折して階段を下りてゆくと・・・


谷津田風景にが現れた。
『千葉にもこんな山奥に田んぼがあるんだねぇ』


さらに林道を抜け、小さなに出ると・・・


熊野神社があった。
塗り直したばかりの真っ赤な鳥居が印象的である。


熊野神社にお参りを済ませ、


緩やかな県道を進む。


朝通った宝衛橋
養老川を渡るのはこれで6度目である。


線路の先右手が養老渓谷駅だ。


13時37分、養老渓谷駅に到着。


バス集合時刻の14時10分まで少し時間がある。
駅舎の隣にあった足湯を覗いてみると・・・


『気持ち良いわよ~っ』の言葉に誘われて入ってみることに。


『熱めのお湯が気持ち良いねぇ』


14時10分、養老渓谷駅を後にして、向かったのは大江戸温泉物語「君津の森」だ。


大江戸温泉物語「君津の森」の玄関


ハイキングの疲れを取るにはやはり温泉に浸かるのが一番だ。


風呂を浴びた後は、「海ほたる」へ向かった。
沈みゆく夕日が美しい。


海ほたる


海ほたるから見えた富士山の影。
残念ながら夕日が沈むのが少しばかり早かった。


『きれいだわねぇ』


この後、土産物店をぶらつき、海ほたるを後にした。
千葉方面が事故渋滞という情報に、急遽川崎・湾岸線経由で常磐道に向かった。


今まで何度となく千葉方面には行っているが、”養老渓谷巡り”は初めてである。
この日歩いたコースは、急な上りも少なく距離も適度で、なかなか良かった、という印象だ。
しかし、最初っから道を間違ってしまい、危うく迷子になるところだった。
親切に教えてくれた軽自動車の運転手さんには心から感謝したい。

「健康ウォーキングの会」に紹介したいが、片道4時間近くかかるのには二の足を踏まざるを得ない。
時間が大幅に短縮される圏央道が完成するまで待つことにするか。

なお余談だが、常南交通のスタンプカードがこの日(2個)で満杯(計15個)となった。
次回は5,000円割引きされるのが嬉しい。次はどこに行くことになるのか今から楽しみだ。


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逆回りで正解 峰寺西光院から湯袋峠へ

2012年12月07日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年12月7日(金)

毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成24年度第28回(2012年第39回)「峰寺西光院から湯袋峠」を巡るハイキングに参加した。


この日第一集合場所の土浦市民会館に集まったのは21名。
まずまずの参加人数である。


車5台に分乗し「つくばねオートキャンプ場」に向かう。
1か月前に開通したばかりの朝日トンネル。
こちら側から通るのは今日が初めてだ。


9時41分、つくばねオートキャンプ場に到着
朝日峠越えだと、今頃は峠の坂道を走っている頃だろう。
朝日トンネルのおかげで約15分近く短縮されたことを実感した。


早速いつもの準備体操だ。


9時50分、出発!


この日の先頭は、コースを推薦した会長が務める。
付いて行くのがやっとで、とても後期高齢者マークを付けているとは思えない速さだ。


湯袋峠の分岐点で、”峰寺西光院から湯袋峠”の逆コースに変更になった。
”湯袋峠から峰寺西光院”への道は最初の上りが急だからという理由である。


最初は楽な下りの坂道コースを選択したという次第である。
皆さん足取りは軽い。


道端で手作りのざるや筑波名物の福来(ふくれ)みかんが売られていた。


振り返ると筑波山が見えた。
いつも見ている姿と少し違う。


この日の天気は予想を上回る気温で、空は快晴、絶好のハイキング日和である。
快調なペースに、汗も大分かいてきた。


ニックン紫山堂
線香の工場だ。
地元のTV放映で杉の葉を線香の原料に利用しているということを知ったのは最近のこと。
もうすぐ家の線香がなくなるので、次は一度試してみようと思う。


美味しそうな富宥柿。
これだけの数で一山1,000円は安いっ!


出発して約40分、ここらで一休みして水分補給だ。


正面の峰寺山中腹に峰寺西光院の屋根が見える。
『あそこまで登るんだぁ』


一団となって進む姿は元気いっぱい・笑顔いっぱい。


大山祇神社おおやまづみじんじゃ
愛媛県今治市大三島町にある大山祇神社が全国にある山祇神社や、多くの三島神社の総本社となっている。


峰寺西光院への登山口で、近くの特別養護老人ホームで体調整理している間、しばし待っているところ。
『ここから上りになるんだね』


道端に佇む子安観音の石仏にそっと手を合せる。


上りは舗装された緩やかな坂道が続く。
『この道は楽で良いわねっ』


ところどころに残っている紅葉を楽しむ余裕もある。


筑波山
先ほど見たものより少し姿を変えて、山頂付近の鉄塔やつつじヶ丘のロープウェイが見える。
『ここから見る筑波山も良いねぇ』


11時30分、二度目の休憩は木陰にしよう。
お日様が当ると暑いので、木陰がちょうど良い、といった天気である。


恒例のお茶タイム
『どうぞっ』 『いただきま~す。御馳走さまっ!』


峰寺西光院はもう直ぐだ。


11時52分、峰寺西光院に到着。
『弁当は、お参りしてからにしましょうっ!』


立木観音堂


木造立木観音菩薩像
高さ5.9mの巨大な十一面観音像で、元々は麓の立木山高照院長谷寺の本尊と伝わっている。


峰寺西光院本堂
本堂は寄棟造で、崖の上に柱を組み上げた、総高22mの懸造(かけづくり)となっている。
本堂には高さ3mほどの自然岩でできたご本尊の馬頭観音像が安置されている、とのこと。


本堂の廻廊は、関東の清水寺と呼ばれ、茨城百景の一つに数えられる。
標高約370mの本堂舞台から見降ろす景色は絶景である。


遠くに石岡風土記の丘の龍神山も見える。


動画で見るとこんな感じ。


峰寺西光院にもお参りしたことだし、弁当にしよう。
平日のこの日は車も滅多に通ることはないだろうし、道端で弁当を広げる。


お日様を浴びながら食べるのは気持ちが良いものだ。


日本猿芸塾
ちょっと覗いてみることにしよう・・・


何とびっくり!! 猿ではなくて、可愛い猪の子供が繋がれていた。
この近くで捕えられた(保護された)のだろうか?


12時40分、湯袋峠を目指して出発!


東筑波ユートピア前を通過
中から動物の鳴き声が聞えて来る。しかし、人影は見えない。
平日は訪れる人も少ないのだろう。


球状花崗岩を見るためには長く急な階段を下りなければならない。
この日は帰宅時間に制約がある人がいるため、見るのは次の機会にして今日は通過することに。


昨年1月に「関東ふれあいの道」で歩いたときに撮ったもの。


まだ残っている紅葉を愛でながら進むと・・・・


視界が開けた場所に出た。
『下からガードレールが見えたのはこの辺りかしら?』


『素晴らしい景色だねぇ』
西光院本堂から見た景色をもう一度楽しめた。


峰寺山のコース案内板
順路としては、峰寺山から湯袋峠へ抜ける方が良い、と紹介されている。
湯袋峠側からだと最初に急坂の上りがあるためと案内されている。


案内板に従って「いばらき森林浴の道」を進む。
最初は少しばかり上りが続く。
この日初めての登山らしい道である。


後半の先頭はOさんが務める。


弁天岩への分岐点で軽い休憩。
弁天岩までは250m、上り下りのため往復に20分は要すると予想される。
『今回はパスしたいわねっ』ということで・・・


弁天岩には寄らずに湯袋峠を目指すことにした。


山頂(414m)付近で最期の休憩。
『この辺が一番高い所なんだ』


湯袋峠まであと0.6Kmの標識
『もう直ぐだねっ』


急な下りが続く。
『これを上るのは大変だよぉ、逆回りにして正解だったよなぁ』


しかし、下りも決して安心は出来ない。
落ち葉で滑って転倒する人が続出。
幸い誰も怪我をする人は出なかったのは何よりである。


湯袋峠の道路が見えた。


13時58分、湯袋峠に到着。
あとは「つくばねオートキャンプ場」を目指すだけである。


「つくばねオートキャンプ場」への分岐点
朝方通ったところだ。


西日を浴びながらもくもくと進む。
皆さんやや疲れた様子。


右側が「つくばねオートキャンプ場」へ通じる道である。
疲れ切った上に、最後に急な坂道が待ち構えていた。


最後にこの上りは堪えた。
皮肉にもこの日一番きつい場所がこの坂道だったとは・・・・


14時11分、「つくばねオートキャンプ場」へ到着!
帰宅時間に制約がある人も十分間に合って一安心。


『最後に疲れちゃったわ~っ』
と言いつつも全員無事完歩、めでたし、めでたしである。


整理体操をして、


『今日も一日大変お疲れ様でしたぁ』


この日は当初、時計回り(湯袋峠から峰寺西光院)を計画していたが、
会長の『最初に急な上りがあるから逆回りでいこうっ』と言う一声で、急遽予定を変更し、
反時計回り(峰寺西光院から湯袋峠)に歩くことにした。
おかげで、距離があったにも関わらず、意外と楽に歩くことが出来た、と思っている。
会長の経験が生きたハイキングであった。


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