ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

房総の紅葉を堪能 養老渓谷ウォーキング

2014年11月28日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年11月28日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第27回(2014年第37回)、「養老渓谷ウォーキング」に参加した。

6時30分に土浦市民会館を出発したバスが、10分ほど遅れて三中地区公民館に到着した。
天川団地で、時刻を間違えて乗り遅れたためだが、10分遅れは御愛嬌である。


コース地図(1/2)
小湊鉄道の養老渓谷駅をスタートし、宝衛橋・白鳥橋を渡り、養老温泉街へ。
出世観音へお参りして、中瀬遊歩道へ進み、養老渓谷歩きを楽しむ。
共栄橋から県道81号へ進み、旧道を老川十字路交差点へ向かう。


コース地図(2/2)
老川十字路交差点を過ぎたら、そのまま県道81号を水月寺へ向かう。
水月寺から小又沢の滝を経由して、養老川沿いの遊歩道を粟又の滝を目指す。
ゴールは”粟又の滝”近くの町営駐車場で、全長約7.5Kmのコースである。


いつもの弁当。朝食にはちょうど良い量だ。


この日の参加者27名を乗せたバスは牛久ICから圏央道へ。


7時31分、圏央道江戸崎PAで最初の休憩を取り、稲敷ICでいったん一般道へ。
東関東道成田ICで再び高速へ乗り、宮野木JCTから館山道へ。


館山道市原SAで2度目の休憩中に、お昼の弁当が到着した。
養老渓谷駅へ到着してからと思っていたが、運転手の奨めもあり、皆さんに配布することに。


木更津JCTから圏央道へ入り、木更津東ICで高速を降りて、一般道を走る。
10時17分、スタート地点の小湊鉄道養老渓谷駅に到着した。
土浦市民会館を出発して、約4時間の長旅である。
『お疲れさまぁ』 圏央道の早期全面開通が望まれる。


養老渓谷駅舎


養老渓谷駅前で出発の準備をしているところ。


駅舎横の足湯前で準備体操をして、


10時26分、グループB,A,Cの順に出発!
3つのグループに分けたのは、点呼をとる時に容易なためである。
会旗がちょうど3本ということもある。


養老渓谷駅前のもみじが美しい。
今まさに見頃を迎えたという状態だ。


『今日は、天気も良いし、気持ちが良いねぇ』
Tさん、気分は上々のようだ。


小湊鉄道の踏切を渡り、線路に沿って右方向へ。
2年前の2012年12月12日に常南トラベル社のバスハイクに参加した時、
スタートしていきなりここで道を間違ったところだ。


道路脇の真っ赤に染まった紅葉を愛でながら町道を進む。
前方に宝衛橋が見えてきた。


宝栄橋から見た養老川(上流部)


宝衛橋を渡る。
『天気も良いし、最高だねっ』


最初の分岐点を左へ進み、緩やかな坂道を300mほど進んだところで、左へ折れる。


杉の木が日光を遮ってくれるので、ひんやりとして心地良い。
寒さは全く感じないし、むしろ木陰があることが嬉しい。


養老川に架かる白鳥橋を渡る。


県道81号線(清澄養老ライン)の養老温泉街を進む。
温泉街と言っても、旅館が数軒あるだけだが・・・


観音橋を渡り、


出世観音へ


出世観音への石段上り口に一心不動がある。
参拝者の無事・安全を見守ってくれているのだろう。


一心不動から少し急な石段になる。


参道のところどころに仏様の有り難い教えが掲示されている。


真暗なトンネルを抜け、


最後の急な石段を上ると、


目の前に出世観音本堂が現れた。
『ようやく着いたみたいねっ』


金色に輝く出世観音像が迎えてくれている。
『よく来たね』と微笑んでくれているようだ。


出世観音の正式名称は、養老山立國寺
「開運招福」の観音様として、また「祈祷の名刹」と云われ、多くの人達が参拝に訪れる、そうである。


休憩所で一休み。


『最後の石段は急できつかったわねっ』
この日最大の上りに、まだ呼吸が整わないようだ。


一息ついたところで、出世観音を後にする。


観音橋を戻り、


県道81号を100mほど進むと、養老渓谷遊歩道(中瀬遊歩道)への入口がある。


養老川を渡る。
規則正しい飛び石は平らなので、安全だ。
(缶ビールなど飲みながら歩いている人を見掛けたが、これは危ない)


『川の中を歩いてるみたいで素敵だゎぁ』


飛び石から養老渓谷上流部を望む。
緑・黄・橙・赤が混在する彩りが美しい。


お茶屋「葛藤亭」を通過すると、


錦に色付いた紅葉が迎えてくれた。
『ほんとうにきれいだね~っ』


今度は川の反対側に渡る。
『川を渡るのが楽しくなっちゃうねっ』


『こんな綺麗な紅葉を観ることができるなんて最高だわ~っ』


弘文洞跡
説明によると、
約140年前、耕地開拓のため養老川支流の夕木川(別名・蕪来川)を、
川廻(蛇行する川を人為的に耕地にする方法)して作られた隧道の跡。
以前は、隧道の上部が繋がって道が通っていたが、昭和54年(1979)5月24日の未明に
突如上部が崩落し、現在の姿になった、とのこと。


対岸の弘文洞跡を観ながら一息入れて、


三度(みたび)、川を渡る。
『もう 最高よっ!』


素晴らしい紅葉の連続である。


前方に共栄橋が見えてきた。


共栄橋からの眺め(下流側)


共栄トンネル
前回(2012年12月12日)は、共栄橋からバンガロー村へ進んだので、このトンネルから先は初めてである。
初めての場所へ行くというのは、わくわくするものだ。


共栄トンネル内は、天井が高く、上部が尖っていて変わった形をしている。
『面白い形をしてるわねっ』


共栄トンネルを抜けると、県道81号(清澄養老ライン)に出た。


ちょんまる茶屋を右に曲り、旧道を進む。


旧道は、車はほとんど通らないので安心である。


旧道と県道81号(清澄養老ライン)が交差しているが、信号も横断歩道もない。


車が途切れたのを見計らって横断し、和食処「清恵」前を進む。
昼時ということで、「清恵」の前は車がいっぱい。
時計は11時49分を差していた。
そろそろ我々も、適当な場所を見つけなければ・・・


遠くにきれいに染まった紅葉を眺めながら


旧道を進む。


手打ち蕎麦屋「ゆい」前を通過
次第にお腹が空いてきた。


養老渓谷観光センター裏手の山


老川十字路交差点辺り


弁当に適当な場所を求めて、老川十字路交差点からほど近い、”懸崖境”へ行ってみることにした。


『猿がいるよっ』
(猿の姿は見えたが、残念ながら、カメラで捉えることは出来なかった)


”懸崖境”
紅葉が美しい。


”懸崖境”
弁当を広げるような場所ではなさそう。
養老渓谷観光センターへ戻ることにした。


『見慣れない鳥だねぇ』
(じっとしてあまり動きがない鳥だ。何と言う鳥なのだろう?)
(2014/12/10 どうやら鴫(シギ)のようだ。ヤマシギではないかと思われる。体長35Cm程度で、鳩より大きい)


養老渓谷観光センターへ戻る時に、”懸崖境”へ向かう団体とすれ違った。
大型バス2台で来たそうだ。
あらためて、養老渓谷の人気の高さを認識した。


12時35分、養老渓谷観光センターに到着。
先ほどすれ違った”懸崖境”へ向かう団体の大型バスなどで駐車場はいっぱいだったが、
ちょうどうまい具合にベンチが空いていた。


『ここで弁当にしましょうっ!』


潮干狩り弁当
ハマグリと煮アサリが載る茶飯、副菜にイワシのつみれ、ヒジキ、イカの味噌焼、野菜の煮物などが添えられている。


『美味しいわねっ』
評判はなかなか良いようである。


弁当も終わり、この日の目的地”粟又の滝”を目指す。


県道81号を”粟又の滝”へ向かう。


ひと際鮮やかなもみじが・・・


この道は房総ふれあいの道(渓谷と滝のみち)になっている。
養老渓谷駅から宝衛橋・中瀬遊歩道を通り、水月寺を経て”粟又の滝”へ至る7.3Kmの道、らしい。


山神神社を通過。


今が一番きれいな時期ではないだろうか。


13時29分、水月寺入口に到着。


水月寺入口に「義憤八人塚」と刻まれている碑があった。
延宝八年(1680)4月に検地があり、小沢又村と伊保田村との「境界」をめぐる争論が起こり、
伊保田村に有利な判定をした「出張役人」の輿を小沢又村側の人々が谷間に投げ込んだ。
この事件で小沢又村などの村民9人が刑死したという。
そのうち8人を小沢又村の水月寺の裏庭に合葬した、とのこと。


13時30分、水月寺に到着。


至徳元年(1384)に建立された禅宗の古刹である。
3月下旬~4月下旬まで咲く岩ツツジの花が有名とのこと。


境内には鐘撞き堂が立っている。かつては、藁葺屋根だったそうだ。
鐘を撞くことは禁止されていた。


水月寺で最後の休憩を取り、


滝巡りの案内に従って”粟又の滝”遊歩道へ向かう。
”幻の滝”と書かれた案内板が目立つ。


”幻の滝”まで150mと表示されている。
”小沢又の滝”のことなのだろうか?


”幻の滝”展望台への入口
有料(200円)となっているところをみると、個人の土地なのだろうか?
ここで、ゆっくりしている時間はない。”粟又の滝”へ急ごう。
ということで、”幻の滝”は、幻に終わった。


土砂崩落のため、粟又の滝へは行けない、との案内が・・・
『え~っ 行けないのぉ』
こちらへ向かって来る人に訊いてみると、『通れますよっ』との返事。


その一言を信じて坂道を下って行くと、案内板にも同じように通行止めと描かれている。
しかし、”粟又の滝”方面からと思しき人たちが次々にやって来る。


『とにかく行ってみようっ!』


養老川を渡り、


”粟又の滝”を目指した。


しばらく進むと、”全面通行止”の看板があったが、そのまま進む、


『どこが崩落してるのかしらねぇ』
なんて言いながら、


しっかりと美しい紅葉を楽しむ。


『今が一番見頃なんだねっ』


遊歩道は、特に問題となるような場所は見当たらない。
『人騒がせな看板だわよねぇ』


養老川の流れ
水深は浅く、底まで見える。
ここまで魚の姿は全く見掛けなかったが、魚は棲んでいるのだろうか?


紅葉(1)


紅葉(2)


紅葉(3)


”粟又の滝”から500m地点を通過


養老川へ流れ込む沢を渡り、


小さな滝を過ぎた先に、


14時21分、ついに”粟又の滝”が現れた。
滑り台のようなゆるやかな岩肌を水が流れ落ちている。
「袋田の滝」を斜めにしたような流れにも見える。
大勢の人がカメラを向けていた。


動画で観たところ


”粟又の滝”をバックに記念撮影だ。


対岸の駐車場へ進もうとしたが、あまりの人の多さで、大渋滞。
なかなか前へ進まない。


飛び石は2人がすれ違えるのだが、中央付近で立ち止まって滝を撮ったりする人が渋滞の原因となっている。
一度に大勢の人が押し寄せたのが最大の理由ではあるが・・・
しかし、”粟又の滝”が、これほどの人が押し寄せる処とは、正直驚いた。


飛び石を渡りきったところから撮ったもの。
(中央付近で撮ったものではない)


滝の上流部から撮ったもの。


紅葉が美しい。


ようやく渋滞の急坂を上って県道81号へ出ることができた。
駐車場へ向かう。


駐車場の入口手前では、これから駐車しようとする大型バスが列をなしていた。
『これから来る人もいるんだぁ』


町営駐車場には、大型バスがずらりと並んで壮観である。
左側には、これから駐車するバスの列が続く。


我々の乗るバス(中型)が小さく見える。
『大型に比べると可愛いもんだねぇ』
この後、バスは帰路についたが、粟又の滝入口付近(約300m)を通り抜けるのに20分ほどかかった。


あとは、バスの運転手に任せることにして・・・
(運転手さん、御苦労さまです)
帰りの車内後部は、いつものように小宴会で盛り上がった。
『皆さんっ、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


2年前の常南交通のバスハイク以来、自身2度目の養老渓谷だったが、
今回は天気にも恵まれ、心行くまで房総の渓谷美と紅葉を堪能した。
初めての”粟又の滝”だったが、滝の素晴らしさ以上に人出の多さにびっくりさせられた。
これほどの人が押し寄せる所とは正直思っていなかった。

房総半島は、海あり山ありで見所はたくさんある。
しかし、時間がかかり過ぎるのが難点で、これまで例会で訪れる機会は殆どなかった。
その問題点を解消してくれるのは、やはり圏央道の全面開通である。
1-2年のうちに開通するとの情報もあるが、早期の全面開通が待ち遠しい。

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関東ふれあいの道(埼玉) No.2「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」

2014年11月23日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2014年11月23日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩き、無事踏破した。
続いて、埼玉県(全13コース)は、2014年9月から開始・実施している。

この日は、埼玉県のコースNo.2「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」(約9.5Km)を歩いた。
西武池袋線新宿駅で飯能行き電車を待つ。この日の参加者は9名だ。


西武池袋線車内
『今日もよろしく~っ』


西武池袋線車内
『混んでくる前に腹ごしらえしとこうっと』


7時55分、飯能駅に到着し、バス乗り場へ急ぐ。
8時ちょうど発の名郷行きバスは既に到着していた。
バスは満席状態だった。


列の最後に並んでいると、バスは出発してしまった・・・『あらら 行っちゃった~っ』


と思う間もなく、直ぐに臨時のバスがやって来た。
全員楽に座って行けるというのはありがたい。


8時50分、スタート地点の小殿バス停に到着。


バス待合所前に「関東ふれあいの道」の案内板があった。
『今日も頑張って歩きましょうっ』


周りの景色も素晴らしいし、天気も言うことなしだ。


早速、準備体操をして、


9時3分、出発!
『いやぁ ほんと素晴らしい景色だねっ』


左手に奥武蔵の美しい景色を見ながら100mほど進むと、


コースNo.2「奥武蔵の古刹を訪ねるみち」の入口があった。
9時5分、上り開始!


上り口には、なぐりづえ(名栗杖)が置かれている。


竹寺・子の権現への道は、いきなり急な坂道で始まる。
なぐりづえ(名栗杖)はダテに置かれているのではない。
竹寺・子の権現を目指す人には、杖は必須である。


杉の林を縫うように上る。


20分ほど杉の林を上って行くと、電線鉄塔脇に出て、視界が開けた。


視界が開けたのはほんの少しの間だけだった。


再び杉の林が続く。
『まだまだ先は長そうだねっ』


杉木立のシルエットが美しい。


先頭を行くKさんは、もくもくと進む。


『この道は一般向けとは思えないよねっ』


9時57分、ようやく尾根の分岐点に出た。
竹寺0.4Km、子の権現3.4Kmと表示されている。
『竹寺まであと400mかぁ』


里程標を見ると、まだ1.3Kmしか進んでいない。
小殿バス停を出発して既に50分以上経っている。
『ゴールまでまだあと8.2Kmもあるんだねっ』


竹寺を目指す。
標識から先は下りになっている分、楽になった。


5分ほど下ると、きれいな紅葉が目に入るようになった。


立派な萱葺き屋根は、神社のようにも見えるが、竹寺?


『竹寺に着いたみたいねっ』


10時10分、竹寺(天台宗医王院八王寺)本殿に到着。
『思った以上に立派じゃないっ』
門柱には「瑠璃光城」とあるが、お城だったのだろうか?


海抜490mとあるから、かなり高い。


牛頭天王(ごずてんのう)本殿
竹寺の本殿には、本尊の牛頭天王と、その脇には八王子(牛頭天王の八人の王子)が祀られている。
牛頭天王は、インド祇園精舎の守護神ともいわれ、中国に入り、密教・道教・陰陽思想の習合があり、
日本に伝わったとされる。
疫難消除・除災招福・出世開運の「天王さま」として信仰されている。(説明板より)


先ずは本殿へお参りして行こう。


茅の輪と鳥居を潜って庫裏方面へ行ってみる。
竹寺は、寺と宮が同居している、東日本唯一の神仏習合の姿を残しているお寺である。


参道の美しい紅葉に、いつの間にか疲れが癒された感じだ。


藁葺の古い民家風の建物があった。本坊らしい。
この寺は、蕎麦が人気があるそうだ。竹笹そばと天ぷらの膳が1,200円とある。
営業は12時~15時となっているが、何組かが受付を済ませたのか、家の前で時を過ごしていた。
しかし、時計はまだ10時20分を回ったばかりだ。


俳句舎の前に大田道灌が植えたと伝えられる、コウヤマキが立っていた。
「道灌槇」と呼ばれており、幹回り3.86m、根回り7.55m、樹高26m、樹齢は推定400年とのこと。
平成11年7月30日に、飯能市の特別天然記念物に指定されている。


瑠璃殿
薬師如来を祀っている。


瑠璃殿の正面に観音堂がある。
聖観世音菩薩をお祀りしている。
武蔵野三十三観音霊場の第三十三番結願のお寺となっている。
ここで武蔵野観音霊場巡りが満願となるのだ。


右手に斧、左手に索を持つ牛頭明王像
この像は、日中国交正常化20周年にあたり、中国民間人15名の奉納によるもので、
1992年(平成四年)11月11日に除幕された。
牛頭明王の由来としては、次のように紹介されている。
紀元一世紀、大日如来は、印度からチベットを経て中国に渡り、日本に伝えられた。
チベット密教では大黒天神といわれ、顕教では無量寿仏と称される。
牛頭明王は、この無量寿仏の忿怒(ふんど)の相であり、
悪魔を降伏させるための姿である。(以下略)


竹寺境内の紅葉


寒桜と紅葉が一度に楽しめる。


弁天池のもみじも美しい。


竹寺の名が示すように、境内にはいろんな竹が植えられている。
亀甲竹(キッコウチク)は、孟宗竹の突然変異で、稈の枝下部分の節間が交互に膨れており、
節が斜めとなった竹である。


四方竹(シホウチク)は、中国原産の多年生常緑竹。
四角形の稈が特徴的な植物で、和風庭園や建物周り、生垣に利用される。
別名シカクダケと云われる。


金明孟宗竹(キンメイモウソウチク)
孟宗竹の突然変異で、鮮やかな緑色と黄色が交互に節を彩る。
現在、確認されているのは福岡県、高知県、宮崎県など西日本の数ヶ所しかない、とのこと。
この他にも珍しい竹がたくさんあった。


竹の節を刳り抜いて並べた竹眼鏡
「凸(かど)ばった下界を○(まる)く見て下さい」とある。


竹眼鏡を覗いた先の景色はこのように見える。


竹寺で40分近く費やしてしまった。
まだまだ観たい所はあったが、あまりのんびりしてはおられない。
10時48分、子の権現へ向かう。


Kさんを先頭に杉林の中を進む。


子の権現を目指す。


緩やかなアップダウンが続く。


11時14分、子の権現へあと1.8Km辺り。


『まだスタートして2.7Kmしか来てないのぉ』
この日のコースは一般向けとあるが、健脚向きに等しいのではないだろうか。


標識の横に「神送り場」を復元した小屋のようなものがあり、次のように説明されていた。
峠は隣の村との連絡路であると共に、そこは普通村境であることが多い。
峠の近くには「神送り場」というところがあった。
むかし、悪い流行病などがはやると、村人たちは、夜中大勢で鐘や太鼓をたたいてここに掛け登り、
頂上で疫病神を追い払うという習わしがあった、そうである。


杉の根が張った坂道を進む。


この日は日曜日で天気も良いためか、時々人に出遭う。
『こんちわっ』 『こんにちわぁ』 お互いに挨拶を交わす。
しかし、「関東ふれあいの道」を歩いているのではなさそう。


榧(かや)の木
『いやぁ なかなか立派な木だねぇ』
直径1.1mほどの成木となるには300年はかかると云われることから、
樹齢は優に300年以上は経っていると思われる。


さらに杉林を進むと・・・


左手上に見覚えのある小さな鳥居が見えた。
天目指峠(あまめざすとうげ)へ至る分岐点だ。
この上愛宕山の小さな祠へ通じる道である。


11時56分、子の権現手前の見晴し場に到着。
『あそこまでよく歩いたもんだよね~っ』


古御岳(こみだけ)と伊豆ヶ岳が見える。
2カ月前のことが、昨日のことのように想い出される。


見晴し場の先の道端ではビニールシートを広げる人の姿が。


陽当りも良く、風も遮られる。
我々もここで弁当にしよう。


目の前に広がる景色を眺めながらの弁当はまた格別だ。


弁当も終わり、子の権現へ。


ここの紅葉もちょうど見頃を迎えている。


12時35分、子の権現の本坊へ到着。
江戸時代末期に建てられたもので、茅と杉の皮で何層にも葺かれた屋根は、この寺の名物となっている。


子の権現本堂
ご本尊は、子ノ聖(ひじり)大権現。
武蔵野三十三観音霊場の第三十二番札所となっており、本尊の十一面観音が合祀されている。


「子の権現」の「子」には、物事の始まり、全てのものを生み出し育む、大本の意味がある、とのこと。
また、「子の権現」は、”足腰守護の神様”ということで、
「腰より下に病がある者は、誠の心で念ずれば、我(聖)必ず霊験を授けん」とのことで、
お参りする人が後を絶たないそうだ。


日本一と云われる、鉄の大わらじ。
コースNo.2(奥武蔵の古刹を訪ねるみち)の撮影ポイントになっており、
この日最大の目的である、全員の証明写真を撮り終えた。


鉄の大わらじの直ぐ隣に、でっかい夫婦げたが奉られていた。


証明写真を撮れば、後は吾野駅を目指すだけだ。
仁王像、


続いて黒門(山門)を経て


大鳥居へと進む。


樹齢1,000年を超すと云われる二本杉(1本は途中で切られている)だ。
雷に打たれて幹の半分は焼け焦れているが、まだ樹勢は旺盛のように見える。


子の権現を後にする。
中央に見えているのが二本杉のうちの一本である。


舗装された道路から、吾野駅へ通じる「関東ふれあいの道」へ入る。


急坂の山道を下ること約25分、


「降魔橋」(こうまばし)が見えてきた。


13時16分、「降魔橋」へ到着。


舗装された道路を下って行くと、


浅見茶屋だ。
吾野駅まで3.2Km、約50分とある。


浅見茶屋は、けっこう賑わっている様子だ。
茶屋の前や、周辺の道路脇に車が何台も止っていた。


13時24分、不動堂に到着。


少し休憩していこう。
(余談:前回(2014年9月14日)休んだ時よりも不動堂の色が鮮やかに見えたため、この2カ月間で塗り直したのでは?
と話題になったが、後で確認したら、全く同じだった。自分も含めて記憶が曖昧な年代だということ。)


不動滝
こちらも前回(2014年9月14日)に見た時とほぼ同じくらいの水量である。


吾野駅を目指す。


皇帝ダリアに見入る。
成長すると3-4mにもなる事から皇帝と名付けられた。
『うちのはもうちょっと大きい気がするわっ』


時折、民家に植えられている真っ赤な紅葉が彩りを添え、目を楽しませてくれる。


”秀彗善童子”と刻まれたお地蔵様に、菊の花が供えられていた。
昭和九年九月十七日と刻まれている。
交通事故か何かで亡くなった子供を供養したものだろうか。


13時45分、築350年の古民家「豊山荘」を通過。


13時49分、吾野駅まで2Kmの表示。
『あと2Kmか、もう直ぐだねっ』


14時ちょうど、秩父御嶽神社の鳥居前に到着。
東郷公園の”もみじまつり”の横断幕。
『今日はもみじまつり当日なんだぁ』
『けっこう人がいっぱい来てるなぁ』


吾野駅を目指す。


諏訪神社辺りのもみじ。
『もみじはやっぱり赤に限るわね~っ』


吾野駅まで残り約1Km地点を通過。
西武線の向こうに吾野坂石集落が見える。


西武線を跨ぐ。
見えているのは、西武秩父方面。


西武建材吾野鉱業所前を通過。
コンクリート用骨材や道路用砕石を生産、販売している。


西武線の踏み切りが見えてきた。
前回は、この踏切を渡った先から来たが、


この日は西武線の線路に沿って進む。
こちらの方が駅への近道らしい。


14時20分、吾野駅に到着
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第三回目は、コースNo.2(奥武蔵の古刹を訪ねるみち:9.5Km)を歩いた。
一般向けコースと紹介されていたので、前回・前々回に比べると、少しは楽なのかと思ったが、
実際に歩いてみると、いきなりの急登で始まり、距離もかなりあり、決して楽なコースではなかった、というのが実感である。
”一般向け”と”健脚向き”の中間くらいのコースだったように思う。

次回(2014年12月14日)は、コースNo.11(義経伝説と滝のあるみち)を予定している。
西武線吾野駅がスタート地点となっているので、吾野駅を利用するのは3度めになる。
次も皆さんと一緒に元気に歩き通したいと願っているとともに、
この日のような天気に恵まれることを祈りたい。


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会長一時不明も 加波山・燕山のハプニング

2014年11月21日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年11月21日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第26回(2014年第36回)、「加波山・燕山ハイキング」に参加した。
2年前の2012年11月16日以来2回目の参加となる。

この日のコースマップ
加波山(708m)の直ぐ近くに山嶺公園という、車が数台しか止められない小さな広場がある。
そこは標高540mなので、加波山(708m)とはその差は僅か260m余り。
この日のスタート・ゴール地点となる。
山嶺公園を出発し、先ずは加波山神社を目指す。
加波山神社から燕山山頂(701.8m)へ足を伸ばしたら、そこから引き返して、
加波山神社脇から林道へ下り、山嶺公園へ戻るという、全長約8Kmほどのコースである。


第一集合場所の乙戸沼公園には20名が集まった。
好天に恵まれたのと、高低差があまりないというのが受け入れられたようだ。


車4台に分乗して、スタート地点の山嶺公園には、10時15分に到着した。


自由民権運動発祥の地として”真の自由を問う”モニュメントの前で準備運動をして、


10時27分、Tさんを先頭に出発!


『今日も頑張るわよっ』と後に続くS子さん。
ちょうど一回り上のお歳でこの元気、見習いたい。


加波山へは、いきなり急勾配の丸太の階段から始まる。


『いきなりだからきついわぁ』


手摺りに掴まって一歩一歩進む。


10時40分、平な場所に出たところで、一息入れる。
『いやぁ ちょっときつかったねぇ』


加波山神社を目指す。


自衛隊機墜落で殉職した2名の自衛隊員の慰霊碑
昭和37年(1962)9月20日19時44分、のことである。


慰霊碑の近くは、緩やかな坂道になっている。


大きな岩を回った先に・・・


旗立石がある。
自由民権思想家たちが武装蜂起し、「自由の楷」「政府転覆」などの旗を掲げ、気勢を挙げたという。
明治十七年(1884)9月23日の加波山事件を記念して65年後に碑が建立された。


あちこちに大きな岩がある。


10時58分、加波山三枝祇神社(かばさんさえなづみじんじゃ)本宮拝殿に到着。
拝殿の扁額には正一位本宮加波山大神社と書かれている。
この日の無事安全を祈願して行こう。


道の傍らにはいろんな碑が立てられている。
関東近郊の講による加波山参拝記念などの碑が多い。
”庚申神”と刻まれた碑も見られる。


三つの石が合わさって一つの大きな碑のようにも見える。
あまりにも見事に割れているが、自然に割れているのだろうか?
どうやって運んだのだろう? 謎だらけだ。


大岩の先に、


加波山神社本宮本殿があった。
どうやらここが加波山の山頂(708m)のようだ。


本宮本殿にお参り
先ほどの三枝祇神社本宮拝殿と全く同じ”正一位本宮加波山大神社”と書かれた扁額が掛けられていた。
こちらが本宮本殿で、先ほどの三枝祇神社が本宮拝殿ということになる。
Wikipediaによると、さらに山頂より尾根筋北に200m程隔てて親宮の本殿が鎮座し、更にその北方に拝殿がある、とのこと。
ややこしい。


『気をつけてっ!』


少し尾根を進むと、Wikipediaの言う加波山神社親宮本殿があった。


親宮本殿にはお神酒が供えられていた。
まだ栓がされたままで、封を解いた形跡はない。
供えられたばかり、という感じである。
そのうち誰かが飲んでしまうんだろうな?


岩の間をすり抜ける。


たばこ神社
毎年9月第1日曜日に豊作を願う『きせる祭』が行われるとのこと。
長さ3.5m、重さ60Kgの日本一の”巨大きせる”を、加波山神社拝殿からここ「たばこ神社」まで担ぎ上げるのだ。
”巨大きせる”の雁首に刻みタバコを詰め、神官が木をすり合わせて火を起す「火切り」の神事の後、
法被姿の氏子に担がれて、神職を先頭にほら貝の音とともに、険しい山道を登る。
「たばこ神社」に到着後、神事を行い、参拝者が奉納されたばかりの”巨大きせる”で喫煙する、そうである。


加波山神社
扁額には加波山親宮とだけ書かれていた。


下りは怖い。
しっかりと足場を確保しないと滑って危険である。


前方下の方に目指す加波山神社が見えてきた。


加波山神社への下りの斜面には様々な記念碑が所狭しと立てられている。
多くは故人の功績を讃えて立てられたものである。


11時22分、加波山神社に到着。
拝殿前の紅葉が美しい。


加波山神社本宮拝殿に参拝


こちらは三枝祇神社親宮拝殿であるが、
やはり加波山神社本宮拝殿に比べると、見劣りする感じは否めない。


お茶タイムで一休みしていたが、会長が到着していないことが分かった。
あいにく携帯は圏外のため繋がらず、連絡が取れない。


『私たちちょっと見て来るわっ』と言い残し、2人が来た道を引き返した。
2名が捜索に引き返して5分ほど経ったその時、これから向かう燕山側からひょっこり会長が現れた。
『え~っ いったいどうなってんの?』 まるで狐につままれたようだ。
聞けば最初の三枝祇神社本宮拝殿を過ぎた辺りで、分岐して別の道を来たという。
(そんな道があるとは、この時初めて知った)


会長を探しに引き返した2名には、直ぐに戻って貰わなくては、と急いで後を追いかけた。
約15分後、捜索に行った2名が戻って拍手で迎えられているところ。
『ほんとに御苦労さまぁ』 
会長も『申し訳ないっ』と平謝り。


11時57分、無事会長が現れ、全員揃ったところであらためて燕山へ向けて出発だ。
『いやぁ だけど良かったよなぁ』


加波山神社を後にして、燕山を目指す。


燕山を目指す。


燕山へは車が通れる普通の道である。
この先にNHKの電波塔があるため、工事用車両などが通れるようになっているのだ。


緩やかな坂道が続く。


12時11分、NHKのパラボラ鉄塔を通過。


先頭はNHKパラボラ鉄塔横の東屋に到着して待っていた。
『燕山はもう少し先ですよっ』


東屋を過ぎると、道は細くなった。


少し急な坂道を上ると、間もなく燕山だ。


燕山山頂では先客が弁当の最中だった。
『お邪魔しまぁ~すっ』


12時20分、燕山山頂(701.8m)に到着。


『燕山山頂にはベンチも少ないし、弁当はさっきの東屋にしましょうっ』
『そうしようっ そうしようっ』


ということで、NHKパラボラ鉄塔横の東屋へ。


東屋はもう直ぐだ。


12時25分、東屋に到着。
ベンチには先客もいない。我々一行貸切だ。
『お腹空いちゃったぁ』


早速ここで、弁当にしよう!


仲良く並んで弁当のお時間。


弁当の後は、「関東ふれあいの道」の看板をバックに記念撮影


お腹も満たし、13時ちょうど、下山開始!


加波山神社の分岐点へ向かう。


まだきれいな紅葉が残っており、目を楽しませてくれる。


錦の紅葉が素晴らしい。


陽が当るとさらに美しさが増す。


『こっちが下る道みたいよっ』


S子さん、正解である。


林道まで500mの標識に従って下り開始だ。


最初は歩き易かったが・・・


次第に瓦礫が増え、歩き難くなってきた。


13時22分、恋瀬神社を通過。
石碑には、”天照大神を祭り、小伊勢と仰ぐ”と刻まれていた。


瓦礫の石が敷かれた道は、歩き難い。
平ではないので、足首を捻挫しかねない。


急な坂道を下る。
『最初は楽だったけど、けっこう大変だなぁ』


湧き水が流れていた。
下り口に”名水・不動の水”とあったが、このことのようだ。
不動尊像があることからその名が付いたのだ。


瓦礫の石がごろごろした急坂を下ること約30分、


ようやく林道に出た。


ゴールの山嶺公園を目指す。


道路沿いに鳥居があった。


扁額には、普明神社を中央に左に愛宕神社、右に夷針神社と書かれている。
3つの神社を祀っている。
この上100mに神社があるらしい。
『ここから100m上るのって大変だよねぇ』


『いやぁ なかなか良い眺めだねぇ』


左の吾国山(518m)から難台山(553m)へと連なる山々が美しい。


坑道掘採石場前を通過
山の斜面をダイナマイトで爆破して採石している。


愛宕山(左)から羽鳥方面(右)と思われる。


『ゴールはもう直ぐなんでしょっ?』


「ウィンドパワーつくば」の風車(通称丸山風車)が見えてきた。
ゴールは間もなくだ。


発破予定時刻の案内表示。
1日3回発破するようだ。
10時ちょうどの発破の際には、地響きのような音を聞いている。


14時ちょうど、ゴールの山嶺公園に到着。
NHKパラボラ鉄塔からちょうど1時間が経過していた。


整理体操
いつもの会長に代わってKさんが号令を掛ける。


『はいっ 今日は大変疲れさまでしたぁ』


この日のコースは、当会では2年前の2012年11月16日以来2回目となる。
前回は、燕山手前で引き返したが、今回は燕山まで足を延ばした。
加波山神社拝殿で会長の姿が見えなくなった時には、すわ遭難? と一瞬緊張が走ったが、
反対側からひょっこり現れたのにも驚かされた。無事現れてくれて本当にほっとした。
携帯の圏外が意外と多いことを改めて知り、もしもの時に本当に役に立つのか疑問が残った。


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開演が突然早まるというハプニング 三中文化祭芸能大会

2014年11月16日 | ウマさんの趣味の部屋
2014年11月16日(日)

11月13日(木)から16日(日)にかけて、土浦市三中地区公民館で、恒例の文化祭が開催された。
11月16日(日)、三中公民館所属のギター同好会「かえるの子」の一員として、文化祭の芸能大会に参加した。

三中公民館の芸能大会は、毎年大勢の個人・同好会が参加申し込みするほど人気がある、とのこと。
カラオケ・民謡・童謡・詩吟・コカリナ・ハーモニカ・演武・ダンス・詩舞・太極拳などなど多彩である。
この日は、48組の参加があり、「かえるの子」はトップバッターで演奏することになっている。

開演予定は10時からとなっていたので、そのことをかみさんに伝えると、『始まる少し前に行くわっ』との返事。
演奏しているところを撮影してくれるとのこと。

自分は、9時30分までに公民館へ行くことにしていたが、少し早めの9時ちょうどに到着した。
公民館の玄関前では、開会式の最中で、中には入りづらい状況だった。
しばらく開会式を眺めていたが、簡単には終わりそうにないので、思い切って公民館の中へ。

控室に入ってみると、ギターのケースが於いてあった。しかし、部員の姿が見えない。
不思議に思っていると、知人の受付係の人が、『ギターはもう会場に入ってるよっ』と教えてくれた。
会場を覗いてみると、ステージの上では、音合せの最中だった。


まだ開園まで少し時間があると思い、何枚か撮影させてもらった。


部員の皆さんの真剣な表情


急いでステージに上がり、一緒に音合せ。


「かえるの子」紅一点のM子さん。


10時の開演までには、少し早いためか、観客はまばらだった。


音合せをしていると、係の方から、出演者が多いため、開始を15分ほど繰り上げる、との連絡。
リーダーには、既に連絡が入っていたようだが、初めて聞いた。
自分も慌てて音合せを終了させて演奏に臨んだ。


演奏したのは、「ソーラン節」「旅の終わりに」「瀬戸の花嫁」の3曲。
演奏はあっと言う間に終わり、次の出演者のために、直ぐに退場することに。
(写真は、練習中のもの)


会場を出たところで、かみさんとばったり。
『もう終わったよっ』『えっもう終わっちゃったの???』
ということで、演奏しているところの写真は、来年まで”お預け”ということに。

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終わり良ければ全て良し 奥久慈篭岩ハイキング

2014年11月15日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年11月15日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第25回(2014年第35回)、「奥久慈篭岩ハイキング」に参加した。

この日のコース地図
水郡線西金(さいがね)駅を出発し、湯沢温泉方面へ進み、本覚寺前から不動滝へ向かう。
不動滝を観た後は、いったん林道まで引き返し、つつじヶ丘の登山口から篭岩展望台を目指す。
篭岩展望台からの眺めを味わった後は、再びつつじヶ丘へ戻り、
本覚寺を経由して西金駅に戻るという、全長約10Kmのコースである。


水戸駅7時27分発、水郡線郡山行き車内は、参加者13名がゆったりと座れる状態だ。


8時34分、西金駅に到着
駅に直行していた1名(Fさん)と合せて、結局参加者は14名となった。
同じ列車で降りた我々とほぼ同数の他グループ(写真左)は、一足先に出発した。


駅に残ったのは我々一行だけだ。


参加者の一人が弁当を買いに、約200m先と案内されていたコンビニへ行ってしまったのだ。
(実際には300m以上はあると記憶している)
ここは待つしかない。


先に準備体操だけでもしておこう。


9時1分、全員揃ったところでようやく出発だ。


国道118号を横断し、県道322号を湯沢温泉方面へ進む。


県道322号は、まだ工事中で一部狭いところがある。
”まだ”としたのは2年前(2012年10月21日)に下見で来た時にも工事中だったからだ。
工事はあまり進捗していないように見える。何時頃完成するのだろうか?


「まゆみの会」に所属しているD子さんが、急遽参加することに。
最近あまり山に登ってないので、適度な運動を兼ねての参加、が理由らしい。


9時20分、湯沢温泉分岐点に到着。


右に折れて篭岩・不動滝方面へ向かう。


2つ目の分岐点。
「入湯沢・篭岩」方面を示す標識が右方向を示しているように見えた。
『右? いや、それとも左だったかな?』
2年前の記憶が定かでないが、それにしても 紛らわしい標識である。


たまたま歩いていた地元の人に道を訊ねたところ、


左の道が正しいことが分かった。
右は「三太の湯」方面で方向違いだった。


左の道を進んでいるうちに、見覚えのある景色に2年前の記憶が蘇ってきた。


10時ちょうど、本覚寺・つつじヶ丘分岐点に到着。
不動滝は、真直ぐに進むことになる。
西金駅を出発してちょうど1時間が経過していた。


ここで一息入れよう。


不動滝方面へ向かう。
『あれが篭岩なのかねぇ?』


正面に篭岩らしき岩山が見える。


田んぼの中に数本の杉木立がある。


石灯籠の横に「沼野山八大竜王大権現」と書かれた木柱があったが、
どのような神様なのかは、分からない。


さらに田んぼの中の細い道を進むと、


10時16分、湯沢峡ハイキングコース入口に到着した。
不動滝は、この先400mほどだ。


民家の前を通り抜け、不動滝を目指す。


コース入口から6分ほど進むと、大きな岩があり、その岩の先に・・・


「不動滝」の鳥居が現れた。


鳥居を通して小さな滝が見える。ここでは滝が祭神となっている。
『これが不動滝かぁ』
『ちょっと水が少ないけど これでも一応滝なんだっ』


正直、滝と言うより雫が流れ落ちている、と言った方が正しいかも?


『この先行けるのかしらねっ?』


大岩の先は不動滝の真上を通り抜けて、湯沢峡の沢伝いに岩を上ることになるが、
数日前に大子観光協会に問い合わせたところ、一部崩落により篭岩手前に危険場所があるため、
通行止めにしている、とのこと。
また、鎖場の杭の修理は未だとのことだった。


2年前に下見した時のことを考えると、ここは、引き返す方が賢明と判断。


湯沢峡ハイキングコース入口まで引き返し、林道をつつじヶ丘方面へ向かう。


右手に男体山・篭岩山系のパノラマを見ながら、
急坂の林道を上ること約10分、


10時50分、篭岩への登山口に到着。
一息ついて、篭岩展望台を目指して上り開始。


杉木立の山道を進む。


次第に坂道が急になり、息が上がる。


『けっこう長い坂道だよなぁ』


瓦礫石の坂道を上ること20分余り、ようやく平な雑木林に出た。


少し進むと、今度は、右側が急斜面な場所に出た。
バランスを崩さないように、身体を左に傾けて進む。


『いやぁ これは歩き難いわぃ』
『ゆっくりっ ゆっくりっ』
細心の注意が必要だ。
ここに至る途中、常陸大田警察署の行方不明者の捜索写真を見掛けた。
昨年9月3日の奥久慈トレイルマラソンで行方不明になった、とのことである。


11時25分、篭岩展望台近くの農家の前に出た。
ここで、Oさんが急に体調を崩してやや遅れていることが分かり、しばらく待つことに。


圏外のためなかなか連絡が取れ難かったが、何とか後に続いているとの連絡が入り一安心。
篭岩展望台まであと少しだ。


左側の細い道が篭岩展望台方面である。


展望台から不動滝までの間に崩落場所があるため、「通行注意」の注意書きが。
展望台までなら問題なさそうである。


11時40分、篭岩展望台に到着
『いやぁ なかなかきれいだねぇ』 『来て良かったぁ』
ほどなくOさんも到着。


篭岩展望台からの眺め(1)


篭岩展望台からの眺め(2)


せっかくだから篭岩まで行ってみよう!


篭岩の如来像へ礼拝
他にもいくつかの石像が並んでいる。


梯子がある。
前回下見の時には、「関係者以外立入禁止」札が梯子を塞いでいたため、上らなかった。
現在、その札は梯子を塞ぐような状態ではない。


『ちょっと上って観て来るねっ』
(この後、ザックを下ろして再び上って行った)


『私も上ってみることにするわっ』
女のD子さんまでも上って行ったのを、ただじっと眺めているだけでは男として恥ずかしい。
是非とも上の景色を見て、皆さんに伝えなければ、ということで、後を追った。


『ここからの景色の方が素晴らしいわねっ』


篭岩展望台の梯子の上からの眺め(左側)


篭岩展望台の梯子の上からの眺め(中央)


篭岩展望台の梯子の上からの眺め(右側)


動画で見た景色


天井部分は、岩が穴だらけの状態になっている。
『これが篭岩かぁ 何となく名前が分かる気がするねっ』


海底火山が隆起して出来たと云われる集塊岩の岸壁には、風化によって篭の目のような穴がたくさん出来ている。
篭岩と呼ばれる由縁だ。


梯子を下る(上る)際には、周りの小石には触らないようにしたい。
ちょっとでも触るとバラバラと落ちて、下の人に当ると危険である。


12時6分、展望台横の東屋で昼食だ。


12時31分、つつじヶ丘へ引き返す。
不動滝から湯沢峡経由で登ってきた人が『何とか行けるよ』と言っていたが、
来た道を引き返す方が無難だろう。


つつじヶ丘経由で西金駅を目指す。


上山(うやま)集落ののどかな風景。


案内板に従ってつつじヶ丘へ


『楽しいわぁ こんな道歩くのって』
里山は、童心に還ったような気分にさせてくれる。
思わずはしゃぎたくなるから不思議だ。


上ってきた山道を今度は下る。


瓦礫の山道を下る。
敷き詰めてある石が動くため、歩き難い。


13時9分、つつじヶ丘の登山口に到着。
水戸行き列車は14時5分発、あと55分だ。
急いで歩いて間に合わせるか、ゆっくりと歩いて次の列車(15時52分)にするか・・・
迷った末、1時間50分も待たされるのは面白くないので、とにかく急ぐことにした。


右手に奥久慈男体山や


篭岩山のパノラマ風景を観ながら西金駅へ急いだ。


つつじヶ丘駐車場付近を通過。


素晴らしいパノラマ風景だ。
(ゆっくりと眺めている余裕はないのだが、ついカメラを向けたくなる)


廃れ果てている本覚寺別院


本覚寺本堂?横を通過


扉は開いたままの状態になっている。
荒れ放題だ。
『ほっとくとこんなになっちゃうんだねぇ』


西金駅へ(1)


西金駅へ(2)


西金駅へ(3)


13時52分、湯沢温泉分岐点を通過。
あと13分、果たして列車に間に合うだろうか? 少々不安になってきた。


国道118号が見えてきたが、時計は14時4分を差していて、もう時間がない。
14時5分発の列車には間に合いそうにない。
『あとは列車が遅れることを祈るしかないねっ』
こうなったら、あとは神頼みである。


国道118号を渡って直ぐ、無情にも目の前を水戸行き列車が通過して行く。
篭岩を出発して一度も休憩せずに歩き続けた甲斐もなく、列車に乗り遅れてしまった。


14時11分、西金駅へ到着
『ちょっと無理だったかぁ あと5分早ければ間に合ったなぁ』
このままここで次の列車(15時52分)を待っていてもしょうがない。
急遽『大子町の「もみじ寺」へ行こうっ』と云うことになった。
「ときわ路パス」利用なので料金はかからない。


下り列車(14時16分発)が間もなく来る頃だが、用足し中のTさんが間に合いそうにない。
列車に待ってもらう訳にもいかない。


14時37分、奥久慈大子駅に到着


数分後、Fさんの車が大子駅に到着し、無事Tさんと合流したのには、皆さんびっくり。
(実は、Fさんが帰った直後に、携帯で事情を説明し、Tさんを車で送ってもらうよう頼んでおいたのだ)


Tさんを大子駅まで送っていただいたFさんには丁重に礼を言い、ここで分かれた。


残り13名が「もみじ寺」で名高い永源寺へ向かった。


水郡線に沿って永源寺へ。


押川に架かる長岡橋を渡り、


14時55分、永源寺に到着。


六地蔵がお出迎えだ。


もみじ寺(永源寺)の紅葉
日陰のため、色合いが今一つだが、寺全体がもみじに覆われている。


いろんなもみじがある。


ひときわ真っ赤なもみじ
これほど赤いもみじは見たことがない。


山門までもみじのトンネルが続く。


陽の当る午前中にでもかみさんと訪れてみたい。


永源寺の山門


本堂へお参りを済ませる。


境内にはたくさんの石像が置かれている。
これも六地蔵だそうだ。


こんなところにも”クマもん”が。


永源寺境内から、大子駅方面を望む。


帰りにもう一度紅葉を楽しんで、


永源寺を後にした。
『来て良かったねっ』


駅前の酒屋で缶ビールを、コンビニでつまみを買い、


常陸大子駅へ行ってみると、水戸行きホ-ムは既に大勢の客が電車を待っていた。


ゆっくり座ってビールでも飲みながら、なんて思っていたのが、甘かった。
結局水戸駅までの約1時間ずっと立ちっ放し、数人だけが座れたようだ。
疲れ倍増である。


水戸駅で常磐線に乗り替え、


常磐線で、ようやく座ることができ、笑顔が戻った。
『いやぁ 今日はけっこう歩いたよねっ』
『今日はハプニングもあったけど楽しかったよねっ』


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ~』


この日は「奥久慈篭岩ハイキング」ということで、篭岩展望台からの景色を堪能した。
また、つつじヶ丘からの男体山・篭岩山系のパノラマは、素晴らしかった。

さらに、永源寺(もみじ寺)の紅葉を愛でることができたのは、幸運だったと言う外ない。
「もみじ寺」へ足を延ばさせた一因は、帰りの列車に乗り遅れたことに始まる。
終わり良ければ全て良し、ということで、めでたしめでたしである。

帰りの途中に呼び戻され、Tさんを西金駅から常陸大子駅まで快く送って下さったFさんには、
重ねてお礼を言います。『どうもありがとうございましたぁ』


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