ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

キリンがアサヒに 守谷市公園とビール工場見学

2012年06月29日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年6月29日(金)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成24年度第11回(2012年第22回)「守谷市公園とビール工場見学」を巡るウォーキングに参加した。

アサヒビール工場の見学は昨年も実施したので、今年は取手のキリンビールを計画したのだが、
1か月以上前に予約したにも関わらず、希望の時間帯が取れなかったため、キリンビールは断念。
やむなく守谷市のアサヒビールに変更したという次第である。

荒川沖駅で電車を待っているところ。


この日の常磐線は、日暮里駅での人身事故の影響で上り・下りのダイヤが大幅に乱れ、電車が大幅に遅れるというハプニング。
下りホームは9時前という通勤通学時間帯を過ぎているにも関わらず、大勢の人が待ちぼうけの状態だ。


上り電車も1時間以上遅れている。とにかく来た電車にのるしかない。
取手で常総線に乗り換えて新守谷へ向った。
常総線は通常通りのダイヤで、ご覧のように貸切状態だ。


常磐線人身事故の影響で、集合場所の新守谷駅には、予定より40分以上遅れて到着した。
この日の参加者は25名。何とか全員が元気な顔を見せて一安心だ。
適当な場所がなかったため、駅前で軽く準備体操を済ませて、


10時16分、遅ればせながら出発!!


例会は前々回、前回と2回続けて雨のため中止になり、3週間ぶりの開催である。
『久し振りに歩くけど、やっぱり気持ち良いわねぇ』


新守谷駅前から続く欅の並木が気持ちを癒してくれる。


常磐道下り方面を望む。流れは順調だ。


守谷市文化会館に隣接するショッピングセンター・アピタを通過。


守谷第一病院が見えてきた。


守谷第一病院脇の横断橋を右折し、この日最初の目的地大山公園へ向かう。


10時50分、大山公園に到着。
広々として青々とした芝生が気持ち良さそう。


公園のベンチで一休み。


小高い丘の上に東屋があった。


『今日は雨の予報だったのに、こんな誤報は大歓迎だねぇ』


大山公園で小休止の後、再び欅並木を進む。


守谷高校前バス停付近


守谷高校
祝第15回世界剣道選手権優勝、祝関東高校剣道大会個人優勝の他、
祝関東大会4年連続優勝剣道部、祝全国高校剣道大会女子団体優勝、などの垂れ幕が目を引く。
『いろんな部活が頑張ってるんだぁ』


守谷高校を過ぎて直ぐに左折し、東板戸井付近を進む。
大型トラックの通行が目立つ。


しばらくは大型トラックの排気に悩まされながら進む。
気温が大分上がってきた。


11時25分、六十六神社の赤い鳥居に到着。
六十六神社とは珍しい名前である。


鳥居の先の狭い階段を上ると、


別の鳥居があった。
鳥居の柱に”天地和合”が刻まれている。
由緒遠隔によると、祭神は平和のシンボルとして、また家内和合縁結びとして聞え高い大国主命である。


先ほどより少し短かめの階段を上ると銅板葺きの本殿があった。
境内にあった由緒沿革を要約すると、
今を去ること580年前の応永四年(1397)、出雲大社の御分霊を迎え、産土の守護神として奉祀された。
祭神は大国主命(オオクニヌシノミコト)で、当時の拝殿・本殿造りの荘厳さは筑波以南の地には多くないと伝えられた。
明治十八年(1885)大木村の大火により不幸にして焼失し、跡形もなくなった。
以来仮宮であったが、昭和四十六年に本殿だけ大社造りの銅板葺きで再建された、とのことである。


境内には、天満神社・東照宮・筑波神社・今宮宮など数多くの神社が祀られている。


六十六神社の直ぐ近くに曹洞宗釈迦山大円寺がある。禅宗のお寺とある。


大円寺の本堂は近代的な建物だ。
この中で禅が行われているのだろう。


本堂前の鐘楼で一休み。


『暑いのは堪えるよっ』
どうやら会長は暑いのは苦手のようだ。


大円寺で一息入れ、四季の里公園を目指す。


大円寺で道を聴いたのだが、回り道をしてしまったようだ。
『公園はまだぁ?』


大円寺から10分近くかかって「四季の里公園」に到着。
道を間違わなければ5分ほどのところだ。
一面に花菖蒲が咲いていた。


これほどたくさんの花菖蒲を見たのは初めてである。
『潮来よりたくさん咲いてるよ~』の声も。


見頃は峠を越してはいたが、まだまだ十分に楽しめる状態だ。


ちょうど昼時、公園内で弁当にした。


四季の里公園内には花菖蒲のほか紫陽花なども観ることができる。


軽めの弁当を終えて、ビール工場を目指して出発だ。


この付近は工場団地になっているため、回りは工場や倉庫が多い。


アサヒビールの出荷場の前を通過。
次々に大型トラックが出て行く。これからが一番忙しい時期である。


しばらく進むと・・・


アサヒビールの正面玄関前に到着した。
お馴染みのロゴマーク(Asahi)だ。


右が見学棟で、1階シアター部分は、シャッターが閉じられている。
左の高い建物(60m アイムタワー)が試飲会場となる所だ。


鏡のように自身の姿が映る特殊ガラスで覆われた、見学者棟入口に到着。


見学開始の前に案内嬢による記念撮影を済ませる。
ピントも構図もピシャリ、さすが手慣れたものである。


シアターで10分ほどの映画を観終わると、スクリーンが降り、正面に庭園が広がる。心憎い演出である。
天気も良く、申し分のない景色である。

内部は撮影禁止になっているため、素直に従おう。

40分ほどの工場見学が終わり、いよいよ試飲である。
プロの手により、出来たての生ビールがグラスに注がれる。


案内嬢の音頭で『かんぱ~いっ!』
既に半分に減ったジョッキーも見える。


アサヒスーパードライの他、伝統的なイギリスビール、「バスペールエール」も飲んでみた。
深い香りとこくのあるビールだ。
スーパーでも売っているそうだ。


『出来たては美味しいわねぇ』
アルコールが苦手という人にはソフトドリンクやノンアルコール・ビールなどが用意されている。


この日は天気も良く、晴れ渡っていたので、スカイツリーがはっきりと見える。
さすが高さ60mのアイムタワー、景色も抜群である。


試飲の時間は20分、瞬く間に終わってしまった。
平均2杯というところだろうか。中には3杯飲んだ人(自分も含めて)も。
ほんのり赤い顔で帰りの廊下を歩く。
『いやぁ美味しかったねぇ』
『少し酔っぱらっちゃたかしら?』


Gift Shop(土産物店)は大賑わいである。
飲んだ分以上に買い物をした人も。


帰りはバスで守谷駅に向かった。
バスの中には満足の表情が溢れた。


15時ちょうど、守谷駅に到着。


この日ばかりは階段を上る人は誰もいない。
整理体操も省略だ。


帰りの常総線車内
『だんなさんにおつまみ買っちゃった』
『帰ってから二人で飲み直すことにするわっ!』

『はいっ、今日はご馳走さまっ!』


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旧水戸街道を歩く 最終回 我孫子宿から馴柴へ

2012年06月27日 | ウマさんの「旧水戸街道」を歩く
2012年6月27日(水)


昨年4月22日から「旧水戸街道」(日本橋から水戸)を歩き始め、12月22日には、一応「旧水戸街道」は歩き終えている。
しかし、旧水戸街道の旧街道である「布川街道」(我孫子宿から馴柴)が残っていることが気になっていた。
第11回番外編のこの日は、その「布川街道」(我孫子宿から馴柴までの約22.5Km)を歩くことにした。
従って「旧水戸街道を歩く」は、これが事実上の最終回となる。

集合場所の常磐線東我孫子駅に到着。
本来であれば我孫子宿(我孫子駅)から歩くことになるのだが、途中の”成田分岐”までは既に歩いていることから、
この日の出発地は東我孫子駅からにした。
「布川街道」は距離が長いため、少しでも距離を短くして、負担を軽くしようという狙いでもある。
この日の参加者は11名だ。


東我孫子駅前で、入念にストレッチ体操をして・・・


8時16分、出発!


最初に向かったのは、旧成田街道の最初の一里塚である「東我孫子一里塚
東我孫子駅から少し後戻りすることになる。


『昭和九年建立って書いてあるねぇ』
東我孫子一里塚は、慶長九年に徳川家康によって築かれたものだが、碑は昭和9年に建てられている。


東我孫子一里塚をこの日の起点として、あらためて、馴柴の道標を目指す。
東我孫子駅の横を線路に沿って進む。


布川街道(旧成田街道:国道356号線)を進む。


朝の通勤ラッシュで国道はかなり渋滞している。
救急車も赤色灯を点滅させず、サイレンも鳴らしていないので、一般車と同じだ。
赤色灯を点滅させ、サイレンを鳴らして追い越して行きたいところだろう。


八幡神社


こじんまりとした八幡神社の社殿


八幡神社のすぐ隣に近代的な建物があった。
最初はお寺とは気が付かなかった。白泉寺だ。


白泉寺の脇を通って坂を下って行くと、”八幡の井戸”の案内板が木に括りつけられていた。


「八幡の井戸」は湖北七つ井戸の一つで、今でも水がこんこんと湧き出ている。
あまり訪れる人はいないのだろう、蜘蛛の巣が張られて、やや荒れた状態だった。


国道号356線はかつて、旧成田街道だったこともあり、大きな構えの家が多く見られる。


こちらの家もまるで本陣のようだ。
中はきれいに手入れされた広くて豪華な庭園になっている。


9時10分、伊勢山天照神社に到着。
境内はちょうど掃き清められているところだった。
6月30日(土)には毎年恒例のお祭り、”浅間様”が執り行われるとのこと。


天照神社の拝殿にお参りしていこう。
祭神は大日霊売命(おおひるめのみこと)で、古くから下総の国中相馬七カ村の鎮守として崇敬された、のだそうだ。


こちらは、真言宗の寺院、龍泉寺の山門


神社本殿のある境内は保育園になっており、子供達が元気良く掛け回っていた。
中には一般者は入れないように施錠されていた。


龍泉寺は、延歴年間(782-806)に弘法大師が手賀沼の畔に草庵を結んで波切不動尊を安置したのが始まりとされている。


しばらく旧成田街道(国道号356線)を進むと、湖北駅近くに「湖北一里塚」があった。
案内板には、我孫子市内には我孫子、東我孫子、湖北、布佐の4つの一里塚が設けられたが、
現在でも塚として残っているのは、東我孫子とこの湖北だけとなっている、と説明されている。


またしばらく進むと道路右側に観音寺があった。
慈愍山観音寺といい、曹洞宗のお寺。
本堂には本尊釈迦如来が安置されている。


門を入るときれいなユリの花が迎えてくれた。
『素敵ねぇ』


観音堂には、平将門の守り本尊と伝える聖観世音菩薩(伝行基作)を安置する。


首曲がり地蔵
平将門は、朝廷への反逆者として、天慶三年(940)2月14日、下総国辛島において藤原秀郷らによって討たれてしまう。
この時成田山では将門調伏の祈祷を行ったため、将門を敬愛する日秀(ひびり)の土地の人たちは、
以後成田山には参詣しなくなったという。
この首曲がり地蔵は土地の人たちが故意に成田山とは反対の方向に首を曲げて作ったもの、と云われている。


道路の反対側に葺不合神社の鳥居があった。
本殿までは目の前の鳥居を潜り、一旦下って再び鳥居を潜って石段を登る必要があるそうなので、
道路の反対側から拝むだけに留めた。
近くに横断歩道がなかったのも理由の一つである。


時間の経過とともに次第に気温が上がってきた。


10時30分、気象台記念公園で一休みして行くことに。
楽しみのお茶タイムで一息いれる。


公園は、かつて気象台のアンテナが林立していたそうだが、今は全て撤去されて広々とした公園になっている。


道路脇に「布佐一里塚」の碑がポツンと佇んでいた。
『かつては、ここに大きな榎が植わってたんだぁ』


愛宕八坂神社
道路の反対側だったので、写真だけにした。


愛宕八坂神社の向かい側に延命寺があった。
延命寺は、文禄二年(1593)の創建で、真言宗のお寺。


本尊は虚空蔵菩薩。
新四国相馬霊場八十八ヶ所の24番札所となっている。


正面に利根川に架かる栄橋の陸橋が見えてきた。


陸橋を上ると、


利根川だ。


『いやぁ 風が気持ち良いねぇ』


11時32分、茨城県利根町に入った。


利根川を渡って直ぐ左側に徳満寺がある。
徳満寺は海珠山徳満寺といい、利根町を代表するとも言えるお寺である。
府川(府川)城は豊島氏の居城であった。
天正十八年(1590)、豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻める際、豊島氏は忠節を尽くすため、
不利である北条側につき、共に敗れた。


徳満寺本堂
住職の奥さんと見られる人が庭を掃除していた。
境内で弁当にしたい旨許しを乞うと、『それなら本堂へ上がって召しあがって下さい』と快く勧められた。


豪華な飾りの本堂内部


本堂の客殿には、有名な「間引き絵馬」がある。
貧困により赤児の口をふさいでる様子が描かれており、障子に映る母親の影は鬼として描かれている。
柳田國男が13歳の思春期にこれを見て強い衝撃を受けたという。
「このようにする外ない飢饉の悲惨さを絶滅しなければならない」という思いが彼に農政学の道を選ばせた、
と説明されている。


奥さまの好意に甘えて、本堂で弁当にした。
お茶も勧められたが、これは各自持参しているので、丁重にお断りした。


宝篋印塔
お唱えすると、罪障を消滅し災難を逃れることが出来る、宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)を収めた塔だが、
これだけの大きいものは大変珍しいもの、だそうだ。


地蔵堂
本尊の木像地蔵菩薩立像(地蔵菩薩・子育て地蔵とも呼ばれている)が安置されている。
木像地蔵菩薩立像は、利根町指定有形文化財となっている。


地蔵堂の裏手に一茶の句碑がある。
一茶の師の一人であった、今日庵元夢(森田安袋)が布川の出身ということもあり、一茶はたびたび布川を訪れている。
布川には49回も訪れて、宿泊日数は289日にも及ぶとのこと。
段々に 朧よ月よ 籠り堂


わざわざ我々一行の弁当のために本堂を貸していただいた礼を述べ、徳満寺を後にした。


徳川家康公ゆかりのお寺、来見寺


来見寺の赤門
家康ゆかりの寺ということで特別に赤く塗ることを許されたそうで、とても畏れ多い門だったのである。
寺の入口に一茶の句碑が建っている。
赤門や おめずおくせず 時鳥


赤門から本堂を見たところ。
家康ゆかりの寺とあって、さすがに立派な本堂である。


来見寺から少しばかり進むと「布川町道路元標」があった。
布川町(現利根町)の起点となる場所である。


また少し進むと布川神社だ。


急な階段を上ると・・・


布川神社の拝殿があった。
布川神社では神事、尋橦(つくまい)が元禄の頃から明治末にかけて行われていたが、
明治四十二年(1909)以降は途絶えているそうだ。
尋橦とは、船型に長さ8間(14.4m)ほどの帆柱を立て、雨蛙の面をつけ竹弓を持った舞人が、
柱の上に登って種々の舞を舞うというものだとか。
竜ヶ崎市で現在でも毎年行われている撞舞と似ている。


柳田國男記念公苑
國男が少年時代を過ごした旧小川家の母屋、土蔵(資料館)で構成されている。
時間がないので案内板だけにし、先を急ぐことにした。


利根消防署近くの畦道のような狭い道路脇の田んぼの中にこんもりとした茂みがあった。
さほど大きくない木が植わってあるが、一里塚の代表的な木と云われる榎は見えない。


青面金剛、庚申塔などの碑が建てられていた。
果たしてこれは一里塚なのか?


県道4号線の道端にお地蔵さんが佇んでいた。
花が供えられている。
交通事故での弔い地蔵のようだ。


利根中学校の近くに二宮神社があった。
二宮神社は天正時代(1573~)より上総郡横須賀村の鎮守様であった。
鳥居のしめ飾りはしばらく替えていないようだ。


境内はあまり手入れが行き渡っていない様子が伺える。
軽い水分補給で、先を急ぐことにした。


少しばかり緩やかな田舎道を進む。
車が殆ど通らないので、歩き易い。


階段を上ると早尾天満宮だ。


天満宮の拝殿は、2011年に地震の影響で改築されたそうが、現代風で思ったより質素な造りだった。
利根町の天神様は他にもいくつかあるようだが、この早尾天神社がいちばん大きく有名とのこと。


境内の大スダジイの木
熱心に絵を描いている人がいた。


この時期は紫陽花である。


あちこちで色鮮やかな紫陽花を見かける。


丸池は釣り人でいっぱいだ。
他県ナンバーの車が多いとのこと。


丸池は底から水が湧きだしているとのことで、水が澄んでいる。
湖面を吹き抜ける風が気持ち良い。


阿弥陀寺(正覺山法王院)の山門は通れないようになっていたため、車道を進む。


慶長二年(1597)道祖和尚の開創と伝えられる。
本尊の阿弥陀如来像は鎌倉時代前期の作とされ、竜ヶ崎市指定文化財になっている。


八坂神社


太子堂の裏には弁財天、宝篋印塔、地蔵堂などがある。


「ふるさとふれあい公園」への橋を渡ると「ふるさと」のメロディが流れてくる仕掛けになっている。
思わず口ずさみたくなる。『♪う~さ~ぎ♪ ♪追~いし♪ ♪か~の~山~♪』


15時10分、ふるさとふれあい公園で最期の休憩を摂る。
既に出発して7時間近く経っている。かなり疲れてきたのは確かだ。


あと約4Km、もう少しでゴールだ。
馴柴の道標目指して元気よく歩く。


小貝川の土手を歩いてみよう。


『いやぁ 良い眺めだねぇ』
『ほれっ 頑張って!』


小貝川の堤防を吹く風が心地良い。


土手の上を少し歩いて、


そのまま進むとゴールからだんだん離れてしまうため、直ぐに下る。
『せっかく上ったのにもう降りるのぉ~?』


龍ヶ崎市川原代町の星之宮神社
住宅街の外れにある小さな社である。
本殿はかなり荒れた状態になっていた。


佐貫町の県道5号線を横切り、


関東鉄道竜ヶ崎線の踏切を渡って間もなく・・・


旧水戸街道との合流点、馴柴の道標(里程標)に到着した。
時計は16時13分を指していた。
東我孫子駅を出発して、ちょうど8時間を経過していた。
『やっと辿り着いたねぇ』


馴柴の道標
江戸十三里、水戸十六里、布川三里と刻まれている。


佐貫駅が見えてきた。


一応佐貫駅で解散ということに。
有志で駅前の「はなの舞」で喉を潤して行くことにした。
都合良く16時に開店したばかりである。
結局10人が参加した。皆さん、相当喉が渇いていたようである。


『かんぱ~いっ!!』
『お疲れさまでした~っ!』


佐貫駅にて、
『最後まで歩けて嬉しいっ!』


『いやぁ よく歩いたよねぇ』
お互いに健闘を讃え合って、帰路についた。



旧水戸街道の旧街道である「布川街道」を歩き終えたことで、旧水戸街道は一応今回をもって終わりとなった。
この後は、「日光街道」を歩いてみたい、という声もあり、何とか実現したいものだと思っている。
また、皆さんと一緒に歩けるのが今から楽しみである。


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釜無ホテイアツモリソウに救われた 雨中の入笠山ハイキング

2012年06月19日 | ウマさんの気ままなバスハイキング
2012年6月19日(火)


常南トラベル(株)が主催する日帰りバスの旅「入笠山ハイキング」に参加した。
所属する「健康ウォーキング同好会」からは、会長以下有志の6名が参加した。

6時20分、常南交通本社(谷田部)から大型バスに乗り込む。
この日の参加者は30名とやや少ない。
台風4号の接近が報じられている状況では仕方のないところだろう。


バスに乗り込むと直ぐに朝食の弁当が配られた。
ハムと焼きそばが半分づつ入っているホットドッグのようなパンだ。
6月6日の八方ゲ原のときと同じである。
朝食にはおにぎりの方が良い、と自分は思う。同じ意見の人が多かった。


時間を間違えて15分遅れで到着した最後の一人を乗せ、6時40分バスは出発した。
首都高「八潮南IC」を過ぎると、慢性的な渋滞が始まった。
1日も早い「圏央道」の完成を望むばかりである。


添乗員から手作りのハイキングコース図が配られた。
入笠山はすずらんの群生地として有名とのことで、現在八分咲き程度とのこと。
また、山頂からは八ヶ岳・中央アルプス・北アルプスなど360度の大パノラマが素晴らしい、
とのことだが・・・天気が気になる。
果たして山頂からの眺望は望めるのだろうか?


首都高を8時ちょうどに抜け、バスは中央道を快適に走る。


談合坂SAで軽い休憩を摂り・・・


10時20分、入笠山ゴンドラ山麓駅駐車場に到着した。


予報では午後から雨ということだったが、既に雨は降り出していた。
にも関わらず、次々に大型バスがやってくる。
すずらん”の名所とあって、人気のほどが伺える。


休憩所でめいめい思い思いの雨具に着替えて・・・


ゴンドラ山麓駅へ向かう。
レインコートの色がなかなか華やかだ。


ゴンドラ山麓駅前に足湯があった。
入浴料は、100円とのこと。
ハイキングで疲れた時には効果があるだろう。


ゴンドラ乗り場手前の休憩所で雨宿りを兼ねて準備体操だ。


ゴンドラ乗り場に向かう。


霧の中へゴンドラが突然消えて行き、霧の中からゴンドラが突然現れる。


「ゴンドラすずらん」の山麓駅に到着。


ゴンドラは6人乗りである。
標高差750mを約10分かけて登る。
山頂駅まで10分余りの空中散歩だったが、あいにくの天気で外は何も見えなかった。


山頂駅周辺は霧が深く数十m先は見えない状態だ。
各自地図を頼りに散策を楽しむことなっていたが、霧で道に迷ったりする心配もあるということから、
添乗員を先頭に全員一緒に行動することになった。
ここは、素直に添乗員に従うほかない。
11時ちょうど、出発だ。


ハイキングコース入口


霧に包まれた幻想的な景色の中を進む。


ハイキングコースの一部は、鹿の被害から守るため柵で囲まれている。


入笠湿原の木道を進む。
直ぐ近くに我々一行以外の人の声が聞こえるが、姿は全く見えない。
何か不思議な感じがする。


下山する団体とすれ違う。
この人達の声が湿原に響いていたのだろうか?
『こんにちわ~』


いったん柵の外へ出て、入笠山山麓のお花畑へ向かう。


お花畑への専用路を進む。


途中の道端に”クリンソウ”(九輪草)が咲いていた。
花の姿が仏塔の屋根にある”九輪”に似ていることから、その名が付けられた、とのこと。
日本に自生するサクラソウ科の植物のなかでは最も大型だそうだ。


この白い花も”クリンソウ”だろうか?
赤い”クリンソウ”の近くに咲いていたし、どことなく”クリンソウ”に似ている。


白花のヘビイチゴ
”ヘビイチゴ”は黄色い花を咲かせるが、これは白い花が特徴だ。


お花畑へ入ると”すずらん”の標識が・・・


最初は小さくてよく分からなかったが、よく見ると、可愛い”すずらん”があちこちに咲いていた。
白色の壺上の花を外側に咲かすことから、”君影草”とも呼ばれるそうだ。


ズミ”の花。
小梨(コナシ)とも云うそうだ。


当初はお花畑を経由して360℃のパノラマが望める入笠山山頂を目指すコースが案内されていたが、
この天気では恐らく何も見えないだろう、とのことで、入笠山山頂は諦め、山彦荘まで引き返した。


山彦荘前のテントで雨宿りをしながら、小休止。


山彦荘前には”入笠山登頂証明”の記念スタンプが置いてあった。
多少気が引けるが、せっかくだから、記念スタンプを押していくことに。


再び入笠湿原を進む。
湿原は相変わらず深い霧に包まれたままである。
ゆっくりと撮影などしていたりすると、先頭を見失ってしまいかねない。


黄色い花の”ウマノアシガタ
別名キンポウゲ(金鳳花)と呼ばれる。有毒だそうだ。


雨の中、すずらん群生地を進む。


すずらんが群生している。
その数100万本と謳われている。


すずらん


入笠湿原を抜けて霧に包まれた林の中を進むと・・・


突然、電波塔が現れた。


12時12分、ゴンドラ山頂駅に到着。


山頂駅の広いヒュッテで昼食に。
ちょうど先客の小学生の一団が終わって出て行くところだった。
この広さなら、優に200人は座れるだろう。
雨の中、どこで弁当にしようか悩んでいたが、これで一安心だ。


この日の弁当は、”峠の釜めし”で有名な「おぎのや」の製造である。
4種類のおにぎりと、おかずが別に盛られており、味・ボリュームには満足。
デザートにオレンジ、サクランボ、豆大福も付いていて、美味しかった。


昼食後、バス集合まで1時間半ほどあったので、ヒュッテ近くの「入笠すずらん公園」を散策することにした。
ここからは一行とは別行動である。
雨が次第に強くなってきた。
台風4号が接近している証拠だ。


ドイツすずらん
こちらは自生ではなく、栽培されている。
その数約20万株と云うから凄い。


”日本すずらん”よりやや花が大きくその数が多いのが特徴か。


ところどころに”山つつじ”を見かけた。
八方が原のように数は多くなく、木も小さい。


レンゲツツジ”は蕾の状態である。
この分からすると、あと1週間ほどで見頃を迎えそうだ。


釜無ホテイアツモリソウ
蘭の一種で、入笠すずらん公園に実験的に移植されて育てられているとのこと。
”釜無布袋敦盛草”を見ることが出来て、雨の中入笠山に来たことが少しばかり救われた感じがした。
添乗員もホッとしているのではないだろうか?


まだ少し時間はあったが、これ以上景色を楽しむことも叶わず、幾分気温も下がって来たので下山することにした。
ゴンドラに乗り・・・


山麓駅に到着し、休憩所へ向かう。
足が疲れるほど歩いてないので、足湯はまたの機会にしよう。


土産物を買い求め、バスへ向かった。


冷えたビールで喉を潤した。

『はいっ、今日はお疲れさまでしたっ!』

台風4号の影響で、残念ながら入笠山からの360℃の大パノラマを望むことはできなかった。
その分、あまり花には感心のない自分だが、スズランを始め、いろんな花を楽しむことができた。
中でも最後に希少種の”釜無ホテイアツモリソウ”を見ることができたのは、幸運だったということだろう。
常南交通社によると来年も別の季節にこの企画が検討されるそうなので、
次は八ヶ岳・中央アルプスの眺望を期待したいものである。


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