2017年9月25日(月)
「甲州街道を歩く」第十三回2日目は、日野春駅から教来石宿までの約16Kmを歩いた。
2日目の朝、しっかりと朝食を摂り、
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7時58分、韮崎駅に向けて出発!
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韮崎駅前通り商店街を韮崎駅へ。
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昨日おにぎりを買った「ほさか」は、まだ開店していなかった。
今日はコンビニ弁当または道の駅で昼食を摂ることにしよう。
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8時6分、韮崎駅に到着
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韮崎駅8時29分発の下り電車がやってきた。
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新府駅から新府城跡と思しき森が見えた。
『あの森が新府城跡かも知れないねっ』
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8時44分、日野春駅に到着
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8時58分、日野春駅を出発!
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コンビニを求めて富岡三差路へ向かったが、コンビニが見当たらなかったため、
県道612号を釜無川への近道「野猿返し」へ向かう。
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9時11分、武川町牧原方面近道「野猿返し」入口に到着
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「野猿返し」の坂道を下る。
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「野猿返し」の坂道を下る。
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いったん県道612号に出て、
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さらに「野猿返し」の坂道を下ると、
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釜無川橋の袂に出た。
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釜無川を渡った所に”むかわ”の看板が。
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9時31分、国道20号牧原交差点に到達
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大武川橋を渡る。
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大武川
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大武川を渡って少し進み、下三吹バス停を左に曲がる。
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左手の旧道を進む。
緩やかな坂道になっている。
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下三吹の集落を進む。
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『甘柿なのかしらっ?』
鈴生りである。
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下三吹の集落を進む。
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集落を進むと正面に田圃が広がり、その手前に「供養塔」がある。
昭和34年8月、台風七号による土石流が村を襲い、下流では被害者が出たが、
この一石塔のおかげで土石流は迂回したという。
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田んぼの中に真っ直ぐに道が伸びていた。
水車小屋が見える。その右手に公園らしい広場と東屋があった。
ちょっと一休みしていくことにしよう。
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右手を見ると国道20号(右)と舞鶴松(左)の分岐点になっている。
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小さな公園があり、東屋があったので立寄ってみると、
中には2人の女性が、休憩していた。(リュックの女性は我々の仲間)
実家の栗拾いに来ていて、一休みしているところとのこと。
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女性たちが持参したぶどう(シャイン・マスカットとピオーネ)や
栗の渋皮煮を奨められ、恐縮しながらも戴いた。
『ごちそうさまっ』 『いやぁ このぶどうは甘くて美味しいねぇ』
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田んぼの中を伸びる道が白州方面へ通じる道だと教えてもらった。
女性たちに厚く礼を言い、東屋を後にした。
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周りが田んぼの農道を進む。
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稲刈りの真っ最中だった。
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蓮の花が咲いていた。
『きれいだねっ』
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周りが田んぼの道を進むと・・・
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行き止りになっていた。
有害獣被害防止用電気柵の金網で閉じられていた。
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鍵はかかってなくて、手で開けることは出来た。
(この時点ではまだ道が間違っているとは認識していなかった。
東屋での女性たちが教えてくれたことを信じて疑わなかった)
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さらに進んだ所で、どうやら道が間違っていることにようやく気が付いた。
このまま進んでも白州へ行けるような様子はない。
『なんだか間違ってるようだねっ』
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急いで引き返すことにした。
電気柵の金網の扉を抜け、
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来た道を引き返した。
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国道20号(右)と舞鶴松(左)の分岐点まで戻り、舞鶴松(左)方面へ。
『白州方面はこの道しか考えられないよねっ』
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坂道を上って行くと、萬休院の門が建っていた。
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坂道を上って行くと、萬休院の観音像が建っていた。
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10時43分、萬休院に到着した。
萬休院入口の地図で白州方面へ通じる道を確認する。
『最初からこっちの道を進んでたら良かったんだぁ』
約30分ほど時間をロスしたことになる。
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萬休院に来たからには一応お参りしていこう。
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萬休院本堂にお参りを済ませた。
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舞鶴松は、平成18年(2006)松くい虫の被害により枯死し、
平成20年(2008)、供養祭の後に伐採されてしまった、とのこと。
かつての松の株が展示されていた。
樹齢約450年と云われている古木だった。
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かつて舞鶴松が生えていた場所には、何もなかった。
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平成17年(2005年)11月に訪問した当時の舞鶴松は、こんな状態だった。
名称の由来は、傘状の枝が階段状になり、全体の樹形が優美で、
ちょうど鶴が舞う姿に似ているところからきている。
樹齢450年の赤松で国天然記念物指定だった。
その見事な枝振りは、もう二度と見ることは出来ないのだ。
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萬休院を後にして、白州方面を目指して坂道を下る。
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坂道を下った萬休院の西口に、南無阿弥陀仏名号碑・甲子塔・地蔵尊・
一石六地蔵・馬頭観音像等が安置されている。
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西口石塔群を過ぎて進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/da/3ebc447a7be6d5dde6154f477a4eaee1.jpg)
上三吹交差点を渡り、三吹の集落へ。
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武川町三吹集落の松
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村外れの右手に浄土宗無量院(廃寺)跡があった。
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境内の一角に供養塔・庚申塔・安永六年(1777)造立の地蔵尊等が。
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境内奥には神明社ともう一社が祀られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/cb/639bac169071a4269343ff62200cc600.jpg)
浄土宗無量院跡を過ぎると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f5/e39be18444fe166a3ada4748f59e9636.jpg)
国道20号の手前右手に旧甲州街道一里塚跡碑があった。
碑には「甲府ヨリ七里ナノデ七里塚トモ云ウ」と刻まれている。
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国道20号の尾白川橋で尾白川を渡ると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/01/446722d68365e860f0d5abd465d202bb.jpg)
道路の反対側に甲州街道古道入口 はらぢみち と刻まれた道標が目に入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/ef/68a5faadc4e58a0992ef53fef13d6ff7.jpg)
横断歩道のない道路を渡り、国道20号を右手に見ながら・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/20/9ddca5a40173ffef95258a80768867c3.jpg)
草叢の道を進む。
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道標を兼ねた馬頭観音が三体祀られていた。
横山の道標と呼ばれ、古府中より穴山、日野を経て台ヶ原村へ通じる道で、
後に「はらじみち」とも云われていた借日の主要道路である。
甲州街道の開設により台ヶ原村への入口でもあったので、江戸時代には
交通の足である馬の四魔を承伏し、交通の安全を祈願して建てられた。
馬頭観世音の側面に道標として「右かうふみち」「左はらぢ通」と記されている
台ヶ原宿に現存する唯一の道標である。
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無名の巨塔入口と記された碑があったが、ここは素通りして、
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古道を進む。
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古道の案内碑に従って進む。
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草で覆われた古道を進む。
左手には尾白川が流れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/6d/2250aa87e99a69ecec967831c1638f48.jpg)
逆方向から古道を歩いて来た人とすれ違った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/7f/cca2eece750b8dec05263faf85a1237d.jpg)
古道の台ヶ原宿側入口に到着。
ここで古道は終わりになっていた。
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石仏石塔群
馬頭観世音碑や庚申塔が並んでいる。
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台ヶ原下交差点で国道20号を横断すると、”甲州街道台ヶ原宿”の
標識が目に入った。ここから台ヶ原宿だ。
台ヶ原宿は、本陣1軒、脇本陣0軒、旅籠14軒であった。
この地は高く平らで台盤のようであったため、台ヶ原という地名になった。
宿並は、建設省(1986)「日本の道百選」に選ばれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9f/65f80af45266b299795bccdcab5eb112.jpg)
台ヶ原宿に入ると、左手に石祠道祖神が祀られている。
道祖神は、村の境や辻などにあって悪疫を防ぎ、旅人の安全を守り、
縁結びや子宝祈願の民間信仰の神である。
文化三年の記録によれば、1月14日の道祖神祭の際には
「虎頭の舞」が奉納されており、同年間の「甲州道中文間延絵図」に
図示されている3ヵ所のうちのひとつがここである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/cc/bb27b7d724cb308d3dcdee5c94ab2794.jpg)
中宿に入ると右手に杉玉(酒林)を吊り下げた酒店がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/7f/e1fb0b819630b1582460e66788ecd631.jpg)
右手に本陣跡碑と秋葉常夜燈があった。
御本陣小松屋伝右衛門跡で、天明二年(1782)の記録によると、
敷地は間口18間、奥行19間の351坪で、建坪は92坪だった。
甲州道中の参勤交代の大名は、高島藩・高遠藩・飯田藩の3藩に
限られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/05/056a599a3ee7df1468c56ea305650a79.jpg)
台ヶ原宿の見取り図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/f2/dcc0b01f411f16556813714db75f0fbe.jpg)
大きな杉玉(酒林)が吊り下る山梨銘醸(北原家)は、寛延二年(1749)の創業。
銘酒七賢の蔵元である。
当家は脇本陣も兼ね、幕末には高遠藩の御用商人を勤め、明治十三年(1880)
には明治天皇巡幸の際には行在所になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/c6/ae92c13da26f7358c7d61b2ba117f2b8.jpg)
天保六年(1835)建替えの際、高遠城主より竹林七賢(ちくりんしちけん)の欄間を拝領し、
以来銘酒を七賢と称した。
七賢とは三国志末期の頃、中国河内郡山陽の竹林で、酒を飲みながら
政談を行った七人の賢人のこと、だそうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/af/825068a967cab6efaa3e7edb1d3eb169.jpg)
山梨銘醸の隣に明治天皇菅原行在所碑が建てられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/40/77c7b4af5674edc4430cee8a7e904d4e.jpg)
問屋場跡
天明六年(1786)の記録によると、敷地は間口7間、奥行き28間の196坪、
建坪は56坪あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/44/bed7b5d53c57099473e18b330ed0e6d2.jpg)
七賢の向いには明治35年(1902)創業の元祖信玄餅の老舗金精軒がある。
建物は宿場時代の旅籠、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/2a/91f8cb4c211fb368448242c0dfd88dfa.jpg)
右手の一段高い所にお茶壺道中所縁の田中神社がある。
お茶壺道中は江戸幕府三代将軍家光の寛永十年(1633)から毎年四月中旬、
京都の宇治に採茶使を派遣して、将軍家御用達の新茶を茶壷に納封して、
江戸城へ運んだ行列のこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/b3/819ae5d50795dd1ee9aa85dfca6b51c4.jpg)
宿並の左手に旧甲州街道一里塚跡碑があった。
台ケ原の一里塚跡である。
江戸日本橋より数えて四十三里目の一里塚だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/2b/404235a51c2aa21aa7c27f31b5fefdb9.jpg)
少し先の左手に元旅籠「津留や諸国旅人御宿鶴屋」がある。
往時の佇まいをそのまま残している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b9/7f20022f7cbd492d5f90c3aab2c448c2.jpg)
建物前には講札が三枚掲げられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/60/a652f3a86becc230c005736ac164767c.jpg)
新築された現在のつるや旅館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/38/526b2d4fb407fc913a1a9883f036f8e1.jpg)
12時22分、道の駅「はくしゅう」に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/f3/7390d90248b799afcb995baef6730202.jpg)
あまりお腹は空いていなかったこともあり、
もり蕎麦(600円)を注文した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/8c/f88483e807c520ad6ca187c65d3da201.jpg)
『この蕎麦けっこう黒いねぇ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/fb/114589f6890379470711b13733202bb8.jpg)
『まあまあ美味しかったわねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/94/1aaaae86a56125d4ecf72c262d8330aa.jpg)
道の駅「はくしゅう」に、タクシー乗り場があった。
しかし、タクシーは常駐はしていない。
タクシー会社の電話番号が書いてあり、呼べば来るというシステムなのだろう。
旧道から小淵沢駅までタクシーを利用することも考えられるため、
一応番号を控えて、道の駅を後にした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/94/deccac86d462838c13b76451eb4dcdbb.jpg)
国道20号に並行している旧道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/14/504cbac8a1806dd90d55f250de76d5fb.jpg)
間もなく稲刈りの時期を向える頃だ。
『きれいな風景だねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/0b/cf8612c620d09540bcc32f019c5ac93a.jpg)
『いやぁ 美味しそうなぶどうだよねっ』
『ちょっと小粒だけど、何という品種なんだろうねっ?』
『ワイン用なのかもねっ?』
手を伸ばせば届く距離である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/5a/b5dc000039611e3c7a4ebcf13053d964.jpg)
13時6分、前沢ちびっ子広場を通過。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/03/5eb1486a5cddce890e3b647557a80de0.jpg)
旧道を教来石宿を目指して進む。
小淵沢駅14時36分発の特急に乗るためには、教来石宿辺りまで
タクシーに来て貰わないと間に合わない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/b8/0cce54b72a213fdad85ee86fa145310a.jpg)
『今どの辺なのかなぁ?』
教来石宿までどのくらいの距離なのかが気になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/33/07320e7d6a7ce27b6eba49bb6c214bc2.jpg)
13時22分、前沢上交差点で国道20号に合流し、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/b0/866263ed21934dc7cffa2a498ad7304a.jpg)
神宮川を通過。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/8c/342118918dcbb499b6d89f6fe53b0589.jpg)
SUNTORY白州醸造所まで1Kmの標識が現れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/08/97cc5cefd776305423e69cdd10265e13.jpg)
国道20号を分岐すると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/16/f0e9a786ff823eb0e8df1b9305870e3e.jpg)
北杜市の白州スポーツ公園の総合グラウンドがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/4b/0043699c5268a4dbad699107451293a8.jpg)
さらに進むと、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/97/a254b4d6fa7ee467731431d13e9b5b78.jpg)
13時39分、般若堂と書かれた小さな建物があった。
ここからは、凡そ20分ほどで教来石宿に着くことだろう。
ここで、タクシー会社に電話をして、教来石宿まで迎えに来てもらうことにした。
タクシーもおよそ20分ほどかかる、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/9a/770b665ef5cf3ade215037a1b8721507.jpg)
教来石宿を目指す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/9d/9fff77316a07f0ac9f2fb0bfbf0723b1.jpg)
松山沢川橋を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/c0/90f93d543e4cbd3beb46d053703f90b6.jpg)
蕎麦畑の景色が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/73/50b4380c717ba22fbc644ef8f40666e0.jpg)
流川橋を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/23/42e66682e43be4f0c7a4005b56375927.jpg)
橋の上流には国道20号が走っているのが見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/18/2487fc59f00283ee4aabc4e04d7dd62f.jpg)
14時ちょうど、国道20号に合流した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/e3/964768ebca45dd2bde2874243148bf83.jpg)
国道を歩いていればタクシーが通れば分かるだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/e8/ba31a4643a00f5caab97879d2c2781d4.jpg)
明治天皇御小休所址碑を過ぎると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/df/fd08124cf2ae68f19c4c6eba9124c433.jpg)
駐在所があり、向いには郵便局がある。
ここなら分かり易いのではないだろうかと思い、
タクシー会社には駐在所前でタクシーを待つことを連絡したが、
なかなかタクシーは、現れない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/80/2b1c873a200c569a3977b7e322eafb41.jpg)
14時20分くらいになってやっとタクシー2台が到着した。
運転手の話では、小淵沢駅まで約10分ほどらしいが、
小淵沢14時36分発の特急「あずさ20号」には、ぎりぎりである。
果して間に合うのか・・・
この電車に乗り遅れたら、次の新宿行特急は、16時5分なのだ。
14時31分、小淵沢駅に到着し、駅のホームへと走った。
(タクシーが遅れたため、電車のことで頭がいっぱいになり、
この間の様子を撮り忘れてしまったのは、残念で仕方がない)
ホームへ急いだ結果、何とか間に合った。
14時36分、定刻通り特急「あずさ20号」が到着した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/65/79ddbcd686b806c7a3a1c24c308a865b.jpg)
電車は日曜日ということもあってか、ほぼ満席状態だったが、
何とか座れて一安心。
別々の車両に分かれて座ることになったが、これは仕方がない。
新宿まで、ひと眠りすることにしよう。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ~っ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/cc/d3352120592e2a5f20cfc08a2c7bab58.jpg)
「旧甲州街道を歩く」第十三回 韮崎宿~教来石宿(2日目)約16Kmを歩き終えた。
萬休院手前で道を間違えて、30分以上時間をロスするというハプニングには、がっくり。
また、教来石宿からタクシーで小淵沢駅に向かおうとした際に、
呼んだタクシーがなかなか来ず、目的の電車に間に合わないのではないかと、
はらはらどきどき、さすがに焦った。
次回はどんなハプニングが待っているのか、次回の「旧甲州街道を歩く」が
今から楽しみではある。
旧甲州街道を歩く 第十三回 韮崎宿から教来石宿(1日目)へ
この日の万歩計は、25,000歩を超えていた。
”ウマさんの「甲州街道を歩く」の目次”
「甲州街道を歩く」第十三回2日目は、日野春駅から教来石宿までの約16Kmを歩いた。
2日目の朝、しっかりと朝食を摂り、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/f3/fd20dc8efbbe5f2dce7301688d1d6f91.jpg)
7時58分、韮崎駅に向けて出発!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b7/6d562337944f1775529e9ebd4cf899ba.jpg)
韮崎駅前通り商店街を韮崎駅へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/15/79c565934654326bab56469c2906f113.jpg)
昨日おにぎりを買った「ほさか」は、まだ開店していなかった。
今日はコンビニ弁当または道の駅で昼食を摂ることにしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/cd/9dec7ce8b83172f37878adb707989742.jpg)
8時6分、韮崎駅に到着
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/c3/b4467b6550a2d9dc41ea6a44081a116d.jpg)
韮崎駅8時29分発の下り電車がやってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/81/e44b8053c5e0e5253ecfdc4d4046bd27.jpg)
新府駅から新府城跡と思しき森が見えた。
『あの森が新府城跡かも知れないねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/cf/6cecae8a55a824654ab6fe896f535a93.jpg)
8時44分、日野春駅に到着
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/9d/bb5a2954772b7d2a70c2d7a7c1a21c61.jpg)
8時58分、日野春駅を出発!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/98/7e0490a0b43035508efce9dd12de8641.jpg)
コンビニを求めて富岡三差路へ向かったが、コンビニが見当たらなかったため、
県道612号を釜無川への近道「野猿返し」へ向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/be/458d2abea838ba3b44e4b4c57ed6476d.jpg)
9時11分、武川町牧原方面近道「野猿返し」入口に到着
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/39/8dd503fa5dce752d38f895f8bef8482a.jpg)
「野猿返し」の坂道を下る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/b1/e613ba1171f2a591920e695dc64ee9ed.jpg)
「野猿返し」の坂道を下る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/ec/0d6be9b3c29b131bb32699a14a257f53.jpg)
いったん県道612号に出て、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/d9/da7a664f4e59b6221a359523c2bd9b5e.jpg)
さらに「野猿返し」の坂道を下ると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/7a/c0b86744aca34950d1222e129b4a8fb0.jpg)
釜無川橋の袂に出た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/78/602acfd8d822f936192e170a2a8ede48.jpg)
釜無川を渡った所に”むかわ”の看板が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/56/f2e99b483477913a0d667f5b9f67f91f.jpg)
9時31分、国道20号牧原交差点に到達
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/e4/2d0f2d6afbb0191ffe31db6877f89fb9.jpg)
大武川橋を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/74/a83f089db1daca1eed480e61306bff37.jpg)
大武川
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/02/373e8cc0e18d3b883da153bdb32a0a88.jpg)
大武川を渡って少し進み、下三吹バス停を左に曲がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/81/307bfdf172f396c9ab5f3d7ffbe7267c.jpg)
左手の旧道を進む。
緩やかな坂道になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/a5/e99652542460708012f853a1174519a0.jpg)
下三吹の集落を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/cb/7dc175b91ac7924395ce2637bdb36d8d.jpg)
『甘柿なのかしらっ?』
鈴生りである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/6a/81f5a015424dc581276b49feb4f6aa8d.jpg)
下三吹の集落を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/60/cd507dab47b61dfaaeff438df50e6900.jpg)
集落を進むと正面に田圃が広がり、その手前に「供養塔」がある。
昭和34年8月、台風七号による土石流が村を襲い、下流では被害者が出たが、
この一石塔のおかげで土石流は迂回したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/83/a6f5911437044fb74b05b4dc46099384.jpg)
田んぼの中に真っ直ぐに道が伸びていた。
水車小屋が見える。その右手に公園らしい広場と東屋があった。
ちょっと一休みしていくことにしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/ab/590aae2f4c908ecac5d1490cd6864c1f.jpg)
右手を見ると国道20号(右)と舞鶴松(左)の分岐点になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/5f/5dbd13fa999cbaefa6ea8133994ecb11.jpg)
小さな公園があり、東屋があったので立寄ってみると、
中には2人の女性が、休憩していた。(リュックの女性は我々の仲間)
実家の栗拾いに来ていて、一休みしているところとのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/69/da1e1b7eeed06c443d44dbb690bf6da5.jpg)
女性たちが持参したぶどう(シャイン・マスカットとピオーネ)や
栗の渋皮煮を奨められ、恐縮しながらも戴いた。
『ごちそうさまっ』 『いやぁ このぶどうは甘くて美味しいねぇ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/07/5c41b50efb5e88eebd0592391b5fb0f9.jpg)
田んぼの中を伸びる道が白州方面へ通じる道だと教えてもらった。
女性たちに厚く礼を言い、東屋を後にした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/9e/a83ed3d713a246a337e48346597b5291.jpg)
周りが田んぼの農道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/1b/b01652b1a6a7ceba91ac72c0c09af535.jpg)
稲刈りの真っ最中だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/1b/0f3cc01faa3faa6ce0ef2bb73a132f9e.jpg)
蓮の花が咲いていた。
『きれいだねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/05/97e9e1ac41e143dc7675f06c2194bbd6.jpg)
周りが田んぼの道を進むと・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/9d/c0b7aff87dd0418f3276120a3facdacd.jpg)
行き止りになっていた。
有害獣被害防止用電気柵の金網で閉じられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/84/bbb45d05b48b3add7d05f594ad83ea03.jpg)
鍵はかかってなくて、手で開けることは出来た。
(この時点ではまだ道が間違っているとは認識していなかった。
東屋での女性たちが教えてくれたことを信じて疑わなかった)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/ff/7102384cdb8d8aee2d15e3cf3387755d.jpg)
さらに進んだ所で、どうやら道が間違っていることにようやく気が付いた。
このまま進んでも白州へ行けるような様子はない。
『なんだか間違ってるようだねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/31/a6311622b039a5bf863f6775841eac46.jpg)
急いで引き返すことにした。
電気柵の金網の扉を抜け、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/72/9102900f3817389465752bad7ac12379.jpg)
来た道を引き返した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/ba/06c757879f788272da1344c505491776.jpg)
国道20号(右)と舞鶴松(左)の分岐点まで戻り、舞鶴松(左)方面へ。
『白州方面はこの道しか考えられないよねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/5f/5dbd13fa999cbaefa6ea8133994ecb11.jpg)
坂道を上って行くと、萬休院の門が建っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/e4/51e72a648485f45b3e5066b44dab8101.jpg)
坂道を上って行くと、萬休院の観音像が建っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/d2/0ed09316a73301dbeddda7541a260ae7.jpg)
10時43分、萬休院に到着した。
萬休院入口の地図で白州方面へ通じる道を確認する。
『最初からこっちの道を進んでたら良かったんだぁ』
約30分ほど時間をロスしたことになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/ed/31294abad7f0de3355460259a76a70ae.jpg)
萬休院に来たからには一応お参りしていこう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/17/3d007e5348035c4e082c5dbf25f801b6.jpg)
萬休院本堂にお参りを済ませた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/8f/8608ee185becf521075fc4eda8951d00.jpg)
舞鶴松は、平成18年(2006)松くい虫の被害により枯死し、
平成20年(2008)、供養祭の後に伐採されてしまった、とのこと。
かつての松の株が展示されていた。
樹齢約450年と云われている古木だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/e2/bfa3f848028af23a39cd6dd7f5b7a867.jpg)
かつて舞鶴松が生えていた場所には、何もなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/03/ce10d6792c3ffa5425ffc21d60f51eb1.jpg)
平成17年(2005年)11月に訪問した当時の舞鶴松は、こんな状態だった。
名称の由来は、傘状の枝が階段状になり、全体の樹形が優美で、
ちょうど鶴が舞う姿に似ているところからきている。
樹齢450年の赤松で国天然記念物指定だった。
その見事な枝振りは、もう二度と見ることは出来ないのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/45/47a8659f2e9fcf2bbd7eee684ce8a0e1.jpg)
萬休院を後にして、白州方面を目指して坂道を下る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/33/4cf6fb8c5aad508c70032e05e0d2fa46.jpg)
坂道を下った萬休院の西口に、南無阿弥陀仏名号碑・甲子塔・地蔵尊・
一石六地蔵・馬頭観音像等が安置されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/e2/b60f3266084451391ee75b702160ad77.jpg)
西口石塔群を過ぎて進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/da/3ebc447a7be6d5dde6154f477a4eaee1.jpg)
上三吹交差点を渡り、三吹の集落へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/48/b80b9475164055c0508aa789c9d75df4.jpg)
武川町三吹集落の松
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/46/dd6ab620ca05985a007785bd9e47fb8e.jpg)
村外れの右手に浄土宗無量院(廃寺)跡があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/6d/e0caa87d3c011d0991c38a42ee4d91b3.jpg)
境内の一角に供養塔・庚申塔・安永六年(1777)造立の地蔵尊等が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/fe/44d7366df2eb5388a2f38f7a829caa78.jpg)
境内奥には神明社ともう一社が祀られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/cb/639bac169071a4269343ff62200cc600.jpg)
浄土宗無量院跡を過ぎると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f5/e39be18444fe166a3ada4748f59e9636.jpg)
国道20号の手前右手に旧甲州街道一里塚跡碑があった。
碑には「甲府ヨリ七里ナノデ七里塚トモ云ウ」と刻まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/76/32c30970f7f48cabbbe7e19f305f55df.jpg)
国道20号の尾白川橋で尾白川を渡ると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/01/446722d68365e860f0d5abd465d202bb.jpg)
道路の反対側に甲州街道古道入口 はらぢみち と刻まれた道標が目に入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/ef/68a5faadc4e58a0992ef53fef13d6ff7.jpg)
横断歩道のない道路を渡り、国道20号を右手に見ながら・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/20/9ddca5a40173ffef95258a80768867c3.jpg)
草叢の道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/29/51d5a2116be326367b40097f10955218.jpg)
道標を兼ねた馬頭観音が三体祀られていた。
横山の道標と呼ばれ、古府中より穴山、日野を経て台ヶ原村へ通じる道で、
後に「はらじみち」とも云われていた借日の主要道路である。
甲州街道の開設により台ヶ原村への入口でもあったので、江戸時代には
交通の足である馬の四魔を承伏し、交通の安全を祈願して建てられた。
馬頭観世音の側面に道標として「右かうふみち」「左はらぢ通」と記されている
台ヶ原宿に現存する唯一の道標である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/85/516073fb71ba890a0c936a1da17d0144.jpg)
無名の巨塔入口と記された碑があったが、ここは素通りして、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/98/37bffc8374968cb9a6018a562bec32a5.jpg)
古道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/c1/55ea380dfd80d580cd3ac350e09ef7a6.jpg)
古道の案内碑に従って進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/6d/9483c4d0255a116f60a78d813db9c71c.jpg)
草で覆われた古道を進む。
左手には尾白川が流れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/6d/2250aa87e99a69ecec967831c1638f48.jpg)
逆方向から古道を歩いて来た人とすれ違った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/7f/cca2eece750b8dec05263faf85a1237d.jpg)
古道の台ヶ原宿側入口に到着。
ここで古道は終わりになっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/95/594ed04f63dd4ac1004b79fc4b776aab.jpg)
石仏石塔群
馬頭観世音碑や庚申塔が並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/8c/4beedddb010219d37981f363e548500a.jpg)
台ヶ原下交差点で国道20号を横断すると、”甲州街道台ヶ原宿”の
標識が目に入った。ここから台ヶ原宿だ。
台ヶ原宿は、本陣1軒、脇本陣0軒、旅籠14軒であった。
この地は高く平らで台盤のようであったため、台ヶ原という地名になった。
宿並は、建設省(1986)「日本の道百選」に選ばれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/9f/65f80af45266b299795bccdcab5eb112.jpg)
台ヶ原宿に入ると、左手に石祠道祖神が祀られている。
道祖神は、村の境や辻などにあって悪疫を防ぎ、旅人の安全を守り、
縁結びや子宝祈願の民間信仰の神である。
文化三年の記録によれば、1月14日の道祖神祭の際には
「虎頭の舞」が奉納されており、同年間の「甲州道中文間延絵図」に
図示されている3ヵ所のうちのひとつがここである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/cc/bb27b7d724cb308d3dcdee5c94ab2794.jpg)
中宿に入ると右手に杉玉(酒林)を吊り下げた酒店がある。
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右手に本陣跡碑と秋葉常夜燈があった。
御本陣小松屋伝右衛門跡で、天明二年(1782)の記録によると、
敷地は間口18間、奥行19間の351坪で、建坪は92坪だった。
甲州道中の参勤交代の大名は、高島藩・高遠藩・飯田藩の3藩に
限られていた。
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台ヶ原宿の見取り図
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大きな杉玉(酒林)が吊り下る山梨銘醸(北原家)は、寛延二年(1749)の創業。
銘酒七賢の蔵元である。
当家は脇本陣も兼ね、幕末には高遠藩の御用商人を勤め、明治十三年(1880)
には明治天皇巡幸の際には行在所になった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/c6/ae92c13da26f7358c7d61b2ba117f2b8.jpg)
天保六年(1835)建替えの際、高遠城主より竹林七賢(ちくりんしちけん)の欄間を拝領し、
以来銘酒を七賢と称した。
七賢とは三国志末期の頃、中国河内郡山陽の竹林で、酒を飲みながら
政談を行った七人の賢人のこと、だそうである。
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山梨銘醸の隣に明治天皇菅原行在所碑が建てられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/40/77c7b4af5674edc4430cee8a7e904d4e.jpg)
問屋場跡
天明六年(1786)の記録によると、敷地は間口7間、奥行き28間の196坪、
建坪は56坪あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/44/bed7b5d53c57099473e18b330ed0e6d2.jpg)
七賢の向いには明治35年(1902)創業の元祖信玄餅の老舗金精軒がある。
建物は宿場時代の旅籠、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/2a/91f8cb4c211fb368448242c0dfd88dfa.jpg)
右手の一段高い所にお茶壺道中所縁の田中神社がある。
お茶壺道中は江戸幕府三代将軍家光の寛永十年(1633)から毎年四月中旬、
京都の宇治に採茶使を派遣して、将軍家御用達の新茶を茶壷に納封して、
江戸城へ運んだ行列のこと。
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宿並の左手に旧甲州街道一里塚跡碑があった。
台ケ原の一里塚跡である。
江戸日本橋より数えて四十三里目の一里塚だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/2b/404235a51c2aa21aa7c27f31b5fefdb9.jpg)
少し先の左手に元旅籠「津留や諸国旅人御宿鶴屋」がある。
往時の佇まいをそのまま残している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b9/7f20022f7cbd492d5f90c3aab2c448c2.jpg)
建物前には講札が三枚掲げられている。
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新築された現在のつるや旅館
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12時22分、道の駅「はくしゅう」に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/f3/7390d90248b799afcb995baef6730202.jpg)
あまりお腹は空いていなかったこともあり、
もり蕎麦(600円)を注文した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/8c/f88483e807c520ad6ca187c65d3da201.jpg)
『この蕎麦けっこう黒いねぇ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/fb/114589f6890379470711b13733202bb8.jpg)
『まあまあ美味しかったわねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/94/1aaaae86a56125d4ecf72c262d8330aa.jpg)
道の駅「はくしゅう」に、タクシー乗り場があった。
しかし、タクシーは常駐はしていない。
タクシー会社の電話番号が書いてあり、呼べば来るというシステムなのだろう。
旧道から小淵沢駅までタクシーを利用することも考えられるため、
一応番号を控えて、道の駅を後にした。
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国道20号に並行している旧道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/14/504cbac8a1806dd90d55f250de76d5fb.jpg)
間もなく稲刈りの時期を向える頃だ。
『きれいな風景だねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/0b/cf8612c620d09540bcc32f019c5ac93a.jpg)
『いやぁ 美味しそうなぶどうだよねっ』
『ちょっと小粒だけど、何という品種なんだろうねっ?』
『ワイン用なのかもねっ?』
手を伸ばせば届く距離である。
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13時6分、前沢ちびっ子広場を通過。
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旧道を教来石宿を目指して進む。
小淵沢駅14時36分発の特急に乗るためには、教来石宿辺りまで
タクシーに来て貰わないと間に合わない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/b8/0cce54b72a213fdad85ee86fa145310a.jpg)
『今どの辺なのかなぁ?』
教来石宿までどのくらいの距離なのかが気になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/33/07320e7d6a7ce27b6eba49bb6c214bc2.jpg)
13時22分、前沢上交差点で国道20号に合流し、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/b0/866263ed21934dc7cffa2a498ad7304a.jpg)
神宮川を通過。
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SUNTORY白州醸造所まで1Kmの標識が現れた。
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国道20号を分岐すると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/16/f0e9a786ff823eb0e8df1b9305870e3e.jpg)
北杜市の白州スポーツ公園の総合グラウンドがあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/4b/0043699c5268a4dbad699107451293a8.jpg)
さらに進むと、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/97/a254b4d6fa7ee467731431d13e9b5b78.jpg)
13時39分、般若堂と書かれた小さな建物があった。
ここからは、凡そ20分ほどで教来石宿に着くことだろう。
ここで、タクシー会社に電話をして、教来石宿まで迎えに来てもらうことにした。
タクシーもおよそ20分ほどかかる、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/9a/770b665ef5cf3ade215037a1b8721507.jpg)
教来石宿を目指す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/9d/9fff77316a07f0ac9f2fb0bfbf0723b1.jpg)
松山沢川橋を渡る。
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蕎麦畑の景色が広がる。
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流川橋を渡る。
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橋の上流には国道20号が走っているのが見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/18/2487fc59f00283ee4aabc4e04d7dd62f.jpg)
14時ちょうど、国道20号に合流した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/e3/964768ebca45dd2bde2874243148bf83.jpg)
国道を歩いていればタクシーが通れば分かるだろう。
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明治天皇御小休所址碑を過ぎると
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駐在所があり、向いには郵便局がある。
ここなら分かり易いのではないだろうかと思い、
タクシー会社には駐在所前でタクシーを待つことを連絡したが、
なかなかタクシーは、現れない。
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14時20分くらいになってやっとタクシー2台が到着した。
運転手の話では、小淵沢駅まで約10分ほどらしいが、
小淵沢14時36分発の特急「あずさ20号」には、ぎりぎりである。
果して間に合うのか・・・
この電車に乗り遅れたら、次の新宿行特急は、16時5分なのだ。
14時31分、小淵沢駅に到着し、駅のホームへと走った。
(タクシーが遅れたため、電車のことで頭がいっぱいになり、
この間の様子を撮り忘れてしまったのは、残念で仕方がない)
ホームへ急いだ結果、何とか間に合った。
14時36分、定刻通り特急「あずさ20号」が到着した。
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電車は日曜日ということもあってか、ほぼ満席状態だったが、
何とか座れて一安心。
別々の車両に分かれて座ることになったが、これは仕方がない。
新宿まで、ひと眠りすることにしよう。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ~っ』
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「旧甲州街道を歩く」第十三回 韮崎宿~教来石宿(2日目)約16Kmを歩き終えた。
萬休院手前で道を間違えて、30分以上時間をロスするというハプニングには、がっくり。
また、教来石宿からタクシーで小淵沢駅に向かおうとした際に、
呼んだタクシーがなかなか来ず、目的の電車に間に合わないのではないかと、
はらはらどきどき、さすがに焦った。
次回はどんなハプニングが待っているのか、次回の「旧甲州街道を歩く」が
今から楽しみではある。
旧甲州街道を歩く 第十三回 韮崎宿から教来石宿(1日目)へ
この日の万歩計は、25,000歩を超えていた。
”ウマさんの「甲州街道を歩く」の目次”