2015年4月26日(日)
昨年(2014年)は、旧東海道の日本橋から三島宿までを歩いた。
今年は、旧街道の中でも見所が多く人気のある区間を選んで、歩くことにした。
旧街道全ての区間を歩くのは、時間的にも経済的にも大変なため、ある街道の中から
区間(宿間)を選んで歩くことにした。
今回は、日帰りを主としているが、コースによっては宿泊も有りとしている。
第三回は、日光御成道の駒込~岩淵宿間約8.5Kmを歩いた。
(コースについては、メイツ出版の「首都圏の旧街道を歩く」を参考にした)
9時58分、この日のスタート地点JR駒込駅に到着
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駒込駅からはいったんバックする形になることから、六義園はパスしようと考えていたが、
この時期の六義園のツツジを是非見たいという声が上がり、六義園へ向かうことにした。
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この日参加したのは10名。
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5分足らずで六義園染井門に到着した。
六義園は、川越藩主の柳沢吉保が築庭した大名庭園で、昭和28年特別名勝に指定されている。
庭園の名は、中国の「毛詩」に記されている、腑・比・興・風・雅・頌の六義に由来する和歌の六体によるもの。
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入園料は通常300円のところ、65歳以上は150円だ。
全員65歳以上である。
特に免許証などの証明書は見せなくても『シルバー割引で』と言うと通してくれた。
まあ、平均70歳近いのだから顔を見れば直ぐに分かるのだろう。
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自分にとっては、六義園は初めてである。
『良い所だよ』とは聞いていたが、園内は予想以上に緑に覆われていた。
都界の真ん中とは思えないほど、緑が豊かだ。
千里場(馬場跡)を進む。
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千里場を抜けた処には竹林もある。
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出汐湊から妹山・背山を望む。
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池の中央にあるアーチ型の石の島が蓬莱島で、小さな松の木が生えている。
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滝見茶屋の東屋の奥の水分石(みずわけいし)
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吹上茶屋近くの見事なキリシマツツジ(八重霧島)
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吹上茶屋
抹茶なども楽しめるが、時間がないので素通りだ。
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吹上の松
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藤代峠は、ヤマツツジやキリシマツツジが見頃を迎えていた。
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藤代峠からの妹山・背山の眺望
後方のビルが何故か印象的
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渡月橋
「和歌のうら 芦辺の田鶴の鳴声に 夜わたる月の 影ぞさびしき」の歌から名付けられた石の橋。
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渡月橋
後に見えるのは妹山・背山
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9時37分、六義園を後にする。
この日は時間の都合上、30分足らずで駆け足で園内を回ったが、
もう少しゆっくりと時間を掛けて見て回りたいのが本音である。
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あらためて駒込駅を通過。
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駒込駅横の「染井吉野桜公園」に立ち寄ったところ、植栽フェアが行われていた。
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「染井吉野桜発祥の地」碑は、あいにく植木などに隠れて見えなかった。
参考までに「染井吉野桜発祥之里」碑には、次のように書かれている。
駒込の一部は江戸時代染井と呼ばれ、巣鴨とともに花奔・植木の一大生産地であった。
この地で江戸時代数多くの優れた園芸品種が誕生したが、中でも染井吉野は、
当地の地名が名付けられ、世界を代表する桜の品種となった。
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本郷通り(旧日光御成道)
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駒込妙義坂子育地蔵尊
本郷通りの妙義坂の途中に祀られている。
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寛文八年(1668)に駒込の今井家が子孫繁栄を祈願して地蔵尊とお堂を建立。
以降地元有志によって毎月念仏供養が営まれた、と紹介されている。
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本郷通りに面した銭湯「亀の湯」、堂々たる破風造りの構えが良い。
亀の湯の前にしかアーケードは残っていないそうだ。
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古河庭園
明治の元勲陸奥宗光の別邸を古河家が譲り受けて整備。
英国人コンドルがゴシック様式の洋館と洋風庭園を、京都の庭師小川治兵衛が和風庭園をそれぞれ築庭。
和洋の調和が優れていることから、平成18年に国の名勝に指定された。
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本郷通り滝野川消防署付近
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滝野川警察署前の道路の真ん中に西ヶ原一里塚碑が立っていた。
中山道本郷追分で分岐する日光御成道の一番目の一里塚である。
一里塚への横断歩道はなく、また道路は交通量が多い。
しかも警察署の真ん前でもあるため、横断するのは控え、歩道から撮るだけにした。
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少し離れた横断歩道の信号には”一里塚”と表示されていた。
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酒の銘柄にも”西ヶ原一里塚”のラベルが貼られていた。
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飛鳥山公園へ。
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旧渋沢庭園・晩香蘆・青淵文庫
渋沢栄一の喜寿を記念して合資会社清水組(現清水建設(株))四代目当主が贈り大正6年に建てられた、とのこと。
晩香蘆の名は、バンガローの音に当てはめ、渋沢自作の詩「菊花晩節香」から採ったといわれる。
晩香蘆と青淵文庫は、毎週土曜日午後12時30分~3時45分に公開されている、とのこと。
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渋沢史料館
日本に近代経済社会の基礎を築いた渋沢栄一(1840~1931)の生涯と、 関係した事業等の諸資料を収蔵・展示している。
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史料館前の渋沢栄一像
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平和の女神像
日本と中国の国交正常化を記念し、人類の理想である平和と幸福を願って、1974年に建立されたもの。
作者は、長崎市「平和祈念像」の作者として有名な、北区名誉市民である故北村西望氏。
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飛鳥山公園には、SL-D51や
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都電6080が展示されている。
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飛鳥山碑
紀州出身の八代将軍吉宗が享保八年(1723)に王子権現に参詣した折、
王子権現が熊野若一王子を勧進したことなどを知って感じ入り、飛鳥山一帯を寄進し、
桜の植樹をすすめ、江戸庶民にも開放し、江戸きっての花見の名所となった。
一般庶民に開放したのを記念して、王子権現社別当金輪寺の住職肴衛が元文二年(1737)に碑を建立した。
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飛鳥山公園内を進む。
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歩道橋を渡り、道路反対側へ。
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信号停止中の都電
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音無親水公園の音無橋
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音無橋から見た音無渓谷
音無の名の由来は、八代将軍吉宗が紀州の音無川にちなんで命名した、とのこと。
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王子神社は北区役所の正面である。
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王子神社本殿
創建は不詳だが、源義家の奥州征伐の折、社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、
古くから聖地として崇められていた。
その後、元亨二年(1322)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えし、
改めて「若一王子宮」と奉斉し、王子神社となった。
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王子神社参拝し、
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権現坂を下り、
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森下通りを進む。
(日光御成道からは少しずれているのは、道が分からなくなったため)
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I子さんから突然の”いなり寿司”の差し入れだ。
途中に”いなり寿司”屋があったそうだ。
『お腹が空いてたから美味しいわねっ』『ご馳走さまっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/e6/64b2a761918bb37b7572dc4347b8f377.jpg)
11時2分、王子稲荷神社に到着。
関東稲荷総司の社、だそうである。
今から千年もの昔「岸稲荷」として祀られ、社記に「源頼義が奥州追討の時に深く信仰し、
関東総司とした」とあるとのこと。
1322年、豊島氏が紀州の熊野神社を勧請し、王子神社を祀ったところから、地名も王子となり、
王子稲荷と改称された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/31/c7b7ea4573ff0a7e662516d91f1a8cad.jpg)
王子稲荷の奥へ行ってみると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/ec/5bbbc14edcfa8d10181599803ea09663.jpg)
小さな稲荷神社があり、
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神社横の鳥居の先に、
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「願いの御石様」が祀られていた。
願い事を念じながら石を持ち上げた時、予想していたよりも軽ければ願い事が叶うと云われ、
重ければ叶わないと云われている、そうだ。
持ち上げた感じでは20Kgほどだったろうか? 軽くはなかったが、一応持ち上げることは出来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/4c/34bfac595ceb28530f7c910a047d6789.jpg)
階段を上ったところに狐が棲んでいたと云われる狐穴があるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/a8/86a87eb8794ed057a9236b1937bc7ef4.jpg)
上ってみると小さな祠(左)と狐の狛犬(右)があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/8f/6611862b70eaeb9548dd9fb4cce969d7.jpg)
狛犬の奥は穴のようになっている。これが狐穴なのだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ec/34e2bb54a1b1739ad8eec9efae900c1e.jpg)
王子稲荷神社を後にする。
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11時16分、名主の滝公園に到着。
王子村の名主畑野家が家屋敷に滝を開き、一般の人が利用できる施設とした。
嘉永三年(1850)から刊行が始まった「絵本江戸土産」(安藤広重)に
「十條の里女滝男滝」として描かれている。
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名主の滝公園内を抜けると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/5e/de5efca39dd78764897c75acd88bedc0.jpg)
男滝が現れた。
かなりな流量で、まあ本格的な滝である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/04/8c0cf8de7494428289623c6b8c77a2b2.jpg)
名主の畑野家は、茶を栽培して、茶室を設けてもいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/4c/e689c7ac79a9a34e325ec46a19dbfe6b.jpg)
名主の滝公園を出て左へ進むと名主の滝公園に沿って三平坂がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/3b/f6c9da0b132f1df5407c2e38eb4186bf.jpg)
三平坂はかなり急である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/d0/a0b0dcd4e5c077fd1da612cee68161af.jpg)
『この日一番の坂道だねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/e1/868782882bf0f856328e896ec9cbb8ee.jpg)
三平坂を上り切り、都道456号を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/dd/58cfd84b7bd0f525e0776623ed87da77.jpg)
十条台を過ぎた辺りの道端にひっそりと庚申塔が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/28/a9b5e026820af69275996e1389473b52.jpg)
11時44分、地福寺を通過。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ef/c0503b54c673fd8136ae1229f9a74701.jpg)
11時49分、十条富士塚に到着。
十条富士塚は、江戸で流行した富士講の一つで、十条地域の人々が祭儀をした場所である。
鳥居の額には富士神社とある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/32/97e5b792357df88ac5b10f19f1fa9dca.jpg)
石段を上り、富士塚へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/8e/e6a5634efa90176decca8c0afa394a63.jpg)
5mほどの頂上には小さな祠が安置されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/7f/91eaf16ff70f7ed05d79ae27575f017e.jpg)
本物の富士山の山開きには代参人を送り、その他の人は地元の十条富士塚に詣でて、
このように手を合せたのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/41/2885b9277439b451952a083955802031.jpg)
講での富士登山記念の碑が建てられていた。
実際の富士山を模して、溶岩などを配置している。
『三十九度の富士登山って当時としては凄いことだよね~っ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/de/2001f6ba52fa79dbcc924f7937b98435.jpg)
大正時代を思い起こさせる旧い建物だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/ee/fc05fb2d676bfe54d1051ba5054321ed.jpg)
12時ちょうど、環状七号交差点に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/bf/271a73e10dac59a9ad8f568589cbff4d.jpg)
環七通り板橋本町方面
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/25/f882cf9a80627f87b3903a3954f1a37f.jpg)
前方にJR線が見えて来た。
清水坂公園(左)付近を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/bf/5ecb85d56c53b78332dbdeb3749f3869.jpg)
清水坂公園を過ぎ、埼京線の鉄橋を潜ると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/74/400b96b63053f7ff3e973221f290fbbc.jpg)
普門院の参道入口に稲村餅搗唄(もちつきうた)の説明板があった。
それによると、
江戸時代、ここは稲付村と称されていたが、この先右側の社地でうたわれる餅搗唄は、
住民が昔から餅を搗くときにうたった作業唄で、現在は、毎年二月の初午祭のときに、
道灌山稲荷講の人達によってうたい継がれている。
餅は正月を祝って鏡餅として神棚に供えるとともに、これを雑煮にして食べたり、
祝い事や保存食に使うためにも搗かれた。
稲村の地域では、餅を搗く際に、臼の回りに何人もの若者が集まり、唄をうたいながら
小さい杵を次々と振り下ろして餅を練ったり搗いたりする。
餅を錬る時にうたったのが、「稲村千本杵餅錬唄」、
餅を搗く時にうたったのが、「稲村千本杵餅搗唄」、とのこと。
(以下略)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/1b/8648b6c31f3910a88cb33869215f870d.jpg)
ちょっと変わった構えの普門院鐘楼
中国・台湾風の鐘楼門と、インドブッダガヤの仏塔をモデルにした納骨堂があり、
異国情緒漂う独特の景観を作り上げている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/be/ec07008911b219e06954d908a98a41f2.jpg)
六地蔵
別々の綿帽子を被っていて可愛らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/28/4be7a74102fcd7812a401e6358db4dea.jpg)
創建は徳治二年(1307)とされる普門院本堂
鐘楼門と同様、本堂も中国風のデザインで、本尊の聖観音菩薩立像が安置されている。
窓の上の壁には北斗七星を象ったという「九曜星」の紋章が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/ea/da2a17084435a3c91775fd145ef2f940.jpg)
インドブッダガヤの仏塔をモデルにした共同墓地の妙覚山大塔(昭和41年完成)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/21/2ee079e530da08d7e66ea12c3695a712.jpg)
普門院を後にして赤羽駅へ向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/ce/c47445c87c7d6143c0b53c1538b96dd1.jpg)
12時38分、赤羽駅西口に到着
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/19/8288afd35352944a1a526ce0ca9722a1.jpg)
駅構内を通り、東口へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ef/98e35ebb523af3c33860e3ca0755a066.jpg)
赤羽駅東口
既に12時を40分ほど過ぎていたが、昼食はゴールの荒川に到着してからということに。
差し入れの”いなり寿司”で何とか凌げそうである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/47/dd476e683d3a3585ebacb169ceca79e7.jpg)
JR線沿いの道を次の目的地宝幢院(ほうどういん)へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/94/455ccad8af9e4f2c2ffb64c4b77a5a7a.jpg)
12時49分、宝幢院に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/89/35b93b7637456e1c2c414af67c39ef5b.jpg)
門の前に、道標があった。
江戸時代中期の元文五年(1740)二月に了運という僧侶によって造立されたもの。
「東 川口善光寺道 日光岩付道」「西 西国富士道 板橋道」「南 江戸道」と刻まれている。
日光岩槻道は、岩淵宿から川口へと舟で渡り、鳩ヶ谷・大門・岩槻の宿場を経て、
幸手宿で日光街道に合流する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/56/4adafa4b1cb5701bdf882066fa3355c5.jpg)
宝幢院本堂
本堂前には弘法大師像が建てられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/ff/44f01a0388ca19b86d2c9c7fc45907f4.jpg)
板碑型の石塔横には、阿弥陀如来立像と三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)が線刻されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/30/6b62d6d95580a456ec6090bd3a7e6fd0.jpg)
北本通り赤羽交差点を渡ると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c3/1cf2423630b9ca4f4a86c7a4dbb473f7.jpg)
大満寺
真言宗智山派の寺で、本尊は行基作の岩渕薬師如来坐像。
山門前に安置されている地蔵菩薩は、別名わらじ地蔵と云い、参詣者が絶えない、そうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/cd/af2cd13bd6560b6c823680a166365d66.jpg)
本堂には鎌倉時代初期の作と伝えられる不動明王像が安置されており、岩渕不動尊として、信仰を集めている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/59/2f426713f8c9c5fa758e4038e87a818a.jpg)
北本通りを進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/e0/37ca495ec233cf35cc6d15e9bf3cc8cb.jpg)
ゴールの荒川は近い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/b4/919da53daef965182e014611b7681565.jpg)
小西酒造
明治11年、初代が酒造りに適した湧水を発見し、酒造りを創業。
東京23区内に唯一残る酒蔵である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/99/4899809f83e1fcc115012e49282811ed.jpg)
「丸眞正宗」720mlの吟醸辛口(1,370円)がお奨めのようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/74/b46f38470b025f762386736deceb45ac.jpg)
北本道りの歩道脇に岩槻街道岩淵宿問屋場址之碑が立てられていた。
岩渕宿は荒川を挟んで川口宿と向かい合い、二つで一宿とされた。
道路拡幅工事などで、今に伝わる面影はこの「岩渕宿問屋場址之碑」だけだそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/4b/0207562a232ff45108a25286f691c2bc.jpg)
荒川方面へ向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/9f/a8b8c4b408a9e4ec235a524463080e37.jpg)
『目の前が荒川かなぁ?』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/aa/c2e4e69f593ef63e83a0c0c74ba95032.jpg)
と思ったら、荒川の手前の新河岸川だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/68/aec53daf3a37a319404663d493d0909b.jpg)
13時14分、新河岸川から100mほどで荒川に到着した。
『ようやく着いたねぇ』
『やっぱし 荒川は広いわっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/ec/ac298d07df5c578128cce8d92f48276e.jpg)
対岸は埼玉県川口市だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/91/41ea9027ac8423271379889aeb73ddc8.jpg)
ゴールと同時にお腹が空いてきた。
赤羽駅前へ引き返すことに。
『駅前に行けば食べ物屋はいくらでもあるよねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/00/aa0859029e21dc79bb34d9b62d3a3fbb.jpg)
赤羽1番街を通り、赤羽駅へ向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b8/7cf39bec592033a8d8c0c4fa62e112fa.jpg)
1番街では飲み屋が圧倒的に多い。
食べ物屋は少ない感じである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/4f/60aa5783d2f79e3191207be121c04d01.jpg)
駅前で店を探すも適当な店が見つからない。
見つかっても昼食時間帯のため大抵の店は混雑していた。
10名全員一緒にというのは無理なので、数人づつ別々の店に入ることに。
結局入ったのは吉野屋だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/87/8fab2a4db86baa9d2e095711905c5563.jpg)
牛丼並とお新香・味噌汁のセットとビールを注文(860円)
歩いた後のビールは、美味かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/c0/0466989443ab263586f86a3d3c2e4349.jpg)
昼食後、赤羽駅へ直行し、上野経由で帰路についた。
『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』
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「旧街道を歩く」第三回目、日光御成道(駒込~岩淵宿間約8.5Km)を歩き終えた。
日光御成道に因む名所旧跡も多く、けっこう楽しめた。
中でも最初に立ち寄った六義園の庭園風景は、素晴らしかった。
時間の都合で駆け足だったため、一部しか見れなかったので、時をあらためてまた訪れたい。
次回(2015年5月)は、中山道(信濃追分~坂本宿間約27Km)を予定している。
途中、軽井沢周辺で一泊し、翌日碓氷峠越えに挑むことになるが、
皆さんと一緒に元気に楽しく歩きたい。
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昨年(2014年)は、旧東海道の日本橋から三島宿までを歩いた。
今年は、旧街道の中でも見所が多く人気のある区間を選んで、歩くことにした。
旧街道全ての区間を歩くのは、時間的にも経済的にも大変なため、ある街道の中から
区間(宿間)を選んで歩くことにした。
今回は、日帰りを主としているが、コースによっては宿泊も有りとしている。
第三回は、日光御成道の駒込~岩淵宿間約8.5Kmを歩いた。
(コースについては、メイツ出版の「首都圏の旧街道を歩く」を参考にした)
9時58分、この日のスタート地点JR駒込駅に到着
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/10/2135ddf3f146c873c9b2668c8ea14b3a.jpg)
駒込駅からはいったんバックする形になることから、六義園はパスしようと考えていたが、
この時期の六義園のツツジを是非見たいという声が上がり、六義園へ向かうことにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/0c/8791181015cfa683628c63fbaccf29aa.jpg)
この日参加したのは10名。
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5分足らずで六義園染井門に到着した。
六義園は、川越藩主の柳沢吉保が築庭した大名庭園で、昭和28年特別名勝に指定されている。
庭園の名は、中国の「毛詩」に記されている、腑・比・興・風・雅・頌の六義に由来する和歌の六体によるもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/5e/17feeb3bee6848db193d5bad0202c89d.jpg)
入園料は通常300円のところ、65歳以上は150円だ。
全員65歳以上である。
特に免許証などの証明書は見せなくても『シルバー割引で』と言うと通してくれた。
まあ、平均70歳近いのだから顔を見れば直ぐに分かるのだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/a2/d17741e920e81bc8f17d5192fb7d6c61.jpg)
自分にとっては、六義園は初めてである。
『良い所だよ』とは聞いていたが、園内は予想以上に緑に覆われていた。
都界の真ん中とは思えないほど、緑が豊かだ。
千里場(馬場跡)を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/72/857a74142d5ab533bdbd984665c1ee6b.jpg)
千里場を抜けた処には竹林もある。
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出汐湊から妹山・背山を望む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/3d/6c6c4636aa2a1f83cba93838a6f58655.jpg)
池の中央にあるアーチ型の石の島が蓬莱島で、小さな松の木が生えている。
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滝見茶屋の東屋の奥の水分石(みずわけいし)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/75/c5f6599ea38329c6ad599f1d24a99f6e.jpg)
吹上茶屋近くの見事なキリシマツツジ(八重霧島)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/9c/5f075363501f67de11c6f156b21961bb.jpg)
吹上茶屋
抹茶なども楽しめるが、時間がないので素通りだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/f6/5a629ab73a7883ed36a64724e09b45ea.jpg)
吹上の松
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藤代峠は、ヤマツツジやキリシマツツジが見頃を迎えていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/a4/78f8adff14462f7656dc5db17a20e716.jpg)
藤代峠からの妹山・背山の眺望
後方のビルが何故か印象的
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/aa/d6112d0f367a6336ae05f85d5b2fc3b3.jpg)
渡月橋
「和歌のうら 芦辺の田鶴の鳴声に 夜わたる月の 影ぞさびしき」の歌から名付けられた石の橋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/0b/9733c012ec597803b68adf08cbb1d21f.jpg)
渡月橋
後に見えるのは妹山・背山
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9時37分、六義園を後にする。
この日は時間の都合上、30分足らずで駆け足で園内を回ったが、
もう少しゆっくりと時間を掛けて見て回りたいのが本音である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/62/5fb2ee4cf8df5d9aea9443e3815389a4.jpg)
あらためて駒込駅を通過。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/32/289f323826a805407787e2fb26633d27.jpg)
駒込駅横の「染井吉野桜公園」に立ち寄ったところ、植栽フェアが行われていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/8a/6dcae38f9e137acf1e7fcfe898750055.jpg)
「染井吉野桜発祥の地」碑は、あいにく植木などに隠れて見えなかった。
参考までに「染井吉野桜発祥之里」碑には、次のように書かれている。
駒込の一部は江戸時代染井と呼ばれ、巣鴨とともに花奔・植木の一大生産地であった。
この地で江戸時代数多くの優れた園芸品種が誕生したが、中でも染井吉野は、
当地の地名が名付けられ、世界を代表する桜の品種となった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/c9/7f5069ff2a0663f5d617991a2f247fd6.jpg)
本郷通り(旧日光御成道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/52/62a4312dc2ab71416456bf79a0ced1e7.jpg)
駒込妙義坂子育地蔵尊
本郷通りの妙義坂の途中に祀られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/b8/055d14a951c269cb58a4288180e3aa89.jpg)
寛文八年(1668)に駒込の今井家が子孫繁栄を祈願して地蔵尊とお堂を建立。
以降地元有志によって毎月念仏供養が営まれた、と紹介されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/7e/50f18f694985b105a380cff4d2c35142.jpg)
本郷通りに面した銭湯「亀の湯」、堂々たる破風造りの構えが良い。
亀の湯の前にしかアーケードは残っていないそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/f8/55ac796ef7fc997e1410aba55d8d888c.jpg)
古河庭園
明治の元勲陸奥宗光の別邸を古河家が譲り受けて整備。
英国人コンドルがゴシック様式の洋館と洋風庭園を、京都の庭師小川治兵衛が和風庭園をそれぞれ築庭。
和洋の調和が優れていることから、平成18年に国の名勝に指定された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/ad/bf5fc6ba8667f1e54e70275cbfbee53e.jpg)
本郷通り滝野川消防署付近
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/a5/d01c985711cf91ff02cff7020c6a4af0.jpg)
滝野川警察署前の道路の真ん中に西ヶ原一里塚碑が立っていた。
中山道本郷追分で分岐する日光御成道の一番目の一里塚である。
一里塚への横断歩道はなく、また道路は交通量が多い。
しかも警察署の真ん前でもあるため、横断するのは控え、歩道から撮るだけにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/22/e0e20623cee293050e3a659a8eacc601.jpg)
少し離れた横断歩道の信号には”一里塚”と表示されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/b5/2c8308181bca647a751ef58d7f2c6c10.jpg)
酒の銘柄にも”西ヶ原一里塚”のラベルが貼られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/fc/47043e9bd694be0fb35abec28839b1d9.jpg)
飛鳥山公園へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/7f/783fe90921ff6ebb1e74152f65a0d4c3.jpg)
旧渋沢庭園・晩香蘆・青淵文庫
渋沢栄一の喜寿を記念して合資会社清水組(現清水建設(株))四代目当主が贈り大正6年に建てられた、とのこと。
晩香蘆の名は、バンガローの音に当てはめ、渋沢自作の詩「菊花晩節香」から採ったといわれる。
晩香蘆と青淵文庫は、毎週土曜日午後12時30分~3時45分に公開されている、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/77/b0811f8751ebab947b27ed9dc74e2171.jpg)
渋沢史料館
日本に近代経済社会の基礎を築いた渋沢栄一(1840~1931)の生涯と、 関係した事業等の諸資料を収蔵・展示している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/6c/d1cd714096eddcce7c8e58d55c537470.jpg)
史料館前の渋沢栄一像
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/5c/2a25273d4fa1eb2bf63e4343a27b7d6f.jpg)
平和の女神像
日本と中国の国交正常化を記念し、人類の理想である平和と幸福を願って、1974年に建立されたもの。
作者は、長崎市「平和祈念像」の作者として有名な、北区名誉市民である故北村西望氏。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a3/7d0d4fde5ac167ada5886a5bcb89c161.jpg)
飛鳥山公園には、SL-D51や
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d9/1cc2ef883c6fe30c32adf41bfe1ed5bf.jpg)
都電6080が展示されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/ba/a8b39b13ab67ae75a89299ee994ead6d.jpg)
飛鳥山碑
紀州出身の八代将軍吉宗が享保八年(1723)に王子権現に参詣した折、
王子権現が熊野若一王子を勧進したことなどを知って感じ入り、飛鳥山一帯を寄進し、
桜の植樹をすすめ、江戸庶民にも開放し、江戸きっての花見の名所となった。
一般庶民に開放したのを記念して、王子権現社別当金輪寺の住職肴衛が元文二年(1737)に碑を建立した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/75/29f9054d250318ec579582711e6c6f9f.jpg)
飛鳥山公園内を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/bd/a03a6fb2ce9545d33872cc93f5174724.jpg)
歩道橋を渡り、道路反対側へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/9a/21f4ace881982d8f2a5314496597153e.jpg)
信号停止中の都電
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/dc/5d159ce1088de68da09d7bc2a585de08.jpg)
音無親水公園の音無橋
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/94/e5cae3d1fcef79d9de3d33627a228770.jpg)
音無橋から見た音無渓谷
音無の名の由来は、八代将軍吉宗が紀州の音無川にちなんで命名した、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/94/8cd2b0f919b691d9c143f76087d315eb.jpg)
王子神社は北区役所の正面である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/52/5055e58270f89ffdb5f95b40be9f7df1.jpg)
王子神社本殿
創建は不詳だが、源義家の奥州征伐の折、社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、
古くから聖地として崇められていた。
その後、元亨二年(1322)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えし、
改めて「若一王子宮」と奉斉し、王子神社となった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/ec/ae5e6bd194567bff590e69d98cae07f9.jpg)
王子神社参拝し、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/3d/47d20045f5e3007e85a253ca7d206003.jpg)
権現坂を下り、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/9a/07c12f9f693e76239a1db4254c135935.jpg)
森下通りを進む。
(日光御成道からは少しずれているのは、道が分からなくなったため)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/58/3cbebe334db7d6ddaa90080fd113b287.jpg)
I子さんから突然の”いなり寿司”の差し入れだ。
途中に”いなり寿司”屋があったそうだ。
『お腹が空いてたから美味しいわねっ』『ご馳走さまっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/e6/64b2a761918bb37b7572dc4347b8f377.jpg)
11時2分、王子稲荷神社に到着。
関東稲荷総司の社、だそうである。
今から千年もの昔「岸稲荷」として祀られ、社記に「源頼義が奥州追討の時に深く信仰し、
関東総司とした」とあるとのこと。
1322年、豊島氏が紀州の熊野神社を勧請し、王子神社を祀ったところから、地名も王子となり、
王子稲荷と改称された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/31/c7b7ea4573ff0a7e662516d91f1a8cad.jpg)
王子稲荷の奥へ行ってみると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/ec/5bbbc14edcfa8d10181599803ea09663.jpg)
小さな稲荷神社があり、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/4e/6e731414fa770fd982214b08e6b7d946.jpg)
神社横の鳥居の先に、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/35/7a610104c564f4c7ff365e9b684c417f.jpg)
「願いの御石様」が祀られていた。
願い事を念じながら石を持ち上げた時、予想していたよりも軽ければ願い事が叶うと云われ、
重ければ叶わないと云われている、そうだ。
持ち上げた感じでは20Kgほどだったろうか? 軽くはなかったが、一応持ち上げることは出来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/4c/34bfac595ceb28530f7c910a047d6789.jpg)
階段を上ったところに狐が棲んでいたと云われる狐穴があるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/a8/86a87eb8794ed057a9236b1937bc7ef4.jpg)
上ってみると小さな祠(左)と狐の狛犬(右)があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/8f/6611862b70eaeb9548dd9fb4cce969d7.jpg)
狛犬の奥は穴のようになっている。これが狐穴なのだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/ec/34e2bb54a1b1739ad8eec9efae900c1e.jpg)
王子稲荷神社を後にする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/21/48adf425be3463352866a906983b46b9.jpg)
11時16分、名主の滝公園に到着。
王子村の名主畑野家が家屋敷に滝を開き、一般の人が利用できる施設とした。
嘉永三年(1850)から刊行が始まった「絵本江戸土産」(安藤広重)に
「十條の里女滝男滝」として描かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/7e/43d74f97714fa31ff464dcfa4f7b2e39.jpg)
名主の滝公園内を抜けると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/5e/de5efca39dd78764897c75acd88bedc0.jpg)
男滝が現れた。
かなりな流量で、まあ本格的な滝である。
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名主の畑野家は、茶を栽培して、茶室を設けてもいた。
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名主の滝公園を出て左へ進むと名主の滝公園に沿って三平坂がある。
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三平坂はかなり急である。
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『この日一番の坂道だねっ』
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三平坂を上り切り、都道456号を進む。
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十条台を過ぎた辺りの道端にひっそりと庚申塔が立っていた。
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11時44分、地福寺を通過。
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11時49分、十条富士塚に到着。
十条富士塚は、江戸で流行した富士講の一つで、十条地域の人々が祭儀をした場所である。
鳥居の額には富士神社とある。
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石段を上り、富士塚へ。
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5mほどの頂上には小さな祠が安置されていた。
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本物の富士山の山開きには代参人を送り、その他の人は地元の十条富士塚に詣でて、
このように手を合せたのだろう。
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講での富士登山記念の碑が建てられていた。
実際の富士山を模して、溶岩などを配置している。
『三十九度の富士登山って当時としては凄いことだよね~っ』
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大正時代を思い起こさせる旧い建物だ。
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12時ちょうど、環状七号交差点に到着。
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環七通り板橋本町方面
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前方にJR線が見えて来た。
清水坂公園(左)付近を進む。
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清水坂公園を過ぎ、埼京線の鉄橋を潜ると、
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普門院の参道入口に稲村餅搗唄(もちつきうた)の説明板があった。
それによると、
江戸時代、ここは稲付村と称されていたが、この先右側の社地でうたわれる餅搗唄は、
住民が昔から餅を搗くときにうたった作業唄で、現在は、毎年二月の初午祭のときに、
道灌山稲荷講の人達によってうたい継がれている。
餅は正月を祝って鏡餅として神棚に供えるとともに、これを雑煮にして食べたり、
祝い事や保存食に使うためにも搗かれた。
稲村の地域では、餅を搗く際に、臼の回りに何人もの若者が集まり、唄をうたいながら
小さい杵を次々と振り下ろして餅を練ったり搗いたりする。
餅を錬る時にうたったのが、「稲村千本杵餅錬唄」、
餅を搗く時にうたったのが、「稲村千本杵餅搗唄」、とのこと。
(以下略)
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ちょっと変わった構えの普門院鐘楼
中国・台湾風の鐘楼門と、インドブッダガヤの仏塔をモデルにした納骨堂があり、
異国情緒漂う独特の景観を作り上げている。
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六地蔵
別々の綿帽子を被っていて可愛らしい。
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創建は徳治二年(1307)とされる普門院本堂
鐘楼門と同様、本堂も中国風のデザインで、本尊の聖観音菩薩立像が安置されている。
窓の上の壁には北斗七星を象ったという「九曜星」の紋章が見える。
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インドブッダガヤの仏塔をモデルにした共同墓地の妙覚山大塔(昭和41年完成)
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普門院を後にして赤羽駅へ向かう。
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12時38分、赤羽駅西口に到着
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駅構内を通り、東口へ。
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赤羽駅東口
既に12時を40分ほど過ぎていたが、昼食はゴールの荒川に到着してからということに。
差し入れの”いなり寿司”で何とか凌げそうである。
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JR線沿いの道を次の目的地宝幢院(ほうどういん)へ。
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12時49分、宝幢院に到着。
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門の前に、道標があった。
江戸時代中期の元文五年(1740)二月に了運という僧侶によって造立されたもの。
「東 川口善光寺道 日光岩付道」「西 西国富士道 板橋道」「南 江戸道」と刻まれている。
日光岩槻道は、岩淵宿から川口へと舟で渡り、鳩ヶ谷・大門・岩槻の宿場を経て、
幸手宿で日光街道に合流する。
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宝幢院本堂
本堂前には弘法大師像が建てられている。
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板碑型の石塔横には、阿弥陀如来立像と三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)が線刻されている。
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北本通り赤羽交差点を渡ると、
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大満寺
真言宗智山派の寺で、本尊は行基作の岩渕薬師如来坐像。
山門前に安置されている地蔵菩薩は、別名わらじ地蔵と云い、参詣者が絶えない、そうな。
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本堂には鎌倉時代初期の作と伝えられる不動明王像が安置されており、岩渕不動尊として、信仰を集めている。
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北本通りを進む。
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ゴールの荒川は近い。
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小西酒造
明治11年、初代が酒造りに適した湧水を発見し、酒造りを創業。
東京23区内に唯一残る酒蔵である。
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「丸眞正宗」720mlの吟醸辛口(1,370円)がお奨めのようだ。
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北本道りの歩道脇に岩槻街道岩淵宿問屋場址之碑が立てられていた。
岩渕宿は荒川を挟んで川口宿と向かい合い、二つで一宿とされた。
道路拡幅工事などで、今に伝わる面影はこの「岩渕宿問屋場址之碑」だけだそうだ。
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荒川方面へ向かう。
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『目の前が荒川かなぁ?』
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と思ったら、荒川の手前の新河岸川だった。
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13時14分、新河岸川から100mほどで荒川に到着した。
『ようやく着いたねぇ』
『やっぱし 荒川は広いわっ』
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対岸は埼玉県川口市だ。
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ゴールと同時にお腹が空いてきた。
赤羽駅前へ引き返すことに。
『駅前に行けば食べ物屋はいくらでもあるよねっ』
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赤羽1番街を通り、赤羽駅へ向かう。
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1番街では飲み屋が圧倒的に多い。
食べ物屋は少ない感じである。
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駅前で店を探すも適当な店が見つからない。
見つかっても昼食時間帯のため大抵の店は混雑していた。
10名全員一緒にというのは無理なので、数人づつ別々の店に入ることに。
結局入ったのは吉野屋だ。
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牛丼並とお新香・味噌汁のセットとビールを注文(860円)
歩いた後のビールは、美味かった。
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昼食後、赤羽駅へ直行し、上野経由で帰路についた。
『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』
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「旧街道を歩く」第三回目、日光御成道(駒込~岩淵宿間約8.5Km)を歩き終えた。
日光御成道に因む名所旧跡も多く、けっこう楽しめた。
中でも最初に立ち寄った六義園の庭園風景は、素晴らしかった。
時間の都合で駆け足だったため、一部しか見れなかったので、時をあらためてまた訪れたい。
次回(2015年5月)は、中山道(信濃追分~坂本宿間約27Km)を予定している。
途中、軽井沢周辺で一泊し、翌日碓氷峠越えに挑むことになるが、
皆さんと一緒に元気に楽しく歩きたい。
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