ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

特選街道を歩くⅠ 第三回 (日光御成道)駒込~岩渕宿

2015年04月26日 | ウマさんの「旧街道(特選)」を歩く
2015年4月26日(日)

昨年(2014年)は、旧東海道の日本橋から三島宿までを歩いた。
今年は、旧街道の中でも見所が多く人気のある区間を選んで、歩くことにした。
旧街道全ての区間を歩くのは、時間的にも経済的にも大変なため、ある街道の中から
区間(宿間)を選んで歩くことにした。
今回は、日帰りを主としているが、コースによっては宿泊も有りとしている。

第三回は、日光御成道の駒込~岩淵宿間約8.5Kmを歩いた。
(コースについては、メイツ出版の「首都圏の旧街道を歩く」を参考にした)

9時58分、この日のスタート地点JR駒込駅に到着


駒込駅からはいったんバックする形になることから、六義園はパスしようと考えていたが、
この時期の六義園のツツジを是非見たいという声が上がり、六義園へ向かうことにした。


この日参加したのは10名。


5分足らずで六義園染井門に到着した。
六義園は、川越藩主の柳沢吉保が築庭した大名庭園で、昭和28年特別名勝に指定されている。
庭園の名は、中国の「毛詩」に記されている、腑・比・興・風・雅・頌の六義に由来する和歌の六体によるもの。


入園料は通常300円のところ、65歳以上は150円だ。
全員65歳以上である。
特に免許証などの証明書は見せなくても『シルバー割引で』と言うと通してくれた。
まあ、平均70歳近いのだから顔を見れば直ぐに分かるのだろう。


自分にとっては、六義園は初めてである。
『良い所だよ』とは聞いていたが、園内は予想以上に緑に覆われていた。
都界の真ん中とは思えないほど、緑が豊かだ。
千里場(馬場跡)を進む。


千里場を抜けた処には竹林もある。


出汐湊から妹山・背山を望む。


池の中央にあるアーチ型の石の島が蓬莱島で、小さな松の木が生えている。


滝見茶屋の東屋の奥の水分石(みずわけいし


吹上茶屋近くの見事なキリシマツツジ(八重霧島)


吹上茶屋
抹茶なども楽しめるが、時間がないので素通りだ。


吹上の松


藤代峠は、ヤマツツジやキリシマツツジが見頃を迎えていた。


藤代峠からの妹山・背山の眺望
後方のビルが何故か印象的


渡月橋
和歌のうら 芦辺の田鶴の鳴声に 夜わたる月の 影ぞさびしき」の歌から名付けられた石の橋。


渡月橋
後に見えるのは妹山・背山


9時37分、六義園を後にする。
この日は時間の都合上、30分足らずで駆け足で園内を回ったが、
もう少しゆっくりと時間を掛けて見て回りたいのが本音である。


あらためて駒込駅を通過。


駒込駅横の「染井吉野桜公園」に立ち寄ったところ、植栽フェアが行われていた。


「染井吉野桜発祥の地」碑は、あいにく植木などに隠れて見えなかった。
参考までに「染井吉野桜発祥之里」碑には、次のように書かれている。
駒込の一部は江戸時代染井と呼ばれ、巣鴨とともに花奔・植木の一大生産地であった。
この地で江戸時代数多くの優れた園芸品種が誕生したが、中でも染井吉野は、
当地の地名が名付けられ、世界を代表する桜の品種となった。


本郷通り(旧日光御成道)


駒込妙義坂子育地蔵尊
本郷通りの妙義坂の途中に祀られている。


寛文八年(1668)に駒込の今井家が子孫繁栄を祈願して地蔵尊とお堂を建立。
以降地元有志によって毎月念仏供養が営まれた、と紹介されている。


本郷通りに面した銭湯「亀の湯」、堂々たる破風造りの構えが良い。
亀の湯の前にしかアーケードは残っていないそうだ。


古河庭園
明治の元勲陸奥宗光の別邸を古河家が譲り受けて整備。
英国人コンドルがゴシック様式の洋館と洋風庭園を、京都の庭師小川治兵衛が和風庭園をそれぞれ築庭。
和洋の調和が優れていることから、平成18年に国の名勝に指定された。


本郷通り滝野川消防署付近


滝野川警察署前の道路の真ん中に西ヶ原一里塚碑が立っていた。
中山道本郷追分で分岐する日光御成道の一番目の一里塚である。
一里塚への横断歩道はなく、また道路は交通量が多い。
しかも警察署の真ん前でもあるため、横断するのは控え、歩道から撮るだけにした。


少し離れた横断歩道の信号には”一里塚”と表示されていた。


酒の銘柄にも”西ヶ原一里塚”のラベルが貼られていた。


飛鳥山公園へ。


旧渋沢庭園・晩香蘆・青淵文庫
渋沢栄一の喜寿を記念して合資会社清水組(現清水建設(株))四代目当主が贈り大正6年に建てられた、とのこと。
晩香蘆の名は、バンガローの音に当てはめ、渋沢自作の詩「菊花晩節香」から採ったといわれる。
晩香蘆と青淵文庫は、毎週土曜日午後12時30分~3時45分に公開されている、とのこと。


渋沢史料館
日本に近代経済社会の基礎を築いた渋沢栄一(1840~1931)の生涯と、 関係した事業等の諸資料を収蔵・展示している。


史料館前の渋沢栄一像


平和の女神像
日本と中国の国交正常化を記念し、人類の理想である平和と幸福を願って、1974年に建立されたもの。
作者は、長崎市「平和祈念像」の作者として有名な、北区名誉市民である故北村西望氏。


飛鳥山公園には、SL-D51や


都電6080が展示されている。


飛鳥山碑
紀州出身の八代将軍吉宗が享保八年(1723)に王子権現に参詣した折、
王子権現が熊野若一王子を勧進したことなどを知って感じ入り、飛鳥山一帯を寄進し、
桜の植樹をすすめ、江戸庶民にも開放し、江戸きっての花見の名所となった。
一般庶民に開放したのを記念して、王子権現社別当金輪寺の住職肴衛が元文二年(1737)に碑を建立した。


飛鳥山公園内を進む。


歩道橋を渡り、道路反対側へ。


信号停止中の都電


音無親水公園の音無橋


音無橋から見た音無渓谷
音無の名の由来は、八代将軍吉宗が紀州の音無川にちなんで命名した、とのこと。


王子神社は北区役所の正面である。


王子神社本殿
創建は不詳だが、源義家の奥州征伐の折、社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、
古くから聖地として崇められていた。
その後、元亨二年(1322)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えし、
改めて「若一王子宮」と奉斉し、王子神社となった。


王子神社参拝し、


権現坂を下り、


森下通りを進む。
(日光御成道からは少しずれているのは、道が分からなくなったため)


I子さんから突然の”いなり寿司”の差し入れだ。
途中に”いなり寿司”屋があったそうだ。
『お腹が空いてたから美味しいわねっ』『ご馳走さまっ』


11時2分、王子稲荷神社に到着。
関東稲荷総司の社、だそうである。
今から千年もの昔「岸稲荷」として祀られ、社記に「源頼義が奥州追討の時に深く信仰し、
関東総司とした」とあるとのこと。
1322年、豊島氏が紀州の熊野神社を勧請し、王子神社を祀ったところから、地名も王子となり、
王子稲荷と改称された。


王子稲荷の奥へ行ってみると、


小さな稲荷神社があり、


神社横の鳥居の先に、


「願いの御石様」が祀られていた。
願い事を念じながら石を持ち上げた時、予想していたよりも軽ければ願い事が叶うと云われ、
重ければ叶わないと云われている、そうだ。
持ち上げた感じでは20Kgほどだったろうか? 軽くはなかったが、一応持ち上げることは出来た。


階段を上ったところに狐が棲んでいたと云われる狐穴があるらしい。


上ってみると小さな祠(左)と狐の狛犬(右)があった。


狛犬の奥は穴のようになっている。これが狐穴なのだろうか?


王子稲荷神社を後にする。


11時16分、名主の滝公園に到着。
王子村の名主畑野家が家屋敷に滝を開き、一般の人が利用できる施設とした。
嘉永三年(1850)から刊行が始まった「絵本江戸土産」(安藤広重)に
「十條の里女滝男滝」として描かれている。


名主の滝公園内を抜けると、


男滝が現れた。
かなりな流量で、まあ本格的な滝である。


名主の畑野家は、茶を栽培して、茶室を設けてもいた。


名主の滝公園を出て左へ進むと名主の滝公園に沿って三平坂がある。


三平坂はかなり急である。


『この日一番の坂道だねっ』


三平坂を上り切り、都道456号を進む。


十条台を過ぎた辺りの道端にひっそりと庚申塔が立っていた。


11時44分、地福寺を通過。


11時49分、十条富士塚に到着。
十条富士塚は、江戸で流行した富士講の一つで、十条地域の人々が祭儀をした場所である。
鳥居の額には富士神社とある。


石段を上り、富士塚へ。


5mほどの頂上には小さな祠が安置されていた。


本物の富士山の山開きには代参人を送り、その他の人は地元の十条富士塚に詣でて、
このように手を合せたのだろう。


講での富士登山記念の碑が建てられていた。
実際の富士山を模して、溶岩などを配置している。
『三十九度の富士登山って当時としては凄いことだよね~っ』


大正時代を思い起こさせる旧い建物だ。


12時ちょうど、環状七号交差点に到着。


環七通り板橋本町方面


前方にJR線が見えて来た。
清水坂公園(左)付近を進む。


清水坂公園を過ぎ、埼京線の鉄橋を潜ると、


普門院の参道入口に稲村餅搗唄(もちつきうた)の説明板があった。
それによると、
江戸時代、ここは稲付村と称されていたが、この先右側の社地でうたわれる餅搗唄は、
住民が昔から餅を搗くときにうたった作業唄で、現在は、毎年二月の初午祭のときに、
道灌山稲荷講の人達によってうたい継がれている。
餅は正月を祝って鏡餅として神棚に供えるとともに、これを雑煮にして食べたり、
祝い事や保存食に使うためにも搗かれた。
稲村の地域では、餅を搗く際に、臼の回りに何人もの若者が集まり、唄をうたいながら
小さい杵を次々と振り下ろして餅を練ったり搗いたりする。
餅を錬る時にうたったのが、「稲村千本杵餅錬唄」、
餅を搗く時にうたったのが、「稲村千本杵餅搗唄」、とのこと。
(以下略)


ちょっと変わった構えの普門院鐘楼
中国・台湾風の鐘楼門と、インドブッダガヤの仏塔をモデルにした納骨堂があり、
異国情緒漂う独特の景観を作り上げている。


六地蔵
別々の綿帽子を被っていて可愛らしい。


創建は徳治二年(1307)とされる普門院本堂
鐘楼門と同様、本堂も中国風のデザインで、本尊の聖観音菩薩立像が安置されている。
窓の上の壁には北斗七星を象ったという「九曜星」の紋章が見える。


インドブッダガヤの仏塔をモデルにした共同墓地の妙覚山大塔(昭和41年完成)


普門院を後にして赤羽駅へ向かう。


12時38分、赤羽駅西口に到着


駅構内を通り、東口へ。


赤羽駅東口
既に12時を40分ほど過ぎていたが、昼食はゴールの荒川に到着してからということに。
差し入れの”いなり寿司”で何とか凌げそうである。


JR線沿いの道を次の目的地宝幢院(ほうどういん)へ。


12時49分、宝幢院に到着。


門の前に、道標があった。
江戸時代中期の元文五年(1740)二月に了運という僧侶によって造立されたもの。
「東 川口善光寺道 日光岩付道」「西 西国富士道 板橋道」「南 江戸道」と刻まれている。
日光岩槻道は、岩淵宿から川口へと舟で渡り、鳩ヶ谷・大門・岩槻の宿場を経て、
幸手宿で日光街道に合流する。


宝幢院本堂
本堂前には弘法大師像が建てられている。


板碑型の石塔横には、阿弥陀如来立像と三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)が線刻されている。


北本通り赤羽交差点を渡ると、


大満寺
真言宗智山派の寺で、本尊は行基作の岩渕薬師如来坐像。
山門前に安置されている地蔵菩薩は、別名わらじ地蔵と云い、参詣者が絶えない、そうな。


本堂には鎌倉時代初期の作と伝えられる不動明王像が安置されており、岩渕不動尊として、信仰を集めている。


北本通りを進む。


ゴールの荒川は近い。


小西酒造
明治11年、初代が酒造りに適した湧水を発見し、酒造りを創業。
東京23区内に唯一残る酒蔵である。


「丸眞正宗」720mlの吟醸辛口(1,370円)がお奨めのようだ。


北本道りの歩道脇に岩槻街道岩淵宿問屋場址之碑が立てられていた。
岩渕宿は荒川を挟んで川口宿と向かい合い、二つで一宿とされた。
道路拡幅工事などで、今に伝わる面影はこの「岩渕宿問屋場址之碑」だけだそうだ。


荒川方面へ向かう。


『目の前が荒川かなぁ?』


と思ったら、荒川の手前の新河岸川だった。


13時14分、新河岸川から100mほどで荒川に到着した。
『ようやく着いたねぇ』
『やっぱし 荒川は広いわっ』


対岸は埼玉県川口市だ。


ゴールと同時にお腹が空いてきた。
赤羽駅前へ引き返すことに。
『駅前に行けば食べ物屋はいくらでもあるよねっ』


赤羽1番街を通り、赤羽駅へ向かう。


1番街では飲み屋が圧倒的に多い。
食べ物屋は少ない感じである。


駅前で店を探すも適当な店が見つからない。
見つかっても昼食時間帯のため大抵の店は混雑していた。
10名全員一緒にというのは無理なので、数人づつ別々の店に入ることに。
結局入ったのは吉野屋だ。


牛丼並とお新香・味噌汁のセットとビールを注文(860円)
歩いた後のビールは、美味かった。


昼食後、赤羽駅へ直行し、上野経由で帰路についた。
『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』


「旧街道を歩く」第三回目、日光御成道(駒込~岩淵宿間約8.5Km)を歩き終えた。
日光御成道に因む名所旧跡も多く、けっこう楽しめた。
中でも最初に立ち寄った六義園の庭園風景は、素晴らしかった。
時間の都合で駆け足だったため、一部しか見れなかったので、時をあらためてまた訪れたい。

次回(2015年5月)は、中山道(信濃追分~坂本宿間約27Km)を予定している。
途中、軽井沢周辺で一泊し、翌日碓氷峠越えに挑むことになるが、
皆さんと一緒に元気に楽しく歩きたい。


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新緑に包まれて 筑紫湖から薬王院

2015年04月24日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年4月24日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く土浦三中地区「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27年度第3回(2015年第14回)、「筑紫湖から薬王院」ウォーキングに参加した。

第一集合場所の乙戸沼公園には17名が集まった。
車5台に分乗し、スタート・ゴール地点の筑紫湖に向かった。


筑紫湖の駐車場に直行したのは5名。
結局この日の参加者は22名となった。


早速、会長の掛け声で準備体操だ。
『足を伸ばして~っ』


『最後に深呼吸をして~っ』


10時1分、出発!
この日のコースは、筑紫湖を半周して対岸を進み、いったん県道41号に出た後、酒寄地区の熊野神社へ向かう。
その後酒寄地区のみかん畑を通り抜け、真壁町椎尾地区を通り、薬王院へ。
薬王院参拝後は、薬王院の参道を下り、筑紫湖へ戻るという高低差200m、全長約6Km(いずれも推定)のコースである。


先頭を務めるのは、いつも元気なOさんだ。


筑紫湖の岸辺にマガモが2羽仲良く並んでいた。
(つがいかと思ったが、どちらもオスだった)


筑紫湖の堤防を反対側へ向かう。
筑紫湖には何度も来ているが、この堤防を通るのは初めてだ。


中央付近には、”鯉のぼり”が気持ち良さそうに泳いでいた。
端午の節句は近い。


『あら~っ 可愛いらしいわね~っ』


霞ヶ浦からの水を満々と湛えた筑紫湖
これから田植えの時期、今が一番水の需要が多い時である。


釣り人の姿も見える。
何が釣れるのだろう?


筑紫湖から真壁町方面を望む。


間もなく筑紫湖の反対側だ。


後に見えるのは筑波山だ。
『いやぁ 今日の風はほんとに気持ち良いなぁ』


筑紫湖の対岸沿いの道を進む。


萌えるような新緑が美しい。


『天気に恵まれて良かったわねぇ』


『筑波山も見えて、こっちからの景色の方が良いんじゃないっ』


県道41号線方面へ。


県道41号線を進み、


酒寄地区へ入る。
かつて「筑波鉄道」の酒寄駅があった近くである。


この辺りには大きくて立派な家が多い。
『なんだか旅館みたいだねっ』


左折して筑波山方面へ向かう。


流れに沿って進むと、


熊野神社があったので、お参りして行くことに。


参道には十九夜塔や二十三夜塔などが並べられており、往時の庚申講が偲ばれる。


急な石段を上ると・・・


熊野神社の本殿が正面にど~んと構えていた。


破風(はふ)の辺りに大きな蜂の巣が・・・すずめ蜂の巣か?
蜂の姿は見えないが、そのうち蜂が棲むのではないだろうか?
余計なお世話かもしれないが、今のうちに駆除しておいた方が良いと思うが・・・


境内でしばし休憩。
蜂が居る時にはこんなにのんびりとしてはいられないだろう。


石段とは別の小さな坂道を下る。


『ちょっと怖いけどこっちの方が近いねっ』


熊野神社を後にする。


酒寄地区を筑波山方面へ。


立派な長屋門を構えた農家である。
”みかん御殿”と言っては失礼か?


馬頭尊碑


「関東ふれあいの道」道標に従って、


筑波山方面へ進む。


しばらくは緩やかな上りが続く。
『やっぱり上りはきついわねっ』


10時53分、「みかん狩入口」ゲートを通過。
ここから先は、しばらく道の両側にみかん園が続く。


みかん畑に囲まれた坂道を進む。


『ほうっ けっこう上って来たねぇ』


石楠花の白い花が眩しい。


みかん畑の間を縫うように進み、


11時3分、大黒様像のあるみかん園に到着


ここからの見晴しはなかなかのものだ。


みかん園で一休み。


また、しばらく坂道が続く。


前回(2015年2月20日)の筑波山梅林ウォーキングの時には工事中だった石垣は、完成していた。
『立派な石垣になったねぇ』


11時16分、筑波山梅林への分岐点を通過
『この前こっちに行ったんだよねっ?』


道端で何かを見つけたようだ。


ところどころに山菜が生えている。
『今日はこれが目当てだったんだよね~っ』


手にはわらびやぜんまいが・・・
『これ美味しいのよね~っ』


11時22分、裏筑波への分岐点を通過
右手は御幸ヶ原山頂への道(5.7Km)である。


『いろんな花が咲いて、今が一番良い時期だよね~っ』


この辺りから薬王院まで緩やかな下りの道が続く。


薬王院を目指す。


筑波山登山口の駐車場を過ぎると、


11時35分、筑波山薬王院コースの登山口に到着。
ここで、登山口から薬王院を目指すグループと薬王院山門へ向かうグループとに分かれた。
自分は山門へ向かった。


山門へ向かう途中見えた椎尾山の新緑。
この時期の薄緑色の新緑が好きである。


11時38分、新緑に包まれた薬王院山門(楼門)に到着。


楼門をくぐり、最後の急な石段を上る。


『段差が高すぎて大変だわぁ』
(結果として筑波山登山口から薬王院へ向かったグループの方がかなり早かった)


石段を上ると、本殿の正面に出た。
薬師如来像が迎えてくれた。


薬王院本殿
椎尾山薬王院は延暦元年(782)最仙(さいせん)上人の開基による天台宗の古刹である。
本尊の薬師瑠璃光如来像は、鎌倉時代の作で県の文化財に指定されている。


また、県内三塔の一つに数えられている三重塔も県の文化財に指定されている。


本殿前のベンチに腰を下ろして休憩。


こちらは鐘楼で一休みだ。


休憩の後、阿弥陀堂前を通り抜け、


石段を降りて参道へ。


あとはゴールの筑紫湖を目指すだけである。


曲がりくねった参道を下る。


筑紫湖を目指す。


参道入口で後続を待つが、かなりゆっくりとしたペースだ。


筑紫湖を右手に眺めながらゴールを目指す。


12時21分、ゴールの筑紫湖駐車場に到着。
まあまあ予定どおりの時間だ。


いつもの整理体操をして、


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


椎尾山薬王院を訪問するのは、2月20日に続いて今年2回目である。
今回は、薬王院周辺の新緑の中を歩くことを目的としてコースを設定した。
適度な高低差と距離に、『また歩きたい』の声が聞かれた。
筑紫湖を半周したのは初めてだったが、これも評価されたようだ。
また、紅葉の時期などに、新たなコースを企画してみたい。


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鮮やかなチューリップに見惚れる 霞ヶ浦和田岬公園

2015年04月17日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年4月17日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27年度第2回(2015年第13回)、「霞ヶ浦和田岬公園のチューリップ」を愛でるウォーキングに参加した。

久しぶりに晴れ上がった第一集合場所の乙戸沼公園には20名が集まった。
車4台に分乗し、稲敷大橋西袂に向かった。


稲敷大橋西袂の野鳥観察所の駐車場には、既に7名が直行していた。
結局この日の参加者は27名となった。
参加者がいつもより多いのは、午後に総会が予定されていることも影響していると思われる。


早速、会長の号令で準備体操


『最後に深呼吸をして~っ』


10時6分、出発!


先頭を務めるのは、昨26年度に初の皆勤賞に輝いたOさん。
午後の総会では、賞状と記念品が授与されることになっている。


霞ヶ浦の湖岸に沿った道を進む。


右手には野鳥が多く飛来すると云われる広大な浮島湿原が広がる。
湿原の中にも、野鳥観察所がある。


意外にも霞ヶ浦に沿ったこの道を走り抜ける車は多い。


このため、常に車を気にしながら端っこを2列縦隊で進む。
くるま~っ』 前後から絶え間なく大声での注意喚起がかかる。


遠くに和田岬が霞んで見える。
『あそこまで歩くんだぁ』


湖岸を吹き抜ける風が心地良い。


和田岬まで0.5Km余の地点を通過


湖岸ではルアー釣りを楽しむ若者の姿や、


のんびりと竿を出す太公望の姿も。


間もなく和田岬だ。
この辺りまで来ると車は殆ど通らないので、安心して道路一杯に広がって歩くことが出来る。


和田岬の先端をぐるりと回ると、


釣り竿がずらりと並んでいた。が、釣り人の姿が見えない。
竿には無線機のようなものが取り付けられており、番号が付けられている。


少し離れた所に車が停まっており、当りがあると車で待機している釣り人に知らせるようになっているようだ。
いつでも出せるようにと、大きな玉網が車の横に置いてあった。


10時47分、和田岬公園に到着。
駐車場をスタートして、40分が経過していた。


公園の中の松林を抜け、


遊歩道を進み、


池を渡ると、


駐車場の先に東側のチューリップ畑が見えてきた。


鮮やかな色彩のチューリップに感嘆の声が上がる。
『うわ~っ ほんと素敵ね~っ』


『ちょうど今が見ごろじゃないっ?』
『良い時に来たみたいだねっ』
皆さん、夢中でシャッターを押しまくる。


西側のチューリップ畑は、東側の倍以上の広さがあるということで、
西側のチューリップ畑へ移動した。
『こっちも素晴らしいわね~っ』


ここでしばらく時間を割いて、各自自由に楽しんで貰うことにした。


チューリップについては素人の私が説明するまでもないので、ここでは写真を観ていただくことにしよう。


東側チューリップ畑(2)


東側チューリップ畑(3)


東側チューリップ畑(4)


東側チューリップ畑(5)


東側チューリップ畑(6)


東側チューリップ畑(7)


チューリップ(1)


チューリップ(2)


チューリップ(3)


『充分に観させていただきましたわよっ』
ここまで休憩らしい休憩を摂っていなかったためか、言葉とは裏腹にややお疲れ気味の様子だ。


西側駐車場の臨時の売店で、霞ヶ浦名産の佃煮が売られていた。
和田岬沖で採れたもの、とのこと。
”花より団子”ならぬ”花より佃煮”である。


”どれでも3つ1,000円”の佃煮が次から次へと飛ぶように売れる。
買い求めているのはほとんど当会の会員だ。いつもその旺盛な購買意欲に感心させられる。
自分も佃煮は大好きなので、晩酌のつまみに3つ買った。
(後日近所のスーパーでほぼ同額の佃煮を見掛けた。臨時の売店が本当に安かったのかは定かではない)


11時18分、佃煮を土産に和田岬公園を後にする。
この日の午後に総会を予定しているので、12時までにはゴールしたい。


湖畔の道は車が多いので、回りがたんぼの農道へ向かう。


農道入口の一軒家の庭の芝桜がきれいだったので一枚。


田んぼの中の道と言っても立派に舗装されている。
しかしこの時間は、車は殆ど通らないので、安心して歩ける。
道端には菜の花なども咲いていてのどかである。


農道は、一本道でゴールの駐車場辺りまで続いている。


『いやぁ 今日は天気が良いから気持ちが良いねぇ』


田んぼには水が張られ、田植の準備が始まっている。


『そろそろゴールかな?』


前方に駐車場(手前)と野鳥観察所が見えて来た。


堤防上に折り返すとゴールは目の前だ。


11時45分、ゴール!
西側駐車場から30分もかからなかったことになる。


整理体操をして、


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『午後からの総会、よろしくお願いしま~すっ』


この後、第一集合場所の乙戸沼公園に戻り、近くのファミレスなどで昼食を済ませた。
自宅へ戻って食事をした人も何名かいた模様である。

午後2時から平成27年度の総会を開催した。
場所は、土浦三中地区公民館


午前中「和田岬公園ウォーキング」には27名が参加したが、


総会には、それを上回る35名の出席者という盛況ぶりである。


こちらは役員の皆さん。


唯一人皆勤賞受賞のOさん。
会長から賞状・記念品を授与され、感激の様子。


精勤賞受賞の会長
賞状を渡すのは、会長に代わってOさんである。


本年度より、在籍3年以上でかつ年10回以上の参加があり、80歳以上の方に対し功労賞を授与する、
という会則の変更が全員一致で可決承認された。
対象者は3名である。
会長から功労賞を授与されるKさん(81)


会長から功労賞を授与されるTさん(81)


祝福の拍手を受ける当会最年長のH子さん(84)


それにしても和田岬公園(浮島園地)のチューリップは、鮮やかで美しかった。
今年は例年よりやや早めと聞いていたので、満開状態のチューリップを観れて本当に良かった。
土産に買った佃煮だが、早速晩酌のつまみとして食卓を飾った。美味かったのは言うまでもない。

今回功労賞を授与された3名の方々には、今後も益々いつまでも元気に歩き続けて欲しい、と願っている。
また、我々も受賞した3名の方々を目標に元気に歩き続けたい、と思っている。


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関東ふれあいの道(埼玉) No.13「高原牧場を通るみち」

2015年04月12日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年4月12日(日)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
『たまには県外を』という声が上がり、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)に挑み、これも無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始した。

埼玉県の第8回目となる今回は、コースNo.13「高原牧場を通るみち」(約17.1Km)を歩いた。

秩父鉄道熊谷駅では秩父路遊々フリーきっぷ(1,440円)を購入することにした。
往:長瀞駅、復:皆野駅を片道づつ買うよりも140円安くなる。
そのためには、ゴールの高原牧場入口17:47発の皆野駅行きバスに乗る必要がある。
そのバスに間に合うことが条件である。


定刻の8時ちょうどに熊谷駅を出発した電車は、8時52分、長瀞駅に到着。


長瀞駅では満開の桜が迎えてくれた。
『いやぁ これは素晴らしいねぇ』


長瀞駅


この日のコースは、距離が長い(17.1Km)ので『体力に自信がない』、
との理由で2名が参加を見送り、参加者は6名となった。


体調を整え、9時4分、出発!


荒川沿いの桜並木を進む。
満開のときは素晴らしかっただろうことが想像できる。


車が少ないので、道路の中央を歩く。
『道路の真ん中を歩くのって気持ちが良いわね~っ』


桜の花びらが敷き詰められた絨毯のようである。
桜並木は1Km以上も続く。


『寺にしては門が開いてないねぇ』


9時22分、金石水管橋を渡る。
金石水管橋は、児童が書いた作文を基に昭和53年(1978)起工、昭和56年(1981)竣工した橋で、
橋長157.50m、総幅員3.20m、有効幅員2.0m、とのこと。


長瀞町の荒川を隔てた東部と西部を結ぶ橋の一つで、地域住民の生活道路の他、
長瀞観光にも利用される橋でもあり、人が渡れる橋としては最も上流側に位置している。(Wikipedia)


荒川の上流は、長瀞だ。


長瀞ライン下りを楽しむ人達も。


荒川を渡り、道標に従って、右折して上流方面へ。


のどかな風景の中を進む。


鮮やかな色彩が目を引く。
『きれいな桃の花だわねぇ』


桜並木を進む。


県道82号線を横断し、荒川の支流に沿って塞神峠を目指す。


芽吹いたばかりの新緑が美しい。


道端にカタクリを見つけたが、既に開花期は終わっていた。


荒川の支流に沿って進む。


荒川の支流に沿った道が終わると、舗装道路に出た。


道端にはミツバツツジや


ヤマブキが目を楽しませてくれる。


塞神峠への道は、突然つづら折りの坂道になる。


急坂の道をしばらく道なりに進むと、視界が開けた。


緑に色づき始めた周囲の山々が美しい。


民家の庭に植えられた桃や桜などの間から宝登山方面を望む。
後方には、両神山も見える。


てっきりこの辺りが塞神峠だと思い込み、小休止しているところ。


小休止の後、緩やかな上りが続く舗装道路に・・・『????』
『まだ塞神峠まで来てなかったようだねっ』
勘違いしていたことに気がついた。


見晴しの良い場所に出た。


正面に宝登山が見える。
『見晴らしが素晴らしいって書いてあったから、ここが塞神峠かなぁ?』


さらに歩くこと10分の10時50分、ようやく塞神峠に到着した。
長瀞駅を出発して、1時間50分が経過していた。
『けっこう時間がかかったねぇ』


釜山神社方面からやって来たオートバイの若者が、目の前でスリップして転倒してしまった。
『大丈夫?』
声を掛けるも一人で起すのには難儀な様子だったので、4人がかりでオートバイを起してやった。


「FOREST TRAIL」なる UNITED AREAを通り過ぎたところに展望台があった。
皆野町市街地と宝登山、破風山、遠方には両神山が一望できる。


少し霞んではいるが、雪を被った浅間山も見えた。


ふたたび舗装道路を進むと、何やらゴチャゴチャと書かれた得体の知れない案内があった。
”荻根登山口””荻根巡礼里山展望台”などの文字が見える。


ここで寄り道をしている時間はない。
案内に従って舗装道路から逸れて釜山神社への道を上る。


急な坂道が続く。


杉並木の参道?のような小径を進むと、


11時25分、釜山神社に到着した。


第9代開花天皇の皇子、日之雅皇子命が武蔵野国を巡幸した折、釜伏山・奥の院において祠を建て、
旅の安全と国内の平定安康を祈ったのが始まりと云われている。
その後、日本武尊が巡幸した折、この神社に立ち寄って山頂において神様に供える粥を釜で焚かれ、
この釜を神体岩上に伏せ願望成就の祈りをしたと伝えられ、このことから「釜伏山」「釜山神社」
の名が付けられたと云われている。


釜山神社


釜伏峠への参道を進むと、両側にいろいろな形の石碑が置かれている。
社の名称に関係したものか、横に向けた釜があった。


参道の一の鳥居
ここにも狛犬があるが、稲荷神社ではないところから、狐ではなさそう・・・


参道のあちこちに狛犬が見られる。
秩父地方には狛犬ではなく狼を神犬とする神社が10数社ある、そうだ。
いわゆる真神という古名は現在は絶滅してしまった日本狼が神格化したものといい、
別名大口真神(おおぐちまかみ)とも呼ばれる、とのこと。
真神は古来より聖獣として崇拝され、大和国にある飛鳥の真神原の老狼は、大勢の人間を食べてきたため、
その獰猛さから神格化され、猪や鹿から作物を守護するものとされた。
この大口真神を御祭神とする社が釜伏峠に鎮座する釜山神社であり、
この社は三峰神社に次ぎ狼像が多い社としても有名だそうだ。
『これ狼だったんだぁ』


釜山神社を過ぎると、再び舗装された道路に出た。
釜伏峠である。


舗装道路から左に逸れて、皇鈴山(みすずやま)への道を進む。


坂道の途中に朽ちかけたおみやげ・軽喫茶店の建物が見える。
かつては観光牧場などで繁盛していたのだろう。


牛魂慰霊碑はかつて牧場があったことを証明している。


皇鈴山への道を進む。


『いやぁ この坂道は厳しいねぇ』


『この坂道は堪えたわぁ』


11時56分、皇鈴山の一つ手前の登谷山(668m)に到着した。


登谷山山頂からの見晴し。
東武竹沢方面か?


登谷山山頂からの見晴し。
寄居町方面


『お昼まだぁ?』 弁当タイム催促の声が上がる。
お腹は空いてきたが、弁当は皇鈴山に着いてからにしたい。
『皇鈴山までもう少し、もうちょっと頑張って歩きましょう』


目指す皇鈴山は近い。目の前である。
皇鈴山からは、ほぼ下りのみになるので、今のうちに出来るだけ距離を稼いでおきたい。


皇鈴山(みすずやま)を目指す。


皇鈴山への上りの道が始まる。


左手には見晴しの良い景色が広がる。


12時25分、皇鈴山(679m)に到着した。


東屋の前では、数組の家族連れが昼食の最中だった。


我々もこの辺りで弁当にしよう。
『いやぁ お腹が空いてたからほんと美味いよっ』


昼食後の13時ちょうど、先ずは撮影ポイントの二本木峠を目指す。


皇鈴山からは下りなので楽だ。


峠らしき場所に出たが、二本木峠ではなさそう。


二本木峠はもう少し先だった。


皇鈴山が最後の上りかと思ったら、もう一つ上りがあった。
二本木峠の手前の愛宕山への上りである。
それほど高くはないが、昼食後は身体が重い。


『この日最後の上りだよねっ?』


13時17分、愛宕山に到着。


愛宕山を少し下ったところに天体観測の小さな建物があった。
『この中に天体望遠鏡があんのかな?』


山道を下って行くと、横を舗装道路が走っており、その先に標識らしきものが見えてきた。


13時23分、二本木峠に到着した。
日本武尊が地面に突き刺した箸が木になったのが、二本木峠の名の由来であると言われている。
ここで、全員の証明写真を撮影。


後は3.3Km先の粥仁田峠を経て、ゴールの高原牧場入口バス停を目指すだけである。


遠くの秩父連山の山並みを見ながら25分ほど進むと、


埼玉県秩父高原牧場が見えて来た。


13時52分、埼玉県秩父高原牧場前を通過。


「彩の国ふれあい牧場」案内書付近を通過


「彩の国ふれあい牧場」
動物広場や放牧広場などがあり、子供連れの家族で賑わっていた。
放牧広場では、農家から生後6カ月~12カ月齢の雌子牛を預かって放牧し、健康で体力のある牛を育てている、とのこと。


こちらでは、柵の中にたくさんの牛がいた。
預かった牛が優良な血統を持つ子牛を産むように人工授精などをしているのではと思われる。


『素晴らしい眺めだわねぇ』


東秩父村・小川町方面の山並みが連なる。


「彩の国ふれあい牧場」を後にして、次は粥仁田峠を目指す。


14時21分、粥仁田峠に到着。
伝承として、日本武尊が粥を煮たのが粥新田(かゆにた)峠であると言われている。
ここ粥仁田峠は、「関東ふれあいの道」No.5「大霧山に登るみち」の分岐点になっている。
2015年9月に予定しているコースである。


大霧山への道と分かれて、高原牧場入口バス停を目指す。


熊笹に覆われた道を進む。


『この道合ってんのかしらぁ』
道無き道を進む、と言った感じである。


時々現れる「関東ふれあいの道」の道標が心強い。


この日初めて見た道標だ。


あまり人が通らないためか、倒木は道を塞いだままの状態だ。


山道を下ること40分、ようやく民家が見えてきた。


ツツジの花に癒される。


さらに下ること10分、前方に集落が見えて来た。
見覚えのある三沢地区の集落だ。中腹に常楽寺が見える。


仲間の顔にも笑顔が戻ってきた。
『ゴールはもう直ぐだよねっ』


満開状態の桜に迎えられて、気分は最高である。


寺山子安観音の延命地蔵尊にこの日の無事を感謝しておこう。


15時20分、高原牧場入口バス停に到着。
何と、17時47分発の皆野駅行きでよし、としていたのが、2時間以上も早く着いてしまった。
こうなったら、15時40分発の西武秩父行きバスに乗ることに決めた。
ここで2時間以上待つより、秩父駅で秩父鉄道に乗れば、熊谷にはその方が早く着くだろう。


バス到着まで、まだ少し時間がある。
バス停でしばし寛ぐ。
たまたま通りかかった地元のおじいさん・おばあさんにもお裾分け。


我々が休憩しているうちに、常楽寺方面から下りて来た他の10名ほどのグループに先に並ばれてしまった。
座って行けるか少々心配になってきたが・・・・


待つこと20分、約10分遅れで西武秩父行きバスがやって来た。
幸いなことにバスには誰も乗っていなかった。
先客も含めて全員ゆったりと座れ、一安心。


16時23分、秩父鉄道駅に到着。


16時39分発の熊谷行きがあったが、急行である。
”フリーきっぷ”の他に200円が必要とのこと。
ここは奮発して200円払って急行を利用することで意見が一致。


秩父駅のホームでしばし電車を待つ。
『予定より早く帰れるのが良いねっ』


武甲山が『またおいで』と言っているようだ。


急行電車の車内は空いていた。


座席は広く思ったよりも快適であった。
『これって素敵じゃないっ』『小旅行している気分だよねっ』


『これで200円は安いよねっ』
皆さん大満足の様子。

秩父駅からちょうど50分で熊谷駅に到着。
熊谷駅で高崎線(東海道線直通の小田原行き)に乗り替え、上野駅へ。
『今日は天気も良かったし、コースもそんなにきつくはなかったしねっ』
『皆さん、今日は大変お疲れ様でしたぁ』


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第八回目、コースNo.13「高原牧場を通るみち」(約17.1Km)を歩き終わった。
この日のコースは、これまでで一番距離が長く、”健脚向き”ということもあり、最後まで歩けるか不安があったが、
高低差があまりなく、後半は下りのみだったため、何とか歩き切ることができた。
前日までは雨だったが、天気にも恵まれ、気持ち良く歩けた。

次回はNo.12「グリーンラインに沿ったみち」は、22Kmとこれまでの最長距離コースが待ち構えている。
一都六県にわたる「関東ふれあいの道」の中でもこれほど長い距離は他に見当たらない。
次回は相当厳しいものになると思われるが、万全の体調で挑むことにしたい。


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満開のカタクリに魅了される 吾国山ハイキング

2015年04月03日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年4月3日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成27年度第1回(2015年第12回)、カタクリ群落を求めて、「吾国山ハイキング」に参加した。
なお、今回が平成27年度の1回目となる。

吾国山は、2008年3月26日(水)に「はつらつ百人委員会」の行事に参加したことがあり、
今回は7年振り2回目である。
これを機にハイキングやウォーキングを始めるきっかけとなった記念の場所でもある。

荒川沖駅で8時1分発の電車を待つも、
上野駅での車両確認のために14分遅れの到着となった。
友部駅での水戸線乗り替えに間に合うのか、不安が頭をよぎる。


友部駅では9時1分発の水戸線が、常磐線到着に合わせて発車を見合わせており、事なきを得た。
『助かったねぇ この電車に乗れて』
因みに次の電車は9時53分発である。


Kさんご夫妻。
揃っての参加は、1月24日の鎌倉由比ヶ浜以来だ。
『カタクリが楽しみだわっ』


車窓から目指す吾国山が見えた。
『山頂付近はガスってる感じだねぇ』


9時21分、福原駅に到着。
この日福原駅に直行した人はおらず、参加者は12名。
はっきりしない天気と、標高差450m(推定)が敬遠されたのかもしれない。


Kさんの号令で準備体操。


入念に身体をほぐして、


9時35分、Oさんを先頭に福原駅を後にした。


福原駅前はこれといった店もなく、ひっそりと静まり返っていた。
そば・うどんの「いがわ」という店があるだけだ。
この時、到着後のビールは望めそうにないな、との諦め感が頭をかすめた。


水戸線踏切を渡り、


線路に沿っていったん駅方向へ。


肥料店と材木店の間を吾国山方面へ向かう。
チューリップの花が咲いていた。
『きれいだねっ』


福原地区を吾国山方面へ。
車の量には似合わない広い道路である。


案内標識に従って北関東高速道の下をくぐる。


福原地区の住宅地を進む。


立派な長屋門を構えた農家前を通過。


道標には”従是我国山二丁目”と刻まれている。
最初は、二丁目がどういう意味を持つのか分からなかったが・・・・


続けて”三丁目””四丁目”と出て来たので、吾国山まで続いているのだと分かった。
丁(町)は、区画であり、国勢調査などの人口統計等の分野で用いられる術語。
法令上の正式な名称としては町であり、1丁(町)は、約109mである。(Wikipedia)


五丁目付近を通過


10時9分、田上(たがみ)神社の鳥居を通過。
(後で調べたら、社殿は”従是我国山二丁目”碑の近くということが分かった)


前方に見えるのが吾国山(518m)と思われる。


八丁目を通過。


椿地区辺りの畑一面に赤キャベツの苗が植えられていた。


吾国山への案内標識
吾国山まで3Km 55分と案内されている。


10時17分、最初の休憩
駅を出発した時は、幾分寒いくらいだったが、歩いているうちに暑くなってきた。
着ているものを脱いで体温調節だ。


谷津田風景の中を進むと・・・


10時22分、吾国山登山口の標識が現れた。


ようやくハイキングらしい道になった。


しばらく杉林の中を進む。


吾国山へ2.4Km地点を通過


10時38分、十九丁目を過ぎて少し上ると、舗装された道路に出た。
福原駅を出発して、ちょうど1時間が経過していた。


『ようやく着いたのかなっ?』
ここはまだコースの半分である。
あと1時間、頑張りましょう!!


その前に先ず休憩だ。


10時44分、吾国山を目指す。


次第に道が急坂になる。
時間はたっぷりとあるので、ゆっくりと進もう。


吾国山を目指す。


舗装道路から途切れていた標識が二十五丁目で再び現れた。
同時に二十五丁目を過ぎた辺りから、登山道両側にカタクリの花がポツリポツリと咲いているのが見られるようになった。


『可愛い花だよねっ』
『みんな下向いちゃってるねっ 恥ずかしいのかな?』


三十丁目を過ぎた先に、回りが簡単な索で囲まれた、
笠間市指定文化財「吾国山のカタクリ群生地」の標識が現れた。
ここからカタクリが群生しているのだ。


今まで見て来たのは、群生地の外にポツリポツリと咲いていたカタクリだったが、
この辺り一帯は全てカタクリである。
『この辺全部カタクリだよぉ』


今までこれほどのカタクリの群生は見たことがない。
『ほんと 凄いわね~っ』


『駅で遭ったおじいさんは、五分咲きって言ってたけど、満開じゃないっ?』
『グッドタイミングだったねっ』


『いやぁ 今日は良いものを見させて貰ったよなっ』


『筑波山より花びらが大きい感じだねっ』


カタクリに見惚れながら進むと、


宗教団体が建てたと思われる碑があった。
山頂は、もう少し先である。


山頂への道端にポツリと咲くカタクリに細工がしてあった。
登山客などに踏み荒らされないための配慮であろう。
こうした気配りが広大な群生地を作り上げてきたのだと思う。


11時37分、三十三丁目の標識を通過。標識はこれが最後だった。


吾国山山頂への道は、濃いガスに包まれていた。


11時40分、吾国山山頂(518m)に到着。


三角点


田上神社にお参りを済ませ、


少し下ったところで弁当タイムだ。


『これでもうちょっと晴れてくれれば最高なんだよなぁ』
まあ、雨に遭わなかったのは、幸運だったと言うべきかも・・・


12時15分、上りとは別ルートで群生地の中を下る。
近くに笠間市指定文化財「吾国山のブナ林」の標識があったことから、この大木は、ブナと思われる。


ひときわ大きな花弁のカタクリだ。


可憐なカタクリの花は、見ていて飽きない。


仲間の会員が白い花のカタクリを見つけた。
駅近くで遭った古老に『白い花のカタクリを見つけると幸運があるよっ』と云われたそうで、
先ほどから探していたのが見つかったのだ。


広大な群生地の中にたった一輪だけ咲いていた、白いカタクリ。
普通の花に比べて明らかに白い。
『幸運に恵まれるかもねっ』


小さな祠と池があった。
山頂にこんなに水を湛えた池があるとは驚きである。


『このまま帰るのはちょっともったいない気もするわねっ』


最後にカタクリをもう一枚撮っておこう。


『また来たいゎねっ』


名残り惜しいが、カタクリ群生地を後にする。


下りは速いし、


楽で良い。


上りには1時間近くかかったが、30分ちょっとで舗装道路に出た。


山頂では気温が低く、上着を着込んだままだったが、また暑くなって一枚脱ぐことに。


Kさんを先頭に下り再開だ。


快調なペースで下る。
『この前の難台山より、楽だわねっ』


十五丁目付近を通過


13時5分、登山口入口に出ると、


視界が開け、目の前に谷津田風景が広がる。


『セリなんかも生えてるし、もう春だよね~』


椿集落を抜け、13時16分、八丁目付近を通過。


続いて七丁目付近、


さらに田上神社の鳥居を通過し、


13時23分、下り始めて1時間ちょっとで”従是我国山二丁目”に到着。
『やっぱし上りより大分速いねっ』
まだまだ余裕のあるKさんだ。


北関東高速道が見えて来た。


この辺りで一休みしようかと思ったが、『休んでいる間に電車に乗り遅れる可能性があるんじゃないっ?』の声に、
ここは、休まずに福原駅を目指すことにした。
(この一言が、間一髪間に合った大きな要因だった)


福原駅まで1.2Km 20分の表示。
時計は13時32分を指していた。
『14時までには着きそうだねっ』


福原地区を進む。
間もなく駅が見えて来る頃だ。


『朝見た時より花が開いた感じだねっ』


駅が見えて来た。
停車しているのは、下り(小山方面行)である。


踏切を渡ると、駅は近い。


良く見るとm”缶ビール有ります”の文字が見えた。
駅前には何も店がないので、半ば諦めていたが、「渡りに舟」とはこのことだ。
迷わず缶ビール(1缶250円)を好きな人数分購入し、駅へ駆けた。


13時50分、福原駅に到着。
友部行き電車は13時52分である。
『良かったぁ 間に合ったぁ』
途中で休憩していたら、この電車に間に合わなかったのは間違いない。


『朝とあまり変わらない景色だねぇ』


吾国山山頂付近は厚い雲に覆われたままだ。


『歩いた後の一杯は美味いねっ』
ご機嫌のKさん。


5分遅れで友部行電車がホームに入って来た。


『雨にも降られず、満開のカタクリを見れたのは最高だったねっ』


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


カタクリの花を求めて「吾国山ハイキング」を実施したが、どんぴしゃのタイミングで吾国山のカタクリを満喫した。
地元の古老の話では、五分咲きとのことだったが、それは多分前日か前々日のことだったと思う。
この日は、気温はそれほど高くはなかったが、山頂一帯のほぼ満開状態のカタクリに圧倒された。
また、『幸運をもたらす』と古老が言っていた、白いカタクリを見つけた時には、回りから思わず歓声が上がった。
広大な群生地一帯に咲き誇るカタクリに魅了された一日であった。
駅前のそば・うどん店「いがわ」で買った缶ビールは、殊の外美味かった。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

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