ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

旧東海道を歩く 第Ⅰステージ第7回 茅ヶ崎宿から大磯宿

2014年07月27日 | ウマさんの「旧東海道」を歩く
2014年7月27日(日)

第七回目のこの日は、茅ヶ崎宿(JR茅ヶ崎駅)~大磯宿(JR大磯駅)の約10Kmを歩いた。
当初の案では、7月、8月の暑い時期は予定していなかったのだが、三島宿への最終ゴールが12月になるのは、
日暮れが早くなるので出来れば避けたい、という声があり、この時期歩くことに変更したという経緯がある。
10Km程度の距離であれば、ちょっとした暑さは我慢できるだろう、という声にも押されたという次第。

東京駅で熱海行き(8時15分発)電車のドアが開くのを待っているところ。


東海道線車内
東京駅始発なので、ゆっくり余裕を持って座って行けるのが嬉しい。


この日の参加者9名である。


この日のスタート地JR茅ヶ崎駅には9時14分に到着。
駅前でめいめい暑さた施策・日除け対策など準備を整える。
この日の湘南地区の予想最高気温は34度、熱中症には十分に気を付けたい。


9時19分、大磯宿(JR大磯駅)目指して出発!


茅ヶ崎駅前の一里塚通りを、前回歩いた茅ヶ崎の一里塚跡へ向かう。


茅ヶ崎の一里塚
江戸から数えて14番目の一里塚である。
『あれからもう1カ月経ったんだ、早いもんだねっ』


国道1号線小田原・平塚方面


茅ケ崎駅前の交差点は横断歩道がなく、地下道をくぐって先へ進む。


平塚まで6Kmの表示


9時30分、この日の最初の訪問地茅ヶ崎山円蔵寺へ到着。
秘鍵大師と呼ばれる高野山真言宗のお寺である。


円蔵寺は、慶安二年(1649)、徳川家光から朱印状が与えられており、江戸時代には13の末寺を持つ中本山である。


境内には弘法大師像と四国八十八ヶ所霊場巡拝記念の碑が建てられていた。
”同行二人”の文字が印象的だ。


土用の丑の日が2日後(7月29日)に迫っている。
この日の昼食は、出来ればうなぎを食べることにしたい。
近頃牛丼屋で安くうなぎを提供しているので、上手い具合に「すき家」又は「吉野屋」があれば良いのだが・・・


第六天神社
第六天神は神仏混合の時代に、第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として各地に創建された。
天魔王は身の丈は2里、寿命は人間の1,600歳を一年として、16,000歳の長寿と言われ、
健康を願う人々や東海道を旅する人々が立ち寄ったと言われている。


茅ヶ崎市街地の国道1号線は、青く彩られた自転車専用車線がある。
しかし、左側の一方通行となっているので、前方からの自転車は歩道を走るため、歩き難い。
けっこう前から来る自転車が多く、落ち着いて歩いていられない。


千の川に架かる鳥井戸橋を渡ると・・・


南湖の左富士之碑があった。
歌川広重の「東海道五十三次名所図会七、藤沢」で、“南湖の松原左不二”として描かれているように、
京へ向かう場合、概ね道の右側に見える筈の富士山が鳥井戸橋の辺りでは、道の左側に見えるという景色が展開する。
上りの東海道で左手に富士が見えるのは、ここ南湖と吉原宿だけだそうだ。


しかし、建物が邪魔をしているのか、あるいはぼんやりとした天気のせいなのか、
『富士山が見えないのは残念だねぇ』


鳥井戸橋交差点中央から鶴嶺八幡宮の鳥居と松並木の参道が見えた。
伝説では鶴嶺八幡宮は、平安時代後期に矢畑に源頼義が創建し、その後、現在地に遷座したと云われている。
鶴嶺八幡宮はまた、市内最古の神社で、江戸時代旧暦6月29日には南湖の浜へ御輿の浜降りが行われていた、とのこと。
参道の松並木は1Km余も続くそうである。


10時02分、下町屋の神明神社(神明大神)に到着。
由緒沿革によると、御祭神は天照大神、大山咋命とある。


茅ヶ崎駅を出発して40分近く経っていた。
水分補給のため、ここで一休みして行こう。


由緒沿革には、”当地の古老が伝えるところによると、神明大神の境内には平安時代の陰陽師、
安部清明(921~1005)が東国へ下行のおり、喉の渇きを癒した清水が湧き出ていた、
名付けて「清明井戸」と称す”との説明があった。
現在、鳥居の横に「清明井戸」の碑が建てられている。


神明神社から西へ200mほど進むと国指定史跡「旧相模川橋脚」の碑が。


小出川に沿って200mほどのところに旧相模川の橋脚が保存されていた。
大正十二年(1923)に発生した関東大震災の液状化現象によって、水田から地中に出現した鎌倉時代の橋遺跡である。
橋遺跡は精巧な複製品で、実物は腐朽が進まないように地下2m65Cmのところで保存されている、とのこと。


説明板に見入る。
”当遺跡は沼田頼輔により、建久九年(1198)源頼朝の家臣稲毛重成が、
亡き妻の供養のために架けた橋と考証されている。
鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」には、頼朝がこの橋の渡り初めをしたこと、
その帰途に落馬し、その後間もなく亡くなったことなどが記録されている”
『へぇ~っ そうなんだぁ』


あらためて小出川を渡る。
この小出川がかつては相模川と呼ばれていたのだろうか?


『液状化現象ってほんと凄いよね~っ』
『関東大震災がなかったら、橋脚は見つからなかったってことだよね~っ』


上町屋橋を渡ると頭上に新湘南BPが通る。


小出川から500mほど進むと進行方向右手の道路反対側に信隆寺の門が見えた。
寛永元年(1624)甲斐武田氏の流れを汲む竹田信就が先祖の菩提を弔うため創建した寺である。
出家した信就は信隆院日閑と名乗り、信隆を寺名とした。


国道1号線と産業道路の交差点
左は国道134号、江の島方面へと続いている。


黙々と旧東海道(国道1号線)を進む。


信号機に落書きしたような形跡が見える。
しかし、とんでもないことをする輩がいるものだ。
『あんなところにどうやって描いたのかなぁ』感心するばかりである。 


10時39分、平塚市に入った。


相模川、馬入橋だ。


相模川を渡る。


『いやぁ それにしても相模川は広いねぇ』


日本橋から62Kmの地点を通過。


海からの風が気持ちが良い。


馬入橋を渡った所に「馬入の渡し(ばにゅうのわたし)碑」があるのだが、
道路の反対側にあり、回り道をして引き返さなければならないため、断念した。
江戸時代、幕府は大きな河川に橋をかけることを禁止した。
そのため、相模川(馬入川)や多摩川(六郷川)は「渡し船」、酒匂川は「徒歩渡し」などで渡っていた。
相模川には60以上の渡し場があった。
大動脈である東海道は「馬入の渡し」と呼ばれ、幕府が管理し、周辺村々の負担によって成り立っていた。

馬入橋を渡りきったところに、陸軍架橋記念碑があった。
大正十二年(1923)9月1日、関東大震災によって馬入橋が倒壊し、交通が途絶した。
地元の消防組・在郷軍人会・青年団によって即日渡舟が運行されたが、
数日後の豪雨で流失し、しばしば中断してしまった。


9月17日、陸軍第十五師団(豊橋)と第十六師団(京都)が急遽派遣され、架橋工事が開始された。
橋の全長450mのうち、馬入側を第十六師団が、茅ヶ崎側を第十五師団が担当し、10月3日に完成した。
この記念碑は馬入側を担当した第十六大隊の事積を称えたものである。
450mにも及ぶ架橋工事をわずか半月余りで竣工させるとは、実に大変な工事だったと思う。


相模川を渡り、国道1号線を進むと、


「馬入の一里塚」があった。
江戸日本橋から15番目の一里塚である。


「馬入の一里塚」
『日本橋から60Km以上歩いたことになるんだよねぇ』
(相模川の真ん中辺りに”日本橋から62Km”の標識があったので、63Kmは歩いていると思われる)


11時15分、平塚駅前交差点に到着。


平塚駅前の中心市街地だ。
全国的に有名なホテルやNTTなどの高層ビルが建ち並ぶ。


左側にはJR平塚駅も見える。


平塚市内の中心市街地(東海道本通り)を進む。
七夕祭は既に終わっており、通りを埋め尽くす?ほどの七夕飾りはきれいに片付けられていた。


平塚宿(旧東海道)史蹟絵地図で場所を確認。
『江戸方見附はこの先だねっ』


100mも進むと案内地図どおり江戸方見附跡があった。
慶長六年(1601)東西の入口の街道を挟んだ両側に見附が構築され、東側のものを江戸見附と呼んだ。
西側のものを上方見附と呼ぶ。


当時は、江戸見附から上方見附までの間が平塚宿内で、本陣、脇本陣、東・西の問屋場2か所、高札場、旅籠など
江戸時代を通して200軒を越える町並みが続いた、とのこと。
現在は、平塚駅前交差点辺りからこの江戸見附辺りまでが中心地となっている。
JR平塚駅が中心となっていることを考えると、時代とともに町並みが変わるものだと実感させられる。


江戸見附跡のほんの少し先の市民センターの中庭のような所に、平塚の里歌碑があった。
東京都から贈られた江戸城の石垣に刻まれている。


説明板には次のように紹介されている。
文明十二年(1480)「平安紀行」の作者(太田道灌)が、東海道を京都に上洛の途次、平塚の地で没した
三浦遠江入道定可を想い起し、里人にその遺跡・墓所などを訊ねたところ、誰一人として知るものがいなかったため、
哀れてふ たが世のしるし、朽ちはててかたみもみえぬ 平塚の里」と詠じた。


市民センター緑地に大きな楠があった。
平塚小学校蹟の樟樹で、次のように案内されている。
平塚小学校では明治二十八年三月、校庭の一隅へ樟の種子を蒔いたところ、六月十五日大地を割って双葉が萌えいでいた。
種子は明治二十七・八年戦役講和記念として神奈川県知事中野健明が県下各学校へ配布したもののひとつである。
この地は明治十三年十一月崇善館を移築して平塚小学校と稱してから昭和二十年七月の戦争罹災まで
日本一を誇った平塚小学校(現在崇善小学校)の旧地で、ここに学んだ児童たちはひとしくこの樟樹の傍で遊び
たわむれた記憶をもっている。樹令八十余年記念すべき名木と言うべきだろう。(平塚市観光協会)


旧平塚宿内を進む。
怪談「番町皿屋敷」に登場する菊女の墓跡(昭和27年建碑)は、
東海道本通りに面していなかったため見過ごしてしまった。


道路反対側(左手)に「すき家」を見つけた。”うな牛”の文字も見える。
そろそろ昼食でもと思ったが、ゴールの大磯駅まではまだ4Km近く残っている。
時間も11時30分をちょっと過ぎたところだったため、もう少し歩くことにした。


平塚宿内を進む。


脇本陣跡
天保年間に西仲町にあった脇本陣が二十四軒町北側の地に移ったもの。
宿内唯一の脇本陣であった。
脇本陣は本陣と違って、平常時は一般の旅籠としての営業も可能だった。
山本安兵衛が営んでいた。


平塚宿内を進む。


平塚の名前の由来
桓武天皇の孫・高見王の子、平真砂子が東国へおもむく途中、この地で亡くなったため、塚が作られ、
それがいつしか平らになったために「平塚」と呼ばれるようになったと云われている。
元は「たいらつか」と呼ばれていた。

平塚宿高札場跡
二十四軒町にあった平塚宿公用の掲示板が置かれた場所。
高札とは、切支丹禁制や徒党の禁止など、幕府や領主の法令や通達を書き記した木の札のこと。
平塚宿の高札場の規模は、長さ二間半(約5m)、横一間(約1.8m)、高さ一丈一尺(約3m)あった。
日本橋からの距離を測るポイントとされていた。


平塚宿本陣旧跡


天保十四年(1843)当時の本陣は総欅造りで、間口30m、奥行68mで建坪は163坪、座敷数は20もあった。
天皇や将軍の御座所は上段の間であった。
門は乗馬したまま出入りができるよう高くできていた。
神奈川銀行平塚支店の前に建てられた記念の碑に見入る。


西組問屋場跡碑は平塚消防第一分団の前(角)にあった。


慶長六年(1601)伝馬制度が始まった時にここ西組問屋場が開設された。
寛永十二年(1635)参勤交代が行われるようになってからは、東海道の交通量は激増し、
伝馬負担に堪えかねた平塚宿は、隣接の八幡新宿の平塚宿への加宿を願い出て、
慶安四年(1651)に八幡新宿が加宿されたときに東組問屋場が増設された。
両方の宿は、交互(十日目交替)で伝馬業務を務めるようになった。


平塚宿内を進むが、店らしき店は見当たらなくなった。


12時ちょうど、上方見附跡に到着。


ここで一休み。しっかりと水分を補給して行こう。
『大磯駅に着くまで牛丼屋はあるのかねぇ』
しかも安く”うなぎ”を食べさせる店という条件である、甚だ心細くなってきた。


上方見附跡の直ぐ先に大磯町の看板があった。
後ろに見えるのは高麗山だ。


何と運の良いことに、大磯町の看板の50m先に牛丼の「なか卯」があった。
しかも、”うなまぶし””うな丼”のメニューもあるではないか!
『ラッキーっ』


大方の人は”うなまぶし”(890円)を注文したようだが、自分は”うな丼”(790円)を注文した。
うなぎは一切れだけだったが、お腹も空いていたことから、何と美味かったことか。


『”うなまぶし”初めてだったけど美味しかったよぉ』


「なか卯」を後にして、ゴールのJR大磯駅を目指す。
『うなぎ食べられて良かったねぇ』
皆さん、満足の様子で一安堵である。


花水川(金目川)の花水橋を渡る。
後ろの高麗山(167.3m)は、昔、新羅連合軍に滅ぼされた高麗の王族が住んだとも云われている。
2013年7月7日に「関東ふれあいの道」でこの橋の一つ下の下花水橋を歩いているので記憶に新しい。
懐かしさを覚える。


花水橋の少し先に浄土真宗本願寺派の善福寺がある。
開山は了源(平塚入道とも称した)というお坊さんであると伝えられる。
本尊は98.4Cmの木造阿弥陀如来立像。


高来神社へ立寄って行くことにした。


長い参道を高久神社の拝殿へ向かう。


高久神社拝殿
明治以前は高麗山山頂に高麗権現社が祀られていた。
下社には本地仏として千手観音が祀られ、神仏習合の地であった。


高久神社の鳥居横に建つ慶覚院
慶長十八年(1613)創建で、高麗寺の末寺。
修理中だった仁王門は今年の4月20日に完成し、仁王門落慶々讃大法会が行われた、そうである。


木造仁王立像は、江戸時代初期の仏像と云われる。


慶覚院は、明治二十三年(1890)八月に大磯町南下町に大火があり、
当時北下町にあったが、檀家が多い高麗地域、村持地蔵堂に移った、とのこと。


高久神社を後にしてゴールのJR大磯駅を目指す。


道端に此辺大磯宿の史跡「虚空像堂」がポツンと祀られていた。
説明板によると、
虚空像と熊野権現を祀ったお堂があり、ここに下馬標が立っていた。
大名行列もここで下馬し、東照権現の併祀された高麗寺に最敬礼をして静かに寺領内を通った、とある。
東照権現とはもちろん、徳川家康のことである。


旧東海道は化粧坂信号で国道1号線といったん分かれる。
この化粧坂交差点辺りを化粧坂(けわいざか)と言う。


化粧坂の途中に化粧井戸があった。
鎌倉時代の大磯の中心は、この化粧坂付近にあった、そうだ。


化粧坂付近に住んでいた虎御前(曽我十郎の妻)が朝夕この井戸の水を汲んで化粧をしていたことから
この名が付いたと云われている。


化粧坂をJR大磯駅方面へ進む。


此辺大磯宿の史跡「化粧坂の一里塚」
江戸日本橋から16番目の一里塚である。
海側に榎を、山側にせんだんを植えた、そうだ。


化粧坂の一里塚、
『こっち側にせんだんが植わってたんだねっ』


この絵は初代歌川広重が天保四年(1883)頃に製作した浮世絵、『東海道五十三次之内大磯虎ヶ雨』とある。
画題横に”虎ヶ雨”とあるように、そぼ降る雨を虎御前の涙雨に見立てている、とのこと。


大磯八景碑「化粧坂の夜雨」
雨の夜は 静けかりけり 化粧坂 松の雫の音はかりして


旧東海道は東海道線を潜る。


地下道を進むと、


斜めに傾いた松の木が旧東海道らしい雰囲気を醸し出してくれる。


此辺大磯宿の史跡「江戸見附」があった。
是より此辺大磯宿である。


しばらく進むと、旧東海道は、国道1号線に合流した。


大磯駅入口交差点手前に神明神社があった。
道の反対側だったため、写真に納めるだけにした。


大磯駅入口交差点を右折し、ゴールの大磯駅へ向かった。
花水川辺りから大磯駅入口まで、ついに食事ができる店らしき店は見当たらなかった。
花水川の「なか卯」での昼食は本当に幸運だったことを再確認した次第である。


大磯駅への緩い坂道が続く。
『最後にこの坂道が一番堪えるねぇ』


ようやく大磯駅が見えてきた。


13時30分、ゴールのJR大磯駅に到着!
茅ヶ崎駅を出発して4時間10分が経過していた。
最後は少しばかり疲れたが、この日の暑さの中としては、まあまあのペースだと思う。


駅前にコンビニがあったので、めいめい缶ビールを買って『乾杯っ!』


大磯駅ホームで東京行き電車を待つ。
『いやぁ 最後はちょっと疲れたねぇ』


『今日は暑い中大変お疲れ様でしたぁ』



「旧東海道を歩く」第七回目(茅ヶ崎宿~大磯宿)を無事歩き終えた。
最高気温34度の猛暑のなか、最後まで全員何事もなく歩けたのは何よりだった。
半ば諦めかけていたのだが、花水橋手前で”うなぎ”にありつけたのは幸運以外の何物でもない、と思っている。
次回(8月24日)は、大磯宿から国府津までを歩くことにしているが、まだまだ暑さが厳しいことが予想される。
しっかりと準備をして臨みたい。
次回は何が昼食になるか、今から楽しみである。

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シャトーでランチもなかなか 牛久周辺ウォーク

2014年07月18日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年7月18日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第14回(2014年第24回)、「シャトーでランチ 牛久周辺」ウォーキングに参加した。

夏休み前の例会は、ウォーキングの後はここ何年かはシャトーカミヤのバーベキューガーデンでBBQというのが決まりであった。
しかし、最近BBQも少しばかり飽きてきたこともあり、今年は場所は同じ久シャトーカミヤではあるが、
ラ・テラス・ドゥ・オエノンでランチをということにした。
なお、ウォーキングの後に生ビールは欠かせないことから、電車で集合というのは変わらない。

この日のコースマップ
牛久駅東口をスタートして、駅前の県道272号線(通称けやき通り)を直進する。
ヨークベニマル角を左折して栄町五丁目交差点の陸橋を渡り、東洋大牛久高方向へ進む。
100mほど先を右折し、レストラン・ユーモア先の信号を東洋大牛久高方向へ進み、柏田神社へ向かう。
柏田神社からセントラル病院前を通り、総合運動公園を左手に見ながら、栄町四丁目、六丁目住宅地を進む。
中央二丁目を通り、牛久市役所裏の公園を経由してシャトーカミヤへ向かう、
という全長約6Km、1時間30分のコースである。


この日荒川沖駅に集まったのは11名。
9時9分発の電車には、土浦駅からの7名と合せて18名が乗り合わせることになる。


9時26分、牛久駅に到着。改札口で直行した4名と合流。
シャトーカミヤで残り1名が合流することになっているので、
この日の参加者は23名ということになる。


いったん牛久駅を出て、準備体操が出来そうな場所を探すことに。


駅前東口に空いていた駐車場を見つけ、ここで準備体操だ。
『精一杯背伸びしてぇ~っ』


『腰を落としてアキレス腱伸ばし~っ』


9時39分、いつものようにOさんを先頭に出発!


Oさんの後に続く皆さん。


駅前の県道272号線(通称けやき通り)を直進。
けやき並木が美しい。
『土浦市にはこんな並木ないわねぇ』
そう言えば見たことがない、気がする。


けやき通りの歩道には花なども植えられていたりして目を楽しませてくれる。


県道272号線(けやき通り)は駅前を直進すると、三差路になっており、
県道はスーパーヨークベニマル角を左折して続いている。


栄町五丁目のニトリ前を通過


栄町五丁目交差点の陸橋を跨ぐ。


『今日も頑張るからねっ』
いつも元気が良いS子さん、歩くのが楽しくて仕方がないそうだ。


陸橋を渡って右折し岡見方面へ。


道は特に県道にもなっていないが交通量は多い。


交通量の多い道は避け、途中の小さな道を東洋大牛久高方面へ進む。


この辺りになると住宅地を外れ、のどかな風景が広がる。


のどかな道だが、車が思ったより走っている。
注意が必要だ。


レストラン・ユーモア先の交差点の向こうに東洋大牛久高が見えてきた。


東洋大牛久高手前に柏田神社への入口があった。
柏田神社への近道だ。行ってみよう。


東洋大牛久高生と思しき若者とすれ違う。聞けば空手部の部員とのこと。
全員が大きな声で『忍すっ!』『x△?x!?xすっ!』の連発に少々面食らう。
何と言ってるのかよく分からないが、励まされている感じは伝わってくる。
こちらも『頑張ってねぇっ』と応じる。


薄暗い参道を進むと・・・


10時20分、柏田神社の正面鳥居に到着。


本殿にお参りして行こう。


腰を深々と曲げて一礼。
神社へのお参りは、このようにしっかりと腰を90度に曲げてお辞儀をするのが正しい作法、という見本だ。
見習いたいものである。


ここで一休み、といきたいところだが、藪蚊に襲われ始めたので、ゆっくりとお菓子など食べてはいられない。
直ぐにでもここを離れるのが賢明である。


バス通りを渡ると、


正面に「つくばセントラル病院」がある。


「つくばセントラル病院」前を通過。
『大きな病院だよねぇ』
介護老人保健施設「セントラルゆうあい」も併設されている。


「つくばセントラル病院」を過ぎて住宅街を途中を左折すると、運動公園が見えてきた。


Y子さんによると、ご主人がちょうどグラウンドゴルフの練習をやっている筈だと言う。
どうやらご主人の姿を確認したようだ。


間もなく県道272号線だ。


県道272号線の栄町4丁目交差点を横断。
現在歩いている道は、牛久ヘルスロードに指定されている。


栄町3丁目の住宅地の中を進む。


栄町3丁目付近。
『へぇ~っ けっこう畑地もあるんだねぇ』


綺麗に手入れされた庭を覗き見しながら、中央2丁目の住宅地を進む。


11時ちょうど、牛久市役所裏の公園に到着した。


市役所裏手の調整池


ラ・テラス・ドゥ・オエノンには11時30分到着で予約をしている。
このままでは時間的には少し早く到着してしまう。
ここで小休止して、時間調整して行くことにした。


軽い休憩のあと、牛久シャトーへ。


牛久シャトー裏門前を通過。
『ちゃんと正門から入らなきゃねっ』


11時15分、牛久シャトー正門に到着。
本館はまだ工事中だ。


正門を入ってBBQガーデンの横を通って南門方面へ進むと、
ラ・テラス・ドゥ・オエノンの建物があった。


11時19分、ラ・テラス・ドゥ・オエノンの正面玄関に到着。


しかし、まだ入口のドアはClosedの札が掛けられている。
”11時30分開店”の案内板が立てられていた。
『11時30分にならないと入れてくれないんだぁ』


開店前に整理体操を済ませておくにはちょうど良いタイミングである。
店の真ん前でいつもの整理体操だ。


『今日はお疲れ様でしたぁ』
『早く冷たいビールが飲みたいっ』 思わず本音が出てしまう。


11時30分ぴったり、店内へ案内された。


ランチのメニュー(肉料理または魚料理)によって、テーブルが分けられていた。
こちらは肉料理注文の人(12名)


こちらは魚料理注文の人(11名)


それぞれお好みの地ビール(ヴァイツェン、ピルスナーetc)を注文!
グラス(約300ml)は\450円、ジョッキ(約700ml)は\680円となっている。
全員飲み物が揃ったところで、会長より『9月からの後半も頑張って歩きましょうっ! かんぱ~いっ』


『後半もよろしくお願いしまぁす』


注文した肉料理が運ばれてきた。
ライスまたはパンのどちらかを選べる。


『いやぁ なかなか美味しいねぇ』
『BBQより良いんじゃないっ』
料理は概ね好評のようだ。


最後にデザートとコーヒーが付いて、\1,500円。
まあリーズナブルではある。来年もこれで決まり?


外国人のツアー客も入って来て、店内は次第に混み出してきた。
当会はデザートも食べ終わったことだし、そろそろお暇することにしよう。
『ごちそうさまでしたぁ』


『すっかり晴れて暑くなってきちゃったなぁ』


お土産を買い求める人もいることから、この日はここで解散ということに。
『お疲れさまでしたぁ』
『それではごきげんようっ さようなら』(連続TV小説)


スーベニアショップへ。


目当てはもちろん「電気ブラン」である。


ワインも試飲してみよう。
自分には、試飲すると買わないでは済まなくなる性格があるようだ。


結局、電気ブランとワインを買ってしまった。


みなさん、手に手に土産物袋をぶら下げて駅へ向かう。


13時28分、牛久駅に到着。


『今日は大変お疲れ様でしたっ』


毎年恒例の”牛久周辺を歩いてシャトーで昼食”という例会も無事終わった。
今年度前半が終わり(と言ってもまだ1/3であるが)、これからしばらくの間夏休みに入る。、
少し身体を休めて、9月5日からの後半(残り2/3)に備えることにしたい。


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戦場ヶ原から霧降高原へ

2014年07月15日 | ウマさんのキャンピングカードライブ
2014年7月15日(火)


戦場ヶ原
この日のは天気も良く、朝から空は晴れ上がっていた。
(戦場ヶ原駐車場にて)


男体山も山頂まではっきりと見える。
昨日の天気は嘘のようだ。


朝食後、昨日は小田代ヶ原への途中の展望所から見ただけだったので、先ず戦場ヶ原展望台へ向かった。
戦場ヶ原駐車場前の国道120号線を渡り、展望台へ。


展望台への木道を進むと、


直ぐに戦場ヶ原展望台がある。


戦場ヶ原


やはりここからの眺めが一番良い。





二人揃っての記念撮影

この後、日光市内で土産物を買い、霧降高原へ向かった。


霧降高原
12時10分前に霧降高原へ到着した。
これからキスゲ平園地を歩くためには、軽く昼食を済ませておきたい。
霧降高原レストハウスで「寒ざらしそば」があったので、注文した。


『意外と美味しいっ』


霧降高原の階段(天空回廊)
レストハウス前からキスゲ平園地の最上部(小丸山山頂)まで1445段の階段が続く。


キスゲ平園地の草原内には遊歩道や展望デッキが整備されている。
案内の地図が各所に設置されており、道に迷わないで歩き回れる。


12時23分、出発!
スマホでリフトが運転されている記事を見たと言う妹だが、現在リフトは撤去されてしまっている。
最初は歩くのに消極的な二人だったが、緩やかな階段に納得したようだ。
『これならそんなに疲れないわねっ』


ニッコウキスゲ
鹿による食害や熊笹の繁茂により、一時は絶滅が心配されたこともあったそうだ。
そのため、霧降高原園地では鹿の侵入を防ぐネットの設置や熊笹の刈払い、
ニッコウキスゲの苗の補植作業など自然環境の保全活動を続けている、とのこと。


階段には100段づつの標識とコメントがある。
300段目は『先は長いが頑張ろう』と記されている。
意外とこの一言が励みになる。


400段目辺りからキスゲ平を見る。
かつては、ここをリフトが運転されていた。
リフトからニッコウキスゲを見ながら頂上に向かったことを想い出した。


『階段は緩やかだけど長いからやっぱり疲れるぅっ』


この辺りではところどころにしかニッコウキスゲを見ることができない。
当時と比べると、ニッコウキスゲが少ない。やはり鹿の食害なのだろう。


緩やかな階段が続く。
600段目『休憩も大事だよ!』を通過。


休憩を兼ねて階段から逸れて遊歩道へ降りてみる。
草原に点在するひと際鮮やかな姿を見せるニッコウキスゲ


クルマユリがポツリと咲いていた。
回りを見渡してもクルマユリはこの花だけだった。


上ってきたゲレンデを振り返る。
この時期の霧降高原で、点在するニッコウキスゲしか見れないのはちょっと寂しい。


700段目手前の非難小屋で一休みして、小丸山山頂を目指すことにした。
一直線に小丸山山頂まで階段が続いている。
700段目『残り半分だ』に励まされる。


かみさんと妹が次第に遅れ出した。
非難小屋から、階段の段差が大きくなっているためである。


900段目を過ぎた辺りで最初の展望デッキが見えてきた。
この辺りからニッコウキスゲの群生が見られるようになった。


第1展望デッキから下を見る。
レストハウス辺りはどんよりと霧がかかっているような感じだ。


ニッコウキスゲの群落でようやく霧降高原らしい景色になった。
ここで突然、彼女たちはその先は行きたくないと言い出した。二人でここで待っていると言う。
彼女たちにとってはここまでの階段が精一杯だったのだろう。


せっかく来たので一人で小丸山を目指すことにした。
1,000段目『来た1000段目!』
残り445段だ。


1,000段目過ぎから振り返って下を見下ろす。
かなり上ってきたものだと思う。


第2展望デッキから第1展望デッキを見ると、二人が見えた。


1,300段目『ゴールは目の前だ!』


1,445段目『おめでとうゴール到達!』


小丸山山頂展望台に到着。


展望台では子供連れの夫婦が昼食の最中だった。
1,445段もの階段を子供(1歳)を背負って上ってきたのだと言う。


パンフレットには、
”登るにつれて視界が広がり、頂上の小丸山展望台からは日光の山々はもちろん、
晴れた日には、遠くは会津の七ツ岳、富士山、東京スカイツリーを望むことができます”
と謳われていたが・・・
次第に霧(雲?)が降りて来だし、一瞬のうちに視界が効かなくなった。


二人を待たせていることから、いつまでも次にまた晴れるのを待つ訳にいかない。
直ぐに上ってきた階段を下ることにした。


第1展望デッキでは二人仲良く待っていてくれた。


下りは遊歩道を散策しながら下ることにした。
「キスゲ平」辺り。


「キスゲ平」にはいろんな花が咲くようだ。


アカショウマ


シモツケ


アヤメ


ニッコウキスゲ


ヨツバヒヨドリ


ギボウシ


”見晴らし”からの眺望


”谷わたり”を通過。


14時15分、霧降高原レストハウスに到着。
約2時間の散歩に満足な様子の二人だった。
『お疲れさ~んっ』


昨日から今日にかけて、
川場・奥日光(丸沼・湯滝・戦場ヶ原・小田代ヶ原)・中禅寺湖(イタリア大使館別荘)・霧降高原と回って
奥日光の自然を存分に楽しんだ2日間だった。


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川場・丸沼・湯滝・イタリア大使館別荘・小田代ヶ原

2014年07月14日 | ウマさんのキャンピングカードライブ
2014年7月13日(日)~14日(月)

私と妻の故郷である大分から、妻の妹がやって来たので、2泊3日で谷川岳から奥日光を観光することにした。
交通手段は場所が場所だけに車以外は考えられないし、宿にしても3人ともなると宿泊代がままならない。
と言う訳で、キャンピングカーで出かけることにした。

初日は先ず谷川岳天神平からの景色を楽しもうと、谷川岳RW駅に向かったが、
あいにく関越道水上ICを降りる頃から雨が降り出した。
途中のレストランで昼食を摂りながら雨の止むのを待った。
しかし、残念ながら雨は止む気配は見せない。
それでも念のため谷川岳RW駅まで行き、駐車場係員に天神平の様子を問い合わせた。
係員は、雨のため天神平からの景色は望み薄とのことだったので、
引き返して道の駅「川場田園プラザ」に向かった。

川場ビール工房
道の駅「川場田園プラザ」の数ある工房の一つで、
中にはパン工房と地ビールレストラン武尊(ほたか)がある。


レストラン武尊のメニュー


中に入ると、ビール濾過機が目を引く。


レストラン武尊店内は広くて天井も高く、適度な照明が落ち着いた雰囲気を醸し出している。


写真は、高級アロマホップをふんだんに使った香り高いピルスナー。


小麦麦芽を使用した、フルーティな香りのヴァイツエンもなかなか美味かった。
ヴァイツエンは、ホップの苦みを押さえてあるので、女性に好まれるそうだ。
『グラスは面倒』とピッチャー(1.5l)で注文だ。


料理テーブルに並んでいるのは、
ソーセージ盛合せ、鶏肉カルパッチョ、ギンヒカリ(ニジマス)のカルパッチョ、ポテトフライ



翌朝はブルーベリー摘みを楽しんだ。
翌朝の風景


ビール工房&レストラン武尊停まっているのは愛車のセレンゲティ。
夕方まではレストラン武尊の客のものと思われる車が何台も停まっていたが、
朝は愛車だけになっていた。


ビール工房前の道路を挟んだ駐車場の回りは、ブルーベリーの生垣になっている。
沢山のブルーベリーが生っていた。


前日も何人かが摘んでいたのを見ているので、自由に採っても問題はなさそうだ。


朝食の準備が出来るまでブルーベリー摘みを楽しんだ。


かみさんの妹と一緒に摘んだブルーベリー
これを持ちかえってジャムを作ることにしよう。



丸沼
朝食後、奥日光へ向かった。
途中丸沼があったので、寄ってみた。


丸沼湖畔の白樺の林。


静かな湖畔を歩くのは気持ちが良い。


丸沼は「日本観光地百選湖沼の部 第一位」とのこと。
記念にかみさんと並んだところを撮ってもらった。


標高1,430mの丸沼水平に撮影しているため、青い湖面が見えないのは残念!



湯滝
中禅寺湖へ向かう途中、湯滝に立ち寄った。
湯滝駐車場(駐車料金500円は前払い)


湯滝


水量も多く、迫力がある。
袋田の滝にも負けないくらい素晴らしい滝である。



イタリア大使館別荘

湯滝の後は、中禅寺湖畔のイタリア大使館別荘へ向かう。


中禅寺湖岸に沿ってイタリア大使館別荘へ続く道


駐車場から10分で「イタリア大使館別荘記念公園」へ到着


往時の歴史を紹介する国際避暑地歴史館(大使館別荘副邸)


往時の別荘の様子などを伝える展示室-2


大使の船遊びやフッシングのビデオが見られる展示室-1


展示室ー1の室内の様子(暖炉)


大使館別荘本館
昭和3年にイタリア大使館の別荘として建てられ、平成9年まで歴代の大使が使用していた。
主に大使とその家族が使用したと言われている。


大使館別荘本館
杉の木の皮が貼り巡らされている。


中禅寺湖岸から見た大使館別荘本館


本館内食堂から居間・書斎方向を見たところ。


様々な模様の杉皮が貼り巡らされた書斎


大使が使用した食器が並ぶ食堂


マントルピース(暖炉)は創建当時のままだそうだ。


チェスなども展示されている。


解放感溢れる広縁


広縁から中禅寺湖を臨む。


2階に上がってみる。
眺望室1(大使の間)
この部屋は大使の寝室として利用されていた。
家具やカーテンなどのインテリアは平成9年当時まで使用されていた。


眺望室2(寝室)
この部屋は寝室として利用されていた。
ベッドや机など、家具を同一色で塗り、各色で部屋を呼び分けていた。
壁面と天井仕上げは、改修時に杉皮貼りから栃木県産材のさわらに変更している。


眺望室2には歴代イタリア大使の写真が展示されている。


眺望室2から中禅寺湖を見る。
朝起きて直ぐにこの景色が見られるとは何と贅沢なことだろう。


眺望室3(寝室)
この部屋も眺望室2と同じく寝室として利用されていた。
この部屋の壁面と天井仕上げは、改修時に杉皮貼りから栃木県産材のさわらに変更している。


休憩室(スリーピングポーチ)
この部屋は休憩室として利用されていた。
1階玄関の上に位置し、南に面しているので、吹き抜ける風と軟らかな木漏れ日を感じながら
寛げる空間となっている。


1階の休憩室(喫茶室)ではコーヒーなどが注文できる。
さほど広くないので相席になることがある。


外に出てウッドデッキから湖岸へ下りてみる。


湖岸から見た半月山方面の景色


桟橋
老朽化して一部朽ちかけているので、立入禁止となっている。


湖岸から見た景色(八丁出島)
八丁出島の先端は寺ヶ崎と呼ばれている。
紅葉の時期には毎年必ずと言っていいほど紹介される場所である。


湖岸から見た景色(男体山:2,484m)
あいにく雲がかかって山頂は見えなかった。


湖岸から見た景色(大使館別荘本館)
建築デザインの発想と原点について以下の説明があった。
別荘の設計者アントニン・レーモンドは、総合芸術のとしての建築を目指し、
「建物の内と外、そして環境との調和」といった設計理念を提唱した。
その手法として、その地方・地域に特有の素材を積極的に建材として利用した。
間口一杯に広がる広縁からは、湖の美しい眺望を最大限に享受することを
デザイン発想の原点に置いていることが感じとれる(説明板より)


イタリア大使館別荘を後にする。


立木観音を過ぎた辺りのレストラン「湖楽」で昼食を済ませた。



小田代ヶ原
昼食後、時間があったので、小田代ヶ原まで歩くことにした。
赤沼駐車場を出発し、遊歩道を進む。


赤沼から200mほど進むと湯滝(4.0Km)への分岐点がある。


小田代ヶ原(2.1Km)方面へ。


湯川赤沼橋


湯川赤沼橋の袂でフライフィッシングをしていた。
ブルックトラウトが釣れるとのこと。
ここではキャッチ&リリースが基本となっているので持ち帰りは出来ない、そうだ。


熊笹の中を小田代ヶ原へ。


熊笹が美しい。


小田代ヶ原まで1.3Km地点を通過。


小田代ヶ原へ


戦場ヶ原展望台へ50mの表示が。


戦場ヶ原


小田代ヶ原へあと0.3Kmとある。


鹿避けの金網柵を抜けると小田代ヶ原だ。


木道を通って貴婦人が望める小田代ヶ原展望台へ向かう。


千手ヶ浜行電気バス「わたすげ」が静かに追い越していった。


右手には次第に小田代ヶ原の草原が見えてきた。


展望台手前の道路から撮った貴婦人。
草原の中にポツンと佇む姿が美しい。


小田代ヶ原バス停が見えてきた。


貴婦人の撮影ポイントへ


木道工事の警備員がいたので、3人揃っているところを撮影してもらった。


展望台から見た小田代ヶ原


動画で観た小田代ヶ原


やはりこの展望台から見た貴婦人が一番美しい。


ここまで来たら、小田代ヶ原を一周してみたい。
しかし、妻とその妹はやや疲れた様子。日頃から歩き慣れていないので無理もない。
先ほどのバスが千手ヶ浜で折り返しておよそ10分後に来るので、それに乗って戻りたい、とのこと。
結局、一人で小田代ヶ原を一周することにした。
木道は途中工事中のため、バス専用道路を通らなければならない。


千手ヶ浜と泉門池との分岐点を


泉門池へと向かう。


鹿がじっとこっちを見ている。
いったんは逃げ出すが、一定の距離をおいて立ち止まり、こちらの様子を伺っている。
近づくとまた逃げ出す。


泉門池への分岐点では木道工事が行われていた。
展望台からこの地点までの木道工事は9月頃まで続くとのこと。


泉門池へ続く古い木道を進む。
この木道も工事が予定されているそうだ。


小田代ヶ原


アヤメなども見ることができる。


カラ松林の木道を進む。


泉門池分岐点が近くなると白樺の木が目立つようになってきた。


泉池門分岐点に到着。
小田代ヶ原バス停を出発してから約25分が経過していた。
しゃくなげ橋方面へ進む。


白樺の林の中を小田代ヶ原分岐点へ


小田代ヶ原分岐点へ。
後方に見えるのは、高山(1,667m)と思われる。


小田代ヶ原の草原


ところどころにニッコウキスゲが固まって咲いていた。


枯れた大木が横たわっていた。


白樺の林が無くなると代わりにカラ松が目立ち始めた。


小田代ヶ原に到着したとたん、雨が降り始めた。
バス停を出発してちょうど40分が経過したところだ。
既に二人は赤沼駐車場に着いていることだろう。


降りしきる雨の中を赤沼駐車場へ急いだ。
赤沼まで2.2Kmの地点を通過した辺りで雨が強くなってきた。
傘を差しているが、膝から下はずぶ濡れ状態だ。


赤沼まで1.0Kmの地点では土砂降りとなった。


しかし、湯川赤沼橋に着いた頃には雨は少しばかり小降りになってきた。


赤沼まで0.3Km地点を通過。


赤沼まで0.2Km地点を通過。


赤沼茶屋に到着した時には、雨は止んでいた。
40分ほど雨に降られたことになる。ついてない。


17時16分、赤沼駐車場に到着。
二人は1時間以上も前に到着していた、とのことだ。
二人をバスで先に帰しておいて良かった。



湯守釜屋
小田代ヶ原でかいた汗を流すため、奥日光湯元温泉の「湯守釜屋」へ向かった。
「湯守釜屋」は「日本100名湯」でも紹介されており、2008年6月6日に一度訪れたことがある。


浴室


浴室(男性用)


浴室内に入るとむっとしてレンズが曇ってしまった。
温泉特有の硫黄の匂いが充満している。
まさに”温泉”を感じる。


露天風呂
牛乳のように白く濁ったお湯がたまらなく嬉しい。
お湯はしっとりとして本当に気持ちが良い。


「湯守釜屋」は、栃木「にごり湯の会」会員である。
濁り湯の条件は、以下の条件が揃っていること、だそうだ。
その壱:源泉を持っていること。
その弐:にごり湯であること。
その参:掛け流しであること。


入浴後は赤沼駐車場へ戻り、キャンピングカーでワインとビールで盛り上がった。
明日は、日光市内で土産物を買い求め、日光霧降高原へ行くことにする。


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台風一過 三石森林公園から圓明院

2014年07月11日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年7月11日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第13回(2014年第23回)、「三石森林公園から圓明院」ウォーキングに参加した。

この日のコースマップ
三石森林公園をスタートして、先ず最初の目的地圓明院へ向かう。
圓明院からいったん三石森林公園まで引き返して、今度は青木場峠(あきばとうげ)へ向かう。
青木場峠から尾根を東へ進み、浅間山(344.6m)へ上った後、三石森林公園へ戻る、という全長約6Kmのコースである。


第一集合場所に集まったのは7名とかなり少ない。予想を大きく下回った感がある。
昨日までは台風8号の影響で、大方の予報ではこの日の午前中は”雨”ということだったので、
この参加者数は止むを得ない。


会長も前日夕方頃まで相当悩んだ末、朝まで様子を見て決めることにしたと言う。
結果的に決行との判断に至ったのだが、中止以外には連絡網での連絡はしないため、
大方の人は連絡はなかったものの、”中止”と思い込んだ人も多かったのかも・・・
『まぁ この天気じゃやるしかないねっ』


車1台に全員乗り込み、第二集合場所の三石森林公園へ。


三石森林公園へ直行したのは3名で、結局この日の参加者は10名だった。
右側2台が直行していた車だ。


「もりの小屋」から下佐谷方面を望む。
眺めはなかなか素晴らしいものである。


9時47分、準備体操は省略して出発!
『車道よりもこっちの方が近いからっ』 と会長が先頭に立って進む。


『あららっ 先に行っちゃったぁ』と言いながらも後へ続く会員のみなさん。


急な階段を下りる。


3分ほどで、三石森林公園入口に到着。
『やっぱり大分早かったねっ』 と納得顔の会長。


最初の目的地である圓明院を目指す。


舗装道路の道端に圓明院への看板を見つけ、そこを右折して森の中へ。


森の中の道はかなり荒れていた。
昨夜の雨で、ぬかるんだところもある。


会長の後に続く。


細い山道を下る。
『滑り易いから気を付けないとねっ』
下りで滑り易いときは歩幅を小さくゆっくりとが鉄則だ。


舗装道路から8分ほどすると・・・民家のある場所に出た。


スダジイの大木(2代目?)が生えていた。
その根元はまるで大蛇が岩を飲み込むような形をしていた。
『いやぁ これは凄いねぇ』


農家の前の”道”を進む・・・
『何だか人ん家の中みたいだねっ?』
てっきり普通の道だとばかり思っていたら・・・


『やっぱり、人の家の中庭だったよぉ』
随分と大きくて立派な農家であった。


『この辺は凄い家ばっかりだねぇ』


立派な農家の多さに感心しながら進むと、圓明院の看板があった。


『この辺のお墓も立派なもんだよなぁ』
人の背丈以上の大きなお墓がずらりと並んでいる。


10時8分、圓明院に到着。
『開放的な雰囲気が良いねぇ』


門の代わりに建てられている大きな石灯籠の間を進むと、


右手に観音様と六地蔵が迎えてくれる。


圓明院本堂に到着。
圓明院は、真言宗豊山派の寺院で、瓦場山圓明院と言う。


圓明院本堂前から綺麗に手入れされた庭を望む。


『いやぁ 暑いっ、参った!』
暑いのは大の苦手という会長、ここで一休みだ。


しっかりと給水をして・・・


圓明院の脇を通って三石森林公園へ引き返す。


先ほど下ってきた道とは別の道を上る。
暑さには弱いという会長だが、果敢に先頭を務める。


薄暗い道が続く。


圓明院から10分ほどで、舗装された道路に出た。


とりあえず三石森林公園入口を目指す。


10時31分、三石森林公園入口に到着。
もりの小屋を出発してちょうど45分が経過したところである。


次の目的地、青木場峠(あきばとうげ)へ向かう。


あきば峠へしばらく平坦な道が続く。
『だんだん暑くなってきたねぇ』
雨の心配はどこえやら、時折強い日差しが照りつける。


林道から空を見上げると、青い晴れ間が見える。
風も弱く、湿度が高いので、よけいに暑く感じる。


左手に「雪入ふれあいの里」との分岐点を通過。
正面があきば峠への道だ。


緩やかな林道を進むと、視界が開け、


左手に雪入の里が見えてくる。


道をさらに進むと、


「雪入ふれあいの里」の建物が見える。


曲がりくねった道をさらに進むと、金命水の水汲み場に到着した。


珍しいことに車は1台しかいなかった。
何年か前に毎月水汲みに通っていたときには、いつも車が5-6台は並んでいて、最低でも1時間待ちであった。
一人40リットルしか汲めないルールになっているが、これなら水は汲み放題だ。
聞けば500リットルは汲んでいるとのこと。
1時間以上も並んで、40リットルしか汲めなかったので、今は止めてしまっているが、
これなら、水汲みを再開しても良いかな・・・・


『ペットボトルに入れて行こう』


さらに登ると、銀命水があったが、こちらは誰もいなかった。
よく見ると、水はホースの脇からは流れていたが、肝心のホースからは殆ど出ていなかった。
銀命水の水は少し濁りがあり、小さな砂なども混じっている。
味も金命水に比べるとあまり美味しいとは言えないので、人気がないのだ。


銀命水を過ぎて林道をさらに上ると、


左手に雪入の里が見えてきた。
『さっきより大分上って来たわねっ』


11時13分、青木場峠(あきばとうげ)に到着した。


ここで一休みしよう。


青木場峠で道は、浅間山方面と、


剣が峰(パラボラ山)方面に分岐している。


木々の間からは筑波山も見える。


この後、浅間山方面へ向かう計画だったが、途中三石森林公園への下山道が、ぬかるんでいることが予想された。
なお、この日は弁当なしでもあるし、時計も11時20分を回っていることから、来た道を引き返すことにした。


緩やかな坂道を下るのは楽だ。
『人生下り坂さいこうっ!』
どっかで聞いた台詞だ。


再び金命水
既に先ほどの水汲みの人は帰った後で、誰もいなかった。
水は相変わらず流れている。もったいないことである。


『せっかくだから、土産に水を汲んで帰ろう』


『美味しいコーヒー飲んでみたいわねっ』


空は益々晴れ上がって、直射日光がとても暑く感じる。
『真夏並みだねぇ』


今度は雪入の里を右手に見ながら下る。


『ずっと日陰が続いて欲しいねぇ』


11時47分、三石森林公園と雪入ふれあいの里への分岐点を通過。
ゴールの三石森林公園はもう直ぐだ。


三石森林公園へ


谷を見ると、ゴミが大量に捨ててあった。夜中に捨てに来るのだろう。
『けしからんことをする奴がいるもんだなぁ 情けないっ』
『茨城県人じゃないと思いたいけどねぇ』
最後にいやなものを見てしまった、という気持ちになった。


11時56分、三石森林公園入口に到着。


下った時とは異なる別の道を上る。


こちらは上り口に東屋などもある。


最後は二手に分かれて上ることに。


12時4分、三石森林公園「もりの小屋」に到着した。


別の道を上ったもう一組もほぼ同時にゴールだ!
『今日は暑い中、大変お疲れさまでしたぁ』


この日は、台風8号の影響で、普通であれば前日にも中止の連絡がなされるところだったが、
ぎりぎりまで様子を見て決行(中止ではない)が決まったことから、特に何の連絡もなされなかった。
そのためか、参加者は10名に留まった。
しかし、心配された雨には全く降られず、梅雨の晴れ間のウォーキングを楽しめ、良い汗をかいた。
帰宅してシャワーを浴びた後の、冷たいビールが殊の外美味かったことを記しておきたい。


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