ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

旧東海道を歩く 第Ⅰステージ第6回 藤沢宿から茅ヶ崎宿

2014年06月29日 | ウマさんの「旧東海道」を歩く
2014年6月29日(日)


当初予定の6月22日が雨で順延となり、1週間後のこの日第六回目(藤沢宿~茅ケ崎宿)約10Kmを歩いた。

常磐線荒川沖駅で電車を待っているところ。
茨城県南部ではこの時間もまだ雨は降っているが、湘南方面は”午前中は曇りで後に晴れる”
という予報を信じての決行である。
『天気予報を信じるしかないねっ』


常磐線車内
この日の参加者は9名、1週間順延したことが響いたのか、若干少ない。


東京駅から8時15分発の東海道線熱海行きに乗り込む。


東海道線車内


JR藤沢駅には定刻の9時5分に到着。
藤沢駅北口を出て、前回見落とした遊行寺へ向かう。


藤沢駅北口
前回の続き(藤沢本町)からであれば、小田急線藤沢本町まで電車を利用することになるが、
藤沢宿の見どころの一つである遊行寺や遊行寺橋を見落としていることから、
JR藤沢駅から約1.2Kmほどの遊行寺へ、直接歩いて向かうことにした。


藤沢駅前の市街地を進む。
少し前まで雨が降っていたのか路面が濡れていた。
しかし、予報どおり晴れ間が広がってきた。
『晴れてきて良かったねぇ』


国道467号線を藤沢橋交差点へ。
JR藤沢駅から小田急線藤沢本町駅辺りまでの国道467号(旧藤沢宿)は、
電柱が撤去されており、すっきりとしている。


道路沿いに設置された東電の分電盤?に藤沢宿の浮世絵などが描かれている。


9時21分、藤沢橋交差点に到着。


藤沢橋から遊行寺橋を望む。
赤い欄干が印象的である。


県道30号を前回見落とした遊行寺へ向かう。


遊行寺入口に到着。
(正門は別のところにあることは後で知った)


遊行寺(ゆぎょうじ)本堂
清浄光寺(しょうじょうこうじ)が正式な寺名だが、
遊行上人の寺ということから、広く一般には遊行寺と呼ばれている。


遊行寺本堂
鎌倉時代後期、正中二年(1325)四代呑海上人(どんかいしょうにん)によって開かれ、
「藤沢道場」といわれ、時宗総本山となっている。
戦国期には焼失し、江戸時代になって時宗総本山となった。


本堂には遊行寺の御本尊、黄金色にかがやく阿弥陀如来が鎮座している。


遊行寺境内のシンボルの大銀杏
境内最大の巨木は、藤沢市内で最も太い木でもある。
『いやぁ 本当に凄いなぁ』 率直な感想である。


かつては樹高は31mあったが、昭和五十七年(1982)8月の台風で地上6m辺りで幹が折れてしまった。
平成20年現在の樹高は21m、幹回り7.1m。
推定樹齢は650年~700年としているが、正確なところは不明とされている。


寺務所の中雀門(ちゅうじゃくもん
安政年間(1854~1860)に建造された。
清浄光寺は創建以来たびたび火災にあっているが、この中雀門は明治十三年(1880)の大火の際にも焼失を免れた。
現在、境内で一番古い建物となっている。
普段は閉じられているが、春と秋の開山忌や正月などには開門される、とのこと。


もう一つの冠木門から寺務所内へ入ってみる。


寺務所の冠木門を入ったところに蓮が植えられた甕が置かれていた。
大輪の蓮の花が今にも咲きそうな状態だ。


こちらは寺務所の玄関にあった蓮の花。


宝生池(ほうじょういけ
案内には以下のように記述されている。
この池は一名「宝生の池」とも称し、江戸幕府の記録である「徳川実紀」(元禄七年十月)の日記によれば、
 金魚・銀魚等を放生せんと思わば、清浄光寺(遊行寺)道場の池へと命され、
 かつ放生の際は、その員数をしるし、目付へ届出づべし
古来より由緒あるこの池に金魚、鯉等を放生すれば、その功徳により家内の繁栄は勿論のこと
長寿を保つとされている。


遊行寺から遊行寺橋へ向かう。


遊行寺正門
寺務所の門と同じ造り(冠木門)になっている。
こちらには正式名称の清浄光寺と書かれていた。


遊行寺正門から数百m行くと、境川に架かる遊行寺橋があった。
歌川広重の浮世絵で知られる藤沢宿の風景にある橋ということだ。


前回は、県道30号線の藤沢橋を渡ったことで、少し気になっていたので、
今回本来の旧東海道である遊行寺橋を渡れて、気持ちがすっきりした。


藤沢宿を進む。


古い蔵などが当時を偲ばせてくれる。


藤沢宿の本陣跡
現在はラーメン屋となっている。
かつてはこの辺りに徳川三代の将軍、家康・秀忠・家光の専用旅館であった藤沢御殿があった。
藤沢御殿は、広大な敷地を占め、二重の土手に囲まれた要害だった、と云われている。


碑には蒔田本陣跡と書かれている。


常行寺
前回も立ち寄ったが、見どころの一つであるカヤの古木を見落としていたので、
今回もう一度立寄ることにした。


常行寺の門をくぐると2本のけやきの大木が迎えてくれる。
このけやきもなかなか立派である。


本堂の左手に目指していたカヤ(栢)の大木があった。
樹高25m、胸高周囲5m、推定樹齢300年の堂々とした木である。
幹が真直ぐに伸びており、樹勢も旺盛なようだ。
周辺の樹林を含めて藤沢市の天然記念物に指定されている、とのこと。


常行寺の門前で一休みしていこう。
めいめい持参したお菓子や果物を分け合う。
『ご馳走さまぁ』


『この枇杷甘くて美味しいねぇ』
Oさん宅で採れたという枇杷に舌鼓を打つ。


旧東海道藤沢宿を進む。


伊勢山橋を通過。
橋の下は川ではなく、小田急線が走っている。


伊勢山橋を渡ると直ぐ左手に真源寺(しんげんじ)がある。
本堂右手には時宗遊行上人の無縁塔が、また相模国準四国八十八個所の弘法大師像が安置されている。


真源寺の向かい側に上方見付跡の碑があった。
この辺りが藤沢宿の上方側の外れだったということだろう。


粋な名前のラーメン店があった。
街道に相応しい名ではあるまいか。


引地川


引地橋を通過
少しばかり風はあるが、かなり暑くなってきた。
『日傘持ってくればよかったぁ』


10時38分、引地山養命寺に到着。


『仏様にお参りしていきましょうっ』


金色に輝く仏像は、御本尊の薬師如来ではなさそう。
国の重要文化財に指定されている御本尊は、普段は公開されていないが、
12年に一度寅年に公開される、とある。
そういえば今年は午であった。


金色の仏像の両脇には十二神将?などの仏像が並んでいる。


境内の一角には庚申塔などの石造物が残っている。


メルシャンワイン藤沢工場を通過。
そういえば微かにではあるが、ワインの香りが漂ってきた。


メルシャン藤沢工場の正門前を通過。
『工場見学して(ワインを飲んで)みたいねっ』
Webで調べたが、あいにく藤沢工場では見学はやっていないようだ。


旧東海道を進む。
県道43号線城南4丁目付近


『こういう時はうちわが良いよねっ』
うちわを持って来なかったのをちょっぴり後悔した。


県道43号線の四ツ谷バス停を通過
間もなく国道1号線との合流地点だ。


県道43号線と国道1号線の合流地点
東海道と大山道の分岐点で四ツ谷と云い、かつては立場茶屋があった。
『この辺に大山道の道標がある筈なんだけどねぇ』 と探していると・・・


大山道道標(四谷不動)は道路の反対側にあった。
道標には”大山みち”と彫られている。
道標の隣に四谷不動がある。中には石造の不動明王が安置されている、そうだ。
あいにく近くに横断歩道は見当たらない。
国道1号線は交通量も多く、簡単には渡れそうにないので、カメラに納めるだけにした。


旧東海道はしばらく国道1号線を歩くことになる。
国道1号線は交通量が多く、渋滞している。


一里塚跡の碑が立てられていた。
江戸日本橋から13里の辻堂一里塚と思われれるが、塚のようなものは見当たらない。
これも道路の反対側なので、写真に納めるだけにした。


辻堂一里塚を過ぎた辺りから道の両側ところどころに松並木が目立ち始めた。
茅ヶ崎まで4Km辺りを通過。


旧東海道(国道1号線)は茅ヶ崎市に入った。
松並木が続き、旧東海道を感じさせてくれる。


小和田付近を通過。


旧東海道国道1号線の道路脇で休憩。
水分を補給していこう。
『昼飯は茅ヶ崎市内に到着してからだねっ』


時計は11時30分を回ったところ、昼食が気になる時間ではある。
道路沿いの食べ物店が目に付き(気になり)だした。
焼肉店


牛丼店
JR茅ヶ崎駅まで我慢することにしよう。


11時38分、千手院に到着。


本尊の千手観音が有名とのこと。
浜降祭では御輿が境内を練り清める祭事も行われる、そうだ。
浜降祭とは、茅ケ崎市、寒川町の神社の神輿三十数基が西浜海岸に集まり、みそぎを行う。
神輿を担いだ担ぎ手が荒々しく海に入る様子は圧巻。(7月海の日)というから間もなくである。


境内には稲荷明神堂が建立されている。


稲荷明神堂で猫が気持ち良さそうに寝ていた。


稲荷明神堂の前に石像が鎮座していた。


日本橋から56Km地点を通過。


牡丹餅茶屋碑(ぼたもちちゃやひ


説明によると、藤沢宿と平塚宿の間には四谷・牡丹餅・南湖・八幡の四つの立場ができた。
牡丹餅立場はぼたもちが名物なのでそのように呼ばれていた。
また、牡丹餅立場には紀州の徳川家が江戸屋敷と国元を結んだ専用の飛脚中継所である七里役所も設けられていた。
『牡丹餅屋でもあるのかと思ったけど何にもないねぇ』


牡丹餅茶屋碑を過ぎるとまたしばらく松並木が続く。
TOTO工場前を通過。
『この会社の製品にはいろいろと世話になっているよなぁ』
各家庭に普及しているウォシュレットは圧倒的にTOTO製が多いのだ。


日本橋から57Km地点を通過


12時14分、海前寺に到着。
この日最後の訪問地となるので、立寄って行くことにした。


海前寺山門


山門前に石の仁王像が建てられている。


海前寺本堂
天正十九年(1591)の創建。
江戸初期の茅ケ崎村領主で旗本・丸毛家の菩提寺となっている。


石燈籠
淳信院殿徳川第九代将軍家重菩提の為、宝暦十一年(1761)六月十二日従五位下堀長門守藤原直寛
が奉献したものである、との説明があった。
『立派な石灯籠だわね~っ』


茅ヶ崎市街地の本村(ほんそん)辺りを通過


JR相模線を通過
『相模線は単線なんだねっ』


日本橋から58Km地点を通過


平成の一里塚
かつてこの辺りに、現存する一里塚の向かい側にもう一つの塚があったが、
昭和に入って道路の拡張に伴い、取り除かれてしまった、とのこと。


しかし、平成22年に歩道整備工事の一環として、南側の史蹟「一里塚」とともに、
「平成の一里塚」として整備した、ものだそうである。
『昔はここにも一里塚があったんだねっ』


茅ヶ崎駅へ通じる交差点も”一里塚”となっている。


一里塚交差点を渡ったところに「茅ヶ崎一里塚」が現存していた。
江戸日本橋から14番目の一里塚である。


茅ヶ崎駅への通りも「一里塚通り」となっている。
江戸時代にこの一里塚が出来たことから、この辺りの地名となったのだろう。


一里塚通りを茅ヶ崎駅へ向かう。


12時45分、この日のゴール茅ヶ崎駅前に到着。
駅前のビルに中華料理店があったので、昼食を摂ることにした。


『かんぱ~いっ!』
『今日は暑い中、大変お疲れさま~っ』


『やっぱ暑いときのビールは美味いねぇ』
『歩き終わった後のこれが楽しみで参加しているようなもんだよねっ』


この日のゴール茅ヶ崎駅へ向かう。


13時43分、茅ヶ崎駅に到着
『今日は大変お疲れ様でしたぁ』


旧東海道歩きの一応の終点は三島宿までとしているので、今回でほぼ半分近くは歩いたことになる。
この日は家を出る時は雨が降っており、一抹の不安はあったが、湘南は予報どおり晴れとなってほっとしている。
何とか予定どおりスケジュールはこなせているのは、幸運も味方をしてくれているからだろう。
これから一段と厳しい暑さを迎える時期になるが、無事箱根関所を越え、元気に三島宿まで歩きたい。


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ランチに舌鼓 岩間館岸山ハイキング

2014年06月27日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年6月27日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第12回(2014年第22回)、「岩間館岸山周遊」ウォーキングに参加した。
当会としては4度目となるそうだが、自身は2011年7月1日以来2度目である。
実は昨年度(2013年:平成25年10月)にも企画していたが、台風で中止になったことから、
リベンジとして今年も再度企画し、今回無事実施の運びとなった。

この日のコースマップ
フラワーヒル花園第二駐車場を出発して、前回とは逆方向の反時計回りで館岸山を一周する。
泉蔵院のカヤの大木は見どころの一つだろう。
泉蔵院のからは尾根を館岸山山頂へ向かい、館岸城址を経て西寺地区へ下る。
最後に安国寺へ参拝して、フラワーヒル花園に戻るという全長約7Kmのコースである。


第一集合場所の土浦市民会館に集まったのは13名。
近場のコースにしてはちょっと少ない感じである。


第二集合場所のフラワーヒル花園駐車場に到着
直行した3名と合せ、この日は16名の参加となった。
館岸山は標高256mで、標高差200mほどのコースなのでそれほどきつくはない、と思う。
しかし、山と聞いて敬遠された人が多いのかもしれない。


全員がフラワーヒル花園のランチを食することを確認し、フラワーヒル花園に注文した。


駐車場に戻って、早速いつもの準備体操だ。
『今日は青空が見えないねぇ』
ここフラワーヒル花園に向かう途中、雨粒がフロントガラスを濡らしたこともあり、雨の心配は拭えない。


準備体操
『足を精一杯開いてぇ アキレス腱伸ばし~っ』


10時4分、出発!
この日はこれまで何度か企画し、コースを知り尽くしている会長が先頭を務める。
いつものOさんはしんがりを務める。


後を追う形の女性陣だ。
『会長、足が速いわねぇ』


最初の目的地泉蔵院へ向かう。


東組集落ののどかな道を進む。


次第に緩やかな坂道になってきた。
と同時に汗が中に首筋に泉蔵院滲んできた。


10時11分、泉蔵院の入口に到着
泉蔵院には山門などは見当たらない。
真言宗豊山派大日如来泉蔵院と書かれた石門を通って境内に入る。


軒下に大日如来と書かれているところを見ると御本尊は大日如来なのだろう。
中には大日如来像が安置されているのだろうか?
一度拝顔してみたいものである。


泉蔵院本堂?は、東組集落の公民館を兼ねた、およそお寺らしくない建物である。
玄関口に泉蔵院の看板がなければ寺とは気が付かない。


泉蔵院での見どころとしては、カヤの古木だろう。
カヤ(榧) は、イチイ科カヤ属の常緑針葉樹だ。


幹周り4.09m、樹高21m、推定樹齢400年(平成4年10月1日現在)とあることから、実際にはもう少し大きいと思われる。
笠間市(旧岩間町)の保存樹に指定されている。


カヤの実がびっしりと木の根元に落ちていた。
Wikipediaによると、果実から取られる油は食用、灯火用に使われる、とのこと。
そのままではヤニ臭くアクが強いので数日間アク抜きしたのち煎るか、土に埋め、皮を腐らせてから蒸して食べる。
山梨県では郷土の食品として、実を粒のまま飴にねりこみ、板状に固めた「かやあめ」として、縁日などで販売される。
カヤの種子は榧実(ひじつ)として漢方に用いられるほか、
炒ったものを数十粒食べるとサナダムシの駆除に有効であると云われる、そうである。


泉蔵院本堂の裏がハイキングコースとなっている。
手作りのコーズ地図があるのが嬉しい。
フラワーヒル花園の管理人たちが自作したものだそうだ。


ハイキングコースは緩やかな階段を上ることから始まる。


しばらくは緩い坂道が続く。


尾根らしい場所に出ると、檜の林が広がる。
泉蔵院から数分も経たないうちに汗びっしょりになった。
気温は予報では25℃くらいだが、湿度がかなり高いので、蒸し暑い。
時折尾根を吹き抜ける風に一瞬の涼を感じる。


檜の林から愛宕山(305m)が垣間見えた。


泉蔵院から15分ほどのところで最初の休憩をとる。


『お茶が美味いっ!』


回りは檜から濃い緑の篠藪に変った。
道はほぼ平坦だ。


この時期(梅雨)はきのこにとっては最も成長する時期でもある。
日頃あまり見掛けないきのこ(タマゴタケ)が突然顔を出す。
タマゴタケは、見た目は毒キノコのようだが、実は食べられる美味しい食用きのこ、だそうだ。
外見の特徴が毒キノコのベニテングタケにやや似ている為、誤食への注意が必要、とのこと。


これは何と言うきのこだろう?
食べられるのだろうか?


”檜並木を(館岸)城址口へ500m”の道標に従って進む。


尾根道の右側にちらりと見えるのは採石(砂)場だ。
大型トラックが走ったり、石(砂)を積み込んでいるような音が絶え間なく谷間に響き渡る。


篠竹と雑草が生い茂っている坂道を進む。


山イチゴが生っていたので、一粒食べてみた。
甘酸っぱかった。


11時1分、北山と館岸山の分岐点に到着した。


分岐点で2度目の休憩だ。


『甘くないけど、漬物なんかどうっ?』
何と! たくあんの差し入れとは珍しい。
『いっただっきま~すっ』


北山の方向へは”この先危険”と書かれており、進めそうにない(もとより進む気はないが)ため、
”館岸山ハイキングコース”の案内に従って館岸山頂へ向かう。
”希望の広場””館岸城址”まで600mとある。


檜の林の中、先ずは館岸山頂へ向かう。
後半は会長に代わってOさんが先頭である。


急な上りを上る。


『今日一番きつい上りかもねっ』
(実際、この後は大した上りはなかった)


11時14分、分岐点から10分で館岸山山頂(256m)に到着した。
『あとは館岸城址を目指すだけだねっ』


館岸山では特に休憩はなしで、”波石”経由で次の目的地館岸城址へ向かう。


土塁のような小高い丘を上って館岸城址へ。


小高い丘を上りきったところに”波石”なるものがあった。
「準天然記念物」と案内板に書かれている。
『波に洗われて出来た模様のようだねっ』
『ってことは、ここが海だったってことかしら?』


「堀障子を経て土塁階段を上り”希望の広場”へ」の案内板に従って進む。


堀(濠)障子? あまり聞き慣れない言葉である。


案内板には次のように紹介されている。
地面を掘って水を通したのを堀と言う。しかし、館岸城の場合、空掘(濠)である。
土塁と土塁の間に堀(濠)を造り、空掘の底は通路としている。
土塁は敵の侵入を防ぐ防禦施設としたものであるが、堀(濠)障子とは、土塁下の堀を敵が侵入してきた時に、
堀障子の土塁に兵士が隠れて敵を迎え撃った。(攻めて来る敵を待ち受けて攻撃した)
障子は和風建築の塀障具(へいしょうぐ)の総称であるが、その防禦壁を障子にたとえ堀障子と称した。


館岸城址の案内地図があった。
この案内地図はこの後大いに役に立った。
ただ、この案内地図はここだけにしかなかったので、館岸城址の何ヵ所かにも欲しいと思った。
(あまり人が入った形跡が見られなかったり、草が生い茂っていたりで、道が分かり難い)


階段を上り、館岸城址内を”希望の広場”へ向かう。
(道は崩れかけて分かり難かった)


館岸城址の本丸跡らしき場所を進む。


”希望の広場”を目指す。
草ぼうぼうでどこが道なのか分からない中を、デジカメの先ほど撮った案内地図を見ながら進む。


”希望の広場”辺りに館岸城跡の説明板があった。
説明によると、
この地域は、むかし「小鶴の荘」と云われ、鎌倉時代初期、八田知家の四男宍戸家政の所領となって以来
宍戸氏一族の支配するところであった。
この城については、元中四年(北朝年号では嘉慶元年:1387年)難台山にたてこもった南朝軍小田五郎、
小山若犬丸らを攻めるための幕府軍に参加した。
上州北白幡一揆(群馬県日高市)の高麗義軍忠状に「朝日山御陣」と記されている城であったと考えられる。
(以下略)


昔の水場へ350mの標識があったが、コースからやや外れる。
フラワーヒル花園での昼食もあるので、立寄るのは止めにして、”希望の広場”に向かった。
参考までに、昔の水場は次のように説明されている、とのこと。
南側の谷は、累線の一部土塁がダム状に出口を遮断しており、内側に池が作られている。
池の周囲は削平され、いわゆる水の手曲輪になっている。
池を作ったのは、多人数での長期の籠城戦を想定した設計と見られる、とのこと。


”希望の広場”らしき場所には、草が生い茂っていた。
どこが道なのか全く分からない。
時折見掛ける道案内とデジカメの画面が頼りだ。


『どうやらこの辺りが”希望の広場”のようだねっ』


檜林の下山道を西寺地区(1.2Km)を目指す。


急坂の粘土質の檜林を慎重に下る。


『滑り易いので怖いゎ』
実際何人かが滑って転んでいた。自身もそのうちの一人である。


11時51分、急な山道を下ること20分、麓の西寺地区に出た。
『やっぱり林を抜けると日差しが強いわねっ』


ようやく人家が見えるところに出た。


西寺集落を進む。


道端に黄花コスモスらしき花が咲いている。


長屋門を構えた農家があちこちに見られる。
『皆さん、凄いおうちだこと』


『回りを山に囲まれて、のどかで良いところよねっ』


お~っと、安国寺の入口を50mほど行き過ぎてしまった。


50mほど戻って安国寺へ向かう。
『この道の入口に看板があったら見落とすことなかったのにねぇ』
先ほどの案内がこの場所に無かったのは、西寺集落方面から安国寺を訪問する地元以外の人は殆どいないからと思われる。
地元の人には安国寺の案内は不要なのだ。


12時5分、安国寺へ到着した。


安国寺本堂へこの日の無事を報告した。


安国寺銅鐘
いつまでも身体に響き渡る音がした。
『いやぁ なかなか良い音だねっ』


安国寺を後にして、フラワーヒル花園へ向かう。
お腹が大分空いてきたが、ランチを美味しく食べるためにはここで甘いお菓子は我慢しておこう。


のどかな田園風景の中を進む。


青々とした田んぼに愛宕山(305m)がよく似合う。


愛宕山の右手後方には難台山(553m)が見える。
『そのうち愛宕山から難台山まで歩くことにしたらどうかなっ』の声が・・・
果たして参加者はどのくらいになるのか、少々気になるところではあるが、企画してみよう、と思う。


八石集落の小路をフラワーヒル花園へ


フラワーヒル花園へ
ゴールは近い。


フラワーヒル花園へは残り150mだ。


12時36分、フラワーヒル花園に到着だ。
予定より30分近く余計にかかってしまったが、無事全員到着して一安心。


テーブルに座ってランチを待っているところ。
『お腹が空いたわねっ』


店の窓から愛宕山が見える。
まるで、一服の絵を見ているようだ。


ほどなくランチが運ばれてきた。
ケチャップスープと野菜サラダにソーセージ、パンとブルーベリージャムに果物少々、
メニューは、前回(2011年7月1日)と同じである。


食後にお好みの飲み物とデザートが付いて、\1,080円(3年前は950円)は、手頃な値段だと思う。


ランチの食事風景


『お腹が空いてるからか美味しいねぇ』
皆さん、ランチに舌鼓と言ったところである。


土産にと摘み立てのブルーベリーやジャムを買い求める人も。
自分もブルーベリージャム(480円)を買い求めた。
食後に店の前の英国式庭園を見学していくことに。


英国風庭園とフラワーヒル花園の建物がマッチしており、落ち着いた雰囲気を醸し出している。


『5月頃が一番きれいなのよね~っ』
フラワーヒル花園にはよく訪れると言うT子さん。


『いろんな花を眺めながら紅茶を飲むなんて素敵でしょうね』
機会があれば、次は5月頃を企画してみようと思う。


『そろそろ帰るとしようかっ』
と言うことで、フラワーヒル花園の庭園を後にして、駐車場に向かった。
『ご馳走さまでしたぁ』


ランチを食べ終わったことでもあり、恒例の整理体操は省略ということに。
『今日は大変お疲れさまでしたぁ』


3年振りの「館岸山ハイキング」は、逆回りのコースだったこともあり、前回見落とした館岸城址なども回れて
違った景色を味わうことができた。
ハイキング後のランチは、『美味しいっ!』と好評だった。
これは多分にお腹が空いていたことも関係しているのだと思う。


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昔懐かしい景色がいっぱい 高崎自然の森周辺

2014年06月20日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年6月20日(金)



毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第11回(2014年第21回)、「高崎自然の森周辺(茎崎)」ウォーキングに参加した。


この日のコース地図
旧茎崎町(現つくば市)にある高崎自然の森をスタートし、稲荷川に沿って小茎の八坂神社へ向かう。
茎崎橋手前を右折して森の里団地と谷田川沿いの道を通って六斗方面へ。
九万坪の愛宕山神社を経て、高崎自然の森へ戻るという全長約9Kmのコースである。
前回(2012/03/23)以来で、自身2度目となる。
前回とは逆の時計回りに歩くことにした。


第一集合場所の乙戸沼公園には17名が集まった。
定刻の9時ちょうど、第二集合場所の高崎自然の森に向けて出発。


高崎自然の森に直行したのは6名で、この日は合計23名の参加者となった。


直射日光を避け、休憩所裏の木陰で準備体操だ。


この日は何となく身体が重く感じる。
梅雨のせいだろうか?


突然、悲鳴が上がったので何事かと思ったら、尺取り虫だった。
『気持ち悪~いっ』なんて言わないで、自然の森ならではの、なんと粋なお出迎えではないだろうか。


9時37分、出発!


先ずは自然の森の中を歩く。
”野鳥の森”を抜け、”お花畑”前を通り、


”ほのぼの広場”(芝生広場)へ。
青々とした緑の芝生はゴルフコースのようだ。


アスレチック遊具に挑戦してみよう。
『きゃぁ~ 足元が揺れる~っ』
なんて言いながらもけっこう楽しそうである。


『おっとっとっと』
なかなかどうして、バランス感覚は健在だ。


体験果樹園(ブルーベリー)脇を通り、水辺の森へ向かう。
先頭を務めるOさん、いつも元気で頼もしい。


水辺の森


水辺の森
パンフレットには、初春から杜若(カキツバタ)や花菖蒲、紫陽花などが次々と開花する、と謳われているが、
既に終わってしまった感がする。


しかし、水面には可憐な睡蓮の花を見ることができる。


水辺の森を抜けると、


自然の森の外へ出ることができる。
目の前に青々とした田んぼが広がる。


『昔懐かしい風景だよなぁ』


水田では草取りらしい作業をやっていた。
最近ではこのような人出による作業はあまり見かけない。


『気持ちが癒されるコースだねぇ』


「みのり幼稚園」前を通過。


できるだけ車が通らない田んぼの脇道を進む。


つくば中央警察署茎崎地区交番前を通過
『ごくろうさんですっ』


続いて、つくば市南消防署茎崎分署前を通過


小茎地区を進み、


茎崎中学校手前の信号を右折すると・・・


10時9分、小茎地区の八坂神社に到着した。
高崎自然の森を出発して約30分が経過したところである。


八坂神社拝殿にお参りを済ませ、


境内で一休みだ。
『どうぞっ』 『ご馳走さまぁ』


八坂神社を後にして谷田川へ向かう。


紫陽花の花に見惚れながら小茎集落を進む。


『あらぁ 立派な門だことぉ』


まるで寺院か武家屋敷を思わせる立派な薬医門である。
この辺りは門の他にも大きな構えの屋敷が多い。
『凄いね~っ』 感心するばかりだ。


県道46号線を牛久沼を目指す。
前方に牛久沼が見えてきた。


茎崎大橋に到着。


茎崎大橋を左手に見ながら谷田川方面へ。


狙いはブラックバスと思われる。


右手に森の里団地の住宅が建ち並ぶ中、谷田川に沿って進む。


谷田川方面からの風を受けながら、谷田川の土手を進む。


『風が気持ち良いわねぇ』
風の影響で暑さはあまり感じない。


森の里ポンプ場横の時計台
『どっちが正しいんだろうね?』
腕時計を見ると、左側の時計と同じであった。


谷田川は、川幅は広いが、流れはなく沼か池のように見える。
実際、この辺りは牛久沼の一部となっている。
(対岸は龍ヶ崎市)


のんびりと竿を出している釣り人の姿も。
変わった傘(熱が籠らないような作り)が印象的である。
狙いはヘラブナか?


風に吹かれて谷田川を進む。
土手にはところどころに紫陽花や百合などが植えられており、季節を感じることができる。


水神宮の碑が建てられていた。鳥居などは見当たらない。
かつてこの辺りに水神宮があったということだろう。


谷田川の途中、右に曲る道路に従って進む。
谷田川を吹き抜ける風が無くなった分、暑さを感じる。
『風がないとやっぱり暑いわねっ』


『木陰があると嬉しくなっちゃうよねぇ』
『このままずっと木陰が続いてくれれば良いんだけどねぇ』
出来ればそうあって欲しいが、そうはいかない。


道祖神?


道祖神前の木陰で水分補給
皆さん、大分汗をかいている様子だ。


恒例のお茶タイムで、一息入れる。


水田に沿って農道が続く。


コースの2/3を過ぎた辺り。
残りは1/3ほどだ、頑張ろう!!


道の両側に葛などの草が生い茂っているところを歩いていると、


体長は1.5mほどの青ダイショウ(シマヘビ)を見掛けた。
蛇は一目散に茂みに姿をくらましてしまった。
この時期に蛇を見掛けるのはこの辺りでは珍しいことではないと思うが、
これも懐かしい景色の一つかもしれない。


若栗地区でUターン。
ここまで来れば、後は一本道である。


若栗の坂道を進む。


人参の花?
人参の花は初めてだし、こんなに大きくなるとは知らなかった。


お茶畑が広がる。
「第一寿茶園」と刻まれた碑が建てられている。
『こんなところにお茶畑があるんだぁ』


茶畑の前に製茶工場があった。「岡野製茶工場」の看板が。
創業大正三年 「つくば献上銘茶」の幟も見える。
『献上って凄いんじゃないっ?』


九万坪の交差点(信号無し)を通過すると、


杉林の道になり、右手には「六斗の森」が広がる。
その昔、小茎(おぐき)・六斗(ろくと)にまたがるこの地は、地元では「地蔵免」と呼ばれ、
今では使われなくなってしまった里山道があった、そうだ。


この里山道は時代とともに、農用林としても利活用されることなく、やがては道も倒木や篠竹に覆われ、
完全に藪と一体化してしまった。


そこで、つくば市では森林ボランティアの協力を得て、「高崎自然の森」と「六斗の森」を結ぶ里山道を中心に、
再生に取り組んだ結果、ウォーキングロードとして再現した、とのこと。
ウォーキングロードは、「大けやきコース」や「地蔵免コース」がある、そうだ。
次回は、「高崎自然の森」からここ「六斗の森」のウォーキングロードを歩いてみたいものである。


「六斗の森」を抜けると、前方に「高崎自然の森」の森が見えてきた。


稲荷川


稲荷川に架かる九万坪橋を渡る。


九万坪橋を渡り、そのまま真直ぐに進むと「高崎自然の森」となるが、
「高崎自然の森」入口を右に曲り、しばらく田んぼに沿って進む。


左手に「高崎自然の森」を見ながら進む。
『高崎自然の森って、かなり広いよねっ』


「高崎自然の森」の出入り口があったので、そこを入り、


”さくらの森”辺りを進む。


『体験果樹園? 朝ここを歩かなかった?』
ブルーベリーの木を見て、ようやくどの辺りに居るのかが分かった。


”芝生広場”を通り、


右手に”野鳥の森”を見ながら進むと・・・


11時40分、出発地の休憩所に到着した。


いつもの整理体操をして、


『今日は大変お疲れ様でしたぁ』


2年振りの「高崎自然の森」周辺ウォークは、前回とは逆回りだったこともあり、けっこう楽しめた。
周辺には田んぼが広がり、昔懐かしい風景を思い起こさせるコースで、気分を癒すには最適だと思う。
「六斗の森」には、「大けやきコース」や「地蔵免コース」などが整備されているとのことなので、
次回は時期を変えて、歩いてみたいものである。


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シラネアオイとコマクサに納得 野反湖・八間山登山

2014年06月18日 | ウマさんの気ままなバスハイキング
2014年6月18日(水)

常南トラベル(株)が主催する日帰りバスの旅「野反湖・八間山登山」(初級)に参加した。
常南トラベル(株)としては、野反湖・八間山登山は今回が初の企画で、今日はその最終日。

これまで同社が主催する”ハイキング”には何度も参加しているが、登山と名の付くものは初めてである。
郡馬県吾妻郡吾妻町と長野原町の境にある八間山は、初心者向けコースながら、標高1,935mだ。
登山初級ということで、ハイキング中級より難易度は上とのことだが、果たして・・・

所属する「健康ウォーキング同好会」からは、会長以下有志の7名が参加することになった。
当初8名参加を予約していたが、家族の病気が理由で、1名が不参加となった。

6時1分、定刻の15分前、荒川沖駅前に常南交通のバスがやって来た。
と思ったら、取手方面からの参加者を乗せたバスだった。
ここ荒川沖駅前で大型バスに乗り換えることになっているのだ。


10分ほど待っていると、この日お世話になる大型バスがやって来た。
取手方面からの参加者を乗せたバスから、大型バスに乗り換えているところ。
その数は凡そ20名。守谷・取手・牛久方面からの参加者が確実に増えている感がある。
『おはようございま~すっ』『今日はよろしくっ』


次の土浦駅に向かう途中、朝食が配られた。今日もホットドッグだ。
これから軽登山をするにしては、やや物足りない量ではある。
この日のホットドッグを予想して、昨日バナナを買ったのは良かったのだが、
冷蔵庫に入れたまま、朝持って来るのを忘れてしまい、ガックリ。


土浦駅で約8名、石岡ロードパークで約5名が合流し、合計39名が乗り合わせることになった。
ほぼ満席状態である。バスハイキングの人気の高さが伺える。
土浦駅から乗った仲間の一人がたまたまバナナを持参し、配ってくれたおかげで、空腹にならずに済んだ。
7時17分、友部SAで最初の休憩。


北関東道の壬生PAで昼食弁当が積み込まれ、直ぐに全員に配られた。
添乗員の説明によると、八間山登山口に到着するのは、11時30分過ぎ頃に予定している、とのこと。
登山開始から下山まで昼食時間を含めて3時間を予定しているが、少しでも時間を有効に活用するため、
登山開始前に食べておいた方が良いとのこと。
登山開始前、即ちバスの中で昼食を済ませておくようにと言うことだ。
それが、早めに弁当が配られた理由であった。


8時51分、北関東道の波志江PAで2度目の休憩。


渋川伊香保ICで高速から降り、国道17号線・同353号線を走り、最後の休憩地である道の駅「八ッ場ふるさと館」へ向かった。
途中でこの日のコースマップが配られ、添乗員からコースの説明があった。
それによると、八間山登山口から八間山(1,935m)まで片道2Km、約1時間30分の道のりとのこと。
途中の”イカ岩の頭”からは急な坂道となり、雨の場合は山頂は諦めて、引き返すようにとの再三の忠告が。
後で聞いた話だが、これまでいくつかのコースで、思わぬハプニングに見舞われたことが脳裏から離れないのだそうだ。


10時23分、道の駅「八ッ場ふるさと館」に到着。
荒川沖駅から既に約4時間が経過していた。


窓の外を見ると、周囲の山々は雲に隠れて何も見えない。
ここの景色から推察するに、八間山も同じような状況に違いない。
山頂からの眺望は望めないのは容易に想像出来る。
添乗員の言う通りにしていた方が良さそう・・・・
早くも山頂へ登るのに諦めムードが漂う。


登山口まであと1時間ほどかかる、とのことで、バスの中で昼食を済ませておくように奨められた。
あまりお腹は空いてはいなかったが、とにかく弁当は済ませておくことにしよう。
しっかりと握られたおにぎりが2個とこんにゃく・豆腐・フキの煮付け、唐揚げ・肉だんごなどで、
ボリュームも満点、味着けも良かった。
出来れば屋外で食べたかったが・・・


11時38分、ようやく八間山登山口駐車場に到着。
荒川沖駅を出発して、何と! 5時間以上が経過していた。
(渋滞らしき渋滞には遭わなかったが、正直言って時間がかかり過ぎる)
登山準備の前に、先ずは準備体操だ。


最後に深呼吸をして・・・


この頃からほんの僅かではあるが、霧雨のような雨が降り始めた。
気温は20℃を下回っており、少し肌寒い。
全員素早く雨具を着込んで、出発準備完了である。


12時1分、添乗員を先頭に、八間山目指して出発!


先ずは登山口へ向かう。


左手には野反峠休憩舎が見える。
コーヒーを始め、うどん・そばなどの軽い食事も出来るし、土産物などが売られている。


裾野に広がる野反湖は、2,000m級の山々に囲まれた山岳・湖水・湿原・草原など変化に富んだ環境にあり、
上信越高原国立公園の特別地域及び自然休養林に指定されている。


八間山登山口
八間山山頂まで2Kmと案内されている。


添乗員から「健康ウォーキングの会」会長へ、しんがりを務めて欲しいとの声がかかり、最後尾を歩くことに。
常南交通のバスハイクには。数えきれないほど参加している会長は、大方の添乗員とは顔なじみだ。
準備体操などの号令を依頼されることも度々である。
『最後にゆっくり行くことにするかっ』


八間山への登山ルートは最初はなだらかな坂道が続く。
山頂方面は深い雲に包まれており、天気が気になる。


上り始めると直ぐに登山道の両側に、満開のレンゲツツジが迎えてくれた。


足元のイワカガミも、目を楽しませてくれる。


雨は既に止んでしまっている。
『暑くなって来たねぇ』


振り返ると野反峠休憩舎が次第に小さくなっていく。
少しづつだが、確実に上っていることが実感できる。


野反湖が霞んで見える。
『天気さえ良ければなぁ』、とつくづく思う。


『雨具着てると暑いんで、脱いで行こうっ』
上着を脱ぐと、吹き渡る風が心地良い。


熊笹とレンゲツツジの中を進む。


『大分上って来たわねっ』


『これ何ていう花かしら?』
女性たちは道端の小さな花に興味があるようだ。


『ツマトリソウじゃないのっ?』
褄取草:和名の由来は、花弁の先端にしばしば淡い紅色の縁があり、その色の入り方が
鎧の威色目の一つである褄取りに似ているため。(Wikipediaより)
また、花の端が淡い紅色にふちどられることに由来する、との説もある。


少し上ると尾根に出た。


尾根の右側はご覧のような景色で雲の中である。


アカモノ(イワハゼ)


サラサドウダン


『一息入れて行くわっ お先にどうぞっ』
二人仲良く臨時の休憩である。
『お先にっ』


長い坂道を上ると、


12時32分、「イカイワの肩」に到着した。
登山開始から30分、ほぼ予定どおりである。
八間山山頂までの1/3を歩いたことになる。


「イカイワの肩」で一休み。


「イカイワの肩」から野反湖を望む。


「イカイワの肩」から駐車場を望む。
雲が幾分晴れてきて、野反峠休憩舎がはっきりと見えるようになった。


「イカイワの肩」を出発、とりあえず次の「イカ岩の頭」を目指すことになった。


「イカ岩の頭」方面を見ると次第に雲が垂れ込めて来ている。
何とか山頂へ登れると良いのだが・・・
添乗員はしきりに「イカ岩の頭」で引き返すことを奨めている。


レンゲツツジの中を進む。


とりあえず「イカ岩の頭」を目指す。


ムラサキヤシオツツジを見掛けた。


いたるところで見掛けたレンゲツツジも、標高が高くなるにつれて次第に少なくなってきた。


12時49分、「イカ岩の頭」の少し手前の小高い山に到着
小高いと言っても、瓦礫を敷き詰めたような場所である。


記念のツーショット!


先頭集団はさらに「イカ岩の頭」を目指す。


我々も後に続いた。
八間山の尾根は低木のため、見通しがすこぶる良い。


少しばかりのアップダウンはあるが、それほど厳しい上りではない。


13時5分、「イカ岩の頭」に到着。
山頂まで2/3上ってきたことになる。
ほぼ予定どおりのコース時間である。


添乗員によると、ここから先はかなり急な下りと上りがあるため、少しでも雨が降ったりすれば
滑って危険な状態になるから奨めたくない、とのこと。
山頂付近はすっぽりと雲に覆われて何も見えない状態である。
添乗員はしきりに引き返すことを奨めている。
以前、他のコースで突然雹(ひょう)に降られて、苦い経験をしたことがあると言う。
そのため、やや神経質になっている感じではある。


添乗員の説得を受け入れた他の何人かは引き返し始めた。
しかし、何名かは添乗員の意思に反して山頂に向かった。
添乗員も後を追う形となった。


我々一行は、10日ほど前に会長が足を痛めたそうで、状態が芳しくないとのことでもあり、
添乗員の懸命な説得を受け入れ、下山することにした。


『あの雲じゃ山頂に登っても景色は何も見えないわよねっ』


『引き返した方が賢明だよねっ』
自らに言い聞かせて納得させている感じだ。


『せっかくだからコマクサとシラネアオイを観て帰りたいわねっ』
添乗員の話ではシラネアオイの開花期は既に終わってしまっているとのことだったが・・・
そのまま下山してしまうのは、途中で引き返した分時間が余るので、せめてどんな場所なのか、
コマクサ・シラネアオイの群落地へ向かうことにした。


「イカイワの肩」を通過。
何と、山頂へ向かった筈の添乗員が降りてきた。
途中で雷が鳴り始めたので、ほぼ全員途中で引き返してきたとのこと。
と言うことは、結局誰も山頂には登らなかったことになる。


レンゲツツジの中を下る。


途中、コマクサとシラネアオイの群落への小路へ。


コマクサの群落地
一見何もないように見えたが、よ~く見ると・・・


コマクサがところどころに咲いていた。


『あらぁコマクサが咲いているゎぁ』
『コマクサを見ることができて嬉しいっ』
草津白根山でもコマクサを前に女性たちの歓声を聞いたことがあるが、コマクサは特別な花に感じるようだ。


小路をさらに奥へ進むと、シラネアオイの群落地があった。


『おっ、咲いてるじゃないか』


満開時期は終わったようだが、群落地の一部でシラネアオイはまだ咲いていた。
添乗員の話では既に終わってしまっているとのことだったので、何だか得をしたみたいである。


『山頂を目指していたら、シラネアオイを観る時間が取れなかったかもね』


『登らなくて却って良かったのかもしれないわねっ』


シラネアオイの群落地を一回り。


群落地に生えているダケカンバの林が美しい。


コマクサ・シラネアオイを見たことだし、ちょっと一休み。


タイミング良く豆大福餅の差し入れだ。
道の駅「八ッ場ふるさと館」で買ったという心配りが嬉しい。


野反湖を眺めながら豆たっぷりの大福餅をいただくというのもなかなか乙なものだ。
『熱~い お茶が怖いっ』


ゴールの駐車場を目指す。


登山口へ到着
『コマクサもシラネアオイも見れて良かったわねっ』


登山口から八間山を振り返る。
次に来る機会があれば、山頂を目指したいものである。


野反峠休憩舎から野反湖を望む。


野反峠休憩舎ではコマクサ(800円)が売られていた。


14時36分、バスに到着。


ビールで喉を潤すことにしよう。


『汗をかいた後は冷たいビールに限るねっ』


15時ちょっと前、予定より5分ほど早く、バスは帰路についた。
時間の都合上、この日のコースには、温泉入浴は含まれていない。
道の駅「八ッ場ふるさと館」で最初の休憩。


「下仁田ねぎの佃煮」が珍しかったので、土産に購入。


『いろんな花が見れて良かったぁ』


友部SAに到着した時には、19時を少し回っていた。
『今日は大変お疲れさまでしたぁ』


野反湖・八間山登山ということで、初の登山コースに期待と不安が入り混じった一日となった。
雨には殆ど降られなかったが、あいにくの天気で八間山山頂に登れなかったのは心残りだった。
しかし、半ば諦めていたコマクサとシラネアオイを見ることが出来たのはせめてもの救いと言える。

登山の前にバスで昼食を済ませるというのには少々驚かされた。
片道5時間以上もバスに揺られるというのは、やはり距離的に遠すぎる、と思う。
これでは、帰りの温泉入浴も省略というのも止むを得ないことであるが、
冷たいビールをもっと美味く飲むには温泉入浴は欠かせない、と思うのだが・・・
もっと近場で良いコースはないものだろうか?

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どこからでも筑波山 舟塚山古墳周辺

2014年06月13日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年5月30日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第10回(2014年第20回)、「石岡舟塚山古墳周辺」ウォーキングに参加した。


この日のコース地図
石岡舟塚山古墳駐車場を出発し、先ず府中愛宕山古墳へ。
府中愛宕山古墳からいったん引き返し、あらためて舟塚山古墳に向かう。
舟塚山古墳から筑波山の眺望を楽しんだ後は、丘を下って恋瀬川を渡る。
車の通らない恋瀬川の堤防や蓮田・田んぼに囲まれた農道を進み、常磐線踏切を横断。
その後は一般道を通り、恋瀬川に架かる愛郷橋を渡って、高浜神社へ。
高浜神社で最後の休憩をとり、舟塚山古墳駐車場に戻る、という全長約8Kmのコースである。


第一集合場所の土浦市民会館には、17名が集まった。
この日は、今月初めに梅雨入りが発表されて以来、初めて朝から青空が広がった。
ほぼ2週間ぶりの快晴である。ただ最高気温は29℃とのこと。
『お日様に当ると暑いゎよねっ』 皆さん、日陰で仲間の到着を待つ。


舟塚山古墳駐車場
直行した5名と併せ、この日の参加者は22名となった。
早速、会長の掛け声で準備体操。
『思い切り身体を捩じってぇ』


『青い空が眩しいわぁ』
『こんな青い空は久しぶりだねぇ』


準備体操も終わり、9時48分、Oさんを先頭に出発!


先ずは、府中愛宕山古墳を目指す。
府中愛宕山古墳は、県道118号を渡って舟塚山古墳の反対側にある。


県道118号からわずか50m程奥である。
『道路からこんなに近くに古墳があるんだぁ』


府中愛宕山古墳は、舟塚山古墳の北東約300mに位置する前方後円墳である。


後円部から前方部を見たところ。
霞ヶ浦に舟を乗り出す形をしているので、”出舟”と言われる。
この方角が霞ヶ浦となる。築造当初は霞ヶ浦がよく見えたことだろう。


府中愛宕山古墳
全長96.6m、後円部径57m、後円部高8.5m、前方部幅57m、前方部高7.5mの規模が確認されているとのこと。
舟塚山古墳群の中でも規模が大きく、築造年代は六世紀初め頃とされる、そうだ。
『風が気持ち良いゎねぇ』


府中愛宕山古墳からの眺望
『昨日の雨で筑波山がきれいに見えるわねっ』
『いつも見てる筑波山とはちょっと違うけど、この形も良いねぇ』


舟塚山古墳へ


駐車場まで戻り、あらためて舟塚山古墳へ向かう。


舟塚山古墳の麓の小さな鳥居をくぐり、


神社にお参りを済ませて、墳丘へ。


舟塚山古墳の後円部から筑波山を望む。
昨日の雨で空気がきれいになっている分、その姿はくっきりと美しい。
『ここから見る筑波山は余計なものがないから良いねっ』


舟塚山古墳動画


舟塚山古墳前方部へ
この古墳は、全長およそ186m、前方部幅100m、後円部径90m、前方部高10m、後円部高11mの規模を持ち、
東国第二位、県内で最大の規模を誇る、とのこと。
新治・行方・稲敷三郡を含めた地域の大豪族の墳墓とみられる、そうだ。
後方が霞ヶ浦になるため、府中愛宕山古墳の”出舟”に対し、”入舟”と呼ばれる。


舟塚山古墳前方部で一息入れる。
熱中症の予防対策として、こまめに休憩を採ることにしよう。
舟塚山古墳は、仁徳天皇陵(大阪府)やウワナベ古墳(奈良県)などに共通する特徴を持っており、
五世紀後半の築造と推定されている、とのこと。


舟塚山古墳前方部から後円部へ
『府中愛宕山古墳に比べるとかなり広いわねっ』


舟塚山古墳後円部を下る。
『天気も良くて本当に気持ちが良かったわぁ』


木陰の中を恋瀬川方面へ向かう。


恋瀬川方面へ向かう。
『林を抜けると暑いねぇ』


日差しが強い。


車が通らない田んぼの中を恋瀬川の堤防へ向かう。


この辺りの水田(全体の約1/3)は生産調整作物として、これまでの蕎麦に代えて家畜の飼料米を生産している、とのこと。
この生産調整米が鶏の餌となり、その鶏が「エサ米卵」を産卵すると言うのである。
家畜の飼料として米を生産しているとは知らなかった。


恋瀬川の平和橋を渡るため、堤防上を通って平和橋へ向かおうとしたが、草が背丈ほどに伸びていた。
多少不安はあったものの、距離はさほどないので、Oさんを先頭に数名が草むらの道に挑戦。
半数以上の人は土手の下の農道を進むことに。


背丈ほどの草の中を平和橋へ向かう。
子供の頃、こんな草むらの中を走り回っていたことを微かに想い出した。
『大したことはないよなぁ これくらいの草だったらよぉ』
先頭を行くOさんも昔のことを想い出しているのだろうか?


『蛇が出たりしないかしらっ』
後ろに続く女性たちはびくびくしながらの行進である。


恋瀬川に架かる平和橋に到着。
草むらを敬遠して堤防の下を歩いた人たちは既に到着していた。
『お疲れさまぁ』
『大変だったけど、ちょっぴり楽しかったわっ』


たった今歩いて来た土手の正面に恋瀬川サイクリングロードの看板があった。
堤防の上はきれいに舗装されていて、草も生えていない。
『サイクリングロードのスタート地点はここからだったかなぁ???』


サイクリングロードに疑問を持ちながら平和橋を渡る。


平和橋から恋瀬川霞ヶ浦方面を望む。


平和橋を渡り切ると、左手にサイクリングロードがあった。
サイクリングロードは、平和橋で左岸と右岸に分かれていたのである。


恋瀬川のサイクリングロードを進む。


堤防の上で一休み。
堤防の上を吹き抜ける風が心地良い。


筑波山が美しい。
『今日はどこからでも筑波山が見えるわねっ』
『筑波山に見られているんじゃないかしら?』


水分を補給した後、堤防から下りると、


目の前に広大な蓮根畑が広がる。


蓮根畑の中を進む。


水門を通過


水門の先を右折し、


水門に(から)流れ込む小川に沿って進む。


右手を流れる小川に沿って進む。
後ろに見えるのは水門である。


左手に時折常磐線の列車が走るのが見える。


田んぼの中を進む。


常磐線に沿って田んぼの中を進む。


一般道路に出た。


常磐線踏切を渡り、


木陰を見つけて一休み。


『気持ち良いよっ』
100円ショップで買ったと言う携帯扇風機を手にご満悦の会長


田んぼの中を進む。
前方は三村の集落か?


三村集落当りを進む。
後方に筑波山が見える。


三村集落の先を左折して、左手に筑波山を見ながら高浜神社を目指す。


石岡消防署愛郷橋出張所


トイレを借りようと思い立寄ったが、あいにく全員出払っていて誰もいなかった。
消防車がない、と言うことはどこかで火事でも発生したということだろうか?
しかし、これまでサイレンの音は全く聞えなかったが・・・


愛郷橋を渡る。


こちらの道路は既に使われていない。


右側に新しい橋を走る車が見える。
古い橋はそのうち撤去されてしまうのだろう。


11時42分、高浜神社に到着。


高浜神社本殿
萱葺きの屋根には苔が生え、歴史を感じさせる雰囲気が漂う。


高浜神社拝殿
案内板には次のように紹介されていた。
口碑(こうひ)によると、高浜の地は古代には国府の外港として栄えた。
国司は都から着任すると、当国内の大社に報告のため順拝し、また奉幣祈願をするのが習わしであった。
国司が鹿島神社に参拝するには、高浜から船で行くのが順路であったが、荒天で出航不能のときは、
高浜のなぎさにススキ・マコモ・ヨシなどの青草で刈屋(青屋)を作り、遙拝したと云われる。


高浜神社拝殿前で最後の一休みだ。
国府の人々には、筑波山のほか、もう一つ愛着を持った景観があった。
それは高浜の海であった、と紹介されていた。
また、国府の役人たちは春秋の入江の景色を楽しみ、とくに夏の夕には涼を求めて集い遊んだ、とある。
我々も一時の涼で一息入れ、


高浜神社を後にすることにした。


あとはスタート地点の駐車場を目指すのみである。


常磐線の踏切を渡り、


県道118号線を石岡方面へ。


Oさんがしんがりを務める。


12時6分、ゴールの舟塚山古墳駐車場に到着。


しんがりを務めていたOさんたちも到着し、全員ゴールイン。
30度近くになる暑いなか、熱中症にも見舞われずに全員無事歩き終わって一安心である。
『お疲れさ~んっ』


整理体操をして、


『今日は暑い中、大変お疲れ様でしたぁ』


梅雨入り後初めての晴れという好天に恵まれ、舟塚山古墳周辺を歩いた。
先週は雨の中の八方ヶ原だっただけに、梅雨の最中の貴重な一日となった。
最高気温が30度近かったにもかかわらず、最後まで全員歩き切ったことは
日頃のウォーキングの成果によるところが大きいのでは、と思っている。
これからまだまだ暑い日が続くと思われるが、暑さに負けずに頑張って歩きたいものだ。

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