ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

3月の桜見物は初 花見の名所「福岡堰」

2020年03月27日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年3月27日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第37回(2020年第11回)、「花見の名所「福岡堰」(つくばみらい市)」ウォーキングに
参加した。

この日は、当初の計画では、”城下町小幡の歴史をたどる”と称して貸切バスで群馬県甘楽町を
訪れることにしていた。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、長時間貸切バスに乗っての移動は
避けた方が良い、ということで、急遽”花見の名所”「福岡堰」を歩くことに変更した。
地球温暖化の影響で”今年の桜の開花は昨年以上に早い”、との予報もあったことから、
3月中の桜見物もいけるのではと判断した次第である。

「福岡堰の桜」見物は、2014年4月4日(金)以来、6年ぶり2度目となる。

第一集合場所の乙戸沼公園の桜もほぼ満開状態となっている。


この分では、これから訪れる福岡堰の桜も満開ではないかと期待が膨らむ。


第二集合場所の小貝川川原の駐車場に到着してみると、既に直行した人の姿が・・・
中には”さくら公園”駐車場に駐車した人も。
この時点ではどちらの駐車場もまだそれ程混んではいなかった。
結局、この日の参加者は16名となった。


この日のコースを確認し、10時3分、出発!
福岡堰とは逆の方向へ。


小貝川の根通(ねとおり)用水路沿いの桜並木を進む。


先頭を務めるのは会長のTKさんである。


しばらく桜並木を進むと、国道354号を潜る。


ちょうどこの日(27日)から31日まで予定されていた”福岡堰さくら祭り”は中止だそうだ。
『やっぱり提灯なんかがないと、何となく寂しいよねっ』


根通用水路をバックに映える桜


桜並木を進み、


北山橋を渡る。
前回2014年4月4日(金)の時とは逆周りだ。


北山橋から根通用水路沿いの桜を望む。
『やっぱり堀には桜が似合うよねっ』


北山橋を渡る。


前方に大きな欅の木と祠が見えて来た。


道祖神社である。
祠の前で一礼!


畑の真ん中にぽつんとお墓が・・・
『動物のお墓なのかしらっ?』


『これは絶対に人のお墓だよねっ?』


福岡堰さくら公園方面へ。


国道354号を跨ぐ。
(矢田部BP方面)


福岡堰さくら公園に到着した。
さくら公園駐車場には車の列が出来ていた。
『この分じゃぁ なかなか止められないよねっ』
『川原の駐車場に行けば待たないで止められるのにねっ』


福岡堰さくら公園の地図があったので、その地図を参考にして、


根通(ねとおり)用水路に架かる”なかよし橋”へ。


『この桜はソメイヨシノなのかしらっ?』


『葉っぱも少し出てるし、ソメイヨシノに比べるとちょっと白いよねっ』
『だけどきれいだねっ』


”なかよし橋”を渡り、福岡堰方面へ。


根通用水路沿いの桜並木(左)
国道354号が見える。


”なかよし橋”を渡る。


根通用水路沿いの桜並木(右)
根通用水路の先は小貝川に続いている。


根通用水路を渡り終え、福岡堰へ。


小貝川の川原に用意された駐車場にも車が増えてきた。
『さくら祭りが中止になってもけっこう車は来るんだぁ』


福岡堰へ。


福岡堰
岡堰、豊田堰とともに関東三大堰の一つに数えられる。
三大堰は全て小貝川に集まっている。


福岡堰
元和年間の新田開発に伴い、寛永二年(1625)に関東郡代伊奈忠治により、灌漑用水として
建設された堰である。
当初は山田沼堰と呼ばれ、享保七年(1722)に福岡地内(現在の北山)に改設し、福岡堰となった。
明治十九年(1886)に木造、大正十二年(1923)に鉄筋コンクリートに改築し、
小貝川の流量増大と老朽化のため、昭和46年(1971)に再度改築された。
貯水量は275万tで、現在も下流域の水田の用水源となっている。
(Wikipediaより)


福岡堰を渡る。


福岡堰から小貝川上流を望む。
『いやぁ 小貝川って意外に広いんだね~っ』


福岡堰を渡る。


福岡堰から小貝川下流を望む。
『あの橋が国道354号の福岡橋なんだよねっ』


車は一方通行となっている。
道幅が狭いので注意が必要だ。


福岡堰を渡ると、左側に小さな公園があった。


公園で一休みしていくことに。


当会恒例のお茶タイムだ。


お茶タイムの時に主に女性陣から配られるお茶菓子が男性陣の楽しみの一つとなっている。


小さな公園にも満開の桜を見ることが出来る。
『もうちょっと晴れてくれれば最高だったのにね~っ』


『ほんとに今が満開って感じだよねっ』


小貝川の土手には菜の花も・・・
『菜の花も良いわね~っ』


『ここに桜の木があれば言うことないんだけどねっ』


小貝川の堤防を下流方面へ。


『土手を歩くのってほんと気持ちが良いわよね~っ』


通行止めのようだが、人は通っても良さそうと判断し、国道354号下のトンネルに向けて進む。


国道354号下のトンネルを潜る。


トンネル下を潜り抜け、


反対側に出た。


下流の常総橋を目指して進む。


小貝川の堤防整備工事が行われていた。


さらに堤防上を進むと・・・
『これは何かのマークかしらねっ?』


ヘリポートのようだが・・・


案の定「小貝川水海道ヘリポート」とある。
この場所は、洪水時の水防活動の拠点となるヘリポートですので、洪水時には駐車をしないでください。
洪水時以外は皆さんの憩いの場所として自由に使用してください。
(将来は水海道市の多目的ヘリポートとして使用する予定です。)と書かれていた。
今は水海道市は常総市になっているのだが・・・まだ多目的ヘリポートとして使用予定?


さらに堤防を進むと、また別の大型重機が。


前方左にこれから渡ろうとする常総橋が見えてきた。
工事は常総橋の手前まで続いていた。


突然柵が現れた。
今度は簡単には通れない状態になっていた。
柵の手前で立ち往生していると、工事関係の人がやって来て、柵の鍵を開けて通してくれた。
『どうもっ お世話さまですっ』


工事関係者によると、
『ここは、人も車も通れないことになっているんですけどっ』とのこと。
『え~っ そうだったのぉ 分からなかったぁ』
あらためてよく見ると、”洪水被害を防ぐため堤防の整備工事をしています”、
また、”工事関係者以外立入禁止”とある。
国道354号側の入口?は、簡単に通れたことから、人は通れると判断してしまったのだが・・・
ここは素直に謝ることにしよう。


最後尾を歩いていた2人を待つことしばし・・・


最後の2名も無事通り抜け、


常総橋方面へ。


小貝川に架かる常総橋を渡る。


常総橋から見た小貝川


常総橋を渡る。


常総橋を渡り終えて進んで行くと・・・


こちらの川原の駐車場にもたくさんの車が止められていた。
全て桜見物の車と思われる。


11時12分、福岡堰桜並木の折り返し点に到着した。


そこには”茨城百景福岡堰”の碑が建てられていた。


谷和原北部地区の水環境整備事業の完成イメージ図
”水と緑をまもり、生態系にも配慮した事業を進めています” と記されている。
完成は今から何年後になるのだろう?


根通用水路に沿った桜並木を進む。


根通用水路が右側を流れる。


桜並木を進む。
『今日来れて良かったよね~っ』


根通用水路


カヌーを楽しむ人も。


東屋で一休みしている親子連れ。


”福岡堰桜まつり”は中止になっているが、桜見物に訪れている人はけっこう多い。


『3月中に満開の桜を見られるなんて、初めてじゃないっ?』
自分もそのような記憶はない。


桜見物の人の流れが絶えない。


『この分じゃまだまだ人は増えそうだねっ』


再び北山橋を通過すると・・・


直ぐに国道354号である。


国道354号の下を潜ると・・・


少しだけ広い場所があった。
”福岡堰桜まつり”が中止にならなければ、この場所には今頃は露店が軒を連ねている筈である。


11時42分、ゴール!
”さくら公園”駐車場に駐車した人もいることだし、”なかよし橋”手前をゴールとしよう。
『お疲れさま~っ』


この日は令和初年度(2019年度)の最終回だったことから、会長のTKさんから労いの挨拶があった。
会長の挨拶に耳を傾ける皆さん。


今後の予定などを説明後、次回のコース地図を配布し、ここで解散することに。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『気をつけて帰りましょうねっ!』


新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、貸切バスでの群馬県甘楽町の、”城下町小幡の歴史をたどる”
と称する企画が中止となり、急遽代替措置として”花見の名所”「福岡堰」を歩くことに変更したが、
3月末にも関わらず、福岡堰の満開の桜並木を歩けたのは実に幸運だった。
これまで、”桜見物は4月”というのが常識だったが、見直さなければならないと
強く感じた次第である。

この日の万歩計は、9,000歩を計測していた。

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りんりんロード(土浦~筑波20Km)を歩く

2020年03月25日 | ウマさんの気ままなウォーキング
2020年3月25日(水)

このところ、あまり長い距離は歩いていないので、久し振りに「りんりんロード」(土浦~岩瀬)を
歩いてみようと突然思いたった。
「りんりんロード」(土浦~岩瀬)を歩くのは、今から10年半前の平成21年(2009)9月16日(水)
以来となる。
ただ、いきなり土浦~岩瀬までの40Kmを歩くのは体力的にも自信がないので、この日は土浦~筑波
までの20Kmを歩くことにした。
この日早朝、荒川沖駅までかみさんに送ってもらい、駅前のコンビニで朝食のおにぎりと豚まんなどを買い、
6時53分発の下り電車で出発地の土浦駅へ向かった。

定刻の6時59分、土浦駅に到着し、「りんりんロード」スタート地点の西口へ。
駅前は通勤前のためか、閑散としていた。
中高生や学生が春休みということもあるのだろう。


土浦市立図書(アルカス土浦)前を通り、「りんりんロード」スタート地点へ向かう。


市立図書館前を真直ぐに進むと突当りは三叉路になっている。


7時9分、突当りの三叉路に到着した。
(この時刻が事実上のスタート時刻ともいえる)
「りんりんロード」は、この突当りを右に曲がれば良かったのだが、何も案内表示が
見当たらなかった(土浦~岩瀬までの「りんりんロード」を示す大まかな地図はあったが)ため、
常磐線とは離れる方向へ進んでしまった。
概略は分かるので、何とかなるだろう。後は、感を頼りに進むことになる。
この突当りには「りんりんロード」のスタート地点を示す詳細な道順を示す何らかの
案内標識が欲しいものである。


しばらく市街地を進むと、
7時14分、県道263号の交差点に出た。
ホテルマロウド、土浦郵便局などの建物が見える。
ここまで来れば、あとは国体道路を土浦郵便局方面へ進むだけだ。


交差点を渡ると、「りんりんロード」0.3Kmの案内標識があった。


国体道路を少し進んで、土浦市の桜の名所となっている新川を渡り、


直ぐに左に折れると、「りんりんロード」の案内標識があった。


本来の「りんりんロード」とは異なる道を来てしまったが、これで安心して「りんりんロード」を
歩くことが出来る。
時計は7時22分を差していた。


「りんりんロード」の両側には桜の並木が続いている。
間もなく満開を迎える状態だ。


コンビニで買った朝食代わりの豚まんを頬張りながら進む。


7時26分、土浦から1Kmの地点を通過。
本来のスタート地点は7時9分に出発しているので、ここまで信号待ちなどで17分ほど要したことになる。


むしかけ休憩所2.2Km、ふじさわ休憩所6.0Kmの標識を通過。


国道125号を横断し、


「りんりんロード」を進む。
「りんりんロード」は整備し直されたばかりの状態で以前より広くて歩き易い。


豚まんの次は、おにぎり(辛子明太子)だ。


7時39分、土浦から2Km地点を通過。
この1Kmは13分かかったことになる。まあ順調なペースだと思う。


前方に土浦BPが見えて来た。
後方に見える筑波山の姿が・・・見慣れた姿だがいつも美しいと感じる。


7時53分、土浦から3Km地点、続けて土浦BPを潜る。


8時ちょうど、旧虫掛駅跡(虫掛休憩所)に到着。


”つくばりんりんロード 旧虫掛駅跡地”の碑が建てられている。


藤沢休憩所まで3.7Km、土浦終点まで3.7Kmとある。
土浦と藤沢のちょうど真ん中にあたる地点だ。


8時6分、土浦から4Km地点を通過。
スタートしたのが7時9分なので、時速約4Kmということになる。
時速約5Kmくらいと予想していたので、かなり遅いペースである。
10年半前に歩いた時の速さには及ばない。
10年という時の流れを感じざるを得ない。


前方に見えるのは、常磐高速道だ。


常磐高速道を潜ると、桜並木が続いていた。
ここの桜はまだ一分~二分咲といった感じである。


8時19分、土浦から5Km地点を通過。


「りんりんロード」の脇に、「GREEN GATE」SAKATA ENGEI CYCLE-STATIONと書かれた建物が。
サイクリングを楽しむ人達のための”おもてなし場所”のようだ。


前方に小田山(宝篋山)が見えて来た。
山頂(461m)のパラボラ鉄塔が見える。


8時32分、土浦から6Km地点を通過。


小町の館方面への案内標識を通過。


8時45分、土浦から7Km地点を通過。
間もなく藤沢休憩所だ。


8時47分、旧藤沢駅跡に到着。


旧藤沢駅跡(藤沢休憩所)で、水分補給のため一休みし、


またしばらく進むと、


9時3分、土浦から8Km地点を通過。


土浦から8Kmを過ぎた辺り(高岡)に、写真のようなステンレス製の円柱が建てられていた。


1Kmほどの間に複数の円柱(比較基線場)が直線上に設置されている。


このステンレレス製ピラーは、測量機器の性能を点検するための比較基線場の施設です。
このような施設は、桜川土浦自転車道に沿って、土浦市高岡付近、つくば市国松付近、
そして国土地理院構内に設置されています。
各ピラーの間の距離は、高い精度で決められており、ピラー上部に測量機器を設置し、
測定した結果と決められた値を比較して、点検しています。
ここで点検できる測量機器は、距離を測る測距儀、GPS衛星等からの電波を利用する
GNSS測量機などです。
国土交通省 国土地理院


小田山(宝篋山)がはっきりと見えるようになった。


9時17分、土浦から9Km地点を通過。


9時24分、旧田土部(たどべ)駅跡を通過


田土部の堰2.0Kmの案内標識
田土部の堰は、桜川にある堰で、県道200号藤沢豊里線の桜橋の上流にある。
江戸時代、土俵を積み上げて取水したことに始まる。
現在の堰は、昭和34年(1959)に災害復旧事業で建設されたもの、とのこと。
今は土浦の釣りスポットとして人気があるそうだ。


県道200号を潜ると、右手に宝篋山が。
山頂の鉄塔がはっきりと見える。


9時31分、土浦から10Km地点を通過。


ほぼ同時刻、土浦市からつくば市に入った。


「りんりんロード」は通行止、立入禁止となっていた。
工事中のようだが人の姿はどこにも見当たらない。


そのまま「りんりんロード」を進もうかとも思ったが、直ぐ横に舗装された道路があったので、そこを進む。


右手を見ると、国道125号が直ぐ近くを走っている。


通行禁止区間が終わり、再び「りんりんロード」を進む。


9時44分、土浦から11Km地点を通過。


宝篋山と筑波山の両方を眺めながら進む。
心地よく吹く風が気持ち良い。


県道53号を潜る。


県道53号の先は再び通行止め区間になっていた。


「りんりんロード」横の迂回路を進む。


右手には宝篋山が迫ってきた。
山頂のパラボラ鉄塔がはっきりと見える。


10時ちょうど、土浦から12Km地点を通過。


迂回路から「りんりんロード」に戻って進む。
前方は小田城本丸跡に復元された土塁である。
小田城跡は、400年以上前の鎌倉から戦国時代にかけて、常陸国(現在の茨城県)南部に
勢力をもっていた小田氏の居城跡で、本丸跡を中心に復元された堀や土塁、虎口、曲輪
などを見ることができる。


かつての筑波鉄道は、小田城本丸跡のど真ん中を貫く形で走っていたのだが、
「りんりんロード」は、堀に囲まれた小田城跡を左に迂回するような形で進む。
旧曲輪跡へ渡る橋もある。


復元された小田城跡本丸跡の全景
復元された戦国時代の小田城の本丸跡は、上幅20m以上の堀跡に囲まれた、南北145m、東西130mの
方形をしていて、3か所の虎口(出入口)がある、とのこと。
後方正面に小田山(宝篋山)、左手には筑波山が望める。


小田城本丸跡を囲む土塁に沿って「りんりんロード」を進む。


右手の復元された堀跡と土塁を見ながら進むと、


五輪塔や石碑があった。
五輪塔
主に死者の供養のために建てられる石塔で、三村山極楽寺があった「尼寺入」付近から
工事に際して出土したもの。


相島虚吼句碑
「小田山の雪 小田村を明るうす」と刻まれている。


「神皇正統記起稿之地」
昭和八年(1933)に小田村青年団により建てられたもので、北畠親房が小田城で神皇正統記を
執筆したことを顕彰したもの。


10時15分、旧小田駅跡に到着


旧駅の横に建つ「小田城跡歴史ひろば」案内所では、小田氏や小田城に関する歴史の解説や
展示物を見ることができる。


小田城鐘撞堂から「小田城跡歴史ひろば」に移設された五輪塔
でかい!!


「小田城跡歴史ひろば」入口に建つ”右小田城址”と刻まれた碑


旧小田駅跡を過ぎ、両側が竹林に囲まれた「りんりんロード」を進む。


10時22分、土浦から13Km地点を通過すると、


筑波山がはっきりと見えて来た。


さらに「りんりんロード」を進む。


10時35分、土浦から14Km地点を通過。


桜並木の「りんりんロード」を進む。
この辺りの桜は、まだつぼみの状態である。


左手にJAつくばのカントリーエレベータが。
カントリーエレベータは、お米の乾燥機とサイロ(貯蔵タワー)とをエレベーターで繋いだ
新しいタイプの大型倉庫とのこと。


右手に筑波総合体育館が見える。
2020年3月20日(金)に歩いたばかりの”いにしえのつくば古道”のスタート&ゴール地点である。


10時49分、土浦から15Km地点を通過し、


国道125号を潜ると・・・


10時54分、旧北条駅跡に到着した。
ここで一息入れることにした。
プラットホームに腰を下して、水分補給だ。


ゴールの筑波駅を目指す。残りはあと5Kmほどである。
旧北条駅跡を過ぎると、桜が満開状態だった。


スーパーカスミ横を通過。


桜並木のトンネルが続く。


11時8分、土浦から16Km地点を通過


左の建物はつくば北警察署である。


国道125号と県道14号の分岐点、内町下交差点を左に見ながら進む。


桜並木が続く。


前方に筑波山がはっきりとくっきりと見えて来た。


さらに桜並木が続く。


筑波山以外の山は見えなくなり、筑波山だけになった。


11時24分、土浦から17Km地点を通過
この頃になって、足と膝が痛くなってきた。
あと残り3Km、頑張ろう!


「りんりんロード」と県道14号が最も接近する場所、


杉木バス停とある。


ゴールの旧筑波駅跡を目指す。


11時39分、土浦から18Km地点を通過
回りの景色をゆっくりと見る余裕はなくなってきた。


11時52分、土浦から19Km地点を通過
残り1Km、もう直ぐだ、頑張れっ!!


筑波山が目の前だ。


残り500m余りか?


旧筑波駅跡の石碑が迎えてくれた。
ほっとした瞬間でもある。


12時5分、旧筑波駅跡に到着した。
土浦から20Km地点を示す標識はもう少し先になるが、ここをこの日のゴールとしよう。
「りんりんロード」土浦を7時9分にスタートしたので、約5時間かかったことになる。
10年半前のときは、11時に到着したとあるので、そのときよりも1時間遅れの到着ということになる。

この後、迎えに来てくれたかみさんの運転する車でつくば市平塚の「百香亭」へ。
そこでゆっくりと昼食を摂り、帰路に就いた。

何とか土浦~筑波間の20Kmを最後まで歩き終えてホっとしている。
しかし、帰宅してから左足と右膝が痛くなり、階段の上り下りがやっとの状態になった。
痛み止めの薬を服用したが、痛みが引くまで2日ほどかかった。
足の状態は限界を向かえていたと思われる。

この日の万歩計は、32,000歩を計測していた。

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強風の中、いにしえの道「つくば道」を歩く

2020年03月20日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年3月20日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第37回(2020年第10回)、「いにしえの道(つくば道)」ウォーキングに参加した。

地元にも関わらず、この日の第一集合場所の乙戸沼公園に集まったのは5名。
予報では、この日は晴れ、予想最高気温は18度で、”絶好のウォーキング日和”であるが、
朝から風が強く、出足を挫かれた感じである。
出発地の筑波総合体育館へ行ってみると、意外にも直行者が来ていて、参加者は14名となった。
この強風下でよくぞ集まってくれたと言っても良い人数だと思う。
少々の風にも負けない、歩くのがほんとに好きな人たちなのである。


9時54分、会長のTKさんを先頭に出発!
筑波山神社を目指す。


右手に北条大池を見ながら、北条の市街地方面へ。


県道138号へ出て、北条市街地方面へ。


『梅が満開だね~っ』


さらに北条市街地方面へ進むと、


右手に八坂神社の社が見えて来た。


八坂神社


八坂神社の脇に五輪塔が建てられている。


八坂神社の別当は吉祥院であった。
この五輪塔はもとその境内にあり、明治の廃仏毀釈の際に、現在地に移されたと思われる。
五輪塔は高さ約2m、上から空輪・風輪・火輪・水輪・地輪と呼ばれ、空輪・風輪が大きく、
火輪の軒の出が小さいのが特徴。
この五輪塔の地輪上部には穴が掘られ、経筒が納められていた。
銘文から天文六年(1537)の造立と判明。
県内で造立年時が知られる二番目に古いものである。
(つくば市教育委員会)


八坂神社の少し先につくば古道の案内図があった。
日本の道百選「つくば道」 として次のように紹介されている。
筑波山は万葉の昔から神の山として仰がれてきた。
近世には江戸城の鬼門を守る祈願所なり。
歴代将軍の崇敬厚かったこの道は三代家光の時に、筑波山参詣道として開設され、
往時の信仰の道を今に伝えるものである。
この「つくば道」は、歴史を語る道として、昭和六十一年、当時の建設省により、
「日本の道百選」に選ばれた。


案内図に従って北条市街地を進む。


陽銀行の向いに建つ蔵造りの古そうな家


さらに直ぐ先に蔵造りの宮本家があった。
江戸時代末期に建てられたという敷地内の建物は、8棟全てが国の登録有形文化財になっている、という。
商家として栄えた宮本家住宅の「店蔵」と、米蔵だった「宮清大蔵コンサートホール」が見学できる、とのこと。


10時12分、筑波山神社への参詣道の起点「つくば道」の道標に到着。
「つくば道」道標は、筑波山神社まで一里(約4Km)の北条仲町に建てられている。


「つくば道」は、寛永三年(1626)に、3代将軍徳川家光が中禅寺(現筑波山神社)の
堂社を一新する工事に取りかかった際、整備された資材運搬用の道である。
道が開通すると、江戸方面から多くの人々がこの道を通って、鬼門を守る役目があった
中禅寺(筑波山神社)に参拝するようになった。
『江戸時代はここを通って筑波山神社に参詣に行ったんだねっ』


現在の「つくば道」には、写真のような道標が随所に見られる。
神郡・普門寺1.4Km 筑波山神社4.2Kmと表示されている。


「つくば道」を筑波山神社を目指す。


つくば市立北条小学校入口を過ぎて、「つくば道」を進む。


道端には二十三夜供養塔や庚申塔などが静かに佇んでいる。


『最近じゃぁ”火の見櫓”って珍しいんじゃないっ?』


ほどなく広い道路に合流した。


ほぼ正面からの強風に耐えながら「つくば道」(県道139号)を進む。
『いやぁ 台風並みの風だね~っ』


合流地点から200mほどの所を右折し、神郡(かんごおり)方面へ。


つくば田井郵便局前を通過すると・・・


正面に筑波山が見えてきた。


10時37分、慈眼山三光院普門寺(真言宗豊山派)に到着した。
普門寺は、鎌倉時代、乗海上人が開基の真言宗の寺で、常陸国守護小田氏の祈願寺。
また、小田四箇寺(神郡普門寺・平塚大聖寺・岩田宝泉寺・加茂南円寺)の筆頭寺院だった。


参道を進むと黒門があり、


その先に修理が完了した本堂があった。


平成21年(2009)12月8日、不審火による火災で築約200年の本堂と
約1000年前に作られたとされる、御本尊の阿弥陀如来像が焼失してしまった、とのこと。
写真は、「関東ふれあいの道」(茨城県)で訪れた時(2011年12月8日(木))に撮ったもので、
この時本堂の修理が行われている最中だった。


境内には真言宗の宗祖空海の像が建てられている。


普門寺を後にして、神郡の町中を進む。


『確かこの近くにあんドーナツのお菓子屋さんがあったわよね~っ』
『まだ営業してるのかしらっ?』


あんドーナツのお菓子屋があった。桜井菓子店である。
中を覗いてみるが、誰もいないようにみえる。


なんと入口には”(本日の)「アンドーナツ」は終了いたしました”の貼り紙が。
まだ11時ちょっと前、”終了”とはちょっと早過ぎるのでは?
『今日は、彼岸の中日だから”休み”なんでしょうかねっ?』


ということにして、アンドーナツは諦めて筑波山神社を目指すことにした。


蚕影神社(こかげじんじゃ)の道標
”是より蚕影神社”と刻まれている。
蚕影神社は、日本の絹の発祥の地といわれる養蚕の神を祀る神社である。
ここから約1.5Kmほどの所になる。


『いやぁ どの家も立派な構えだよね~っ』


神郡には陣屋が置かれていた江戸時代の町並みの雰囲気が色濃く残っている。


古い町並みが残る神郡を抜けると、筑波山が正面に迫って来た。


左方面からの強風を受けながら、筑波山神社を目指す。
『筑波山の麓まで行けば風は避けれるよっ』


『五輪のマークみたいだねっ』


”TOKYO 2020”と描かれている。
果たして今年の東京オリンピック、パラリンピックは開催されるのだろうか?


筑波山麓の大きくて立派な家の前まで来たところで・・・


会長のTKさんが突然リタイヤすることに。
最近、腰や膝、さらに股関節などに痛みがあるため、今日はこの辺りまでと、決めていたらしい。
『皆さんっ、筑波山神社目指して頑張って下さいっ。 それじゃぁ また来週っ!』


『気をつけてお帰り下さいね~っ』


TKさんと分れ、残りのメンバーで筑波山神社を目指すことになった。


モクレンが美しい。
『今が一番の見頃だねっ』


TKさんと分れてから坂道となったが、次第に勾配がきつくなってきた。
筑波山神社まであと1.5Kmと案内されている。


正面に筑波山が聳える。


手打ちそば「ゐだ」前を通過。
駐車場には、県外ナンバーの車が目立つ。
あらびきのそばは太打ちで噛み応えがあり、店主こだわりの鴨汁そばが特に人気、だそうだ。
是非一度訪れてみたい。


11時34分、筑波山神社の一の鳥居を通過。


一の鳥居を通過した所からは筑波山神社の神域で、本格的な登り坂となる。
かつては石段が続いていたそうだが、昭和40年代に舗装された、とのこと。
筑波山神社まで950mとある。 もうひと踏ん張りだ。


『かなりきついわよねっ』
『この辺りに住んでる人は大変でしょうねっ』
疲れないようにゆっくりゆっくりと登る。


しばらく登ると道は二股に分かれており、右”行き止まり”と書かれた看板があった。
左は車の通行は可能だが、右は旧筑波山郵便局のある旧道になる。
旧筑波山郵便局の先は当時の石の階段が続くため車での通り抜けはできないのだ。
筑波山神社まで750mの標識がある。


右手の旧道を進むと、急な石段があった。
僅かに残された石段が、往時の雰囲気を味わわせてくれる。


石段を上ると、旧筑波山郵便局に到着した。
旧筑波山郵便局は、昭和14年(1939)に建てられた、とのこと。


昭和50年に閉局し、長らく閉ざされていたが、筑波大学の学生と地元住民によって修復され、
秋祭り開催期間限定でオープンする、そうである。


旧筑波山郵便局前で一息入れる。


『どうぞ~っ』 『ごちそうさまっ』


最後の急な石段を上ると・・・


「つくば道」と刻まれた石柱があった。
「つくば道」は、日本の道百選の一つとなっている。


県道42号に出た。横断陸橋があるがここはパスしよう。
『筑波山神社まであと一息だねっ』


県道42号を横断し、「つくば道」の向かい側の石段を上ると・・・


筑波山神社参道のホテル青木屋横に出た。
その先に筑波山神社の参道入口に当る石の鳥居が、我々一行を迎えてくれた。


御神橋
寛永十年(1633)の造立。
春(四月一日)と秋(十一月一日)の御座替祭と年越祭(二月十日・十一日)のみ
参拝客の通行が許される。


石段を上って随神門へ。


最後の力を振り絞って石段を上ると・・・


随神門に到着した。
江戸時代は仁王門。二度の火災に遭い、現在の門は文化八年(1811)の建立。
県内で最大規模の八脚楼門である。
この門を見る度に思うのだが、実に重厚で堂々とした構えである。


本殿手前から見た随神門


12時9分、本殿に到着。
この日は春分の日だからか、参拝者が多い。


行儀よく列に並んで、筑波山神社本殿へ参拝を済ませた。


本殿への参拝を済ませ、再び随神門へ。
筑波山神社の境内は、この日の北西の強風を避けられる筈だ。
ということで、随神門の周りで弁当タイムに。


弁当タイム(1)


弁当タイム(2)


弁当タイム(3)


弁当タイム(4)


弁当も食べ終わり、せっかくなので、改修されたばかりの大御堂にお参りして帰ろうということに。


13時7分、大御堂に到着。


大御堂は板東三十三観音霊場の第25番札所である。
平成21年(2009)3月2日(月)に板東三十三観音霊場巡りの”発願”で訪れているので印象深い。
しかし、本堂建て替えにより当時の面影は全くなかった。


大御堂からの見晴らしは抜群である。


先ほど通ってきた神郡辺りもよく見える。


大御堂へのお参りを済ませ、大御堂を後にする。
大御堂の本堂前の新しい石段を下って帰ろうと思っていたが、石段はまだ工事中のため、
通ることは出来なかった。
”残念”と言うしかない。


筑波山神社の参道商店街を通り、


大御堂の新しい石段前を通過。
『ほんと この石段を下ってみたかったんだよね~っ』
『もう直ぐ完成すると思うんだけどねっ』


西参道口の急勾配の石段を下り、


趣のある土塀の道を下る。
『素敵な径だわね~っ』


途中で上って来た「つくば道」に合流し、急な坂道を下って行くと、


13時33分、一の鳥居を通過。


さらに坂道を下ると、


ようやく坂道が終り、平坦な道になった。
TKさんと別れた辺りを通過。

       
神郡を目指す。
後ろからの追い風なので、楽である。


逆川(さかさがわ)を過ぎると、


神郡の町に入った。


古くて大きくて立派な家並みが続く。


田井ミュージアム前を通過


神郡の町中の道は狭い。
普通車がやっと離合できる広さである。


14時10分、普門寺に到着。


寺の前でしばしの休憩だ。
『ちょっと疲れちゃったよねっ』


『ゴールの筑波総合体育館まであと2.5Kmほどかなっ?』
『PM3時までには着きたいよねっ』


14時22分、つくば田井郵便局前を通過し、


県道139号を進む。


北条市街地方面へは曲がらずに真っ直ぐに進む。


前方に宝筐山の鉄塔が見えて来た。


14時35分、筑波幼稚園前を通過


ゴールの筑波総合体育館を目指す。


前方に平沢官衙遺跡が見えて来た。


素通りするのはもったいないので、ちょっと立寄って行くことに。


平沢官衙遺跡は、いまから千年以上前の奈良・平安時代の筑波郡の役所跡。
昭和50年(1975)の調査で、重要な遺跡であることが判明し、昭和55年(1980)に国史跡に指定された。
当時の税(稲や麻布など)を納めた郡役所の正倉(高床倉庫)を3棟復元し、古代空間を再現している。


高床板倉(いたくら)
古代の文献では、郡衙正倉はこの板倉がもっとも多くなっている。
稲などを保管した。


高床土壁双倉(つちかべならびくら)
史跡のほぼ中央にある最大級の建物の高床土壁双倉は、床面積125m²を超す大型倉庫である。


高床校倉(あぜくら)
郡衙正倉では中規模以下の倉に多い。
主に麻布などを保管した。
復元に際しては、東大寺や唐招提寺に現存する奈良時代の校倉を参考にしている、とのこと。


平沢官衙遺跡を後にして、


北条大池へ。


北条大池の周りには桜の木が植えられている。
まだ殆どの木はつぼみの状態だが・・・


中には、つぼみが膨らんで明日にでも開花宣言しても良さそうな木も。
今後しばらくは高温の日が続くと予想されていることから、この分だとあと1週間もすれば、
満開を迎えるかもしれない。


ゴールの筑波総合体育館へ。


北条大池越しに筑波山がはっきりと見える。
『ここから見る筑波山も良いわねぇ』


北条大池の土手を下り、


15時4分、ゴールの筑波総合体育館に到着した。


『いやぁ 今日はかなり歩いたよねっ』
皆さん、疲れたにも関わらず満足そうな笑顔が浮かぶ。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


強風の中、いにしえの道「つくば道」を歩き終えて一安堵。
北条大池から筑波山神社までの「つくば道」を往復したのは初めてである。
改修を終えた普門寺や大御堂にもお参り出来たのは、良かった。
ただ、大御堂本堂への石段がいまだに工事中で、歩けなかったのは、ちょっと残念ではあったが。

今年度の例会も残すところあと1回となった。
次週は、”城下町小幡の歴史をたどる”と称して、貸切バスで甘楽町へ行くことにしていたが、
新型コロナウイルスの感染拡大の影響を考慮して、バスハイクは中止とし、代わりに
桜の名所「福岡堰」(つくばみらい市)を歩くことに変更した。
3月中に桜を愛でるというのは当会では今までなかったことだが、今年の桜の開花状況を見ると、
満開の桜を観ることが出来るかもしれない、と今から期待している。
あとは晴れることを祈るばかりである。

この日の万歩計は、18,000歩を計測していた。

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ミニ遍路で御利益は? 土浦大師大聖寺

2020年03月06日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年3月6日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第35回(2020年第9回)、「大聖寺(土浦大師)・ミニ遍路巡り」ウォーキングに参加した。

この日のコースは、2012年1月20日(金)2015年1月16日(金)に続いて3回目となる。

当初は、前回・前々回同様「大聖寺・日先神社コース」と称して大聖寺にお参りの後は、
日先神社に参拝するというコース設定だったが、やや距離が長いため、大聖寺のミニ遍路を
巡るコースに変更したという次第。

第二集合場所の土浦地区六中公民館の駐車場に行って見ると、たくさんの見覚えのあるナンバーが並んでいた。


この時点では予想を超える20名が集まった。
新型コロナウイルスの感染拡大のニュースが広まるなか、15名も集まれば上出来と思っていた。
皆さん、新型コロナウイルスの予防のため、女性のほぼ全員がマスク姿である。
中には花粉症の人もいたのかもしれないが・・・


会長のTKさんより、挨拶に続いて、『今日も元気に歩きましょうっ!』の檄が飛び、


9時36分、大聖寺(だいしょうじ)を目指して出発!
先頭はいつも元気な会長のTKさんが務める。


後に続く皆さん。


9時38分、六中公民館を後にして、


右側に田んぼが広がる景色の中を進む。


『朝はちょっと寒かったけど、良い天気に恵まれたよねっ』


六中公民館を出発すると直ぐに大きな構えの家が目に入った。
『いやぁ、凄い家だよなぁ。お寺か武家屋敷みたいだよねっ』
『どんな人が住んでいるのかねぇ?』
この家の前を通る度に同じ疑問が湧くのだが、まだ答は得られていない。


田んぼの向こうに常磐線が見える。


少し進むと、左手の小高い場所に土浦第六中学校の校舎が見えた。


さらに田んぼの縁の小径を進むと、


9時55分、旧県道48号に出た。


旧県道48号を右籾集落方面へ進み、


土浦第六中学校の入口交差点(三叉路)を通過して、


三叉路の約30m先を右折すると、


右籾(みぎもみ)の集落である。


右籾集落には、大きくて立派な構えの農家が多い。
『どの家も凄く立派で大きいわよねっ』


右籾集落を抜け、新県道48号を横断し、


また、田園風景の小径を進む。


左手には谷津田の風景が広がっている。
『いやぁ 前に来た時と殆ど景色は変わっていないねぇ』
いつまでも残って欲しい景色ではある。


常磐線の線路に沿って花室川方面に進み、


常磐線のガードを潜り、


花室川に架かる塚田橋を渡る。


ちょうどその時、常磐線の特急が通過して行くところだった。
いやぁ 実にグッドタイミングではなかろうか。


塚田橋を渡り、永国東の住宅地方面へ。
『のどかで良いわね~っ』


『この道は、殆ど車が通らないみたいだから安心ねっ』


永国東の「桜の杜」団地前を進む。
『個性的な家が多いよねっ』


永国東の「桜の杜」団地を通過して進むと、


旧国道6号に突き当るが、道路下にトンネルがあるので潜って進む。
車1台がやっと通れる広さである。


続いて、新国道6号(土浦BP)下を潜る。


こちらは、広さも高さも充分だ。


新国道6号(土浦BP)下を潜って左折し、道なりに進むと、


大聖寺(土浦大師)の正面に出た。


左右からの車に注意しながら大聖寺の参道へ。


大聖寺の参道を進むと、


10時32分、大聖寺(土浦大師不動尊)の山門(羽黒山)に到着した。


山門脇で軽く一息入れて、


茅葺き屋根の四脚門を潜ると、


先ず目に入るのが、黒松の「大聖寺のカサマツ」だ。
樹高2.8m、東西6.3m、南北6.1mの円形をしていて、まるで傘を広げたようだ。
『いやぁ これはほんとに見事だねぇ』
樹齢は示されていないので定かではないが、土浦市の名木・古木に指定されている。


四脚門の先、右手には護摩堂が建てられている。
護摩堂は、四国八十八箇所巡りの結願をお参りするお堂となっているようだ。
四国八十八箇寺ミニ遍路巡りの後にあらためてお参りすることにしよう。


護摩堂の入口には”オオヒシクイ実物大石像彫刻”が。
今年(2020年)1月17日(金)オオヒシクイの飛来地である稲波干拓地区を訪れたが、
間近に実物のオオヒシクイは見てはいない。
そのため、参考のためにこの実物大の写真を撮った。
『そんなに大きくは感じないわよねっ』
『羽を広げた姿の実物大があると良かったのにねっ』
同感である。


大聖寺本堂にお参りしていこう。
今回大聖寺は初めてという人もいることから、ミニ遍路巡りをしようということに。
日先神社への参拝はパスすることにした。


本堂前でロウソクと線香に火を点し、


本堂大聖殿へお参りだ。


『どうか遍路巡りの御利益がありますようにっ!!』


ミニ遍路巡りは、大聖寺(土浦大師)の境内に祭られている四国八十八箇寺の御本尊を
順に巡るというものである。
距離にして約1,500mあるとのことなので、ゆっくり巡るとかなりの時間を要することになる。
ミニ遍路の順路を境内のところどころに配置してある地図で確認して・・・


10時50分、ミニ遍路巡りのスタートである。
先ずは四国第一番の霊山寺、本尊は釈迦如来だ。
お参りする度に『南無大師遍照金剛』と唱えるのが基本、とされている。


続いて四国第二番の極楽寺、本尊は阿弥陀如来。
(全て紹介したいが、データ量の都合上、一部は割愛させていただくことにする)


四国第四番の大日寺、本尊は大日如来。


四国第五番の地蔵寺、本尊は勝軍地蔵菩薩。


本堂大聖殿と客殿を結ぶ廊下の下を潜って本堂大聖殿の裏手へ。


廊下を潜って直ぐ右手に四国第六番の安楽寺(本尊は薬師如来)があった。


左手には、第七番の十楽寺から十二番の焼山寺が約10mほどの間隔で並んでいる。


四国第十二番の焼山寺(本尊は虚空蔵菩薩)を過ぎて径なりに右方向へ。


その先は、四国第十三番の大日寺から四国第十六番の観音寺(本尊は千手観世音菩薩)へと
続いている。


十七番の井戸寺(本尊は七仏薬師如来)辺りから大聖寺の裏門方面を見たところ。


大聖寺から花室川方面の景色がよく見える。
『いやぁ 大聖寺って見晴らしの良い所なんだねぇ』


四国第二十番鶴林寺の本尊(地蔵菩薩)に見入る。 


大聖寺裏門の手前に第二十四番の最御崎寺(ほつみさきじ)(本尊は虚空蔵菩薩)がある。


裏門の正面に立つのは第二十五番津照寺(しんしょうじ)の本尊(延命地蔵菩薩)だ。


径なりに進むと、本殿大聖殿の大屋根が見えた。


その時、突然KKさんとばったり。
これから大聖殿にお参りしようとしていた時に、KKさんから携帯に連絡があったので、
ミニ遍路巡りを始めることを説明したら、駆け付けてくれたという訳である。
KKさんの家は大聖寺の直ぐ近くらしい。
『いやぁ よく来てくれましたね~っ』
これで、この日の参加者は21名となった。


第二十九番大日寺、第三十番善楽寺(ざんらくじ)を過ぎ、お墓が建ち並ぶ中、
平和観音像方面へ進む。


撮影したり、話しに夢中になっていると、


左手に像があった。
第三十一番竹林寺(本尊は文殊菩薩)だとばかり思っていたら、六十三番吉祥寺(本尊は毘沙門天)とある。
『んっ? 三十一番はどこっ?』
とうやら径を間違えたようだ。


少し戻ると、三十一番への案内があった。
『ここを曲がれば良かったんだねっ?』


四国巡拝コースの案内をうっかりして見落としてしまったのだ。


細い径を進んで行くと・・・四国八十八箇寺の御本尊が並んでいた。


四国第三十一番竹林寺(本尊は文殊菩薩)があった。


四国第三十三番雪蹊寺(本尊は薬師如来)


林の中を進んで行くと、四国第四十番の観自在寺(本尊は薬師如来)があった。
『薬師如来が本尊のお寺が多い感じだねっ』


さらに林の中を進む。


四国第四十八番西林寺(本尊は十一面観世音)


ここは、四国第五十番繁田寺(本尊は薬師如来)辺りだろうか?


四国第五十一番石出寺(本尊は薬師如来)


続いて四国第五十五番南光坊(本尊は大通智勝仏)を過ぎると、


右手小高い丘の上に平和観音像が見えて来た。


女厄除坂(三十三階段)
お大師様が四国八十八ヶ所を開かれました。
その願いの一つは、子供十三歳の厄除け、女三十三歳の厄除け、男四十二歳の厄除けと
言われています。
八十八の数は厄除けの合計数です、とある。
女厄除け坂の三十三階段を上ると、


平和観音像の前に出た。
観音像の前には子供の厄除け坂の十三階段があった。


十三階段を上ると観音像を真下から見上げることになる。
こんなに近くから観音様を見上げるのは初めてだ。


平和観音像の前に無縁塔があった。
無縁仏が葬られているのだろう。


四国第六十九番観音寺(本尊は聖観世音)を過ぎると、


弁財天が祭られていた。


四国第七十一番弥谷寺(いやだにじ)(本尊は千手観世音)の先を左に曲がると、


その先に山門が見えた。


山門の手前に四国第七十四番の甲山寺(本尊は薬師如来)が、


山門を過ぎると四国第七十五番の善通寺(本尊は薬師如来)がある。


その先の男厄除け坂(四十二階段)を上ると、


大師堂があった。


大師堂の回りには、七十七番道隆寺(本尊は薬師如来)の他に、七十八番郷照寺、
七十九番金華山高照院の本尊が鎮座している。


大師堂の先には、四国第八十番の国分寺(十一面千手観世音)が、


茅葺き屋根の四脚門を潜って直ぐ右に、四国第八十三番の一宮寺(本尊は聖観世音)があった。


左側には大杉大明神の鳥居があり、


鳥居を潜って進むと、大杉殿が祭られていた。


大杉殿の横に四国第八十四番屋島寺(本尊は十一面千手観世音)があった。


さらに進むと、鐘楼堂があり、鐘を撞くのは自由(無料)とある。
AK子さんが鐘を撞くのを見たのは初めてである。


四国第八十六番志度寺(本尊は十一面観世音)を過ぎると、


弘法大師像が迎えてくれた。


カサマツの横に四国第八十七番長尾寺(聖観世音)が、


護摩堂へと進み、


護摩堂の直ぐ横に四国第八十八番の大窪寺(本尊は薬師如来)が鎮座していた。
大窪寺は四国八十八寺巡りの結願のお寺である。
ミニ遍路巡りの地図には、”八十八番の後、本殿大聖殿地下の胎内潜りで結願します”とあるが、
胎内潜りを希望される方は、別の機会にお願いすることにしたい。


その後、あらためて護摩堂に結願の報告を済ませた。
時計は11時38分を指していた。
スタートしてから、約50分が経過していた。
予想以上に時間が掛ったというのが率直な感想である。


一足先に結願のお参りを済ませた女性陣が一休みしていた。
『皆さん、大変お疲れさまでした~っ』


最後の結願者を待って、


全員が揃ったところで、山門へ向かう。


『いやぁ けっこう歩いた感じだよなぁ』
『これで何らかの御利益があれば最高なんだけどねっ』
皆さん、満足そうな笑顔で大聖寺を後にした。


大聖寺の山門入口まで来たところで、KKさんとはお別れである。
KKさんの家はここから5分ほどらしい。
『今日はここで失礼するよっ』
『近くて良いわね~っ』
『六中公民館まで行っちゃうと、また戻って来なくちゃいけないからねっ』


大聖寺を後にして、普通であれば、この後「日先神社」へ向かうところだが、この日は来た道を
ゴールの六中公民館へ向かうことにした。


新国道6号(土浦BP)下を潜り、続いて旧国道6号下を抜け、


来た道を永国東の「桜の杜」団地方面へ。


『ミニ四国遍路だったけど、初めてだったから思い出に残るよねっ』


永国東の「桜の杜」団地前を通り、常磐線方面へ。


前方に常磐線の特急が通過して行くのが見えた。


花室川を渡り、


花室川の堤防を六中公民館を目指した。


ここは車の一方通行となっており、川の右側は前方からの車にだけ注意すれば良いので
ある意味安全である。


後ろから車は来ないので安心でもある。


ゴールの六中公民館まで残り1.5Km辺りまで来た時、突然TSさんが座り込んでしまった。
かなり疲れた様子である。


水分や甘い菓子などを補給後、再びゴールを目指すことに。
速度もTSさんに合わせてペースを落としてゆっくりと進む。


花室川に架かる橋が見えて来た。
この橋を渡れば、ゴールの六中公民館まで残りは4-500mほどである。


前方に六中公民館が見えて来た。


右手には、土浦第六中学校が見える。


ゴールの六中公民館は目の前だ。


六中公民館入口の看板を左折し、


12時53分、六中公民館に到着した。


駐車場へ向かい、


全員が揃ったところで、


会長のTKさんから労いの挨拶があり、それぞれ帰途に就いた。
『皆さん、四国ミニ遍路巡りの御利益がありますようにっ!!』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

最後にNZ子さんから自家栽培のネギが配られた。
『皆さん、どうぞっどうぞっ』
『あらぁ 美味しそうっ』 『ご馳走さま~っ』

ネギは、この日の夕食(ネギ・キノコ・ハルサメなどの鍋)で美味しくいただいたことを報告しておく。

当初は、「大聖寺・日先神社コース」と称して大聖寺にお参りの後は、日先神社に参拝する
というコース設定だったが、やや距離が長いという声が複数寄せられたことから、
急遽日先神社へ参拝するコースはパスすることにし、代わりに大聖寺のミニ遍路コースを巡る
というコース変更を行った次第。

例会後に、初めて大聖寺へお参りしたが、ミニ遍路コースを巡れたことは、一生の思い出になった
との感想が寄せられた。
この日参加された方には、四国八十八箇寺巡りに相当するご加護・御利益があることを祈りたい。

なお、次週(3月13日)の「醤油の里野田と清水公園」は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、
中止することにした。
出発地の東武野田駅までは、通勤電車を乗り継いで行くことになるので、この時期は拙いだろう
と判断した次第。
また、1月初旬に醤油工場の見学を申し込んだ際、年末までは工事のため休館となり、
工場見学は休止するとのことだった。


この日の万歩計は、13,000歩を計測していた。
大聖寺(土浦大師)のミニ遍路巡りが予想外に歩いたという証拠だと思う。

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