2015年2月27日(金)
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第36回(2015年第7回)、「中原街道(虎ノ門から五反田)の歴史探訪」ウォーキングに参加した。
この日のコースと立寄り先は、「首都圏旧街道を歩く」(メイツ出版)を参考にした。
中原街道は、江戸に幕府を開いた徳川家康によって、海辺に沿う東海道が整備されるまで、
台地上を行くこちらの道が東海道の一部として機能していた。
東海道の整備後は、平塚中原(神奈川県平塚市)と江戸城虎ノ門口を結ぶ脇往還とされ、
江戸まで先を急ぐ旅人や農産物の運搬には、距離も短い中原街道を利用したという。
(「首都圏旧街道を歩く」)
荒川沖駅8時19分発の電車を待つ。
この日は平日だが、通勤時間帯は避けたので楽に座れた。
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上野から東京メトロ銀座線に乗り替える。
この日の参加者は16名である。
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東京メトロ銀座線車内
既に通勤時間帯は過ぎているため、銀座線でも座れた。
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10時ちょうど、虎ノ門に到着。
写真は国道1号線虎ノ門交差点
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虎ノ門は江戸城外郭門のひとつだが、外郭門は明治6年に撤去されている。
虎ノ門交差点の北東角、銀座線虎ノ門駅8番出口を出たところに、小さな虎の像を据えた碑があり、
「虎門遺跡」と刻まれている。
この日は、ここが出発点である。
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「虎門遺跡」の次は金刀比羅神社へ向かう。
金刀比羅神社は、虎ノ門交差点の斜め向かいだ。
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虎ノ門琴平タワービルの真下に、堂々とした鳥居がある。
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金刀比羅神社拝殿
万治三年(1660)に讃岐丸亀藩主の京極家が金毘羅宮(本宮)の御分霊を江戸屋敷に勧請したのが始まり。
後に現在地に遷座。江戸市民の強い要望で、毎月10日には邸内を開いて参詣を許していたという。
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この日の無事安全を祈願していこう。
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国道1号線(中原街道)をちょうど2階建オープンバスが走って行くのが見えた。
『いやぁ 眺めが良いだろうなぁ』
『一度乗ってみたいわねっ』
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中原街道を進む。
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虎の門2丁目交差点を渡る。
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虎ノ門3丁目付近。
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左へ曲ると、トンネルがあり、愛宕神社参道の案内が見えた。
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トンネルの入口に愛宕神社への参道があった。
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急な石段を上る。
『愛宕山ってそんなに高くないんだよねっ?』
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螺旋状のような急な石段を上って行くと、
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10時25分、愛宕山の山頂に到着した。
愛宕山は、標高26mで東京23区内で最も高い山とされる。
『山頂はけっこう広いんだねぇ』
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愛宕神社
慶長八年(1603)に江戸の防火の神様として、徳川家康の命によって祀られた神社。
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愛宕神社へお参り。
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愛宕山は、「桜田門外の変」で井伊直弼を討った水戸浪士が終結した地でもあり、「桜田烈士の碑」がある。
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『せっかくだから』ということで、正門の男坂から下りることにしたのだが・・・
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かつては直ぐ下が芝の海岸、その向こうには房総半島まで望めたという。
『ここを降りるのぉ』
『急過ぎないっ?』
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『怖いよねぇ』
皆さん、手摺りから手を離せない。
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全員無事に下りることができて『良かった良かった』
参道の男坂と呼ばれる86段からなる石段は、講談でも語られる「出世の石段」とのこと。
『ここを馬に跨って駆け上がったって本当かねぇ』
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トンネルをくぐって中原街道へ向かう。
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中原街道に戻り、神谷町交差点辺りを進む。
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左手に東京ワターがちらりちらりと見えて来た。
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『ビルの間から見える東京ワターもなかなか良いねぇ』
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直ぐ近くなのにビルに邪魔されて見えない東京ワター。
たまにビルの間から見えると何故か嬉しい。
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10時59分、赤羽橋交差点に到着。
麻布飯倉あたりを土器町(かわらけまち)と称し、坂道も土器坂というが、
土器職人が多数住居していたため赤埴(あかはに:赤い素焼きの土器)と呼ばれ、
これが転じて赤羽という地名になったと伝えられる、そうだ。
江戸時代初期は赤羽川(古川)の灌漑を受けた水田地帯だった、とのこと。
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赤羽橋は寛文七年(1667)に架けられた。
現在、上空には首都高速道路が走っている。
川の水は濁っていてお世辞にもきれいとは言えない。
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橋の南詰西側にかつての赤羽橋親柱が保存されていた。
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中原街道を進む。
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後ろを振り返ると東京タワーが道の中央に聳える。
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東京タワーを背に三田一丁目辺りを進む。
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左手にはNEC本社ビルが見える。
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中原街道(桜田通り)沿いに春日神社があった。
春日神社は、天徳二年(958)武蔵国国司藤原正房卿任国の折、藤原氏ならびに皇室外戚の氏神なる、
大和国春日社第三殿に祀る天児屋根命の御神霊を勧請鎮座した。
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江戸府内唯一の春日社として、徳川将軍をはじめ江戸城登城の諸大名の崇敬も厚かった。
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境内で一休み。
境内は小さくて狭いが、桜田通りの喧騒から一時的に開放され、静寂さが漂う。
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11時19分、慶応義塾大学前を通過
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国道1号線は、三田二交差点で右に曲っている。
中原街道は、三田二交差点を渡って50mほど先の三田3丁目交差点を右折する。
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三田3丁目交差点から道なりに少し進むと、緩やかな聖坂が始まる。
三田3丁目交差点からの旧中原街道は、車はあまり走っていない。
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聖坂の途中に亀塚稲荷神社があった。
亀塚稲荷神社は、この先の亀塚から出土した亀形の石を祀った小さな神社である。
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弥陀種子板碑
神社裏手に関東地方に見られる中世の弥陀信仰を記した「弥陀種子板碑」がある、とのことだが・・・
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神社の裏は、石垣に穴が開いた状態になっており、残念ながら「弥陀種子板碑」は見つけられなかった。
「弥陀種子板碑」は、板状の秩父青石に刻まれた供養塔、だそうだ。
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クウェート大使館前を通過
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さらに聖坂を進み、
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11時38分、聖坂を上りきった辺り、済海寺に到着。
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済海寺は、浄土宗の寺で、江戸三十三ヶ所観音霊場の26番札所である。
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江戸時代は月の岬と呼ばれた台地の一画で、文字通り、観月の名所だった、そうだ。
安政六年(1859)にフランス領事館、その後、公使館となり明治7年まで続いた、とのこと。
後ろの高層ビルは、三田ツインビル西館
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幽霊坂
坂の両側に寺院が並び、ものさびしい坂であるためこの名が付いたらしいが、有礼坂の説もある。
幽霊坂は、東京中に多く七か所ほどある、そうだ。
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11時48分、薬王寺に到着
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薬王寺本堂
元和七年(1621)に麻布狸穴(まみあな)に開設、寛文元年(1661)に現在の地に移転。
境内には昔から霊水とされる井戸水が湧き、江戸中期の俳人・加賀の千代がその評判を聞いて立ち寄り、
「朝顔につるべとられてもらい水」と詠んだ井戸がある。
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境内には、いくら探しても”千代の井戸”が見つからないので、本堂の横の小さな門をくぐって寺の奥へ。
案内などは何もない。
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寺の裏は墓地になっている。
この墓地のどこかに井戸があるのだろうか?
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真直ぐ進んだ突き当りの左側に
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探していた”千代の井戸”があった。
「あさがおに つるべとられて もらいみず」と詠まれている。
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次の目的地、魚藍寺(ぎょらんじ)に到着した時、時計は12時ちょうどを差していた。
魚藍寺は、浄土宗寺院で、三田山水月院と号する。
魚藍寺は、法誉上人が大分県中津市の圓應寺地中に魚藍院として元和三年(1617)創建、
寛永七年(1630)三田に移転したといわれる。
その後、法誉上人の弟子称誉上人が承応元年(1652)観音堂を創建して一寺となったといわれる。
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本堂の前に塩地蔵が鎮座しており、たくさんの食塩が供えられていた。
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塩地蔵の前に亀石(子宝石)があった。
亀に似ているので、いつという事なく亀石と呼ばれ、子供のない人が子宝を願います、と刻まれている。
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本堂
本尊の魚藍観音は、右手に魚籠(びく)を持ち、左手に羽衣を持った乙女の姿に身を変えて
仏の教えを広めた観音さま、とのことである。
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中原街道に戻り、伊皿子(いさらご)交差点を渡る。
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12時13分、大石良雄(よしたか)等自刃ノ跡碑に到着。
自刃ノ跡碑は、都営高輪アパート(旧細川藩下屋敷だった場所)前にぽつんと立っていた。
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元禄十五年(1702)12月に吉良邸討ち入りの折、大石内蔵助良雄以下17名が高輪の細川屋敷に預けられ、
翌年2月に切腹が言い渡された。
四十七志の墓がある泉岳寺は東海大学の裏に位置し、ここから直線で150mほどのところである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/a8/9e39677e606d4869431001e51901adc1.jpg)
東海大学前を通過
「お弁当」の旗が気になってしょうがない時間だが、『五反田までもう少し、頑張りましょうっ!』
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12時19分、承教寺に到着。
正安元年(1299)に開かれた日蓮宗の寺で、承応二年(1653)に現在の地に移転した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/0e/72b6eefbedc8042872791228116991d3.jpg)
表門脇には「二本榎」の碑がある。
江戸時代にこの辺り(高縄手という小高い丘陵地)に榎の大木が2本あり、旅人の目標となっていたそうである。
誰言うとなくこの榎を「二本榎」と呼ぶようになり、そのまま「二本榎」の地名となった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3e/4b8215c997dedb8be61f6af0417107de.jpg)
榎が枯れた後も、二本榎という地名は残っており、今に続いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/ba/d5dae3e495eaf8fa434e97a8215a1024.jpg)
承教寺の狛犬は変わった顔・形をしている。
ユーモラスな表情が人気、とのこと。
『こんな顔の狛犬は初めて見たよねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/d5/34cde23b76ac1919f6e74c6894d18e3e.jpg)
表門を入って進むと正面に仁王門があるが、通り抜けることは出来ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/dd/29ab1067186ad6ba62442091b3d1a909.jpg)
承教寺本堂
本堂前には英一蝶(はなぶさいっちょう)の墓がある。
英一蝶は、狩野安信に絵を、松尾芭蕉に俳諧を学んだ江戸時代の画家で、
46歳のときに将軍綱吉の放縦な生活を風刺したため、三宅島に流された、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/cc/0587233559ca0b3e178e5ae44f4a765f.jpg)
中原街道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/42/6e786ffc42a3c10880962a3b8c2ea719.jpg)
12時28分、高野山東京別院に到着。
徳川幕府が江戸に開かれた際、高野山の学侶方の在番所として浅草の日輪寺に寄留し、開創した。
その後、芝の地を下賜されたことにより、延宝元年(1673)にこの地に堂宇を建立した。
昭和2年に「高野山東京別院」と改称された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/4f/91e054396fcd5c9f157b90c23d1b2770.jpg)
合掌礼拝して境内に入ると、直ぐ右手に弘法大師の修業の像がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/f2/e0672e0924b12c1036d1e28f7fb351c5.jpg)
弘法大師の前には、四国八十八ヶ寺のご本尊が並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b0/bfadccbf72e3d15e962534caf3645049.jpg)
お百度石もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/ab/b15d9585ccdf52a1f56cd834616a2cd2.jpg)
昭和六十三年(1988)に建立された本堂。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/15/6d631664606770304a58d766da3dcd3a.jpg)
境内には、高野槇が植えられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/d4/7515217164ecf0d35b0df3248702e3d9.jpg)
高野山東京別院を後にしてこの日最後の訪問地雉子神社を目指す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/40/71670d811601cc3c0d3ec63a668cce35.jpg)
広い道路に出た。国道1号線(桜田通り)である。
五反田駅はこの道を真直ぐ(手前に)進めば良い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/ae/a228d60895e27a469d44e53adb953f07.jpg)
相生坂を進む。
ゴールが近付いたためか、皆さん足が速くなってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/b8/6a3b425c4a1ff41a5417286f063a9507.jpg)
ビルの中に神社らしきものが見えたので入って確かめてみる。
(50mほど先に雉子神社の鳥居があったのを後で知った)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/84/490824f91e74a29e01ff0c78aa812928.jpg)
神社のように見えたのは、やはり雉子神社(きじじんじゃ)だった。
古くは荏原宮といい、文明年間(1469~87)には大鳥明神、山神の社とも呼ばれた。
徳川三代将軍家光がこの地に鷹狩りに来た折、一羽の白雉が社地に飛び入ったのを、
まことにめでたく奇瑞であると、「以後、雉子宮と称すべし」との言葉を頂戴したことが社名の由来。
中原街道の拡幅工事の度に社地は狭まり、現在ではビルの1階ピロティ部分に本殿と拝殿がある。
よく見ると、本殿の大屋根(左)に雉が止っている。
『いやぁ こんなビルの中に神社があるんだねぇ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/ad/e822564534810d41e38e5b18b1eb26c1.jpg)
拝殿の脇には神輿が2基鎮座していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/65/18fd9a9c6caed665d11d4cceb2e9c62c.jpg)
雉子神社鳥居
『こっちから入れたんだねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/bd/5db1a8cfd863878d8cb1de409b2f3863.jpg)
雉子神社の鳥居の横に大きな銀杏の木がある。
雌の銀杏で、幹の回りは約4m、高さは18mあり、推定樹齢は150年から200年。
木の勢いも盛んで樹姿も整っており、品川区内の銀杏の中でも代表的な巨木だそうで、
品川区の指定天然記念物となっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/77/a2b554cd7644af1eecf1befcf5fb1dcd.jpg)
雉子神社でこの日予定していた訪問地は、全て回ったことになり、
あとは五反田駅へ向かうだけである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/2f/b8b07eae0f9d5c581d29ebfa50266d4f.jpg)
13時6分、ゴールの五反田駅に到着
この日はここで解散とし、めいめいお好みの昼食をして帰ることにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/8b/2745d1af6b64599208eaccf570621645.jpg)
駅近くの食べ物屋を探し、1軒の店へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/70/71369313b3ccba5ce7cc162a31b7c35c.jpg)
先ずは、ビールで『乾杯っ!』
『今日はお疲れさまぁ』
『これがあるから止められないんだよなっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/c0/ccfe3f3bd279c63ab7e137a90ad65962.jpg)
4人揃って鶏肉のかつ丼と蕎麦を注文。
お腹が空いていたこともあり、美味かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/1b/34d7a62998f76b48dc02dfca7fd3110d.jpg)
”首都圏の旧街道”旧中原街道(虎ノ門~五反田)を歩き、旧街道の歴史の一端に触れることが出来た。
当時とは様変わりをした街中ではあるが、残された遺跡や建物などを探しながら歩くのも楽しいものである。
機会があれば、また企画したいと思っている。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第36回(2015年第7回)、「中原街道(虎ノ門から五反田)の歴史探訪」ウォーキングに参加した。
この日のコースと立寄り先は、「首都圏旧街道を歩く」(メイツ出版)を参考にした。
中原街道は、江戸に幕府を開いた徳川家康によって、海辺に沿う東海道が整備されるまで、
台地上を行くこちらの道が東海道の一部として機能していた。
東海道の整備後は、平塚中原(神奈川県平塚市)と江戸城虎ノ門口を結ぶ脇往還とされ、
江戸まで先を急ぐ旅人や農産物の運搬には、距離も短い中原街道を利用したという。
(「首都圏旧街道を歩く」)
荒川沖駅8時19分発の電車を待つ。
この日は平日だが、通勤時間帯は避けたので楽に座れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/62/78c05a4d2300dd81300ee698487e4f04.jpg)
上野から東京メトロ銀座線に乗り替える。
この日の参加者は16名である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/46/a59ae463b999446df8556fb4e0122cf6.jpg)
東京メトロ銀座線車内
既に通勤時間帯は過ぎているため、銀座線でも座れた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/4c/fda4799f97084d42e444493ee4d7e920.jpg)
10時ちょうど、虎ノ門に到着。
写真は国道1号線虎ノ門交差点
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/3e/4ad486408a1f9c7e308d79d3f4882e29.jpg)
虎ノ門は江戸城外郭門のひとつだが、外郭門は明治6年に撤去されている。
虎ノ門交差点の北東角、銀座線虎ノ門駅8番出口を出たところに、小さな虎の像を据えた碑があり、
「虎門遺跡」と刻まれている。
この日は、ここが出発点である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/c1/6c2d174c03d09384597aa23b5fd6dc41.jpg)
「虎門遺跡」の次は金刀比羅神社へ向かう。
金刀比羅神社は、虎ノ門交差点の斜め向かいだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/a7/4661f604c891e2ebbdf5c47d48647128.jpg)
虎ノ門琴平タワービルの真下に、堂々とした鳥居がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/c9/6eb78e59f0cb9d67cc8d3d978f457da1.jpg)
金刀比羅神社拝殿
万治三年(1660)に讃岐丸亀藩主の京極家が金毘羅宮(本宮)の御分霊を江戸屋敷に勧請したのが始まり。
後に現在地に遷座。江戸市民の強い要望で、毎月10日には邸内を開いて参詣を許していたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/10/5985329da1dd93d36ee07aa0ca263cec.jpg)
この日の無事安全を祈願していこう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/56/28e5b74de6bddecaecbdf2b6d54e835e.jpg)
国道1号線(中原街道)をちょうど2階建オープンバスが走って行くのが見えた。
『いやぁ 眺めが良いだろうなぁ』
『一度乗ってみたいわねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/06/e09bc3d1e0c24b8d731bee941af7a5f0.jpg)
中原街道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1d/7243bf96e0a49d752f5bc0f297468d89.jpg)
虎の門2丁目交差点を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/e9/cd08dca1526c5306565a372233de4556.jpg)
虎ノ門3丁目付近。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/1f/c016072fbeb57a9684f681ddc76771e2.jpg)
左へ曲ると、トンネルがあり、愛宕神社参道の案内が見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/93/9ee6855df15f5e946b875b49520b9142.jpg)
トンネルの入口に愛宕神社への参道があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/b2/2e407089df6f4189963f4cb0ba4b6e9c.jpg)
急な石段を上る。
『愛宕山ってそんなに高くないんだよねっ?』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/ac/869b6b0db5f0ec2d77a7774a1e16464e.jpg)
螺旋状のような急な石段を上って行くと、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/91/bf7e9a62c384cfcd2fa64a0e0713b2f3.jpg)
10時25分、愛宕山の山頂に到着した。
愛宕山は、標高26mで東京23区内で最も高い山とされる。
『山頂はけっこう広いんだねぇ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/17/0d2b6cae727d88fce9b725ff72cb663f.jpg)
愛宕神社
慶長八年(1603)に江戸の防火の神様として、徳川家康の命によって祀られた神社。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/75/b409706338f20a76318e9f52e0d3b955.jpg)
愛宕神社へお参り。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/b9/26ec5c47d8bc84b379f3d18854d5d639.jpg)
愛宕山は、「桜田門外の変」で井伊直弼を討った水戸浪士が終結した地でもあり、「桜田烈士の碑」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/7a/4b904c46625f8aa93a9f6ef2f4e49b03.jpg)
『せっかくだから』ということで、正門の男坂から下りることにしたのだが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/0b/bd6ad1fb7164c904b96916a7103983d7.jpg)
かつては直ぐ下が芝の海岸、その向こうには房総半島まで望めたという。
『ここを降りるのぉ』
『急過ぎないっ?』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/21/01b3a7921557a0c90d902175d93f7183.jpg)
『怖いよねぇ』
皆さん、手摺りから手を離せない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/69/d62a12fafec341eea4612a82d0bd55c4.jpg)
全員無事に下りることができて『良かった良かった』
参道の男坂と呼ばれる86段からなる石段は、講談でも語られる「出世の石段」とのこと。
『ここを馬に跨って駆け上がったって本当かねぇ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/39/7a4f0289adb60ca1a8a5076ec8be97c9.jpg)
トンネルをくぐって中原街道へ向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/db/6d0d5b6c21fcc58988040c5ea930becb.jpg)
中原街道に戻り、神谷町交差点辺りを進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/13/cac2bfed84a4f747c459cc243e191bd1.jpg)
左手に東京ワターがちらりちらりと見えて来た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/3c/a9873ed957f1108690eb2a9897125c3c.jpg)
『ビルの間から見える東京ワターもなかなか良いねぇ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/9f/865e578649bce58d074534bc7b7fcb9c.jpg)
直ぐ近くなのにビルに邪魔されて見えない東京ワター。
たまにビルの間から見えると何故か嬉しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/9b/aed841e154b5d6b929f890d8f79a1e61.jpg)
10時59分、赤羽橋交差点に到着。
麻布飯倉あたりを土器町(かわらけまち)と称し、坂道も土器坂というが、
土器職人が多数住居していたため赤埴(あかはに:赤い素焼きの土器)と呼ばれ、
これが転じて赤羽という地名になったと伝えられる、そうだ。
江戸時代初期は赤羽川(古川)の灌漑を受けた水田地帯だった、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/ec/53d49479fa5529f37e7822aee2218548.jpg)
赤羽橋は寛文七年(1667)に架けられた。
現在、上空には首都高速道路が走っている。
川の水は濁っていてお世辞にもきれいとは言えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/6a/87c617a0cb3977450c4bf5a5c0dc16b9.jpg)
橋の南詰西側にかつての赤羽橋親柱が保存されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/73/a3217439252b77817d87a6821dfe2bde.jpg)
中原街道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/13/a9295328efd324ace013a31d1f78a24d.jpg)
後ろを振り返ると東京タワーが道の中央に聳える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/2e/c526db205ce023824304380a37aca92e.jpg)
東京タワーを背に三田一丁目辺りを進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a8/2ef69196ce051b3920bdc1d0f03aa25c.jpg)
左手にはNEC本社ビルが見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/64/91f8408692f91c5eb0df26472b02cc7c.jpg)
中原街道(桜田通り)沿いに春日神社があった。
春日神社は、天徳二年(958)武蔵国国司藤原正房卿任国の折、藤原氏ならびに皇室外戚の氏神なる、
大和国春日社第三殿に祀る天児屋根命の御神霊を勧請鎮座した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/06/877c9f433be31e2aa6c7cbc203949040.jpg)
江戸府内唯一の春日社として、徳川将軍をはじめ江戸城登城の諸大名の崇敬も厚かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/03/dcb701d58a9a79a0fc4d4f6c19d9fa8e.jpg)
境内で一休み。
境内は小さくて狭いが、桜田通りの喧騒から一時的に開放され、静寂さが漂う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/41/5ffbc1b373441936b030408523274ee8.jpg)
11時19分、慶応義塾大学前を通過
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/10/d501615ae55a5d555d161aa81a533810.jpg)
国道1号線は、三田二交差点で右に曲っている。
中原街道は、三田二交差点を渡って50mほど先の三田3丁目交差点を右折する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/f2/984b8dc81e1362a6656713e5b4822989.jpg)
三田3丁目交差点から道なりに少し進むと、緩やかな聖坂が始まる。
三田3丁目交差点からの旧中原街道は、車はあまり走っていない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/4f/c11d6e73716cc58e9b63dd7c723bd5bc.jpg)
聖坂の途中に亀塚稲荷神社があった。
亀塚稲荷神社は、この先の亀塚から出土した亀形の石を祀った小さな神社である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/59/c7e689fa7857af744b41a553ba3c75ee.jpg)
弥陀種子板碑
神社裏手に関東地方に見られる中世の弥陀信仰を記した「弥陀種子板碑」がある、とのことだが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/65/f0ddcdf9d259d12f11e876adc668beaa.jpg)
神社の裏は、石垣に穴が開いた状態になっており、残念ながら「弥陀種子板碑」は見つけられなかった。
「弥陀種子板碑」は、板状の秩父青石に刻まれた供養塔、だそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/d3/5fcbcc1e579f658a43d54cf7cc09926d.jpg)
クウェート大使館前を通過
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/8b/ccf9826266998d2edce5b3422c74b301.jpg)
さらに聖坂を進み、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/85/0001ccb90edef691802615833ccacc1a.jpg)
11時38分、聖坂を上りきった辺り、済海寺に到着。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/97/ac7f8b12ed698159147a7ccbd9cf29e0.jpg)
済海寺は、浄土宗の寺で、江戸三十三ヶ所観音霊場の26番札所である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/7e/18999a70c385aecc08767b8cb4c04401.jpg)
江戸時代は月の岬と呼ばれた台地の一画で、文字通り、観月の名所だった、そうだ。
安政六年(1859)にフランス領事館、その後、公使館となり明治7年まで続いた、とのこと。
後ろの高層ビルは、三田ツインビル西館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/b4/1ef19a137ed8cbecc75cab3de881e47c.jpg)
幽霊坂
坂の両側に寺院が並び、ものさびしい坂であるためこの名が付いたらしいが、有礼坂の説もある。
幽霊坂は、東京中に多く七か所ほどある、そうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/12/171b9016a528ee89c3b0427c0bf1f511.jpg)
11時48分、薬王寺に到着
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/dd/5d37cb40f5b549bcb52ce56a5524a4b1.jpg)
薬王寺本堂
元和七年(1621)に麻布狸穴(まみあな)に開設、寛文元年(1661)に現在の地に移転。
境内には昔から霊水とされる井戸水が湧き、江戸中期の俳人・加賀の千代がその評判を聞いて立ち寄り、
「朝顔につるべとられてもらい水」と詠んだ井戸がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/65/758be9bbf1c7aac8bd2b0968c41f76bc.jpg)
境内には、いくら探しても”千代の井戸”が見つからないので、本堂の横の小さな門をくぐって寺の奥へ。
案内などは何もない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/cc/e96d76683a5687b4bc488aff61f0c34c.jpg)
寺の裏は墓地になっている。
この墓地のどこかに井戸があるのだろうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/7c/3350ddeea2c1ef1e88216b49dc4ac9e2.jpg)
真直ぐ進んだ突き当りの左側に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/3b/b2a0fa46bd7bd2c81f8ec1aa2901ed22.jpg)
探していた”千代の井戸”があった。
「あさがおに つるべとられて もらいみず」と詠まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/71/107d227e1dee6e0cfa37554e980e15d5.jpg)
次の目的地、魚藍寺(ぎょらんじ)に到着した時、時計は12時ちょうどを差していた。
魚藍寺は、浄土宗寺院で、三田山水月院と号する。
魚藍寺は、法誉上人が大分県中津市の圓應寺地中に魚藍院として元和三年(1617)創建、
寛永七年(1630)三田に移転したといわれる。
その後、法誉上人の弟子称誉上人が承応元年(1652)観音堂を創建して一寺となったといわれる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/0f/3cae1613be6ca1a8854ceb924939b9a9.jpg)
本堂の前に塩地蔵が鎮座しており、たくさんの食塩が供えられていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/0c/d993685a8f60eaad783435f87850ae26.jpg)
塩地蔵の前に亀石(子宝石)があった。
亀に似ているので、いつという事なく亀石と呼ばれ、子供のない人が子宝を願います、と刻まれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/1c/0b3c866385d212320d0c17884e9ad7cb.jpg)
本堂
本尊の魚藍観音は、右手に魚籠(びく)を持ち、左手に羽衣を持った乙女の姿に身を変えて
仏の教えを広めた観音さま、とのことである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/a0/4c5d35cd7830d798805eb31eb245ab34.jpg)
中原街道に戻り、伊皿子(いさらご)交差点を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/80/587f229a2d99b64644969537ad4af1de.jpg)
12時13分、大石良雄(よしたか)等自刃ノ跡碑に到着。
自刃ノ跡碑は、都営高輪アパート(旧細川藩下屋敷だった場所)前にぽつんと立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/7a/99969e267b2b96a83d39f49f94beae76.jpg)
元禄十五年(1702)12月に吉良邸討ち入りの折、大石内蔵助良雄以下17名が高輪の細川屋敷に預けられ、
翌年2月に切腹が言い渡された。
四十七志の墓がある泉岳寺は東海大学の裏に位置し、ここから直線で150mほどのところである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/a8/9e39677e606d4869431001e51901adc1.jpg)
東海大学前を通過
「お弁当」の旗が気になってしょうがない時間だが、『五反田までもう少し、頑張りましょうっ!』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/45/0bbeb01e564e00c7067085d539b2da44.jpg)
12時19分、承教寺に到着。
正安元年(1299)に開かれた日蓮宗の寺で、承応二年(1653)に現在の地に移転した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/0e/72b6eefbedc8042872791228116991d3.jpg)
表門脇には「二本榎」の碑がある。
江戸時代にこの辺り(高縄手という小高い丘陵地)に榎の大木が2本あり、旅人の目標となっていたそうである。
誰言うとなくこの榎を「二本榎」と呼ぶようになり、そのまま「二本榎」の地名となった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/3e/4b8215c997dedb8be61f6af0417107de.jpg)
榎が枯れた後も、二本榎という地名は残っており、今に続いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/ba/d5dae3e495eaf8fa434e97a8215a1024.jpg)
承教寺の狛犬は変わった顔・形をしている。
ユーモラスな表情が人気、とのこと。
『こんな顔の狛犬は初めて見たよねっ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/d5/34cde23b76ac1919f6e74c6894d18e3e.jpg)
表門を入って進むと正面に仁王門があるが、通り抜けることは出来ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/dd/29ab1067186ad6ba62442091b3d1a909.jpg)
承教寺本堂
本堂前には英一蝶(はなぶさいっちょう)の墓がある。
英一蝶は、狩野安信に絵を、松尾芭蕉に俳諧を学んだ江戸時代の画家で、
46歳のときに将軍綱吉の放縦な生活を風刺したため、三宅島に流された、とのこと。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/cc/0587233559ca0b3e178e5ae44f4a765f.jpg)
中原街道を進む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/42/6e786ffc42a3c10880962a3b8c2ea719.jpg)
12時28分、高野山東京別院に到着。
徳川幕府が江戸に開かれた際、高野山の学侶方の在番所として浅草の日輪寺に寄留し、開創した。
その後、芝の地を下賜されたことにより、延宝元年(1673)にこの地に堂宇を建立した。
昭和2年に「高野山東京別院」と改称された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/4f/91e054396fcd5c9f157b90c23d1b2770.jpg)
合掌礼拝して境内に入ると、直ぐ右手に弘法大師の修業の像がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/f2/e0672e0924b12c1036d1e28f7fb351c5.jpg)
弘法大師の前には、四国八十八ヶ寺のご本尊が並んでいる。
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お百度石もある。
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昭和六十三年(1988)に建立された本堂。
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境内には、高野槇が植えられていた。
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高野山東京別院を後にしてこの日最後の訪問地雉子神社を目指す。
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広い道路に出た。国道1号線(桜田通り)である。
五反田駅はこの道を真直ぐ(手前に)進めば良い。
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相生坂を進む。
ゴールが近付いたためか、皆さん足が速くなってきた。
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ビルの中に神社らしきものが見えたので入って確かめてみる。
(50mほど先に雉子神社の鳥居があったのを後で知った)
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神社のように見えたのは、やはり雉子神社(きじじんじゃ)だった。
古くは荏原宮といい、文明年間(1469~87)には大鳥明神、山神の社とも呼ばれた。
徳川三代将軍家光がこの地に鷹狩りに来た折、一羽の白雉が社地に飛び入ったのを、
まことにめでたく奇瑞であると、「以後、雉子宮と称すべし」との言葉を頂戴したことが社名の由来。
中原街道の拡幅工事の度に社地は狭まり、現在ではビルの1階ピロティ部分に本殿と拝殿がある。
よく見ると、本殿の大屋根(左)に雉が止っている。
『いやぁ こんなビルの中に神社があるんだねぇ』
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拝殿の脇には神輿が2基鎮座していた。
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雉子神社鳥居
『こっちから入れたんだねっ』
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雉子神社の鳥居の横に大きな銀杏の木がある。
雌の銀杏で、幹の回りは約4m、高さは18mあり、推定樹齢は150年から200年。
木の勢いも盛んで樹姿も整っており、品川区内の銀杏の中でも代表的な巨木だそうで、
品川区の指定天然記念物となっている。
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雉子神社でこの日予定していた訪問地は、全て回ったことになり、
あとは五反田駅へ向かうだけである。
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13時6分、ゴールの五反田駅に到着
この日はここで解散とし、めいめいお好みの昼食をして帰ることにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
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駅近くの食べ物屋を探し、1軒の店へ。
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先ずは、ビールで『乾杯っ!』
『今日はお疲れさまぁ』
『これがあるから止められないんだよなっ』
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4人揃って鶏肉のかつ丼と蕎麦を注文。
お腹が空いていたこともあり、美味かった。
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”首都圏の旧街道”旧中原街道(虎ノ門~五反田)を歩き、旧街道の歴史の一端に触れることが出来た。
当時とは様変わりをした街中ではあるが、残された遺跡や建物などを探しながら歩くのも楽しいものである。
機会があれば、また企画したいと思っている。
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