ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

中原街道(虎ノ門から五反田)の歴史探訪

2015年02月27日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年2月27日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第36回(2015年第7回)、「中原街道(虎ノ門から五反田)の歴史探訪」ウォーキングに参加した。
この日のコースと立寄り先は、「首都圏旧街道を歩く」(メイツ出版)を参考にした。

中原街道は、江戸に幕府を開いた徳川家康によって、海辺に沿う東海道が整備されるまで、
台地上を行くこちらの道が東海道の一部として機能していた。
東海道の整備後は、平塚中原(神奈川県平塚市)と江戸城虎ノ門口を結ぶ脇往還とされ、
江戸まで先を急ぐ旅人や農産物の運搬には、距離も短い中原街道を利用したという。
(「首都圏旧街道を歩く」)

荒川沖駅8時19分発の電車を待つ。
この日は平日だが、通勤時間帯は避けたので楽に座れた。


上野から東京メトロ銀座線に乗り替える。
この日の参加者は16名である。


東京メトロ銀座線車内
既に通勤時間帯は過ぎているため、銀座線でも座れた。


10時ちょうど、虎ノ門に到着。
写真は国道1号線虎ノ門交差点


虎ノ門は江戸城外郭門のひとつだが、外郭門は明治6年に撤去されている。
虎ノ門交差点の北東角、銀座線虎ノ門駅8番出口を出たところに、小さな虎の像を据えた碑があり、
虎門遺跡」と刻まれている。
この日は、ここが出発点である。


「虎門遺跡」の次は金刀比羅神社へ向かう。
金刀比羅神社は、虎ノ門交差点の斜め向かいだ。


虎ノ門琴平タワービルの真下に、堂々とした鳥居がある。


金刀比羅神社拝殿
万治三年(1660)に讃岐丸亀藩主の京極家が金毘羅宮(本宮)の御分霊を江戸屋敷に勧請したのが始まり。
後に現在地に遷座。江戸市民の強い要望で、毎月10日には邸内を開いて参詣を許していたという。


この日の無事安全を祈願していこう。


国道1号線(中原街道)をちょうど2階建オープンバスが走って行くのが見えた。
『いやぁ 眺めが良いだろうなぁ』
『一度乗ってみたいわねっ』


中原街道を進む。


虎の門2丁目交差点を渡る。


虎ノ門3丁目付近。


左へ曲ると、トンネルがあり、愛宕神社参道の案内が見えた。


トンネルの入口に愛宕神社への参道があった。


急な石段を上る。
『愛宕山ってそんなに高くないんだよねっ?』


螺旋状のような急な石段を上って行くと、


10時25分、愛宕山の山頂に到着した。
愛宕山は、標高26mで東京23区内で最も高い山とされる。
『山頂はけっこう広いんだねぇ』


愛宕神社
慶長八年(1603)に江戸の防火の神様として、徳川家康の命によって祀られた神社。


愛宕神社へお参り。


愛宕山は、「桜田門外の変」で井伊直弼を討った水戸浪士が終結した地でもあり、「桜田烈士の碑」がある。


『せっかくだから』ということで、正門の男坂から下りることにしたのだが・・・


かつては直ぐ下が芝の海岸、その向こうには房総半島まで望めたという。
『ここを降りるのぉ』
『急過ぎないっ?』


『怖いよねぇ』
皆さん、手摺りから手を離せない。


全員無事に下りることができて『良かった良かった』
参道の男坂と呼ばれる86段からなる石段は、講談でも語られる「出世の石段」とのこと。
『ここを馬に跨って駆け上がったって本当かねぇ』


トンネルをくぐって中原街道へ向かう。


中原街道に戻り、神谷町交差点辺りを進む。


左手に東京ワターがちらりちらりと見えて来た。


『ビルの間から見える東京ワターもなかなか良いねぇ』


直ぐ近くなのにビルに邪魔されて見えない東京ワター。
たまにビルの間から見えると何故か嬉しい。


10時59分、赤羽橋交差点に到着。
麻布飯倉あたりを土器町(かわらけまち)と称し、坂道も土器坂というが、
土器職人が多数住居していたため赤埴(あかはに:赤い素焼きの土器)と呼ばれ、
これが転じて赤羽という地名になったと伝えられる、そうだ。
江戸時代初期は赤羽川(古川)の灌漑を受けた水田地帯だった、とのこと。


赤羽橋は寛文七年(1667)に架けられた。
現在、上空には首都高速道路が走っている。
川の水は濁っていてお世辞にもきれいとは言えない。


橋の南詰西側にかつての赤羽橋親柱が保存されていた。


中原街道を進む。


後ろを振り返ると東京タワーが道の中央に聳える。


東京タワーを背に三田一丁目辺りを進む。


左手にはNEC本社ビルが見える。


中原街道(桜田通り)沿いに春日神社があった。
春日神社は、天徳二年(958)武蔵国国司藤原正房卿任国の折、藤原氏ならびに皇室外戚の氏神なる、
大和国春日社第三殿に祀る天児屋根命の御神霊を勧請鎮座した。


江戸府内唯一の春日社として、徳川将軍をはじめ江戸城登城の諸大名の崇敬も厚かった。


境内で一休み。
境内は小さくて狭いが、桜田通りの喧騒から一時的に開放され、静寂さが漂う。


11時19分、慶応義塾大学前を通過


国道1号線は、三田二交差点で右に曲っている。
中原街道は、三田二交差点を渡って50mほど先の三田3丁目交差点を右折する。


三田3丁目交差点から道なりに少し進むと、緩やかな聖坂が始まる。
三田3丁目交差点からの旧中原街道は、車はあまり走っていない。


聖坂の途中に亀塚稲荷神社があった。
亀塚稲荷神社は、この先の亀塚から出土した亀形の石を祀った小さな神社である。


弥陀種子板碑
神社裏手に関東地方に見られる中世の弥陀信仰を記した「弥陀種子板碑」がある、とのことだが・・・


神社の裏は、石垣に穴が開いた状態になっており、残念ながら「弥陀種子板碑」は見つけられなかった。
「弥陀種子板碑」は、板状の秩父青石に刻まれた供養塔、だそうだ。


クウェート大使館前を通過


さらに聖坂を進み、


11時38分、聖坂を上りきった辺り、済海寺に到着。


済海寺は、浄土宗の寺で、江戸三十三ヶ所観音霊場の26番札所である。


江戸時代は月の岬と呼ばれた台地の一画で、文字通り、観月の名所だった、そうだ。
安政六年(1859)にフランス領事館、その後、公使館となり明治7年まで続いた、とのこと。
後ろの高層ビルは、三田ツインビル西館


幽霊坂
坂の両側に寺院が並び、ものさびしい坂であるためこの名が付いたらしいが、有礼坂の説もある。
幽霊坂は、東京中に多く七か所ほどある、そうだ。


11時48分、薬王寺に到着


薬王寺本堂
元和七年(1621)に麻布狸穴(まみあな)に開設、寛文元年(1661)に現在の地に移転。
境内には昔から霊水とされる井戸水が湧き、江戸中期の俳人・加賀の千代がその評判を聞いて立ち寄り、
「朝顔につるべとられてもらい水」と詠んだ井戸がある。


境内には、いくら探しても”千代の井戸”が見つからないので、本堂の横の小さな門をくぐって寺の奥へ。
案内などは何もない。


寺の裏は墓地になっている。
この墓地のどこかに井戸があるのだろうか?


真直ぐ進んだ突き当りの左側に


探していた”千代の井戸”があった。
「あさがおに つるべとられて もらいみず」と詠まれている。


次の目的地、魚藍寺ぎょらんじ)に到着した時、時計は12時ちょうどを差していた。
魚藍寺は、浄土宗寺院で、三田山水月院と号する。
魚藍寺は、法誉上人が大分県中津市の圓應寺地中に魚藍院として元和三年(1617)創建、
寛永七年(1630)三田に移転したといわれる。
その後、法誉上人の弟子称誉上人が承応元年(1652)観音堂を創建して一寺となったといわれる。


本堂の前に塩地蔵が鎮座しており、たくさんの食塩が供えられていた。


塩地蔵の前に亀石(子宝石)があった。
亀に似ているので、いつという事なく亀石と呼ばれ、子供のない人が子宝を願います、と刻まれている。


本堂
本尊の魚藍観音は、右手に魚籠(びく)を持ち、左手に羽衣を持った乙女の姿に身を変えて
仏の教えを広めた観音さま、とのことである。


中原街道に戻り、伊皿子(いさらご)交差点を渡る。


12時13分、大石良雄(よしたか)等自刃ノ跡碑に到着。
自刃ノ跡碑は、都営高輪アパート(旧細川藩下屋敷だった場所)前にぽつんと立っていた。


元禄十五年(1702)12月に吉良邸討ち入りの折、大石内蔵助良雄以下17名が高輪の細川屋敷に預けられ、
翌年2月に切腹が言い渡された。
四十七志の墓がある泉岳寺は東海大学の裏に位置し、ここから直線で150mほどのところである。


東海大学前を通過
「お弁当」の旗が気になってしょうがない時間だが、『五反田までもう少し、頑張りましょうっ!』


12時19分、承教寺に到着。
正安元年(1299)に開かれた日蓮宗の寺で、承応二年(1653)に現在の地に移転した。


表門脇には「二本榎」の碑がある。
江戸時代にこの辺り(高縄手という小高い丘陵地)に榎の大木が2本あり、旅人の目標となっていたそうである。
誰言うとなくこの榎を「二本榎」と呼ぶようになり、そのまま「二本榎」の地名となった。


榎が枯れた後も、二本榎という地名は残っており、今に続いている。


承教寺の狛犬は変わった顔・形をしている。
ユーモラスな表情が人気、とのこと。
『こんな顔の狛犬は初めて見たよねっ』


表門を入って進むと正面に仁王門があるが、通り抜けることは出来ない。


承教寺本堂
本堂前には英一蝶(はなぶさいっちょう)の墓がある。
英一蝶は、狩野安信に絵を、松尾芭蕉に俳諧を学んだ江戸時代の画家で、
46歳のときに将軍綱吉の放縦な生活を風刺したため、三宅島に流された、とのこと。


中原街道を進む。


12時28分、高野山東京別院に到着。
徳川幕府が江戸に開かれた際、高野山の学侶方の在番所として浅草の日輪寺に寄留し、開創した。
その後、芝の地を下賜されたことにより、延宝元年(1673)にこの地に堂宇を建立した。
昭和2年に「高野山東京別院」と改称された。


合掌礼拝して境内に入ると、直ぐ右手に弘法大師の修業の像がある。


弘法大師の前には、四国八十八ヶ寺のご本尊が並んでいる。


お百度石もある。


昭和六十三年(1988)に建立された本堂。


境内には、高野槇が植えられていた。


高野山東京別院を後にしてこの日最後の訪問地雉子神社を目指す。


広い道路に出た。国道1号線(桜田通り)である。
五反田駅はこの道を真直ぐ(手前に)進めば良い。


相生坂を進む。
ゴールが近付いたためか、皆さん足が速くなってきた。


ビルの中に神社らしきものが見えたので入って確かめてみる。
(50mほど先に雉子神社の鳥居があったのを後で知った)


神社のように見えたのは、やはり雉子神社きじじんじゃ)だった。
古くは荏原宮といい、文明年間(1469~87)には大鳥明神、山神の社とも呼ばれた。
徳川三代将軍家光がこの地に鷹狩りに来た折、一羽の白雉が社地に飛び入ったのを、
まことにめでたく奇瑞であると、「以後、雉子宮と称すべし」との言葉を頂戴したことが社名の由来。
中原街道の拡幅工事の度に社地は狭まり、現在ではビルの1階ピロティ部分に本殿と拝殿がある。
よく見ると、本殿の大屋根(左)に雉が止っている。
『いやぁ こんなビルの中に神社があるんだねぇ』


拝殿の脇には神輿が2基鎮座していた。


雉子神社鳥居
『こっちから入れたんだねっ』


雉子神社の鳥居の横に大きな銀杏の木がある。
雌の銀杏で、幹の回りは約4m、高さは18mあり、推定樹齢は150年から200年。
木の勢いも盛んで樹姿も整っており、品川区内の銀杏の中でも代表的な巨木だそうで、
品川区の指定天然記念物となっている。


雉子神社でこの日予定していた訪問地は、全て回ったことになり、
あとは五反田駅へ向かうだけである。


13時6分、ゴールの五反田駅に到着
この日はここで解散とし、めいめいお好みの昼食をして帰ることにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


駅近くの食べ物屋を探し、1軒の店へ。


先ずは、ビールで『乾杯っ!』
『今日はお疲れさまぁ』
『これがあるから止められないんだよなっ』


4人揃って鶏肉のかつ丼と蕎麦を注文。
お腹が空いていたこともあり、美味かった。


”首都圏の旧街道”旧中原街道(虎ノ門~五反田)を歩き、旧街道の歴史の一端に触れることが出来た。
当時とは様変わりをした街中ではあるが、残された遺跡や建物などを探しながら歩くのも楽しいものである。
機会があれば、また企画したいと思っている。


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見頃は1週間後か 筑紫湖から筑波山梅林へ

2015年02月20日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年2月20日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第35回(2015年第6回)、「筑紫湖から筑波山梅林へ」歩くウォーキングに参加した。

第一集合場所の乙戸沼公園
14名が集まり、車4台に分乗して、第二集合場所の筑紫湖へ向かった。


9時55分、筑紫湖に到着。
三々五々直行した8名と合せ、この日の参加者は22名となった。
この時期としては、まあまあの人数だと思う。
筑紫湖湖畔に建てられた「霞ヶ浦用水農業水利事業」の看板に見入る皆さん。
霞ヶ浦の水を筑波山の下をトンネルを引いてこの筑紫湖に貯めている、とのこと。
『筑紫湖が霞ヶ浦の水を引いているなんて知らなかったぁ』


看板の前で準備体操だ。


最後に深呼吸をして、


10時13分、筑波山梅林目指して出発!


先頭はいつものOさん。
今年度も残すところあと5回、初の皆勤賞受賞は確実な情勢である。


酒寄地区へ向けて進む。


車両通行止めの看板が。
明日から始まる「筑波山梅まつり」に合せて、この先の梅林までの道路を通行規制する、というのだ。


酒寄地区を進む。
かなり急な坂道が続く。


立派な薬医門を構えた農家
『いやぁ 最初はお寺かと思ったよ』


酒寄地区はみかん農家が多い。
筑波山西麓の酒寄地区は、温州みかん栽培の北限である。
看板をよく見ると、みかん農家9軒のうち7軒が酒寄姓を名乗っている。
単に「酒寄農園」では区別がつかないため、久・秀・光・水・キ・みなみ・サ などの屋号で
呼んでいるようだ。


10時27分、みかん園の歓迎ゲートを通過


みかん農家の前を通過。
このみかん農家は何という屋号なのだろう?


『大分上って来たわねぇ』
『見晴しが素敵~っ』


眼前に桜川市真壁の田園風景が広がる。


農家の庭先に、よく手入れされた紅梅が蕾を開いていた。
『筑波山梅林もきっと咲いているよねっ』


坂道を上って行くと、次々にみかん園が現れる。
ここも酒寄みかん園(秀)だ。


途中、道路には雪が残っていて、凍っているところもある。
斜面に面した温暖な地とは言え、陽が当らない場所では雪も凍り、容易には融けない。


10時47分、上りが緩やかになったところで、ひとまず休憩だ。


『一足先に梅を観られるなんて楽しみだよねっ』
女性では2番目に高齢のS子さん(中央)
一昨年、入会1年目でいきなり皆勤賞を受賞しており、元気そのもの。
昨年傘寿を迎えたが、その若々しさは衰えることを知らないようだ。


筑波山梅林を目指す。
『ここから先は坂道はないみたいだし、楽だよねっ』


道路が凍っている。
『足元に注意しましょうっ!』


周りの木々が無くなって明るくなったが、視界はあまり良くない。
『これで、視界が良ければ最高なんだけどね~っ』


「梅林見返り縁台」(0.9Km)への分岐点を通過。
以前来た時にはこのような道案内はなかったように思う。
最近、新しく造られた道のようだ。


残り0.6Km先の筑波山梅林を目指す。


11時32分、梅林の西端に到着
前方に四阿(あずまや)の屋根が見える。


先ずは、四阿へ向かう。


紅梅が咲いている。
『満開はもうちょっと先みたいねっ』
『だけど やっぱりきれいっ』


11時35分、四阿に到着した。


四阿から梅林を望む。
前方の小高い山は、宝筺山(461m)だ。


四阿から梅林を通して筑波平野を望む。
今は紅梅が主で、白梅はまだつぼみの状態である。
3月初めから中旬にかけて見頃を迎えることだろう。


そろそろ昼時、園内でそれぞれ好きな場所で昼食を摂ることにした。
昼食後は、再度四阿に集まることにし、園内へ散らばっていった。


四阿の近くに広めのベンチがあったので、早速陣取って弁当を広げた。
この日は梅まつりの前日とあってか、観光客もまだ少ない。
他の観光客の邪魔になることもないだろう。


目の前には梅林が広がる絶好の場所である。


女性陣も少し小高い岩に囲まれた所で弁当を広げ始めた。


ベンチから四阿を望む。


ベンチ脇の紅梅が満開を迎えようとしていた。
この紅梅だけは、ちょうど見頃である。


昼食後、四阿へ向かう途中、「関東の富士見百景」なる標識が。
この梅林から富士山が見えるらしいが・・・


12時20分、空が曇って来て、遠くまで視界が効かない状況になってきた・・・
と思ったら、なんと小雪が舞い始めた。


この日傘を持って来てる人は殆どいない。
雨、ましてや雪なんて想定外である。
帰りを急ごう。


しかし、少し歩くと雪は止み、晴れ間が見えて来た。
本格的な雪にはなりそうにないみたいで、一安心である。


来年度には、筑紫湖から椎尾山薬王院を歩く計画があるので、
下見を兼ねて、薬王院に立ち寄ることにした。


帰りはずっと下りなので、足取りは軽い。


最後尾と少し離れたため、途中で隊列を整え、揃って進む。


酒寄(秀)みかん農園近く。


門に「高臥庵」と書かれた表札が懸かっていた。
『蕎麦屋じゃないっ?』 『個人の別荘なのかしら?』
門の中は重機による工事中で、建物は見えなかった。


13時17分、酒寄(秀)みかん農園に到着。
『ここからの見晴しは素晴らしいねぇ』


13時31分、小休止の後、薬王院を目指して出発!


桜川市真壁の田園風景を眺めながら進む。


送迎ゲートをくぐる。
『そのうちまた来るね~っ』


薬王院まで1Kmとある。
「関東ふれあいの道」で歩いた(2010/12/092011/11/10)道である。


ここの坂道は急である。
『どこまで続くのかしらねぇ』


右手に雪解け水が流れる沢を見ながら進むと、


『ここから先は一段と厳しいねぇ』
坂道の途中で立ち止まる人も。


写真で見るよりかなり急な坂道が続く。
車でも大変だと思われる。


坂道を歩くこと10分、ようやく薬王院への一般道に出ることが出来た。


仁王門手前の急な石段を上ると・・・


目の前に本堂? が現れた。
薬王院にこのような建物があるとは知らなかった。


本堂? の内部


本堂? を後にし、あらためて仁王門へ向かう。


仁王門には鉄板でできた草履が奉納されている。
高さ3.5mほどある。
人と比べるとその大きさが分かろうというものだ。


正面から見た仁王門
仁王門は元禄元年(1688)の完成。
仁王像は今は置かれていない。仁王像の後に風神像、雷神像が祀られている。


仁王門の裏、先の東日本大地震で傾いたと思われる石段を上ると・・・


本来の本堂の正面に出た。
椎尾山薬王院は天台宗の寺院で、ご本尊は薬師瑠璃光如来坐像。
延暦元年(782)最仙上人の開基、桓武天皇の勅願寺と称する古刹である。
本堂は何度か焼失しているが、現在のものは延宝八年(1680年)のもの。


鐘を撞くTさん。
椎尾山に鐘の音が響き渡る。
腹の奥まで揺さぶられるような重厚な音色がした。


茨城県重要文化財に指定されている三重塔を望む。


一通り下見を終えて、ゴールの筑紫湖を目指す。
『ちょっと歩き過ぎて疲れたけど変化があって良かったよねっ』
その一言が嬉しい。


カメラを向けると、余裕のVサインで応じてくれたH子さん。
『下りの坂道は大好きよっ』


10分ほどで、薬王院参道入口に到着。


14時36分、ゴールの筑紫湖駐車場に到着した。


整理運動はめいめいストレッチで、ということに。
『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』


紅白の梅の花を愛でに筑波山梅林を訪れた。
白梅はまだ蕾の状態だったが、紅梅は間もなく満開を迎えそうな状態で、楽しむことが出来た。
翌21日からは「筑波山梅まつり」が始まるので、大勢の観光客が訪れることだろう。
新緑の頃にはまた薬王院を訪れる予定であり、その時は、また違った景色を愉しみたい。
今から楽しみである。

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関東ふれあいの道(埼玉) No.6 「花の美の山公園を訪ねるみち」

2015年02月15日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年2月15日(日)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”という声に押され、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)に挑戦し、踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩き、これも無事踏破した。
そして次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始した次第である。

埼玉県の第六回目は、コースNo.6「花の美の山公園を訪ねるみち」(約8.2Km)を歩くことにした。

荒川沖駅6時16分発の常磐線上り電車に乗り、上野駅には7時20分に到着。
上野から07:33発の高崎線に乗り、熊谷駅に向かった。
この日の参加者は7名、いつもよりちょっぴり少ない。
実は、友部からのメンバーが、切符購入に手間取っているうちに指定の電車に乗り遅れ、
直後に来た電車に乗り、土浦から特急に乗り替えて、我々より4分遅れで上野駅に到着し、
高崎線には何とか間に合った、というハプニングがあったことを付記しておこう。
土浦からの特急がなければ、高崎線には間に合わないため、その場合は上野から新幹線で熊谷に向かい、
熊谷駅で合流する手筈にしていたので、それよりは安くついた、ということでめでたしめでたし・・・


冬の日曜日早朝のため、高崎線下りの乗客は少ない。
熊谷駅までは1時間ほどだが、赤羽辺りからは乗客も増えてくる。
今のうちに朝食を済ませておこう。


本を読んだり、サンドウイッチを頬張ったりと、時間の過ごし方は様々だ。


8時38分、熊谷駅に到着し、秩父鉄道乗り場へ向かう。
この日は団体客の姿がいつもより多い感じがした。
大部分が宝登山や長瀞方面への観光客と思われる。


我々は、運良く熊谷駅から8時52分発の三峰口行きに座ることが出来た。
途中の寄居駅でかなりの乗客が降りたが、それ以上の大勢の乗客が乗り込み、逆に車内は満員状態となった。


乗客の大半は途中の長瀞駅で降りてしまい、電車はガラガラ状態。
9時45分、この日の出発地親鼻駅に到着。
この駅で降りたのは我々7人だけだった。


秩父鉄道親鼻駅舎
親鼻駅をスタートとする「関東ふれあいの道」を歩こうという人は我々以外にはいないようだ。
大勢居過ぎても困るが、全くいないというのは寂しい。


9時50分、美の山公園を目指して親鼻駅を出発!
先ほど渡った線路を戻り、駅の反対側へ。


国道140号を皆野町方面へ少しだけ進み、


国道140号を横断すると、案内板があった。
美の山公園3.1Kmと表示されている。


先ずは、萬福寺へこの日の無事をお参りしていこう。
萬福寺は、真言宗豊山派の寺で、西光山無量寿院富沢坊萬福寺と称する。
平安中期の治安三年(1023)看鍐法印示寂(かんそうほういんしじゃく)の開山と伝えられ、
本尊は阿弥陀如来である。


萬福寺の山門を出ると、


山門の前に六地蔵が並んでいた。
『行ってきま~すっ』


美の山公園を目指す。


10時2分、ここから美の山公園山頂まで3.1Kmとなっている。


美の山公園への道は落ち葉の坂道で始まった。
どうやらMさんは、風邪気味らしい。
奥さんには引き止められたそうだが、熱はないので参加した、とのこと。
この日のコースは、「家族向き」とのことなので、何とか最後まで持って欲しいものだ。


しばらく落ち葉の山道を進む。


くぬぎなどの木々の間から皆野町周辺の住宅地が見える。


10時19分、山道を上り始めてから17分ほどで舗装された道路に出た。


美の山公園へは道路の反対側に続いている。


真冬の時期とは言え、山道を歩くと暑くなって汗もかく。
上着を脱いで体温を調節しよう。


2.1km先の美の山公園山頂を目指す。
引き続き、落ち葉の中を進む。


落ち葉はからからの状態のため、滑り易い。
いつもとは違う力が足にかかるためか、少々疲れる。


10時43分、美の山公園山頂まで1.6Kmの地点を通過。


この日初めての里程標が現れた。
ここまで2.2Km、残り6Kmとある。


美の山公園山頂へ続く道
少し平坦になってきた。


10時58分、スカイリゾートホテルへの分岐点を通過。


11時ちょうど、美の山公園の西の端「みはらし園地」に到着。
美の山公園はとても広く、「みはらし園地」からイベント広場の駐車場まで1.5Km以上もあり広大だ。


「みはらし園地」からの眺望
破風山方面だろうか?


「みはらし園地」で一息入れ、1.1Km先の美の山公園山頂を目指す。


園内の案内板に従って、右側の「関東ふれあいの道」への道を進む。


道路には雪が残って凍っているところもあり、滑り易く危険だ。


11時22分、榛名神社前を通過。


榛名神社の近くに見晴し台があった。


あいにく曇っていて視界は悪い。
午前中は”晴れ”の天気予報だったが、外れである。


美の山公園山頂へ向かう。


これが美の山公園山頂(583m)か?
周りを見渡しても山頂のような場所は見当たらないので、ここが山頂と案内されている所だろう。
とにかく上ってみよう。


『こっちが雲取山方面かしらねぇ』


目の前には秩父の市街地が広がるが、あいにく三峰山方面(妙法ガ岳1,329m、白岩山1,921m、雲取山2,017m)は全く見えない。


ひと際高く聳えるのは、武甲山(1304m)だ。


美の山公園山頂には、金子伊昔紅(かねこいせっこう)の銅像が建てられている。
埼玉の三大民謡として歌い踊り続けられている、「秩父音頭」を作詞し、世に広めた、とのこと。


銅像の脇には伊昔紅の句碑もある。
一目千本 万本咲いて かすむ美の山 花の山


11時39分、インフォメーションセンターに到着
ここで、全員の証明写真を撮影した。


風が強くなって来たので、インフォメーションセンターを背にして弁当タイムだ。


山頂にはまだ蝋梅の花が咲いていた。


12時17分、美の山公園を後にして、次の目的地二十三夜寺を目指す。
ここからゴールの高原牧場入口バス停までは4.5Kmである。
予定では、14時57分発の皆野駅行きバスに間に合うように到着すれば良し、としていたが、
少し急げば13時58分発に間に合うかもしれない。
『急いで一つ前のバスに乗りましょうっ!』


駐車場脇に二十三夜寺への案内板があった。
二十三夜寺2.8Km、高原牧場入口バス停4.0Kmと表示されている。


ここからは下りなので、楽である。
先頭を行くKさんの足取りは軽い。


Mさんは黙々と後に続く。
風邪の状態が気になる。


12時27分、二十三夜寺まで2.3Km、高原牧場入口バス停まで3.5Kmの地点を通過。
約10分で500mは、良いペースだ。


ここからは、急な下り坂になる。
Kさんのペースが上がる。


KEさんが後に続く。


しばらく下ると舗装された道路に出た。


後に続くKEさん。


再度舗装道路をに出た。
この辺りは、道路がジグザグに走っているようだ。


舗装道路を少し進み、途中からまたまた細い山道に入る。


12時42分、二十三夜寺まで1.6Km、高原牧場入口バス停まで2.8Kmの地点を通過。
このペースであれば、高原牧場入口バス停13時58分発のバスには何とか間に合いそうだ。


家が数軒だけの小さな集落の中を進む。


かなり急な坂道だ。車でも厳しい坂道なのではないだろうか。
『ここに住んでいる人は大変だろうねっ』


次第に道が細くなってきた。
ほとんど人が歩いた形跡がない。


『この道で合ってるんだよねっ?』
「関東ふれあいの道」の人気の無さをあらためて知らされる。


関東一のイカリソウの群生地の標識が。
イカリソウの花は赤紫色で春に咲くそうである。
一度群生しているところを見てみたいものだ。


12時53分、二十三夜寺まで1.0Km、高原牧場入口バス停まで2.2Kmの地点を通過。
あと約1時間で2.2Kmは問題ないだろう。


下りだけかと思ったら、少しばかりの上りもある。
『急に足が重くなっちゃうねっ』


里程標
ゴールの高原牧場入口バス停まで残り2Kmだ。
『頑張ろうっ!』


12時59分、二十三夜寺まで0.7Km、高原牧場入口バス停まで1.9Kmだ。、


今度は舗装された道路を進む。


二十三夜寺への入口があった。
二十三夜寺まで0.2Km、高原牧場入口バス停まで1.4Kmの表示だ。


13時14分、入口から下ること4分で、ようやく二十三夜寺に到着した。


二十三夜寺
美の山公園駐車場を出発してから、ほぼ1時間が経過していた。
かなり急いだのだが、結局時速2.8Kmだったことになる。
「関東ふれあいの道」では、全行程8.2Kmを2時間5分と案内されている。
これは時速4Kmに相当するが、一般の人はこんなに早く歩くものなのだろうか?
我々の脚では絶対に無理である。


二十三夜寺本堂
勢至菩薩をご本尊としてお祀りしている、数少ない寺院のひとつ、とのこと。


二十三夜寺仁王門の阿像


二十三夜寺仁王門の吽像


二十三夜寺を後にして、ゴールの高原牧場入口バス停へ


県道82号に出たようだが、バス停はどっちかな???


感を頼りに隣りのバス停に行ってみると、三夜前停留所とあり、西武秩父方向へ歩いたことが判明。
『反対側に来ちゃったみたいだねっ』


バス停の脇に江戸相撲の武蔵川大治郎の碑があった。
案内によると、
武蔵川大治郎は、文政六年(1823)ここ三沢で生まれ、小さい時から体格に優れていて、
たちまち田舎相撲の横綱になった。
その後、妻や子を残して、江戸相撲を志し、安政六年(859)には十両、文久三年(1863)には
武蔵川を襲名して、次の年には待望の前頭に昇進した。(以下略)


ゴールの高原牧場入口バス停へ。


13時34分、高原牧場入口バス停に到着。
ここで、二十三夜寺からコースを間違えたことに気が付いた。
『そう言えば常楽寺を通らなかったねぇ』


皆野駅行きバスまで少し時間があるので、『常楽寺へ行ってみよう』ということに。


坂道を150mほど上って行くと、常楽寺の碑があった。


一高山常楽寺は真言宗の寺院で、300年ほど前に開かれたと伝えられているが、
江戸時代天保年間の火災により、建物と資料の全てを焼失してしまった。
現在の本堂は、嘉永五年(1852)に再建されたもの。
山号を一高山といい、寺名は光明院常楽寺で、ご本尊は不動明王である。


常楽寺から三沢地区を望む。


本堂の脇には阿弥陀堂があり、近隣の人たちの信仰を集めている、とのこと。


急坂の道をバス停へ向かう。


バスが来るまでのほんのひと時を寛ぐ。


『向かい側がコースNo.13に繋がってるみたいねっ』
コースNo.13は、2015年4月に予定しているが、17.1Kmもあるため、果たして全行程を歩けるのか、
また、時速2.5Kmとした場合、電車・バスをどう乗り継げば良いのか、今から頭を悩ましているところである。


14時01分、3分ほど遅れて皆野駅行きバスがやって来た。


乗客は我々以外には誰もいなかった。
親鼻駅まで貸切状態のままだった。


終点の皆野駅手前の親鼻駅でバスを降り、14時18分、親鼻駅に到着した。
朝ここから出発したので、自然に『ただいまっ』という言葉が口に出た。


三峰口行き電車


西武秩父方面からやって来たのは、石灰を積んだ貨物列車だ。


『いやぁ 今でも石灰を運んでるんだねっ』


14時34分、定刻どおり熊谷行き電車がやって来た。


電車が走り出して間もなく、皆さん、気持ち良さそうに眠りに就いた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第六回目、コースNo.6(花の美の山公園を訪ねるみち)を歩き終わった。
この日のコースは”家族向き”ということで、距離もさほど長くはなく、最後までしっかりと歩けた。
予報では天気は”晴れ”だったが、あいにく曇りとなり、美の山公園山頂からの眺望は望めなかった。
これからのコースは、距離が次第に長くなり”健脚向き”コースが増えて来る。
何とか頑張って「踏破認定証」受領を目指したい。

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富士山遠望に大満足 荒崎海岸シーサイドウォーク

2015年02月14日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年2月14日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第34回(2015年第5回)、「荒崎海岸シーサイドウォーク」に参加した。
この日のコースは、(2013年2月10日)の「関東ふれあいの道」で、富士山を見ながら
荒崎の海岸を歩いた時の素晴らしい景色と感動をもう一度味わいたいと、企画したものである。

この日のコースは、京急三崎口駅を出発し、矢作バス停から円徳寺を経由して、長浜海岸に至る。
長浜海岸の和田海水浴場から佃嵐崎・荒崎・長井漁港を通り、陸自高等工科学校前バス停へ至る
全長約9Kmのコースで、神奈川県「関東ふれあいの道」コースNo,3(荒崎・潮騒のみち)だ。
陸自高等工科学校前からはバスで京急三崎口駅へ戻ることになる。

荒川沖駅06:29発の電車を待つ。
まだ朝日が昇る前なので寒い。
これでも出発地の京急三崎口駅までは3時間半後の10時頃になり、ちょっとした旅である。


東京駅から東海道線熱海行きに乗り換える。
この日の参加者は、荒川沖駅からの8名と土浦駅からの3名で合計11名だ。
少しばかり寂しい感じがする。


”早朝で弁当有り”という条件では女性の参加者が少なくなるのは仕方のないことだろう。
『今日は、富士山に期待したいわねっ』
前回の鎌倉由比ヶ浜(2015年1月24日)では富士山は全く見ることが出来なかったので、
ここは祈るしかない。


戸塚駅で横須賀線久里浜行きに乗り換える。
一つ前の逗子行きはパスである。


久里浜で京浜急行に乗り換えるため、京急久里浜駅へ向かう。


9時54分発の京急三崎口駅行き電車が入ってきた。


三浦海岸駅を過ぎ、三崎口駅まであと少しという時、突然車窓に富士山が。
『おぉ~っ 今日の富士山は期待が持てそうじゃんっ?』
真っ青な空にくっきりと現れたその雄姿にちょっぴり感動すら覚えた。
『よく来たね』と迎えてくれているようだ。


10時4分、ようやく出発地の京急三崎口駅に到着した。
『早く海岸から富士山を見たいわねっ』
『確かあっちの方角だったんじゃないっ?』 皆さん、はやる気持ちを抑えきれないようだ。
10時11分、準備体操は省略して荒崎海岸目指して出発だ!


約1.3Km先の矢作停留所までは、バスで3分ほどなので、準備体操代りの足馴らしにはちょうど良い。


三崎口駅から20分ほど進むと、矢作バス停少し手前に近浦山円徳寺への入口を示す看板があった。
先ずは円徳寺を目指そう。


しばらくは閑静な住宅街を歩く。
『今日は天気も良いし、ここはまったく寒さを感じないねぇ』
『やっぱり三浦半島は南なんだね~っ』


道はさほど広くはないが時折車が通る程度である。


円徳寺のデッカイ看板に従って70-80mほど進むと・・・


10時45分、近浦山円徳寺に到着した。


寺の門の脇に六道における苦しみを救う六つの地蔵菩薩が鎮座していた。
六道とは、人間およびそれ以下の苦しみの世界を六つに分けたもので、
地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道(天上道ともいう)を指す。
六地蔵は、その六道における苦しみを救う六種の地蔵のことを言う。(案内板より)


円徳寺本堂
日蓮宗鎌倉本覚寺の末寺で、近浦山円徳寺と呼ぶ。
開山は大善院日範上人で、永仁二年(1294)この地に建立された。
その後、元禄の大地震のとき本堂は流され、享保六年(1721)再建されたが、
大正の大地震に再度倒壊され、昭和三年(1928)に新しく竣工し、今日に至る、とのこと。
住職の奥様らしき人によると、昨日、本堂の畳を入れ替えたばかりだそうだ。


境内の白梅は既に満開状態である。


濃いピンクの桜が咲きかけていた。
『ここではもう桜が咲くんだぁ』
『もう直ぐ春なんだねっ』


円徳寺にお参りして海岸に出ると、目の前に富士山が現れた。
雲一つない快晴に、裾野までくっきりと見える。これほどきれいな富士山は初めてである。
『いやぁ これは素晴らしいっ』回りからも歓声が上がる。


富士山をバックに記念撮影


後ろは、黒崎の鼻方面


和田海水浴場・長浜海岸を進む。


『波打ち際を歩くのは気持ちが良いねぇ』


流れ着いた茎ワカメを採っている人がいた。


採ったワカメが砂浜に積まれていた。
『けっこう採れるもんだねぇ』
『これって、美味しいんだよねっ』


『今日は素晴らしい天気に恵まれて最高だねっ』
『こんな良い天気は滅多にないんじゃないっ?』


『裸足で冷たくないのかねぇ やっぱり子供は元気だねぇ』


長浜海岸を過ぎると佃嵐崎(つくだらさき)の岩場が見えてきた。


『今日は来て良かったぁ 最高だわぁ』


佃嵐崎の岩と富士山が一幅の絵のようだ。


砂浜はこの辺りで終り、その先は岩場になっている。


『ちょっぴりスリルあるわねっ』
『ちょっと 怖いよぉ』


小高い岩場を上ると・・・


正面に富士山が見えた。


海蝕(波浪などの海水の運動により海岸や海底を侵食する作用)によって出来た崖や岩が
次々に現れる。
海蝕台や海蝕洞は、荒崎海岸の特徴となっている。


変化に富んだ磯の岩場を進む。
栗谷浜漁港の後ろに見える建物は、「サニーヒル横須賀」(老人ホーム)だ。
素晴らしい景色の所に建っている。


栗谷浜漁港で干物や沖漬などが売られていた。


”TVで放映”の宣伝文字に、早速猟師小屋の中を覗いてみる。


”生シラスの沖漬”は売り切れだったようだが、手にはしっかりと干物が入ったビニール袋が。


お仙ケ鼻の狭くて急な階段を下る。
『こんな道を通り抜けるというのも楽しいもんだねぇ』


『狭くて段差が大きいから、ちょっぴり怖いねっ』


小路を通り抜けると再び岩場が現れた。


この日は若潮で昼頃が満潮のため、前回来た時より砂浜が狭い。


潮が満ちて来て砂場を歩けないため、岩場を進むしかない。
『大丈夫かしら?』
『ゆっくり ゆっくり!』


弁天島が見えてきた。


岩場を渡る。
『おっとっとっと』
何てことはない幅だが、若い頃のようにはいかないようで・・・


『こんな所ばっかりだったら歩き易くて良いのにねぇ』


洞窟を通り抜けるのにも一苦労だ。
『しっかり掴まって!』


弁天島は、「関東ふれあいの道」NO.3「荒崎海岸」の撮影ポイントに指定されている。


弁天島の先のコンクリート橋を進む。
前方が荒崎だ。


コンクリート橋から振り返って観た弁天島
どちらからと言うと、こちらからの方が自分としては好きである。


右手に海蝕洞窟を見ながら進むと・・・


12時8分、荒崎海岸の終点に到着した。
荒崎海岸を1時間10分かけて歩いたことになる。


荒崎海岸の案内板近くに展望台があったので上がってみた。


眼下の海の色が一段と青く透き通っていて美しい。
『いやぁこれはまた素晴らしい景色じゃないですか』
『ここから富士山が見えれば最高なんだけどなぁ』
それは贅沢と言うものだろう。


そろそろお腹も空いてきたことだし、どこか弁当に相応しい場所はないものか?
と辺りを見回していると、旨い具合に公園のベンチを見つけた。
『よしっ、ここで弁当にしようっ』


棚がトンビから護ってくれることを期待して・・・


『トンビがこっちを見てるようだねっ』


上空にはいつの間にか数匹のトンビが弧を描いていた。


近くの電柱のてっぺんに止ってこちらの様子を伺っているヤツもいる。
後で聞いた話だが、サンドウィッチを盗られた女性がいたとのこと。
どうも女性が狙われ易いような気がするし、トンビはサンドウィッチが好物のようだ。


食後に公園近くの海岸から富士山を望んだ。
いつまでも見ていたいが、


13時ちょうど、荒崎公園を後にして、高等工科学校バス停を目指す。
途中の荒井漁港の風景


『立派な船がたくさん置いてあるわねぇ』


クルーザーだ。一度は乗ってみたい。


熊野三山より熊野神の勧請を受けたと云われる熊野神社前を通過。


長井町飴屋踊り」(横須賀市指定民族文化財)は、
昔、飴売りが頭に円い板台を乗せ、太鼓をたたいて面白おかしく歌い踊り、
客集めをしたことに始まると伝えられている。
かつては神社の祭礼として行われていたそうだが、現在は、秋の文化祭に開催される、
市の横須賀民族芸能大会で見ることができる、とのこと。


荒井漁港から富士山を望む。
午前中はくっきりとしていたが、次第に輪郭がぼやけて来た。
山頂付近に薄く雲もかかり始めた。


長井地区の市街地を進む。


長井漁港の直売センターがあったので、ちょっとだけ立寄って行くことにした。
『ちょっとだけだよねっ』なんて言いながら・・・・


うちのメンバーに限って言えば、見るだけで済む筈がない。


『美味しそうな干物だねぇ』
カレイ・アジ・サンマ・サバどれでも5匹で500円だ。
自分もアジx2・サンマx2・サバx1を袋に詰めた。


ほぼ全員が、手に手にビニール袋をぶら下げて直売センターを後にした。


長井漁港から見た富士山
輪郭がさらにぼやけて、山頂付近の雲が次第に大きくなってきた。
今日1日充分に楽しませてもらったことだし、『ありがとう』を心でつぶやいた。


13時59分、富浦公園に到着


ここで最後の休憩を摂り、


14時17分、富浦公園から5分ほどで陸上自衛隊高等工科学校前バス停へ到着した。


定刻より少し遅れて三崎口行きバスがやって来た。


14時50分、三崎口駅に到着し、駅前の土産門店を覗いてみる。
しかし、特に買いたいもの(冷凍マグロ)はなく、三崎口駅を後にした。


15時14分、久里浜駅に到着。


久里浜駅から横須賀線に乗り、


戸塚駅で東海道線に乗り換える。
行きとは逆である。


『富士山はしっかり観えたし、砂浜と岩場を歩いて今日は良かったねぇ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

「荒崎海岸シーサイドウォーク」ということで、早春の荒崎海岸の砂浜と岩場歩きを満喫した。
また、雲一つない快晴に恵まれ、素晴らしい富士山を観ることが出来て最高の一日となった。

2015年1月24日の鎌倉七里ヶ浜に続き、またしてもトンビにサンドウィッチを盗られるという被害に遭ったのは、ちょっと残念。
これから先、鎌倉・三浦方面を訪れる際には、トンビには悩まされそうだ。


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変わらぬ風景 朝日里山学校からフラワーパーク

2015年02月06日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2015年2月6日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第33回(2015年第4回)、「朝日里山学校からフラワーパーク」ウォーキングに参加した。
この日のコースは、2011年2月4日(金)に歩いている。4年振り2回目である。

第一集合場所の市民会館駐車場には14名が集まった。


車4台に分乗し、9時35分、朝日里山学校に到着。
直行していた4名と合せ、参加者は18名となった。


朝日里山学校
平成16年3月に閉校になった旧朝日小学校を活用し、里山文化を活かした交流・体験型観光施設となっている。
蕎麦打ち・竹細工・陶芸・ジャム作り・石窯ピザ作り・薪でご飯炊き などが体験できる。


早速、会長の掛け声による準備体操をして、


9時45分、出発!


この日のコース地図
前回2011年2月4日(金)と同じく、朝日里山学校から、先ずは菖蒲沢薬師堂にお参りして、
龍神様・庚申塚を経てフラワーパークへ向かう。
フラーパークで一休みして、県道138号(フルーツライン)を通り、小桜川に沿った田んぼ道を通り、
朝日里山学校に戻る、という全長約10Kmのコースである。


前方左に見えるのは里山学校体育館


この日の先頭を務めるのはOさん。
これまで無欠席はOさんのみだ。
初の皆勤賞受賞まで残りあと7回、頑張って欲しい。


里山学校から辻方面を望む。
凛とした空気に心地良さを感じる。


ビニールハウスの間を通り、県道138号(フルーツライン)へ


小桜川
冬の時期にしては水量が多い。


県道138号(フルーツライン)に出た。
横断歩道がないので、車が途切れた隙を見計らって一斉に道路を渡る。


辻地区はいちご農家が多い。
道路脇のあちこちに販売店が設けられている。


県道138号を右折し辻地区へ。


辻地区には立派な農家が多い。
藁葺の家も。


これは相当古そうな建物だが?
(ちょっと小さいが)かつての公民館のようだ。


旧公民館の近くに天満神社があった。
この日の無事を祈願していこう。


石垣というより庭の一部のようだ。
庭の石と石垣を兼ねた見事な造りである。
『いやぁ 素晴らしいねっ』


薬師古道の案内板


案内板に従って進むと道は次第に急坂になる。
『この道はけっこう堪えるねぇ』


薬師如来像・仁王像の案内
なお、ここから先は道が狭くて車は入れない。


法相宗 徳一法師御小屋跡
徳一法師は、藤原仲麻呂の弟9子として生まれ、4歳で仏門に入り、20歳のころには奈良でも有名な高僧となった。
しかし、現状の仏教に飽き足らず、関東や東北で30余の寺院を建立した名僧と言われている、とのこと。
西光院は、平安時代初頭の大同二年(807)、徳一法師の開基とされている。


急な坂道を登りきると、


眼下に「小町花街道」の景色が広がる。
右手は、小野小町伝説の北向観音堂を経て不動峠、北條大池へと続く。


菖蒲沢薬師への途中、古い石碑が立て続けに表れる。
先ず馬櫪神(ばれきじん
農耕馬の健康と安全を願う馬の守護神である。


続いて勢至菩薩を祀る二十三夜供養塔


さらに不動尊と続く。
この道は”薬師古道”の名に相応しい。


山道は次第にきつくなる。


天白稲荷大明神の鳥居があった。


赤い狐の狛犬で稲荷神社なのだと分かる。


少し上ると分岐があった。
菖蒲沢薬師堂へ150m
フラワーパークへは3.2Kmと案内されている。


先ず薬師堂へ向かう。


薬師如来座像覗き灯篭
『穴が小さくてよく見えないなぁ』
5年前の2010年3月27日(土)に訪れた時には薬師堂の青い屋根が見えたのを覚えている。


仁王門跡を過ぎ、


急な石段を下り、
『苔が生えてて滑りそうだなぁ』


濁った弁天池を過ぎ、


最後の石段を上ると・・・


目の前に薬師堂が現れた。


薬師如来座像
筑波四面の薬師(菖蒲沢・小幡・椎尾・東成寺)と称し、広い地域の人々撚り信仰されていた。
薬師如来座像は、二度の火災から村民に救われたが、記録を焼失しその由来は不詳とのこと。
室町期の作と推察される、と記されている。
昭和43年に石岡市の文化財に指定されている。


この仁王像も、二度の火災から難を救われたが、由来も製作者も不詳とのこと。
憤怒の様相より鎌倉期またはそれ以後の作と推察される、そうだ。


身丈2m10Cm、顔面と手足の一部に破損を見るが、仁王像としての形態を保ち、
今も薬師如来様守護の任を果たしている。


一息入れて、薬師堂を後にした。


次の目的地龍神様へ向かう。


龍神様まで150mの表示。
もう直ぐだ。


落ち葉の中、龍神様へ向かう。


10時39分、龍神様に到着。
龍神様は、大きな岩で出来ており、岩の窪みのところに小さな祠が祀られている。


龍神様から県道138号(フルーツライン)の先に雪入り方面の山々が見える。
麓の白い建物は六本木イーストツクバスタジオか?


龍神様で一息入れる。
『お茶が美味しいっ』


『どうぞっ』
『おっ これはこれはごちそうさまぁ』


笹が生い茂る中をフラワーパークを目指す。


龍神様から300mほど進むと、庚申塚と書かれた標識があった。
笹に覆われて分かり難いが、高さ1m足らず、直径2m余の小さな塚(庚申塚)がある。
塔などはないので、標識がないと全く分からない。


フラワーパークまで2.7Kmの案内


庚申塚からは下るだけだが・・・


道の中央部が雨でえぐれており、両側の一段高い所を歩くのだが、
何とも不安定で、右へ行ったり、左へ行ったりと歩き難い。


庚申塚から山道を下ること20分、ようやく麓の下青柳地区に出た。
前方に見えるのは筑波山だ。
『やったぁって感じだねっ』


『ここから見る筑波山も素敵だねっ』


ここからは女体山だけしか見えないが、単峰の筑波山もなかなか良い。


下青柳の里を進む。


田んぼの両側に下青柳の集落が点在している。
のどかな田園風景に癒される。


下青柳の里の道
『車がたまにしか通らないから安心だねっ』


田んぼの畦道を通り、少し近道をしよう。


金網の向こう側は、フラワーパークである。


11時36分、フラワーパークに到着。


フラワーパークの駐車場はかなり空いていた。
真冬の平日ともなれば、これは仕方のないことだろう。


女性の皆さんは産直品の売店へ直行だ。
例会の際に、産直店へ直行する女性陣の購買パワーにはいつも感心させられる。


産直品の売店でそれぞれ欲しいものを買い求め、皆さん満足そう。


11時56分、フラワーパークを後にする。
『また違った季節に来てみたいわねっ』


下青柳バス停を通過


日差しを受けて『ようやく身体が温まってきたわねっ』
この日の予想最高気温は10℃、じっとしていると寒い。
やや速足で歩くと身体が温まってちょうど良い具合になるのだ。


忠魂碑の横に馬頭尊碑があった。
”西谷號”は飼い主の名前をそのまま馬に付けたのだと思われる。


県道138号(フルーツライン)は車が多いため、月岡地区を進む。


『いやぁ 大きな長屋門だなぁ』


『凄~いっ これはまたたまげたもんだねぇ』


高麗門造りの門構えは、まるで武家屋敷のようだ。
この辺りの農家の門には圧倒される。


月岡地区を過ぎ、田んぼ道を進む。


小桜川沿いの畦道を進む。


左手に秋葉峠の浅間山(344.6m)が見える。


12時44分、里山体育館に到着


12時47分、ゴールの朝日里山学校に到着した。
『お腹が空いちゃったわねっ』
この日は、弁当なしのため、帰りに蕎麦でもということに。


小町の館へ直行だ。
朝日トンネルを過ぎると直ぐなので、朝日里山学校から5分とかからない。


小町の館
『何を注文しようかなぁ』


おろし蕎麦を注文した。
なかなか美味かった。


『ここの蕎麦、腰があってとっても美味しいわねっ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

”朝日里山学校からフラワーパーク”は、4年振りの企画となった。
当時とはメンバーも大分変わり、今回初めての参加と言う人が半数以上いた。
後で、5年前(2010年)の会員名簿と見比べて、半数以上の会員が入れ替わっていたことに正直驚かされた。
随分会員も入れ替わったものだと、時の流れを感じずにはいられない。

そんな中で、当時のままの薬師古道の景観や下青柳地区・月岡地区の田園風景の中を歩けたのは嬉しい限りである。
これからもずっと今のままの状態であって欲しいと願うばかりだ。
また何年か後に歩いた時に、この日と同じような景色を味わいたいものである。


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