ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

振替輸送のハプニングも 高尾山ハイキング

2014年03月29日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」


2014年3月29日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第40回(2014年第10回)、「高尾山」ハイキングに参加した。
25年度最後の例会である。

当初の予定では、高尾山ハイキングは1月中旬の例会に計画していたが、「冬の真最中に高尾山では何も見るべきものがない、
春になればスミレを見ることが出来るかもしれない」とのアドバイスがあり、この日予定していた江ノ島一周ウォーキングと
入れ替えた経緯がある。

この日のコースマップ
高尾山自然研究路6号路を上り、自然研究路1号路を下るというものである。
高尾山自然研究路コースマップを一部修正し、ほぼそのまま使わせてもらっている。


荒川沖駅


8時12分、東京駅1番ホームに着いたちょうどその時、
「新宿駅で人身事故が発生し、中央線は全面的に運転見合わせ中」の場内放送。
新宿駅で人身事故が発生したのは8時5分頃と言うから発生してまだ間がない。
中央線が運転再開するには優に50分はかかるだろう。
振替輸送する、ということだが、山手線では時間がかかり過ぎる。ここは丸ノ内線しかない。
ということで、急遽、丸ノ内線東京駅へ。


丸の内線東京駅で新宿行き電車を待っているところ。
この日の参加者は20名ちょうどである。


京王線を利用するべく改札口を通過しようとしたところ、京王線の車掌から
『休日お出かけパスや青春18キップは振替輸送の対象外です』と告げられて、びっくり。
わざわざ京王線のキップを買うなんて何のための振り替え輸送なんだろうと、納得いかない顔をしていると、
確認の電話をしていた車掌が、『申し訳ございません、振替輸送は利用可能です』と平謝り。
一同納得して、京王線のホームへ。


京王線車内
『一時はどうなるのかと思っちゃったわょ』
『でも乗れて良かったわよねぇ』


10時1分、京王高尾山口駅に到着。
当初の計画より約40分ほど遅れての到着である。
人身事故で振替輸送を利用した割には早く着いた、という感じである。
ここではJR高尾から京王高尾山口までの運賃120円は、しっかりと請求されたが、全員納得。


体調を整えて、10時15分、高尾山口駅を出発!


この日の先導役は、高尾山については知り尽くしているというK子さんにお願いした。
ここは、これまで200回近くも高尾山に通っているというK子さんをおいて他にない。


ケーブルカーには乗らず、清滝駅を通過。
駅前はガランとしていた。
現在、巻上機等更新工事で4月10日頃まで運休中だそうだ。


高尾山自然研究路6号路へ向かう。


6号路に入る少し手前に七福神全員が揃った像が並んでいた。
洗心地蔵尊や不動明王などと共に祀られている。


登山道上り口までの道はほぼ平坦である。
『山頂までこんな調子だったら良いのにねっ』


自然研究路6号路入口で、準備運動だ。


次々と登山者が前を通り過ぎて行く。


10時30分、K子さんを先頭に登山開始だ!


杉木立を進む。
なかなか良い景色である。ハイキングをしている気分になる。


オートバイが通過して行く。
山頂へ荷物を運んでいるのかと思ったら、自然道修復のための砂利を運んでいたことが後で分かった。


右手は小さな沢になっている。


弘法大師が雨宿りしたと言われる岩屋大師の洞窟と云われるそうだが、人工的な部分が垣間見える。
中には弘法大師や弁財天のような像が祀られているそうだ。


沢沿いの道はぬかるんでいた。
靴はたちまち泥だらけである。


6号路といったん分かれ、琵琶滝へ。


前方に琵琶滝が見えるが、この先へは行けない。
琵琶滝についての案内板によると、
むかし、偉いお坊さんが、高尾山を歩いていると、どこからか琵琶の音が聞こえてきました。
しかし、その琵琶の音がどの方角から聞こえて来るのか分からりません。
その時一頭の鹿が現れ、「どうぞこちらに・・・」と言うように先へ立って道案内をしました。
お坊さんが鹿の後に付いて行くと、白髪の老人が岩の上に座って琵琶を弾いていました。
とお願いしました。


すると老人の姿は大岩に吸い込まれるように消え、そこにはまるで白髪のような清らかな滝があらわれました。
その滝の音は、琵琶の調べのように美しく、お坊さんはこの滝を悟りを開くための修行の場としました。
これが、琵琶滝です、と紹介されている。


いったん先ほどの分岐点へ引き返して6号路を進む。


6号路は木の根っこが張り出して、下手をすると足を挫きかねない。


6号路は沢を跨ぐ小さな木の橋も設けられている。


ところどころにはまだ雪が残っていた。
『なかなか融けないものなのねぇ』


ニリンソウが咲いていた。


杉の大木を縫うように道が続いている。


11時13分、大山橋に到着。
高尾山頂まであと1.3Kmとある。


ここで一息入れることにした。
ここは軽いお茶タイム。


数分後、K子さんの号令で再び登山開始だ。
今度は沢を左手に見ながら進む。


次第に上りがきつくなってきた。


道は木の根や岩がごろごろして、歩き難い。


上半身裸の外人とすれ違ってびっくり。
この日は4月中旬並みに暖かい、とは言っても、上半身裸とは。
その後に続くもう一人は、何と裸足である。
この岩道を裸足で歩くとは、これには驚かされた。
『え~っ うっそ~っ 信じられない~っ』
しかしよく考えてみると、裸足の方が地面に馴染んで滑ったりしないかも。、


稲荷山コースへの分岐点を、直進して6号路を進む。


飛び石の岩の上を歩くのは、濡れていて滑り易いので危なっかしくて大変だ。
先ほどすれ違った外人が裸足で歩いていた理由が分かったような気がする。


『スミレが咲いてるよっ』


植物には疎い自分は、このスミレの正式な名は分からないが、小さくて可憐な花である。
高尾山周辺はスミレの宝庫で、20種以上あるとのこと。


丸太の階段を上る。


K子さんによると、この階段は10分ほど続くらしい。
次第に息が上がってきた。隊列が次第にバラけてきた。


『あ~っ やっと着いたようねっ』
入会以来毎回欠かさず参加しているS子さん、今回の参加で、今年度の皆勤賞確定である。
『おめでとうございますっ!』


山頂を目前にし、ひとまず休憩して、呼吸を整える。


再び高尾山山頂を目指す。
『頂上はもう直ぐだよねっ』


サンシュユ(山茱萸)の花が咲いていた。
葉がつく前に木一面に黄色の花をつけることから、「ハルコガネバナ」とも呼ばれる、そうだ。


山頂が見えてきた。
前方の崖の上に、人が並んで腰を降ろしているのが見える。


11時59分、山頂に到着。
6号路は上り1時間30分と言うから、ほぼ時間通りだ。


『うわぁ~っ 凄い人だわねぇ~』
ベンチは満席、腰を下ろせるような場所は人で埋め尽くされている、といった状態である。
これでは、揃って弁当は無理と言うもの。
めいめい適当な場所を見つけて弁当にしてもらい、13時目標に再び集まってもらうことにした。


下山する人から『富士山が見えた』と聞いていたので、展望所へ行くと、
うっすらと富士山が見えた。


上手い具合にちょうど先客がベンチを立ったので、そっくり譲ってもらって、弁当タイム。
『良かったねぇ、良い具合にベンチが空いて』


13時ちょうど、全員揃ったところで、下山開始。
案内役はもちろん、K子さんである。


基本的には1号路を下るとのことだが、薬王院までは富士道(ふじみち)を通るとのこと。


富士道という道があるのは初めて知った。
山頂の混雑からは考えられないほど、人影が少ない。
我々一行の他には数人が歩いているだけだった。
富士道は、一部の人にしか知られていないようだ。


スミレがあちこちに咲いていた。


富士道をて下って行くと・・・


高尾山大本坊(客殿)に出た。
初めて見る建物である。


大本坊を進むと仁王門前の階段に出た。
『あぁ 何か見覚えがある』
見覚えのある薬王院仁王門の石段の前に出て、初めて自分がどこにいるのかが分かった。


天狗の像


山門


山門には四天王像が配置されている。
これは北方を守る多聞天像
単神で祀られる場合、毘沙門天とも呼ばれ、七福神としても人気がある。


参道を進む。
杉の苗木を寄付した人の名前がずらりと並んでいた。
『高尾山の杉は、凄い数の人の寄付によるものなんだねぇ』


ごまだんご屋の前は大勢の客が並んでいた。
ごまだんごは人気があるようだ。


1号路の女坂を進む。


下りだけだと思ったら、少しだけ上りがあった。


林野庁殉職者慰霊碑前に出た。


13時34分、薬王院参道が始まると言われる浄心門を通過(境内側から浄心門を見たところ)
浄心門は、ここから薬王院の境内であり聖域であることをしめしている、そうだ。


高尾山の名物蛸杉を通過。


『土産物屋はどこも人がいっぱいだわねぇ』


見晴しは悪くはないが、遠くまではっきりとは見えない。


13時45分、山頂リフト駅に到着


山頂リフト駅を見下ろす場所で一休みして、


急坂の1号路を下る。


女性もついつい大股になる。
『勝手に足が延びちゃうのよねっ』


13時58分、金比羅神社に到着


『ここからの眺めもなかなか良いよねぇ』


金刀比羅台園地の標高は387mと表示されている。
東京タワーよりちょっとだけ高い。
あいにく都内や新宿方面は霞んで見えなかった。


ここからは直接JR高尾駅を目指すことになった。
高尾駅まで約2.3Kmと表示されている。
この道は案内役のK子さん以外はみんな初めてである。


やや急な道を下る。
滑り易いので、危険が伴う。


『足元に気を付けてっ』


坂道を下ること約20分、麓の家々が見えてきた。


『高尾山と甲州街道の分岐点に降りてきたんだぁ』


甲州街道(国道20号)をJR高尾駅を目指す。


中央線の陸橋が見えてきた。


中央線の線路沿いに歩く。
国道20号線よりも若干近道らしい。


もくれんの花が真に満開状態である。
『いやぁ これは見事だねぇ』


高尾山と甲州街道の分岐点から歩くこと15分、高尾駅に到着した。


高尾駅


快速電車を1本見送り、15時01分発の中央線特別快速でゆっくり座って帰ることにした。


『皆さん、今日は大変お疲れ様でしたぁ』
と、ここまでは良かったが・・・
次の西八王子駅で、隣の八王子駅の線路脇の民家で火災が発生したとのこと。
消火活動で線路内に消防士が入ったりしている状況のため、しばらく発車を見合わせるとのこと。
約30分後、ようやく電車が動きだして、帰路につくことができた。


久しぶりの高尾山で、自然研究路6号路や富士道など、初めてのコースだったが、
早春のハイキング気分を満喫した。
これも高尾山を知り尽くしていると言うK子さんの案内のおかげである。
少しでも運賃を安く、ということで、休日お出かけパスや青春28キップを使ったが、
週末の人の多さは半端じゃないことをあらためて知った次第である。

朝の新宿駅での人身事故で東京メトロ・京王線への振替え輸送を余儀なくされたり、
帰りの電車が火災で待たされたり、この日は中央線のトラブルに付き合わされた、
記憶に残る一日でもあった。


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旧東海道を歩く 第Ⅰステージ第3回 川崎宿から神奈川宿

2014年03月23日 | ウマさんの「旧東海道」を歩く
2014年3月23日(日)

今月8日(日)に第二回目(品川宿から川崎宿)を歩いたばっかりだが、
続いてこの日は当初の予定どおり、第三回目(川崎宿から神奈川宿)を実施した。

常磐線荒川沖駅で電車を待っているところ。
荒川沖駅からの6名は、青春18キップ(2,300円/1人)を利用することにした。
休日お出かけパス(2,600円)よりもさらに300円お得である。


常磐線車内


上野駅から山手線で東京駅に向かう、この日の参加者12名。


この日のスタート地JR川崎駅には9時5分に到着。
駅構内や駅前は混雑しているので、準備運動は省略だ。


京浜急行川崎駅前を通過し、前回歩き終わった砂子交差点へ向かう。


9時14分、砂子交差点からあらためてスタートし、旧東海道川崎宿いさご通りを進む。


小土呂橋交差点を渡り、振り返っているところ。
『かつてここに小土呂橋があったんだぁ』
東海道と新川堀の交差地点には古くから石橋、小土呂橋があったが、現在川はすべて暗渠となっている。
かろうじて「小土呂橋」の地名が交差点名あるいはバス停となって残る。
その橋に使用された洒落た擬宝珠(ぎぼうし)が2基、交差点脇に保存されている、とのことだったが、
あいにく確認できなかった。


川崎宿大名宿泊関札
棒鼻の石垣の上には、その日その宿場に泊まる大名の関札が掲げられていた。
本陣の前にも掲げられたこの関札には立派な檜の皮が使われ、毛筆で堂々とした書体で記され、非常に大切にされた。
これを粗末に扱ったために、事件や紛争になって処罰されたこともあった、ほどだそうだ。
実際の関札を複製したもので、「加藤遠江守宿(かとうとおとうみのかみやど)」と書かれている。


教安寺は一乗山究竟院と号し、浄土宗江戸芝増上寺の末寺である。
本尊は三尊の木造阿弥陀如来座像。
教安寺の創建年代等は不詳だが、教安が開山となり創建したと云われている。


教安寺本堂
回りを高層マンションなどに囲まれている。


教安寺鐘楼
江戸時代に鋳造され、川崎市内に今でも残る三つの梵鐘のうちの一つである。


県道140号線川崎警察署東側入口交差点を横断


京浜急行八丁畷駅の100mほど手前に芭蕉の句碑があった。
元禄七年(1694)5月11日、松尾芭蕉が江戸深川の庵を発って郷里の伊賀へ帰る時、
八丁畷の腰掛け茶屋で休み、別れを惜しんだ場所である。


句碑
門人達が「翁の旅を見送りて」と題して句を詠み、それに応える句
麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」と返事をした。
この年の秋に、芭蕉は大坂で亡くなった。まさにこの句が惜別の一句となった。


”麦の別れ”の句碑の脇に1坪ほど麦が植えられていた。


八丁畷駅


八丁畷駅の踏み切りを渡ると、直ぐ人骨供養碑がある。
八丁畷付近では、江戸時代から多くの人骨が発見され、戦後も道路工事などでたびたび掘り出され、
その数は十数体にも及ぶ、という。
これらは、科学的な鑑定の結果、江戸時代頃の特徴を備えた人骨であることが判明、とのこと。


人骨供養碑
当時の記録によると、川崎宿では震災や大火・洪水・飢饉・疫病などの災害にたびたび襲われ、
多くの人々が落命している。
恐らくそうした災害で亡くなった身元不明の人々を、川崎宿の外れに埋葬したものと推察されている、
とのこと。


9時58分、八丁畷駅前のコンビニで一休み。


熊野神社
徳川家康入国に際し、武運を祈った神社である。


社殿は赤穂浪士ゆかりの宮大工、渡辺喜右衛門及びその子孫により造営された。


市場の一里塚
日本橋から一里(約4Km)ごとに五間四方の塚を築き、塚の上に榎を植え、街道を往来する
旅人の目安としたが、「市場の一里塚」は日本橋から5里目にあたる。
昭和初期までは榎(えのき)の大樹が茂っていたそうである。


鶴見川橋
旧東海道にしては随分とモダンな橋である。


鶴見川橋を渡ると・・・


左手に鶴見橋関門旧蹟がある。
安政六年(1859)、神奈川奉行は横浜開港で入国して来る外国人に危害を加えることを防止するため、
また攘夷派浪士に対する警備のために、川崎宿から保土ヶ谷宿までの間に20か所の見張り番所を設置した。


この鶴見橋関門は、万延元年(1860)に設けられた。


道路の反対側に寺尾稲荷道と書かれた道標があった。
江戸時代、ここは旧東海道と、当時の主要な道であった「寺尾道」と呼ばれる道の分岐点であり、
寺尾道は、ここから東急東横線の菊名駅方面へと続いていた、そうだ。
寺尾稲荷は、現在は馬場稲荷と名前が変わり、横浜市鶴見区馬場三丁目に現存している、とのこと。


10時37分、鶴見神社の鳥居前に到着。


鶴見神社
創建は1400年前の推古天皇の御代といわれ、「続日本後紀」に杉山明神の名前が見える古社。
大正九年(1920)に現在の名称に改称された。
平成20年の調査で、本殿前に弥生時代末期から古墳時代前期にかけての貝塚が確認された。


鶴見神社に合祀された様々な神社が並んでいる。


一番奥に鶴見七福神があり、ここ鶴見神社は、寿老人を祀っている。
他に横浜熊野神社(福禄寿)、大本山總持寺(大黒天)、東福寺(毘沙門天)、
正泉寺(恵比寿神)、安養寺(弁財天)、松蔭寺(布袋尊)の7寺社がある。


鶴見区の町中を進むと、


旧東海道は京浜急行鶴見駅前の繁華街に出た。


京浜急行鶴見駅前の通りを進む。


国道15号線を横切って進むと、JR鶴見線国道駅が見えてきた。
電車が停まっている。


生麦4丁目に入ると右手に鮮やかな朱色の鳥居の道念稲荷神社があった。
創建年代は不詳だが、新編武蔵風土記稿に記載のあることから江戸時代末期には創建されていた、とのこと。


道念稲荷神社の蛇も蚊もじゃもかも)行事は横浜市指定民俗文化財となっている。
約300年前に悪疫が流行したとき、萱で作った蛇体に悪霊を封じ込めて、海に流したことに始まると伝えられている。
萱で作った長大な蛇体を若者・子供がかついで「蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ」と
大声で唱えながら町内をかついで回る、というものだそうだ。


水神宮50mの案内があり、地元の人が『なかなか良い神社だよっ』と声を掛けてくれたので、立寄ることにした。
細い路地を進むと、


左手に水神宮があった。
社務所で貰った資料「なまむぎ今は昔」によると、
南浜に鎮座するこの社は、宝暦年間に再建とあるが、由来等は不詳、とある。
昔から北の八幡様、本宮の道念様、原の神明様、南の水神様として地区の人々の信仰を集めていた。


特に北や本宮の漁師達は、「板子一枚下は地獄」の海の仕事に危険はつきもので、
安全を願い、大漁を祈願する神として、水神宮への信仰は大変に厚いものだった、そうだ。
生麦漁業協同組合、生麦魚介類商業組合が建立したとみられる水神宮の碑。


水神宮本殿の横に富士浅間大神の碑が建てられていた。
富士山信仰が大いに流行っていた証である。


生麦事件現場
旧東海道に面した一般家庭の庭先に「生麦事件発生現場」の説明板がある。
生麦村名主の日記を記したもので、文久二年(1862)8月21日の事件現場とある。
ロバート・フォーチュン著「幕末日本探訪記」にも詳しい、とのこと。


生麦事件現場からキリンビール工場を目指す。
レストランビアポートには11時45分頃に到着する旨を連絡しているので、あと15分ほどである。


高速道路(横浜環状北線)の工事中だ。
生麦と港北を繋ぐのだそうだ。
キリンビール横浜工場の一部を通っている。


生麦事件供養碑
文久二年(1862)8月21日午後2時頃に事件が起きた。
江戸から帰途中の薩摩藩島津久光一行の行列を、騎馬で横切ろうとしたイギリス商人リチャードソンは、
現場から700m逃げ延びたものの、ここで絶命。
その後明治16年に鶴見の黒川荘三が遭難の碑を私費で建立した。
現在高速道路工事のため、少し離れたこの場所に移動を余儀なくされている。


11時43分、キリンビール横浜工場に到着。


『レストランビアポートはどっちかな?』


きれいに手入れされた公園のような庭を進むと・・・


レストランビアポートがあった。
11時45分、予約した時間ぴったりに到着した。


レストラン内
既に弁当は並べられていた。
到着時刻を伝えておくと、その時刻に合せて料理して配膳するそうだ。


予約した昼食弁当(松花弁当)。
これにご飯とみそ汁が付いて1,350円は、とてもリーズナブルである。


この横浜工場オリジナルの、スプリングバレー(480円)を注文。


『かんぱ~いっ』『お疲れさま~っ』


キリンビール工場ビアビレッジ
工場見学は毎週日曜日の11時15分から12時40分に行われている。
先着20名というから競争率はかなり厳しい。


庭はきれいに手入れされている。
季節の花々や木々が美しい。
環境には力を入れているというところを感じてもらうのが狙いなのだろう。


国道15号線新子安駅入口を通過。


京浜急行子安駅付近を通過。


国道15号線に架かる陸橋


前方は横浜方面だ。


国道15号線に架かる陸橋を渡る。


海岸山良泉寺は、真宗大谷派に属する寺院である。


説明板によると、
本願寺第八世蓮如上人に帰依した蓮誉(れんよ)が小机付近の旧街道沿いに草創。
慶安元年(1648)入寂したこの寺の第四世良念の代に、徳川幕府より境内地の施入(せにゅう)を受け、
現在地に移転したと伝えられている、とのこと。
本堂からは何故か雅楽の音色が流れていた。


横浜開港当時、諸外国の領事館に充てられることを快しとしないこの寺の住職は、本堂の屋根を剥がし、
修理中であるとの理由を口実にして、幕府の命令を断ったと云われる、そうだ。


神奈川宿本陣の説明板
神奈川宿には、東の神奈川本陣と西の青木本陣があった。
神奈川本陣は、石井家(源左衛門)、青木本陣は鈴木家(源太左衛門)がそれぞれ任命された。
紛らわしい名前である。


国道15号線を横浜港に繋がる準用河川滝の川を右折し、


30mほどのところを左折すると曹洞宗の寺院宗興寺(そうこうじ)があった。


ヘボン博士
アメリカ人宣教師で医者でもあったヘボン博士は、開港まもない1861年にこの寺に施療所(せりょうしょ)を開き、無料で多くの患者の治療にあたった。
生麦事件の当日も傷ついた一行の治療にあたった。
博士は施療所事業のほか、ヘボン式ローマ字や、我が国初の和英辞典の編さん、聖書の和訳、
明治学院の創設等、近代文化や教育に多大な功績を残した。


旧東海道は、国道15号線からいったん分かれ、宮前商店街の方へと進む。


宮前商店街を50mほど進むと右手に洲崎大神(すさきおおかみ)があったので、立寄ることにした。


洲崎大神は、建久二年(1191)6月26日、源頼朝公が安房国官幣大社安房神社の御分霊を勧請し、
幕府直轄の神社として創建した、という由緒ある神社である。
拝殿は歴史を感じさせる建築様式である。


洲崎大神から100mほど先の右手に甚行寺(じんぎょうじ)があった。
真宗高田派の寺院で、意円上人が本山の専修寺14世堯秀を勧請して明暦二年(1656)に創建した。
江戸時代の開港当時、本堂が一時フランス公使館に充てられていたと云われる。


京浜急行神奈川駅前の青木橋を渡り、


東海道線を跨いで、信号を渡ると、


本覚寺への坂道があった。


本覚寺から横浜駅方面を望む。ここからの見晴しは素晴らしい。
開港当時アメリカ領事のハリスが自ら周辺を見聞し、渡船場にも近く、丘陵上にあり、
横浜港全体を見晴らせる本覚寺を領事館にすることを決めたという。


本覚寺は、旧アメリカ領事館だった。
また、生麦事件で斬られたイギリス人2人が逃げ込んだ場所でもある。


横浜開港の頃にアメリカ領事館員が塗ったと云われる、日本初のペンキ塗装の山門が現存する。
そう言えば四脚門の脚の部分が何となく白っぽい・・・
山門はこの地域に残る唯一の江戸期の建築物でもある。


本覚寺は、臨済宗の開祖、栄西禅師により鎌倉時代に草設された古刹で、天文元年(1532)に
曹洞宗に改められた。


この日の無事を感謝してお参りをしていこう。


この日は、ここ本覚寺が最後の訪問地である。
横浜駅に向かう前に最後の休憩だ。
『今日もかなり歩いたねぇ 疲れたせいか甘いものが美味しいねっ』


本覚寺を後にする。


この日のゴール横浜駅へ向かう。


14時37分、横浜駅に到着
『今日は大変お疲れ様でしたぁ』


「旧東海道を歩く」第三回目(川崎宿~神奈川宿)を無事歩き終えた。
天気も良かったのは何よりだった。
キリンビアポートでの弁当とビールは美味しいと好評だった。
記憶に残る食事となったことだろう。
機会があれば、今度はかみさんと訪れてみたい。

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強風もなんのその 霞ヶ浦大橋を歩く

2014年03月21日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年3月21日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第39回(2014年第9回)、「歩崎公園から霞ヶ浦大橋」を歩くウォーキングに参加した。

この日歩いたコース図
歩崎公園から霞ヶ浦の湖岸を歩き、霞ヶ浦大橋を渡って、対岸の道の駅「たまつくり」観光物産館で
買い物を楽しもうというものである。


第一集合場所の土浦市民会館駐車場に集まったのは12名。
今日は春分の日、春のお彼岸である。
皆さんお墓参りなどで歩いている暇はない、ということだろう。
『近場にしてはちょっと寂しいねぇ』と会長のぼやきも聞こえる。


車4台に分乗し、スタート地点の歩崎公園へ。
直行した4名と合せ、結局この日の参加者は16名となった。


いつもの準備体操


『今日は風が強いわねっ』
予報によると、関東地方では風速10m近くは吹くらしい。


9時49分、出発!
前方左手に見えるのは、かすみがうら水族館
霞ヶ浦の生物だけに限らず、日本国内の有名淡水生物から、海外のものまで、
多様な生物たちが、淡水世界の魅力を伝えてくれる、そうだ。


この日の先頭を務めるのは、いつも元気なOさん。
腰の具合も大分良くなったとのこと。


霞ヶ浦の湖面が太陽に反射してキラキラと光って美しい。
この辺りはまだ風はさほど強くない。


左手に歩崎観音の展望台が見える。
帰りに立寄ることにしている。


湖岸のコースは歩道と車道に分かれている。
後ろからの車を気にすることもないし、歩き易い。
話しに夢中になっていても安心だ。


歩崎観音を過ぎると広い田園風景が広がり、風を遮るものが何もない。


風が次第に強くなってきた。


少しでも風の影響が少ないと思える土手の下を歩く。


ほどなく、皆さん土手へ。
『土手の下と上では大して変わらないねっ』
土手が低いので、あまり風避けの効果がないし、草が生えていて歩き難い。


スタートしてちょうど30分、一休みしていこう。
工場が風避けになってくれる。


小さな港を通過
強風のため、漁はお休みのようだ。


霞ヶ浦大橋が近付くにつれ、北西の風が強くなってきた。
風速15m/sはあるのではないか。
帽子を飛ばされないように押さえている。


霞ヶ浦大橋だ。
対岸に”虹の塔”が見える。
橋の長さは約1Km、渡るか引き返すか迷ったが、進むことにした。


霞ヶ浦大橋を渡る。
強風で足元がよろける。
また大型トラックが猛スピードで通過すると一段と風圧を受ける。


強風のせいか、筑波山、足尾山、加波山、吾国山などの筑波連山がはっきりと見える。


”虹の塔”が次第に大きく見えるようになってきた。


かすみがうら市と行方市(なめがたし)の境界だ。
ちょうど橋の真ん中、残り約500mである。


この強風の中、我々以外に歩いている人などいないだろうと思ったら、自転車を押している老女がいた。
正面からの強風のため、なかなか前へ進まない様子だった。
『お婆さん、気を付けてねっ』


霞ヶ浦大橋を渡り始めて13分、対岸の観光物産館・虹の塔が近付いてきた。


橋を渡りきったところで土手を降り、


橋をくぐると、


道の駅「たまつくり」観光物産館だ。
時計は10時45分を差していた。
歩崎公園を出発してほぼ1時間が経過していた。


観光物産館から見た筑波山
湖面に立つ白波から風の強さが分かると思う。


観光物産館には大勢の人が買い物に来ていた。


強風のことは忘れてしばし買い物を楽しむ。
これが無ければこの日の参加者は半減していたことだろう。


買い物も終わり、引き返すことに。
『さっきお婆さんも自転車押して歩いてたもんなぁ』
他に手段はない、来た道を引き返すしかない。


帰りは強烈な向かい風である。
来た時よりも一段と強く感じる。


『いやぁ これは台風並みだぁ』
『まともに目を開けてられないよぉ』


15分ほどかけて橋を渡りきると、強かった風も少し弱く感じるようになった。
『いやぁ 一時はどうなることかと思ったわっ』
皆さん何事もなく、『一安心』と言ったところである。


東福寺を通過
線香の香りが漂ってきた。
『帰ったらお墓参りにいかなくちゃっ』


満開の梅が辺り一面に香る。


『桜が待ち遠しいけど、梅の香りも良いわねぇ』


11時39分、村の鎮守田伏鹿島神社に到着


大分お腹も空いてきたところだが、この日は弁当なしだ。
いただいたお茶菓子で一時を乗り切ろう。
『ご馳走さまぁ』


11時47分、田伏鹿島神社を後にして、


ゴールの歩崎公園を目指す。


木々や家のおかげで風も弱くなり、春の日差しが暖かく感じられる。


電柱に霞ヶ浦マラソンの距離表示があった。
23Km付近といえば、ちょうど中間地点、折り返しを過ぎた辺りだ。
一番きついところだろう。


歩崎観音様にお参りして行こう


歩崎観音仁王門
歩崎観音の山号は歩崎山。
正式には宝性院歩崎山長禅寺という。


観音堂
天平年間、聖武天皇の代に、行基菩薩が南都奈良において彫刻した十一面観音を旅の僧に与え、
この僧侶が当地に至り、山上に一堂宇を建立して安置したといわれる。
この観音像は、一説に一本の大木で三体の観音像を刻んだが、根本の材料で作られたものは下津村加茂の南円寺に、
中ほどの材料で作られたものがこの歩崎に、先の方で刻まれたものは崎浜の寺に納められ、
いずれも茨城の三観音として国宝級のものであるといわれる。(Wikipediaより)


境内の一隅に映画「米」の撮影記念碑が建てられていた。
碑の裏には監督今井正、脚本・原作八木保太郎、音楽芥川也寸志といった製作陣を始め、
出演者の望月優子・木村功・江原真二郎などの名前が刻まれているのが読み取れる。


歩崎観音展望台
『今日は遠くまでよく見えるよなぁ』


『キラキラ光っててきれいね~っ』


歩崎観音展望台を後にして、歩崎公園へ。
下りは急階段だ。
『気を付けてねっ』


階段を下ると、


直ぐ前がかすみがうら水族館である。
水族館の中庭を通って、


水族館の入口に到着。ゴールである。
時計は12時20分を差していた。


整理運動をして、
『皆さん、今日は大風の中大変お疲れ様でしたぁ』


帰りに名物の佃煮の昆布を求めて、郷土資料館前のGarden Park Shellへ。
一見、喫茶店のような造りであるが、


店の中は佃煮がずらり。
めいめい、いろんな佃煮を買い求めていた。
『うわぁ いろいろあって迷っちゃうわぁ』


かみさんの土産に買ったのは、甘口昆布(300円)と葉唐昆布(300円)
ご飯を美味しく食べてもらえるかな? それとも私の酒のつまみに?


この日は台風並みの強風のなか、歩崎公園から霞ヶ浦大橋を往復した。
風によろけながらも何とか無事に往復でき、記憶に残るであろう一日となった。
今まで雨や雪のなかのウォーキングは経験があるが、今日ほどの強風のなかのウォーキングは始めてだ。
これからもこのような状況の日があるかもしれないが、この日の経験を参考にしたい。


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カタクリとイワウチワの馬頭・早春花ハイキング

2014年03月18日 | ウマさんの気ままなバスハイキング
2014年3月18日(火)


常南トラベル(株)が主催する日帰りバスの旅「カタクリとイワウチワの馬頭・早春花」ハイキングに参加した。
常南トラベル(株)としては、馬頭・早春花ハイキングは今回が初の試みで、今日がその初日だそうだ。
栃木県那珂川町(旧馬頭町)にカタクリ、イワウチワの花を求めて歩くという企画であるが、
果たして両方の花を見ることが出来るのか。
所属する「健康ウォーキング同好会」からは、会長以下有志の8名が参加した。

6時15分、荒川沖駅前で常南交通本社(谷田部)からの大型バスに乗り込む。
マイクロバスで取手・守谷・竜ヶ崎・牛久方面からやってきた参加者と合せて15ほどになった。


バスに乗ると直ぐにいつもの朝食弁当が配られた。
常磐道に乗ってから食べることにしよう。


バスは土浦駅東口(約10名)、石岡ロードパーク(約5名)へと周り、合計で37名とほぼ満席状態になった。
このところの常南交通社のバスハイキングはどれも満席状態で同社の稼ぎ頭ではないかと思う。
常磐道友部SAで最初の休憩。


那珂ICで高速を降り、国道118号・国道293号を走り、2度目の休憩場所は、茨城県最北の道の駅「みわ」である。


9時42分、最初の目的地イワウチワの大群落があるという、那珂川町富山へ到着。
場所が狭いので道端に駐車し、少し先まで歩いてそこで準備運動をすることに。


小川に沿って進み、前方に見える”ほたるの里”の看板がある橋を渡ったところに、


イワウチワ群生地の看板が。
可憐な感じでなかなか美しい。
『こんな花が咲くんだぁ』


この日のガイド役の掛け声で準備運動開始。


片足を抱えて立つといういつもと違うメニューだ。
バランスが悪いとふらつく。


9時52分、約0名づつの2班に分かれて出発である。


イワウチワの群生地(舟戸群生地)までの約1.4Kmの道中、ガイドさんの説明を聞きながら進む。
道端に生えている小さな花、草、それに鳥などの説明に耳を傾ける。


『ふぅ~ん そうなんだぁ』


きれいに手入れされた杉林が続く。


後続の班もガイドさんが熱心に説明している。


”自然観察ウォーキング”といった感じである。
普段あまり気に留めていないことが多かったが、なかなか参考になった。


イワウチワ群生地まで600mの標識


杉の切り株が並べられていた。
近年、ストーブの薪燃料として杉を伐り出していたが、東日本大震災後の放射能の影響で、
伐採を中止している状況だそうだ。
薪を燃やしても、灰の中に放射能が残るというからやっかいである。


イワウチワ群生地入口に到着
ここから先は入山料として200円必要とのことだが、この日はまだ時期が早いのか、無料だった。


少しばかり急な上りになる。


少し上ったところにショウジョウバカマ(猩々袴)の群生地があった。


ショウジョウバカマの群生地


ショウジョウバカマ
ようやくつぼみが出始めた、といった状態である。
つぼみの色からすると、紫色の花が咲くのだろうか。


こちらは白い花が咲くと思われる。
地元のおばさんに訊くと、見頃は3月下旬から4月上旬とのことだが、今年は少し遅くなるかもしれない、とのこと。


イワウチワの群生地へ向かう。
途中から丸太の階段になっている。


杉林の中に、山の斜面を覆い尽くすほどのイワウチワの大群落が広がっていた。


『これ全部イワウチワなのかぁ 凄いねぇ!』
皆さん、『凄いっ 凄いっ』の連発である。


イワウチワ


杉林の斜面全体がイワウチワに覆われている。


後続のグループからも『凄いっ!』の声が聞こえて来る。


『本当に残念だったわねぇ 今日は』


『これは絶対に花が咲いてるところを観るべきだねっ』
入口にあった看板の花を想い出した。
ここは是非、所属する「健康ウォーキング同好会」で企画せずばなるまい。
来年の話しではあるが・・・


イワウチワを見れなかった悔しさを胸に下山する。


林道に響く鳥の鳴き声に図鑑で説明するガイドさん。
『この鳥が鳴いているんですよっ』
この時期カケス、シジュウカラ、ヒヨドリ、アオゲラなどの鳴き声が聴ける。


何やら人が集まっている。
何か珍しいものでも見つけたのかな?


覗いてみると”ニリンソウ(二輪草)”とのこと。
『こんなにちっちゃいのに見つけるなんて さすがプロねっ』


ドヤ顔(失礼)のガイドさん。
自然と顔がほころんでいる。


準備体操を実施した付近。
『水がきれいだねっ』


来た道をバスまで引き返す。


11時41分、バスに到着し、次の目的地カタクリ山へ。


12時5分、15分ほどバスに揺られてカタクリ山駐車場に到着。
ここで、昼食の弁当を受け取る。


何やら皆さん、駐車場の隣が気になるようなので、見てみると・・・
”ふきのとう”がびっしり生えている。栽培されたもののようだ。


いささか長けているようにも見えるが、
『市場には出せないけどまだ十分食べられるよっ』の声も。


ここで、ガイドさんが1班と2班に入れ替わり、12時11分、カタクリ山へ向かって出発!
手にぶら下げている白いビニール袋は弁当である。
リュックに入れると横になって中身が片寄ってしまうので、手にぶら下げて持って行くと言う。


5分ほどで”カタクリの里”入口に到着。


”カタクリの里”は木道が整備されている。


木道の両側(特に左側)はカタクリの群生地となっている。
枯葉ばかりで何も生えていないように見えるが・・・


よぉく見ると・・・
カタクリの葉をところどころに見ることが出来た。
しかし、花はまだまだといった感じだ。


ガイドさんによると、地上に姿を現す期間は4-5週間程度で、群落での開花期間は2週間程と短いのだそうだ。
ニリンソウなど同様の植物とともに「スプリング・エフェメラル」(春の妖精)と呼ばれている、そうだ。


『つぼみの出ているの見つけたっ』


1か所にか集まって葉が出ているところもある。
カタクリの種子にはアリが好む薄黄色のエライオソームという物質が付いており、
アリに拾われた種子が集まって生育地となったため、とのこと。
『カタクリはアリによって生き延びられてるんだぁ』


カタクリ山のカタクリの里は広い。
歩いてきた木道を振り返って見たところ。
木道は300mほどある。
関東地方で最大規模とのこと。
ブナ、ミズナラ、イタヤカエデなどの落葉広葉樹林の林床に群生する。
また、杉林などの場合は比較的日のよく当たる林縁に限られている、そうである。


カタクリ群生地を抜け、枯葉で埋め尽くされた山道を進むと・・・


カタクリの里の頂上に着いた。
この辺りは山ツツジの群生地でもある。


添乗員の『この辺りで弁当にしましょうっ』の声に、
『じゃぁうちのGもここで弁当にするかっ』


早速、めいめい持参のビニールシートなどを広げ、弁当タイム。


この日の弁当は、おにぎりが2ヶとご覧のようなおかずが付いていた。
『このおにぎり、ちょっと大きいねぇ』『全部食べきれないわっ』
女性には大きすぎるかもしれない。


弁当タイムも終わり、13時5分、次の水芭蕉群生地に向けて出発!


枯葉の道を下る。


この辺りもカタクリの群生地となっている。


3月18日現在、こんな状態である。
今年は冬が寒かったせいで例年より遅いとのこと。


カタクリ群生地を過ぎると、杉の林になり、日差しがなくなり薄暗い。
この辺りになるとカタクリは全く見られなくなる。


木道の左側は湿地帯になっていて、”水芭蕉の群生地”とのことだが、


カタクリ同様、見頃は少しばかり先になりそうだ。


一つ二つ、このような状態の水芭蕉も見ることが出来た。
『もうちょっとだねっ』


カタクリの里入口からこの辺り一帯はきれいに手入れがなされている。
木道を歩いていても気持ちが良いものである。
杉林では枯れ枝を掃き集めて燃やす煙が漂っており、幻想的な風景を醸し出していた。
枯れ枝を燃やす時の煙の匂いがたまらなく好きだ。


水芭蕉の群生地を抜け、次はザゼンソウ(座禅草)の群生地へ向かう。


ザゼンソウの看板に従って進むと、


この辺りにザゼンソウが見られる、とのことだが・・・


幅20Cmほどの鉄板を敷いた細い通路を進む。
油断すると踏み外しかねない。歩く時には注意が必要だ。
一方通行だが、この細い通路では追い越すのは難しい。
『ザゼンソウ見つけたっ』


ザゼンソウだ。
あいにく背中?の部分しか見えない。
仏像の光背に似た形の花弁の重なりが僧侶が座禅を組む姿に見えることが、名称の由来とされる。
また、花を達磨大師の座禅する姿に見立てて、ダルマソウ(達磨草)とも呼ぶ。(Wikipedia)


ザゼンソウはこの一帯に多くみることが出来る、そうだが・・・
この時期、ところどころにポツンと生えているので、見つけるのにひと苦労だ。


この日見つけた中では最大級だったが、これも後ろ姿しか見ることが出来ない。
ザゼンソウは、開花する際に肉穂花序(にくすいかじょ)で発熱が起こり約25℃まで上昇する、とのこと。


ようやく通路から中まで見ることができたのはこの一つだけだった。
悪臭があることから英語では Skunk Cabbage(スカンクキャベツ)の呼び名がある、そうだが、
少し離れていたからか、匂いは感じなかった。(花粉症で鼻づまりだったせいかもしれない)


ザゼンソウの群生地を後にして、次はショウショウバカマの群生地へ向かう。


ザゼンソウの群生地から5分ほどのところにショウショウバカマの看板があった。


ショウショウバカマの群生地
『いやぁ これは凄いねぇ』
『しかし、花が咲いるのを見れないのは残念だねぇ』


『まだつぼみも見えないねぇ』
ショウジョウバカマの開花時期は4月上旬~4月下旬ということなので、まだ大分先だ。


木の根元を指差しているところを見ると、何か珍しいものでも見つけたのかな?


『これが、十両です』弾んだガイドの声が響く。
ジュウリョウは、正月の縁起物ともされる。
センリョウ(千両)や、マンリョウ(万両)、カラタチバナ(百両)と並べて「十両」とも呼ばれる、そうだ。


ショウジョウバカマの群生地を過ぎると、三和神社の裏手に出た。
三和神社の住所は、栃木県那珂川町(旧小川町)三輪になっているので、地名と関係があるのだろうか。
創建は、推古天皇十二年(604)と云われているそうだから、かなり古い。


三和神社の鳥居には三和大明神と書かれた額がある。


カタクリ山を一回りし、三和神社にお参りして、バスに戻った時は14時を少し回っていた。
弁当タイムを入れて1時間30分で一回りしたことになる。


この後、馬頭温泉の「ゆりがねの湯」へ、向かい、ひと風呂浴び汗を流した。
『今日はお疲れ様でしたぁ』


風呂上がりの一杯で喉を潤し、帰路に就いた。
夕日が沈む筑波山のシルエットが印象的だ。


”カタクリ大群落とイワウチワ”「馬頭・早春花ハイキング」の謳い文句に参加してみたが、
花を全く見ることができなかったのは、残念だった。
常南交通社にとっては「馬頭・早春花ハイキング」は初めての企画だったそうだ。
同行した二人のガイドも我々以上に残念な気持ちだっただろう。
イワウチワ、カタクリ、水芭蕉、ショウジョウバカマとどれも開花していなかった中で、
かろうじてザゼンソウを見ることが出来たのは救いだった。
イワウチワの大群落を目にした、同行した「健康ウォーキング同好会」のメンバーからは、
早くも『花の咲いているところを何としても見たい』とリベンジを期待する声が寄せられた。
来年にでも企画することを検討したい。


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関東ふれあいの道(神奈川)No.13「山里から津久井湖へのみち」

2014年03月16日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2014年3月16日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、昨年(2012年)は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破し、認定証を受領した。
そして次は神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩こうということになり、企画したものである。

第12回目となる今回は、コースNo.13(山里から津久井湖へのみち:約12.3Km)を歩くことにした。
起点とされている韮尾根へのバスの便が良くないことから、逆方向に歩くことにした。
コースとしては10.3Kmだが、終点の韮尾根バス停から半原バス停までの約2Kmを余分に歩くため、
約12.3Kmとしている。

この日の参加者は10名。
常磐線で上野駅へ。


次は常磐線上野駅から東京駅に向かう。


東京駅から中央線高尾行き快速に乗り、


八王子で相模線に乗り換え、橋本駅には9時10分に到着。


橋本駅北口バスターミナル


9時24分発の三ヶ木行きのバスが到着。


スタート地点の城山高校前には9時50分に到着。


昨日頃から気温が上昇し始め、この日の最高気温は4月中旬並みの17℃の予報だ。
出発前に上着を脱いで調整して行こう。


最初に目指す城山公園(標高375m)が見える。


道路を横断したところに「関東ふれあいの道」の道標(分岐点)があった。
一方は、No,14「峰の薬師へのみち」である。
もう一方は、この日歩くNo.13「山里から津久井湖へのみち」だ。


城山高校


左手に城山高校の野球グラウンドを見ながら津久井湖方面へ。
グラウンドからは生徒達の大きな声が響いていた。


城山ダムに架かる城山大橋


城山ダムから見た津久井湖


城山ダムを渡った先に、


津久井湖城山公園の「花の苑地」駐車場があった。


道路の反対側が津久井湖城山公園になっている。
横断歩道はあるが信号はなく、車の交通量も多く、下りカーブで猛スピードで走っているので簡単には横断出来ない。
津久井湖観光センターの先に目をやると、横断陸橋が見える。
『あの橋を渡るしかないねっ』


津久井公園橋を渡る。


津久井公園橋から城山ダム方向を望む。


津久井公園橋を渡ると、緩やかな上りになる。
津久井湖城山公園の城山山頂を目指す。


城山山頂への途中、見晴しの良い場所がところどころにある。
『津久井湖がよく見えて、なかなか良い景色だねぇ』


”江川ひのき”と呼ばれる大木の中を進む。
江戸時代末期に伊豆韮山の代官江川太郎左衛門英龍という人物が植林したもので、樹齢120年とのこと。


城山公園は身軽な服装で散歩を楽しんでいる人を見掛ける。
大型犬(体重45Kg)を伴って散歩する人も。
『あらぁ 可愛いゎねぇ』


山頂への道には「関東ふれあいの道」の標識や、


里程標があった。
『いやだ~っ まだ1Kmしか歩いてないのぉ』


城山ダムから流れる相模川が見える。


津久井城の水の手(溜井)のひとつ、宝ヶ池
江戸時代の地誌「新編相模風土記稿」は、”日照りや雨が続いた年でも、いつも安定して水を湛えている”と記している。
水が白く濁っているところから城兵が刀を研いだとも伝えられる、とのこと。
また、水が枯れないところから、雨乞いの行事にも使われた、そうである。


飯綱神社近く、かつて烽火台(のろしだい)あるいは鐘撞堂があったとされる展望台からの丹沢方面の眺め。
『いやぁ素晴らしい眺めだねぇ』


一息入れよう。
『けっこう上ってきたんだねっ』


こちらは橋本方面だろうか?


10時56分、飯綱神社に到着。
ここが城山山頂ではないかと、証明写真用の「築井古城記碑」を探したが見つからない。


しばらく「築井古城記碑」を探して、城山山頂はこの先ということに気が付き、先を急いだ。


小網口と根本口の分岐点
『本城曲輪はもう少し先なんだっ』


小網口と根本口の分岐点から堀切を渡り、さらに進むと・・・


本城曲輪(本丸跡)に辿り着いた。


本城曲輪から一段高いところに「築井古城記碑」があった。
ここで、全員の証明写真を撮影完了。


『津久井湖がよく見えるねっ』


眼下に津久井湖が見える。
「山里から津久井湖へのみち」を実感するひと時であった。


証明写真撮影後、再び堀切を通り、いったん小網口と根本口の分岐点へ戻る。


分岐点から根小屋地区パークセンタには男坂と女坂がある。


距離が短い男坂の方が時間稼ぎには良いが、津久井湖の眺めが期待できる女坂を進むことにした。
『こっちは楽で良いわねっ』


木々の隙間から津久井湖が見える。


分岐点から約17分ほどで男坂と合流。


ここからは標識に従って城山を下る。


途中、「築井城址」の碑が。


『今どの辺にいるんでしょうね』
津久井湖城山公園マップを見ながら位置を確かめる。
時計は11時52分を差していた。
『ところで、お腹が空いちゃったねっ』


と言うことで、辺りを見回すと上手い具合にテーブルとベンチがあった。
『ここで昼食を摂ることにしようっ』
真っ青に晴れ上がった太陽の日差しを浴びながら食べる弁当は『美味いっ!』


食事も終わり、午後のスタートだ。


道なりに進むと、パークセンターに出た。
たくさんの子供達が遊んでいた。


パークセンターで串川平井橋までの道を問い合わせたが、係員は「関東ふれあいの道」についてはあまり詳しくは知らない様子。
まぁ、道は間違ってはいないようなので、地図と感を頼りに進むことにした。


自分はパークセンターへ問い合わせに行ってて気が付かなかったが、
捜索願いのパンフレットを配っている人がいた、とのこと。
津久井湖周辺で行方不明になったそうで、3月9日というからちょうど1週間前のことである。
名前は吉祇彰男よしきあきお)さんと言い、年齢は73歳。
身長は163Cm、体重70Kgで、服装は写真のとおり、とのこと。
もし見掛けた方は、警察署:042-665-0110、もしくはご家族:042-442-2710(090-2326-2422)へ連絡していただければと思う。


一部感に頼ってはいたが、「関東ふれあいの道」の標識が現れた時は正直ほっとした。


道標を左手に見て、県道510号線を横断。


串川に架かる平井橋に到着。
『ようやく平井橋だねっ、まだ先は長いのよね~っ』


平井橋を渡ると道は酒造工場に突き当る。
そこを左手に折れたところで、地元の人に道を確認しているところ。
酒造工場に関係のある人だったが、いろいろと話し始めるとこれがなかなか終わりそうもない。


続きはまたの機会に、と言うことで先を急いだ。


しばらく杉林の上りが続く。


突然視界が開けた。
山が半分削られていた。
露天掘りの採石場のようだ。


指導標識に従って進む。


のどかな里山の風景の中を進む。


後ろを振り返ると津久井湖城山公園の山頂が見える。
『あの山を越えてきたんだねぇ』


給水のため、一休み。


一休み後、雨乞山を目指す。


里程標は韮尾根バス停まで3.5Kmとなっているが、半原バス停まで2Kmあるため、半分ちょっと過ぎたところか?
『まだ真ん中過ぎてないの?』


雨乞山まで0.7Kmの標識を過ぎた辺りから


次第に上りが急になってきた。


少し緩やかになったかと思えば、


また急な坂道になる。
『これはきついねぇ』


急坂を上ること25分、雨乞山山頂(429m)に到着した。
山頂と言っても山道の脇に標識があるだけで、殆ど平な場所である。


雨乞山を過ぎると後は下るのみだ。


韮尾根バス停へ1.8Km地点を通過


快調に下る。
やはり下りは楽で良い。


下り始めて25分、里山に出た。


『韮尾根からバスがあると良いんだけどねぇ』
僅かながらの期待を胸に韮尾根バス停へ急ぐ。


15時6分、ゴールの韮尾根の「関東ふれあいの道」案内図へ到着した。
バス停は案内図から少し離れたところにあった。
残念ながら三ヶ木方面および半原方面のバスはなかった。
橋本行きは、1時間30分も待たなければならない。


バスがないのは半ば折込済み、こうなったら半原バス停まで歩くしかない。


国道412号線を半原へ向かう。


皆さん、疲れているはずなのに、足取りは軽い。
この日の参加者10人中8人は「まゆみの会」所属で山歩きには自信がある人達ばかりだ。


国道412号線半原日向交差点から半原市街地を望む。
コースNo.12「丹沢山塊東辺のみち」で歩いたので見覚えがある風景だ。


日向橋(ひなたばし


中津川


15時41分、半原バス停に到着。
既にバスが1台停まっていた。
15時50分発の淵野辺行き、とのこと。
同じ時刻に本厚木行きがあるはずだが、バスはまだ到着していなかった。


本厚木行きに乗った場合、小田急線の料金(新宿まで480円)が必要となる。
バス運転手もこちらの意図を察したようで、淵野辺行きの場合は、終点の淵野辺(横浜線)より、
途中の相模線上溝駅で停車する方が便利っで早いよ、とのアドバイスも。


半原バス停から本厚木と上溝までの時間と料金は大して変わらない。
それであればJR相模線・中央線を乗り継いで帰る方が得である。
お得なキップ(休日お出かけキップ、青春18キップ)が有効に使える、ということだ。
という訳で、急遽淵野辺行きに変更することにした。


16時30分、相模線上溝駅に到着。
この後、橋本・八王子で乗り継いで帰路に就いた。
『今日は、大変お疲れ様でしたぁ』



この日も好天に恵まれ、津久井湖城山公園から里山を歩き、「関東ふれあいの道」を楽しんだ。
津久井湖城山公園では意外に時間がかかり、少しばかり焦った。
半原バス停から淵野辺行きのバスがあることが分かり、JRお得なキップを有効利用できたのは良かった。
次回にも韮尾根バス停から半原バス停まで歩くことが予想されることから、今回の経験を生かしたい。


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