ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

関東ふれあいの道(埼玉)No.10「下久保ダムを望むみち」

2015年11月03日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年11月3日(火)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に
茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
『たまには県外を』という声が上がり、2012年は東京都(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県(全17コース)に挑み、これも無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第13回目となる今回は、コースNo.10「下久保ダムを望むみち」(約11.2km)を歩いた。
当初予定していた11月15日(日)は地域の文化祭などで都合が悪くなり、
1週間後の22日(日)という案もあったが、『22日は都合が良い』という人が複数いたことや、
折しも紅葉シーズンで、また昨年は11月上旬に”冬桜”の見頃を迎えた、という情報もあり、
希望を採ったところ、22日よりも参加者が多いことが分かり、この日の実施となった。
なお、今回で埼玉県のコースは最後となる。

荒川沖5時27分発の電車に乗り、6時27分、上野駅に到着。
この日の参加者は7人である。


6時40分発の高崎線車内は、空いていた。


朝食も気兼ねすることなく食べることが出来た。


8時2分、本庄駅に到着。


南口のバス時刻表を確認すると、神泉総合支所前行は8時58分発となっている。
40分以上時間がある。


振り返ると、バス停の後ろにコーヒー店があった。
あさ7時から営業しているではないか。
『時間があるので、コーヒーでも飲んで行くことにしましょう』


券売機でそれぞれ好みの飲み物券を買い、スポーツ新聞を見ながらしばし待つ。


コーヒーとトーストが出てきた。
高崎線車内でサンドイッチを食べたが、何か物足りなかったのだ。


淹れたてのコーヒーを飲みながらゆっくりとひと時を過ごす。


8時58分、神泉総合支所前行バスに乗り込む。


乗り込んだのは我々以外には数人いたが、途中でみな降りてしまった。
結局終点まで乗ったのは我々だけだった。


9時36分、神泉総合支所前に到着。
ここから神川町営バスに乗り換えることになる。


神泉総合支所前の裏手はお墓になっていて、神川町名物の”冬桜”が咲いていた。
『城峰公園に行けばたくさんの冬桜が見られるんだよね』


神川町営バスの到着を待つ。


10時8分、神川町営バスがやって来た。
見覚えのあるバスである。


乗り込んだのは我々だけだった。


「関東ふれあいの道」では、城峰公園手前の登仙橋バス停から歩くことになっているが、
帰りのバスに間に合わせるため、終点の城峰公園まで乗ることにした。
1本乗り遅れると2時間待ちとなるので、ここは大目に見てもらおう。
神泉総合支所前から17分ほどで、城峰公園に到着した。


公園入り口で城峰公園の環境保護と”冬桜”維持のため協力金を集めていた。
各自200円を払って園内へ。


園内を進む。


”冬桜”は咲いてはいたが、満開とまではなっていないようだ。
花びらが小さくて、ソメイヨシノのような華やかさはない。


展望台へ行ってみた。


展望台から神流湖が一望できる。
『この景色は200円分の価値があるんじゃないっ?』


城峰公園でこれ以上時間を費やすわけにもいかないので、園内を散策しながら公園入口へ向かう。


園内のところどころで紅葉を見ることが出来た。
『これはきれいだねっ』


”冬桜”の花の説明板があった。それによると、
冬に咲く桜には、「冬桜」「十月桜」「寒桜」「寒緋桜」などがある。
「冬桜」は一重の白い花を、「十月桜」は八重の淡いビンクの花を、
10月下旬から12月にかけて咲かせ、春にもまた咲く。
「寒桜」や「寒緋桜」は温かい地方(伊豆や沖縄)で1月から2月にかけて咲くが、
花は早春に1回咲くだけである。


城峰公園の桜は、「十月桜」の改良種で、八重咲きの匂いのある可憐な桜である、とのこと。


城峰公園の紅葉は、もう一息といった感じである。


城峰神社
鳥居のところで、柏手を打って参拝を済ませた。


10時54分、あらためて下久保ダムを目指す。


「関東ふれあいの道」は、下り坂の途中から舗装道路を外れる。
「関東ふれあいの道」とは別の案内標識もあるので、安心である。


坂道を下って行くと・・・


右手に神流湖がちらっと見えた。


坂道を下った所は貯木場になっている。
大量の杉の丸太が積み上げられていた。


貯木場に5-6名のグループがいたので、こんな所にいる理由を聞いてみると・・・


皆さん、この地で育った同級生で、同窓会の途中に立ち寄ってみた、とのこと。
貯木場辺りに小学校校舎があり、この広場は運動場だった、そうだ。
『ここに学校があったのかぁ』
下久保ダムが出来るため、後に廃校になったそうである。


皆さん、ここを訪れるのは、60年振りとのこと。
懐かしそうに見上げている目線の先には・・・


当時の桜の大木が立っていた。
まだ健在である。


一行に別れを告げて、下久保ダムを目指す。


11時13分、「冬桜の宿神泉」前を通過。


真っ赤などうだんつつじが秋深しを感じさせる。


錦色の紅葉が美しい。


道路を下って行くと、


道は大きく右に曲がっていた。


古ぼけた建物があった。


神社のようだが、何と言う神社かは分からない。
参拝だけはして行こう。


一段高いところに建物が見えた。
下久保ダム管理所である。


下久保ダムが見えてきた。
湖面は乳白色である。


さらに下って行くと、


11時42分、下久保ダムに到着した。


下久保ダム
埼玉県神泉村・吉田町、群馬県鬼石町・万場町の境界を流れる利根川水系の神流川を堰き止めてできた、
流域面積332.9㎢、満水面積3.3㎢、総貯水量1億3000万㎥を有する直線重力式コンクリートダムである。
昭和34年から10年余の歳月と205億円の巨費をかけて建設された。
下久保ダムは、洪水・干害調節、水道用水、発電を目的とした、多目的ダムである。


ダムの手前の端が「関東ふれあいの道」になっている。
扉は閉められているが、


”歩行者のみ通行可能”の表示が。
『ここから下って行くんだぁ』


少し時間があるので、ダムを渡ってみることにした。
弁当を食べるのに適当な場所があれば良いのだが・・・


ダムから下を見下ろす。
『いやぁ けっこう高いんだね~っ』


叢石橋(そうせきばし)らしき橋が見える。
『あそこが証明写真を撮る所なんだぁ』


中央付近から神流湖を望む。
乳白色に濁っているのは、三波石の影響だろうか?


ダムは中央付近で大きく曲がっている。
『真ん中付近で曲がってるダムなんて珍しいんじゃないっ?』


道路も左へほぼ90度急カーブしている。


ダムは、来た分と同じほど続いていた。


ここから先へ進んでも反対側から下りられる保証はないので、ここで引き返すことにした。
時刻は11時55分、中央付近の銘板の前で弁当タイムにしよう。


時々車が通るが、他に適当な場所はないし、戻った辺りは日当たりが悪い。
『まぁ ここで我慢するしかないねっ』
『お腹空いちゃったもんねっ』


弁当を食べ終えて、またダムの道を戻る。


神流湖
光線のせいか、水の色がやや違って見える。


ダムを下る。


少し下ると、ダムを見上げる形で道が続いていた。
『いやぁ こうやって見ると凄く高いねぇ』


叢石橋を目指す。


少し下ると、木々の隙間から叢石橋が見えてきた。


途中から舗装の道ではなくなった。


『ようやく「関東ふれあいの道」らしくなったねっ』


ダムを下ること約20分、


12時40分、叢石橋に到着した。


叢石橋上で全員の証明写真を撮り終えた。


叢石橋から三波石峡(下流)を望む。


叢石橋から三波石峡(上流)を望む。


叢石橋を渡ったところに碑が建てられている。
名勝及び天然記念物「三波石峡」
この峡谷は約1Kmに及び、河床・河岸には、主に三波石と通称される緑色片岩類の転石が横たわり、
特異な美観をつくり、神流川における代表的勝区をなしている。
三波石は神流川の特産で、古くから庭石として珍重され採石されたため、
自然の状態で現存するのはこの峡谷のみである。
しかもこの峡谷のものは豪壮な巨石や奇岩が多く、古来名のあるもののみで四十八石ある。
特に新緑や紅葉のときの美景はひとしおである。


三波石峡へ下るところに、”三波四十八石”の看板があった。
最下流の”一番石””二番石””三番石”から叢石橋上部の”そで石””あみだ石”まで
全部で48個の石に名前が付けられているのだ。


この中のどれかにも名前の付けられた石があるのかも・・・


三波石峡から叢石橋を望む。


下久保ダムが壁のようにそそり立っている。


三波石峡に沿った道をゴールの登仙橋バス停を目指す。
間もなく紅葉も見頃を迎える。


三波石峡
見えているのは四十八石かもしれない。


振り返って下久保ダムを望む。


登仙橋バス停を目指す。
『今日は下りばっかりで楽だったわねっ』
余裕で笑顔が溢れる。


登仙橋が見えてきた。


合流点を城峰公園方面へ曲がり、


三波石峡の碑を見ながら100mほど進むと、


登仙橋である。


登仙橋から神流川(下流)を見下ろす。


13時12分、ゴールの登仙橋バス停に到着した。


神泉総合支所行バスまで15分ほどあるので、しばし寛ぐ。


登仙橋の上で何かの撮影をやっている。


若い女性がモデルである。
ディレクターと思しき人が、モデルはフジTVのアナウンサーで、
2日後の5日(木)の5時25分からの「めざましテレビ」で放送する、とのこと。


13時26分ちょうどにやって来た、神川町営バスは、
13時40分、神泉総合支所前に到着。


神泉総合支所前バス待合所でバスを待つ。


13時55分発の本庄駅南口行の朝日バスがやって来た。


14時37分、本庄駅南口に到着。


本庄駅で電車を待つ。


東海道線伊東行の電車で東京駅へ。
東京駅まで1時間半はあかかるので、ひと眠りして行こう。


東京駅で品川発の常磐線土浦行に乗り換える。
この時間、上野駅からだと座れない確率が高いのだ。


『座れて良かったよねっ』

『皆さんっ、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

「関東ふれあいの道」(埼玉県)第13回目コースNo.10「下久保ダムを望むみち」(約11.2Km)を
無事歩き終わった。
城峰公園では、”冬桜”と紅葉を同時に観ることが出来た。
下久保ダム横断道路の中央で食べた弁当は、良い思い出だ。

今回で一応埼玉県の全13コースを歩き終わったことになる。
ということで、今回が埼玉県最後のコースとなった。
全てのコースを踏破した人は、踏破認定証の取得に向けて、各自手続きを進めることになる。
コースによっては途中都合が悪くて参加できなかった人も出たが、”補修”という形で
もう一度歩いても良いと思っている。

群馬県・栃木県・千葉県の「関東ふれあいの道」については、具体的な計画は未定であるが、
各県の全てのコースを歩くのは難しいため、選んで歩くのが良いかもしれない。

この日の万歩計は、15,000歩を越えていた。

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関東ふれあいの道(埼玉) No.1「水源のみち」

2015年10月18日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年10月18日(日)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
『たまには県外を』という声が上がり、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)に挑み、これも無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第12回目となる今回は、コースNo.1「水源のみち」(約8.9Km)を歩くことにした。
当初予定していた10月11日(日)が雨のため18日に延期したが、『12日(体育の日)の方が都合が良い』
という人がいたことから、第一陣4名が12日に、そして第二陣4名がこの日の参加となった。
計8名が参加できたということは、結果的には良かった、と思う。

常磐線始発電車に乗り、


東京駅から中央線、立川で奥多摩線に乗り替え、8時50分、川井駅に到着
「関東ふれあいの道」 (東京都:山草のみち)と同じ電車である。


駅のホームから奥多摩大橋が見える。
久しぶりの景色だ。


駅で体調を整え、バス停へ向かう。


奥多摩大橋
河原では、キャンプを楽しむ人の姿も。


奥多摩大橋から、川井駅がよく見える。


バス停が以前と変わっている、という情報を第一陣から聞いていたので、迷わずに済んだ。
最初に並んだのは我々4名だけだったが、一つ後の電車で来た人と合わせその数は15名ほどになった。


9時30分、西東京バス清東橋行が到着。
平日は清東橋800mほど手前の上日向行になるので、注意が必要である。


9時44分、終点の清東橋に到着。
途中で乗る人も降りる人もなく、全員が清東橋へ直行だ。


清東橋バス停待合室
トイレ等も完備している。


我々は既に川井駅で済ませているので、バスを降りてすぐの9時45分、出発だ!


バス停から1分ほど進むと清東橋という橋があった。
『バス停の名前と一緒だねっ』


小さな川に沿って、キャンプ場が点在する。


9時51分、「百軒茶屋キャンプ場」を通過


「百軒茶屋キャンプ場」から数百m進むと、登山口がある。
棒の折山まで1.8Kmとある。


沢を渡ると・・・


直ぐに急登の山道が始まる。


棒の折山を目指す。
まだまだ余裕の笑顔だ。


わさび畑を横に見ながら進む。


『わさびを育ててるということは水がきれいなんでしょうねっ』


沢の水は滝となってわさび畑へと流れている。


10時21分、バス停から35分ほど歩いた所で小休止だ。


Nさんは今日は少しきつそうな様子だ。


この間に2名が我々を追い抜いて行った。
水分を補給して、10時26分再出発だ!


杉林の急登が始まった。


傾斜は30度近くはあるだろうか。


しかし、女性陣の足は軽い。
山歩きを趣味とする「まゆみの会」で鍛えられているからだろう。


Nさんも頑張る。


我々を追い越していった2人にいったんは追いついたが、再度追い越されて次第に離される。
『若い人には負けるわねっ』


10時55分、里程標があった。
百軒茶屋から1時間ちょっと経つがまだ1.4Kmしか歩いていないことになる。


時々小休止を入れながら上る。
『棒の折山までまだまだあるのよねっ』
「日本百名山」完全踏破のY子さんも少し疲れが見え始めたようだ。


『ゆっくり上りましょうっ』


この急坂を登ってきたのだ。これは厳しい筈である。


少し緩やかな場所に出たところで、


再び小休止
『なんだか修行みたいだねっ』


棒の折山まで0.2Kmの案内表示にちょっぴり元気付けられる。
『あと少しですよ~っ』


『あと0.2Kmがなかなかきついのよね~っ』


時々立ち止まるNさん
『いやぁ 今日のコースは今までで一番きついわっ』


最後の力を振り絞って上ると・・・


山頂の尾根らしき景色が見えてきた。


棒の折山山頂(969m)だ。


11時35分、「棒の嶺」(埼玉県)の標識に到着。
清東橋バス停を出発して1時間50分が経っていた。


天気は晴れだが、山頂からの展望は雲に遮られている。
『いやぁ ちょっと残念だねっ』


山頂では大勢の人が昼食の最中だった。


我々も『ここで弁当にしましょうっ』
目の前の雄大な景色を観ながらの弁当は格別だ。


棒の嶺は、「関東ふれあいの道」(埼玉県コースNo.1水源のみち)の始まりとなっている。
今まで上って来たのは「関東ふれあいの道」(東京都No.7山草のみt)である。
ここは東京都と埼玉県の境なのだ。


12時10分、下り開始!
『ここからは下りだから楽だよねっ』


急坂の下りが始まった。
瓦礫の急坂も楽ではない。


『滑らないように気をつけなくちゃっ』


12時21分、権次入(ゴンジリ)峠に到着。
ここで、東京都のコースと分れ、左の名栗方面へ向かう。


権次入峠からは、丸太の階段で始まった。
この丸太の道は、丸太が太くて段差もあり、雨で中央部分の土が流れてへこんでいるので歩き難い。
殆どの人は、中央部分を避けて丸太の脇を歩いている。


丸太の階段を過ぎると、木の根が張った坂道になる。
『根っこが滑り易いから、こっちも歩き難いわね~っ』


また丸太の階段だ。


12時46分、岩茸石に到着。


標識でコースを確認し、


12時51分、2.3Km先の白谷沢(しらやざわ)登山口を目指す。


白谷沢登山口へは、最初は緩やかな道で始まった。


途中、丸太の階段や瓦礫の坂道を10分ほど下ると、


白谷沢が始まる平坦なところに出た。
白谷沢登山口から上って来たと思しき7-8人のグループが休憩していた。


我々も白谷沢への下り口を前に一休み。
『ここから沢下りが始まるんだねっ』


13時58分、白谷沢登山口目指して出発!
しばらくは沢の流れに沿って下る。


5分ほど下ると、沢沿いの道は次第に岩場に変わっていった。


沢を右に左に渡って下ることも数度。


途中、秋の日が差し込む幻想的な景色に見入る。
『素敵な雰囲気だよね~っ』


ロープを使ってスリルを存分に味わえる岩場も。


ロープ伝いに険しい岩場を降りていると、後から来た子供連れGが岩の横を下っていった。
そのGは慣れた様子で、我々を素早く追い抜いていった。


13時26分、白孔雀の滝の上部に出た。
滝は見えない。


直ぐ近くに「白孔雀の滝」の標識があった。
この標識が今回の撮影ポイントである。
全員の証明写真を撮り、一仕事終えた。


険しい岩場は続く。
岩場に気を取られ、白孔雀の滝は見過ごしてしまった。
『滝を観ている余裕はないよねっ』


この辺りはゴルジュと云われる場所だ。
(ゴルジュ:登山用語で,両側の岩壁がせばまっている谷)


『スリルがあり過ぎるわよねっ』


直ぐ脇を小さな滝も流れる。


ゴルジュが続く。


岩は濡れており、滑り易いので危険を感じる。
そういえば、棒の嶺の山頂案内板に、”冬の凍結時や大雨の後は、白谷沢への立ち入りは避けるように”
との注意書きがあったのを思い出した。
納得である。


最後のゴルジュを通過。


「藤懸の滝」を過ぎると、


ようやく岩場が終わり、杉林の道になった。
何とか全員無事に白谷沢を歩き終えて、ほっと一息。


杉林の道を歩くことおよそ20分、


14時20分、白谷沢登山口に到着した。
棒の嶺をスタートして2時間10分が経過していた。


目の前に名栗湖が広がっていた。


河又バス停を目指す。


まだ紅葉は見られないが、名栗湖が美しい。


有間ダムは、昭和61年、埼玉県営第1号として完成した多目的ダムである。
ダムの形式は岩を積み重ねたロックフィルダムだ。


ダムを渡って反対側へ。


ダムの中央付近から名栗湖を望む。
湖面が鏡のようだ。


名栗湖を渡ると、あとは1Km先の河又バス停を目指すだけである。


14時42分、「さわらびの湯」に到着。
本来のゴールは、河又バス停とされているが、飯能行のバス始発でもある。
ここから乗ることにしよう。


バスの時刻表を確認
14時56分発となっている。河又バス停まで1分である。


しばしバスを待つ間に乗客が増えてきた。
乗客の大半は「さわらびの湯」から帰る人達だ。


ほぼ満席となったバスに揺られること約45分。
15時41分、飯能駅に到着した。


西武線飯能駅から15時55分発の準急で池袋へ。


ゆったりとした西武池袋線車内でゆっくり寛ぐ。


池袋から山手線で上野駅へ。
上野駅でNさんがビールの差し入れだ。
『かんぱ~いっ』『ごちそうさまぁ』
Nさん曰く、
『今日は今までで一番きつかったけど、今までで一番美味しいビールだねっ』


常磐線車内でゆっくりと味わう。
常磐線はこういう雰囲気が似合う電車であると思う。
常磐線をこよなく愛してやまない理由の一つである。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第12回目、コースNo.1「水源のみち」(約8.9Km)を無事踏破した。
棒の折山への急登の厳しさを味わい、ゴルジュの岩場に足元をふらつかせながらの一日だったが、
全員無事に歩き通せたのは、何よりだった。
上野駅でいただいたビールの味は格別だった。

次回(11月)は、いよいよ埼玉県「関東ふれあいの道」(全13コース)の最後のコース
(NO.10「下久保ダムを望むみち」)である。
あとは踏破認定証の取得を目指して皆さんと一緒に頑張るだけだ。

この日の万歩計は、16,000歩を越えていた。

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関東ふれあいの道(埼玉) No.5「大霧山に登るみち」

2015年09月13日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年9月13日(日)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
『たまには県外を』という声が上がり、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)に挑み、これも無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第11回目となる今回は、コースNo.5「大霧山に登るみち」(約13.1Km)であるが、
夏休み明けでしばらく山は歩いてないため、定峰バス停~旧定峰峠~大霧山~高原牧場入口バス停
の短縮コース(約8.9Km)を歩くことにした。

日暮里駅で山手線を待っているところ。
この日の参加者は、いつもの8名である。


日暮里から池袋に向かおうとしたところ、新宿駅で人身事故が発生し、山手線は運転見合わせ中、とのアナウンス。
復旧までにはしばらく時間がかかりそうで、このままでは西武池袋7時5分発の三峰口行き快速急行に間に合わない。
となると西武秩父駅9時5分発の定峰行バスに乗れないことになる。
次のバスは12時7分のため、西武秩父駅から定峰峠登山口までタクシーを利用するしかない。
いろいろ思案していたところへ、6時32分、京浜東北線大宮行がやって来た。
赤羽で埼京線に乗り換え池袋へ向かえば、上手くいけば西武線に間に合うかもしれない。
ということで、急遽京浜東北線で赤羽に向かった。赤羽には6時46分頃に到着。

赤羽駅でグッドタイミングで来た埼京線に乗り込んだ。
この時、時計は6時51分を指していた。


池袋に到着したのは、6時56分を過ぎていたが、急げば西武線に間に合いそう。
全員駆け足で西武池袋線へ向かい、発車直前の7時3分、何とか7時5分発の三峰口行き快速急行に間に合った。


『いやぁ間に合って良かったよ』


『朝何も食べてなかったから、お腹が空いちゃった』
当初予定していた電車に間に合ったことで、食欲が湧いてきたのだ。


8時49分、予定どおり西武秩父駅に到着。


西武秩父駅


バス停で待つことしばし、9時5分発の定峰行バスに乗り込む。


定峰行バスに乗り込んだのは我々の他は1人しかいなかった。
この日予定しているコースは、人気がないのかもしれない。


9時35分、終点の定峰峠入口に到着。


バスの運転手に登山口を教えてもらい、バス停から少し戻ったところの石標に「左大河原道」を確認。
近くに手書きの道標、「定峰神社・大霧山方面」もあった。
『ここが登山口だねっ』


9時43分、旧定峰峠を目指して出発だ!


しばらく舗装された道を進む。


小さな集落を過ぎると、急坂になった。
『けっこうきつい坂道だよねっ』


舗装された坂道を上ること10分の9時53分、村社定峰神社に到着した。


先ずはこの日の無事安全を祈願しておこう。


定峰神社から8分ほど進んだところで、やや広い道に出た。
県道11号線へ通じる道である。


曲がりくねった坂道を進むと・・・


道端に「峠は秩父の心です」と刻まれた石碑や


石仏、


道祖神などが置かれていた。
のどかな秩父の山里と言った感じである。


10時9分、時計付き道標前を通過。
時計の針はほぼ合っている。


10時13分、岩尾山定岳寺前を通過。


旧定峰峠を目指して定峰集落を進む。


峰集落を抜け、県道11号の合流点を左折すると、直ぐ右手に可愛らしい神社があった。
若宮神社だろうか?


県道11号は車もそこそこ走っているが、
オートバイや


自転車もけっこう多い。


先頭Gが、道端に何か見つけたようだ。


旧定峰峠へ分岐点を示す道標である。
かすんではいるが、”大霧山”の文字が読み取れる。
『もうちょっとで見落とすところだったよ』


『ようやく登山道が始まった感じだねっ』
この時時刻は、10時25分を指していた。


倒木がそのままになっていたり、このコースはあまり人が歩いてないと思われる。


途中で道が二手に分かれていたが、大霧山を示す道しるべはない。
KさんのスマホGPSと感を頼りに右側の道を進むことにした。


あちこちにきのこが生えていた。
この時期、雨が多かったので、たくさんのきのこが生えているのだ。
これはタマゴタケだ。


これはなんというきのこだろう?


しばらくは道らしき径があったが、その径も次第に分からなくなった。
『さっきのところまで引き返した方が良いんじゃないっ?』


『道に迷ったら尾根を目指せば大丈夫だよっ』
ベテランのKさんの力強い言葉を信頼して後を追う。


杉林の中をお互いに声をかけながら尾根を目指す。


20分ほど雑木林や杉・檜の植林の中を歩き、何とか尾根に辿り着くことができた。
後は「関東ふれあいの道」への合流点を見つけるだけだ。
スマホGPSの情報から方角は合っているはずだ。


尾根道を進むこと約30分、


11時32分、「関東ふれあいの道」の道標のある場所に辿り着いた。
旧定峰峠と大霧山の中間点のようで、大霧山まで1.1Kmと表示されている。


『道に迷ったけど、近道出来て却って良かったんじゃないっ』


一息入れて大霧山を目指す。
「関東ふれあいの道」は、道標がしっかりとしているので、もう迷うことはない。


次第に霧が立ち込めて来た。
『大霧山の名の通りだねっ』


大霧山への道は少しばかりのアップやダウンがあったが、それほどきつくはない。


この日初めてハイカーと出逢った。
大霧山は近いとのことだったが、


大霧山山頂を目の前にして、急坂が待ち構えていた。


最後の急な坂道を上ると、


杉林の先に大霧山の山頂らしきシルエットが見えた。


12時2分、大霧山山頂(766.6m)に到着した。
弁当の前に、先ずは全員の照明写真を撮っておこう。


大霧山山頂で弁当を広げる。
他にも数組が弁当の最中だった。


『今日も弁当が美味しいねっ』


大霧山山頂は、秩父盆地や奥秩父・上信越・日光連山まで見える180℃の展望地と案内されていたが、
名前のとおり、霧に包まれて殆ど何も見えなかった。


12時38分、ゴールの高原牧場入口バス停を目指して下山開始!
先ずは粥任田峠を目指す。


このコースは、「関東ふれあいの道」だが、外秩父七峰縦走ハイキングコースにもなっている。
『お薦めって書いてある方へ行ってみようっ』
”お薦め”は、いわゆる巻道である。


『大霧山からは下りなので、楽で良いよねっ』


しばらくは下りの坂道が続く。


13時8分、高原牧場入口への分岐点に到着した。
ここを直ぐに左折しても良かったのだが、せっかくなので50m先の
粥仁田(かゆにた)峠まで行ってみることにした。
粥仁田峠は、2015年4月12日(日)に「高原牧場を通るみち」で歩いている。


13時12分、先ほどの分岐点からものの1分で粥仁田峠に到着した。
ここ粥仁田峠は、秩父盆地から小川・川越へ通じる江戸時代の交通の要所であった。
伝承として、日本武尊が粥を煮たのが粥新田峠であると言われている。
『そう言えば思い出したよっ』


「関東ふれあいの道」の案内図でコースを確認。
先ほどの分岐点へ戻り、


ゴールの高原牧場入口バス停を目指した。
『ここから約1時間ほどかな?』
時計の針は、13時16分を回ったところである。


木々の隙間から草原のような景色が現れた。
牧草を植えているのであろう。


高原牧場入口バス停を目指す。


前回(4月12日)は、沢の水はほとんど流れていなかったが、このところの雨で水嵩が増えていた。
『どっこらしょっと』


蛇紋岩採石場の近くに、蛇紋石の説明板があった。
”蛇の胴体に似た模様を持ち、濃緑色で、つやのある岩石です”と説明されている。
この付近で切り出される石は、「秩父蛇紋」と呼ばれ、研磨して室内装飾用として用いられている、とのこと。


説明板の傍に石があった。
これが「蛇紋石」なのだろうか?


山道を下ること約40分の13時56分、「資源応用現地事業所」秩父工場前を通過。
ここの工場がどういう事業をやっているかは分からない。


しばらく林道を下る。


民家がポツポツと見えてきた。


道端には、クルミや


ムベ(別名トキワアケビ)などの実が生っている。
実りの秋である。


そう言えばもう直ぐお彼岸だ。


『花や果物がいっぱいあるし、秋って良いわね~っ』


14時12分、前方に蓑山東面の山村風景が見えて来た。
見覚えのある三沢地区の集落だ。中腹に常楽寺が見える。


仲間の顔にも笑顔が戻ってきた。
『ゴールはもう直ぐだよねっ』


寺山子安観音の延命地蔵尊前を通過。
この日の無事に感謝し、ついでに延命を祈願しておこう。
『長生き出来ますように』


14時22分、高原牧場入口バス停に到着。
粥任田峠から1時間5分、ほぼ予定どおりだ。
14時42分発の西武秩父駅行バスには充分余裕のある時間である。


バス停で一息入れ、


バスを待つことしばし。


定刻どおり西武秩父行きバスがやって来た。


バスに乗り込む。


バスには誰も乗っていなかった。
この日、高原牧場入口から乗り込んだのは我々だけであった。


15時22分、終点の西武秩父駅に到着。


池袋行の「特急レッドアロー号」があったが、特急料金640円が必要なため、特急は諦めた。
まだ時間が早いのでゆっくり帰ればいいのだ。


ホームで一息入れる。


15時51分発の急行電車で池袋へ向かう。


『ひと眠りして行くわっ』
最後はややお疲れの様子。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第11回目、コースNo.5「大霧山に登るみち」(約8.9Km)を踏破した。
新宿駅での人身事故のため、危うく西武池袋線に乗り遅れるところであった。
急遽日暮里~赤羽~池袋を経由してギリギリ間に合ったが、冷や汗ものだった。

西武秩父駅からバスで定峰行に乗り、旧定峰峠を目指したところ、道に迷ってしまい、
杉の植林内を1時間以上さまようというハプニングもあったが、無事目的地の大霧山に
到達できたのは、ベテランKさんのリーダーシップのおかげだったと言える。

次回(10月)は、コースNO.1「水源のみち」を予定している。
埼玉県の「関東ふれあいの道」(全13コース)も残り2コースとなった。
出来れば、年内に踏破したいものである。

この日の万歩計は、20,000歩を越えていた。

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関東ふれあいの道(埼玉) No.4「峠の歴史をしのぶみち」

2015年06月14日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年6月14日(日)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
『たまには県外を』という声が上がり、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)に挑み、これも無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第10回目となる今回は、コースNo.4「峠の歴史をしのぶみち」(約15.6Km)に挑戦した。

日暮里駅で山手線に乗り替え、池袋駅に向かう。
この日の参加者は8名だ。


池袋7時5分発の三峰口行き西武快速急行に乗車。
早朝に家を出たため、ここで朝食を摂るのが習慣になってきた。


『腹が減っては戦は出来ないからねっ』


8時32分、出発地の西武正丸駅に到着。


正丸駅を利用するのは、昨年の9月以来これで2回目となる。


体調を整え、めいめい準備体操をして、


8時43分、正丸駅を出発だ。


正丸峠を目指す。


正丸駅からの急な階段を降りる。
『この階段 斜めになってるし、ちょっと怖いよねっ』


西武線の下をくぐり、


正丸峠を目指す。


安産地蔵尊
説明板には次のように記されている。
この地蔵尊は、金の胎内仏(はらこ)を持っているとして、
古くから霊験あらたかな仏として、信仰を集めていた。
旧宝泉寺の本尊として祀られていたが、明治元年の神仏分離令で正蔵院に移されることになった時、
俄かに重量を増して、ついに運び出すことができなかった、そうである。
このため、子育て観音を祀る観音堂に安置されることになった。
昔の人は、懐妊すると仏前の旗をいただき、腹巻にして出産の日を待ったと云われている。
古来から大蔵山地区には、お産で命を落とした人はいないと伝えられているが、
これも霊験の一端を表すものと言える、とのこと。


道の左側には小川が流れており、ちょっとした滝のような段もある。
『こういう風景が身近にあるのは良いねぇ』


9時10分、正丸峠への上り口?に到着
(実はこの時点ではこの上り口が間違っていることに気づいていなかった。
本来の正丸峠への上り口はもう少し先だったのである)


上り口には馬頭尊がある。
(正丸峠への上り口にある申講(さるこう)という祠と勘違いしているのに気が付いたのは、
かなり後のことだった)


9時16分、伊豆ヶ岳に向かうという若いグループの後に付いて上る。
グループのリーダーによれば、正丸峠へも通じているとのこと。


次第にグループとの距離が離れていく。


『やっぱり若い人はペースが速いわねっ』


けっこう険しい道である。
『以前歩いた時にはこんな道だったかしら?』
何となく道が違うのではないかという疑問が湧き始めた。


9時28分、小休止
正丸駅を出発して45分が経過、分岐点から約12分が経っていた。
どうも道が間違っているような気がしてきたが、今さら引き返すのも大変だ。
『さっきのリーダーによると、この道も正丸峠に行けるって言ってたよねっ』
と言うことで、このまま進もうということになった。


さらに進むと、沢越えが現れたり、


道も次第に険しくなってきた。


険しい岩場が現れた。
この辺りで完全に道を間違っていることに気が付いたが、時既に遅しである。


巨岩の脇を通り抜ける。
ただし、景色を楽しむ余裕はない。


『いやぁ 思ったよりも険しいけど、今更引き返せないよねっ』


『下りでなくて良かったねっ』
下りだったら、滑って危険なため、とてもじゃないが下りられないと思った。
(昭文社の「山と高原地図」に”ナキナキ坂は滑るので下り禁止”と書いてあった、
と後日Kさんから教えて貰った)


滑り易い最後の急斜面を上ると


10時ちょうど、ある尾根に出た。
『どの辺りなんだろうね ここは』


通りかかった別のグループに正丸峠への道を確認し、正丸峠を目指す。


以前通ったことのあるような無いような・・・


さらに進むと


10時24分、五輪山と書かれた場所に出た。
なんとなく見覚えがあるが、正丸峠からどのくらいの位置にいるのかが分からない。


伊豆ヶ岳⇔正丸峠の標識があった。
『ここは以前伊豆ヶ岳方面から来たことがあるよねっ』
Kさんがipodを見ながら示してくれた地図で、ようやく今いる場所が理解できた。
正丸峠から随分と離れていることを知って、がっくり。
途中で引き返しておけば良かったと反省しきりである。


『ここは小休止して気分転換しようっ!』


『気にすることないわよっ』の一言に救われた感じだ。
なんと素晴らしい仲間の皆さんであることか。


10時37分、小休止で元気を取り戻し、正丸峠へ続く長い丸太の階段を下る。


『段差が大きくて歩き難いわぁ』


『この道覚えてるよっ』


杉並木を抜け、


10時47分、長岩峠を通過すると、


小さな頂が見えて来た。


10時50分、小高山(720m)に到着。


『小高山ってことは正丸峠まであとどのくらいなのかねぇ?』
「関東ふれあいの道」の地図には0.9Kmとある。
我々のペースでは、あと20分近くはかかる見通しだ。


小高山から坂道を下ること20分、


見覚えのある正丸峠の奥村茶屋が見えて来た。


11時11分、やっとのことで正丸峠に到着した。
コースNO.4では正丸駅から正丸峠まで2.6Kmなので、道を間違わなければ10時には着いている筈である。
1時間以上はロスしたことになる。


”道路横断し、階段のぼる”の標識に従って道路を横断すると、


案内どおり、旧正丸峠へはいきなり石の階段から始まった。
11時13分、正丸峠から1.3Km先の旧正丸峠を目指す。


旧正丸峠への道はところどころ急坂が多く、意外ときつい。


杉の根っ子が張り巡らされた林の中を進む。


11時30分、里程標があった。
正丸駅を出発してから約2時間50分経っているが、まだ3Kmしか歩いていないことになる。
最初に道を間違ったためだが、あらためてその影響の大きさを知って、がっくりである。
残り12.6Km、この分では白石車庫バス停に、日没までに到着するかどうか。
大野峠から芦ヶ久保駅へ下っても、かなり時間はかかるだろう。


『とにかくここは、旧正丸峠を目指そうっ』


『けっこう厳しいねぇ この道は』


手に手にビニール袋をぶら下げた一段とすれ違った。
聞けば、”山掃除”をしているとのこと。
半年に1回ゴミを拾って付近の山を歩くのだそうだ。
袋の中にはゴミが入っていると言う。
『御苦労さまですっ』


急登の坂道を上ると、


11時44分、正丸山に到着した。
『旧正丸峠はまだかしら?』


旧正丸峠を目指す。


11時53分、次に現れたのは、川越山だ。
地図にも出ていない小さな山である。


川越山を過ぎると、急な下りが待っていた。
『気を付けてっ 滑り易いよっ』


さらに下って行くと、V字形の谷が見えて来た。


標識に旧正丸峠と書かれている。
『ここが旧正丸峠みたいだねっ』 時計は12時8分を差していた。
とりあえず、この標識の前で全員の証明写真を撮ることにした。


旧正丸峠から虚空蔵峠方面への階段
これから白石車庫バス停(11.7Km)に向かうのは、我々のペースでは夕方までに到着出来るかは定かではない。
大野峠から芦ヶ久保駅(約10Km)にショートカットするにしても、かなり時間がかかることが想定される。
ということで、この日はこの先の白石車庫バス停を目指すことは断念し、直接正丸駅に向かうことにした。


時計は12時13分を過ぎており、お腹も空いたことだし、『弁当にしようっ!』
峠から少し離れた場所で弁当を広げる。


弁当タイムは、山歩きで一番楽しい時間である。
『どうぞどうぞっ』
お裾分けに立ち回るKさん。
『あらぁ ごちそうさま~っ』


12時49分、弁当も終わったところで正丸駅へ向かう。


なだらかな坂道が続く。


杉林の中を進む。
『歩き易い道だねっ』


旧正丸峠から17分ほどで、舗装道路に出た。


舗装道路を100mほど進むと、


正丸駅への近道の案内標識があった。


案内標識に従い、いったん谷底へ下りて、


細い山道を進む。


沢を渡る架け橋も整備されている。
『きちんと整備してくれて、ほんとありがたいねぇ』


『今度来る時はこの道が良いんじゃねっ』


『それにしても立派な大木だねぇ』


道端にはシダ類も生えている。


『急坂じゃないから楽だよねっ』


沢を渡るのは、何度目だろう。
『よく整備されてるよねっ』


顔だけが異様に白いお地蔵様が祀られていた。
かつて旧正丸峠を目指した行き倒れの人を供養するためなのだろうか?


13時31分、視界が開け、人家がまばらな里に出た。
『あらぁ わらびがいっぱい生えてるわっ』
『ちょっと採ってきても良いっ?』
と言うが早いか、直ぐに姿が見えなくなった。


どうもわらびを見るとじっとしていられないようだ。
ここは待ってあげることにしよう。


背丈ほどの茂みの中を懸命に探し回っている・・・


7~8分後に元気に戻って来た。
手にはわらびがいっぱいである。


人家が次第に増えて来た。


グミの実だ。
『ちょっと酸っぱいっ』
どうやら味見は”失敗”に終わったようだ。


小さな神社の前を通過。
額には「八阪神社」と書かれていた。坂の字が普段見掛けるのと違う。
『八坂神社じゃないねっ』


『あらぁ 素敵~っ』


『立派な岩松だよねっ』


『これって けっこう手間がかかってるんじゃないっ』


『国道が見えてきたよっ』


13時49分、国道299号に出た。


正丸駅へ


正丸駅が見えて来た。
ちょうど秩父方面への電車が出発したところだ。


国道299号から正丸橋を渡りると、


13時54分、正丸駅に到着した。
旧正丸峠から1時間10分ほどで下りてきたことになる。
次に旧正丸峠へ行く機会があれば、この道を利用したい。


13時59分発の飯能行き電車がホームに入ってきた。


皆さん、最後はややお疲れの様子。
この後、飯能駅から横浜元町行き快速急行に乗り替え、池袋に向かった。

『今日は大変お疲れさまでしたぁ』

この日は、「関東ふれあいの道」(埼玉県)第10回目、コースNo.4「峠の歴史をしのぶみち」(約15.6Km)
に挑戦したが、最初に道を間違うという判断ミスのため旧正丸峠で引き返すことになった。
今回踏破を断念した旧正丸峠~虚空蔵峠~刈場坂峠~大野峠~高篠峠~白石峠~白石釈バス停の区間は、
機会を見つけて再度挑戦したいと思っている。

7月と8月は暑さを避けるため、中断し、次回のコースNO.5「大霧山に登るみち」は、9月を予定している。
しばらくは体力消耗を控え、次回9月に備えたい。
この日の万歩計は、19,000歩を越えていた。

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関東ふれあいの道(埼玉) No.12「グリーンラインに沿ったみち」

2015年05月10日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年5月10日(日)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
『たまには県外を』という声が上がり、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)に挑み、これも無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第9回目となる今回は、コースNo.12「グリーンラインに沿ったみち」(約22Km)に挑戦した。

池袋7時5分発の三峰口行き西武快速急行に乗車


西武線車内
早朝に家を出たため、ここで朝食を摂る人も。


8時18分、出発地の吾野駅に到着。


「関東ふれあいの道」で吾野駅を利用するのは、昨年の9月以来これで4回目となる。


8時34分、吾野駅を出発!
ここから傘杉峠までは、2014年12月14日(日)に歩いたコースNo.11「義経伝説と滝のあるみち」と同じだ。


駅前の急な階段を下り、


国道299号を東吾野駅方面へ。


「関東ふれあいの道」は、国道を少し進み、吾野保育所・西川小学校方面へ左折する。
前回は、そのまま真直ぐ進んでしまったのである。


飯能市立西川小学校前を通過


西川小学校を過ぎると下りの坂道になる。


坂道を下ると、小さな川沿いの道に出る。


川のいたるところに小さな魚の姿が見える。
それだけ川がきれいだということである。


顔振峠へ向かう。


日差しが当らない川岸に色鮮やかなツツジが咲いていた。
『ちょうど今が見頃だねっ』


煙突から煙が出ているのは未だストーブを炊いている?
この辺りは、この時期でも朝晩は冷え込むのだろう。


9時10分、「関東ふれあいの道」分岐点に到着。


吾野駅から2.2Km、道標に従って山道に入る。


岩だらけの上りを通り、


大きな杉の木の横を進む。


9時22分、一般道と合流したところで小休止だ。


顔振峠を目指す。


ようやく本格的な山道に入る。


切り株の上に可愛らしい大黒様が置かれ、お賽銭が上げられていた。
何故か十円玉だけが重ねられていた。


道端の杉の木に穴があり、何かを祀っているようだった。
中を覗いてみると、


可愛らしい七福神の人形が安置されていた。
先ほどの大黒様も七福神の一人だし、この道は七福神と関係があるのだろうか?


里程標
9時39分、吾野駅から1時間5分かけて3Km来たことになる。


目の前の視界が開け、坂道を上ると、


小さな集落が見える場所に出た。


道端の小さな休憩所にお地蔵様が祀ってあった。お参りしていこう。


休憩所を過ぎて少し進むと、見晴しの良い場所に出た。
『良い眺めね~っ』


右端の一段高い山が武甲山(1,304m)だ。


富士山は肉眼で微かに見れたが、デジカメを通してでは無理である。


摩利支天寿光殿なる四面二重塔が建っている。
摩利支天は、陽炎(かげろう)を神格化したものである。
護身、蓄財などの神として、日本では中世以降信仰を集めた。
二重塔は、木造寺社建築で、有志の勤労奉仕により十年余の歳月を経て完成した、とのこと。


女性陣の姿が見えなくなったと思ったら、近くの斜面で山菜採りに夢中になっていた。
『先に行ってるよ~っ』


10時5分、顔振峠平九郎茶屋に到着


顔振峠で営業を続けているのは、平九郎茶屋の1軒だけのようだ。


顔振峠の標識


山菜採りの女性陣が追い着いた。手にはたくさんのわらびが。
5分ほどにしてはけっこうな量である。
『採るのが楽しいんだよね~っ 持って帰ったら?』と差し出すI子さん。


顔振峠からの眺望
『残念だけど 今日も富士山は見えないねっ』


次の目的地傘杉峠を目指す。


最近トレイルランニングの人をたくさん見掛けるようになった。
この日はイベントではなく、トレーニングのために走っているとのこと。
『頑張ってっ!』


10時27分、傘杉峠・黒山三滝への分岐点に到着。


杉に囲まれた山道を進む。


上りの坂道が続く。


10時35分、吾野駅から5Kmの里程標が現れた。
吾野駅を出発してちょうど2時間が経過していたので、時速2.5Kmということになる。ほぼ予想通りだ。
「関東ふれあいの道」(埼玉県)では時速4Kmと平地並に案内されているが、
平均年齢70歳の我々にはとても無理な注文である。


「グリーンラインに沿ったみち」は、”武蔵おごせハイキングパノラマコース”にもなっている。


10時46分、ベンチがあったので、一休みだ。
前回もここで一息入れたことを想い出した。


10時56分、傘杉峠に到着。
前回来た時は、ここから黒山三滝へ下りたことは記憶に新しい。


傘杉峠から先は初めて歩く”みち”だ。
花立松ノ峠まで1.1Kmとの標識がある。とりあえず次の”目的地”にしよう。


傘杉峠から少し進むとガレ場の急な上り坂になった。


10分ほどで急坂を上り切ると、平坦な杉林になった。


道路に出たが、ここは花立松ノ峠ではなく、横切るだけであった。


道路を横切ると、先ほどと同じような杉林の道が続いていた。


『似たような道が続くわねぇ』


11時27分、傘杉峠から杉林を歩くこと30分で花立松ノ峠に到着した。


花立松ノ峠から関八州見晴台までは1.8Kmとある。
右は黒山三滝方面と案内されていた。


花立松ノ峠から100mほど進むと、道路の右側に山道への入口があり、
関八州見晴台(右)への案内標識が立てられていた。
「関東ふれあいの道」の標識が見当たらないところをみると、関八州見晴台への近道かもしれない。


「関東ふれあいの道」の地図で指定された道は、高山不動の方へ大きく蛇行している。
どちらに進むべきか迷ったが、”近道”の方を選択し、右側の山道へ。


”近道”は、当然(?)のように急登で始まった。


『けっこうきついよな~っ』


途中で、犬を”だっこ”しながら下りて来る夫婦に遭った。
犬専用の”だっこ”で一緒に歩いているとのこと。
犬は上りはめちゃ元気が良いが、下りは怖気づいて歩けなくなるそうである。
犬専用の”だっこ”があるとは知らなかった。


『やっぱり指定された道の方が良かったかもね』
と少し弱気になりかかったところに・・


真っ赤なつつじが目に飛び込んできた。


『いやぁ きれいだよね~っ』
『こんなところでつつじを見られるなんてねっ』
と満開のつつじに少し元気をもらった感じに。


12時2分、近道への分岐点から上ること30分、関八州見晴台の高山不動尊奥の院に到着した。
予想より少し早かった。
やはり近道を選んで『正解だった』と喜んだまでは良かったが・・・


何と! 関八州見晴台辺り一帯は人・人・人である。
ちょうどお昼の時間に当ってしまったと言う訳である。


とりあえず、関八州見晴台標識の前で証明写真を撮ることにした。
弁当はその後にしよう!


証明写真を撮り終わった頃に、上手い具合に昼食を終わって下山の支度をするグループがいたので、
場所を譲ってもらい、弁当を広げることができて一安心。


『良かったわね ちょうど日陰の場所が空いて』


昼食後に関八州見晴台からの景色を撮影した。
安房、上野、下野、相模、武蔵、上総、下総、常陸の関東八州が見晴らせる高台
ということでこの名があるそうだが・・・
小川町・熊谷市方面(北)


こちらは飯能市・青梅市方面(南)


こちらは秩父市方面(西)
鶴ヶ島市・坂戸市方面(東)は木々に遮られて見えなかった。


この日のゴールは、「関東ふれあいの道」では、白石車庫バス停となっているが、
この先の飯盛・橅・刈場坂・大野・白石などの峠を越えなければならず、優に14Km以上はある。
とても我々のペースでは、夕方までに到着することは難しい。
次回に予定しているコースNo.4「峠の歴史をしのぶみち」でも同じ道(刈場坂峠・大野峠・白石峠・白石釈バス停)
を歩くことになっている。
従って、今回は急遽高山不動尊を経由して西吾野駅をゴールに変更することにした。
12時49分、道標に従って、先ずは高山不動尊へ向かう。


高山不動尊への道は、つつじのトンネルで始まった。


”つつじ通り”と言っても過言ではないだろう。


しばらくはつつじに囲まれた道を下る。


5分ほど下ると関八州見晴台入口に到着した。


高山不動尊への途中、鷹の仲間であるノスリを腕に止らせて上ってくる人に出遭った。
聞くと、鷹狩りはやらず、腕に止らせて連れて歩くのが好きなのだと言う。
ノスリを自由に操って獲物を狙わせる鷹匠ではなさそうだ。
意外にもノスリはとても人に慣れていて怖がる様子はない。米国産れのノスリだそうだ。


小高い丸山を通過して少し下ると、


13時4分、高山不動入口に到着。
関八州見晴台への上りの際に、花立松ノ峠の分岐点を山道を選ばずに真直ぐ進んでいれば、
ここに来たのだと思う。


高山不動へ向かう。


高い石垣の上に民家が1軒。
『見晴しは抜群だろうなぁ』
余計なお世話かもしれないが、『怖くないのかねぇ』


13時14分、高山不動入口から10分で、高山不動尊に到着した。
正式には、高貴山常楽院と云い、白雉五(654)年、藤原鎌足の第二子長覚坊上人が、東国鎮護のため創建した。
成田不動・高幡不動とともに、関東三大不動の一つに数えられる名刹である。
山伏の修験場として栄え、36坊を数える大規模な寺院であった、とのこと。
『ほんと 随分立派な建物だよねっ』


高山不動尊へ参拝
平安時代に作られたという、高さ2.3m、檜の一木造の軍荼利[ぐんだり]明王立像は、
重要文化財に指定されている、とのこと。


不動尊前の急な石段を降りる。
『ちょっと怖いわねっ』


石段を恐る恐る下りた目の前に・・・


銀杏の巨木が立っていた。
樹高約37m、幹回り10m、根回り12m、樹齢は推定800年と云われている、そうだ。
露出した根には乳と呼ばれる気根が垂れ下がっている。
またの名を「子育てイチョウ」といい、昔から、産後乳の出の悪い者が祈願すると、
出が良くなることからこの名が付けられたと云われる。
埼玉県指定天然記念物となっている。


西吾野駅を目指す途中、変わった形をした木の脇に祠があった。
逞しく成長する木を崇拝の対象としたのだろうか?


西吾野への道はなだらかな杉林が続く。
歩き易いし、こういう道は歩いていて気持ちが良い。


快調なペースで下る。


小石のがれ場となっている箇所があるが、落ち葉で小石は隠れていて見え難い。


こんな注意書きがあるのも頷ける。


小石で滑ると、思わず転んでしまう。
『おっとっとっとっ』


西吾野駅を目指す。


山道を下ること約1時間、ようやく小さな集落に出た。


急な坂道を下り、


小さな川を渡ると


一般道に出た。
西吾野駅まで1.1Kmとある。


道端の材木に腰を下ろして最後の一休み。


急遽変更したゴールの西吾野駅は近い。
西武秩父線の線路に沿った道を進む。


鋭角に折り返して急な坂道を上り・・・


14時56分、この日のゴール西吾野駅に到着した。


西吾野駅のホームには、既にかなりの人達が電車を待っていた。


待つこと数分、15時4分発の飯能行き電車が入ってきた。
電車はかなり混んでおり、座れたのは半数ほどだった。


飯能駅で横浜元町行き快速急行に乗り替え、全員座れて一安心。
『今日はコースを変更したからこの時間で帰れるのよねっ』
『コースを変更して正解だったんじゃないっ』
練馬駅で各停に乗り替え池袋へ。
『皆さん、今日は大変お疲れ様でしたぁ』



この日は、「関東ふれあいの道」(埼玉県)第9回目、コースNo.12「グリーンラインに沿ったみち」(約22Km)
の約半分(約13.5Km)を歩いた。
これまで8回に渡って埼玉県のコースを歩いてきた経験から、この日のコースは”健脚向き”で、
しかも距離は22Kmの最長ということもあり、ゴールの白石車庫バス停に無事に到着出来るのか不安であった。
そんな理由で、勝手ではあるが、急遽ゴールを西吾野駅へ変更して距離を短縮した、という次第である。
我々の脚では、白石車庫バス停発バス(16時29分)には間に合わない可能性が非常に大きい、
と判断されたことから、止むを得ない策だったと思う。
次の最終バス(19時20分)では帰宅は深夜になってしまうのである。

次回(6月)は、コースNO.4「峠の歴史をしのぶみち」を予定している。
今回パスした飯盛峠・橅峠・刈場坂峠・大野峠・白石峠・白石釈バス停間のうち、
刈場坂峠・大野峠・白石峠・白石釈バス停間は、同じ道を歩くことになっているので、
次回は、何とか頑張って歩きたいと思っている。


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