ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

寒風吹き荒ぶ中 小町の里の寺社巡り

2022年01月14日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2022年1月14日(金)

隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和3年度(2021年度)第9回、令和4年(2022年)第1回、「小町の里の寺社巡り
ウォーキングに参加した。

出発地の小町の館に集まったのは、20名。
冷たい北風が強く吹く中、総勢20名の参加者が集まったのには正直驚いた。


TK会長から新年の挨拶とともに、新型コロナ対策の徹底(マスク着用、ソーシャルディスタンス確保など)
を図るよう依頼があった。


皆さん日頃から充分に対策には気を遣っているようで、会長の説明に納得の面持ちで頷く。


9時54分、いつものように元気なTK会長を先頭に出発!!
先ずは向上庵を目指す。


後に続く皆さん、


小町の館を後にして、向上庵へ。


向上庵への分岐点に建つ”翠厳山向上庵”と刻まれた石碑。
向上庵は正式な名を翠巌山向上庵(すいがんさんこうじょうあん)といい、暦応年間(1338-1342)に、
小田氏の第8代当主小田治久が創建したと伝えられる。
創建当初は臨済宗中峯派に属していたが、その後臨済宗建長寺派の寺院となった。
ご本尊は釈迦牟尼仏とのこと。
左が翠厳山向上庵に通じる道である。


石碑を左に折れて進む。


先頭を行く会長(82)、背筋が真っ直ぐに伸びており、足取りが軽い。
毎朝6時頃に近所4Kmほどの散歩を欠かさないとのこと。 納得!!


500mほど進んだ所に向上庵への案内標識があった。


案内に従って向上庵を目指す。


突き当りに向上庵への石段がある。


最初の石段を登ると、さらに最後の狭くて急な石段の先に向上庵の屋根が見える。


もう直ぐだ、と思ったら・・・
石段前の郵便受けに「しばらくの間、檀家以外の入山は御遠慮いただいております 山主」
と書かれた張り紙が・・・
コロナ禍が理由とは書かれていないが、ここで引き返した方が良さそうだ。


引き返す前に最後の石段下の周りに建てられている石碑類を撮ることにした。
先ずは、宝暦十二年(1762)、天下清平・四民宝楽を願い建立された地蔵尊


続いて馬祖碑
馬祖大師は中国唐代(709~788)の臨済宗の僧侶とのこと。


馬祖碑の右には如意輪観音像が建てられている。
この如意輪観音は十九夜講で信仰されている仏様で、天保三年(1832)、女人講中により
建立されたもの、とある。


如意輪観音像の右には保久歌碑が建てられている。
石段の古きをつつみ登るとき 頭上に咲くは大樹の桜
久保田保久師は、現水展新世紀展と中央画壇の審査員とし、或は文化講座の指導員など
幅広い活躍をされている作家です。歌歴も長く、毎日歌壇入選も再々です。
と紹介されている。


向上庵を後にして来た道を引き返す。
『いやぁ 残念だなぁ~』 『今度いつ来たら良いのかが分からないよねっ』
『今日が最後になっちゃうかも・・・』


”翠厳山向上庵”碑辺り。
皆さん、出鼻を挫かれた感じで黙々と進む。


『ちょっとがっかりだわねっ』
『この石碑の所に張り紙してくれてたら良かったのにねっ』


気を取り直して次の目的地である「清滝観音」を目指す。


前方に朝日トンネルへ通じる県道139号が見える。


”南明山清滝寺”の案内看板に従って清滝寺へ。
「清滝寺」は”坂東三十三観音霊場”の第26番札所として有名だ。
自分は2009年3月7日(土)に初めてお参りに訪れている。


10時22分、清滝寺山門前に到着。


石段を登って行くと・・・


目の前に大きな山門が現れた。
『いやぁ 堂々として歴史を感じる山門だねぇ』


阿像
『実に迫力があるねぇ』


さらに山門の先の石段を登ると・・・


清滝観音の本堂に到着した。
当会で清滝観音を訪れるのは、2013年2月8日(金)以来で約9年ぶりとなる。


清滝観音にお参りだ。
清滝寺は天正年間に小田氏・佐竹氏の兵火により焼失し、江戸時代に再建されたが、
昭和44年に不審火により、山門のみを残して焼失してしまったとのこと。
現在の本堂は昭和52年に再建されたものだそうだ。


新年を迎えたことと、今年も会員の無事安全を祈願し、お賽銭を弾んでおいた。


清滝観音にお参りを済ませ、山門へ。


10時34分、清滝観音を後にして、次の目的地「日枝神社」へ向かう。


日枝神社を目指す。


清滝観音の門前から真っ直ぐ伸びる南明山清滝寺参道を進む。
『これが昔の参道みたいだねっ』


並行して走っている県道139号方面からの風が強い。
皆さん、帽子を飛ばされないように頭を押さえて進む。
『いやぁ 今日の風は強過ぎるんじゃないっ』


右側は朝日トンネルへ通じる県道139号だ。
景色は素晴らしいが、全く風除けがないので、強風を受けてまともに目を開けていられない。


南明山清滝寺参道を日枝神社方面へ。


『しかし、風が強いよな~っ』


10時46分、南明山清滝寺参道口に到着した。


右手に朝日峠トンネルを見ながら県道139号を横断し、


日枝神社方面へ。


『今度は向かい風だねっ』 
女性の皆さんは防寒対策もばっちり、余裕の表情だ。


前方に小町の館方面への交差点が見えて来た。


いつもはここを右折して小町の館に行くのだが、この日は交差点を横断し、東城寺方面へ。
右手中央に見える小高い所は朝日峠展望公園辺りと思われる。


日枝神社を目指す。
日枝神社は間もなくだ。


日枝神社の入口を左に折れて・・・


11時1分、日枝神社の社殿前に到着した。


日枝神社の流鏑馬祭(やぶさめまつり)は、山ノ荘地区の平和と五穀豊穣を祈願したもので、
現在は毎年4月第1日曜日に行われている。
この流鏑馬は、村人に害をなした大猿を領主と弓の達人が退治したという室町時代の伝承を
基にしたもので、物語性を持つ珍しい流鏑馬である。


日枝神社に参拝!!
安全祈願をするとともに、ここでも何時になくお賽銭を弾んでおいた。


日枝神社拝殿の前で記念撮影を済ませ、


次の目的地東城寺へ向かうことにした。


この日は気温も低く強風でもあり、ここ日枝神社から小町の館に引き返すことも検討していたが、
『東城寺が楽しみで参加したのに』との不満げな声が多数聴かれ、当初案通り東城寺へ向かうことにした。


右手の小高い所に吐出水槽が見える。
吐出水槽とは霞ケ浦用水機場から送られた水を吐き出す水槽で、霞ヶ浦用水機場より、
8機の大型ポンプを使って毎秒最大20t程度の水を汲み、筑波山へ押し上げている。
霞ヶ浦から水を汲み上げる用水機場のポンプ場は、全てのポンプが運転すると
小学校の25mプールなら約40秒で一杯にすることができる、そうである。
吐出水槽では、霞ケ浦用水機場のポンプ場から送られた水の一部を、新治幹線・藤沢幹線
という農業用水水路に分ける(分水)役割があるとのこと。
分水して残った水は筑波山の下を掘ったトンネルに流れ込み、約14Km先の
南椎尾調整地(つくし湖)まで約2時間かけてゆっくり流れていく、そうである。


前方に宝篋山(461m)が見えて来た。


見覚えのある宝篋山山頂の鉄塔アンテナだ。


道端にある道標を兼ねた聖観音文字塔と二十三夜塔を右に曲がると・・・


左側の墓地には古いお墓が目立つようになり、土浦市東城寺地区の長い歴史が感じられる。


この辺りは自然の風景を保護するために「水郷筑波国定公園特別地域」に指定されている。
工作物の新築、改築、増築、木竹の伐採、土石の採取、広告物の設置、土地の形状変更、
指定植物の採取等の行為を行う場合は、知事の許可が必要となっている。


11時21分、東城寺の仁王門に到着した。


仁王門の扁額は東成寺となっている。
東城寺はかつて東成寺と言っていたが、 土浦城主土屋氏が参拝した折に改めたと云われる。


仁王像(阿像)


仁王門を潜り、東城寺へ。


東城寺の石段下に到着した。
この石段が老体にはなかなかきつい。


石段の大きさと高さがばらばらで登り難いことこの上ないのである。
『滑ったりすると大怪我をしそうで怖いわねっ』


『けっこう段数もあるよねぇ』


何とか石段を登ると、左手に慈母観音さまが迎えてくれた。


建長五年(1253)に造立された結界石。
結界石は一定の地域を区切る境界石のことである。
仏教で受戒や布薩等の儀式を行うために定めた大界・戒場・小界等の限られた地域を
摂僧界というが、東城寺の結界石は、これを示す標石に”大界外相”と彫ったものと
紹介されている。
真言律宗の高僧忍性が布教のため関東に下向した際、戒律を保つため立てたもので、
中央には「大界外相」と刻まれている。
県指定文化財に指定されている。


本堂前に建つ地蔵菩薩堂


東城寺本堂
東城寺は桓武天皇の勅願寺であり、命を受けた天台宗の開祖最澄が弟子の最仙を派遣して
延暦十五年(796年)に開山したと伝えられている。
山号は朝望山、院号は東光院で、真言宗豊山派の寺院である。
山号の朝望山は『朝廷を望む山』の意味で鎮護国家の思想が含まれていると云われる。


隆盛を極めた東城寺だったが次第に衰退、それを広智上人が再興し、その後東城寺は
鎌倉時代初期小田氏の尊崇を受け真言宗に改められた。
江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。
以前の建物は平成九年(1997)に火災に遭い、現在の本堂は平成十六年(2004)に再建された。
本堂には薬師三尊像が安置されている。


六地蔵石幢(ろくじぞうせきどう)
室町時代後期~安土桃山時代のものと云われている。


鐘楼の梵鐘


祖師堂


境内で一休みして・・・


下りの石段は足元が危ないので車道を下ることに。


『やっぱり歩き易いわよねっ』


車道を下ること約3分ほど・・・


石段の登り口に到着した。
『安心して歩けるし、早いよねっ』


再び仁王門を潜り、


東城寺を後にした。


後は1.4Km先の小町の館を目指すだけだ。


ゴールの小町の館へ。


日枝神社入口を過ぎると、小町の館へは残り1Kmほどである。


ゴールの小町の館は間もなくだ。


小町の館の駐車場が見えて来た。
『駐車場は満車状態だねっ』


12時19分、小町の館に到着した。


TK会長から労いの言葉と、次回(1/21)の実施はコロナの感染状況を見極めた上で決めたい
との説明があった。


また次回会えることを願いつつ、この日はここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『次回も元気にお会いしましょうねっ!!』


当初予定していた1月7日(金)の前日が大雪となったため、1週間延期はしたものの、
令和4年(2022年)第1回目の例会が”無事”終わった。
(この後新型コロナの感染者が出なければの条件付きではあるが・・・)

新年最初ということで、例年に倣って”日本橋七福神巡り”を企画していたのだが、
新型コロナの感染拡大による”緊急事態宣言”を受け、スケジュール全般を見直した結果、
この日は”小町の里の寺社巡り”に変更した経緯がある。
この日の天気は快晴だったが、最高気温は7℃とかなり低く、朝から強風が吹き荒ぶという
条件の良い日とはとても言えなかった。
また、年明けから新型コロナの感染者がじわじわと増えて来ていることも懸念された。
にも拘らず、20名の参加者が集まったことに少々驚きを感じた次第である。
皆さん、本当に歩くのが楽しみな人達なのだなと改めて思った。

次回1月21日(真鍋小~木田余運動広場(土浦市))も元気に歩きたいとは思っているが、
これ以上に新型コロナ(オミクロン株)の感染拡大が広がらないよう願うばかりである。
また、自分も含め、会員の皆さんには新型コロナに感染しないよう心から願っている。

この日の万歩計は、11,000歩を計測していた。

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