ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

桜満開は今一歩 羽村堰から玉川上水を歩く

2019年03月30日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年3月30日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第40回(2019年第12回)、「羽村堰から玉川上水(羽村・福生)を歩く」ウォーキングに参加した。
平成30年度最後の例会である。

この日は、青梅線小作駅をスタートして羽村堰から青梅線の福生駅までを歩くコースである。
平日の通勤時間帯に電車を乗り継ぎ、2時間半以上もかけてスタート地まで行くのは大変だ。
また運賃も片道1,900円以上かかるため、休日お出かけパス(2,670円)が利用可能な
土曜日にしたという次第。

荒川沖駅7時21分発の電車を待つ。
少し肌寒い感じである。


東京駅で中央線快速に乗り替える。


始発のため全員ゆったりと座って行けるのが嬉しい。
この日の参加者は15名だ。
スタート地の羽村市の天気予報は、曇りで気温も13度ほどとそれほど高くない。
この天気予報が敬遠されたのかもしれない。


国分寺駅で青梅行き普通電車に乗り替え、


10時22分、この日のスタート地、小作駅に到着。
国分寺駅で青梅線への乗替えに手間取り、予定より20分ほど遅れてしまった。


小作駅西口


小作駅ロータリーの記念樹の楠ノ木
『きれいに剪定されてるって感じだよねっ』
『自然だったら、あんなに整ってないよねっ』


数名が小作駅西口のコンビニで弁当を買い求め、10時31分、出発!


小作駅西口正面の道路を直進する。


羽村小作台郵便局前を通り、加美緑地方面へ。


小作台小学校のコブシの花が満開だ。


一方桜は、
『全然満開じゃないねっ』
『まだ二三分咲きって感じだねっ』
都内は今週末が満開だそうだが、この辺りは気温が低いのだろうか。


小作台小学校の突き当たりを左に折れ、右手に加美緑地を見ながら進む。


交差点の50m先に階段があったので下ると・・・


10時44分、グリーントリム公園があった。


グリーントリム公園の中を進む。
いろんなアスレチック遊具が並んでいた。


『子供には楽しい公園だよねっ』


グリーントリム公園内を進む。


公園の端に周辺の地図があったので確認して進んで行くと、


小さな広場があり、満開の枝垂れ桜が咲いていた。
『いやぁ 見事な枝垂れ桜だね~っ』


道路沿いにはチューリップが植えられていた。
『まだちょっと早そうだねっ』


所々にもうすぐ開花を迎えようとする花も。


満開の桜の脇を通過
『これも凄くきれいだなぁ~』


羽村市消防署第五分団詰所前を通過


『これはヒヤシンスの仲間のようねっ』


『こっちはスイセンのようだけど初めて見る種類だねっ』


住宅地の真ん中に野菜の無人販売所があった。
キャベツ・大根・ネギ・小松菜全て100円とある。
印象としてはそれほど安くはないように思う。


墓地に面して三角形のロータリーがあった。


墓地に沿って右(宮路街道)へ進む。


墓地のお堂にはお地蔵さまが祀られていた。


都道29号(奥多摩街道)を横断して住宅地を進むと、


阿蘇神社の看板が現れた。
『道は間違ってなかったねっ』


各家の可愛らしい花壇には季節の花々が植えられている。
『どこもきちんと丁寧に植えてるよねっ』


阿蘇神社の看板に従って進むと・・・


11時9分、阿蘇神社に到着した。


鳥居を潜って、右手の本殿へ。


阿蘇神社に参拝!
多摩川の左岸崖上にある阿蘇神社は、社記によると推古天皇九年(601)の創建
と伝えられる羽村最古の社である。
その後、承平年間(931~938)に平将門が造営し、藤原秀郷も造営したと云われている。


東京都指定天然記念物の椎の大木
樹高18.18m、幹周り6.2m(平成7年)で、姥ヶ淵と呼ばれる多摩川畔に
大きく懸崖している大枝が特徴の老樹である。
平将門を討った藤原秀郷が天慶三年(940)に社殿を造営した際に、
手植えをしたという言い伝えがあります。
(東京都教育委員会)


11時20分、阿蘇神社を後にして、


次の目的地一峰院(いっぽういん)を目指す。


11時26分、一峰院に到着した。


楼門と鐘楼を兼ねた山門(鐘楼門)だ。
堂々とした造りである。
かつて大水が出るとこの鐘が鳴らされたと云う。


境内から見た鐘楼門
江戸時代末期の建立で、均整のとれた外観と細かな彫刻のバランスが美しい。


本堂にお参り
一峰院は、臨済宗建長寺派の寺院で龍珠山と号する。
平将門の末裔という三田雅楽助平将定が開基となり、玉英賢韜を開山に迎えて、
応永三十一年(1424)に創建、江戸期には寺領13石の御朱印状を拝領した。
本尊は、十一面観音菩薩で市指定重要文化財となっている。


半僧坊大権現の扁額があるお堂


鐘楼門の横にサンシュユの大木があり、ちょうど花が咲いていた。
『マンサクに似てるわねっ』


11時32分、一峰院を後にして羽村堰を目指す。


『チューリップのようだねっ』


チューリップ畑が広がっていた。
根搦み(ねがらみ)前水田には、毎年約60種類約40万球のチューリップが咲く、とのこと。
また、根搦み前水田は夏から秋は米を作り、農閑期の秋から春はチューリップを栽培している、そうだ。


チューリップ公園とある。
『公園の中を歩いてみようかっ』


田んぼのように見えたのは睡蓮植栽地だった。
景観植物の保全と花を鑑賞するために植栽している、とあった。
8月には大賀ハスが見られる、そうだ。


チューリップ公園を歩く。


周りは全てチューリップ畑だ。


4月には40万球のチューリップが色とりどりに咲き誇る、そうだ。
『4月になったらまた来なくちゃいけないわねっ』


『今にも咲きそうなのもあるけどねっ』


チューリップ公園の脇には、カフェもある。
散歩の途中に立寄るのも良さそう・・・


チューリップ公園(パノラマ)
根搦み前水田は、面積約59,000㎡、東京ドームの1.26倍あるそうだ。


みんなで覗き込んでるのは・・・


鯉だった。


11時45分、多摩川の堤防に到着


多摩川の景色
まだ全く緑は見られない。冬景色の状態である。


土手上の桜はまだ三分咲きといったところか。


『ちょっと満開には早すぎたようねっ』


土手の上を進んで行くと、満開の枝垂れ桜が咲き誇っていた。
「三春の滝桜」 ”贈 羽村市福島県人会 羽村市市制10周年記念 平成13年11月26日”
と刻まれた碑があった。
『いやぁ さすがに「三春の滝桜」だけに見応えがあるねぇ』
『やっぱり素晴らしいよね~っ』


この先 模擬店・休憩所の標識が。


標識に従って休憩所方面へ。


羽村堰第1水門手前に休憩所らしき場所はあったが・・・


模擬店の直ぐ先に羽村堰に通じる入口があり、係の人が案内していた。
土日のみ通行可とのことなので、羽村堰の第1水門の上を通り、羽村堰へ。


第1水門から羽村堰で堰き止められた多摩川を望む。


小吐水門の上を進む。


『こんな所を通れるとは思ってなかったよねっ』
ラッキーである。


小吐水門の上から第2水門を望む。


羽村取水堰
玉川上水の出発点である。
承応二年(1653)に羽村から新宿区四谷大木戸までの43Kmが開削された。
洪水などのときには投渡木といわれる材木を横に渡したものを取り払い、
堰が流されないように工夫されている。
設置当時の投渡しの技術が現在まで継承されている貴重な施設であることが評価され、
平成26年に土木学会選奨土木遺産に認定されている。


小吐水門から余分な水を多摩川に戻しているところ。


多摩川の原水の流れ図
『こんな形で堰止めて取水してるんだぁ』


牛枠(川倉水性)
川の勢いを弱め、堤防が壊れるのを防ぐ「川倉」という治水技術の一つ。
形が馬の背中に似ていることから「川鞍」と名付けられ、後に「川倉」と呼ぶようになった。
さまざまな種類があるが、最も一般的なものは「牛枠」と言われている。


椅子が並べられ、イベント会場が準備されていた。


イベント会場奥に玉川兄弟像が建てられていた。
幕府から命を受けた庄右衛門・清右衛門兄弟の陣頭指揮により、承応二年(1653)2月に着工、
同年11月には完成させるというスピード工事で開削された。
上水完成後、兄弟はその功労により苗字帯刀を許され、上水と同じ「玉川姓」を与えられた。
手前が弟の清右衛門、後ろが兄の庄右衛門。


『弁当に適した場所はないかなぁ?』
『河原はちょっと殺風景だしねぇ』


それを聞いていたイベント会場の担当者が、14時頃までなら、とイベント会場横の
屋根付の東屋を薦めてくれた。
『いやぁ これは助かるね~っ』


『貸し切り状態で、ほんと最高だね~っ』


『弁当が美味いねぇ 最高の席だよねっ』


めいめい持参したワインとお酒が殊の外美味かった。


女性陣は東屋のベンチで弁当だ。


『ちょうど空いてて良かったわねっ』


12時37分、弁当タイムが終り、玉川上水の桜並木を歩くことにした。


露店に混じって足湯のサービスとは珍しい。


玉川上水


両側に露店が並ぶ


大阪焼き せいろ蒸し じゃがバターとある。
『大阪焼きって食べたことないなぁ』


タイ料理にインド料理
『弁当持って来なくても良かったようだねぇ』


焼き鳥・もつ煮もある。


こちらはお猿のショーだ。
”戦豆の猿まわし”の幟が。
戦豆とは、戦国時代の携帯非常食、栄養価が高く一粒食べれば元気になれる豆のこと、だそうだ。


露店を通り過ぎると、花見客が桜並木の両側にずらり。


『いやぁ こんなに賑やかとは思わなかったね~っ』


羽村導水ポンプ所を通過し、


12時52分、羽村大橋下を潜る。


まだまだ玉川上水に沿った桜並木は続いていたが、人が少なくなった。


しかし、持参のテントを張っての花見客や、


大きなブルーシートを敷いたグループで花見の宴は盛り上がっていた。


左側には玉川上水が流れているが、流れは緩やかだ。


桜並木を進む。


『根っこから桜の花が咲いてるぅ~っ』
『こんなの初めて見るわよね~っ』
まさに”ど根性桜”である。


『この桜は満開に近そうだねっ』


五~六分咲きといったところか?
あと数日で満開になるだろう。


上水植物園


『右の方へ行ってみようっ』
そのうちこの先どこかで合流するだろう。


少しだけ坂道を上り、小高い丘の上を進むと、


直ぐに下りになって、元の道に合流した。
『もうちょっと長いかと思ったんだけどなぁ』


玉川上水


福生加美上水公園
玉川上水沿いには小さな公園がたくさんある。


左に玉川上水、右に福生加美上水公園を見ながら緑道を進む。


”犬探してます”の貼り紙が


右手に”富士山の見える丘”が。
『今日は何も見えないでしょっ』
ということで、誰も丘には行こうとはしなかった。


門前に祥顕山 妙源院と刻まれた石が。
『お寺のようには見えないけどねぇ』


福生駅を目指す。


道路突き当たりに長徳寺の駐車場があり、右手の建物には煙突が見える。
文政五年(1822)創業の田村酒造場ではないかと思われる。


”清酒 嘉泉 醸造元 田村酒造場”と画かれた大きな看板が。
敷地内に湧く名水で仕込むまぼろしの酒と云われる”嘉泉”だそうだ。
予約すれば酒造見学も出来るそうだが、予約していなかったので、酒蔵見学は諦めることにした。


13時19分、玉川上水に架かる宮本橋を渡り、


歩道橋を渡って、


都道29号(奥多摩街道)を横断


奥多摩街道を横断した所に小さなお堂があった。


お堂前で一休み
『もうすぐ福生駅だよねっ』


お堂でしばし最後の休憩を取って、


13時29分、住宅地の中を福生神明社へ。


小さな公園のような所に”神明通り”の文字が見えた。
福生神明社への道である。


13時334分、福生神明社の鳥居下に到着。
石段を上ると、


右横に稲荷神社があった。
長沢稲荷大明神と染め抜かれた真っ赤な幟が立ち並ぶ。


先ずは稲荷神社にお参りして、


福生神明社の狛犬を横目に見て、


福生神明社拝殿へ。


福生神明社に参拝!


拝殿の脇に田村酒造の「嘉泉」の菰樽が積み上げられていた。
『地元だからねっ』


境内に松尾芭蕉の句碑があった。
春もやや けしきととのふ 月と梅


福生神明社を後にして、福生駅を目指す。
13時41分、福生消防署前を通過


都道29号(新奥多摩街道)を進んで行くと、福生駅の表示が見えて来た。


新奥多摩街道の福生駅西交差点を左折して、都道165号を福生駅へ。


13時50分、福生駅に到着した。


14時1分発の快速はパスして、14時16分発の青梅特快に乗ることにした。
青梅特快の方が東京駅には先に着くそうだ。


ホームで電車を待つ。
『そろそろ来る頃じゃないっ?』


14時16分発の東京行き青梅特快が到着した。
何とか全員無事座れて、東京駅へ向かった。

東京駅から常磐線に乗り換え、帰路に就いた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

平成30年度最後の例会「羽村堰から玉川上水」を歩き終えた。
1週間ほど前から雨マークが入った予報が気になっていたが、何とか雨には降られずに
済んだのは幸運だった。
東京都内はこの週末には桜が満開を迎えると言うので、羽村・福生でも満開の桜が見られるかも
と期待していたが、二~三分、あるいは五~六分咲きだったのは、少し残念だった。

平成30年度は44回の実施予定だったが、雨で中止が4回あり、40回実施したことになる。
例年以上の実施回数となったことは天気に恵まれた結果であり、本当に運が良かった、と思っている。
次週からはまた新たな例会が始まるが、良い天気に恵まれることを願うばかりである。

この日の万歩計は、13,000歩を少し超えていた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土産は佃煮 虹の塔から歩崎観音へ

2019年03月22日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年3月22日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第39回(2019年第11回)、「虹の塔から歩崎観音へ」ウォーキングに参加した。

第一集合場所の乙戸沼公園に集まった3名は定刻の9時ちょうどに乙戸沼公園を出発し、
9時45分、この日のスタート地点となる道の駅「たまつくり」に到着した。
正面に見えるのは霞ヶ浦ふれあいランドのシンボルタワー「虹の塔」だ。


直行した人7名、もう一つの第一集合場所土浦ピアタウンからは7名が集まっていた。
結果、この日の参加者は17名となった。
地元にしてはやや少ない人数である。


各自思い思いにストレッチで身体をほぐした後、10時9分、歩崎観音を目指して出発!


『帰りに土産物でも買って帰ろうかなっ』


観光物産館の横を抜けると、霞ヶ浦畔に出た。
『今日は波も穏やかだねっ』


左に曲がって湖畔を進む。


国道354号が走る霞ヶ浦大橋だ。


緩やかな坂道を少し下って行くと、


国道354号下を潜るトンネルがある。


トンネルを潜り抜けると、


歩道のある霞ヶ浦大橋の反対側に出た。


『随分長い橋なんだね~っ』
(橋の長さは約1.1Km)


虹の塔を後にして、


10時15分、霞ヶ浦大橋の渡り始め開始だ。


『風も穏やかで気持ちが良いわね~っ』
この日の行方市の予想最高気温は21°となっている。


筑波山が霞んで見える。
大体いつもこんな感じではあるが・・・


霞ヶ浦大橋は国道354号線の幹線道路でもあるため、大型車両の通行量が多い。
ひっきりなしに直ぐ横を大型車両が走り抜ける。


快調に先頭を進むTKさん。


10時22分、行方市とかすみがうら市の中間点を通過。


『今日も暑くなりそうだわねっ』


10時28分、霞ヶ浦大橋を渡り終え、左の湖岸の方へ曲がろうとしたところ、


誘導員が、湖岸の一部が工事中のため迂回して欲しい、とのこと。
歩行者・自転車用の迂回路(青色)は、いったん道路を横断して、下のトンネルを潜る必要があるが、
この先を左折する自動車・農耕車用の迂回路(緑色)を利用すれば再び湖岸に出られる、とのこと。


自動車・農耕車用の迂回路(緑色)を利用することにした。
国道354号に沿った側道を進み、


左に折れて自動車・農耕車用の迂回路へ。


周りが田んぼの迂回路を進む。


右折すると、前方に湖岸へ出る目印となる「丸大食品冷蔵」の建物が見えて来た。


左折すれば「丸大食品冷蔵」を経て湖岸へ出られるが、当初の予定ではここを右折して
東福寺から鹿島社を経由して歩崎観音へのルートになっているので、右折することに。
左の湖岸への道は歩崎からの帰りの時に通ることにした。


先ずは東福寺を目指すことにして、湖岸とは逆の方向へ。


『格好良い松の木だねっ』


『この辺は大きな家が多いんだね~っ』
『最初はお寺かと思ったわっ』


各家には、大木も多く見られる。
『こんな大木に囲まれた家ばかりなんだぁ』


東福寺を目指して何度か道を曲がって進む。
『こうやって周りの景色を眺めながら歩くのって楽しいねっ』


『あら~っ 素敵だね~っ!』


『つばきが真っ赤だよっ』
『もうちょっと早ければ良かったかなっ』


『こぶしの花も満開だよねっ』


周りの大きな家や庭の花などに見惚れているうちに、東福寺への方角を見誤ってしまった。


『これって 鹿島社じゃないのっ?』
そうこうしているうちに、次の目的地である田伏鹿島神社の裏に着いてしまった。


10時52分、田伏鹿島神社の裏に到着した。
『さすが鹿島神社、立派な本殿だなぁ』


『まぁ 東福寺は通過点の一つだったということで、これで良しとしましょうっ!』


田伏鹿島神社に参拝!


社殿には市指定文化財の算額一面が奉納されている、とある。
縦52Cm、横91Cm
算額は、和算家が解決した算問の解き方を額に描いて、神社仏閣に奉納したものです。
この算額は、文久元年(1861)に太白流和算の小松崎周助と高橋半助の二名によって奉納されています。
県内の算額はほとんど関流のもので、太白流は貴重な資料です。
(かすみがうら市教育委員会)


参拝を済ませ、境内で一息入れる。


恒例のお茶タイムだ。
『どうもご馳走さんっ』


一息入れた後、社殿正面の鳥居を潜って田伏鹿島神社を後にする。


次の目的地歩崎観音を目指す。


『けっこう暑くなって来たねぇ』


『もう上着は着てられないわよねっ』


かすみがうらマラソン23Km地点を通過
『ここを走るんだっ』
『23Kmって中間点を少し過ぎた辺りになるんだねっ』
今年のかすみがうらマラソンは、4月14日(日)に開催されることになっている。
かすみがうらウォーキングも同じ日である。
当会からも何名かが参加する、とのこと。


右手の一段高いところに大きな建物が。
かすみがうら市 農村環境改善センターだ。
後で調べてみると、
スポーツクラブチーム等の合宿にも最適、会議や研修などにも利用下さい、とある。
食事なしの宿泊も可能である。


同センターの少し先に歩崎観音東参道の標識が。


標識手前の石段を上る。
『これが参道なんだねっ』


『意外ときつい上りだよねっ』


石段を上った先に仁王門が構えていた。


仁王像(阿像)


11時24分、仁王門を潜った先の歩崎観音の本堂に到着。
真言宗の寺院で、山号は歩崎山、正式には宝性院歩崎山長禅寺と云う。
文明七年(1475)の開山と伝えられる。
本尊は十一面観音像で、安産および水上の安全に古くより信仰が厚い、とのこと。


この観音像は、一説に一本の大木で三体の観音像を刻んだが、
根本の材料で作られたものは下津村加茂の南円寺に、
中ほどの材料で作られたものがここ歩崎に、
先の方で刻まれたものは崎浜の寺に納められ、
いずれも茨城の三観音として国宝級のものであると云われる。
(Wikipedia)
残念ながら扉は閉まっていて、観音像を拝顔することはできなかった。


突然、鐘の音が境内に鳴り響いた。
急いで鐘の鳴る方へ行ってみると、鐘を撞いたのはやはりMさんだった。
ここしばらくMさんが鐘を撞く瞬間は撮っていなかったので、すっかり油断していた。
この次はMさんが鐘を撞く瞬間を撮りたいものである。


歩崎観音を後にして、名勝歩崎へ向かった。


県指定文化財 名勝 歩崎
歩崎は、霞ヶ浦の土浦入り、三叉沖、高浜入りを一望出来る位置にある。
展望台からは左に行方台地や天王崎を、正面はるかに鹿島の森や鹿島臨海工業地帯を
右に浮島や稲敷台地を望み、その景観は県指定第一号の名勝地に相応しい。
この地は昭和25年茨城県百景に選定され、昭和34年水郷筑波国定公園の一部に指定された。
(以下略)


11時32分、名勝歩崎(あゆみざき)展望台に到着
『いやぁ 素晴らしい眺めだねぇ』


『浮島はこっちの方だよねっ』


霞ヶ浦を望む。
浮島は正面やや右よりになる。


11時35分、歩崎展望台を後にして、歩崎公園を目指す。
急な石段を恐る恐る下る。
『歳のせいか急勾配過ぎて怖いんだよねっ』


急な石段を下り、


霞ヶ浦の湖岸を歩崎公園へ。
『やっぱり湖岸を歩くのは気持ちが良いわよねっ』


11時42分、かすみがうら市水族館前に到着。
この日の折り返し地点である。
昼にはちょっと早いが、この辺りで弁当にしよう。
めいめい弁当に適した場所を求めて散って行った。


弁当タイム(1)


弁当タイム(2)


こちらは弁当も終わったようだ。


出発まで少し時間があるので、水族館前を散策してみよう。
水族館前にはアクアラビリンスの噴水のほか、


帆引き船発祥の地碑や


噴水のある池には、


『いやぁ 凄い数の鯉だねぇ』


鯉がいっぱい、しかもでかい。


池畔には女性の裸像”あゆみ”なども建てられている。


公園の散歩はこの程度にして、そろそろゴールへ向かおう。
戻りは湖岸を歩くことにしよう。


12時33分、湖岸へ出て、


アンツーカーの歩道を進む。
右側は車道になっている。


左手に歩崎の展望台が見える。
『けっこう高い場所だったんだねっ』


西浦中岸 21Km地点を通過


歩道はアンツーカーから普通のアスファルトになった。
前方にゴールの虹の塔が見える。


湖岸には護岸用のテトラポッドが整然と並べられている。


いつの間にか歩道がなくなった。
たまに走って来る車には注意が必要だ。


のんびりと釣り糸を垂れる太公望の姿も。


西浦中岸 22.5Km地点を通過すると、左手に民家が現れた。


その中に「小沼(おぬま)水産」という工場があった。
TS子さんによると、「小沼水産」は佃煮の工場だが、小売りもやってくれるらしい。
1パックの量が多くて安いのだそうだ。
帰りに立寄る予定だと言う。


それならば、せっかくだから立ち寄って行こうということに。


工場の中を進み、小売部へ。


小売部で注文用紙に商品名と個数を書き込む。
商品は全部で30種類、全ての商品が1パック500円(税別)とのこと。
自分も”ピリ辛昆布”を1パック注文した。


しばらく待っていると、従業員が奥の方から注文した商品を持って来た。


5個のパックを袋に詰め込んでいるTS子さん。
『帰りに立寄らなくて済んで助かったわっ』


めいめい佃煮の入った袋をリュックにまたは手にぶら下げて「小沼水産」を後にした。


迂回路の目印となった「丸大食品冷蔵」を右手に見ながら、


朝方通った迂回路へ。


途中で道を間違ったため、数人(自分もその一人)が田んぼの畦を通ることに。


国道に出るには幅1mほどの溝を跳び越えなければならない。
『よいしょっと』 見事なジャンプだ。


国道354号の側道を通り、霞ヶ浦大橋の裾へ。


工事中の道を通った人もいれば、国道下のトンネルを抜けて来た人も。
13時32分、何とか全員が霞ヶ浦大橋の裾に集結することが出来た。


『後はゴールを目指すだけだねっ』


午後から風が強くなるとの予報ではあったが・・・
『追い風になると思ってたんだけどねぇ』
予想に反して、ほぼ正面から強い風が吹いて来る。
手でしっかりと押さえておかないと帽子が飛ばされてしまう。


ここはしばらくは我慢して歩くしかない。


13時40分、かすみがうら市から行方市に入った。
『あと半分だねっ』


前方に道の駅「たまつくり」の観光物産館や虹の塔がはっきりと見えて来た。


13時47分、強風のなか霞ヶ浦大橋を渡り終えることが出来た。
『大変だったわね~っ』


再び国道354号の道路下へ。


トンネル内には行方市の文化遺産や湖岸風景が描かれている。
平成15年に玉造町や玉造中、道路公社などの協力で絵画が描かれたが、落書きなどがあり、
平成28年11月末に玉造小中学生や地域共同により、再生を完了させた、とのこと。


『上手に描けてるよねっ』 再生された壁画を鑑賞しながら、


トンネルを抜けて道の駅「たまつくり」へ。


13時51分、ゴールの道の駅「たまつくり」駐車場に到着
『やっと着いた~っ』 『最後は風がきつかったよね~っ』


この日は整理体操も各自で行って、
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

「小沼水産」で佃煮を買ったことにより、観光物産館へ行った人はほとんどいなかったが、
佃煮以外の土産物を求めて行った人も何名かいたようだ。

この日のコ-スは過去に何度か歩いているが、虹の塔から歩崎観音方面へ歩いたのは
今回が初めてである。
これまでは、歩崎公園あるいは富士見塚公園をスタートして、道の駅「たまつくり」で
土産物を買って折り返していた。
その場合、帰りのリュックが土産物で重くなるため、帰りに大変な思いをしていた。
今回は、ゴールした後に道の駅「たまつくり」で買い物をすれば、リュックの重さから
解放されると考え、虹の塔をスタートとした次第。
しかし、この日は帰りの途中の佃煮工場で土産物を買ったこともあり、道の駅「たまつくり」で
買い物をする人は殆どいなかった、という結果になった。
次に機会があれば、また今回と同じコースを歩いてみようと思う。
そのときは、道を迷わずに東福寺へも立寄ることにしたい。

この日の万歩計は、16,000歩を少し超えていた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引返すハプニングも 外房釣師海岸から御宿へ

2019年03月15日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年3月15日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第38回(2019年第10回)、「外房釣師海岸から御宿へ」ウォーキングに参加した。

数年前から毎年この時期は、暖かい南房へのバスハイクを企画している。
今回は、外房の釣師海岸から御宿へ向けて歩くことにした。

三中公民館で常南交通のバスを待つ。


7時16分、予定より4分ほど早く常南交通バスがやって来た。


この日の参加者は24名である。


国道6号から県道274号(学園西大通り)を通り、


7時41分、圏央道つくば牛久ICを通過


東関東道方面へ。


この日の朝食弁当
おにぎり3個と唐揚げ・卵焼き・お新香が付いている。


牛久大仏
『行ってきま~すっ』


7時59分、江戸崎PAで最初の休憩を摂り、


利根川を渡る。


大栄JCTから東関東道へと走り、


8時32分、富里ICを降りて一般道へ。


国道409号に続いて国道126号(東金街道)を走り、


9時20分、東金街道から九十九里有料道路台方ICへ。


9時30分、九十九里有料道路真亀料金所を通過し、


九十九里有料道路を走る。
天気は申し分なく、車も少ないので快適である。


9時43分、一宮PAで2度目の休憩を摂る。


一宮川を渡って国道128号に合流し、


太東魚港へ。


ここで昼食の弁当を受け取った。


再び国道128号を走り、


10時31分、この日のスタート地点JR浪花駅に到着した。
三中公民館を出発して3時間余りが経っていた。
『駅前には何もないんだねぇ』


めいめい弁当を受け取り、


出発の準備は整った。


10時38分、先ずは岩船地蔵尊目指して出発だ!


浪花郵便局を通過し、


続いて浪花駐在所を通過すると、


国道128号に出た。
目の前に横断歩道橋があった。
『準備運動にはちょうど良いわねっ』


横断歩道橋を渡り、


岩船地蔵尊方面を目指して進む。


浪花小学校
『今時、二宮尊徳像があるのは珍しいよねっ』


道なりに進む。


左手に八幡神社の鳥居が見える。


さらに道なりに進むと右手にお寺が。
光明寺と思われる。
青い屋根瓦の鐘楼が印象的である。
『絵になる風景だねぇ』


しばらく田園風景の中を進む。


関東ふれあいの道の案内表示があった。
岩船地蔵尊0.6Kmとある。


案内標識に従って進むと、


トンネルがあった。
岩船隧道である。
『随分と道幅が広いんだねぇ』


岩船隧道を抜けると、小さな漁港が見えて来た。
岩船漁港だ。


岩船地蔵尊0.2Kmの標識の先に地蔵堂らしき建物が見えた。


11時14分、最初の目的地岩船地蔵尊に到着した。


石段を上ると六地蔵が迎えてくれた。


岩船地蔵尊は、岩船漁港の西側の海に突き出た岩場の地蔵堂に祀られている。


関東百八地蔵尊 第七八番札所 岩船地蔵尊にお参り。


本尊・木造地蔵菩薩坐像は室町期の作と伝えられている。
地蔵尊は「イボ」を治すという評判から「イボ地蔵」とも呼ばれる。
海上安全・五穀豊穣などの守り本尊として、漁業者をはじめ近郷の人々の信仰を集めている。


岩船地蔵尊縁起
この岩船地蔵尊は、日本三岩船地蔵(下野岩船・越後岩船・上総岩船)の一つである。
後宇多天皇の頃の建治元年(1275)九月、中納言藤原兼定卿が東国の衆生済度のため、
ご本尊と75座の神々をいただき巡航中、たまたま台風に遭ってしまい、この付近の釣師海岸に漂着した。
このときご本尊から多くの吉兆があらわれ、一同は無事に上陸することが出来た。
これにより、兼定卿は村人と相談し、景色の美しいこの地にお堂を建立してご本尊をお祀りしたと
伝えられている。
以来、五穀豊穣・海上安全・所願成就の守り本尊として人々の厚い信仰を集めている。
安置されている御本尊は、檜の寄木造りで室町時代の作といわれ、いすみ市指定の文化財となっている。
岩船地蔵尊保存会


岩船地蔵堂から岩船漁港方面を望む。


これから向かう釣師海岸方面を望む。


11時26分、岩船地蔵尊を後にして、


釣師海岸方面へ。


釣師海岸を目指す。


草原の間から海が見えた。
『穏やかな海だねぇ』
(この時は、この下の右手が釣師海岸とは気が付かなかった)


道なりに進む。


『この辺に海に出られる道がないのかなぁ』
釣師海岸に出られる所を探すが、見つからない。
突然、”危険 この先通行禁止” ”転落死亡事故多発地点”の看板が。


茂みの向こうにトンネルがあるが、”立入禁止”の文字が見える。
鉄格子のような柵があって通れなくしてある。
トンネルの先が明るくなっているのを見ると、海へ通じているようだが・・・


『海へ通じる径はもう少し先なのかなぁ?』
なおも道なりに進むとトンネルがあった。
釣師(つるし)隧道とある。


釣師隧道を抜けた辺りで、Google mapで確認すると、釣師海岸は既に通り過ぎていることに
ようやく気が付いた。
この先、海へ通じるような小径はないものと判断し、急遽先ほどの海が見えた所まで
引返すことにした。


海が見えた場所まで引き返し、あらためて周りを見ると、
関東ふれあいの道の釣師(つるし)海岸の説明板があった。
それには、
釣師海岸の一帯は、高さ60mほどのほぼ垂直に切り立った断崖であり、外房第一の
外洋的景観を呈しています。
また、この場所は75の神々の漂着地と伝えられており、岩船八幡神社の祭礼には
今でも75座の神々を供応する神事(大原町無形文化財)が行われています、とある。


崖の端から下を覗き込むと、ネットの写真で見た釣師海岸の断崖が目の前に見えた。
ただ、海岸へ降りる径などはないし、海岸を見ても海岸線に沿って歩けるような所でもない。


反対側の海岸も垂直の崖に囲まれている。
釣師海岸はここから観るだけの断崖であることが初めて分かった。


崖の上に”伝説七十五座漂着の地”と刻まれた石碑が立っていた。
後宇多天皇の頃の建治元年(1275)九月、中納言藤原兼定卿が東国の衆生済度のため、
ご本尊と75座の神々をいただき巡航中、たまたま台風に遭い、この付近の釣師海岸に漂着した。


11時56分、釣師海岸を後にして、次の目的地ドン・ロドリゴ上陸地を目指すことにした。
もうすぐお昼、『ここで弁当に』の声もあったが、ゴールの御宿までの残りの距離を考えると、
ドン・ロドリゴ上陸地まで頑張って歩こうということに。


『釣師海岸ってなかなか良い景色だったわよねっ』


海岸から離れて次第に山の中へ進み、再び釣師隧道を抜けると、


その先、左手に池があった。


さらにその先にまたトンネルがあった。
沢崎(さわさき)隧道とある。


濃い色の花が咲いていた。
『桜みたいだねっ』


リュウキュウカンヒザクラ(琉球寒緋桜)に似ている。


山神社を右手に見上げながら、


小池(おいけ)隧道を抜けると、


12時19分、三叉路に出た。
左に進路を取り、


道なりに進む。
車はほとんど通らない。
『のんびりとした景色が良いわねっ』


緩やかな長い上り坂が続く。


長い坂道を上り切ると、


今度は緩い下り坂になった。


『下りは楽ちんで良いわよねっ』


大きなカーブを曲がりながら進むと、


右手に建物が見えて来た。
海も見える。
そろそろドン・ロドリゴ上陸地があるはずだが・・・


坂道を下って行くと、


先ほど見えた建物は、財団法人 海洋生物環境研究所 中央研究所だった。


道路反対側(海側)に研究所らしき建物があった。


研究所の直ぐ脇にドン・ロドリゴ上陸地の説明板が。


慶長十四年(1609)9月30日夜半、前フィリピン諸島長官ドン・ロドリゴ・デ・ヒベロ・イ・ベラスコ
一行を乗せたサンフランシスコ号がメキシコのアカプルコ港への帰還途中、岩和田の田尻沖で
遭難(乗組員373名)。
事件を知った村民(旧岩和田村)は総出で駆け付け、救助活動にあたった。
救助されたロドリゴ一行は、37日間を過ごした岩和田村に別れを告げ、大多喜城経由で
江戸へと出発することとなり、駿府では将軍徳川家康に謁見している。
その後、家康はロドリゴたちの帰国のため、舟を作らせ、慶長十五年(1610)6月13日に浦賀を出航し、
その年の10月27日に、無事アカプルコ港に到着した。
『へぇ~ そうなんだ』


海洋生物環境研究所脇の細い径を海側に進むと、


12時51分、目の前にドン・ロドリゴ一行が上陸したと云われる砂浜の海岸があった。
『今から400年前にここに上陸したんだね~っ』


右側の風景


パノラマで見るとこんな感じ。


ドン・ロドリゴ上陸地碑
慶長十四年(1609)九月三十日、前フィリピン諸島長官ドン・ロドリゴが任期満ちて
メキシコに帰ろうとルソンのマニラ港からスペイン帆船サンフランシスコ号で
メキシコのノビスパンのアカプルコ港に向かう途中暴風雨に遭い、この海岸に座礁した。
夜半317名の乗組員が上陸したが、岩和田村の人々はこれを温かく迎え手厚く保護し、
幕府の指示が下るまでの37日間、当地の大宮寺に滞在させた。
昭和五十六年三月三十一日
御宿町 夷隅郡教育委員会


先に到着した組はベンチに座って一休みだ。
『ここで弁当だねっ』 『お腹空いちゃったぁ』
弁当にしましょう!


この日の弁当
(今までで一番美味しかったと言う声も聞かれた)


海を眺めながらの弁当は最高だ。


弁当タイム(1)


弁当タイム(2)


13時28分、次の目的地メキシコ記念公園を目指す。


メキシコ記念公園へ。


小納戸(こなど)隧道を抜けると、


関東ふれあいの道の里程標があった。
御宿駅まで3.1Kmと表示されているが、次の目的地メキシコ記念公園まではもう少し近い。


道なりに進むと、


白い塀に囲まれた大きな建物があった。
『立派な建物だわねぇ』 『個人の家なのかしらっ?』
紫篁閣(しこうかく)とある。
昔、樹木希林さんの別荘(真偽は不明)だったと言われている建物だそう。


前方の丘の上に塔のようなものが見えて来た。
メキシコ記念塔?


メキシコ記念公園0.3Kmの案内標識が。
『行ってみましょうっ!』


急坂の道を上って行くと、


13時46分、ロペス・メキシコ大統領来訪記念塔に到着した。


昭和53年11月1日、国賓として来日されたホセ・ロペス・ポルティーリョ大統領は、
この日、日・西・墨交通発祥の地である、我が御宿町を来訪された。
大統領は、若者たちのかつぐみこしに乗り、日の丸の扇を高くかざし、
『エルマーノ!』(兄弟よ!)を連呼し、町民の歓呼に応えた。


ドン・ロドリゴ上陸の地
日・西・墨三国交通発祥記念之碑由来記
1609年(慶長十四年)スペイン領フィリピン総督を乗せた帆船サンフランシスコ号は、
フィリピンからメキシコに向け航海中台風に遭遇し漂流、この岩和田海岸に座礁・沈没した。
秋九月三十日未明のことである。
乗組員373人のうち56人は溺死、残る317人は岩和田村民により救出された。
この時海女たちは、飢えと寒さと不安にうちふるえる異国の遭難者たちを、
素肌で暖め蘇生させたと伝えられている。
大多喜城主本田忠朝の判断により遭難者たちは37日間岩和田大宮寺に滞在、
村民の手厚い保護を受けた後、江戸城に至り家康に謁し、翌1610年家康が
三浦按針に建造させた新しい舟を与えられ無事メキシコに帰国した。
(以下略)


記念塔


海女たちが瀕死の状態にあった乗組員を素肌で暖めて蘇生させている「抱擁の像」


この像は、平成21年に墨日交流400周年を記念して、メキシコ政府より御宿町に寄贈された。


眼下に岩和田港が見える。


14時2分、メキシコ記念公園を後にして、御宿町へ。
『自信はないけど、この径で行けるんじゃないのっ』


御宿町を目指し、


細い坂道を下る。


岩和田集落の家並みが見えて来た。
『やっぱりこの径で大丈夫だったようだねっ』


14時9分、岩和田の集落に到着した。


地元の人に道順を教えてもらい、岩和田港方面へ。


14時11分、岩和田海岸に出ることが出来た。


『せっかくだから砂浜を歩いてみましょうっ』


『海岸を歩くのは気持ちが良いよねっ』
靴に砂が入るという理由で道路を歩く人も何人か。


『けっこう広い砂浜だねっ』
砂は以外に硬めで、自動車でも走れそうだ。


岩和田海岸
夏は海水浴、オフシーズンはサーファーの聖地となる、そうだ。


小さな流れがあった。
若ければ軽く飛び越えられる川幅なのだが・・・


仕方がないので海岸沿いの道路に戻って進む。


『向こう岸に渡る橋が見えるわねっ』


月の沙漠の像も見える。


月の沙漠記念館前を通り、


橋を渡って向こう岸へ。
『鯉みたいな魚がいっぱいいるよっ』


『みんなが餌をあげるから人影が見えると集まってくるんだっ』


月の沙漠を はるばると 旅のらくだが ゆきました
童謡「月の沙漠」はこの砂浜の景色から生まれた。


月の沙漠像


月の沙漠像をバックに全員揃って記念撮影だ。


この日ゴールは、JR御宿駅としていたが、バスが「月の沙漠記念館」まで迎えに来てくれるという。
運転手さんの厚意に甘えて、「月の沙漠記念館」横で待っていてくれたバスに乗り込み、
帰路に就いた。
ここで、カメラの電池が切れてしまった。
リュックに仕舞っておいたはずの予備バッテリーを探したが、見つからない。
別のリュックに移していたことをすっかり忘れてしまっていた。大チョンボである。
この1枚がこの日の最後の写真となった。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


2018年度最後のバスハイク「外房釣師海岸から御宿へ」ウォーキングが無事終了した。
今年度のバスハイクは8回企画したが、天気にも恵まれて全て実施することが出来た。

釣師海岸では説明板を見落として、途中で引返すというハプニングがあったが、
外房第一の外洋的景観と云われる60mの断崖絶壁を見ることが出来たのは幸いだった。
ドン・ロドリゴ上陸地のことについては、今回訪れてみて初めて知った。
旧岩和田村の海女さんたちが、瀕死の状態にあった乗組員を素肌で暖めて蘇生させている
「抱擁の像」を見て、感動を覚えた。

来年度のバスハイクは、今年度同様8回企画している。
この時期のバスハイクとしては、南房白間津の海岸とお花畑を歩く予定である。
どんな景色とハプニングがあるのか、今から楽しみではある。

この日の万歩計は、19,000歩を計測していた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅花を満喫 つくばの里から筑波山梅林

2019年03月08日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年3月8日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第37回(2019年第9回)、「つくばの里から筑波山梅林」ウォーキングに参加した。

第一集合場所の乙戸沼公園を出発した車は、9時43分、スタート地の筑波山口駐車場に到着した。
ほぼ満車状態だったが、先に到着していた土浦ピアタウン組によると、2台ほど空いている、とのこと。


つくばバス停裏の駐車場は3台が止められる状態だった。
乙戸沼公園からは乗り合せた2台だけだったので、何とか駐車出来た。
到着するまでは、駐車場のことで頭がいっぱいだったが、問題が解決して一安心だ。


この日の参加者は、乙戸沼公園からの10名と土浦ピアタウンから来た9名の合計19名である。
他に1名が筑波山梅林で合流するはずだ。


めいめいストレッチで身体を解し、10時1分、筑波山梅林を目指して出発!
先頭はいつものTKさんが努める。


後に続く皆さん。
つくばりんりんロードを進んで行くと、


保育園の園児たちとばったり。お散歩のようだ。
『いってらっチャ~いっ』
『行ってきま~すっ』 『ほんと 可愛いわね~っ』


つくばりんりんロードを左に逸れて市道を進む。


左手に筑波山が聳える。
『この角度から筑波山を見るのは初めてだねっ』


しばらく市道を進み、


400mほど進んだ所で左へ折れる。
『筑波山神社まで2.1Kmって書いてあるよっ』


『ここから登山道なんだぁ』


最初は緩やかな上り坂の登山道が始まった。
正面に男体山(871m)が見える。


上りの勾配が急になって来た。


『久し振りの坂道はきついよねっ』


スタート地点から約13分ほどの10時14分、筑波山神社1.7Km地点に到着した。


『ちょっとここで一息入れよう』


一息入れていると、大勢の園児たちが後を追うように上って来た。
先ほどのりんりんロードで会った子たちとは帽子の色が違う。
『さっきの子たちより少し大きい感じだねぇ』
幼稚園の子たちかもしれない。


『あの子たちには悪いけど先に行きますかっ』
幼稚園児たちに追い付かれる前に再出発だ。


幾分緩やかな坂道の登山道を進む。


筑波山神社方面を目指す。


筑波山神社への登山道を進む。


分岐点が見えて来た。


10時30分、分岐点に到着。
『いやぁ けっこうきつかったねぇ』


県道42号が直ぐ近くを走っている。


分岐点で一息入れていると、


先ほどの幼稚園児たちが上って来た。
『もう追い付いて来ちゃったのっ? 随分早いわねっ』
『途中で休んだりしなかったのかしらっ』


『追い付かれちゃったね~っ』 『元気が良いわね~っ』
園児たちは県道42号方面へ行くようだ。


園児たちと別れて、県道42号から分岐している県道139号を進む。
路傍には二十三夜塔や庚申塔などが立ち並ぶ。


薄暗くひんやりとした林を抜け、


突き当りを左へ曲がると、急坂の径が待っていた。
急坂に沿った段差のある白壁が印象的である。
『素敵な径だけど、厳しい上りだよねっ』


道路工事が行われていたが、人の通行には支障はなさそうだ。


ユンボの横をすり抜けて坂道を上る。


『この辺に住んでる人は大変だよねっ』


「筑波福来みかん保存会」の看板が。
『何かの倉庫みたいだねっ』 『中に福来みかんでも保存してるのかねぇ』
後で調べてみると、
2007年に、筑波山で採れる福来みかんの皮を使った「筑波山福来七色唐がらし」の売り口上を創作。
筑波山梅林入口向かいの「ガマ口上発祥之地」の記念碑の隣に、「筑波福来みかん七色唐辛子売り口上」
の発祥の地としての記念碑が建立された、そうである。
「筑波福来みかん七色唐辛子売り口上」を一度聞いてみたいものである。


『長い坂道だわね~っ』


『久し振りの坂道だからきついわよねっ』


旧筑波第一小学校跡が見えて来た。


10時45分、旧筑波第一小学校の正門下に到着。
現在は、つくば松実高等学校という広域通信制高等学校になっている。
右折 筑波山神社0.3Kmとある。


急坂の道は続く。


筑波山神社0.3Kmの標識に従って左折し、


さらに急勾配の坂道を上ると、視界が開けた。


直進すると県道42号へと続く石段になっているが、工事のため通れなかったため、左へ曲がる。


『あら~っ 見晴らしが良いわね~っ』


右手につくばグランドホテルが・・・
2017年12月17日(日)に当会の有志による一泊忘年会で泊ったホテルだ。


県道42号に出た。
筑波山神社の朱色の大鳥居が見える。


大鳥居とは反対側のつくばグランドホテル方面へ進み、


つくばグランドホテル前の小さな径へ。


市営第3駐車場への近道である。


近道を上ってゆくと、


市営第3駐車場に出た。
男体山の山頂が見える。


駐車場の中を通り抜け、


筑波山梅林へ。


梅林への径を進む。
駐車場から凡そ10分ほどらしい。


駐車場からは割と平坦な径が続く。


筑波山梅林へ。


駐車場から凡そ12分ほどで梅林の入り口に到着した。


稲荷社の幟を横に見ながら梅林へ。
『梅林に稲荷神社があったとは知らなかったなぁ』


梅林の白梅を眺めながら、


先ずは最上部の展望四阿へ。


11時16分、四阿に到着した。
中には大勢の人が眺望を楽しんでいた。


四阿からの眺望(1)
広さ4.5Haの梅林には、約1,000本の白梅、紅梅が植えられている、とのこと。
筑波山麓の田園風景とつくば学園都市の街並みも見える。


四阿からの眺望(2)


四阿からの眺望(3)


四阿からの眺望(4)
筑波山梅林の梅まつりは2月16日(土)~3月21日(木・祝)となっている。


四阿からの眺望(5)
四阿からの眺めはまさに絶景である!
眼下に広がる一面の梅林は素晴らしい。


四阿を後にして梅林の木道を下る。


紅梅


一部は既に盛期は過ぎているそうだが、まだまだ美しい紅梅である。
(3月7日現在では、紅梅・白梅とも満開とのこと)


ジグザグの木道を下る。


白梅の見ごろはこれからのようだ。


木道を降り、弁当に適した場所を求めて菱露台(ひしろだい)方面へ。


11時37分、お昼には少し早いが、この辺り(石庭付近)で弁当にしよう。
梅林内のあちこちでレジャーシートを広げる風景が・・・


女性陣も石の周りで弁当タイムだ。


弁当タイムが終わり、梅林の中を散策してみた。
白梅が満開状態である。


白梅の向うに展望四阿が見える。


梅の木の隙間からは男体山(871m)も見ることが出来た。


菱露台から麓の景色を望む。


『いやぁ ここからの眺めもなかなか素晴らしいねぇ』


筑波山梅林の梅を堪能し、引き上げることにした。


『あら~ぁ なんてきれいなんでしょっ』


梅林を後にして、来た時と同じ道を第3駐車場へ。


第3駐車場へ。


第3駐車場まで5分の標識を通過


『紅梅も白梅も観れて良かったわよねっ』


12時37分、第3駐車場に到着した。


駐車場内を通り、


つくばグランドホテル方面へ。


続いて神社方面近道へ。


つくばグランドホテル前を通過し、


大御堂の参道前の石段を下ると、県道42号に出た。
登って来た時に通れなかったお食事処あおき横の石段は、まだ工事中で迂回して欲しいとのこと。


つくば古道方面へ迂回することにした。
県道42号をホテル青木屋方面へ。


つくば古道下り口に到着。
この径は、来年度に予定しているコースの一つなので、この日は下見でもある。


つくば古道の石段を下る。


昭和14年(1939)9月に建てられたと云う旧筑波山郵便局前を通過
この日は扉は閉まっていたが、年に数回公開される、そうだ。


つくば古道の急坂を下る。


『そのうちこの急坂を上ることになるのかぁ』


趣のある門構えの家を通過。


急坂の径が続く。


『急坂の下りもけっこう疲れるねぇ』


宝暦九年(1759)に造立されたと伝わる一の鳥居だ。


一の鳥居を潜った先を右に曲がり、


しばらく平坦な道を進む。
『やっぱり平坦な道が良いよねっ』


右手に筑波山を見ながら・・・


径を進んで行くと・・・


男女川醸造元の稲葉酒造場の前に出た。
平成12年、六代目蔵元杜氏の稲葉伸子氏は、江戸末期より続く蔵元を継承した、そうである。
全国では数少ない女性杜氏の一人である。


ゴールの筑波山口を目指す。


『ここから登ったんだよねっ』


ゴールの筑波山口駐車場へ。


関鉄の駐車場前を通過し、


13時31分、つくばりんりんロードの筑波駅に到着


当会最高齢のHA子さん(88)始め女性陣の皆さんは満足の表情である。
『今日は天気も良くてたくさんの梅を観られてほんと来て良かったぁ』
『今までで一番きれいだったわねっ』


最後に来週のバスハイクの周知などをして、この日は解散とした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


これまで筑波山梅林へは何度か訪れているが、全て筑紫湖から歩いたもので、
筑波山口からは初めてである。
筑波山口から筑波山神社への経路はいくつかあるので、往路と復路を変えることによって
いろんなルートが楽しめる。
登山とまではいかなくても、そこそこ標高があるので、ハイキングには適しているコースだと思う。

この日の筑波山梅林の四阿からの眺めは本当に素晴らしかった。
何年かぶりに梅花を堪能したという感じである。

この日の万歩計は、13,000歩を少し超えていた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まるで別世界 自然教育園から目黒不動尊へ

2019年03月01日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2019年3月1日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第36回(2019年第8回)、「自然教育園から目黒不動尊散策」ウォーキングに参加した。

荒川沖駅7時59分発の電車を待っているところ。


終点の品川駅で山手線に乗り換え、9時41分、目黒駅に到着


この日の参加者は18名である。
『もう少し多いかと思ったけどねっ』
目黒駅前でこの日のコースなどを説明。


駅前の地図で自然教育園への道順を確認し、


9時48分、自然教育園目指して出発!
先頭は、いつものTKさんだ。


目黒通りを進み、


自然教育園を目指す。


頭上を首都高速2号目黒線が走っている。


自然教育園へ。
ポツポツと雨が降ってはいたが、傘を差すほどでもない。
『そのうち晴れるんじゃないっ』


東京都庭園美術館前を通過し、


9時56分、庭園美術館の40mほど先にある自然教育園に到着した。
正式には、国立科学博物館附属自然教育園という。


入園料は310円だが、65歳以上は無料となっている。
窓口で身分証明書を見せるか誕生年を告げれば入場OKである。


10時1分、自然教育園内へ。
ぞろぞろ固まって歩くのも何なので、30分間の自由時間を設けた。


順路脇の路傍植物園には、名前が表示されたいろんな植物が生えている。
『名前があるから解り易いよねっ』
『知らない植物がたくさんあるんだねっ』


砂利道を進む。


えのきに張り付いたきづた
『凄いわねっ ビタっと張り付いてて』
『共存共栄なんだろうねっ』


椎の大木
『椎ってこんなに大きくなるんだぁ』


この土塁は、今から400~500年前、白金長者と呼ばれる豪族によって、
外敵や野火を防ぐために築かれたと考えられています。
土塁は、園の周辺や館のまわりに築かれ、その上に椎の木を植えたと云われています。
自然教育園の池や沢の水は、北側にある土塁の下を通って外へ流れますが、
この出口を閉じると上流部が大きな池になるように作られています。
(説明板)


時折薄日が差してきて、雨の心配はなくなった。


ひょうたん池の案内表示


園内を進む。
『とても都会のど真ん中とは思えないわよねっ』


物語りの松
この老松は江戸時代松平讃岐守の下屋敷の面影を伝えるものです。
近くのひょうたん池などとともに、回遊式庭園であったと思われます。
(説明板)


物語りの松の少し先にひょうたん池が静かな佇まいを見せている。
時折、カワセミが姿を見せるそうだ。


水生植物園内へ。


木橋を渡り、


水生植物園内を進む。


水生植物園
『自然で良いねぇ』


緩やかな坂道を上ると、


約300m ”森の小道を経て武蔵野植物園へ”の標識が。
標識に従って武蔵野植物園へ。


緩い上り坂の森の小道を進む。


いつもは先頭を歩くTKさんだが、この日は最後尾を努めている。
『たまには最後尾も悪くないねっ』


武蔵野植物園付近


武蔵野植物園辺りは高木の落葉樹が多く見られる。


福寿草だ。
『可愛らしいわねっ』


武蔵野植物園


そろそろ出口を目指す時間だ。
『こっちへ行けば良いのかなっ?』


右手に水生植物園の池と東屋が見えて来た。


左手の木々の間から高層ビルが見えた。
『やっぱりここは都会の真ん中なんだねっ』


水生植物園の池を見ながら出口を目指す。
『さっきは池の向こう側を歩いたんだよねっ』


出口へ向かう。


物語りの松を通過
『やっぱりでかいよな~っ』


椎の巨木の林を抜け、


10時34分、管理棟に到着した。
各自自由行動としていたが、ずっと一緒に歩いた感じで、ほとんど時間差なく到着した。
30分間というのはほぼ妥当な時間だったと思う。


展示されていた自然教育園の航空写真を見て、あらためて都心であることを実感させられた。
『よく今まで残せたよねっ』


10時44分、自然教育園を後にして、


目黒通りを戻り、再び目黒駅方面へ。


八幡神社前を通過


目黒通りを目黒駅方面へ。


目黒駅が見えて来た。
写真中央の高層ビルは、三井住友ビルと思われる。
目黒通りを横断し、


三井住友ビル横を行人坂方面へ。


これが行人坂なのか?
『いやぁ これは随分急な坂道だね~っ』


坂道の途中に行人坂の説明板があった。
寛永の頃、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めました。
次第に多くの行人が集まり住むようになったので行人坂と呼ばれるようになったと言われています。
(行人:仏道を修行する人。行者)
目黒区教育委員会


行人坂の説明板の横に目黒川架橋供養勢至菩薩石像が祀られていた。
台座の前面と両側面に、江戸中期における目黒川架橋のことを語る銘文が刻まれています。
銘文によると、宝永元年(1704)に西運という僧が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、
往復の途中江戸市民の報謝をうけ、両岸に石壁を築いて、雁歯橋を架けたことが分かります。
目黒川架橋の史実を物語る貴重な資料です。
目黒区教育委員会


10時58分、大円寺に到着した。
大黒天の幟も見える。
『七福神も祀られているようだねっ』


松林山大円寺
寛永のはじめ、湯殿山の大海法印が寺の前の坂(行人坂)を切り開き、大日金輪を祀って
祈願の道場を開いたのがその始まりと伝えられている。
明和九年二月(1772)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出したが、
その供養のため造られた釈迦三尊・十六大弟子、五百羅漢の像等の「大円寺石仏群」が
建てられている。
大円寺石仏群は都指定文化財になっている。


本堂前に鎮座する全身金色の大仏如来像
『どんな御利益があるんだろうねっ』


『凄くたくさん石仏が並んでるわね~っ』


左右に文殊菩薩・普賢菩薩を配した釈迦三尊像を


十大弟子と十六羅漢が囲み、


背後に四九一基の羅漢像が並ぶ。
明和九年(1772)、江戸市中を焼く大火があり、火元と見られたのが大円寺であった。
この火事は「行人坂の火事」と呼ばれ、明暦三年(1657)の「振袖火事」、文化三年(1806)の
「車町の火事」と並び、江戸三大火事との一つに数えられている。
大円寺から上がった火の手が強風に煽られ、三日三晩燃え続け江戸の町の三分の一を
焼き尽くしたそうである。
五百羅漢は、その時の犠牲者(約14,700余人)を供養するために建立されたものとある。
東京都教育委員会


都郷土資料「大円寺石仏群」碑


大円寺境内の梅が見頃を迎えていた。
『きれいだねっ』


大円寺を後にして、目黒不動尊を目指す。
11時6分、ホテル目黒雅叙園前を通過。
『いやぁ 凄く立派で大きな建物だねぇ』


太鼓橋は1700年初頭に木喰上人が造り始め、後に江戸八丁堀の商人達が資材を出し合って、
宝暦十四年(1764)から6年の歳月を経て完成した。
広重はこの太鼓橋を浮世絵に描いており、こうしたアーチ形の石橋は江戸の中でも他に例がなく、
目黒の欧風文化の第一号とさえ言われたが、大正九年(1920)9月1日に豪雨により石橋が
濁流にのまれたため、昭和七年(1832)架設された。
現在の橋は、目黒川流域の都市整備計画により、平成三年(1991)11月に完成した。
(現地説明板)
『上からじゃ分からないけど、下はアーチ形になってるんだろうねっ』


目黒川
『最近は桜で有名だよねっ』
『一度桜の時期に歩いてみたいわねっ』


太鼓橋を渡り、


目黒不動尊へ。


高架橋で山手通り(首都高速中央環状線)を横断。


高架橋を渡って、


右に折れ、小さな道を目黒不動尊を目指す。


目黒不動尊の案内標識が


標識に従って進むと、正面に鳥居のようなものが。
しかし、扉は閉まっていてここから中へは入れない。
”この先80mに入口あります”とある。


標識に従って進むと、目黒不動尊の裏手に出た。


11時24分、目黒不動尊大本堂に到着した。
『いやぁ 立派な不動尊だねぇ』
お参りを済ませた。


目黒不動尊大本堂


『変わった形の鳥居だねぇ』
この形状は「山王鳥居」と云い、山王一実神道の独自の形式、とのこと。
神仏習合の形を今も留めている。


山王鳥居を潜って石段を下りた先に、


楼門形式をした仁王門がある。


仁王様(阿像)
(金網の目が小さいため仁王様の顔がよく見えない。
ストロボでは反射してなお見えない。やっかいな金網である)


目黒不動尊を後にして、次の目的地安養院へ。


感を頼りに目黒不動尊前の商店街の路地を進んで行くと・・・


11時36分、突然目の前に安養院が現れた。
『意外と近くにあったんだぁ』


安養院の狭い参道を進むと、六地蔵などが迎えてくれた。


『こんな狛犬初めてだねっ』 『見慣れないねぇ』
これは狛犬ではなく、中国獅子だそうである。


『随分顔がでかいんだねぇ』
中国獅子は、ほとんどが「阿-阿」で、両方とも口を開いているのが特徴、とのこと。


さらに参道を進む。
参道の両側は墓地になっており、参道には手入れされた花木が植えられている。


門を潜ると、


正面に高層ビルが。
安養院は、「臥龍山安養院能仁寺」という密教系寺院、とのこと。
本堂はビルの5階にあるそうだ。


引き返す途中、梅の木に小鳥が集まっていた。


メジロである。
花の蜜を吸っているようだ。


安養院を後にする。


成就院はすぐ近くにあったが、門は閉じられていた。
『中には入れなさそうだねっ』


と思ったら、
門の直ぐ左隣に成就院の駐車場があり、そこからは自由に境内に入ることができた。


たこ薬師
「ありがたや 福をすいよせる たこ薬師」


たこ薬師の本堂正面に回ってお参りを済ませた。
『どうか福がありますように』


成就院を後にして、東急不動前駅へ


不動前駅へ向かう途中、お昼の食べ物屋が気になりだした。
『おっ トンカツ屋だぁ』 『トンカツが食べたいねぇ』


スーパーオオゼキ前の信号を横断。


『お蕎麦屋さんも良いわね~っ』


『牛丼も良いけど久し振りの外食がファストフードじゃねぇ』


まぐろ丼の幟も見える。
『この辺りにはいろんな店があるんだねぇ』


12時2分、東急目黒線不動前駅に到着。


ちょうどお昼時なので、この日はここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


解散した後、残った数人は最後に近くの氷川神社へお詣りすることにした。
『この日訪れたのは寺院ばっかりだったからねぇ』
不動前駅から来た道の反対側へ少し進むと、”氷川神社参道”の案内表示が見えた。


12時10分、氷川神社に到着
『意外と立派な神社だったんだねっ』


氷川神社に参拝!


氷川神社に参拝を済ませ、先ほどのトンカツ屋が気になっていたので、
トンカツ屋を目指すことにした。
『JR目黒駅周辺よりも空いてて安いかもねっ』


不動前駅を通過し、


12時30分、トンカツ屋「八千代」に到着
店内は予想通り空いていた。


先ずはビールで、


『いやぁ ウォーキングの後はやっぱり美味いっ』


かつ丼(850円)を注文した。


皆さんはロースかつ(850円)だ。
『けっこうボリュームがあるよっ』


JR目黒駅はそんなに遠くないので、食後の運動も兼ねて目黒駅まで歩くことにした。


ホテル目黒雅叙園前を通り、


急坂の行人坂を上る。
『最後が一番きついよねっ』 『いやぁ 堪えるね~っ』


何とか目黒駅前に出た。
正面に見えるのはAtre1だ。


13時32分、Atre1向かいの目黒駅に到着し、山手線で品川へ。
品川から常磐線始発に乗り換え、帰路に就いた。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

自然教育園から目黒不動尊まで散策した。
この日のコースは、2009年2月24日に「KDD遊歩会」の定例ウォーキングで歩いて以来なので、
10年ぶりとなる。
自然教育園は、10年前と全く変わっておらず、まるで別世界、都心のオアシスである。
機会があれば、また訪れてみたい。
その時は隣の庭園美術館も同時に訪れたい、と思う。

この日の万歩計は、13,000歩を少し超えていた。

ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする