ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

平成29年 有志一泊忘年会(2日目 小町の里)

2017年12月18日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年12月18日(日)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29年の通常例会は、先週15日(金)に無事終了した。
通常例会ではちょっと物足りない(飲み足りない)という有志が集い、
恒例の「一泊忘年ウォーキング」を実施することになり、参加した。

当初は、福島県伊達市の霊山ハイキングを計画していたが、紅葉も終わり、
少し遠すぎるのでは、という意見もあったことから、それならばと地元の
筑波山周辺でということになった。
1日目は、筑波山口から筑波山神社までを歩き、「つくばグランドホテル」で
心ゆくまで酒を酌み交わした。

2日目の朝を迎えた。
日の出直後の霞ヶ浦方面


大鳥居方面
今日も良い天気になりそうだ。


薄らとだが富士山も見えた。
(ホテルの従業員によると、昨日はよりはっきり見えたそうだ)


朝食は昨夜と同じく2F万葉の間、バイキング形式である。


朝から食欲旺盛な皆さん。


今日も頑張ろう。


部屋代は1泊2食税込で約13,000円。
それに飲物代を入れると、一人約15,000円になった。
フロントで清算を済ませ、8時42分に「つくばグランドホテル」を出て、


ホテル前の駐車場へ。
この日はパープルラインを通って小町の里を目指すことにした。
8時45分、小町の館に向けて出発!


9時11分、途中朝日峠駐車場(標高262m)で一休み。


空気は冷たかったが、朝日峠から筑波平野の景色を満喫した。
『いやぁ これはなかなか素晴らしい眺めだね~っ』


小町の里が眼下に見える。
残念ながら、富士山は少し方角が異なるため、ここからは見えない。


『牛久大仏が見えるよっ』


少し場所を移動すると、牛久大仏が見えた。


9時31分、小町の館駐車場に到着。


体調を整えて、
9時39分、坂東三十三観音霊場26番札所の清滝寺を目指して出発!


上空は雲一つない快晴である。
『いやぁ素晴らしい天気になったねぇ』


南明山清滝寺方面へ。
以前はこのような標識はなかった。
『分かり易くて良いよねっ』


9時45分、翠巌山向上庵への分岐点を通過
(この時は、向上庵へ立ち寄ることは頭にはなかった)


朝日トンネル手前に土浦亀城ライオンズクラブ寄贈による
朝日トンネル開通記念植樹とその記念碑が建てられていた。
記念樹は、枝垂れ桜のようだ。


朝日トンネル道路を潜り、


坂東三十三観音霊場26番札所の南明山清滝寺へ。


『立派な松だねぇ』
『松って手入れが大変なんだよねっ』


前方突き当りに清滝寺の石段が見えて来た。


急な石段を上ると、


風格のある清滝寺の山門が聳えていた。
『立派な門だなぁ』


清滝寺山門の仁王像(阿像)、なかなか迫力がある。


清滝寺山門を潜ると、さらに急な石段が続く。


9時58分、清滝寺本堂前に到着。
清滝寺は、推古天皇十五年(706)にこの寺の背後の山に創建されたと伝えられ、
大同年間(806~810年)に現在地に移されたという。
天正年間に小田氏・佐竹氏の兵火により焼失し、江戸時代に再建されたが、
昭和44年に不審火により、山門のみを残して焼失してしまったとのこと。
現在の本堂は昭和52年に再建されたものである。


清滝寺の本尊は聖観世音菩薩。
坂東三十三箇所の第26番札所であり、清滝観音とも称される。
清滝寺にお参りを済ませ、


本堂をバックに全員で記念撮影だ。


会長が撞いた重厚な鐘の音が境内に響いた。


再び山門を潜り、


10時7分、清滝寺を後にした。


小町の館を目指す。


朝日トンネル道路を潜り、


小町の館を目指す。


時計は、10時18分を差していた。
このまま小町の館に戻るには早すぎるし、ウォーキングの会としては物足りない。
向上庵へ立ち寄って行くことにしよう。
ということで、翠巌山向上庵を目指すことに。


向上庵へ。


山裾の突き当り、向上庵の参道の先には、


細くて急な石段が続いている。
石段の途中には、ちょっとした庭のようなスペースがあり、
石碑や石像が配されている。


茶筅塚
石段途中の左手には茶室があり、その前の庭の石碑には
「茶筅塚 建仁僧堂 素堂(カタツムリ)」と刻まれていた。
茶筅の供養塔である。


さらに石段を上る。


右側に保久歌碑とその横にひっそりと鎮座している石像があった。
保久歌碑には、久保田保久師の説明があり、次のような歌が刻まれていた。
「石段の 古きをくるしみ登るとき 頭上に咲くは大樹の桜」
下ばかり見ていないで上を見れば、そこには桜の大樹がありますよ とのこと。


左:馬祖碑
馬祖大師は唐代(709~788年)の名僧であり虎の如く視、牛の如く行くと賛せられました。
舌が長かったと云われ、「龍之介の鼻」のモデルであったかも知れません、と説明がある。
右:天保三年(1832)建立の如意輪観音像は、十九夜講で信仰されている仏さま、とある。


宝暦十二年(1762)建立の地蔵菩薩像。
天下清平、四民豊楽を願い建立された、とある。


向上庵は、臨済宗建長寺派の寺院で、
暦応年間(1338-1342年)に、小田氏第8代当主の小田治久が創建したと伝えられる。


南天のような真っ赤な実を付けた小枝が竹筒に差されていた。
風情がある。


境内のこの辺りにかつては枝垂れ桜の古木があった。
1970年に県の天然記念物に指定された樹齢300年の枝垂れ桜だったが、
2011年9月、台風15号の強風により根元から折れたため、伐採されてしまった、
そうである。


向上庵を後にして、


小町の館へ。


10時41分、小町の館に到着した。


この日の昼食は、JA土浦北の「まほら庵」を予定している。
小町の館からJA土浦北までは、車で10分ほどだ。
11時30分頃に行けば良いだろう。
それまでには少し時間があるので、日枝神社へ行ってみることにしよう。
日枝神社へは30分もあれば往復出来るだろう。


ということで、日枝神社に向かった。


小野小町の墓標入口を通過
小野小町は、平安時代の名高い歌人でその美貌でも知られる。
京からみちのくへの旅路で病を得た小町は、この地で力尽き、
村長の家で手厚く介抱されたが、元慶七年(883)7月7日、
69歳で亡くなったと伝えられる。


旧い墓と新しい墓が混在している墓地を通過
『歴史を感じるねぇ』


早くもスイセンの花が咲いていた。
この辺りは南向きなので温かいのだろう。


10時57分、小町の館から15分ほどで日枝神社に到着。


日枝神社の鳥居


鳥居の横に流鏑馬祭の碑があった。
日枝神社は、流鏑馬祭が有名である。
この流鏑馬祭は、農作物を食い荒らし、村人に害をなした大猿を領主と弓の達人が
退治したという室町時代の伝承を基に、一連の出来事を再現したもので、
物語性を持つ珍しい流鏑馬、とのこと。
県指定無形民俗文化財となっている。


鳥居前の長い直線の参道で行われる流鏑馬祭は、
毎年4月第1日曜日に行われる、そうだ。
一度見てみたいものである。


日枝神社の拝殿


拝殿に参拝


日枝神社の本殿は、火災の為延享五年(1748)4月に再建された。
素晴らしい彫刻が施されている。


日枝神社を後にして、小町の館へ。
朝日峠の麓にのどかな景色が広がる。


小町の館を目指す。


朝日峠からパラグライダーが次々に飛んできた。
『気持ち良さそうだな~っ』


田んぼに着地
(飛んでいたのとは別のパラグライダー)


11時19分、小町の館の水車、


小町の里の碑前に到着し、JA土浦北に向けて車を走らせた。


11時31分、JA土浦北に到着した。ほぼ予定していた時刻だ。
駐車場にはたくさんの車が駐車していた。満車状態だ。


産直の売り場の中を通り抜けて「まほら庵」の暖簾を潜ると・・・


ほぼ満席状態だった。
『やばいっ』と思ったが、何とか2か所に分かれて座ることができた。
最後の空席だった。
『席が確保出来て良かったぁ』 何とか間に合って一安堵である。


「まほら庵」は、11時に開店ということで、11時前には行列が出来るそうだ。
ちょっと認識が甘かった。
その後も次々とお客が来店し、たちまち空席待ちの列が出来た。


注文したのは、「エビ天せいろそば」(920円)だ。
”なくなり次第終了”という「まほら庵」名物の炊き込みご飯が付いている。


『けっこうボリュームがあるなぁ』


皆さん、満足の様子に一安心。
食後、ここで解散ということで、めいめい帰路に就いた。
『皆さん、大変お疲れさまでした~っ』
『どうか良いお年を~っ』


解散した後に野菜売り場を見て回り、


白菜(2個で500円)を買って帰ることにした。
かみさんに好物の白菜の漬物を漬けてもらうことにしよう。


有志による一泊忘年ウォーキングが終わった。
2日目のこの日は、小町の里周辺を歩いた。
当初の案では、小町の館と清滝寺の往復を歩くのみとしていたが、
やはりそれではもの足りず、向上庵、日枝神社と足を延ばしたことで、
当会の面目を保てたように思う。

これで今年のスケジュールは全て終了したことになるが、
3週間余の休みの後、新たな年の例会が待っている。
来年も変わらず、皆さんと元気に楽しく歩き回りたいものである。

この日の万歩計は、9,000歩を少し超えていた。

平成29年 有志一泊忘年会(1日目)

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平成29年 有志一泊忘年会(1日目 筑波山麓)

2017年12月17日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年12月17日(日)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29年の通常例会は、先週15日(金)に無事終了した。
通常例会ではちょっと物足りない(飲み足りない)という有志が集い、
恒例の「一泊忘年ウォーキング」を実施することになり、参加した。

当初は、福島県伊達市の霊山ハイキングを計画していたが、紅葉も終わり、
少し遠すぎるのでは、という意見もあったことから、それならばと地元の
筑波山周辺でということになった。

2-3名づつの乗り合いでそれぞれの自宅を10時30分頃に出発したのは、
「健康ウオーキング同好会」の有志8名。
落ち合う場所は、自宅から1時間の筑波山麓の蕎麦店『筑膳』である。
予約して12時半頃に到着したかったのだが、土日の12時~13時は、
並んで待つ人が多いため、予約は受けていないとのこと。
そのため出発を1時間早めたという次第。

国道125号田中交差点を過ぎると、右手に筑波山が見えてきた。


11時23分、蕎麦店『筑膳』に到着。
TSさん車は既に到着していた。


風情のある立派な建物だ。
TKさん車も到着し、後はNGさん車のみである。


暖簾を潜って中に入る。
座敷には2組が食事中だったが、まだ充分に空席があった。
11時30分頃は、まだ余裕があるということだ。


皆さん、既に好みの品を注文したようだ。


お薦めは、「かきあげ天そば」(1,944円)とのこと。
ちょっと高い気もしたが、”限定20食”に釣られてしまった。


注文した「かきあげ天そば」
蕎麦はやや太めで腰が強い割には喉越しが良く、満足の味だった。
桜エビは、から揚げにされており、風味があり美味しかった。


少し遅れて到着したNGさんは、蕎麦打ち同好会に所属している
大の蕎麦好きである。
注文したのは「もりそば」の大盛、やはり通ならではであろう。


こちらの皆さんも、満足の様子である。


『筑膳』の蕎麦に満足した後の12時34分、この日の宿泊先である
「つくばグランドホテル」に到着。


ホテルの駐車場に車を停め、朱塗りの大鳥居近くの
筑波山神社入口バス停へ。


つくばセンターとつつじヶ丘間を往復しているシャトルバスを待つ。
土日は30分間隔なので便利である。


13時40分発のシャトルバスでこの日のウォーキングのスタート地点
麓の筑波山口へ向かう。


筑波山神社入口から僅か6分で筑波山口に近い沼田バス停に到着した。
料金は、210円だった。
SUICAなどのICカードが使えないのが不便ではある。


沼田バス停から筑波山口に向かう。


12時55分、筑波山口に到着。
かつて筑波鉄道の筑波駅があった場所である。


筑波山口から筑波山を望む。
突き当りに石の大鳥居が見える。


この日のウォーキングは、筑波山口から筑波山神社へ至る
約2.5Kmのコースを予定している。
12時59分、筑波山口を出発!


歩きだして直ぐに、気になる看板が目に入った。
筑波の地酒「男女川」稲葉酒造場 この先400m左折とある。
『水曜日が定休日だから、今日はやってるってことだよねっ』
『ちょっと寄ってみようかっ』


ということで、先ずは稲葉酒造場を目指す。


筑波山神社方面2.1Kmの道標をそのまま通り過ぎてつくば道方面へ。


再び稲葉酒造場の看板が。
”ここを左に”とある。


看板の先を左折して細い道を進むと・・・


男女川醸造元 稲葉酒造場と刻まれた石の門柱があり、


50mほど進むと、稲葉酒造場の蔵があった。
六代目蔵元杜氏の稲葉伸子氏は、平成12年、江戸末期より続く
蔵元を継承した、全国では少ない女性杜氏とのこと。


蔵には稲葉酒造の銘柄「男女川」、「すてら」、


「神仙」などが陳列されていた。


平成29年度茨城県清酒鑑評会純米酒の部金賞の賞状も。
『3週間前に受賞したばかりじゃん』


蔵の奥には、きき酒用の部屋(ランチ等兼用)があった。
Webによると、お奨め3種がおつまみ付1,600円(税込)だそうだ。


内容は、酒蔵の歴史や稲葉酒造の酒造り・日本酒の楽しみ方・
しぼりたてのお酒や飲み頃のお酒の説明・きき酒の仕方などで、
所要時間は1時間15分ほどとのこと。
このことを事前に知っていれば申し込んでいたものを・・・いやぁ残念!


めいめい好みの銘柄を購入。


蛇の目猪口を2個(500円)買った。


道標(筑波山神社1.8Km)に従って筑波山神社方面へ。


急な方の坂道を上ってゆくと・・・


1軒の家の前で道が途絶えていた。
枯葉で埋まった道は行き止りだった。
道を間違ったようだ。


間違ったと思しき所まで戻り、


あらためて正規の道(やや緩やかな方)を進む。


雑木林が切り開かれ、ソーラパネルが並んでいた。


看板には、「つくば沼田発電所」とある。


発電能力は、51KW(CIS 170Wx300枚)という計算である。
(CIS:顧客情報管理システム)


13時39分、筑波山神社まで1.25Km地点を通過。


勾配のある道を上って行くと、


”月水石神社 この先200m”の標識が。


標識に従って木立の中を500mほど進んで行くと、小さな社が鎮座していた。
月水石神社(がっすいせきじんじゃ)だ。


月水石神社の御祭神は磐長媛命(いわながひめ
御神体の巨石は月に一度赤い水を流すという伝説がある。
この言い伝えは女性の生理と結びつき、婦人病にご利益がある、
と篤く信仰されている。
不妊に悩む女性も多く参拝している、とのこと。
神社で祈祷された卵を食べると子宝に恵まれる、そうだ。


月水石神社入口の登山道へ戻る。
この辺りからかなり急勾配になり、会長の足取りが重くなって来た。
歩幅が小さくなり、速度が急に落ちて来た。


『もう直ぐですよっ 頑張って』と声を掛けながら進むが、
かなりきつそうな感じだ。


一段と急な坂道に差し掛かった。
ここを上れば後は楽なのだが・・・


交替で背中を押したりしながら、


最後の急坂を上る。
『あと少しですよっ』


何とか旧筑波第一小学校正門下に到着した。
現在は、つくば松実高等学校という広域通信制高等学校になっている。
ここまで来れば宿泊先の「つくばグランドホテル」は近い。


つくば松実高等学校(旧筑波第一小学校跡)を左手に見ながら、
県道42号に出たところで、会長は、筑波山神社への参拝は断念するとのこと。


筑波山神社まであと300mと僅かだが、これ以上無理は言えない。
「つくばグランドホテル」で待ってもらうことにした。


会長と付き添いのNGさんを残し、6名で筑波山神社へ。


坂東33観音霊場25番札所の大御堂の正門の石段は
ほぼ完成している状態だが、本堂(石段の上正面左)の建て替えは
これからという段階である。
『本堂は、何時頃完成するんだろうねっ?』


14時35分、青木屋ホテル前を通過


つくば道終点の先、御神橋の手前にある石鳥居を通過。


紫峰牛像
筑波山周辺で飼育されている国産黒毛和牛「紫峰牛」の碑。
平成26年(2014)12月建立で、紫峰牛生産組合が奉納した。


御神橋
毎年4月1日と11月1日の御座替祭(おざがわりさい)に限り、
三代将軍家光公奉納の御神橋(県指定文化財)の参拝者の渡橋が許される。


随神門(市指定文化財)には、早くも”謹賀新年”の文字が


随神門横で、ガマの油売り口上をやっていた。


なかなか年期の入った口上と見受けられた。


拝殿前には「年越の大祓」に備えた茅の輪が設けられていた。
茅の輪を左回り・右回り・左回りの順に回り、


最後に拝殿に参拝。


8人全員での撮影をと考えていたが、6人だけで撮影を済ませた。


記念撮影を済ませ、2人が待つ「つくばグランドホテル」へ。
楼門を潜り、


御神橋を渡る?
たまたま今年の11月1日に筑波山に登った際に、運良く通ることができた。
これはその時の写真である。


御神橋前の土産物屋前を通過


石鳥居前の土産物屋街を通り、


14時59分、「つくばグランドホテル」に到着


フロントで受付を行い、


6Fの部屋へ。
部屋割は2名づつの4部屋を予約した。
10畳の部屋に2名は、けっこう広い。


全室南側向きで、筑波平野が一望である。


正面には、小田山(宝篋山)が見える。


18時30分からの夕食まで時間はたっぷり。
一風呂浴びて汗を流そう。


風呂から上がった頃にようやく夕日が沈み出した。
時計は16時20分を差していた。


部屋の反対側からは、筑波山を見上げることができる。


夕食までまだ2時間はある。
その前に軽く一杯で喉を潤すことにした。
『お疲れさま~っ』


『やっぱ風呂上がりは美味いね~っ』


陽が沈み、外は暗くなった。
窓から見える筑波平野の夜景が美しい。
(手振れはご容赦願いたい)


18時32分、2Fの万葉の間に移動して夕食タイムである。
あらためて『かんぱ~いっ』
『一年間ご苦労さまでした~っ』


夕食風景(1)


夕食風景(2)


この日の夕食メニュー、盛りだくさんでなかなか豪華だ。


夕食風景(3)


夕食風景(4)


夕食風景(5)


夕食風景(6)


部屋に戻ると・・・


稲葉酒造で買った酒が振る舞われ、
お酒をこよなく愛した故OMさんを偲んで遅くまで語りあった。


一泊忘年ウォーキングの1日目が終わった。
地元の筑波山ということで、時間的にはかなり余裕のある1日目だった。
『この位たっぷりと時間がある方が良い』と、皆さんからは好評だった。

稲葉酒造場の看板は、筑波山登山の際に毎回目にはしていた。
今回初めて訪れたが、おつまみ付お奨め3種のきき酒コース
があるとは知らなかった。
事前に知っていれば申し込んでいただろうに、本当に残念である。
近いうちに是非訪れて、3種の銘柄を味わってみたいものである。

この日の万歩計は、8,000歩を計測していた。

平成29年 有志一泊忘年会(2日目)

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男性陣にも好評『花御膳』ランチ 忘年ウォーキング

2017年12月15日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年12月15日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29度第27回(2017年第43回)、「平成29年忘年ウォーキング」に参加した。
忘年ウォーキングは、女性陣に秋口頃までに忘年会の場所を選んでもらい、
後日コースを設定するというものである。
女性陣が選んだ今年の忘年会会場は、昨年と同じく土浦市内の「かね㐂本店」で
ということになった。

第一集合場所の荒川沖駅東口に集まったのは、26名。
途中合流が1名、「かね㐂本店」への直行6名、合計33名の
参加となった。


点呼を取り易くするために、名前のあいうえお順にA・B・Cの
3つのグループに分け、9時22分、出発!


先頭はBグループのTKさんにお願いした。


荒川沖駅東口からJR常磐線に沿って土浦方面へ。


荒川沖駅東口のマンション「ステージワン荒川沖」前を進む。


荒川沖東1町目の駄菓子屋付近の路地を通り、


JR常磐線を跨ぐ県道25号の下を抜けて右に曲がると、
前方に阿見住吉の立体交差が見える。


阿見住吉交差点を左に曲がり、県道48号の側道を進む。


割烹料亭「鴨正」が正月用の門松を作ってる最中だった。
『もう直ぐ正月なんだねっ』
『1年経つのって早いもんだね~っ』


県道48号を進む。


9時42分、はま寿司、COCO'S前を通過


信号待ちで少し遅れる最後尾を務めるCグループ。


先頭グループは、コンビニ(ファミマ)辺りを通過。


スーパー「まるも」辺りで、TZ子さんが合流し、


日先神社方面へ。


日先神社を目指す。


日先神社の鳥居が見えて来た。


9時52分、日先神社に到着


案内板には、次のような説明がある。
大喜五年源頼義、義家父子の軍団奥州に向かう途中当地に宿営。
夜霊夢ありて、この地で賊徒平定の大祈願祭を厳修した。
康平元年(1058)11月其処へ社殿を創建、丸四天権現宮と
尊称武甕槌命・経津主命・衡立船戸大神の三神を鎮斎した。
丸四天権現宮は何時しか摩利支天さまと俗称された。
明治四年日光神社と改称後に、日先神社と改める。
明治五年右籾・摩利山新田・中村・中村西根・乙戸・荒川沖・
荒川本郷・沖新田、以上八ヶ村の村社となる。
昭和二十七年十月六日宗教法人設立。
古来諸災病難消除の神として、戦時中は武神として信仰されている。


鳥居を潜り、参道を進む。


参道左手にある椚(クヌギ)は、土浦の名木・古木に選定されている。
樹高26m、胸高周3.33m、葉張り東西20.7m、南北21.5mとある。


拝殿前には栢(カヤ)の大木が聳えているが、こちらは特に
何も選定されていない。


日先神社に参拝。


日先神社の本殿は、流造(ながれづくり)銅葺1坪である。
流造は、日本の神社建築様式の一つで、屋根が反り、
屋根が前に曲線形に長く伸びて向拝となったもの。
全国で最も多い神社の本殿形式だ。


「かね㐂本店」には11時30分到着予定と伝えているため、
あまり早く着きすぎても迷惑を掛けるだろう。


ここで少し長めの休憩をしていこう。


日先神社で10分ほど時間を潰し、
10時2分、ゴールの「かね㐂本店」に向けて出発!


神社裏手の急な石段を下る。
『怖いわねこの石段っ』


石段を下りると、右手には田んぼの景色が広がる。


右手に日先神社の杜を見ながら、


コンビニ(セブンイレブン)前を通過し、


再び県道48号へ。
右手に見えるのは、ネッツ・トヨタつくば店。
15年以上つきあいのあるディーラーである。


前方道路左側にパチンコ店「麗都」が見える。


「麗都」の道路向い側は、寿司の「にぎりや松」だ。
最近ちょっと足が遠のいているが、そのうちまた訪れたい。


前方に国道125号の立体交差が見えて来た。


国道125号の立体交差


10時21分、国道125号の立体交差下を通過


国道125号の立体交差を過ぎると、


左手に蓮田の湿地帯風景が広がる。
この辺りは、周りは田んぼや畑が多い。


地元の墓地を過ぎると・・・


道路左手には田んぼの風景が広がる。


前方に小岩田の住宅街が見えて来た。


10時33分、花室川を通過
『ほとんど流れがないから濁ってるのよねっ』
『これじゃあ魚も鳥も棲まないわよねっ』


県道48号小岩田東のGS前交差点に到着


小岩田東のGS前交差点を渡った所で、急遽左に進むことにした。
直進の道は何時も通っているので、つまらない。
こういう時に違った道を歩いてみるのもウォーキングの醍醐味である。


GS前交差点を渡った先、3つに分かれた真ん中の道を進むと、
急な坂道が待っていた。


『この坂道きついよねっ』


何とか急な坂道を上り切り、住宅地を進む。


『さっきの坂道きつかったわよね~っ』
『汗かいちゃったわっ』


小岩田西2丁目付近、


桜が丘付近、


特別養護老人ホーム「やすらぎの園」付近、


エコトピア桜が丘分譲地付近と進み、


10時53分、桜が丘バス停を通過すると、


叶多(かのうだ)内科医院という所に出た。


叶多内科医院を左に曲がると、常磐線があった。
『ようやく今どこにいるか分かったよっ』という声も。


「三番橋」で常磐線を跨ぎ、スーパーカスミへ。


明治二十八年(1895)の常磐線建設のとき、丘陵が東西に切り離され、
後に2本の橋が架けられた。
その時の橋名は、土浦駅に近い方から「一番橋」「二番橋」と呼ぶ。
「三番橋」は通称で、公式文書では「常磐線2号橋」になる、とのこと。
因みに「常磐線1号橋」は、荒川沖駅北側の歩道橋だそうだ。


目的地の「かね㐂本店」とは逆方向になるが、


少し戻って近くのスーパーカスミへ。


スーパーカスミで最後の休憩を摂る。


グループ毎に点呼を取り、「かね㐂本店」へ向かう。
時計は11時9分を差している。
「かね㐂本店」11時30分到着にはちょうど良い時間だ。


スーパーカスミ裏の山手医院の前を通り、


市道へ。


四中地区公民館入口を通過


『もう直ぐ「かね㐂」に着く頃よねっ』


お好み焼き専門の「道とん堀」前を通過


旧土浦市役所跡が見えて来た。


旧土浦市役所裏の石垣前を通過
『随分高い石垣だねっ』


その先の信号を左に曲がると、


11時28分、この日のゴール寿司割烹「かね㐂本店」に到着した。
もう少し余裕があるかと思ったが、ほぼ予定していた時刻となった。


直行した6名は既に到着していた。
めいめい好きな場所へ。
こちらの大部屋は、女性陣が揃った。


一方小部屋の方には、男性陣が陣取った形。


各人注文した飲物が運ばれ、全員に行き渡ったところで、
会長からのねぎらいの言葉『一年間お疲れさんっ』に続き、
会長の音頭で『かんぱ~いっ』


『かんぱ~いっ』


『かんぱ~いっ』
『一年間お疲れさまでした~っ』


この日のメニューは、「かね㐂本店」のお薦めランチ『花御膳』。
デザートと食後に飲物(コーヒー)が付いて1,500円(税込)は、
ボリュームもあり、お得感有り。男性陣にも好評だ。
女性陣が選んだのも頷ける。


食事風景(1)


食事風景(2)


食事風景(3)


食事風景(4)


食事風景(5)


食事風景(6)


食事風景(7)
腰を痛めて半年になると言うSZ子さん、一日も早い復帰が望まれる。


こういう時の時間の経つのは早い。
そろそろお開きの時間である。
この日の締めは、TKさんにお願いした。


『また来年も皆さん一緒に歩きましょうっ!』


自宅が近い人と土浦駅方面へ向かう人に見送られ、


荒川沖駅までバスで送ってもらうことに。


13時29分、荒川沖駅西口に到着。
年明け1月12日の「谷中七福神巡り」での再会を約して分れた。


『それでは皆さん、良いお年をっ』


平成29年最後の例会行事である「忘年ウォーキング」が終わった。
女性陣のリクエストによる場所は、昨年と同じく土浦の寿司割烹
「かね㐂本店」となったが、『花御膳』ランチは、男性陣にも好評だった。
コースは、昨年とは少し変えて小岩田の住宅街を歩いた。
小岩田周辺は初めてだったので、新鮮な感じがした。
コースを変えて歩くのも意外と楽しいものである。

今から来年の忘年ウォーキングのことを書くのはちと早い気がするが、
女性陣のリクエストに期待したい。

「忘年ウォーキング」が終わって一安堵といきたいところだが、
明後日(12月17日~18日)は、恒例となった有志による
「一泊忘年会」が予定されている。
最後まで気を抜くことなく、今年のウォーキング行事を締めくくりたい。


この日の万歩計は、12,000歩を計測していた。

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展望塔からの眺めを満喫 神之池緑地公園から港公園

2017年12月08日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年12月8日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29度第26回(2017年第42回)、「神之池緑地公園から港公園(神栖)」ウォーキングに参加した。
港公園は、釣りで何度も訪れているが、神之池(ごうのいけ)緑地公園は、
今回が初めてである。
他の会員も全員初めてとのこと。

この日第一集合場所の土浦ピアタウンに集まったのは、10名。
ちょっと少ない感じ。神栖という遠い場所が敬遠されたのだろうか?
9時ちょうど、車3台に分乗し、第二集合場所の神栖市役所へ向かった。


10時44分、予定より15分ほど遅れて神栖市役所に到着した。
車で1位時間半以上は、やはりちょっと遠い。


直行した人は7名で、結果として17名が参加したことになる。


この日のコースについて簡単な説明をして、10時48分に出発!
準備体操は省略だ。


神之池公園の地図があった。
神之池畔に沿って反時計(左)回りに進むことにする。


神栖市役所から東へ数百mほど進むと、


神之池があった。
『いやぁ 神之池って広いんだねぇ』


コースは、アンツーカーになっていて、歩行者・ランナー・自転車が
走れるようになっている。


後ろから突然自転車と、その後を追いかける女子高生ランナーが
走り去っていった。
競技会に備えての事前練習のようだ。


後ろに注意しながら池畔を進む。


神之池の野鳥たち
『いろんな鳥が来るんだねぇ』


神之池にはたくさんの渡り鳥が浮かんでいた。
『さっき見た中のどの鳥なのかしらっ?』


ふれあい橋を過ぎ、
『向う岸に渡れるんだっ』


10時57分、市民体育館を通過


揃いのユニフォームを着た女の子たち。
胸に鉾田二高の文字が見える。
先ほど我々を追い抜いていった子とは異なるユニフォームだ。


市民体育館を過ぎて、神之池畔を進む。


当会男子最高齢のKK(左83)さんとCB(右84)さん。
久しぶりの参加だが元気いっぱいである。


コースは神之池畔の南東端で左に大きくカーブする。


コースに沿って神之池畔を進んで行くと、


神之池が正面に見えて来た。
『間近に池を見ながら歩くのは気持ちが良いねっ』


神之池畔を進む。
風は冷たいが、身体は温まってきた。


対岸に微かに見えていた市文化センター(右)と市民体育館(左)が
次第に大きく見えるようになった。


男子のランナーも練習に余念がない。


神之池一周(約4.6Km)のコースには100m毎に距離が記されている。
神栖市役所近くの陸上競技場から2,500mということなのだろう。


先ほどまで対岸にあったふれあい橋が近くに見えるようになった。
中央にみえる対岸の建物がスタート地点の神栖市役所だ。
『半周したってこと?』


11時29分、ふれあい橋の近くにガゼーボ(GAZEBO=あずまや)があった。
このガゼーボは、神栖市の姉妹都市である米国ユーリカ市で木工所を営む、
エリック・ホーレンベック氏から寄贈された。
材料となったアメリカ杉(レッドウッド)は、樹齢2,000年を数え、
100年の間水を蓄えるタンクとして使用されたために紫色に変色しているという
大変貴重なもの。(1994年9月19日寄贈)


ガゼーボで一休みしていこう。
しばしお茶タイムだ。


対岸の市文化センター(右)と市民体育館(左)が
大きくはっきり見える。


ちょっと気になる表示版が。
体重別消費カロリー一覧表である。
『体重によって消費カロリーが大分違うんだねっ』
一周4.6Kmの神之池トリムコースを普通の速さで一周した時の消費カロリーも。
『どら焼き1個分にしかならないのかぁ』


神之池畔を進む。


山茶花の花が彩りを添える。


対岸の神栖市役所が正面に見える。


3,000m地点を通過した辺りである。


女子高生ランナーが走り抜けて行った。
市民体育館で見たユニフォームとはまた異なる。
いろんな高校生ランナーが集まっていることが分かる。


後ろを振り返ると、次々と走って来る。
『おっ 頑張ってるなっ』


『頑張ってね~っ』


神之池を跨ぐ送電線の鉄塔が近くに見えて来た。


3,400m地点を通過し、


11時51分、鹿島臨海鉄道の貨物用線路を横断
鹿島港公園を目指す。


『あの赤い実は何て言うのかしらねっ』


ネットで調べたが残念ながら分からなかった。
(後日、質問されたご本人から、『トベラではないでしょうか?』
との連絡をいただいた。)
トベラは、海岸に自生するが、生垣や公園に普通に植栽される。
トベラの花は春に新芽を吹き、先端に花序を付ける。
この時の芽の数だけ枝分かれする。
開き始めはほぼ白色、やがて薄い黄色を帯びる。
雌雄異株で、芳香のある白い花を上向きに多数開き、後に黄色になる。
果実は球形で、秋に灰褐色に熟して3裂する。
種子は赤橙色で、透明な粘液質の物質に包まれている。
このために指で触るとくっついてしまう。
(2017年12月16日追記)


鹿島臨海鉄道の貨物専用線に沿って進む。


鹿島東洋埠頭を右に曲がり、


工場倉庫群の通りを進む。
(日本トランスシティ神之池倉庫付近)


突き当たりの交通量の多い道路を左に折れ、


鹿島港公園方面へ。


東深芝交差点を直進し、


さらに道路反対側へ横断


千葉港運倉庫前を進むと、


「港公園入口」の案内表示があった。


12時16分、港公園入口交差点を右折し、


直線道路を進む。
港公園まであと1.5Km弱だ。


この辺りは飼料工場が多い。
清水港飼料鹿島工場


牛専用飼料工場
『牛の飼料を専門に造ってるんだぁ』


鹿島飼料㈱と続く。
飼料の匂いが辺り一面に漂う。


『みんな敷地がすっごく広いわね~っ』


前方に特徴ある港公園の展望塔が見えて来た。


鹿島港湾合同庁舎を過ぎて、左に曲ると、


12時37分、港公園に到着した。
神栖市役所を出発して、2時間7分が経過していた。


小学生と思しき子供たちが弁当の最中だった。


ベンチを前にして行儀良く座った姿が可愛い。


展望塔近くの芝生に空いているベンチを見つけた。
我々もここで弁当にしよう。


弁当タイム(1)


弁当タイム(2)


弁当タイム(3)


弁当が終わり、身体が冷えて来たので展望塔へ。


利用料金は、一般200円のところ、70歳以上は無料である。


2名が実費を払って展望塔へ。


エレベータで展望塔へ。


『うわぁ 素晴らしい眺めだね~っ』
『晴れてれば言うことなかったのにね~っ』


左前方の新日鉄住金の工場群


正面の中央航路
南防波堤が薄らと見える。


中央航路右に鹿島石油


パノラマ写真


鹿島港遊覧船乗り場と南航路方面を望む。


陸地側の大小工場群(1)


陸地側の大小工場群(2)


北航路方面の大小工場群(3)


港公園では釣りをしている人の姿も。
狙いはクロダイか?


展望塔からの一大パノラマを満喫したところで、
戻りは210段あるという階段を降りてみることにする。
降りるに従って階段の色が青から赤へ7色に変化する。


2分ほどで出口(入口)に到着した。
エレベータで下りた人達が待っていた。


13時39分、展望塔を後にして、ゴールの神栖市役所へ。


港公園入口に向かう。


昭和産業鹿島工場前を通り、


再び清水港飼料鹿島工場などを右手に見ながら、


ゴールの神栖市役所を目指す。


港公園入口交差点を横断


来た時と同じく、千葉港運倉庫前を通り、


ゴールの神栖市役所を目指す。


工場の倉庫群を進む。
(日本トランスシティ神之池倉庫付近)


14時18分、鹿島臨海鉄道専用線近くで最後の休憩だ。
『ここまで来ればゴールまであと少しだねっ』


鹿島臨海鉄道貨物専用線に沿って進み、


貨物専用線の線路を横断すると、


14時29分、神之池畔周回コースの続きに戻った。


送電線鉄塔を左手に見ながら進み、


3,800m地点を通過
残りはあと600mほどだ。


ゴールの神栖市役所へ。
『最後まで雨に降られなくて良かったよねっ』
満足そうな笑顔が溢れる。


4,200m地点を通過し、


右に曲がると、


正面にゴールの神栖市役所が見えて来た。


14時40分、全員元気に神栖市役所に到着。
港公園から、ちょうど1時間かかったことになる。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


昨日の予報では、この日は”午後から雨”になっていたが、
朝には、”夕方から雨”に予報が変わったのはラッキーだった。

神之池緑地公園は、全員初めてだったが、池を眺めながらの散策は、
緑も多くとても歩き易かった。

港公園の展望塔からのビューパノラマは素晴らしく、景色に満足した。
出来ればもうちょっと晴れていれば言うことなしだった、というのが
正直な感想ではある。
今度釣りで来た時に、天気が良ければ、また上ってみよう。

この日の万歩計は、19,000歩を超え、限りなく20,000歩に近かった。

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秋深まるなか 石岡の歴史探訪ウォーキング

2017年12月01日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2017年12月1日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成29度第25回(2017年第41回)、「石岡の歴史探訪」ウォーキングに参加した。
この日のコースは、2012年2月17日(金)以来で、5年半ぶり2度目となる。

この日の第一集合場所は土浦ピアタウンだ。


土浦ピアタウンに集まったのは、12名。
予報は、曇りのち晴れということだが、未明まで雨だったこともあり、
参加を見合わせた人もいたのかも・・・
車4台に乗り合わせ、第二集合場所の石岡の柏原池公園へ。


柏原池公園には、10名が直行していた。
結果、この日の参加者は22名となった。


公園の一角で、準備体操


号令は、NGさんである。
すっかり板についてきた。


『肩を回して~っ』


『大きく深呼吸~っ』


10時3分、NGさんを先頭に、出発!


後に続く皆さん。


柏原池公園の前を走っている国道355号を横断し、


常陸国分尼寺を目指す。
『石岡は近いけど、石岡市内を歩くのは初めてだから、楽しみだよねっ』
前回(2012年2月17日)から5年半経っているので、顔ぶれも大分変わっており、
初めての人も多いようだ。


鹿の子遺蹟方面へ右折して進むと・・・


右手に常陸風土記の丘の龍神山が見えた。
二つに割れているのが特徴である。


常磐道の横断陸橋へ。


常磐道の車の流れは順調だ。


常陸国分尼寺を目指す。


常磐道を横断して数百m進み、「常陸国分尼寺」と書かれた石柱を左に曲がる。


50mほど進むと・・・
常陸国分尼寺跡の広大な芝生が広がっていた。


一段高くなった所に桜の古木があった。
奥のほうが金堂跡と思われる。


『建物があった所に説明があると良いのにねっ』
これまで幾つかの国分寺跡を観て来たが、必ずと言っていいほど
遺構跡には説明板があった。


広場を進んで行くと、国分尼寺の説明板があった。
説明板には、
国分寺・国分尼寺は、天平十三年(741)聖武天皇の勅願により、
鎮護国家(ちんごこっか)を祈るため国ごとに置かれた寺院である。
国分尼寺は、法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といい、
常住の尼僧10名を置き、寺院の財政は水田10町によってまかなわれた。
一般に国分尼寺は、国分寺より早く衰退したらしく、今日ではその遺跡すら
どこにあるのか不明なものが多い、とある。


また、常陸国分尼寺跡は、一直線上に中門跡・金堂跡・講堂跡の礎石群が
基檀上にあって保存され、全国的に見ても極めて貴重な遺跡である、
と記されている。
写真は金堂跡と思われる。


常陸国分尼寺跡をパノラマ写真に収め、


国分尼寺跡を後にする。


国分尼寺跡前の道路を左に曲がると、


隣は石岡市立府中小学校だった。
子供たちが歓声を上げながら元気よく校庭を駆け回っていた。


石岡若松郵便局を過ぎ、住宅街を進むと、左手に府中クリニックがある。


府中クリニックの前を右折して進むと・・・


前方に大きな屋根が見えて来た。
常陸国分寺の本堂のようだ。


突き当りのこくぶんじ幼稚園を右に曲がり、


こくぶんじ幼稚園を左手に見ながら進む。


『目の前に見えてるけどなかなか着かないわねっ』


10時52分、ようやく常陸国分寺に到着した。
正面に大きな銀杏の木が聳えていた。
『いやぁ これはなかなか立派な銀杏だね~』


国分寺薬師堂
常陸国分寺跡の金堂の位置に建てられている。
ご本尊の薬師如来が安置されている。
毎年4月3日にはお釈迦様の誕生を祝う”花祭り”が行われ、
たくさんの人出で賑わうそうだ。


都々一坊扇歌堂
都々一坊扇歌は、文化元年(1804)医者岡玄策の子として、久慈郡磯部村
(常陸太田市磯部)に生まれ、幼名を子之松、のちに福次郎と改めた。
幼少の折、病により失明同様となったが、芸の道を志し、20歳のとき江戸に出て、
船遊亭扇橋の弟子となった。
その後、寄席芸人としての修行が続き、天保九年(1838)一枚看板を許され、
当時流行していた「よしこの節」「いたこ節」などを工夫して、
新しく「都々逸節」を作り、都々一坊扇歌と名乗った。
(石岡市教育委員会)
堂は市指定有形文化財になっている。


国分寺・国分尼寺は、天平十三年(741)聖武天皇の勅願により、
鎮護国家(ちんごこっか)を祈るため国ごとに置かれた寺院である。
常陸国分寺は、金光明四天王護国之寺といい、金字金光明最勝王経の
一部を安置した七重塔を設け、常住の僧20名と、最勝王経十部を置いた。
寺院の財政は、封戸50戸、水田10町によってまかなわれた。
と記されている。


常陸国分寺は、また、真言宗智山派の寺院で、山号は浄瑠璃山。
院号は東方院で本尊は薬師如来である。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、
常陸国国分寺の後継寺院にあたる。


国分寺正面の参道に旧い門があった。
旧千住院の山門である。


千住院は府中における大寺のひとつで、末寺2ケ寺、門徒21ケ寺など多くの寺が
主に府中の町中にあったが、明治の初めにはほとんどが廃寺となってしまった。
また千住院も大正八年(1919)に国分寺と合併して廃寺となった。


現在はこの山門のみが残されている。
常陸国分寺の山門でもある。
市指定有形文化財となっている。


国道354号に出て、石岡駅方面へ。


石岡の市街地を進む。
国分町三丁目付近


旧い蔵造りの家が多い。
前回(2012年2月17日)訪れた時には、東日本大震災による
損傷の修理の真っ最中だったが、今では修復も一段落といった感じ。


酒屋もある。
『石岡産の銘柄は何て言うんだろうねっ?』


石岡駅近くの国府三丁目付近


左正面が石岡駅方面になる。


中町国府三丁目付近


中町国府三丁目の三差路を右折


スーパータイヨーの横を進み、


スーパータイヨー前の道路を進む。


細谷酒店の前を通過。
『虚心坦懐(きょしんたんかい)か、いつもこうありたいねっ』
(虚心坦懐:心にわだかまりがなく、平静に事に望むこと)


常陸総社宮へ


緩やかな坂道を進むと、


11時29分、常陸総社宮の大鳥居の前に出た。
笠木と貫が結わえられているが、落下防止のためなのだろうか?
『今度地震があったら、落ちるかもねっ』


掃き清められた参道を進むと、


参道は左に折れ、少し先に総社宮の随神門が。
随神門の両袖には、向かって右側に左大臣、
向かって左側に右大臣の随神像が祀られている。


境内には、いろんな神社(松尾神社・厳島神社・愛宕神社・星宮神社・
香丸稲荷神社・愛染神社)が合祀されている。


松尾神社(写真一番手前)には次のような説明が。
筑波山の清流が湧き出る常陸国府(現石岡市)は古来、
水の綺麗な場所として知られている。
江戸時代には酒造りが盛んになり、「関東の灘」の異名を
取るようになる。
松尾神社は、当地の蔵元により祀られた酒造りの神様で、
天保二年(1831)に鎮座した、とのこと。
『どおりで酒屋が多いと思ったよっ』


また、常陸国府の酒林(酒造会社)と主な銘柄が記されていた。
・石岡酒造「白鹿」「筑波」 ・白菊酒造「白菊」
・府中誉「府中誉」「渡舟」 ・藤田酒造店「富士泉」
『今度、飲んでみようかなっ』


日本武尊(やまとたけるのみこと)の腰掛石も。
日本武尊東方遠征の折、この地に立ち寄りここに腰を下ろして休まれた、
と言い伝えられている。


総社宮の社殿全体


昭和六十年に再建なった拝殿に参拝!


拝殿前の御神木の楠
関 右馬允(せき うまのじょう)による『茨城県巨樹老木誌』にも収録された
県下第一の大楠。
昭和39年の火災で類焼したが、幹の周囲から次第に蘇生し、
現在でも力強い生命を保っている。黒くこげた木肌が痛々しい。
樹齢約600年、樹高約17m、樹周約4mとのこと。
『いやぁ たくましい木だねぇ』


時計は11時40分になろうとしていた。
この先、弁当を食べるのに相応しい場所は思いつかない。
社務所の方に境内での食事について問うと、
他の参詣者に支障のない範囲でならとのこと。
総社宮の厚意に甘えて、境内で弁当タイムを採ることにした。


本殿の裏で紅葉を眺めながらの弁当。
『ちょっと失礼!』


弁当が終わり、社殿をバックに記念撮影し、


12時13分、総社宮を後にした。


総社宮近くの住宅地を進む。
『どっかの武家屋敷跡のような塀の色だねっ』


横瀬医院前を通過。
『随分と旧そうねっ』
『今でもやってるのかしら?』


12時18分、昭和44年に石岡小学校の敷地内に移されていたが、
平成26年に市民の要望により、現石岡市民族資料館前に移築された陣屋門。
この門は、江戸中期から幕末まで、およそ170年間にわたって
この地を治めた府中松平家の陣屋の表門であった。


現存する門は文政十一年(1828)の建築で、鏡柱と控柱との間に
切妻屋根をのせる「高麗門」の形式である。


陣屋門の直ぐ裏が石岡市民族資料館になっている。


石岡市民族資料館の先を道なりに進むと・・・


青屋神社があった。
常陸国司は都から着任すると、鹿島神社に参拝するのが習わしであった。
国司が参拝するには高浜から舟で行くのが順路であったが、荒天で
出航不能の時は、高浜の渚にススキ、マコモ、ヨシ等で青屋(仮屋)を作り、
そこから鹿島神社を遥拝し参拝に代えたという。
これが青屋祭の起こりといわれている。


クリスマスの飾りに包まれた電気店


『あっ サンタさんが出て来たっ』
煙突の中から姿を現したり、隠れたりするサンタの人形に歓声が上がる。


若宮1町目交差点を左折すると、前方に若宮八幡が見えた。


12時24分、若宮八幡に到着


元文年間のものとされる神門には、左に青色の風神像、
右には赤色の雷神像が睨みを利かせている。


若宮八幡宮は、奈良時代の神亀五年(728)に建立されたと伝えられる。
常陸国分寺の守護神、いわゆる国分八幡宮の一つとされる。
平安時代の永保二年(1082)、八幡太郎源義家が奥州征討の折、
当社に朝敵退散を祈願したと伝えられる。
応永二年(1395)には太田道灌が参詣したと伝えられている。
天正十八年(1590)には佐竹義宣が府中を攻略した際に焼失したが、
慶長七年(1602)、別当福蔵坊と伝える僧が本社並びに拝殿を再興した。


若宮八幡宮を後にして、ゴールの柏原池公園へ。


『石岡は酒店が多いねぇ』
常陸総社宮の松尾神社の説明に納得。


12時34分、国分寺入口バス停を通過


午前中に右に折れて常陸国分寺へ向かった横断陸橋を、
今度は左側へと進む。
真っ直ぐ進むと、午前中歩いたのと同じ道を戻ることになる。
出来れば同じ道は避けたい。


左手に石岡市立府中中学校の体育館を見ながら進む。


常磐道を跨ぐと、


右手にコンビニがあった。


コンビニ前で最後の休憩だ。


『常陸風土記の丘まで3.3Kmか、意外と近いんだねっ』


国道355号の鹿の子交差点を右へ折れると、銀杏の並木が続いていた。


黄色い絨毯を踏み締めながらゴールの柏原池公園を目指す。


『もう直ぐ柏原池公園だよねっ』


『飲み放題1,000円って安いんじゃないのっ?』
カラオケ店の先を左に曲がり・・・


13時9分、ゴールの柏原池公園駐車場に到着した。


最後に整理体操(1)


整理体操(2)


整理体操(3)
(りんごを掴んで後ろへ回している様子)

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

2012年2月17日(金)以来2度目の石岡の歴史探訪コースを歩き終えた。
この日のコースは、石岡駅を起点・終点とする石岡の歴史を探訪する
2つのコース(①常陸大掾氏歴史コース4Kmと②健康ウォーキングコース6Km)
のうち、主に②の健康ウォーキングコース6Kmを歩いたことになる。
当会に相応しいコースだったと言えるだろう。
次に機会があれば、①の常陸大掾氏歴史コース4Kmを歩いてみたい。

この日の万歩計は、15,000歩を少し超えていた。

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