ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

巡礼のみち 白山古道ハイキング

2014年01月28日 | ウマさんの気ままなバスハイキング
2014年1月28日(火)


常南トラベル(株)が主催する日帰りバスの旅「白山古道ハイキング」に参加した。
常南トラベル(株)としては、白山古道は今回が初の試みだそうだ。
白山古道は坂東三十三観音霊場の6番札所「長谷寺」ちょうこくじ)からのスタートとのこと。
所属する「健康ウォーキング同好会」からは、会長以下有志の7名が参加した。

6時32分、予定時刻よりちょっとだけ早く、石岡・土浦・牛久方面からの客を乗せた大型バスが
つくば市谷田部の常南交通本社にやって来た。


バスに乗ると直ぐに朝食の弁当が配られた。
この日は、焼きそばとハムの入ったホットドッグだ。
この朝食は久しぶりである。


バスには、添乗員さんによると、合計で33名が乗り合わせている、とのこと。
所属する「健康ウオーキンブ同好会」からは会長以下7名の参加、と思いきや、
個人的に参加したというK夫妻が乗り合わせていたのにはびっくり。


常磐道友部SAで最初の休憩をしたまでは良かったが、首都高へ入ると渋滞が始まった。
東京スカイツリーが見える両国ICまで普通なら15分程度しかかからないところを、
45分以上もかかってしまう状態である。


9時1分、友部SAを出て1時間45分を経過、港北PAで2度目の休憩だ。
常南交通では海老名SAを予定していたようだが、ここからまだ30分はかかる。
順番を待つ女性たちの長い列を見る度に、男で良かった、と思う。
(何か良い解決策はないのだろうか? 例えば男子用を解放するとか・・・)


すっきりしたところで、この日のコースmapの説明があった。
スタートは坂東33観音霊場6番札所”飯山観音”の「長谷寺」(ちょうこくじ)である。
白山展望台を過ぎた辺りから「関東ふれあいの道」(神奈川)を歩くようだ。
この日のコースは、常南交通としては初めての企画で、しかも今日が最初とのこと。
何事もなければ良いのだが・・・


厚木ICで高速を降り、スタート地点の飯山観音へ向かう。
車窓左手に大山(1,252m)が見える。
「関東ふれあいの道」で見慣れた景色である。


9時55分、ようやく飯山観音(長谷寺)の入口に到着。
常南交通本社から3時間15分、始発の石岡ロードパーク(5時20分発)からだと実に4時間半以上かかったことになる。
『お疲れ様ですっ』


ここで、お昼の弁当とお茶(500mlペットボトル)を受け取り、


準備運動をするため、上の駐車場広場へ向かう。
飯山観音へは、大型車はこれ以上は進めないが、普通車は左の道を進むことができる。
右は参拝歩行者用となっている。


「健康ウォーキング同好会」のメンバー。
皆さん、今日も元気いっぱいだ。
『まだちょっと寒いなぁ』


飯山観音の本堂までは石段が続いている。


7分ほどで仁王門下の駐車場広場に到着した。
ここで、体調を整えて・・・


添乗員さんの依頼により、「健康ウォーキング同好会」会長の号令の下で、準備体操だ。
『今日も空が青いねぇ』


10時17分、白山展望台目指して出発!
先ずは、仁王門への石段を上る。


仁王門の仁王像


仁王門の次の石段を上ると、イヌマキの古木が現れる。
室町時代末期ごろ、多くの巡礼者の無事や、参拝者の長寿を祈願して植樹されたと伝えられている、とのこと。
樹齢は400年(伝承)、樹高17m、胸高周囲2.8mあり、厚木市の天然記念物に指定されている。


飯山観音の本堂にこの日の無事をお祈りして行こう。
個人的には2010年10月10日に「坂東33観音霊場巡り」で訪れているので、今回が2度目となる。


添乗員さんによると、本堂裏手から白山への登山道は、緩やかな上りの女坂(900m)と急な階段の男坂(600m)がある、とのこと。
この日は、添乗員さんの奨めで女坂を上ることになった。
本堂裏を少し進むと、動物除けフェンスがある。
”クマに注意”の看板が。
『怖いよねぇ こんなところにもクマが出るんだぁ』


女坂の名のとおり、道は緩やかである。
『この道は楽で良いなぁ』


数分も歩くと身体が温まってきて、上着を脱がないと我慢できない状態になった。
予報によると気温はかなり上がるらしい。


道は少しづつ上りになってきた。


木の根っ子が張っており、階段の役目をして歩き易いが、躓かないように気を付けたい。


緩やかな道が次第に急になってきた。
男坂も女坂も辿り着く先は同じく白山展望台である。
『女坂も厳しいのねっ』


最初楽をした分だけ後で厳しくなるのは”当然”ということだろう。
『どっちを歩いても変わらないってことよねっ』


10時48分、飯山観音本堂を出発して約30分、白山展望台(283m)に到着した。


展望台からの眺望
東京・横浜方面
『素晴らしい眺めだねぇ』


湘南海岸方面


後ろに大山(1,252m)が聳える。


動画で見るとこんな感じ。



案内図では、ベンチやテーブルがある白山展望台が弁当のお奨めポイントだったが、ちょっと時間が早すぎる。
もう少し先へ進んでみよう、ということで、次のポイント「むじな坂峠」を目指すことにした。


「むじな坂峠」への途中から「関東ふれあいの道」の道標が現れた。
この「巡礼峠のみち」コースは、来月にも歩くことにしている。


白山展望台から20分ほどで、むじな坂峠へ到着した。
先頭を行く女性3人は余裕の表情で後に続く我々を待っていた。


むじな坂峠からつい先ほど歩いてきた白山展望台が見える。
時計は11時15分を回ったところだが、昼食にはまだ早い。


次の物見峠を目指していると、トレイル・ランニングと思しき若者とすれ違った。
ジャージにトレパン姿で、小さなリュックを背負っているだけだ。
こんな恰好でも特に寒くはないそうだ。
『若いんだねぇ』


アップダウンを繰り返しながらむじな坂峠から歩くこと約10分、物見峠に到着した。
目の前に東京・横浜方面の遠望が広がる。


時計は11時28分、この先弁当に相応しい場所は案内されていない。
ここで弁当にしよう、と振り返ると、既にベンチには他のグループが。


ベンチがなくても草っぱらがある。
この場所に残ったのは5名、残りのメンバーは、いつの間にか、先へ行ってしまっていた。
今頃適当な場所を探していることだろう。我々もここで食べることにしよう。


この日の弁当
2段重ねになっており、おかずの種類は豊富である。


眼前の景色を見ながらの弁当はなかなか美味かった。
遥か彼方に横浜ランドマークタワーが見える。


弁当も終わり、前を行くメンバーを追いかけることにしよう。


15分ほど歩き、ようやく先行するグループに追いついた。
ところが、何か様子がおかしい。
この先、道が分からないのでどうするか相談していると言うのだ。


添乗員さんに連絡すると、どうやら道を間違えているらしい、と。
物見峠から違った道を進んでしまったらしい。
となれば、ここは物見峠まで引き返すしかない。


物見峠まで引き返し、「関東ふれあいの道」を巡礼峠を目指すことになった。
往復30分のタイムロスとなり、添乗員さんは恐縮しっ放しだ。
この日配布された地図でははっきり分からなかった分、次回に生かせれば良しとしよう。


物見峠からは急な階段が続く。


『下りが長いと膝に来るのよねっ』


長い階段を過ぎると緩やかな下りになった。


物見峠から0.6Kmの地点を通過。
「関東ふれあいの道」の道標があるので、安心だ。


しばらくは上ったり、


下ったりの道が続く。


七沢森林公園まで420mの表示
緊急時連絡先の案内板も。


ここで一息入れよう。


動物除けフェンスを過ぎると・・・


お地蔵さんがポツンと佇んでいた。
かつて飯山観音へ向かう巡礼さんたちを見守って来たのだろう。


標識が立っている。5つの方向を示している。
案内mapによると、”沢のさんぽみち”を進むようになっている。
「関東ふれあいの道」ともここでお別れだ。


案内された”沢のさんぽみち”を下る。


”沢のさんぽみち”は、その大部分が木道と


木の吊り橋から出来ている。
杉林の中を歩いていると気持ちが良い。


小川に沿った竹林を見ながら進むと・・・


真っ白い橋が現れた。
七沢森林公園のシンボルの”森のかけはし”だそうだ。
そのまま渡ってしまうと、また七沢森林公園に入ってしまうので、


橋の袂の階段を降りる。


”森のかけはし”の下の道路を進む。


七沢森林公園の駐車場にはバスが待機していた。
13時32分、ゴールである。


直ぐに添乗員さんもゴールしたが、途中で道を間違えた人がいて、到着が遅くなりそうだと。
そのため、先に到着した人(31人)を待たせる訳にいかないので、先に風呂に行くことになった。
バスは数分で七沢温泉「七沢荘」に到着。


曲がりくねった廊下に記された黄色い線に沿って進むと、浴室に到達した。


露天風呂に浸り、この日の汗を流した。
湯温は熱からず温からずでちょうど良い。
七沢荘の源泉は、平成元年より3年かけて掘削した東丹沢唯一の本格的天然温泉、とのこと。
お湯はpH9.54の超アルカリ性で、リンス作用を持つメタホウ酸・メタケイ酸を多く含んでおり、
ぬるぬる(とろっとろと言った方が正しいかも)のお湯が美肌の湯として、女性客にも好評とのこと。


風呂上がりの一杯は格別だ。
『1杯で済まなくなりそうだよっ』

『今日は大変お疲れ様でしたぁ』

初めての「白山古道ハイキング」ということもあり、道を間違えたりしたハプニングはあったが、
全員無事歩き終わったのには、添乗員さんも胸を撫で下ろしていた様子だった。

パンフレットには初級コースと紹介されていたが、もう少しレベルは上なのでは?
添乗員さんも数日前の宝登山は中級だったが、今日よりは楽だったそうだ。
女坂も最初は緩やかだったが、白山展望台手前の急坂はなかなかのものだった。
また、白山展望台からは小さいながらもアップダウンが続き、意外と距離が長かったのは堪えた。
パンフレットでは全行程6Kmと紹介されていたが、実際はもう少し長かったような気がする。

来月(2月9日)には、「関東ふれあいの道」(巡礼峠のみち)を予定しており、七沢森林公園のお地蔵さんから
白山展望台の麓までを歩くので、今回の歩きを参考にして、楽しみたい。


ウマさんの気ままなバスハイキングの目次”に戻る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士山が見えた! 江ノ島一周ウォーキング

2014年01月25日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年1月25日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第33回(2014年第3回)、「江ノ島一周」ウォーキングに参加した。

この日は、富士山を見るならこの時期が一番、ということで「江ノ島一周ウォーキング」を企画した。
藤沢までの往復電車代のことを考えて、より安い「休日お出かけパス」が利用できる、土曜日となった。

東京駅8時15分発の東海道線熱海行きに乗車したのは24名。
やはり土曜日はゆったり座って行けるのが嬉しい。


『富士山が見えると良いんだけどねぇ』


9時19分、小田急線片瀬江ノ島駅に到着。


片瀬江ノ島駅は竜宮城を思い起こさせる造りになっている。


早速、駅前の広場でいつもの準備体操。
参加者の一人がカメラを構えて何かを撮影している。その先には???


トビがTVのアンテナにとまって、しきりに『ぴーひょろろ~』と鳴いている。
朝から得物を狙って目を光らせている様子である。
この日は当初弁当を持参して適当な場所でと考えていたが、トビの襲撃で万一の怪我などが心配されるため、
急遽島内のレストランで食事することに変更したのだが、どうやら正解のようだ。


9時28分、出発!
境川に架かる弁天橋を渡る。


右手を見ると片瀬橋の向こうに江の島が見える。


この日の先導役はOさんだ。


江ノ島大橋を渡る。
予報に反してやや雲が多い。
果たして富士山は見えるのか?


9時41分、江の島に到着。
この鳥居は青銅で出来ている。江の島入口のシンボルだ。


土産物や食べ物屋が所狭しと立ち並ぶ。
これから開店しようという店も。


江島神宮の朱の鳥居に到着。
ここからしばらく階段が続く。
エスカー(有料のエスカレータ)でサムエル・コッキング苑まで行けるようだが、
勿論、当ウォーキングの会では推奨しないし、使おうと人もいない。


一段高い瑞心門をくぐり、さらに階段を登ると・・・


江島神社(辺津宮:へつのみや)に辿り着いた。
皆さん、息遣いが荒い。ここは一息おいてお参りした方が良さそう。


びっしりと絵馬が掛けられた、御神木の「むすびの木」の間から江ノ島大橋が見えた。
かなり高い所まで上がってきたという感じだ。


さらに奥へ進むと、見晴しの良い場所があった。
『ほうっ ヨットハーバーがよく見えるゎねぇ』


眼下にヨットハーバーが、対岸に小動岬(こゆるぎみさき)の腰越港が見える。


江島神社(中津宮:なかつのみや)に到着。
辺津宮の地味な色に比べると鮮やかな朱色が印象的である。
ここにもお参りして行こう。


さらに階段を進むと、江ノ島サムエル・コッキング苑(江ノ島シーキャンドル)への入口があった。
屋根の先に江ノ島シーキャンドルが見える。
入園料は500円、20名以上は団体割引で450円だ。
入園料払って入るかどうするか、相談の結果、『せっかくだから中へ入ろう』のひと声。
早速、料金徴収とあいなった。『会計さん 御苦労さまっ』


一歩中へ入ると、目の前に20,000本もの見頃のウインターチューリップが迎えてくれるのがうれしい。


イルミネーションの飾りのあるトンネルを抜けると・・・


江ノ島シーキャンドルが名の前に現れた。
逆円錐型が特徴となっているのは、環境への配慮から設計された、とのこと。
夜はライトアップされ、頂上部がイルミネーションの光に包まれる、とのこと。
関東三大イルミネーションに認定され、「湘南の宝石」と呼ばれている、そうだ。


エレベータで一気に海抜100mの展望台へ上がると、360度のパノラマが広がる。
こちらは屋内の展望台から見た江ノ島大橋と片瀬東浜海岸。


『富士山が見えるっ、素敵ッ』
『450円払って正解だったかもね』


屋外の展望台から見た富士山
デジカメの望遠ではこれが精いっぱいだ。
(富士山以外の展望写真はブログの容量の関係で割愛する)


富士山をバックに記念撮影


江ノ島シーキャンドルを後にして、御岩屋道を進み、岩屋洞窟方面へ。


途中”山ふたつ”のビューポイント”眺め舞台”から断崖絶壁の先に駿河湾を望む。


御岩屋道の両側には、老舗の土産物店や食堂が続いている。


さざえやイカを焼く良い匂いが漂ってくる。
『お腹空いてきたわねっ』


江島神社(奥津宮:おくつのみや)に到着。


奥津宮拝殿でお参りを済ませる。


拝殿の天井には八方睨みの亀の図が描かれていた。
亀は古来めでたく、蓬莱山を背負い、不老長寿の象徴とされている。
奥津宮御祭神のお使いとして、皆様の祈願成就を見守ります、と紹介されていた。


奥津宮の境内に御祭神に相応しい亀石(亀甲石)が安置されていた。
案内板には、以下のように紹介されている。
鎌倉四名石の一つで、別名を「蔵六石」という。
文化三年(1806)に弁秀堂なる人物が金光明最王経の写経を納めた時に亀甲石を奉納したもの、とある。


こちらは力石
江戸時代に日本一の力持ちと言われた卯之助(岩槻藩)が、当神社に奉納したもの。
重さ八十貫(約320キロ)で、石には「奉納岩槻卯之助持之 八拾貫」と刻まれている。
弁財天の祭礼に詣でた人々の前で力競技を行った時のものである、とのこと。
(320Kgもの石を持ち上げるとはちょっと信じがたいが・・・)


龍宮大神
中には龍を祀った祠がある。


龍宮大神の先を左に折れ、恋人の丘に行ってみた。
柵にはびっしりと願い事が書かれた鍵が結ばれていた。


恋人達が願い事を書いた鍵を結って{龍恋の鐘」を鳴らすのだろう。


再び岩屋道へ戻り、岩屋洞窟へ。
急な石段を下って行くと海が見えてきた。


海岸に出た。
久しぶりの海である。
釣り人の姿もちらほら。


岩屋橋を進むと、岩屋洞窟の入口があり、入洞料500円とのこと。
岩屋洞窟への入洞は希望者7人が入洞することになった。


残った人は入洞した人が戻ってくるまでの間、海岸の岩場へ降りてみることに。


海岸の岩場は、風もなく春のように暖かい。上着を脱いで寛ぐ。
『海も良いわねぇ』
『潮の香りがするねっ』


岩屋洞窟へ通じる橋が見える。
会長は、かつてこの海岸沿いに歩いたことがあるそうで当時を懐かしんでいた。
今から40年以上も前のことだそうだ。


お昼も近くなり、お腹が空いて来たので、とりあえず岩屋道を引き返す。


途中、長い行列の店があった。
”丸焼きたこせんべい”の看板が見える。
お昼時に”丸焼きたこせんべい”は江ノ島で人気なのだろうか?


サムエル・コッキング苑を過ぎ、途中上って来た時とは別の脇道を通り、
江島神社辺津宮を通過し、江島神社の参道へ。


江島神社前の参道は凄い数の人で賑わっていた。
全員一緒の食堂に入るのは難しいと判断。
ここでいったん解散し、昼食タイムとした。
めいめい好きな食べ物屋へ。


我々男性4人は、ちょうど目の前にあった「老舗鶴屋」へ。
店はあまり混んでいなかったのは幸いだった。
とりあえずビールを注文し、先ずは『かんぱ~いっ』『お疲れさま~っ』


江の島では何と言っても”しらす丼”だろう。
ビールを呑みながらの”しらす丼”は美味くて、見た目以上にボリュームがあった。


”しらす丼”でお腹を満たし、集合時刻には少し時間があったので、かみさんへの土産物を買い求めた。
美味しそうな饅頭が売られていた。


女夫(めおと)饅頭と言うのだそうだ。


集合場所の青銅の鳥居前へ。
相変わらず人の波が続く。
あらためて江の島の人気の高さを伺い知らされた。


ヨットハーバーへ足を伸ばしてみよう。


『いろんなものがあるんだねぇ』
にし貝(初めて聞く)やイイダコの串焼きなどが売られていた。
『飯喰った後で良かったのかなぁ』


この道は県道305号線だが、この先行き止まりで、ヨットハーバーの先に駐車場があるだけだ。
駐車待ちの車が長蛇の列を作っているが、いっこうに動く気配はない。
よく辛抱強く並んでいるものだと思う。


江の島突端の堤防に出た。
『うわぁ ほんと気持ちが良いゎねぇ』


『素敵な海だよねぇ』
『また今度ゆっくり来たいねッ』


振り返ると江ノ島シーキャンドルが見えた。
『あそこに上ったのよねっ』


ヨットハーバーにはマストが林立していた。
しかし、中には入れないようだ。


海の風を体中に沁み込ませ、江ノ電へ向かうことにした。
相変わらず車の列は続いていた。
車は全く動く気配はない。
『歩くのが一番早いのよっ』なんちゃって!


江ノ島大橋を渡る。


橋の途中から橋桁をくぐると・・・・


片瀬海岸東浜に出ることが出来る。


東浜海岸の渚を歩く。
『海を歩くのは気持ちが良いゎねっ』


江ノ島電鉄(愛称江ノ電)江ノ島駅へ向かう。
ここもけっこう人通りが多い。


両側に個人商店が建ち並ぶ。
中には歴史を感じさせる古い建物も。


13時59分、江ノ島電鉄江ノ島駅に到着。


待つことしばし、藤沢行き江ノ電がやってきた。


14時22分、江ノ電藤沢駅に到着。


江ノ電のゆるキャラクター「えのん」
女子学生に人気があるようだ。


JR藤沢駅へ向かう。
江ノ電藤沢駅から数分の近さだ。


JR藤沢駅


ひとつ前に高崎行き湘南電車があったが、これは見送り、東海道線東京行きに乗車。
これなら途中乗り換え無しで東京まで行けて便利だ。


こちらは常磐線車内、空いている。
表情にもどこか余裕が感じられ、安堵感が漂う。
『今日は良かったわよっ また行きましょうねっ』
企画した身にとっては嬉しい一言である。

『皆さ~ん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

この日は、例会としては初めての江ノ島一周ウォーキングだった。
個人的にも初めて、と言う人が多かった。
事前に地図を作成していったが、正直あまり役には立たなかった。
島内の道は坂道が多く、曲がりくねっていてどっちへ向かって歩いているのかときどき分からなくなる状態だった。

土日の人出の多さにはあらためて驚かされた。
やはり首都圏に近い、と言うことが主な要因なのだろう。
人出の多さの中で誰一人道に迷うようなことにならなかったのは幸いだった。

450円払ってシーキャンドルへ上ったが、何とか富士山を見ることができた。
360度のパノラマは素晴らしく、450円払った甲斐があったというべきだろう。

機会があればまた訪れてみたい。
次は”生しらす丼”を食してみたいものである。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧東海道を歩く 第Ⅰステージ第1回 日本橋から品川宿

2014年01月19日 | ウマさんの「旧東海道」を歩く
2014年1月19日(日)


2011年4月から12月にかけて旧水戸街道を、そして2012年2月から5月は成田街道を歩いた。
その後、歩き仲間の方たちから次の”街道歩き”を望む声が次第に大きくなってきた。
そこで昨2012年9月から2013年9月のちょうど1年をかけて、旧日光街道を歩き終わった。

当然のように、”次の街道歩きを”という声が上がり、今度は”旧東海道”という声が次第に大きくなった。
しかし、10人ほどが揃って日本橋から京都三条まで歩く、というのは宿泊やらも含めてスケジュール調整など
いろいろと難しい面が多い。とても全員一緒でという訳にはいかないだろう。

そこで、日帰り可能な範囲という制約があるなか、箱根を越えた先の三島宿まで歩こうということに落ち着いた。
三島手前の箱根関所での一泊であれば参加したいということである。
三島宿から先の京都までは、個人であるいは気の合った仲間同士で、ということになった。

ということで、当初は2013年10月からとしていたが、自分の足の故障で延期していた。
足の故障も何とか癒えたことから、この日第一回目の旧東海道、日本橋から品川宿までを歩いた。

この日の参加者は12名である。
上野駅で山手線を待っているところ。


東京駅に到着し、八重洲北口を出て東海道の起点である日本橋へ向かう。
日本橋まで歩くことから準備運動を兼ねているという理由で、特に準備体操は省略だ。


日本橋三丁目の丸善東急ビル前を通過。
天気は良いがやや風がある、しかも冷たい。
しかし、旧東海道歩きの初日ということで気合いが入っているのか、皆さん足の速いこと。


9時5分、日本橋に到着。
日本橋は、東海道・中山道・奥州道中・甲州道中・日光道中の五街道など主要街道の起点となっている。
慶長六年(1601)に徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶ5つの街道を整備し始め、
四代将軍家綱の代になって基幹街道に定められた。
日本橋が初めて架けられたのは慶弔八年(1603)と伝えられている、とのこと。
現在の石造二重アーチ橋は明治44年に架橋されたもの。


現在、橋の中央に「日本国道路元標」が埋め込まれている。
「日本国道路元標」を起点にしている国道は、1号、4号、6号、14号、15号、17号、20号の7本。
これを撮るには日曜日などの交通量が殆どない日でないと危険である。
撮影は水戸街道を歩いたとき以来2度目になるが、撮り終わった後、顔を上げると目の前に車が迫って来たので、
車が通過するまで橋の中央で立ちすくむ羽目になった。


橋の脇に建てられた擬宝珠。
日本橋を訪れた記念には欠かせない。


全員で日本橋をバックに記念撮影を済ませた。


橋の中央へは行かなかった人は三越側にある「東京市道路元標」をカメラに納めたりしている。
ポールの下には、複製の「日本国道路元標」もある。


9時6分、あらためて「旧東海道を歩く」のスタートである。
ここから、箱根峠の先の三島宿を目指すことになる。
中央通り日本橋二丁目付近、前方左手に高島屋が見える。
日曜日のため車は少ない。寒いので人も少なく歩き易い。


京橋北詰に「江戸歌舞伎発祥の地」碑がある。
寛永元年(1624)2月15日猿若中村勘三郎がこの地に猿若中村座の芝居櫓を上げたことから
江戸歌舞伎発祥の地として江戸歌舞伎旧史保存会が記念碑を立てた、そうである。


東京八重洲北口を通り過ぎると、直ぐに京橋である。
京橋は、日本橋とともに有名な橋だったが、昭和34年(1959)、京橋川の埋め立てによって
撤去された。
その名残を留めるものとして、北詰東側、


東側、


それに銀座一丁目交番脇に親柱(擬宝珠:ぎぼし)が残されている。


中央通り銀座二丁目付近を通過


「銀座発祥の地」碑前で、我々と同じような格好をした10人ほどのグループと鉢合わせになり、
お互いに撮影を譲り合う一幕も。(写真を撮っているのは他の一行)
やはり箱根を目指して歩いているとのことだった。
あらためて旧東海道を歩くというのは人気があるのだなあと、思った。


慶長十七年(1612)徳川幕府が此の地に銀貨幣を鋳造する「銀座役所」を設置し、新両替町と称したが、
通称「銀座町」と呼称され、明治二年に町名を銀座とすることになった、と紹介されている。
以来東京を代表する繁華街へと成長し、全国各地へ波及した。
その原点となる地である。


銀座三越のライオン像
前週(1月10日)の「隅田川七福神巡り」で三囲神社で見たものと同じだ。


銀座三越の屋上には、明治の始めに築地三十間堀から出世したという銀座出世地蔵尊が安置されている
そうだが、まだ開店前で入れないし、立寄る時間もないので、案内を写真に納めておくだけにした。


銀座八丁目付近
首都高新橋を境に、銀座も終わり新橋になる。


東海道は新橋から国道15号線に入る。
この辺りはゆりかもめ、東海道新幹線・山の手線・京浜東北線のガードが続く。


東海道(国道15号線)をさらに進むと三田の芝大門がある。見て行くことにした。
芝大門の柱は遠くからは分からなかったが、鉄骨で出来ていた。


芝大門だけを見て国道へ戻るつもりだったが、時間に若干余裕があったので、増上寺の大門も見て行くことに。
徳川家の菩提寺増上寺の大門である。
芝大門とは違い、こちらは本物の木で出来ている。


増上寺の大門まで来たら、門の中に入らずばなるまい。
増上寺は、室町時代前期の明徳四年(1393)聖聴上人により開かれた古寺で、
2代秀忠・6代家宣・7代家継・9代家重・12代家慶・14代家茂の6将軍が眠る徳川家の菩提寺である。
墓所には正室と側室の墓も設けられ、皇女和宮の墓もある。
青い空に東京タワーの紅白が映える。


再び東海道(国道15号線)に戻り、品川宿を目指した。


金杉橋から海側を見たところ。
狭い川(運河)にたくさんの屋形船が浮かんでいた。


品川宿を目指す。


西郷隆盛(南洲)・勝海舟会見之地碑


慶応四年(1868)3月14日、幕府の陸軍総裁勝海舟が西郷隆盛(南洲)と会見し、
江戸城無血開城を取り決めた田町薩摩藩邸跡だったところである。
薩摩屋敷のすぐ後ろは海に面した砂浜だった、そうだ。


札の辻交差点に架かる陸橋を渡る。
札の辻は、東海道から江戸への正面入口にあたる。
名前の由来は、ここに高札場が設けられて、布告法令などが掲示されたことによる。
陸橋からの眺めは東京タワーなども見えて、なかなか良いものだ。


御田八幡神社と書かれたビル
神社はビルの裏にあり、ビルに隠れて見えない。
神社の創建は1,300年以上も前の由緒正しい神社だそうだ。
道路の反対側にあるため、神社の名前の付いたビルの写真を撮るだけにした。


高輪大木戸跡
江戸の南の入口として道幅約6間(約10m)の石垣で、夜間は通行止めとした、とのこと。
今は一部だけが残っている。


高輪大木戸は、品川宿に至る海辺の景観が良く、月見の名所でもあった、そうだ。


東海道で高輪三田と言えば、泉岳寺である。
赤穂浪士四十七士(正確には討ち入り前に自害した萱野三平重實の供養墓を含め四十八士)の墓にお参りして行こう。
中門をくぐると、


山門があるが、ここは直接門を通り抜けることは出来ない。


山門の横を通って境内に入り、泉岳寺本殿にお参り。
家康が外桜田に建てた寺で、寛永の大火で焼失、その後高輪に移転。
家光が毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の大名に命じて再興。
浅野家との縁はこの時からと云われている。


山門の横を通って境内に入り、「忠臣蔵」大石内蔵助をはじめ四十七士の墓へ向かう。
義士の墓の手前に吉良上野介の首を洗って、主君浅野内匠頭の墓前に伴ったとされる首洗井戸があった。


大石内蔵助の墓


義士の墓
次から次へと墓参に訪れる人がいて、どの墓にも線香の煙が途切れる間がない。


泉岳寺境内で一息入れよう。
時計は11時38分を差していた。
品川宿で食事をするにはちょうど良い時間だ。


高層ビル群が見えてきた。
品川駅東側の品川インターシティ辺りと思われる。


高輪海岸の石垣石
江戸時代に、高輪海岸に沿って造られた石垣に用いられたもので、平成7年に発掘された。
今はそのほんの一部が展示されているだけである。
三段目から下の石垣の石は現地でそのまま保存されている、とのこと。


12時2分、JR品川駅前を通過。


駅前交差点の信号が青に変わると、大勢の人が横断歩道を渡る。


国道15号線を八ツ山橋で左折して京浜急行北品川方面へ進むと・・・
JR線を跨ぐ陸橋を渡ったところに八ツ山橋の記念碑があった。
ひとつは”屋つやまはし”、もうひとつには”八ツ山橋”と刻まれている。


八ツ山橋の先に京浜急行の踏み切りがあるが、電車がひっきりなしに通るので、簡単には向こうへ渡れない。
上り、下りの電車が後から後から通る。
正に開かずの踏切である。


結局5分以上待たされてやっと渡ることが出来た。
『急いで渡らないと次の電車が来るよっ』


品川宿の商店街通り。
日曜日のためか、あまり人通りは多くない。


品海公園に品川宿の碑があった。
品川宿は、旅人のみではなく見送りや迎えの人でも賑った。
当時の宿場の中心は、北品川駅から青物横丁駅にかけての辺り。
本陣1、脇本陣2、旅籠93、人口約7,000人ほどだったと言われている。


その碑の前で、地元の人達が餅つきをやっていた。
食事場所の情報は、地元の人に聞くのが手っとり早い。
餅つきの一人に訊ねると、案の定たった今通ってきた直ぐ近くの蕎麦屋を紹介してくれた。
席も十分で、丼ものもあるらしい。


早速、紹介された蕎麦処「いってつ」に入って、めいめいお好みを注文。


かき揚げ天丼(800円)
味も良し、値段もリーズナブルである。


食事の後、餅つきのお兄さんに今度は利田神社(かがたじんじゃ)の場所を教え請うた。
餅つきのお兄さんは快く丁寧に教えてくれた。
利田神社は、広重の「品川すさき」に描かれた弁天社だそうだが、


鯨塚の方が有名なようだ。
この鯨碑(鯨塚)は、寛政十年(1798)5月1日、前日からの暴風雨で品川沖に迷い込んだところを
品川浦の漁師達によって捕えられた鯨の供養碑、とのこと。
鯨の体長は九間一尺(約16.5m)、高さは六尺八寸(約2m)の大鯨で、
江戸中の評判となった、そうである。


隣合せた小さな公園には鯨の頭の部分の像もある。


三度品川宿へ戻り、旧東海道の街道を進む。


京浜急行北品川駅を過ぎた辺りに品川宿本陣の碑があった。
当時の品川宿は江戸四宿の一つで、東海道五十三次の最初の宿駅である。
参勤交代の大名や公家・門跡などが利用した。


明治天皇行幸の行在所となったことに因み「聖蹟公園」と命名されている。


「品川宿交流館 本宿お休み処」へ入ってみた。
中はあまり広くはない。
駄菓子屋のような雰囲気の土産物店と”東海七福神”のPR誌やパンフが並べられていた。
”東海七福神”は「健康ウォーキングの会」で参考にしても良いかもしれない。


この日のゴール京浜急行新馬場駅に向かう途中、荏原神社があった。


荏原神社も”東海七福神”の一つで、恵比寿様を祀っている。


13時48分、ゴールの京浜急行新馬場駅に到着。


品川行き普通電車が入って来た。


品川から上野までは山の手線を利用した。
日曜日ということもあってか、車内は空いていた。
この日は、11Kmの歩程だったが、国道をあっちへこっちへ何度も渡ったりしたので、意外と歩いた。
万歩計は20,000歩以上を記録していた。
『今日は大変お疲れ様でしたぁ』


「旧東海道を歩く」第一回目が無事終わった。
やや寒かったが、天気も良かったのは何よりだった。
これから箱根関所を越え、三島宿を目指すことになるが、
大きな事故もなく無事計画通りに進むことを祈るばかりである。


ウマさんの「旧東海道を歩く」目次に戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筑波大学から筑波実験植物園へ

2014年01月17日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年1月17日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第32回(2014年第2回)、「筑波大学から筑波実験植物園」ウォーキングに参加した。

この日の集合場所乙戸沼公園
風も弱く湖面はさざ波ひとつ立たない。鏡のように穏やかだ。
今日も1月とは思えないほど絶好のウォーキング日和。


三々五々集まったのは14名。
第二集合場所は筑波大学南駐車場なので、直行した人が多いのだろう。
車5台に分乗し筑波大学南駐車場へ向かった。


筑波大学南駐車場の隣は野球のグラウンドがあり、朝練の最中だった。
元気の良い掛け声がグラウンドいっぱいに響き渡る。


駐車場には既に直行した7-8名ほどが到着しており、その後も次々と集まってくる。
結局、この日の参加者は27名になった。
最近は、直行する人数が半分近くを占める状態になり、第一集合場所以上の人数になろうとしている。
住所入りウォーキングマップの事前配布が効果を上げているようだ。


早速いつものように会長の掛け声で準備体操。
今日も空が眩しい。


9時42分、出発!


この日の目的地は「筑波実験植物園」だが、少し大学構内を歩いて最後に訪れるようにしている。
そのため、最初は陸上競技場横を通り、筑波大学を目指した。


陸上競技場横では、学生らしき若者達がサッカーに興じていた。
2つのボールを別々に追いかけているのを見ると、授業の一環としてゲームをやっている様に見える。


皆さん、今日も元気いっぱい。
仲良し3人組は笑顔もいっぱいだ。


平塚通りの天久保3丁目、筑波大学南交差点を渡ると筑波大学になる。


けやき通りを進むと左手に松美上池と筑波大学の第一学群A棟が見える。
3年半前の2010年7月9日の例会でカレーを食べたのを想いだした。


後の時間配分を考えて、第一学群の先で左折し、大学構内へ。


第一学群E棟で折り返し、つくばセンター方面へ。


平塚通りに架かる陸橋を渡り、


筑波大学別館の郵便局前を通過。
お日様を正面から浴びながら歩くと、汗ばむほどになる。


芸術学系棟と体育科学系棟の間を通過し、総合体育館・体芸食堂・球技体育館と進んで行くと、


大きな池があった。


歩き始めて40分、ここらで一休みして水分を補給しよう。


『ウマさんもどうぞっ』
『ありがとうっ、ごちそうさん!』


けやき通りを通過


平砂学生宿舎辺り
『大学構内にこんな広い宿舎があるなんて環境が良いわねぇ』


粗大ゴミが山積みになっている。
時期的に考えると、卒業生が不要になって捨てていったものではないだろうか?
だとすると、これからもっと増えるんじゃないだろうか。
『まだ使えるものもあるんじゃないっ?』


追越学生宿舎付近


学生の構内移動は自転車に限られているようだが、宿舎周辺の駐車場にはびっしりと車が並んでいた。
構外は自家用車で、という学生のものと思われる。
今時の学生は自家用車を当り前のように持っているのだ。


メディカルセンター病院前を通過


この日は思ったより暖かい。
気温の上昇とともに、身体が熱くなってきた。
松見公園で体温を調節していこう。


松見公園で2度目の休憩だ。
到着する頃には、上着を脱いで調節しないと、我慢しきれない状態になっていた。


公園で学生らしき男の子がジャグリングボールをやっていた。
ボールを同時にお手玉していたが、なかなかの腕前である。
(ジャグリングボール:プラスティック製のボールの中に砂を1/3ほど詰めてあり、思ったよりも重たい)


聞くと、最高は一度に7つのボールをお手玉できるとのこと。
現在3年生で2年ほど部活動でやった結果だそうだ。
目の前で技を披露してもらって拍手喝采である。


『勉強の方も頑張ってね』


松見公園内を一周してみよう。


『公園の中を歩くのは初めてだよ』という人がほとんど。


松見公園で折り返し、天久保2丁目方面へ。


桜の広場歩道を進む。
桜の時期に歩いてみたい道だ。


第二集合場所の駐車場手前を右折し、学園東大通方面へ。
間もなく「筑波実験植物園」だ。


東大通天久保2丁目北交差点の正面に「筑波実験植物園」が見えてきた。


11時10分、「筑波実験植物園」に到着だ。


入園料は、通常300円のところ65歳以上は無料となっている。
年齢を証明できる証明書(運転免許証あるいは保険証)を提示して中へ入る。
何人かが65歳未満ということで、自己負担で300円を払って入園することになった。
会費補助ということも考えられたが、これは仕方がない。


この日は”弁当無し”ということで、40分間園内を自由行動してもらうことにした。
メタセコイアの大木が立ち並ぶプロムナードを抜け・・・


先ずは熱帯資源植物温室へ入ってみた。


中は湿度がめちゃ高い。気温も30度くらいはあるだろう。


瞬く間に眼鏡が曇ってしまった。眼鏡を架けたままでは進めない。
また、カメラのレンズも曇ってしまうため、上手く撮影できない。


”みごろ第2位”のシコンノボタン属の一種、Tibouchina sp.という花。
レンズの曇りを乾いたタオルでふきながらようやく撮影したのがこの1枚である。


熱帯資源植物温室の湿度があまりにも高くレンズが曇って撮影できないため、隣のサバンナ温室へ移動。


サバンナ温室はやや乾燥していたので何とかレンズの曇りはなくなった。
こちらは”みごろ第3位”と紹介されていた。
最初は立て札右横の花キリンのことかと思ったが、花も咲いていないしどうも違うようだ。


立て札の脇から倒れるような状態で長く伸びた茎の先に花が咲いていた。
どうやらこの花が”みごろ第3位”ということらしい。


外に出ると冷たい空気が気持ち良かった。
近くに熱帯雨林温室があったが、暑さと湿度に懲りているので、入る気になれない。
熱帯雨林温室の近くで、10人ほどが何かに見惚れているのが見えた。


傍に行ってみると、橙色の小さな実がたくさん生っている。
柿の一種、カキノキ科のディオスピルス・ロンビフォリアという実だそうだ。
中国東部で生育している、と紹介されている。
このような実を観たのは初めてである。
とても美味しそうに見える。『食べられるのかしらねっ?』


植物園では”日本のアザミの秘密”という展示会(~1/26)が行われていたので覗いてみた。


日本のアザミの説明がずらりと並んでいた。
日本には150種以上ものアザミがあるとのこと。
『みんな同じように見えるけどねぇ』


アザミは、食品としても親しまれているとのこと。
モリアザミの根の漬物は「ゴボウアザミ」・「ヤマゴボウ」という名で売られている、とのこと。
「ヤマゴボウ」がアザミの根っ子だったとは知らなかった。


国内に150種以上もあるアザミだが、デザインに採用されているのはノアザミだた1種だそうである。
ノアザミは高さが1m以下で小さく愛らしいところがデザイン化されている主な理由ではないか、とのこと。
他のアザミは秋咲きで高さは2mを越え、愛らしく感じないため、デザイン化されないようだと。
『へぇ~っそうなんだ』


ここでは、デザイン化された食器(ぐい呑み)とコイン(英国6ペンス硬貨)が展示されていた。


少し園内を廻ってみよう。
温室の後方には広大な緑地や砂礫地などがあり、そこで育つ植物が見れることになっている。
水生植物用の池もある。


しかし、時間の制約もあるため、ゆっくりと観て廻ってる時間はない。
つくばね橋を渡り、岩礫地植物地域だけを見て引き返すことにした。
筑波実験植物園は家からも近いし、入園料無料なことから、後でかみさんとゆっくりと訪れてみたいと思う。
かみさんはまだ無料にはならないが、誘えば反対はしないだろう。


急ぎ足で”シダ植物”から”筑波山の植物”周辺を廻り、入口へ向かった。
『1回や2回で全部観れ廻れるもんじゃないよなぁ』
『また来るとすっかなぁ』皆さん口ぐちに言っていた。


11時53分、筑波実験植物園を出てゴールの南駐車場へ。


学園東大通りを天久保3丁目方面へ進む。


学園東大通りの先に筑波山の男体山が見える。
筑波山ハイキングは、本年2月最初の週に予定している。


けやき通りを南駐車場へ、ゴールは近い。


12時3分、南駐車場に到着。
朝は気が付かなかったが、駐車場入口には「大学入試センター試験」の案内が。
南駐車場はセンター入試専用で使用されるのだ。
我々が停めてある中央エリアはバス専用スペースとなっている。
『ウォーキングが明日でなくて良かったね』


整理体操をして、
『はいっ、今日は大変お疲れ様でしたぁ』


「筑波実験植物園」を例会の一部に取り入れたのは今回が初めてである。
園内は思いのほか広かった。時間の関係で、見て回ると言うよりただ歩いただけという感じだった。
65歳以上無料ということだし、来ようと思えばいつでも来れる近さなので、これから足繁く来ても良いのではないだろうか。

明日・明後日はセンター入試ということだが、雪なので混乱しなければ良いと思った。
ここ数年、センター入試の時には必ずと言っていいほど雪が降っているので、他人事ではあるが天気が気になる。
(19日(日)は早朝に雪が降り、つくば市では2Cmほどの積雪があったが、入試には影響は出なかった)


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関東ふれあいの道(神奈川)No.10「大田道灌・日向薬師のみち」

2014年01月12日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2014年1月12日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、昨年(2012年)は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破し、認定証を受領した。
そして次は神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩こうということになり、企画したものである。

第11回目となる今回は、コースNo.10(大田道灌・日向薬師のみち:約8.5Km)を歩くことにした。

この日の参加者は9名。
いつものように常磐線日暮里駅で乗り換え山の手線で新宿に向かった。


小田急新宿駅
7時41分発の小田原行き急行を待っているところ。
ほぼ10分間隔で小田原行きがあるので便利だ。


鶴巻温泉駅には9時42分に到着した。


暫くの間バスを待つ。
この日は準備体操を省略したが、ストレッチ体操で身体をほぐす人も。


9時55分、伊勢原駅北口行きバスが到着。
発車は10時5分、朝食用のおにぎりとお茶を買いに駅前のコンビニに走っても十分時間がある。


バス車内は我々一行のみ、思い思いの席に座って発車を待つ。
出発間際には他に数人が乗っただけだった。


10時12分、ほぼ定刻どおり坪ノ内バス停に到着。


「関東ふれあいの道」の案内図は坪ノ内バス停から少し離れた国道246号線にある。
昨年9月8日「弘法大師と桜のみち」で歩いたときに確認しておいたのが役に立った。


10時15分、先ずは長福寺目指して元気良く出発だ!


田園風景の中を進む。
寒気が少し和らいだため、気温はそれほど低くない。
穏やかな太陽の日差しが気持ち良い。
少し歩くと、汗ばむほどである。


道端に石像が並んでいた。
「歴史の道」に相応しい風景ではある。


右に折れるように道標があるが、道は二つあった。
最初に写真左の道を進んだところ、ミカン畑へと通じていた。
間違っていることに気付き、引き返してさらに右の細い道を進んでいるところである。
道標が分かり難い。


ほどなく八幡神社に到着。
「関東ふれあいの道」の案内図にも乗っていない小さな神社だ。


最初に拝むのは、やはりこの日の無事安全である。


八幡神社から4分で長福寺に到着した。


70段ほどの階段を登ると長福寺の本殿があった。
とりあえずお参りして行こう。


長福寺を過ぎ、のどかな風景の中を進む。


丹沢山系の麓に建物が点在する。
後方一段高く見えるのは大山だ。


鈴なりのみかんは、夏みかん?それとも八朔だろうか?
『何時収穫するんでしょうね?』 『今でしょっ!』
なんちゃって!


前方に比々多神社の森が見えてきた。


拝殿前は参拝やご祈願の人たちで賑わっていた。


”御参拝お済みの方に、御神酒、御守をお授けします 無料”の看板が目に付いた。
御神酒をいただいたのは、平成十八年(2006年)に出身地大分県国東の「白髭神社」に
初詣した時以来で、あまり経験がない。
『ちょっと物足りないねっ』率直な感想である。


『私も撞いてみようっと』
神社で鐘を撞けるのもそう何度もあることではないのでは?


次の目的地、上粕屋神社へ向かう。


11時32分、上粕屋神社に到着。


神社の前に推定樹齢600年と云われる大きなけやきが立っている。


神社境内には他にも推定樹齢数百年と思われる古木が多数植えられている。


このけやきは御神木に相応しい古木で見事である。
奥にみえるのが拝殿


弁当の前に太田道灌公の墓前で証明写真を撮ることにしよう。
上粕屋神社から200mほど東へ行くと太田道灌公の墓地があった。


太田道灌公の墓地をバックに全員の証明写真を撮影。


洞昌院(とうしょういん
洞昌院は、道灌が関東管領上杉憲実(うえすぎのりざね)の弟道悦和尚のため建てた寺と伝えられている。
今では道灌の霊廟が建てられている。


洞昌院の枝垂れ桜が印象的であった。


七人塚
上粕屋神社と道灌公の墓地の中間にひっそりと佇んでいる。
道灌が、主君上杉定正に「道灌 謀反心あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客によって暗殺された。
そのとき上杉方の攻撃を一手に引き受けて討死した道灌の家臣7名の墓で「七人塚」と伝えられている。
この墓は上粕屋神社の境内の杉林の中に七つ並んでいたが、明治の末期、開墾する時に
一つ残された伴頭(ともがしら)のものと云われ、今でも「七人塚」と呼ばれている。
(説明板より)


上粕屋神社に戻って弁当タイムだ。
上手い具合にベンチとテーブルがあった。
時計は12時ちょうどを差していた。


弁当も終わり、日向薬師バス停に向かって出発!


産業能率大学湘南キャンパスが見えてきた。
校地は、かつて室町時代に関東地方で勢力をふるった上杉定正の「糟谷の館」の址と云い伝えられている。
定正が勢力をふるった背景には、その家臣太田道灌の力があった。
太田道灌は江戸城をはじめ、川越・岩槻などの諸城をつくり、また軍略に巧みな名将として知られている。
近臣の讒言(ざんげん)にあって、定正に謀殺されるが、その舞台となったのが、
この糟谷の館であるという。(産業能率大学 説明板より抜粋)


県道603号線中丸バス停を通過。


県道603号線を途中で左折し、住宅地へ。


住宅地を抜けたところに鎧塚(よろいづか)古墳があった。
小さな塚で特に目立つようなものがないので、見落とすところだった。
古墳塚にはいろいろな碑が建てられていた。
正面は希典書と刻まれた忠魂碑。あちこちの神社などでよく見かける。


忠魂碑の脇の石には、鎧塚神社と刻まれている。
以下の説明によると、どうやらこれが御神体と思われる。
明治14年、道路の拡幅工事を行っていた当時の西富岡村の住民66名は、鎧塚古墳の蓋の石が露出して、
玄室(棺を納める室)が壊れそうなので、これを修理し、古墳に使われていた巨石を「鎧塚神社」の
御神体として祀ったそうである。
忠魂碑や鎧塚神社の基礎、盗掘などにより、今では石室の大半は失われてしまったそうだ。


塚の頂上に観音像が祀られていた。
台座には”武運長久”と刻まれている。


道路沿いには石屋が数多く見られた。
この辺りに石切り場があるのだろうか?


道端で地元産のみかんが売られていた。
このような無人販売所を道路沿いにたくさん見掛けた。


ゴールの日向薬師バス停を目指して進む。
13時28分、藤野バス停辺りで、路線バスが我々一行を追い越していった。
このバスが日向薬師バス停で折り返して伊勢原駅行きになるのだ。
何とかこのバスに乗りたい、しかし日向薬師バス停まで残り1.5Km、
バスに間に合うかどうか微妙である。


前方に大山が見えてきた。
時計は13時32分を過ぎたところだ。
13時45分発の伊勢原駅北口行きには間に合わないかもしれない。
その場合は1時間待たされることになる。


13時40分、日向薬師バス停の2つ手前の高橋バス停に到着。
時刻表を見ると、次のバスまであと7分しかない。


前方に日向薬師の歓迎の看板が。
『ここまで来たんだからここからバスに乗っても許されるんじゃないっ』
の力強い声に・・・・


高橋バスから伊勢原駅北口行きバスに乗ることに決定。
皆の顔に安堵の表情が浮かぶ。


高橋バス停で待つこと数分の13時47分、日向薬師折り返しのバスがやってきた。
帰りのバスは意外に混んでいた。
座れたのは数人だけで、残りは伊勢原駅までの約20分立ちっ放しだった。
『日向薬師に行っても座れなかったかもね』
『少しでも乗ってる時間が短くなって良かったわね』


14時4分、伊勢原駅北口に到着


小田急線伊勢原駅


『早めの電車に乗れて良かったわね』
『今日は本当にお疲れ様でしたぁ』


この日も好天に恵まれ、伊勢原路を歩くことが出来、太田道灌の頃に想いを馳せた。
最後は勝手な判断で指定されたゴールまで歩かなかったが、許される範囲だと思う。
この日コースNo.10「大田道灌・日向薬師のみち」を歩き終わり、残すところあと4コースとなった。
順当に行けば、5月には神奈川県「関東ふれあいの道」全17コースを歩き終わることになる。
次の「関東ふれあいの道」をどうするか、そろそろ本格的に検討を進めたい。


ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」の目次”へ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする