ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

特選街道Ⅱ 第4回 甲州街道(教来石宿~金沢宿1日目)

2018年06月24日 | ウマさんの「旧街道(特選)」を歩く
2018年6月24日(日)

2015年(平成27年)1月から翌(2016年)4月にかけて、旧街道(特選12コース)を歩いたが、
仲間から『是非続けて欲しい』との声があり、今年(2018年)は「旧街道を歩くⅡ」
として、新たな”街道歩き”を始めた。

「旧街道を歩くⅡ」第四回(1日目)は、甲州街道教来石宿~金沢宿間を歩いた。

新宿7時ちょうど発の特急スーパーあずさ1号に乗車
前回、自由席も満席状態で、甲府駅まで座れないという苦い経験を味わったため、
今回は指定席を購入した。
この日は、座席にはかなり空席があり、自由席でも座れたと思う。


8時54分、小淵沢駅に到着
この日の参加者は6名である。


小淵沢駅の売店で駅弁を買い、


甲州街道(国道20号)まではタクシーを利用した。


9時12分、この日のスタート地点、国道20号の荒田交差点に到着。
料金は1720円だった。
3名づつ乗ったので、一人当たり570円余りということになる。


9時17分、JRすずらんの里駅に向けて、出発!


国道20号を進む。


9時27分、鳳来警察官駐在所前を通過
前回、ここからタクシーで小淵沢駅に向かった時の記憶が蘇る。


9時30分、上教来石山口諏訪神社に到着


諏訪神社の創建および沿革について詳しいことは明らかではない。
祭神は諏訪明神と通称される建御名方命で、古来より教来石村の産土神として
崇敬を受けてきた、そうだ。
教来石に建てられていた小祠が移設された神社、とのこと。
今回の旅の無事安全を祈願して、


旧甲州街道を進む。


教慶寺の石仏地蔵
地域内に火災・悪病・強盗などの凶事が相次いだことから、この災厄を除こうと
大きな石地蔵を鎮在して、地域に平和が訪れたと云われている、そうである。


教慶寺の石仏地蔵の先で、旧街道は国道20号から分岐している。
右側の旧街道を進む。


旧街道を進むと、


山口関所跡の説明が。
甲州24ヶ所口留番所の一つで、信州口を見張った国境の口留番所である。
ここが何時頃から使用されたかは不明であるが、天文十年(1546)、
武田信玄の伊那進攻の際設けられたという伝承がある。
(中略)
この番所に残る大きな出来事に、天保七年(1836)郡内に端を発した
甲州騒動の暴徒が、この地に押し寄せた折、防がずして門扉を開いた
判断を咎められ、番士が”扶持召し上げられ”の処分を受けたことである。
番士のうち二宮氏は再び職に戻り、明治二年番所が廃せられるまで勤め、
明治六年に設けられた台ヶ原屯所の初代屯所長に起用されている。
(以下略)


鳳来山口関跡の碑


向いに西番所跡と刻まれた碑があり、次のように刻まれていた。
天保七年八月、百姓一揆時に開門 その責任を取り、
名取慶助は若尾に改姓、明治四年に廃藩により廃止
1992年 若尾法昭
(番所の門を開き、その責任を取って改姓したことを後世に残すために
名取慶助の子孫が石碑を建立?)


10時17分、国道20号に合流


釜無川に架かる国界橋を越えると、甲斐国から信濃国へと入ることになるが、


国道方向へは行かず、国道20号を横断して真っ直ぐ進む。


『この道って通れるのかしらねぇ?』


猟銃らしきものを背負っている人がいた。
犬が猪や鹿を追って来るのを待っている、とのこと。
道を尋ねると、この先の橋を渡れば国道に出られる、と聞いて一安心。


釜無川を渡る。


橋の出口には獣害を防ぐための金網が張られ、扉が閉まっていたが、
鍵はかかってなく、通り抜けることが出来て、一安堵。


国道20号を横断し、旧街道を進むと、


10時35分、日蓮上人の高座石の碑があった。


”この奥28m”の案内表示に従って進むと・・・


高座石らしき岩が祀られていた。
伝承によると、村に悪疫が流行し、村人が難渋していたので、
日蓮上人は三日三晩この岩に立って説法とともに加持祈祷を行い、
霊験をあらわにしたという。


旧街道に戻り、道なりに進む。
道端には道祖神や石仏などの碑が立ち並ぶ。
苔むして判読できないものが多い。
簡単な説明でもあればありがたいのだが・・・


標高731m
『東京スカイツリーより高いんだねっ』


旧街道を進む。


10時44分、真福寺に到着
元は真言宗であったが、日蓮上人に感応し、日蓮宗に改宗した、そうだ。
山門の二階部分は“鐘楼”になっており、


参道にはお釈迦様の弟子おびんずる様(浄行菩薩)が祀られている。


真福寺本堂にお参りして、


旧街道を進むと、


見晴しの良い場所に出た。


応安の古碑群
応安(1368年~1374年)とは南北朝の年号で、諏訪郡で最古の碑、と伝わる。


旧街道の左手には国道20号が走っている。
いつの間にか道の駅「葛木」は過ぎてしまったようだ。


10時59分、葛木宿に到着
江戸幕府の宿駅制度によって、慶長十六年(1611)頃、
甲州道中第43番目の宿駅として設置された蔦木宿は、
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠15軒であった。


蔦木宿の入口に常夜燈が建てられ、道祖神が祀られている。


六角灯籠
このような形の灯篭は初めてだ。
『珍しい形をしてるよねっ』


南の桝形道路
蔦木宿は、甲州街道の宿駅として、慶長十六年(1611)頃に設置された。
この宿駅は新しい土地に計画されたので、希に見る完備した形態となっている。
枡形路は、南北の入口に設けられ、以来、宿内への外からの見通しを遮り、
侵入者の直進を妨げて、安全防備の役割を果たしてきた。
(富士見町教育委員会)


枡形を左に直角に曲がると、国道20号に出た。


葛木宿の各家々には、甲州街道葛木宿 xx屋の屋号が掲げられていた。
かつてここにあったという屋号であり、現在の表札とは異なる。
べっこう屋


かなり年数が経っているようで、文字が薄くて読み難い。
油屋


本陣大阪屋の門
ここは弘化三年、最後の本陣を務めた大阪屋の跡地で、
明治13年の明治天皇御巡幸の際の小休所となった所である。
本陣の規模は広大で、多くの座敷や板敷、土間のほか、堂々とした門構えや
広い玄関、書院造りの上段の間などを具備していた、とのことだが、
現在は門のみが存在している。


門の直ぐ傍には、蔦木宿本陣跡碑(右)と明治大帝御駐輦跡碑(左)が建てられている。


葛木宿の家並みと屋号が書かれた宿の図
右側は南、左側は北と表示されている。


寿喜茂登屋


与謝野晶子の歌碑
白じらと 並木のもとの石の桶が 秋の水吐く 蔦木宿かな


北の桝形道路は、国道20号から左に折れて続いている。


角に桝形道址の石碑が建っている。


旧街道(国道20号)を進む。


旧街道(国道20号)を進む。


塩沢温泉
『温泉に入りたいねっ』


ラーメン、もつ煮込み、ギョーザ、ハンバーグ、
あらあげなどの幟が風にはためいている。
このような幟が気になるということは、お腹が空いてきた証拠か・・・
弁当を食べれる場所を探しながら歩くことにする。


12時3分、机地区への上り口を通過


左手に白州町大武川地区の景色を見ながら進む。


道路左側に「たけち温泉」の看板が。
『この辺りは温泉が多いんだねぇ』


緩やかな坂道の旧街道を進み、


12時26分、立場川に架かる瀬沢大橋を渡る。


立場川は釜無川の支流になっている。


緩やかな上り坂を進むと吉見屋と書かれた看板の家があった。
たばこ、塩などの文字が見えるが、今は営業していないようにみえる。


さらに坂道を進む。


手持ちの地図には左手辺りに神社のマークがあり、いかにも神社らしい雰囲気だったので、
急な石段上って行くと・・・


12時42分、果たして小さな神社があった。
『御柱があるんだから神社なんじゃないのっ』
古いが土俵も見える。


神社の名前は分らないが、大神と刻まれた碑が。


境内の神社の反対側には2つの小さなお堂があった。


左側のお堂には全身を白い涎掛けに包まれたお地蔵様が。
子安地蔵なのだろうか?


中尾山西照寺と書かれたお堂には2体の仏像が安置されていた。


この際、神社でもお寺でも構わない。
お昼時も過ぎているし、ここで弁当タイムにしよう、ということに。


弁当タイム


この日は、小淵沢駅で買った「鶏めし弁当」(980円)である。
なかなか美味しかった。


13時24分、昼食も終わり、旧街道を進む。


緩やかな坂道を上る。
旧街道の案内表示などは何も見当らない。
『この道で合ってるんだよねっ?』
手持ちの簡略地図では不安が募るが、


道端にこのような石碑(馬頭観世音?)があるのをみると、旧街道に違いない。


小さな峠を越えると見晴しの良い場所に出た。
前方左手に建物が見えるが、コンビニだろうか?


建物は、ジャンピンというバン工房だったが、日曜日のためか扉や窓は閉まっていた。


緩やかな上り坂の旧街道を進むと、右手に山が連なっているのが見えた。
『あの山って八ヶ岳じゃないっ?』


13時48分、尾片瀬神社に到着した。
由来等は不明だが、とちの木集落の外れにある神社である。


尾片瀬神社に参拝


尾片瀬神社からは八ヶ岳がよりはっきりと見えた。


旧街道沿いの道端に佇む石仏群を過ぎると、


芧木(とちのき)風除林があった。
寛政年間(1789~1800)に村では高島藩へ願い出て、
防風林として外風除けを村の上に仕立てた。


そのアカマツが、樹齢およそ200年の立派な風除けとして今日に至っている。
(富士見町教育委員会)


重修一里塚碑


重修一里塚は、日本橋から46番目の一里塚である。


重修一里塚碑の近くに950mと書かれた標高標柱が。
『筑波山より200mも高いんだよねっ』
近くにいた地元の人に聞いた話では、冬は−20度にもなるそうだ。
『冬はとてもじゃないけど住めないよねっ』


甲州街道の標識に従って枡形のような道を進む。
標識がないと、道に迷ってしまう。


『ちょっと疲れちゃったねっ』


木陰に腰を下して一休みして行こう。


農道のような道を進んで行くと、原の茶屋に出た。


富士見公園があった。
公園内には、有名人の歌碑や句碑があるようだが、
見て回るのは大変だ。
現在地から一番近い所に芭蕉の句碑があるようなので、見てみよう。


芭蕉句碑
これは明治14年鶴鳴舎中により建てられたもので、
元禄七年(1694)芭蕉が箱根を越えたときに読んだ句である。
眼にかゝる ときや殊更 五月不二 はせを


街道を進むと、明治天皇御膳水の碑があった。


明治天皇御膳水碑の先に常夜灯が建てられていた。


道祖神や庚申塔、供養塔などを右手に見て、


旧街道を進む。


左手に見えるのは、入笠山だ。
入笠山といえば”すずらんの群生地”として有名である。
今から6年前の2012年6月19日(火)に常南交通社のバスハイキングで来たことがあるが、
この辺りだったとは知らなかった。


『これってキャベツでしょっ?』
『きちんと植えてあるわね~っ』


旧街道を進む。


金山大権現の碑


『これは石仏のようだねぇ』


下り坂の旧街道を進んで行くと、


前方の山裾にJRすずらんの里駅が見えた。
『すずらんの里駅が今日のゴールなんだよねっ』


15時16分、国道20号に合流
富士見パノラマリゾート入口交差点とある。


700mほど国道20号を進むと、神戸八幡交差点があった。
この信号を右に曲がればすずらんの里駅だが・・・


時間も早いし、この日の最後を飾るには御射山神戸一里塚を見ておこうということに。
その前に先ず神戸八幡神社へ参拝を済ませておこう。


御射山神戸八幡神社(富士見町指定湯系文化財)
この八幡神社は、古くは鍬形八幡と称されていたようであり、
現在の建物は宝暦十二年(1762)の建立になり、
棟梁は伊奈郡沢底村(現辰野町)出身の加藤吉左衛門である。
(以下略)


八幡社本殿東側の欅(富士見町指定天然記念物)は、樹高30m、胸高幹囲7.7mで
町内で一番の大木であり、樹齢390年と推定される。
町内の寺院や神社の境内に植栽されている欅には大木が多く、
胸高幹囲3mを超えるものが14株あり、そのうち4株がこの境内のものである。
(平成15年3月 富士見町教育委員会)


国道20号を進むと、道が分岐していた。


分岐点に石碑が立っていたが、何と書いてあるのか全く読めない。


近くにいた人に一里塚の場所を訊ねるNKさん。
分岐点を左に進むように教えて貰った、とのこと。


分岐点を左に少し進むと、たくさんの馬頭観音碑が並んでいた。
『こんなに馬頭尊が集まっているのは見たことがないよねっ』


さらに坂道を進んで行くと、堂々とした塚が見えて来た。
『あれが一里塚みたいだねっ』


御射山神戸一里塚は、集落の北外れにあって、日本橋から48里目(49里との説も)
の塚と云われ、明治中頃までその役割を果たしていた。
道路西塚には欅が、東塚には榎が育っていたが、明治初期に枯れてしまったという。
こちら東側の榎は2代目になるのだろう。


残っている西塚の欅は、塚が造られた慶長年間に植えられたものと推定され、
樹齢は凡そ380年を数える。
現在では目通り高で幹の太さが周囲6.9m、樹高は約25mの巨木となり、
永い歳月と風雪に耐えて堂々たる風格を備え、樹勢もなお盛んである。
甲州街道でこのように塚・欅ともに往時のものが保存されている例は他になく、
実に貴重な存在である。
(平成10年3月 富士見町教育委員会)
『今じゃ樹齢400年ってことだよねっ』
『こんな立派な一里塚を見るのは初めてじゃないかなぁ』


御射山神戸一里塚を見たことで、一区切り付いたことから、
すずらんの里駅へ引き返すことにしよう。


神戸八幡交差点を左に曲りすずらんの里駅へ。
前方にすずらんの里駅舎が見えて来た。


駅舎近くにスズランが植えられていた。


16時3分、すずらんの里駅に到着。


16時34分、下り電車がやって来た。


『いやぁ 今日は良く歩いたよな~』
『ちょっと疲れちゃったねっ』


16時45分、茅野駅に到着


明日の上り電車の時刻を確認
『7時59分があるねっ 乗り遅れてもその次は8時22分だしねっ』


駅前の飲食店などを確認してホテルへ向かう。
『ここでいっぱい飲って、後で何か食事を注文すればいいんじゃないっ?』
の一言に全員納得、これで決まりである。


茅野ステーションホテルが見えた。


17時2分、茅野ステーションホテルに到着


ホテルでひと風呂浴びて汗を流した後、18時30分、食事に出掛けた。


「庄や」は、けっこう地元の人で混んでいた。


先ずは生ビールで乾杯をして、一日を振り返って話が盛り上がっていると、
隣席のお嬢さんが全員での写真を撮ってくれるという。
お言葉に甘えて撮って貰ったのがこの1枚。


皆で『ありがとうっ』と礼を言い、カメラを構えると、
にっこりと笑顔で応じて、Vサインを返してくれた。
なかなかチャーミングだ。
ブログに載せることを約束した。
(コメント期待してます)


この日は、仕事の打ち合わせで来ているとのこと。
二人とも独身とのことだが・・・
幸せになって欲しい。

『皆さん 今日は大変お疲れさまでしたぁ』

「旧街道を歩くⅡ」第四回目甲州街道(教来石宿~金沢宿)(1日目)を歩き終えた。
神戸八幡神社から先の馬頭尊像や御射山神戸一里塚は、翌日も歩くので、
余分ではあったが、この日の締めには最高の場所と思い、足を延ばした次第。
御射山神戸一里塚を目にした時には、その立派さに感動を覚えた。
ここまで歩いて来て良かった、とその時思った。

茅野駅に着いた頃には正直言って疲れたが、
駅前の「庄や」でのいっぱいは、疲れを吹き飛ばしてくれた。
また、チャーミングなお嬢さんの笑顔が新たな力を与えてくれたような気がする。

明日は、蔦木宿(すずらんの里駅)~金沢宿(茅野駅)を予定している。
どのような景色を観ることができるのか、楽しみである。

万歩計は31,000歩を越えていた。久しぶりの30,000歩超えである。

特選街道Ⅱ 第4回 甲州街道(教来石宿~金沢宿2日目)

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2 コメント

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コメントありがとう (ウマさん)
2018-07-08 18:02:15
「ひろ」さんから下記コメントをいただきました。

”早速 約束通りの写真アップありがとうございます♪
皆さんのお元気な姿に力を分けて頂き 益々 仕事に恋に精進してまいりますww

これからもお身体に気を付けて楽しい皆さんのブログを楽しみにしてます♪
事故にもお気を付けて甲州街道を楽しんでくださいね(o´∀`)b
またお会いできることを楽しみにしてます☆”

「ひろ」さん、
甲州街道最終回は、10月になりそうです。



返信する
庄やでの一コマ (えみ)
2018-07-09 16:39:25
私まで写真アップして頂きありがとうございました!

皆さんから元気頂きました!
趣味に仕事に頑張ります!
皆さんもお身体気をつけてウォーキング楽しんで下さい(^^)

また会えるのを楽しみにしてます!
返信する

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